しつこく前回の続きです。
大人達はバブル崩壊後の自らの生き残りの為に、若者達の夢や希望を食い潰して延命をはかり、挙げ句の果てに最近の若者は覇気が無いとか、仕事に対する姿勢がなっていないとか、かつてだったらフリーターの怠業批判というのもある程度説得力があったのは事実ですが、昔みたいにフラフラ遊びたいからフリーターがお気楽だ、なんて言う状況ではもう無いわけで、そんな余裕も無い。若者にしてみればそんな事言われるような筋合いでもないだろうし、大人もそんな偉そうなことを言えた義理じゃないわけです。だからこういう言説が出て来ている。
お前らが食い潰している俺の分け前をよこせと。よこさねえなら戦争だと。
夢だの希望だの自由だの、自己実現だのと、まんまと何の自覚も無く、ポストフォーディズムの消費主義パラダイムに乗せられて子供を教育して来てしまった。ようするに夢を売って自己責任というパターンです。
夢を売って自己責任というスキームであるという事をせめて教育出来ていればまだマシですが、頑張れば報われる社会とか、お題目を唱えるだけで何の対策も講じて来なかった。夢を持つ事を無自覚に賞賛し、夢を持てとプレッシャーを押し付け、夢が簡単に手に届く所にあるかのように錯覚させ、それに向かって消費、搾取、そして夢破れたら自己責任というスキームにまんまと乗せられて来たわけです。
そして夢破れた人は、派遣なんかで中間搾取されるような、いったん道を外れたら出口の無い連鎖。
勘違いされると困りますので書いておきますが、自分は派遣が悪いと言っているわけではありません。そういう形態の仕事の選び方はあった方がむしろいいと思う。
しかしこれは介護の問題なんかと絡みますが、それでインチキをしている奴らがいるだろという事です。
だからそのインチキを取り締まればいいだけの話なのに、これまた腐れバカ左翼が弱者救済を掲げて、そういうものを絶対悪として排除しようとする。それを統治権力が世論に媚びて権益増進の力学として利用する。まさにアントニオ猪木の風車の理論(古い)。そしたらその帰結がどうなるかくらいわかれよって話です。
実際赤木君の論文が騒がれた時に、所謂リベラル派の人達がその論文に対して反論しています。これがまたズレまくっている。そんな事を言って戦争をしたら真っ先に死ぬのは君達なんだ、みたいな。
そんな事、赤木君だってわかってるに決まってるだろうという話です。わかっているけれど、それしか希望を見いだせない社会になっているという叫びが聞こえていない。実際論文の中でも戦争を待望してしまう事に対して、ある種の葛藤も抱えているような事も書かれています。
論壇誌で空論をごちゃごちゃやっているような連中は実際戦争が起きても行くわけないし、赤木君のような若者を大量に生み出している社会に乗っかって、高収入を得ているように見えるわけです。イデオロギーを批判したりしていても、そいつらもイデオロギーを持っているわけで、そういうところに全く何のコミットメントも示してないくせに、偉そうなことを言ってのうのうと涼しい顔をして生きているという風にしか見えない。
格差だなんだと騒いでいる連中というのが、もう信用されていないわけです。どうせそういう連中はそれで金儲けをしていて、しかも高収入を得ている。立ち位置として言ってはいるものの、実際にはコミットメントなんてポーズだけだとわかっている。
これはリベラルサイドの責任は非常に重い、その事を自覚する事無く、自分達が格差拡大を生み出す事に加担していたという自覚も無く、よく平気な顔してそういう事が言えるもんだと、感心してしまいます。
秋葉原の事件も連想してしまいます。自分は絶対にあの容疑者の事なんて擁護したいとは思いませんが、一方でこういう風にも考えてしまうのです。社会に住む我々が、社会の構造問題に全く無関心であり、そこからこぼれ落ちてしまった人間に対して無関心という暴力で散々踏みつけ、鞭打ち、いたぶり、ボコボコにぶっ飛ばしている状況があるのだとすれば、もういい加減にしてくれと反撃して来たその人に、暴力だ、犯罪だ、死刑だ、と葬ってしまう社会ってどうなんだと。
そこまで追いつめる前に、何で我々は無関心という暴力を止める事が出来ないのだろうと。そして日頃から、人権だの個人の尊厳だのと吹き上がっている連中が、なんで全くそういう事に鈍感でいられるのかと。
戦争を肯定するとか、田母神のような言説もそうですが、ああいう事が正しいとか間違っているとか、言論の自由だから構わないとか、立場上適切ではないとか、そういう事以前に、ああいった言説を一定の人々が切実に感じて、リベラルサイドの欺瞞に疑問を突き付けているという時点で、すでにリベラル勢力は敗北していると言っていい。
戦争はよくないんだ!とか、戦争になったら死んじゃうんだよ!!とか、そんなスットコドッコイな事言ってどうするって事です。
希望が無い、尊厳も無い、承認も無いという叫びであるわけで、善悪や生き死にの問題を言っているのではない。そういう事ではなくて、フリーターのままのたれ死にするとか、親が死んでしまえば自殺するしかなくなってしまう。そこには尊厳も承認も無いではないかと。だったら、戦争でも起こって英霊として靖国に祀られた方が、どうせ死ぬとしても、まだ人としての尊厳があるではないかと。
そういう問題を言っているわけで、戦争の恐怖とか、死の恐怖とか、善悪の問題とかで説得するのではなくて、社会からこぼれ落ちてしまったと感じている個人をどうやって救い取るのか、もちろん根底に経済の問題が重くのしかかっているものの、コミュニケーションを通じた承認をいかに獲得して行くのかという問題が切実なのであって、そういう事を言わなければどんなきれい事も届かない。
戦争が想像を超えるような悲惨な事であって、そんな甘いものじゃないという反論があるだろうという事まで多分彼はわかってあえて言っている。どう尊厳と承認の問題をこじらせないような社会にするのか、そういう闘争を左派というかリベラル勢力は全然やっていない。ある線の内側を守っているだけです。
これはそのまま田母神論文に対するまなざしにも言える事です。確かに田母神の論文は稚拙過ぎて話になりませんし、彼の言っている事どうこうの前に、あの程度のオツムしかない、まあ言ってみれば単なるバカが務まる自衛隊のトップってどれほどのものなんだ?という疑念が生まれるのは確かです。右的なアジェンダと言っても、戦前の右の思想を全くわきまえてもいない、ただ単に程度の低いありがちな陰謀史観を繋ぎ合わせただけで、それがどういう意味を持っていたのかもわかっていない。右でも何でも無いただのバカが吹き上がっているだけだと言ってしまってもまだ生温いゴミでしかありません。実際守屋の問題なんかもありましたから、自衛隊という組織が腐っているのは間違っていないのでしょう。
だいたい当時31歳のフリーターのあんちゃんであった赤木君の論文と読み比べても、底の浅いというか、痛みに対してあまりのも鈍感なものでしかありませんので、こうして同じエントリーで例に出すのも気が引けるくらい、内容のない赤ちゃんみたいな文章です。ただ何かに物理的に反応するだけ。
自衛隊のトップといえばそれなりに名誉もあるし、給料だって貰っているでしょう。バカじゃなれないのかと思ったら、このレベル。こういうバカが温々と安定得ている。その事一つとってもこの社会の偏りを感じないわけには行きません。赤木君のような若者が不満を感じる気持ちがわかる。
しかしこのスットコドッコイのたわけ者に対するまなざしもリベラルを掲げるのなら、文民統制とか、立場上どうたらこうたらとか、そういう事じゃない。彼の言説が正しいか正しくないかもどうでもいい。彼は承認と尊厳が欲しいと叫んでいるわけです。
甘えるなと切って捨てる事も出来るでしょう。自分もそう思いますが、ああいう言説を吐きたくなる構造の問題を考えないと、再生産されるだけで、それがどんどん増えて行く、増えて行けばそれが段々マジョリティを形成するようになる。そしたらもう手の打ちようが無い。
それにあんなバカに本気で反論してどうすると言いたい。少なくともあんなパーがほざいている程度の低い陰謀論なんか、リベラルの分厚い思想から考えれば鼻クソ以下です。鼻クソ以下の惨めな言説を一生懸命ほざくぐらいの知能しかない哀れな生き物なんだから、リベラル派はちょっとは哀れで惨めな存在に手を差し伸べるくらいの器量を持てという事です。現状であれば更迭出来るわけですから、再生産されない為に手を施さないと、取り返しのつかない事になりかねない。
彼ら自衛隊は戦後リベラル思想では包摂されていないと感じているという事が問題なのです。尊厳も無ければ承認もされていない。甲斐が無いじゃないかと言っている。厄介者扱いされ、本当はあっちゃいけない存在だという宙ぶらりんなポジションを余儀なくされ、しかしいざという時には守ってくれ。何か海外で事が起これば、簡単に派兵され、多くの人もいいんじゃない『自衛隊でも』出しておけば。仕事なんだし。それにどうせ安全な所なんだから平気だろ。もちろん日本は戦争をしない国だから、武器の使用はダメだけどね。
こういう無責任な意志の中にさらされれば、ルサンチマンを抱えるなと言っても無理ってもんです。例えば自衛隊の尊厳を認めてくれる、前大戦はアメリカの謀略であるとか、日本は悪くない、現にそう証言している人がいっぱいいるではないかとか、自衛隊を強化して一人前の国になるんだとか、そういう所謂保守系の議論の方にシンパシーを感じてコミットメントを持ってしまうのはしょうがない所もあるわけです。リベラル派はそれに対して全く手を差し伸べようともしないわけですから。
左派思想の要中の要はマルクスの言った「疎外」に敏感である事です。社会やシステムによって生み出されてしまう「疎外」を放置しておくなという事がキモであるはず。そういうものが今の左側には全然無い。
特定のあるところの、疎外でも何でも無い単なる権益を守っている奴はいっぱいいますが、ある所の疎外にはピーチクパーチク喚いて、ある所は全くスルー、これではハッキリ申し上げればリベラルでも何でも無い。
自殺者がもう10年以上3万人越えをしているわけです。過去の反省もわかるけれど、今ここに大量に死んで行く人々がいる。そういう疎外を放置しておけばそれがルサンチマンになる。ルサンチマンの蓄積された社会では誰も公正さを期待しなくなってくる。現に今の日本はもうそうなっています。
頭の悪いバカリベラルのおかげで、本当に自殺の問題にコミットしている人とか、若者の支援に動いている人とかまでが、どうせ金儲けなんだろみたいな蔑みを受けてしまったりもする。またそういう所が金になるとわかると、本当の金儲けが入り込んで来て、搾取するというパターンにもなってしまう。
こういった現状を見ていると様々な所である種の分断が起こっているようにも見えます。若者がルサンチマンを抱えている疎外を取り上げましたが、しかしかと言って高齢者や団塊世代がみんな幸せなのかと言うと、2008年版の犯罪白書によると昨年の交通関係を除く一般刑法犯での検挙された高齢者の数が前年比4%増の48600人であったと発表がありました。86年から統計が始まっていて過去最多という事です。高齢者の人口が増えているのよりも、犯罪の増加の方が上回っている。
初犯では9割が家族との音信があるが、累犯では4割を切っています。初犯の6割弱が月20万以上の収入があるが、累犯では1割を切っている。しかも4割弱が無収入であると。
孤独死の問題なんかもあります、これは高齢者というよりも45歳から60歳位までが大半で、ケガとか病気で一度仕事からリタイアするという事が出発点になっていて、仕事を失い、家族からも見捨てられ、結果のたれ死に。
自殺が起こるメカニズムもこれと全く同じパターンによって起こる事が多いという事が自殺実態白書でわかっている。そして後期高齢者医療の問題もしかり。
こういう統計や現実をるともはや格差とかそういう生温い問題ではなくて、いったん社会からこぼれたらもうお終いTHE ENDの社会である事を如実に表しています。疎外もクソも無いそこら中が疎外だらけ、景気が悪いとか、経済が調子悪いとかそういう問題ではもう無くなっている。
社会の分厚さなんて微塵も無い。ペラペラの紙状態です。しかもペラペラの紙なので簡単に破れる。一体全体リベラル派は何をしてんだ?何を守ってるんだ?今までお前ら何やってたんだ?って話です。
こんな社会になっているのに、戦争はよくないんだ!統合は権力である!統治権力の横暴!軍靴の足音が聞こえる!今、憲法9条が危ない!!若者達の危険な右傾化!!ってお前ら一体どれだけずれてりゃ気が済むんだ寝言をほざいてんじゃねえよって感じです。
お前らの存在意義は何だ?何の為のリベラルなんだ?何の為の左翼なんだよ?と。ここまでズレていればもう擁護する要素が何も無い。いっそ早く消えてくれとさえ思う。
自分のようなソ連がバリバリに盤石だと思われていた時代に、ゴリゴリの左翼教師がうじゃうじゃいるような環境で、今の生っちょろいお花畑リベラルではなく、本気でソ連を礼参し、北朝鮮をパラダイスであるかのように言う奴がいっぱいいて、もちろん暴力反対みたいな優しいリベラルではなくて、リベラルだっつってんのに平気で人をボコボコにするような、そういう筋金入りの理不尽日教組左翼教師に徹底的にリベラルマインドを叩き込まれて育った人間でさえそう思うのですから、ハナっからリベラルなんて嘲笑のネタでしかないコミュニケーションが溢れている現在、そういう人からすれば役立たずのゴミでしかないわけです。
それでもつづく!!
大人達はバブル崩壊後の自らの生き残りの為に、若者達の夢や希望を食い潰して延命をはかり、挙げ句の果てに最近の若者は覇気が無いとか、仕事に対する姿勢がなっていないとか、かつてだったらフリーターの怠業批判というのもある程度説得力があったのは事実ですが、昔みたいにフラフラ遊びたいからフリーターがお気楽だ、なんて言う状況ではもう無いわけで、そんな余裕も無い。若者にしてみればそんな事言われるような筋合いでもないだろうし、大人もそんな偉そうなことを言えた義理じゃないわけです。だからこういう言説が出て来ている。
お前らが食い潰している俺の分け前をよこせと。よこさねえなら戦争だと。
夢だの希望だの自由だの、自己実現だのと、まんまと何の自覚も無く、ポストフォーディズムの消費主義パラダイムに乗せられて子供を教育して来てしまった。ようするに夢を売って自己責任というパターンです。
夢を売って自己責任というスキームであるという事をせめて教育出来ていればまだマシですが、頑張れば報われる社会とか、お題目を唱えるだけで何の対策も講じて来なかった。夢を持つ事を無自覚に賞賛し、夢を持てとプレッシャーを押し付け、夢が簡単に手に届く所にあるかのように錯覚させ、それに向かって消費、搾取、そして夢破れたら自己責任というスキームにまんまと乗せられて来たわけです。
そして夢破れた人は、派遣なんかで中間搾取されるような、いったん道を外れたら出口の無い連鎖。
勘違いされると困りますので書いておきますが、自分は派遣が悪いと言っているわけではありません。そういう形態の仕事の選び方はあった方がむしろいいと思う。
しかしこれは介護の問題なんかと絡みますが、それでインチキをしている奴らがいるだろという事です。
だからそのインチキを取り締まればいいだけの話なのに、これまた腐れバカ左翼が弱者救済を掲げて、そういうものを絶対悪として排除しようとする。それを統治権力が世論に媚びて権益増進の力学として利用する。まさにアントニオ猪木の風車の理論(古い)。そしたらその帰結がどうなるかくらいわかれよって話です。
実際赤木君の論文が騒がれた時に、所謂リベラル派の人達がその論文に対して反論しています。これがまたズレまくっている。そんな事を言って戦争をしたら真っ先に死ぬのは君達なんだ、みたいな。
そんな事、赤木君だってわかってるに決まってるだろうという話です。わかっているけれど、それしか希望を見いだせない社会になっているという叫びが聞こえていない。実際論文の中でも戦争を待望してしまう事に対して、ある種の葛藤も抱えているような事も書かれています。
論壇誌で空論をごちゃごちゃやっているような連中は実際戦争が起きても行くわけないし、赤木君のような若者を大量に生み出している社会に乗っかって、高収入を得ているように見えるわけです。イデオロギーを批判したりしていても、そいつらもイデオロギーを持っているわけで、そういうところに全く何のコミットメントも示してないくせに、偉そうなことを言ってのうのうと涼しい顔をして生きているという風にしか見えない。
格差だなんだと騒いでいる連中というのが、もう信用されていないわけです。どうせそういう連中はそれで金儲けをしていて、しかも高収入を得ている。立ち位置として言ってはいるものの、実際にはコミットメントなんてポーズだけだとわかっている。
これはリベラルサイドの責任は非常に重い、その事を自覚する事無く、自分達が格差拡大を生み出す事に加担していたという自覚も無く、よく平気な顔してそういう事が言えるもんだと、感心してしまいます。
秋葉原の事件も連想してしまいます。自分は絶対にあの容疑者の事なんて擁護したいとは思いませんが、一方でこういう風にも考えてしまうのです。社会に住む我々が、社会の構造問題に全く無関心であり、そこからこぼれ落ちてしまった人間に対して無関心という暴力で散々踏みつけ、鞭打ち、いたぶり、ボコボコにぶっ飛ばしている状況があるのだとすれば、もういい加減にしてくれと反撃して来たその人に、暴力だ、犯罪だ、死刑だ、と葬ってしまう社会ってどうなんだと。
そこまで追いつめる前に、何で我々は無関心という暴力を止める事が出来ないのだろうと。そして日頃から、人権だの個人の尊厳だのと吹き上がっている連中が、なんで全くそういう事に鈍感でいられるのかと。
戦争を肯定するとか、田母神のような言説もそうですが、ああいう事が正しいとか間違っているとか、言論の自由だから構わないとか、立場上適切ではないとか、そういう事以前に、ああいった言説を一定の人々が切実に感じて、リベラルサイドの欺瞞に疑問を突き付けているという時点で、すでにリベラル勢力は敗北していると言っていい。
戦争はよくないんだ!とか、戦争になったら死んじゃうんだよ!!とか、そんなスットコドッコイな事言ってどうするって事です。
希望が無い、尊厳も無い、承認も無いという叫びであるわけで、善悪や生き死にの問題を言っているのではない。そういう事ではなくて、フリーターのままのたれ死にするとか、親が死んでしまえば自殺するしかなくなってしまう。そこには尊厳も承認も無いではないかと。だったら、戦争でも起こって英霊として靖国に祀られた方が、どうせ死ぬとしても、まだ人としての尊厳があるではないかと。
そういう問題を言っているわけで、戦争の恐怖とか、死の恐怖とか、善悪の問題とかで説得するのではなくて、社会からこぼれ落ちてしまったと感じている個人をどうやって救い取るのか、もちろん根底に経済の問題が重くのしかかっているものの、コミュニケーションを通じた承認をいかに獲得して行くのかという問題が切実なのであって、そういう事を言わなければどんなきれい事も届かない。
戦争が想像を超えるような悲惨な事であって、そんな甘いものじゃないという反論があるだろうという事まで多分彼はわかってあえて言っている。どう尊厳と承認の問題をこじらせないような社会にするのか、そういう闘争を左派というかリベラル勢力は全然やっていない。ある線の内側を守っているだけです。
これはそのまま田母神論文に対するまなざしにも言える事です。確かに田母神の論文は稚拙過ぎて話になりませんし、彼の言っている事どうこうの前に、あの程度のオツムしかない、まあ言ってみれば単なるバカが務まる自衛隊のトップってどれほどのものなんだ?という疑念が生まれるのは確かです。右的なアジェンダと言っても、戦前の右の思想を全くわきまえてもいない、ただ単に程度の低いありがちな陰謀史観を繋ぎ合わせただけで、それがどういう意味を持っていたのかもわかっていない。右でも何でも無いただのバカが吹き上がっているだけだと言ってしまってもまだ生温いゴミでしかありません。実際守屋の問題なんかもありましたから、自衛隊という組織が腐っているのは間違っていないのでしょう。
だいたい当時31歳のフリーターのあんちゃんであった赤木君の論文と読み比べても、底の浅いというか、痛みに対してあまりのも鈍感なものでしかありませんので、こうして同じエントリーで例に出すのも気が引けるくらい、内容のない赤ちゃんみたいな文章です。ただ何かに物理的に反応するだけ。
自衛隊のトップといえばそれなりに名誉もあるし、給料だって貰っているでしょう。バカじゃなれないのかと思ったら、このレベル。こういうバカが温々と安定得ている。その事一つとってもこの社会の偏りを感じないわけには行きません。赤木君のような若者が不満を感じる気持ちがわかる。
しかしこのスットコドッコイのたわけ者に対するまなざしもリベラルを掲げるのなら、文民統制とか、立場上どうたらこうたらとか、そういう事じゃない。彼の言説が正しいか正しくないかもどうでもいい。彼は承認と尊厳が欲しいと叫んでいるわけです。
甘えるなと切って捨てる事も出来るでしょう。自分もそう思いますが、ああいう言説を吐きたくなる構造の問題を考えないと、再生産されるだけで、それがどんどん増えて行く、増えて行けばそれが段々マジョリティを形成するようになる。そしたらもう手の打ちようが無い。
それにあんなバカに本気で反論してどうすると言いたい。少なくともあんなパーがほざいている程度の低い陰謀論なんか、リベラルの分厚い思想から考えれば鼻クソ以下です。鼻クソ以下の惨めな言説を一生懸命ほざくぐらいの知能しかない哀れな生き物なんだから、リベラル派はちょっとは哀れで惨めな存在に手を差し伸べるくらいの器量を持てという事です。現状であれば更迭出来るわけですから、再生産されない為に手を施さないと、取り返しのつかない事になりかねない。
彼ら自衛隊は戦後リベラル思想では包摂されていないと感じているという事が問題なのです。尊厳も無ければ承認もされていない。甲斐が無いじゃないかと言っている。厄介者扱いされ、本当はあっちゃいけない存在だという宙ぶらりんなポジションを余儀なくされ、しかしいざという時には守ってくれ。何か海外で事が起これば、簡単に派兵され、多くの人もいいんじゃない『自衛隊でも』出しておけば。仕事なんだし。それにどうせ安全な所なんだから平気だろ。もちろん日本は戦争をしない国だから、武器の使用はダメだけどね。
こういう無責任な意志の中にさらされれば、ルサンチマンを抱えるなと言っても無理ってもんです。例えば自衛隊の尊厳を認めてくれる、前大戦はアメリカの謀略であるとか、日本は悪くない、現にそう証言している人がいっぱいいるではないかとか、自衛隊を強化して一人前の国になるんだとか、そういう所謂保守系の議論の方にシンパシーを感じてコミットメントを持ってしまうのはしょうがない所もあるわけです。リベラル派はそれに対して全く手を差し伸べようともしないわけですから。
左派思想の要中の要はマルクスの言った「疎外」に敏感である事です。社会やシステムによって生み出されてしまう「疎外」を放置しておくなという事がキモであるはず。そういうものが今の左側には全然無い。
特定のあるところの、疎外でも何でも無い単なる権益を守っている奴はいっぱいいますが、ある所の疎外にはピーチクパーチク喚いて、ある所は全くスルー、これではハッキリ申し上げればリベラルでも何でも無い。
自殺者がもう10年以上3万人越えをしているわけです。過去の反省もわかるけれど、今ここに大量に死んで行く人々がいる。そういう疎外を放置しておけばそれがルサンチマンになる。ルサンチマンの蓄積された社会では誰も公正さを期待しなくなってくる。現に今の日本はもうそうなっています。
頭の悪いバカリベラルのおかげで、本当に自殺の問題にコミットしている人とか、若者の支援に動いている人とかまでが、どうせ金儲けなんだろみたいな蔑みを受けてしまったりもする。またそういう所が金になるとわかると、本当の金儲けが入り込んで来て、搾取するというパターンにもなってしまう。
こういった現状を見ていると様々な所である種の分断が起こっているようにも見えます。若者がルサンチマンを抱えている疎外を取り上げましたが、しかしかと言って高齢者や団塊世代がみんな幸せなのかと言うと、2008年版の犯罪白書によると昨年の交通関係を除く一般刑法犯での検挙された高齢者の数が前年比4%増の48600人であったと発表がありました。86年から統計が始まっていて過去最多という事です。高齢者の人口が増えているのよりも、犯罪の増加の方が上回っている。
初犯では9割が家族との音信があるが、累犯では4割を切っています。初犯の6割弱が月20万以上の収入があるが、累犯では1割を切っている。しかも4割弱が無収入であると。
孤独死の問題なんかもあります、これは高齢者というよりも45歳から60歳位までが大半で、ケガとか病気で一度仕事からリタイアするという事が出発点になっていて、仕事を失い、家族からも見捨てられ、結果のたれ死に。
自殺が起こるメカニズムもこれと全く同じパターンによって起こる事が多いという事が自殺実態白書でわかっている。そして後期高齢者医療の問題もしかり。
こういう統計や現実をるともはや格差とかそういう生温い問題ではなくて、いったん社会からこぼれたらもうお終いTHE ENDの社会である事を如実に表しています。疎外もクソも無いそこら中が疎外だらけ、景気が悪いとか、経済が調子悪いとかそういう問題ではもう無くなっている。
社会の分厚さなんて微塵も無い。ペラペラの紙状態です。しかもペラペラの紙なので簡単に破れる。一体全体リベラル派は何をしてんだ?何を守ってるんだ?今までお前ら何やってたんだ?って話です。
こんな社会になっているのに、戦争はよくないんだ!統合は権力である!統治権力の横暴!軍靴の足音が聞こえる!今、憲法9条が危ない!!若者達の危険な右傾化!!ってお前ら一体どれだけずれてりゃ気が済むんだ寝言をほざいてんじゃねえよって感じです。
お前らの存在意義は何だ?何の為のリベラルなんだ?何の為の左翼なんだよ?と。ここまでズレていればもう擁護する要素が何も無い。いっそ早く消えてくれとさえ思う。
自分のようなソ連がバリバリに盤石だと思われていた時代に、ゴリゴリの左翼教師がうじゃうじゃいるような環境で、今の生っちょろいお花畑リベラルではなく、本気でソ連を礼参し、北朝鮮をパラダイスであるかのように言う奴がいっぱいいて、もちろん暴力反対みたいな優しいリベラルではなくて、リベラルだっつってんのに平気で人をボコボコにするような、そういう筋金入りの理不尽日教組左翼教師に徹底的にリベラルマインドを叩き込まれて育った人間でさえそう思うのですから、ハナっからリベラルなんて嘲笑のネタでしかないコミュニケーションが溢れている現在、そういう人からすれば役立たずのゴミでしかないわけです。
それでもつづく!!