続きです。
このエントリーでも散々取り上げて来た筑紫氏が、イラク戦争開戦の前に、イラク入りをしてイラクの現状をリポートするという企画があったと記憶しております。筑紫さんがイラクの方々と話をしたりして、イラクの人々だって普通の人達で、我々と何ら変わらない、なのになぜ敵視して戦争などをせねばならんのか?と、非常に真っ当な事を言っていた。しかしいったん戦争賛成が大半を占めるとここにブレーキをかけるのが難しくなってしまう。
今は多くの人が忘れていると思いますが、当時のブッシュの政策への支持、小泉政権への支持、911で傷ついたアメリカの正義の戦争というのが圧倒的な世論だった、散々批判して来てなんですが、この世論の時に、キッパリ反対出来る彼は、そんじょそこらのクソキャスターとは次元が違う胆力があったと思う。
パッと今の大手メディアに出てくる連中を見ていると、彼のようにこういうここぞという時にはビシッと言うようなキモの座った人がいない。彼の遍歴を見ていると、必ずここぞという時に不人気だろうが、バッシングされようが言う事を言っていて、しかもそれが的を得ていた。
しかし世論の空気が圧倒的になっている時に言っても、加熱して突っ走ってしまっている状態は冷静さを取り戻す事が出来ない。
今から見返せば筑紫さんの言っていた事は100%正しかったわけで、まだ大量破壊兵器云々かんぬんと言っている人はほぼ残っていません。逆に今にいたっても言っている人はある意味信用出来ますが、殆どが空気が変わると簡単に手の平を返す。
あの時点のあの状況であれを言うというのはもの凄いプレッシャーもあったと思う。多くの人はあの戦争を支持していた、もしくは無関心だった。自衛隊が派兵されるのもしょうがねえじゃんという感じだった。あの時に反対を言うと、それこそ反日売国奴と罵倒されたと思います。実際に筑紫さんはそうやって罵倒されまくっている。
もちろんあの人はそんな事を気にする程、ヤワな男ではなかったろうし、あの状況であれがキッパリとしかも民放のニュース番組で言えるのだからタフな人だったんだと思います。
もちろん散々彼の問題点として書いて来た、筑紫さんはそう言うだろうと誰もがわかってしまっているという(あの状況でそれを言って当たり前という彼に課せられたハードルも凄まじいものがありますが)、彼の立ち位置から来る嫌悪感をあらかじめ持ってしまう声のでかい層というのも確実にいるので、聞いてもらえないという問題もあるのですが、あの時の空気、まるでイラクは空爆されて当然といった空気、こういうのを人は簡単に忘れる。そしてその反省もしない。自分達が直接手を下していないから、アメリカを批判して話が落ちてしまう。
これを前提に思い出してもらってから、このエントリーで取り上げて来た田母神問題と絡めて反戦平和の話を進めて行きます。
例えば田母神論文で保守派の中からも、田母神への批判があったり、彼への援護射撃が無かったりと、彼の論文が幼稚であるのかもしれませんが、ちょっと取り扱いに困るような感じもある。しかし左派と言うのは基本的に彼の擁護というか、ある部分では気持ちはわかるぜという人が全くいない。
もちろんあの人が自分の歴史観を言う事自体、中身が正しいかどうかとは別に、あんた自衛隊のトップだろという事が問題なわけで、それをわきまえていないのがどうにもならんのですが、反対する方もする方で頭の悪い反対派はどうしてもここの問題が今イチわかっていないような所もあって、中身が正しいかどうかをわきにおいて、立場上不適切であるという事、発言の自由を主張するなら辞めて発言しろという一本で攻めればいいのに、何となく戦争反対という理念とか、危険な軍国主義者とか、戦前の彼の歴史観に対する否定とかが見え隠れしてしまっている。これが非常にマズい。今回はたいした事はないと思いますがこの鈍感さが反発を招く。
まあそうは言っても実際彼はもう辞めたわけですので、そういう意味ではマスコミも、政府も比較的まともに機能したような気もします。
しかし辞めても元自衛官空幕長という肩書きは残るので、彼は何かと発言はするでしょうし、彼を持ち上げる人だっているかもしれません。あんまりいないと思いますが。だからこういう言説を言う人がいるという問題は残るわけで、それこそ今度は言論の自由だと言われれば今回彼を叩いたようなロジックは通じなくなる。そうすると中身の問題はとりあえず正しかろうが間違っていようが関係ない。お前は日本の官僚であって、憲法に拘束される政府見解に拘束される立場なんだよという物言いでは、無効化出来ない、したがって中身の吟味も必要になる。そうなると言っている事を全くスルーするというわけにもいかなくなってくる。
田母神が言うには戦争がしたくて言っているのではないと言っていますし、別に日本は正しい国だと認めてくれと言いたいわけではないとも言っている。中国の方や、朝鮮半島の方々が、日本の戦争責任をいつまでたっても言ってくるから、日本が一方的に悪者だといつまでもいつまでもバッシングされるから、どこの国だって多少は恥じる過去があるではないかと言いたいのだと言っています。
講和条約を結んだら、基本的に過去の事は水に流しましょうという前提であるはずで、何もアメリカめ原爆落としやがってふざけるなとか言いたいわけではないと。
しかし戦後半世紀以上たっても、相変わらず日本は悪者、日本に軍事力なんか持たせたら、また侵略戦争を始めるに決まっているという言われ方をされ続けているわけで、いつかはわかってもらえて水に流してくれる日が来るのではないかと、日本人はずっと何を言われても頭を下げ続けて来た。だからもういい加減にそこまで言われるのなら、日本人にも日本人の言い分がありますと言いたいだけだと。
別に言われなければそんな事は言うつもりはないし、それぞれの国の歴史観に文句があるわけではないと。言いたい事も言わず上っ面の友好関係ではなくて、言いたい事は腹を割って話せるような友好関係こそ望むと。
それに彼の安全保障に対する発言、自衛力を持つ事や、自衛隊をもう少し動けるようにする事は、戦争する為に必要なのではなくて、戦争を抑止する為に必要なのだ、というのはある程度安全保障の一般的な基準で考えると、間違った事は言っていない。それなりに合理性はある。
もちろん自分はキッパリと彼の歴史観の浅さを否定しましたが、彼が本当にそう思っているのかどうかは別として、歴史認識に差があっても戦争反対だと一応は言っているわけですから、リベラル派だってちょっとくらいは、まあ言っている事はトンチキだけど、戦争反対という気持ちは共有出来ると、擁護出来る所を探す人がいたっておかしくないわけですが、見事に彼の歴史観にとらわれて一斉に横一列でバッシングという風になっちゃう。
反戦平和の理念によって、彼の言っている事すら聞いていない。聞いていないのに批判しているわけです。これでは不毛です。こっちが理念を振り回せば、向こうも向こうの理念を振り回して理論武装合戦になってしまう。理論武装合戦になると最近ではリベラル派はどうも旗色が悪過ぎる。
田母神のおっさんは、自分は日本がいい国であると言ったらクビだと言われた、自衛隊のトップは日本がろくでもない国だと思っている奴がトップであるべきだと言うのは話がおかしくないですか?と言っています。当然ですが、彼に反対をしている人達はそんな事を言っているわけではありません。彼も彼で話をちゃんと聞いていない。
実際彼はネット投票や、テレビの投票でで6割が私の支持だなんて胸を張ってますが、多分彼の事をアホかと思っている人は基本的に、そんなバカらしい投票はしませんので、ああいう幼稚な論点に引っかかる人達でさえ6割しか支持していないという事は、まあたいした事は無い。
例えばまあ言いたい事はわかるけれど、本当に自衛隊へのフリーハンドが欲しいと思ったら、北東アジアからの許しが無ければ不可能なんだから、そんな彼らの心情を煽るような物言いは火に油を注ぐようなもんなんだから、嘘でもいいから土下座でも何でもして謝罪を続ければいいんだよと言ってあげればいいような気もしますし、それよりはまあ相手に対して誠実な気もする。外交的なタクティクスとしては下の下ですが。
田母神のおっさんの会見なんかを見ていると、さしで話せば、まあ頭の中身はカラッポかもしれませんが、きっと気のいいとぼけたおっさんなんじゃないかという風にも見える。悪人ってわけではないような感じがするわけです。
少なくとも特権の上で責任を回避して温々と批判だけしているような連中と比べれば、あれだけバッシングにあっても言いたい事を言って討ち死にする覚悟はあるわけですから、少なくともキモは座っている。まあ自衛官だからなのかもしれませんが、反戦平和という接点から話せば、もちろん護憲、自衛隊反対という人からすれば中々簡単には行かないとは思いますが、そういう論点をいったんわきにおいて話せば、それほど話が通じない堅物ってわけでも無さそうにも見える。
個人的には戦前の亜細亜主義や右翼思想を全くわきまえもしないで、中学生並の陰謀史観程度の話を誇らしげに話している姿を見ていると、若干哀れみも感じますし、反面ボコボコに論破して正座させて説教してやりたい気分ですが、彼はそれが真実だと思っているわけですから、それはそれで尊重する必要がある。
こちらの話を聞いてもらう為には、こちらの理念をいったん封印しないと、向こうも理念を振り回すというだけで、単に分断されて終わってしまう。理念じゃなくて、どれだけサブスタンシャルであるのかだけを議論出来なきゃ意味がない。反戦平和は願望ではないわけですから。
ここで冒頭の筑紫さんの話を思い出して下さい。田母神の論点の浅はかさ、そしてそれに食いついて否定する方々、この部分に非常に今の日本の問題点がありますので、理念を封印しろと言っといてなんですが、少しここではそこを詰めて行きたいと思います。
田母神の論点では例えば朝鮮半島や台湾に帝国大学を作ったではないか、そんな植民地政策を取った国は他には無い!とか、朝鮮半島の皇族もちゃんと丁重に扱って、丁重におもてなしている、そんな国なんて他にあるか!!とか言っています。確かにそりゃそうなんですが、個人的に言えばこの感覚がズレている。
我々は何といって朝鮮半島を併合したのかがわかっていない。朝鮮の人々と日本人の間に差別があっちゃならん。対等であり平等に扱うべきだと言ってしたわけです。そして何と言ってロシアと戦争をしたのかもわかっていない。少なくとも建て前では朝鮮半島の自立の為に戦ったわけです。その建て前の為に多くの日本人も死んだ。そしてそういう風に朝鮮半島の人にも言っている。だから当時の日本も支持された。
朝鮮半島の独立を叫び、協力し合おうと対等合邦を叫び、結果的に併合している。しかも平等だと言う。
平等に扱うべきだという視点がそもそも上から目線でしかありえない。下からそんな事を言ったって、サブスタンシャルにはなり得ない。そういう風に選択出来る立場にあったという事を自覚出来ていない。これが日本人の決定的な鈍感さです。
帝国大学を作ってやったではないか、これも押し付け、平等に扱ったではないかというのも、押しつけでしかない。パターナリズムになっているという事に気付いていないわけです。善かれと思って行動したって、相手にとってどう見えるのかを考えていない。学校を作ってあげられるという立場にいたという事が何を意味するのかが田母神的アホ右翼はわかっていない。
アメリカやイギリスが植民地の人々や黒人奴隷に我々は平等だとは絶対に言わない。平等ではないのだから言うわけが無い。平等だと言うからには平等にしなきゃしょうがない。解放宣言をするのと同義です。
しかし日本は平等だと言いながら、朝鮮半島の自立という事実上の解放宣言をしておきながら統治をしている。そもそも日露戦争に勝って列強へと名乗りを上げている日本と、当時弱小国家であった韓国との間で対等合邦なんてどうしたって無理があるに決まっている。
なんで伊藤博文がぶち殺されたのかがわかっていない。なぜ安重根が当時の一部の日本人からでさえ支持されたのかもわかっていない。朝鮮半島の独立、東洋の平和という大義を掲げて、日露戦争をし多くの日本人が死んだ。それは天皇の意志だという事になっていた。にも関わらず、日本は事実上朝鮮半島を併合しようとする。東洋の平和を乱しているではないかと、これは天皇の意志に反しているではないかと、安重根に殺されたわけです。だから安重根は勤王の志士だと言える。
伊藤の死を理由にして、伊藤を叩いていたマスメディアも手の平を返して賛美し、一般的な国民の世論を煽って加熱させ、併合強硬派を世論が後押しして結果的に併合に突っ走るわけですが、少なくとも当時のまともな日本人はその事がわかっていた。伊藤の側近でさえ、一番尊敬する人は誰か?という問いに、それは大変残念ながら安重根ですと答えている人がいたくらいです。日本の国益の為とは言え、我々は矛盾しているのではないか?と。
伊藤は何かと併合政策には反対の立場を取ってはいましたが、それはあくまで日本にとって都合のいい朝鮮半島のあり方であって、これだって上から目線でしかありえない。朝鮮半島の自立を言いながら事実上保護下に置き、彼の死後併合したわけです。
もっともなぜ明治維新が成功したのか?なぜ伊藤博文が初代総理大臣になったのか?裏日本史的に言えば、岩倉具視らと結託して、天皇を暗殺しているからだという説もある。天皇を殺して、長州に住んでいた薩長の操り人形である、南朝系の末裔と言われる大室寅之祐その座に据えた。だから維新が上手く行った。伊藤にはその功績があった。何で会津藩が完膚なきまで叩きのめされたのかと言えば、会津は京都守護職であり、孝明天皇と面識があった。だから松平容保を徹底的に攻撃し力を削がなきゃならなかったって説です。
(余談ですが面白いので書いておきます。孝明天皇と本当の明治天皇は北朝系であるのですが、南北朝は遠い昔に合一されています。徳川家茂の妻は孝明天皇の妹君である和宮、徳川慶喜は筋金入りに尊王派である水戸藩出身、薩長やそんじょそこらのにわか尊王派とはわけが違う、父親の斉昭公は当時の尊王派、水戸学の御本尊みたいな人です。会津も孝明天皇の信任が厚かったと言われている。しかし将軍家も会津松平家も賊軍として逆賊扱いを受ける。これは南朝を利用した南北朝の延長線上にある問題であったとされるわけです。
しかも南朝系の末裔かどうかなんてのも怪しい話ですので、ひょっとするとこの国が隠し通さなきゃならない出発点もそのへんにあるのかもしれません。橋本龍太郎は大室の血族でしたし、今の麻生は大久保の末裔、安倍晋三は岸信介の孫、岸と佐藤栄作の先祖は長州藩出身で、吉田松陰に兵学を教えている。池田勇人も長州藩、広沢真臣の末裔と血縁関係を一時結んでいたし・・・・・・・・・・そういうのが様々にネットワークとなって、関係を結び、財界とも繋がり、探し出すといろいろ見つかりますので結構面白いのですこれまた。
そもそも岩倉具視は公家の村上久我(こがと読みます)源氏である土御門(源)通親の末裔であり、土御門通親が源氏長者であったとき、武家である清和源氏の末裔である源頼朝と源氏長者をめぐって政争を繰り広げている。源氏長者とは公家が担うポジションで、官位の低い武家ではなれないのが当たり前でした。源頼朝が源氏の頭領という言われ方がしますが、その場合、武家の清和源氏の長者という意味です。本当の意味での源氏長者だったわけではありません。
武家源氏である清和源氏の一流河内源氏である足利尊氏が後醍醐天皇を追い落として、その後醍醐天皇が吉野で創始したのが南朝。その後、足利家は室町幕府を開き、足利義満の時に初めて兼任、将軍職と武家として初めて源氏長者をかね、あげく王権纂奪を行なって事実上、治天の君{ようするに上皇とか法皇みたいな天皇より偉い人}の座を皇位につかずに獲得した二人目の人となって日本の頂点に君臨する。そして対外的には日本の国王と名乗る。その前の源氏長者は村上源氏の久我家である久我具通。
その後、源氏長者の座を久我家と足利家で入れ替わりを繰り返す。室町幕府が終わった後、久我家が再び源氏長者の座に座り、その後、再び武家源氏を名乗る徳川家に久我家から源氏長者の座が移り、将軍兼源氏長者、そして日本国王となり、幕末まで行く。
江戸時代末期、朝廷に弓を引いた足利尊氏は逆賊という風に言われていましたし、そういう思想が流行っていた。という流れを考えると、村上久我源氏の末裔である岩倉が、南朝を担いで逆賊である足利尊氏の利用した北朝を撃つというのは、それなりにストーリーとしては筋が通る・・・・・・
公家と武家の因縁、源氏長者をめぐっての因縁、そして南北朝の因縁、そういうものがもしかすると複雑に絡まって、もしくは利用して・・・・・・・ひょっとすると、天皇もまだ4代しか続いてないなんて事も・・・・・・
と陰謀説は聞くのは面白く、基本的に自分はあんまり信じない口なのですが、ついでとして、この幕末の回天の際、背後から支援していたのが、サッスーンの部下グラバー、赤い盾がちらつく。憲法制定の際の留学先で世話になったのもそう。ロシア戦争の際、援助を引き受けたのも、ユダヤ系、ロスチャイルドと繋がりのあるジェイコブ・ヘンリー・シフ、なあんて話になるんですが、そこまで行くとつまらんので、本筋に戻ります。こういう話は妄想も混じっていますので、あまり本気にしないで下さい。ただ面白いので本気で書き出すと終わらなくなる恐れが・・・・・・)
とまあこれは真相はわかりませんし、その他にもいろんな説があるのですが、そういう陰謀説(孝明天皇と明治天皇が殺されているのではないか?という所までで、その後の話は別です)を当時の真性右翼はわかっていた。これが本当かどうかという話ではなくて、少なくともそういう空気があった。そう言う二重の意味でも逆賊である長州の伊藤をぶち殺した安重根は勤王の志士だったわけです。
本当は天皇陛下万歳なんてのは右翼でも何でも無い。革命の玉として天皇が必要だからそう言っているだけです。それはあくまで国民の為の政治に必要であるからそう言っていたわけで、天皇だから無前提に翼賛しろという話では全然無い。天皇を囲っている連中の好き勝手にさせちゃならんというのがあった。
売国政治家と国賊官僚ども、そういった君側の奸に天皇という玉を囲い込まれてしまってやりたい放題になっている。国民の為の政治なんてどこ吹く風(今と同じですね)、西郷が言った敬天愛人の精神なんて全く無視している、自由民権運動だってそもそもそういう精神から出てくる。政府のケツなんて舐める輩は右翼でも何でも無い。
そして当時のまともな右翼、国粋主義者は朝鮮半島の併合政策に完璧に反対している。玄洋社の頭山満も、黒龍会の内山良平も。朝鮮半島の人民の為になる事が重要であって、日本が統治するなど言語道断であると。合邦して協力関係を結ぼうと尽力していたのに、それが併合政策のエビデンスとして利用されてしまう。韓国人も望んでいるのだと。
平等に扱おうとすればする程上から目線でしかありえないわけだから、平等だと言われている人達からすれば、平等だと言っているけれど、内心差別しているじゃないかという風になる。亜細亜主義を掲げながら、結局中国と戦争し、朝鮮半島の独立自尊を掲げながら、対等合邦が併合にすり変わったわけです。言っている事とやっている事が矛盾している。
しかしその事には日本人的に言えば悪気は無かった、そりゃ平等というのは建て前に決まっているだろうという風になる。それがウソつきだという風に見られるわけです。ここの所はどんなに言い訳をしても逃げられない。その事に自覚しないと、彼らからの感情的な許しはありえないでしょう。
朝鮮半島だって他に選択肢が無かったではないかという言い方をよくされますが、選択肢があったかどうかが問題ではない。我々が何をやったのかという事に自覚的になる必要がある。それはどんなに温情的な融和的な政策をとろうがなんだろうが、平等であると嘘をついていたのは事実です。日本の安全保障と国益の為に建て前できれい事を言っていた。国内では通じるかもしれませんが、それを外人相手にやったら通じない。
今のバカ右翼的に言えば列強からのプレッシャーもあり、しょうがなかったかもしれないが、しょうがなかったかどうかは彼らにとっては問題ではない。たとえ悪気が無くても、どんなに彼らの為を思っていたのだとしても、やった事はやった事なわけです。だから朝鮮半島の方々からすればウソつき日本人に対してウソをつくのは当然の事だという風になる。
実際日本の植民地政策は当時の列強水準で考えれば温情的であったというのは事実です。しかし彼らからすれば押しつけでしかありませんし、平等になろうという言葉そのものが不平等でなければ言えない事でもあり、内心は日本人だってそんなの建て前だと思っている人だって当然いたでしょう。それが彼らにとって気に食わないわけです。これを自覚しないと、話が全然かみ合いません。
亜細亜主義者達がなぜアメリカとの開戦の際に万歳をしたのかが田母神的アホは全然わかっていない。日本がアジアに対して引け目を感じていたからに他ならない。言っている事とやっている事が矛盾していると少なくとも当時のまともな右翼は気付いていたわけです。だからやっと本当の敵であるアメリカとの大義ある列強の帝国主義打破という戦争を行なう事によって、アジアに対して行なって来た矛盾ある戦争政策も大義の為だと言い訳が出来る。アジアの列強からの解放と言う大義名分が成り立つと、申し開きが出来ると。だから万歳したわけです。この事がわかっていない。
ただ単に歴史的な出来事を取り上げて、何でそういう政策をとっていたのかという文脈を無視して、学校を作ったから偉かったとか、アホじゃねえかって話です。そりゃ作ったのは作ったけれど、そこにどんな文脈が隠れているのかを読み込む作業が出来ないのなら、歴史なんて学ばない方がいい。ここ数年のバカ右翼現象がどうにもならないのは、こういう文脈を参照出来ない点にある。もちろん文脈どころか歴史の出来事すらキチンと認識出来ていない善悪二元論的バカ左翼はもっと論外ですが。
当時の選択肢としてみれば仕方がなかったのだとか、簡単に言ってしまう。そりゃ今から見ればその選択肢が適切だったか不適切だったかが分かるから言える話で、その当時の文脈を参照しないでそんな事を言っても無意味です。
最初の話を思い出して下さい。9.11同時多発テロのときのそしてその後のビン・ラディンへの報復の際、もしくはその後のイラク政策にしても、どれだけ多くの日本国民がアメリカの悲劇とアメリカの正義の報復に拍手喝采したか?911直後どれだけアメリカの悲劇のお涙報道を繰り返したか?
死んじゃった人々は大変悲劇であり、胸が痛むし、だからテロをしても許されるという話ではないが、アメリカが全くの無罪かと言えば、アメリカへの恨みつらみを持つ人々が出て来てしまうような事をして来ている。という多分世論に一斉にバッシングされるような不人気であっても冷静さを喚起するような、そういう事を言った大手メディアは皆無です。
今から見直せば明らかにブッシュの政策は誤っていたとは言えるでしょう。しかしあの当時の空気がどういう空気だったのかという事が抜け落ちている。それを騙されていたから悪くないという言い方で簡単に済ましてしまう。アメリカの陰謀という話で終わっちゃう。前大戦もアメリカの陰謀が隠れていたという話に落ちちゃう。左翼も左翼で軍部の横暴って話に落ちちゃって終わり。違うだろ、みんなで万歳三唱して突っ込んで行ったわけです。
とまあ、田母神に対しては言いたい事は山ほどあるのですが(もちろん左派にも)、こういう当たり前の前提がわかっていれば、あんな幼稚な話はしないでしょうから、こういう一般常識はひとまずわきにおいて、どれだけ反戦平和にとってサブスタンシャルでありえるのかを紡いで行くしか無い。
自衛隊反対と言ったって、現に自衛隊はあるわけですし、憲法9条が危ないとか言ったって、現に憲法は全く守られていませんが、キチンとあるにはあるわけで、安倍晋三的改憲バカは簡単に駆逐出来るわけです。あんなトンチキな改憲なんて、自分も改憲派ですが、まともな改憲論者からすれば語るに値せず程度の脆弱なものでしかない。クソの値打ちもありません。
田母神は政府が左傾化していると言うし、リベラル派は右傾化しているという、同じ現実を切り取っているのに見え方が全然違うわけですから、俺はこう見えるではなくて、実際どうなのかを様々な角度から検証する必要があるのではないかと思うわけであります。自分も右傾化しているような気もしますが、それはお前がリベラル派だからだと言われちゃえば、まあそうかもしれませんとなってしまう。
ようするに右にしろ左にしろ、結局主体性が無い。責任がどこにあるのかと言えば日本人にあるに決まっているわけで、軍国主義のせいにするのも、アメリカのせいにするのも全く同じ、何かの理念を掲げて、その理念ゆえに盲目的にオートマチックに言う事が決まっちゃうなんてのも主体性が無く責任感覚がないからに他ならない。理念なんて放り投げて自分の足で立てばいいだけの話です。そういう意味では田母神も問題外だし、彼を批判する左派も問題外、どちらの歴史観もクソという事です。
左派も左派で、ようするに誰々が悪いと言う悪者探しゲームをずっとやっているだけ、可哀想な国民と言うロジック、可哀想な中国や韓国の人民というロジック。可哀想と言う発想そのものが上から目線だという事に無自覚です。ドイツと言うのはドイツが悪かったとは言ってません。そんなの罪は人それぞれ、軍部にいた奴と、末端の農民や子供達や女性達では、その責任の重さも違うし、やった事も違うわけだし、内心これは問題ではないのか?と思っていた人だっていたはずですから、一概には言えない。
しかしあの戦争にたいしては未来永劫ドイツ国民には責任があり、その責任を守って行く義務があると言って免罪されたわけです。そういう目線が右も左もない。戦前が悪、もしくは善とやり合っているだけ、もしくは誰々が悪かったという話をしているだけ、下らない。
誰々が悪かったなんてのはどうでもいい。そりゃ悪い奴はいただろうけれど、自分にも、もしくは日本人である現在の我々にも責任があるのではないのか?という自分の立ち位置を解体する作業が無く、理念にすがって錦の御旗を手にするという感覚がどうにもならない。
誰が悪いと言う話は、単なる責任のなすり合いです。にもかかわらず謝罪はキッチリしているわけです。日本的感覚から言うと、謝罪をするという事は水に流してもらうという感じですが、普通まともな論理がある国からすれば、謝罪をするという事は責任を認めるという事に他なりません。水に流すも何も、悪かったのを認めているわけだから流れがそこで止まるようなもんです。にもかかわらず責任を担うどころか、誰々が悪いとなすり合いをして、あげく悪くなかったと言う奴まで出てくる。
だから日本がいつまでたっても叩かれているという事がわかっていない。この絶望的な当事者意識のなさ、理念主導の不毛な殴り合い、これをいったん放り投げて、我々の問題として見る必要がある。
戦後半世紀以上、こういう主体性をいまだ獲得すら出来ていないわけだから、そりゃ国もダメになるって話です。帰結として、みんな当事者意識が無いわけですから、投票率が低いのも仕方ないし、無前提に自民党に投票し、自民党がずっと牛耳って来たのも仕方ない。プライオリティも当事者意識が無ければつくわけがないし、責任感も芽生えるわけがない、だから先送りばかりになる。
それは我々の主体性の無さにある。悪者探しで免罪されるという勘違いがこの連鎖を招いている。だから責任者が逃げ切って自己責任ってパターンに行き着く。空気を読んで、勝ち馬に乗り、自分が梯子を外されないようなポジション取りをしているだけ。勝ち馬が勝ち馬じゃなくなれば、みんなで梯子を外して血祭りに上げ、騙されていた、最初から懸念していたと言って逃げ切るのみ。
こういう社会を構築して来た世代にはもの凄い責任がある。しかしそんな事を言っても始まらないわけですから、気付いた人間がどんどん主体性を獲得するしかない。その為には現状の絶望的な状況や、自己責任原則によって個人に痛みを押し付けるような社会である故に、この変化への可能性も出て来ている。理念を振りかざして悪者探しゲームが大好きな連中をお掃除するチャンスでもあるわけです。
自分はリベラル派や左派を散々批判しました。マスメディアも散々批判した。バラバラに解体して徹底的に問題点をあぶり出したわけですが、これだってある立ち位置に立つからそう見えるという話でしかありませんし、その事を延々と続けて、批判をして話が落ちるというのでは、悪者探しと変わらない。
いつでもそれに簡単にすり替わる。バラバラに解体して問題点が見えたら、視点をずらして相対化するという事が必要でしょう。当たり前ですが彼らが全て悪いという話ではありませんので、彼らを叩くだけで問題が解決するなどありえない。それを生み出す構造問題を考えないと、理念を振り回しているのと変わらない。
若者が戦争を待望してしまうような空気の問題を、なぜそういう社会になったのかという考察をして、一見擁護しているかのように(別に擁護しちゃいませんが)書きましたが、これだって部分から全体を語っているのは間違いありません。
なのでそういう問題を考えもしないで批判するというのは論外ですが、だからってずっと擁護の理念を掲げて、悪者探しをしていてもしょうがない。問題点を十分認識した上で、別の視点から見つめ直すという作業が必要だと思います。そしてどのへんに着地点を置けば納得解になるのかを理念主導ではなくて、サブスタンスのある方向に持って行かないと話が前に進まない。
自分の足で立つという事は、結構しんどいものです。だからこそ連帯も必要になるし、自分の足で立ってこそ理念も初めて生きてくる。自分を勇気づける為には理念も必要になるでしょう。しかしそれは人を傷つける為のものではない。自分の足で立ち上がる為には理念という支えも必要でしょう。しかし立ち上がってからもいつまでもその支えに補助してもらっていては立っている意味も無い。まず立っていない輩が多過ぎるという問題があるのですが、理念を支えにして己の足で立ち、そしたら理念は心の中のどこかにひっそりと潜ませておけばいい。
そして連帯というのは放っておけば必ず腐敗する。組合野郎が典型ですが、手段の目的化が必ず起こる。だからその連帯を絶対化するのも理念を振り回すのと一緒です。必ず相対化を常にし続けるという行為態度が必要です。それにはこの絶望だらけでバラバラになってしまった今だからこそ、絶好のチャンスでもあるわけです。
ふうー、やっと区切りがついた。今日は一段と長くなっちゃってすんません。
次回でフィニッシュです。
このエントリーでも散々取り上げて来た筑紫氏が、イラク戦争開戦の前に、イラク入りをしてイラクの現状をリポートするという企画があったと記憶しております。筑紫さんがイラクの方々と話をしたりして、イラクの人々だって普通の人達で、我々と何ら変わらない、なのになぜ敵視して戦争などをせねばならんのか?と、非常に真っ当な事を言っていた。しかしいったん戦争賛成が大半を占めるとここにブレーキをかけるのが難しくなってしまう。
今は多くの人が忘れていると思いますが、当時のブッシュの政策への支持、小泉政権への支持、911で傷ついたアメリカの正義の戦争というのが圧倒的な世論だった、散々批判して来てなんですが、この世論の時に、キッパリ反対出来る彼は、そんじょそこらのクソキャスターとは次元が違う胆力があったと思う。
パッと今の大手メディアに出てくる連中を見ていると、彼のようにこういうここぞという時にはビシッと言うようなキモの座った人がいない。彼の遍歴を見ていると、必ずここぞという時に不人気だろうが、バッシングされようが言う事を言っていて、しかもそれが的を得ていた。
しかし世論の空気が圧倒的になっている時に言っても、加熱して突っ走ってしまっている状態は冷静さを取り戻す事が出来ない。
今から見返せば筑紫さんの言っていた事は100%正しかったわけで、まだ大量破壊兵器云々かんぬんと言っている人はほぼ残っていません。逆に今にいたっても言っている人はある意味信用出来ますが、殆どが空気が変わると簡単に手の平を返す。
あの時点のあの状況であれを言うというのはもの凄いプレッシャーもあったと思う。多くの人はあの戦争を支持していた、もしくは無関心だった。自衛隊が派兵されるのもしょうがねえじゃんという感じだった。あの時に反対を言うと、それこそ反日売国奴と罵倒されたと思います。実際に筑紫さんはそうやって罵倒されまくっている。
もちろんあの人はそんな事を気にする程、ヤワな男ではなかったろうし、あの状況であれがキッパリとしかも民放のニュース番組で言えるのだからタフな人だったんだと思います。
もちろん散々彼の問題点として書いて来た、筑紫さんはそう言うだろうと誰もがわかってしまっているという(あの状況でそれを言って当たり前という彼に課せられたハードルも凄まじいものがありますが)、彼の立ち位置から来る嫌悪感をあらかじめ持ってしまう声のでかい層というのも確実にいるので、聞いてもらえないという問題もあるのですが、あの時の空気、まるでイラクは空爆されて当然といった空気、こういうのを人は簡単に忘れる。そしてその反省もしない。自分達が直接手を下していないから、アメリカを批判して話が落ちてしまう。
これを前提に思い出してもらってから、このエントリーで取り上げて来た田母神問題と絡めて反戦平和の話を進めて行きます。
例えば田母神論文で保守派の中からも、田母神への批判があったり、彼への援護射撃が無かったりと、彼の論文が幼稚であるのかもしれませんが、ちょっと取り扱いに困るような感じもある。しかし左派と言うのは基本的に彼の擁護というか、ある部分では気持ちはわかるぜという人が全くいない。
もちろんあの人が自分の歴史観を言う事自体、中身が正しいかどうかとは別に、あんた自衛隊のトップだろという事が問題なわけで、それをわきまえていないのがどうにもならんのですが、反対する方もする方で頭の悪い反対派はどうしてもここの問題が今イチわかっていないような所もあって、中身が正しいかどうかをわきにおいて、立場上不適切であるという事、発言の自由を主張するなら辞めて発言しろという一本で攻めればいいのに、何となく戦争反対という理念とか、危険な軍国主義者とか、戦前の彼の歴史観に対する否定とかが見え隠れしてしまっている。これが非常にマズい。今回はたいした事はないと思いますがこの鈍感さが反発を招く。
まあそうは言っても実際彼はもう辞めたわけですので、そういう意味ではマスコミも、政府も比較的まともに機能したような気もします。
しかし辞めても元自衛官空幕長という肩書きは残るので、彼は何かと発言はするでしょうし、彼を持ち上げる人だっているかもしれません。あんまりいないと思いますが。だからこういう言説を言う人がいるという問題は残るわけで、それこそ今度は言論の自由だと言われれば今回彼を叩いたようなロジックは通じなくなる。そうすると中身の問題はとりあえず正しかろうが間違っていようが関係ない。お前は日本の官僚であって、憲法に拘束される政府見解に拘束される立場なんだよという物言いでは、無効化出来ない、したがって中身の吟味も必要になる。そうなると言っている事を全くスルーするというわけにもいかなくなってくる。
田母神が言うには戦争がしたくて言っているのではないと言っていますし、別に日本は正しい国だと認めてくれと言いたいわけではないとも言っている。中国の方や、朝鮮半島の方々が、日本の戦争責任をいつまでたっても言ってくるから、日本が一方的に悪者だといつまでもいつまでもバッシングされるから、どこの国だって多少は恥じる過去があるではないかと言いたいのだと言っています。
講和条約を結んだら、基本的に過去の事は水に流しましょうという前提であるはずで、何もアメリカめ原爆落としやがってふざけるなとか言いたいわけではないと。
しかし戦後半世紀以上たっても、相変わらず日本は悪者、日本に軍事力なんか持たせたら、また侵略戦争を始めるに決まっているという言われ方をされ続けているわけで、いつかはわかってもらえて水に流してくれる日が来るのではないかと、日本人はずっと何を言われても頭を下げ続けて来た。だからもういい加減にそこまで言われるのなら、日本人にも日本人の言い分がありますと言いたいだけだと。
別に言われなければそんな事は言うつもりはないし、それぞれの国の歴史観に文句があるわけではないと。言いたい事も言わず上っ面の友好関係ではなくて、言いたい事は腹を割って話せるような友好関係こそ望むと。
それに彼の安全保障に対する発言、自衛力を持つ事や、自衛隊をもう少し動けるようにする事は、戦争する為に必要なのではなくて、戦争を抑止する為に必要なのだ、というのはある程度安全保障の一般的な基準で考えると、間違った事は言っていない。それなりに合理性はある。
もちろん自分はキッパリと彼の歴史観の浅さを否定しましたが、彼が本当にそう思っているのかどうかは別として、歴史認識に差があっても戦争反対だと一応は言っているわけですから、リベラル派だってちょっとくらいは、まあ言っている事はトンチキだけど、戦争反対という気持ちは共有出来ると、擁護出来る所を探す人がいたっておかしくないわけですが、見事に彼の歴史観にとらわれて一斉に横一列でバッシングという風になっちゃう。
反戦平和の理念によって、彼の言っている事すら聞いていない。聞いていないのに批判しているわけです。これでは不毛です。こっちが理念を振り回せば、向こうも向こうの理念を振り回して理論武装合戦になってしまう。理論武装合戦になると最近ではリベラル派はどうも旗色が悪過ぎる。
田母神のおっさんは、自分は日本がいい国であると言ったらクビだと言われた、自衛隊のトップは日本がろくでもない国だと思っている奴がトップであるべきだと言うのは話がおかしくないですか?と言っています。当然ですが、彼に反対をしている人達はそんな事を言っているわけではありません。彼も彼で話をちゃんと聞いていない。
実際彼はネット投票や、テレビの投票でで6割が私の支持だなんて胸を張ってますが、多分彼の事をアホかと思っている人は基本的に、そんなバカらしい投票はしませんので、ああいう幼稚な論点に引っかかる人達でさえ6割しか支持していないという事は、まあたいした事は無い。
例えばまあ言いたい事はわかるけれど、本当に自衛隊へのフリーハンドが欲しいと思ったら、北東アジアからの許しが無ければ不可能なんだから、そんな彼らの心情を煽るような物言いは火に油を注ぐようなもんなんだから、嘘でもいいから土下座でも何でもして謝罪を続ければいいんだよと言ってあげればいいような気もしますし、それよりはまあ相手に対して誠実な気もする。外交的なタクティクスとしては下の下ですが。
田母神のおっさんの会見なんかを見ていると、さしで話せば、まあ頭の中身はカラッポかもしれませんが、きっと気のいいとぼけたおっさんなんじゃないかという風にも見える。悪人ってわけではないような感じがするわけです。
少なくとも特権の上で責任を回避して温々と批判だけしているような連中と比べれば、あれだけバッシングにあっても言いたい事を言って討ち死にする覚悟はあるわけですから、少なくともキモは座っている。まあ自衛官だからなのかもしれませんが、反戦平和という接点から話せば、もちろん護憲、自衛隊反対という人からすれば中々簡単には行かないとは思いますが、そういう論点をいったんわきにおいて話せば、それほど話が通じない堅物ってわけでも無さそうにも見える。
個人的には戦前の亜細亜主義や右翼思想を全くわきまえもしないで、中学生並の陰謀史観程度の話を誇らしげに話している姿を見ていると、若干哀れみも感じますし、反面ボコボコに論破して正座させて説教してやりたい気分ですが、彼はそれが真実だと思っているわけですから、それはそれで尊重する必要がある。
こちらの話を聞いてもらう為には、こちらの理念をいったん封印しないと、向こうも理念を振り回すというだけで、単に分断されて終わってしまう。理念じゃなくて、どれだけサブスタンシャルであるのかだけを議論出来なきゃ意味がない。反戦平和は願望ではないわけですから。
ここで冒頭の筑紫さんの話を思い出して下さい。田母神の論点の浅はかさ、そしてそれに食いついて否定する方々、この部分に非常に今の日本の問題点がありますので、理念を封印しろと言っといてなんですが、少しここではそこを詰めて行きたいと思います。
田母神の論点では例えば朝鮮半島や台湾に帝国大学を作ったではないか、そんな植民地政策を取った国は他には無い!とか、朝鮮半島の皇族もちゃんと丁重に扱って、丁重におもてなしている、そんな国なんて他にあるか!!とか言っています。確かにそりゃそうなんですが、個人的に言えばこの感覚がズレている。
我々は何といって朝鮮半島を併合したのかがわかっていない。朝鮮の人々と日本人の間に差別があっちゃならん。対等であり平等に扱うべきだと言ってしたわけです。そして何と言ってロシアと戦争をしたのかもわかっていない。少なくとも建て前では朝鮮半島の自立の為に戦ったわけです。その建て前の為に多くの日本人も死んだ。そしてそういう風に朝鮮半島の人にも言っている。だから当時の日本も支持された。
朝鮮半島の独立を叫び、協力し合おうと対等合邦を叫び、結果的に併合している。しかも平等だと言う。
平等に扱うべきだという視点がそもそも上から目線でしかありえない。下からそんな事を言ったって、サブスタンシャルにはなり得ない。そういう風に選択出来る立場にあったという事を自覚出来ていない。これが日本人の決定的な鈍感さです。
帝国大学を作ってやったではないか、これも押し付け、平等に扱ったではないかというのも、押しつけでしかない。パターナリズムになっているという事に気付いていないわけです。善かれと思って行動したって、相手にとってどう見えるのかを考えていない。学校を作ってあげられるという立場にいたという事が何を意味するのかが田母神的アホ右翼はわかっていない。
アメリカやイギリスが植民地の人々や黒人奴隷に我々は平等だとは絶対に言わない。平等ではないのだから言うわけが無い。平等だと言うからには平等にしなきゃしょうがない。解放宣言をするのと同義です。
しかし日本は平等だと言いながら、朝鮮半島の自立という事実上の解放宣言をしておきながら統治をしている。そもそも日露戦争に勝って列強へと名乗りを上げている日本と、当時弱小国家であった韓国との間で対等合邦なんてどうしたって無理があるに決まっている。
なんで伊藤博文がぶち殺されたのかがわかっていない。なぜ安重根が当時の一部の日本人からでさえ支持されたのかもわかっていない。朝鮮半島の独立、東洋の平和という大義を掲げて、日露戦争をし多くの日本人が死んだ。それは天皇の意志だという事になっていた。にも関わらず、日本は事実上朝鮮半島を併合しようとする。東洋の平和を乱しているではないかと、これは天皇の意志に反しているではないかと、安重根に殺されたわけです。だから安重根は勤王の志士だと言える。
伊藤の死を理由にして、伊藤を叩いていたマスメディアも手の平を返して賛美し、一般的な国民の世論を煽って加熱させ、併合強硬派を世論が後押しして結果的に併合に突っ走るわけですが、少なくとも当時のまともな日本人はその事がわかっていた。伊藤の側近でさえ、一番尊敬する人は誰か?という問いに、それは大変残念ながら安重根ですと答えている人がいたくらいです。日本の国益の為とは言え、我々は矛盾しているのではないか?と。
伊藤は何かと併合政策には反対の立場を取ってはいましたが、それはあくまで日本にとって都合のいい朝鮮半島のあり方であって、これだって上から目線でしかありえない。朝鮮半島の自立を言いながら事実上保護下に置き、彼の死後併合したわけです。
もっともなぜ明治維新が成功したのか?なぜ伊藤博文が初代総理大臣になったのか?裏日本史的に言えば、岩倉具視らと結託して、天皇を暗殺しているからだという説もある。天皇を殺して、長州に住んでいた薩長の操り人形である、南朝系の末裔と言われる大室寅之祐その座に据えた。だから維新が上手く行った。伊藤にはその功績があった。何で会津藩が完膚なきまで叩きのめされたのかと言えば、会津は京都守護職であり、孝明天皇と面識があった。だから松平容保を徹底的に攻撃し力を削がなきゃならなかったって説です。
(余談ですが面白いので書いておきます。孝明天皇と本当の明治天皇は北朝系であるのですが、南北朝は遠い昔に合一されています。徳川家茂の妻は孝明天皇の妹君である和宮、徳川慶喜は筋金入りに尊王派である水戸藩出身、薩長やそんじょそこらのにわか尊王派とはわけが違う、父親の斉昭公は当時の尊王派、水戸学の御本尊みたいな人です。会津も孝明天皇の信任が厚かったと言われている。しかし将軍家も会津松平家も賊軍として逆賊扱いを受ける。これは南朝を利用した南北朝の延長線上にある問題であったとされるわけです。
しかも南朝系の末裔かどうかなんてのも怪しい話ですので、ひょっとするとこの国が隠し通さなきゃならない出発点もそのへんにあるのかもしれません。橋本龍太郎は大室の血族でしたし、今の麻生は大久保の末裔、安倍晋三は岸信介の孫、岸と佐藤栄作の先祖は長州藩出身で、吉田松陰に兵学を教えている。池田勇人も長州藩、広沢真臣の末裔と血縁関係を一時結んでいたし・・・・・・・・・・そういうのが様々にネットワークとなって、関係を結び、財界とも繋がり、探し出すといろいろ見つかりますので結構面白いのですこれまた。
そもそも岩倉具視は公家の村上久我(こがと読みます)源氏である土御門(源)通親の末裔であり、土御門通親が源氏長者であったとき、武家である清和源氏の末裔である源頼朝と源氏長者をめぐって政争を繰り広げている。源氏長者とは公家が担うポジションで、官位の低い武家ではなれないのが当たり前でした。源頼朝が源氏の頭領という言われ方がしますが、その場合、武家の清和源氏の長者という意味です。本当の意味での源氏長者だったわけではありません。
武家源氏である清和源氏の一流河内源氏である足利尊氏が後醍醐天皇を追い落として、その後醍醐天皇が吉野で創始したのが南朝。その後、足利家は室町幕府を開き、足利義満の時に初めて兼任、将軍職と武家として初めて源氏長者をかね、あげく王権纂奪を行なって事実上、治天の君{ようするに上皇とか法皇みたいな天皇より偉い人}の座を皇位につかずに獲得した二人目の人となって日本の頂点に君臨する。そして対外的には日本の国王と名乗る。その前の源氏長者は村上源氏の久我家である久我具通。
その後、源氏長者の座を久我家と足利家で入れ替わりを繰り返す。室町幕府が終わった後、久我家が再び源氏長者の座に座り、その後、再び武家源氏を名乗る徳川家に久我家から源氏長者の座が移り、将軍兼源氏長者、そして日本国王となり、幕末まで行く。
江戸時代末期、朝廷に弓を引いた足利尊氏は逆賊という風に言われていましたし、そういう思想が流行っていた。という流れを考えると、村上久我源氏の末裔である岩倉が、南朝を担いで逆賊である足利尊氏の利用した北朝を撃つというのは、それなりにストーリーとしては筋が通る・・・・・・
公家と武家の因縁、源氏長者をめぐっての因縁、そして南北朝の因縁、そういうものがもしかすると複雑に絡まって、もしくは利用して・・・・・・・ひょっとすると、天皇もまだ4代しか続いてないなんて事も・・・・・・
と陰謀説は聞くのは面白く、基本的に自分はあんまり信じない口なのですが、ついでとして、この幕末の回天の際、背後から支援していたのが、サッスーンの部下グラバー、赤い盾がちらつく。憲法制定の際の留学先で世話になったのもそう。ロシア戦争の際、援助を引き受けたのも、ユダヤ系、ロスチャイルドと繋がりのあるジェイコブ・ヘンリー・シフ、なあんて話になるんですが、そこまで行くとつまらんので、本筋に戻ります。こういう話は妄想も混じっていますので、あまり本気にしないで下さい。ただ面白いので本気で書き出すと終わらなくなる恐れが・・・・・・)
とまあこれは真相はわかりませんし、その他にもいろんな説があるのですが、そういう陰謀説(孝明天皇と明治天皇が殺されているのではないか?という所までで、その後の話は別です)を当時の真性右翼はわかっていた。これが本当かどうかという話ではなくて、少なくともそういう空気があった。そう言う二重の意味でも逆賊である長州の伊藤をぶち殺した安重根は勤王の志士だったわけです。
本当は天皇陛下万歳なんてのは右翼でも何でも無い。革命の玉として天皇が必要だからそう言っているだけです。それはあくまで国民の為の政治に必要であるからそう言っていたわけで、天皇だから無前提に翼賛しろという話では全然無い。天皇を囲っている連中の好き勝手にさせちゃならんというのがあった。
売国政治家と国賊官僚ども、そういった君側の奸に天皇という玉を囲い込まれてしまってやりたい放題になっている。国民の為の政治なんてどこ吹く風(今と同じですね)、西郷が言った敬天愛人の精神なんて全く無視している、自由民権運動だってそもそもそういう精神から出てくる。政府のケツなんて舐める輩は右翼でも何でも無い。
そして当時のまともな右翼、国粋主義者は朝鮮半島の併合政策に完璧に反対している。玄洋社の頭山満も、黒龍会の内山良平も。朝鮮半島の人民の為になる事が重要であって、日本が統治するなど言語道断であると。合邦して協力関係を結ぼうと尽力していたのに、それが併合政策のエビデンスとして利用されてしまう。韓国人も望んでいるのだと。
平等に扱おうとすればする程上から目線でしかありえないわけだから、平等だと言われている人達からすれば、平等だと言っているけれど、内心差別しているじゃないかという風になる。亜細亜主義を掲げながら、結局中国と戦争し、朝鮮半島の独立自尊を掲げながら、対等合邦が併合にすり変わったわけです。言っている事とやっている事が矛盾している。
しかしその事には日本人的に言えば悪気は無かった、そりゃ平等というのは建て前に決まっているだろうという風になる。それがウソつきだという風に見られるわけです。ここの所はどんなに言い訳をしても逃げられない。その事に自覚しないと、彼らからの感情的な許しはありえないでしょう。
朝鮮半島だって他に選択肢が無かったではないかという言い方をよくされますが、選択肢があったかどうかが問題ではない。我々が何をやったのかという事に自覚的になる必要がある。それはどんなに温情的な融和的な政策をとろうがなんだろうが、平等であると嘘をついていたのは事実です。日本の安全保障と国益の為に建て前できれい事を言っていた。国内では通じるかもしれませんが、それを外人相手にやったら通じない。
今のバカ右翼的に言えば列強からのプレッシャーもあり、しょうがなかったかもしれないが、しょうがなかったかどうかは彼らにとっては問題ではない。たとえ悪気が無くても、どんなに彼らの為を思っていたのだとしても、やった事はやった事なわけです。だから朝鮮半島の方々からすればウソつき日本人に対してウソをつくのは当然の事だという風になる。
実際日本の植民地政策は当時の列強水準で考えれば温情的であったというのは事実です。しかし彼らからすれば押しつけでしかありませんし、平等になろうという言葉そのものが不平等でなければ言えない事でもあり、内心は日本人だってそんなの建て前だと思っている人だって当然いたでしょう。それが彼らにとって気に食わないわけです。これを自覚しないと、話が全然かみ合いません。
亜細亜主義者達がなぜアメリカとの開戦の際に万歳をしたのかが田母神的アホは全然わかっていない。日本がアジアに対して引け目を感じていたからに他ならない。言っている事とやっている事が矛盾していると少なくとも当時のまともな右翼は気付いていたわけです。だからやっと本当の敵であるアメリカとの大義ある列強の帝国主義打破という戦争を行なう事によって、アジアに対して行なって来た矛盾ある戦争政策も大義の為だと言い訳が出来る。アジアの列強からの解放と言う大義名分が成り立つと、申し開きが出来ると。だから万歳したわけです。この事がわかっていない。
ただ単に歴史的な出来事を取り上げて、何でそういう政策をとっていたのかという文脈を無視して、学校を作ったから偉かったとか、アホじゃねえかって話です。そりゃ作ったのは作ったけれど、そこにどんな文脈が隠れているのかを読み込む作業が出来ないのなら、歴史なんて学ばない方がいい。ここ数年のバカ右翼現象がどうにもならないのは、こういう文脈を参照出来ない点にある。もちろん文脈どころか歴史の出来事すらキチンと認識出来ていない善悪二元論的バカ左翼はもっと論外ですが。
当時の選択肢としてみれば仕方がなかったのだとか、簡単に言ってしまう。そりゃ今から見ればその選択肢が適切だったか不適切だったかが分かるから言える話で、その当時の文脈を参照しないでそんな事を言っても無意味です。
最初の話を思い出して下さい。9.11同時多発テロのときのそしてその後のビン・ラディンへの報復の際、もしくはその後のイラク政策にしても、どれだけ多くの日本国民がアメリカの悲劇とアメリカの正義の報復に拍手喝采したか?911直後どれだけアメリカの悲劇のお涙報道を繰り返したか?
死んじゃった人々は大変悲劇であり、胸が痛むし、だからテロをしても許されるという話ではないが、アメリカが全くの無罪かと言えば、アメリカへの恨みつらみを持つ人々が出て来てしまうような事をして来ている。という多分世論に一斉にバッシングされるような不人気であっても冷静さを喚起するような、そういう事を言った大手メディアは皆無です。
今から見直せば明らかにブッシュの政策は誤っていたとは言えるでしょう。しかしあの当時の空気がどういう空気だったのかという事が抜け落ちている。それを騙されていたから悪くないという言い方で簡単に済ましてしまう。アメリカの陰謀という話で終わっちゃう。前大戦もアメリカの陰謀が隠れていたという話に落ちちゃう。左翼も左翼で軍部の横暴って話に落ちちゃって終わり。違うだろ、みんなで万歳三唱して突っ込んで行ったわけです。
とまあ、田母神に対しては言いたい事は山ほどあるのですが(もちろん左派にも)、こういう当たり前の前提がわかっていれば、あんな幼稚な話はしないでしょうから、こういう一般常識はひとまずわきにおいて、どれだけ反戦平和にとってサブスタンシャルでありえるのかを紡いで行くしか無い。
自衛隊反対と言ったって、現に自衛隊はあるわけですし、憲法9条が危ないとか言ったって、現に憲法は全く守られていませんが、キチンとあるにはあるわけで、安倍晋三的改憲バカは簡単に駆逐出来るわけです。あんなトンチキな改憲なんて、自分も改憲派ですが、まともな改憲論者からすれば語るに値せず程度の脆弱なものでしかない。クソの値打ちもありません。
田母神は政府が左傾化していると言うし、リベラル派は右傾化しているという、同じ現実を切り取っているのに見え方が全然違うわけですから、俺はこう見えるではなくて、実際どうなのかを様々な角度から検証する必要があるのではないかと思うわけであります。自分も右傾化しているような気もしますが、それはお前がリベラル派だからだと言われちゃえば、まあそうかもしれませんとなってしまう。
ようするに右にしろ左にしろ、結局主体性が無い。責任がどこにあるのかと言えば日本人にあるに決まっているわけで、軍国主義のせいにするのも、アメリカのせいにするのも全く同じ、何かの理念を掲げて、その理念ゆえに盲目的にオートマチックに言う事が決まっちゃうなんてのも主体性が無く責任感覚がないからに他ならない。理念なんて放り投げて自分の足で立てばいいだけの話です。そういう意味では田母神も問題外だし、彼を批判する左派も問題外、どちらの歴史観もクソという事です。
左派も左派で、ようするに誰々が悪いと言う悪者探しゲームをずっとやっているだけ、可哀想な国民と言うロジック、可哀想な中国や韓国の人民というロジック。可哀想と言う発想そのものが上から目線だという事に無自覚です。ドイツと言うのはドイツが悪かったとは言ってません。そんなの罪は人それぞれ、軍部にいた奴と、末端の農民や子供達や女性達では、その責任の重さも違うし、やった事も違うわけだし、内心これは問題ではないのか?と思っていた人だっていたはずですから、一概には言えない。
しかしあの戦争にたいしては未来永劫ドイツ国民には責任があり、その責任を守って行く義務があると言って免罪されたわけです。そういう目線が右も左もない。戦前が悪、もしくは善とやり合っているだけ、もしくは誰々が悪かったという話をしているだけ、下らない。
誰々が悪かったなんてのはどうでもいい。そりゃ悪い奴はいただろうけれど、自分にも、もしくは日本人である現在の我々にも責任があるのではないのか?という自分の立ち位置を解体する作業が無く、理念にすがって錦の御旗を手にするという感覚がどうにもならない。
誰が悪いと言う話は、単なる責任のなすり合いです。にもかかわらず謝罪はキッチリしているわけです。日本的感覚から言うと、謝罪をするという事は水に流してもらうという感じですが、普通まともな論理がある国からすれば、謝罪をするという事は責任を認めるという事に他なりません。水に流すも何も、悪かったのを認めているわけだから流れがそこで止まるようなもんです。にもかかわらず責任を担うどころか、誰々が悪いとなすり合いをして、あげく悪くなかったと言う奴まで出てくる。
だから日本がいつまでたっても叩かれているという事がわかっていない。この絶望的な当事者意識のなさ、理念主導の不毛な殴り合い、これをいったん放り投げて、我々の問題として見る必要がある。
戦後半世紀以上、こういう主体性をいまだ獲得すら出来ていないわけだから、そりゃ国もダメになるって話です。帰結として、みんな当事者意識が無いわけですから、投票率が低いのも仕方ないし、無前提に自民党に投票し、自民党がずっと牛耳って来たのも仕方ない。プライオリティも当事者意識が無ければつくわけがないし、責任感も芽生えるわけがない、だから先送りばかりになる。
それは我々の主体性の無さにある。悪者探しで免罪されるという勘違いがこの連鎖を招いている。だから責任者が逃げ切って自己責任ってパターンに行き着く。空気を読んで、勝ち馬に乗り、自分が梯子を外されないようなポジション取りをしているだけ。勝ち馬が勝ち馬じゃなくなれば、みんなで梯子を外して血祭りに上げ、騙されていた、最初から懸念していたと言って逃げ切るのみ。
こういう社会を構築して来た世代にはもの凄い責任がある。しかしそんな事を言っても始まらないわけですから、気付いた人間がどんどん主体性を獲得するしかない。その為には現状の絶望的な状況や、自己責任原則によって個人に痛みを押し付けるような社会である故に、この変化への可能性も出て来ている。理念を振りかざして悪者探しゲームが大好きな連中をお掃除するチャンスでもあるわけです。
自分はリベラル派や左派を散々批判しました。マスメディアも散々批判した。バラバラに解体して徹底的に問題点をあぶり出したわけですが、これだってある立ち位置に立つからそう見えるという話でしかありませんし、その事を延々と続けて、批判をして話が落ちるというのでは、悪者探しと変わらない。
いつでもそれに簡単にすり替わる。バラバラに解体して問題点が見えたら、視点をずらして相対化するという事が必要でしょう。当たり前ですが彼らが全て悪いという話ではありませんので、彼らを叩くだけで問題が解決するなどありえない。それを生み出す構造問題を考えないと、理念を振り回しているのと変わらない。
若者が戦争を待望してしまうような空気の問題を、なぜそういう社会になったのかという考察をして、一見擁護しているかのように(別に擁護しちゃいませんが)書きましたが、これだって部分から全体を語っているのは間違いありません。
なのでそういう問題を考えもしないで批判するというのは論外ですが、だからってずっと擁護の理念を掲げて、悪者探しをしていてもしょうがない。問題点を十分認識した上で、別の視点から見つめ直すという作業が必要だと思います。そしてどのへんに着地点を置けば納得解になるのかを理念主導ではなくて、サブスタンスのある方向に持って行かないと話が前に進まない。
自分の足で立つという事は、結構しんどいものです。だからこそ連帯も必要になるし、自分の足で立ってこそ理念も初めて生きてくる。自分を勇気づける為には理念も必要になるでしょう。しかしそれは人を傷つける為のものではない。自分の足で立ち上がる為には理念という支えも必要でしょう。しかし立ち上がってからもいつまでもその支えに補助してもらっていては立っている意味も無い。まず立っていない輩が多過ぎるという問題があるのですが、理念を支えにして己の足で立ち、そしたら理念は心の中のどこかにひっそりと潜ませておけばいい。
そして連帯というのは放っておけば必ず腐敗する。組合野郎が典型ですが、手段の目的化が必ず起こる。だからその連帯を絶対化するのも理念を振り回すのと一緒です。必ず相対化を常にし続けるという行為態度が必要です。それにはこの絶望だらけでバラバラになってしまった今だからこそ、絶好のチャンスでもあるわけです。
ふうー、やっと区切りがついた。今日は一段と長くなっちゃってすんません。
次回でフィニッシュです。