今日でフィニッシュです。

リベラル派であれば、反戦平和という軸があるとして、そこから自動的に護憲、アンチグローバライゼーション、弱者救済と言った感じで、決まりきった路線に串刺し化されちゃうのではなくて、なぜ護憲なのかという問題を反戦平和を取っ払って考えてみるというのが重要なんじゃないかと思うわけです。

それは戦争反対だからという理由であれば、何も説明していない事になっちゃうので、気持ちはわかるけれどいったん切り離して考えてみるという事が重要なんだろうと思います。改憲派の人に反戦平和の為に護憲が必要なんだ!!と言っても、反戦平和の為に改憲が必要なんだと言われちゃえば、お前のは反戦平和じゃない、俺の方が反戦平和だ!!、いいや俺の方が!!という感じの、一種のコメディみたいになっちゃう。

これは右翼の人がよく言う事なのですが、愛国心競争になっちゃう。俺の方が国を愛している。いや、俺の方が愛している、お前なんか国を愛していないじゃないか。国を愛している事を証明しろ、わかったそれなら見せてやると言って暴走する。見たいな。

結局どっちも愛しちゃいない、愛していると言っているだけ、そんなの比べようもないのに、ただ競争しているだけです。だから反戦平和で意見があうのだから、お前のは反戦平和ではないと否定してもしょうがない。

これは例えばオウム事件を引き起こした信者達なんかとも同じです。麻原に対する忠誠心競争、俺の方が忠誠心がある、いや俺だ、いや俺の方が、という蛸壺内での田吾作の鍔迫り合いが暴走を引き起こす。これはあらゆる日本の蛸壺的共同体に含まれている行動作法です。だから企業だって不正をぶちかましても、社員がそれを黙っている。

しかしヘタレの田吾作競争なので、何かあると簡単に手のひらを返す。不正をした共同体の誰かがパクられたりすると、ちょっと脅されただけであっという間に、全部ゲロして反省してますってパターンです。責任をどこかになすり付けて、自分は悪くない、騙されていた、反省していると。そんでしばらくしたら挫折をネタに真面目に更正していますとお涙頂戴、本でも書いて一儲け。

前大戦だって統治権力のケツ舐め愛国心競争の成れの果てです。だからあっという間にGHQに尻尾を振って、天皇陛下万歳だったのが、マッカーサー様!なんつって手の平を返す。今度は民主主義優等生競争に変じるだけ。

戦前の愛国心なんてもんは右翼と何の関係もない。その国の国王なり皇帝なり、統治権力なりが、国民を苦しめるようであれば、刺し違えても人民の権利を死守する事こそ、愛国者であり右翼と呼べるものです。小汚い街宣車で喚き散らす事は愛国心と何の関係もない。

だいたい国賊共が運営する統治権力なんぞを外国に罵倒されたからと言ったって、何の問題もない。統治権力を愛する事は愛国心とは何の関係もない。

愛国心を教えろとバカ保守が吹き上がってますが、望む所です。そんなものを教えることが出来るのなら、今の売国奴官僚や国民の生活を無視する国賊政治家なんぞ皆殺しにしろと教えられる、それが善い事であると教育出来るのだから最高です。どうぞ好きなだけやってくれという話です。そうすればもう少しまともな国になる。左翼もそんな事にビビる必要はありません。愛国心があるが故に左派になる人だって出てくるでしょう。

戦後の民主主義なんて威張ってみても、中身はなんにもないスッカラカンです。アホウのような国賊野郎がいつまでたっても政権にしがみついている。民主主義を舐めています。実際民主主義なんて機能していないし、国民も別に切実にも思って来なかった。思考停止的に同じ人間に投票し続けるなんてのは、民主主義とは言えません。

愛国心も民主主義も結局は忠犬ハチ公病、奴隷病です。だから民主主義も芽生えないし、戦争が終われば簡単にアメリカのケツを舐める。

蛸壺内であるにしても、競争するのは重要な事ですが、何に向かって、何の為に、何と競争しているのか?という事を考えると、蛸壺的ハチ公病に冒されると本末転倒が多過ぎる。それ意味ないじゃんってパターンです。官僚や政治家なんていい例です。これは右とか左は関係ない。あらゆる蛸壺が陥る病です。

弱者救済にしても単純な言い方は出来ないわけですから、個別で考えなければそれは腐敗を招きかねないし、その外の不平等を黙認する事になりかねない。弱者救済という言葉を掲げているが故に、ある疎外には鈍感になるというのでは本末転倒です。

フェミニズムという価値観だって、フェミニズムを唱えるのはいいけれど、それで幸せになっているのかという所にも冷静にならなきゃマズい。フェミニズムを振り回す人にとって幸せであっても、そんなのどうでもいいよと思っている女性だっているはずですし、そんな事よりという事だってあるでしょう。

反戦平和、改憲という組み合わせだってあり得るわけですし、グローバライゼーション擁護、弱者救済という組み合わせだってあり得る。新自由主義、再配分政策重視という組み合わせだって出来るわけです。
市場原理主義者とアンチ市場原理主義者の二人でも、話してみればお互いに弱者救済を考えているかもしれない。

核武装、核兵器反対だって、どっちも話してみれば、おそらく多くの人が戦争には反対しているでしょう。核武装しろと言っている人が、どこかの国に核を撃ち込みたいから言っているわけではないに決まっているでしょうし。むしろ広島長崎の悲劇を繰り返しちゃならんと思っている人が圧倒的だと思います。

相手に核を撃ち込まれる事を回避する為に、抑止してそれを食い止めるというのは、合理的に考えれば、一番核抑止力にはなるわけです。

沖縄の悲劇を繰り返すな!!というならば、上陸されたらマズいわけですから、上陸させない為には抑止を持つ事はそれなりに合理性がある。

しかし理念に絡めとられてしまうと、核武装論者がまるで核戦争でも望んでいるかのように勘違いしている人もいる。核武装反対という人は、何で反対なのかと言うのを反戦平和とか別の論点から切り離して、考える必要がある。

例えば抑止力を持つという事は、反撃能力を持つ事、だから相手が本当に脅威かどうかを見極める必要がある。中国がすぐに攻めて来るかと言えば、現状の日本の軍事力であれば自衛する能力はあるし、中国も日本にだけ軍を集中させる事は出来ない。国境の広さを考え、守るべき国土面積を考えれば、防空に特化して戦える日本の現戦力でも十分自衛出来る。北朝鮮に至ってはまさに語るまでもなし。

しかし核の脅威はある。核の脅威には自衛隊をどんなに強化させようが、撃たれたら終わりなわけだから、核の脅威を理由にして重武装化する根拠にはならない。もちろん核戦争があったとして、核を一発ずつ撃ってくる国なんてあるわけないので、MDの理由にもならない。

そうなると核を持つ事でしかそれに対する効果はない。だけど核と言うのは使ったらそれまで、あるけれど使えない兵器でもある。だから武装もない国に向かって今の国際情勢から考えるといきなり撃ってくる事は考え難い。

日本に核攻撃をしても何のメリットもないし、仮にあったとしても、国際社会の信頼を失ってしまう事と差し引きで考えれば、明らかに損をするわけだから、合理的に判断する能力があるのなら、核攻撃など脅しには使うだろうが、実際には使えない。合理的に判断する能力を失っているのなら、核を持っていたって撃ってくるだろうから抑止にはならない。

だから抑止力を持っているかいないかが問題なのではない。撃てるものなら撃ってみろという覚悟が重要なんだと。仮に撃たれたら撃ち返せたとしたって、撃たれた被害を元通りにする事が出来るわけではないので、どの道撃たれれば痛い目に合うのは変わらない。核の脅しでは何も出ないよ。と言う必要があり、核を振りかざす事無く友好を掲げている国とはどんどん仲良くしますし、協力もしますと言えばいい。

と言った感じで、核武装反対という人でも、自衛隊はあった方がいいと考える人であれば、こういったロジックは十分使えますし、自衛隊に反対だという人も、今自衛隊はあるわけですから、それをいったんわきにおいて、核武装反対を叫ぶ人は核武装を叫ぶ人に言う必要がある。実際問題、日本が核武装しているわけではないのですから。

核武装論者を危険な軍国主義的な言い方をしてしまうと、核武装論者だって、戦争を未然に防ぐ為の抑止として言っているわけで、反戦平和の鍔迫り合いになるだけです。反戦平和と言う理念が正しければ正しい程、それは益々加熱してしまう。抑止の方法が必ずしも核が必要ではないのではないか?という所から論じて行った方が打開策がありそうな気がする。

そしたら本気で核武装なんて、現時点の世界情勢、統治権力の無能さから考えれば、出来っこないわけで、あんまり理不尽な事を言っていると、核武装するかもしれないよと、思わせる事が重要だというだけの話をしているかもしれない。話してみれば単なるネタだよで終わっちゃうかもしれないわけです。だけどそれは誰にも言っちゃダメだよと。

軍備賛成論者だって今の軍備であれば、ある程度の脅威にはすでに対抗出来る。日本は相当な軍事大国でもあるわけです。非武装と叫んでいる人がいても、実際には軍備があって、しかもすでに重武装しているわけだから、そういう人が叫んだら非武装になるかと言えば、それがマジョリティを形成する事は無いでしょう。みんななんだかんだと言ったって恐いわけです。

非武装派だって反戦平和故に言っているわけですから、そこをキチンと見ないと、全く同じ事を言っている事になる。武装しないと戦争になる、武装を持つと戦争になる。戦争になるかどうかと、武装非武装をいったんわけて考えた方がいい。戦争は相手があって、国民全てがその事に突っ走って行って始まるものでもある。非武装でも攻められれば戦争になって人が死ぬし、武装を持っていても抑止を乗り越えて仕掛ければ戦争になって人が死ぬ。

理念を掲げてしまうと、お互いに話も聞かずに幻影とやり合っているような感じに見えてしまうわけです。反戦平和だっつっているのに、反戦平和を望む者同士がもめるなんてのは、笑えない冗談です。現に今、日本が主体的に戦争しているわけではないし、アメリカのケツ舐め的貢献はしていますが、それだって、意味の解らない言い訳を駆使しながら、必死で抜け道を探りながら、アメリカのご機嫌とりをしているだけであって、それがすぐさま日本がどこかの国と全面戦争に至る道かと言えば、それにはまだ安全装置がいくつかある。

海外派兵の問題は、戦争反対のロジックから切り離して、正当性の問題とそれによって得られるゲインの比較衡量から考えた方が実りがある。

だけどお互いに平和の為と言った理念を掲げて、これこそが正しい平和の道だという分断が深刻になればなるほど、その軋轢が火種になり、社会はどんどん揺れて行きます。

極端なのはアメリカです。戦争、戦争反対というスイングバックを繰り返ししながら、バランスをとる方向性になってしまう。クリントンだって散々爆撃していたわけで、政権交代しなくとも同じ政権の中で、人気になったり不人気になったりと、彼らの勝手な都合で、世界中に絶望をまき散らしている。

日本は元々二大政党制ではありませんでしたし、もう少しバランス感覚があったはずなのに、それが段々失われている。左派の理念は非武装反戦平和の方向性なので、そちら側である時は、もちろん戦争と言う選択肢はとり難いとは思いますが、そっちにスイングした反動が大きくて、それが機能不全に見えてくると、断固決然野郎が登場する。

そしてそれが梯子を外されて、再びスイングバックする。その振れ幅が大きくなればなるほど、段々両極が過激になっていって分断が益々深まる。やがてそれは戦争を止める安全装置を次々と外して行くという帰結を生み出す。バックフラッシュしてもっと厳しく雁字搦めにし、そして再び更に安全装置をもっと外して行くと、このサイクルに入っている。

このもとでは我々はどんどん自由を失い、分断化され、やがてわかり合う事の出来ない不毛な溝になってしまう。そしたらこの流れは止められない。敵が外にいるかどうかが問題ではなく、ここが一番の我々の戦争の種かもしれません。

今の若い子達というのは、社会の信頼の底が抜けて、寄る辺になるものも殆どぶち壊れているので、家族であっても、友達であっても、疑心暗鬼ベースの価値観になっている所があります。これは悪い側面もありますが、そこから利点を引き出すと、相対化がすでにすんでいるという考え方も出来る。

あまりにも相対化しているが故に、ニヒリズムが蔓延するという大問題もあるわけですが、肝腎の大人達は自分の信念にすがって、子供に信念を持てとか言って教育しちゃう。そのくせ自分の権益が脅かされそうになると醜いまでに狼狽える所もバッチリ見られている。自分の権益を守る為に、若者を排除するような無関心に加担しているわけで、見透かされているわけです。

だから大人の方が相対化する必要がある。その上で、ニヒリズムに陥らないような絶望や疑心暗鬼に絡めとられないような生き方を提示する必要がある。理念を相対化して、自分の足で立てといいましたが、それは強くなれという事ではありません。弱さを認めろという事です。まずそこを認めないと、何が必要なのかもわからない。

それは友達かもしれないし、恋人かもしれない、勉強かもしれないし、遊びかもしれない、仕事かもしれないし、趣味かもしれない。金かもしれないし、金ではないかもしれない。どれか一つという事はないし、複数必要でしょう。

しかし自分が弱いという事を人は簡単に忘れる。ちょっと仕事が出来ると、頭が良いと錯覚すると、金持ちになると、名誉を手に入れると、女にもてると、擦り寄ってくる友人が増えると、自分は強いと思い込む。

だから人の弱さを忘れ、強くあれと言ってしまう。たまたま生まれた場所や、運がよかったというだけかもしれないのに勘違いをおこす。弱い人間を攻撃し、それはお前が弱いから悪いという話になってしまう。強さを全面的に前にだし、人を攻撃する。だから戦争も無くならない。

ロールズの正義論(自分が生まれ変わったとして、耐えられないような貧困や絶望があるのなら、それはジャスティファイされる事が公正な正義である)じゃあありませんが、人は基本的に愚かで、弱い生き物なのだという事を自覚する事が重要なんだろうと思います。

それは愚かであっても構わないとか、無知であっても構わないという事ではない。開き直れという事でもない。愚かで無知で弱いという事を自覚しろという事なんだろうと思います。それを自覚しないと何が必要なのかもわからないし、人の痛みにも鈍感になってしまう。

無知で愚かであれば、人の話を聞かなくちゃ賢くなれませんし、弱ければ人の助けも重要です。どんなに頑張ったって、所詮人一人が出来る事なんてたかがしれている。だから自分一人の力では限界がある。人に任せた方が上手く行く事もあるし、人の手を借りた方が上手く行く事もある。人に頼った方が、自分でやるよりいい結果が生まれる事なんて世の中にはいくらでもある。

だけどそうしてもらう為には、そういう関係性を結ばなきゃならない。そういう関係を結ぶ為には相手にとっても何らかの助けになれるような、自分を必要だと思ってくれるように振る舞わなきゃそうはなれない。その為には自分を磨く事も重要です。

自分を磨けという言い方が、殆どがキャリアアップみたいな話に落ちてしまって、成功者の成功体験みたいな話になりやすいのですが、そうなる前に、他者と上手く関係性を結べなければそうなれないわけで、競争に勝つ為みたいな話になっちゃっている。自分のエゴ、野望、自己実現みたいな。

そういう事も重要なんでしょうけれど、その前に、人の役に立てるような人間になる事があまりにも軽んじられているような気がする。結果的にそれが困った時の自分の為にもなる、誰かに助けてもらえる。日本には昔から助け合いの精神というのがあったはずです。お互い様という感覚があった。我々はその事を知っている。最近は抜け駆け感覚や、正直者が損をする感覚がどんどん強まっている。エゴのぶつかり合いばかり。みんな自分大好き。

自分は男ですから、どんなに頑張ったって、子供は産めません。だから子供が欲しいと思ったら女性の助けが必要です。だけど子供を産む為に利用しようとしたって、出来るわけないわけで、相手が自分の子供を産んでもいいと思ってくれるような関係性を結ばなきゃ出来ない。

だけどその前に結婚もしくはそういう関係性を結ばなきゃ出来ないわけで、ハナっから子供を産んでもらう事のみを目的に近付いたって上手く行くわけない。段階があり、プロセスがある。

結婚する為には付き合わなきゃ出来ないし、付き合う為には、付き合ってもらえるように好きになってもらえないと付き合えない。そうする為には、自分のエゴをぶつけたって上手く行かない、相手が何を思い、何を欲しているのか察して、関係性を結んで行く必要がある。

相手の助けになり、支えになる事が出来て初めて必要だと思ってもらえるし、切実だとも思ってもらえる。関係性を結ぶ事も出来る。その為には自分が男であるという事を自覚しないと出来ないし、相手の事がよくわからないと思わなきゃ、わかろうとは思えない。

勝手にこう思っているはずだでは、そのうち意志の疎通が出来なくなって、誰も自分の事をわかってくれない、こんなにわかろうとしてるのにってパターンになる。相手の事が切実だと思ったからって、上手く行くとは限らない。それは相手が決める事でもある。

自分が無知で愚かで、弱い存在だという事を自覚しなきゃ、何が足りないのかもわからないし、わかろうとも出来ない。わかっているつもりになれるだけです。これは大人であっても欠けている人が結構います。自分の弱さを自覚出来れば、人の痛みもわかるはずです。正論が無力になるというのは近代化が成熟するからでもある。そういう時代なんだから、せめて人の痛みくらい敏感になれなくちゃ、何もわかり合えるわけがない。理念主導のどちらが正しいか合戦で傷つけ合っていたのではもう前に進まなくなっている。そういうのはもうごちそうさまです。

国の借金がいくらあったって、それが返せる当てがあるのなら、国家権力を信頼出来るわけですから、バラマキをやろうが、財政再建をやろうが、何とかなるでしょう。しかし誰も国家権力の事なんて信用していませんし、国家の側もことごとく無能、無策、そして利権まみれであるわけで、そもそもどうにかしようなんて微塵も考えちゃいないわけです。利権を守ろうとしているだけ。それにどうにかしようと思ったって、そんな能力のある人間も見当たらない。あらゆる問題が噴出し、国家権力への信頼が全く失われてしまっている。監視をしようがチェックをしようがどうにもならないくらいに腐りきっている。

アメリカのブッシュ大統領が批判されますが、彼の8年の間、日本の総理大臣はすでに5人変わっています。森、小泉、安倍、福田、麻生と。そのうち小泉が5年やっているにもかかわらずです。小泉は任期満了しましたが、これは時期がたまたまよかっただけの話で、今彼がやっていてもどうにもならないような気がする。そして麻生だってもう風前の灯です。このまま続ければ、いずれ一桁に、目指せ支持率ゼロ%なんて冗談言ってましたが、結構近い数字になりそうな気もする。

大統領制とは基本的にシステムが違うので、比べるのもどうかと思いますが、これだけ国のトップが頻繁(「はんざつ」じゃないですよ)に入れ替わって、ことごとくどうにもならなさだけを国民に埋め込んでしまうだけで、統治権力としての体を成していないような国家が国家と呼べるようなものなのか?

フランスだって(首相こそジョスパン、ラファラン、ド・ビルパン、フィヨンと四代変わっていますが)大統領はシラクからサルコジという比較的盤石な流れでもある。イギリスだってブレアからブラウン、ドイツは首相がシュレーダーからメルケル(大統領がラウ、ケーラー)、イタリアは首相はアマート、ベルルスコーニ、プローディ、再びベルルスコーニ(大統領はチャンビ、ナポリターノ)、カナダがクレティエン、マーティン、ハーパー、ロシアがプーチン、メドベージェフ(首相がカシヤノフ、その代行を務めたフリステンコ、フラトコフ、ズブコフ、そしてプーチン)と、政権交代も無いのに、一国の代表を務める国家元首が、勝手になって勝手に辞めてを国民の意志とは無関係に繰り返し、ことごとく無策無能であり続ける国など、先進国のどこを見渡しても無い。

これが90年代となると、海部、宮澤、細川、羽田、村山、橋本、小渕、森と、実に八人も入れ替わっている。この時は政権交代もあったし、日本というのは元々比較的ころころ変わる国ではあるので、外国と比較する事にはたいして意味がないと思いますが、どうにもならないのは、いずれもサブスタンスがない連中ばかりという所です。

無能な人間がトップに君臨し続けて、それが辞めずに居座るよりは、簡単に変わる方がマシな気がしますが、ここ最近の流れは変わると言っても、日本の首相は変わった所で殆ど誰も何も期待なんてしていない。どうせダメなんじゃねえかと諦めがある。ここまで国民に見放された統治権力も珍しい。そして実際に何も変わらない。

その信頼が壊れてしまっている状態では、将来にも希望が無い、不安が社会を覆いつくしている。国民だって消費より貯蓄という流れになる。これでは縮小再生産にしかならない。そして人口減、超高齢化。もう手の打ちようが無い。システムはことごとく腐りつくし、制度はことごとく壊れ、八方塞がりの状態です。

挙げ句の果てにトドメの一撃ともいえるサブプライム問題からの絶望的な金融不安。これに対して何らかの対策を打っているのかと言えば、全く持って無策であり、殆ど彌縫策、そして延命の事しか頭にない。実体経済への影響はこれからが本番です。今は序の口に過ぎない。今後しばらく長いスパンで、バブル崩壊以上の痛みを味わう事になる可能性も十分ありえます。

ちょっと前までは環境問題花盛りでしたが、すでにCOP14では新興国と先進国の軋轢は更にどうにもならない感が強まり、先進国でさえ一部では何となくそれどころじゃない的な雰囲気も出て来ている。それでよく新興国に環境問題にコミットしろなんて言えたもんですが、世界中で余裕が無くなりつつある。

これは非常にマズいスパイラルに陥っている。こういう状態というのは、信頼がことごとくぶち壊れているだけに、何らかの希望を見いだした瞬間にそれが急速に熱を帯びて支持されるという、もっと厄介な状況を生み出しかねない。実際小泉旋風にしろ、ホリエモン旋風にしろ、安倍にしたってサブスタンスの無いアジテーションに引っかかって、簡単に動員されてしまったりもする。今の炎上のしやすさや熱狂しやすさというのは、非常に危険な状態になっている。

こういう時代、理念とか信念のようなものは、簡単に人を傷つける理由にすり替わる。理念とか信念はいったんわきにおいて、どれだけサブスタンシャルであるのかだけを、様々な角度から検証する必要がある。

信念や理念を掲げて傷つけ合うなど不毛です。自由であるというのは、許容し合って初めて担保出来る理念です。そして自由である事にコミットしてこそ自由になる。それこそがまさにリベラリズムの本義でもある。そしてそれは戦前の日本の右翼だってそうだった。我々が右翼と勘違いしているものは、統治権力のケツを舐める奴隷に過ぎません。そんなのは右翼とは何の関係もない。

いろんな国があれば、それぞれいろんな国があるに決まっている。そして当然その中にはいろんな人がいる。それぞれの国はそれぞれの国民が決めればいい事で国民が決められないような抑圧があるのなら、その国の国民がキチンと抗えるように手を貸して連帯する事が重要だと。それが亜細亜主義の本義でもあるわけです。変な方向に行っちゃいましたが。

そしてそれほど難しいことを言わなくたって、元々日本というのは伝統的にそういうものを解決するような、シンクレティズムという伝統がある。神仏習合という事が典型に現れる。氏族が別の氏族を滅ぼす、村が別の村を滅ぼすという事があった場合にも、基本的にはジェノサイド全殺戮という事を行わず、その部族や氏族の神様を祭る。

神社だと思って奥に行くと、仏、寺があったり。寺だと思って奥に行くと神社があって、神社だと思って更に奥に行くと、道祖神、巨石信仰、があるという事がよくある。これはまさに征服によって風俗習慣宗教がオーバーライトされるのではなくて、共存させられて行くという動きです。

これがまさに和辻哲郎の言う所の、日本的風土であって、それはある種、無原則に見えるかもしれないが、無原則と言う原則であったと。これが日本の再近代化、近代化を可能にしてきた。日本的伝統にとってキリスト教徒でもないのにクリスマスを祝い、仏教徒でもないのに寺に行き、神道でもないのに初詣に行くというのは、日本的にトラディショナルな意味で正しい。

クリスマスは西洋のものだから、こんなもの崇めるのは日本人ではない!!という二元論これは全然日本人的ではない、全然伝統的でも何でも無い。我々はそもそもいい意味でいい加減な民族であったはずです。ご大層な理念を掲げるよりも解決の術を知っているはずです。自分のまわりの小さな世界であれば、折り合いの付け方、ケリの付け方話し合い方までひっくるめて我々はわかっているはずです。まだそれが多少残っているうちに、そこを少し見直すだけでもだいぶ変わってくる。

世の中どこもかしこも絶望だらけではありますが、反面少し復活の萌芽も見られるような気もします。イラク戦争翼賛、小泉翼賛体制から考えると、だいぶ世論が冷静なまなざしをもつに至るようになって来ているという若干の希望も感じられる気もします。底を打ったような感じがする。

例えば麻生のあっという間の墜落ぶり、総裁選の時も比較的冷静だったと思う。田母神論文へのまなざしもしかり。先日の厚労省元事務次官殺傷の事件の際も、可哀想だけど、だからって厚労省の話が免罪されるわけではないだろ、というちょっと前だと、それでも人間ですか!!的非難があっても不思議ではないような物言いも、結構出てくるようになっているし、市民も比較的そういう感覚があると思う。

これはイラク翼賛の頃、自衛隊派兵無関心の頃から考えると、だいぶまともになっているような気がする。あの頃アメリカの自業自得なんだよなんて言ったら、それこそお前は頭が狂っているのか?的扱いを受けたわけです。北朝鮮の時だって、強硬路線は自爆するから止めておけなんて言おうものなら、反日売国奴扱いを受けたわけです。それがそういう断固決然バカの帰結によって多少学習したのか、少しだけ冷静になっているように、これは希望的観測かもしれませんが思うのです。

ようは国民が貧乏になっちゃったので、無関心じゃいられないという事もあるのでしょう。オバマが大統領になれたのだって、アメリカが貧乏になっちゃったからです。何とかしろと国民が真剣になる。余計な金は使うなと敏感になる。それにメディアが演出する味付けに、国民も飽き飽きしているというのもあるでしょう。どうせそんな事言ったって、マスメディアも捏造しているし、インチキじゃねえかと。

マスメディアも少し懲りたような感じも見受けられる。実際マスメディアにはもうあんまり明るい未来は無さそうなので、今から心を入れ替えても、ガソリンが普及したら、馬車が消えるのと同じように、こういう時代の変化は止められない。だから手遅れ感があるものの、若干報道の原点に返っているような所がぼちぼち見え始めている。今更遅えよって感じですが。

それは例えば、NHKが視聴率を稼ぐようになっているという事とリンクしている。下らないバラエティなんぞ、結局見たくて見ているわけではないので、ただついているだけ現象でしか無く、まともで少し固い話を見たいと思えば、NHKの例えば7時台のニュースから、クローズアップ現代とか、結局そういうものを見ている人は見たくて見ているので、民意に媚びて下らない情報番組と化したニュースなんて見てもしょうがない。時間の無駄であると気付いて来ているのだと思う。

NHKは国営放送なみたいなものなので、少なくとも民放が報道で負けているようじゃ話にならない。

その事に何となく気付き始めて少し心を入れ替え始めた感がある。筑紫さんが死んじゃってからやっとかよという感じですが、逆に言えば彼が病気でニュース23を降りて(もうすぐ終わるみたいですが)、なんだよ筑紫さんがいないとつまんねえぜと言った感じで、従来の筑紫フリークに支えられていたのが離れて行き、視聴率が下がり、思考停止ではいられないという危機感が生じたからという見方も出来る。一カ所が流動化を始めると、他も連鎖して行く。

誰もがもうどうにもならないと世の中が絶望に満ち溢れ、落ちるまで落ちた時、実はそこが希望の始まり、再生の始まりでもある。せっかく我々は痛みを学んだのだから、これから生かされる事を期待してしまいます。

理念をしまって、相手の話を聞いて、議論の後に握手が出来るようになれば、まだ希望は残っていると思います。




「では、今日はこんな所です。」




この話題はこれにてEND!!



毎度毎度クソ長くて誠にすんません。文章中、とくに筑紫さんの事を罵倒するような書き方もあったと思いますが、不愉快な思いをされた方、大変申し訳ございませんでした。

後ちょっとで20だったのに!!悔しい。