前々前回の続きです。

前回、前々回とちょっと横道にそれました。なので何を書いていたのか忘れそうですが、おかげでリミッターが外れましたので、容赦なく批判ぶちかまそうと思います。

もともとこのブログの主旨としては、散々右的な言説も政治家だろうがなんだろうがボロクソに書いているわけで、亀田バッシングがMAXの頃、そして光市弁護団、三浦和義と、世間から徹底的にバッシングされている人達を擁護と取られてしまいかねないような事を全く何も気にせず書いて来たわけです。

捕鯨問題の際のグリーンピース擁護、捕鯨擁護批判、映画「靖国」上映妨害バカ保守擁護と、人気があろうがななかろうが、世論と真逆だろうがなんだろうが、自分の価値観と真逆であろうがなんだろうが、バランスが悪いと思えば全く気にせず書いて来たわけで、今回はリベラルの問題点という主題ですから気にせず徹底的に解体して行きます。

木っ端微塵に解体してその後で何が見えてくるのか?そしていらなくなったものはとっとと引導を渡さなきゃならない、もうそう言う所まで行かないと、この国のリベラルは機能しなくなっている。

筑紫さんが亡くなったという事が引っかかっていたので、変に自粛していたわけですが、別に彼の悪口を書いているわけではありませんし、だからって手を緩めるわけにもいかない。そんな生っちょろい事をやっている場合ではない。それでは続きをおっぱじめます。

とその前に、ちょっと気になるニュースがあるんでそれを少し突っ込んでから本第に入ります。

例によって厚労省の元事務次官の事件です。大変痛ましい事件ですが、そんな事は誰もが言っている事ですので、すっ飛ばして、手っ取り早く書きますが、あの人達を殺害するというのは、その事を知っている人じゃないと出来ませんから、怒りに任せてなら大臣とか総理をぶっ殺した方が話は早いと思いますので、何らかの関係者っぽい感じですね。何かヤバい匂いもします。消されちゃったとかって感じじゃないかと。そういう風に勘ぐってしまいます。

それで奥さん殺すのは酷い話だと思うのですが、何となくメディアの論調を見ていると、こういうテロはあってはならない、暴力で解決するなんて法治国家としては断固対処。痛ましい許されないって話が出て来ます。それは全くその通りなのですが・・・・自分の親族にも肝炎による癌で死んだ人がいます。その事を思うと言ってる事はわかるけれど、国家によって殺されている人もいるわけで、そういう人には報復の手段は無い。それを考えるとつくづく公正感の底が抜けてしまっていると痛感致します。

これが本当にテロであるのなら、この国はそろそろ本当に真面目にどうにかしないと、この連鎖は止まらなくなる可能性がある。自分はレジームが変わるのならそれはそれで悪い話ではないとは思います。未来の為を考えればそういう時期に来ているのかもしれない。

しかしそれは同時に膨大な生け贄を必要とする。もうすでに国家が殺している膨大な犠牲者はいますが、これから更に犠牲者が増える可能性がある。国が変わる時というのは必ず多くの血が流れる。そこまで行く前にそろそろ役人も政治家も行為態度を変えろよと強く思います。

この話を本気で書くと、ちょっと不愉快になる人もいるかもしれませんのでこの辺で元に戻します。

そういう事と直結するような話に本日はなると思います。それでは本第に入ります。




リベラル派の鈍感さというのは、利用されているという所もあるものの、やっぱりどうしても腑に落ちないというか、騙されているという言い訳だけでは看過出来ないような、お前らバカじゃねえかと言いたくなるような所も腐る程ある。

例えば昨年巷を騒がせた、赤木論文「『丸山眞男』をひっぱたきたい。31歳フリーター。希望は戦争。」という衝撃的な内容の論文が、論座に載って世間を仰天させました。特にリベラル派が一斉にビックリして反応した。

これは赤木君という若者がもう自分はフリーターを何年も続けていて、就職もできないし、親が死んでしまえばもう生活も出来ない。そういう状況を打破する為には戦争でも起こってくれた方が希望があるというような内容なのですが、ハッキリ言えばこういう論文を見てビックリしている連中にビックリします。

タイトルは彼自身が付けたわけではないそうですが、戦前、丸山眞男が軍隊に入った時に頭の悪い上官が、頭のいい丸山を暴力で制裁したという有名な話がタイトルのモチーフになっていて、本来これは軍国主義のダメさ加減を表現するものだったのが、そういう文脈以外に使われて、しかもそれがそれなりに説得力を持ってしまっているという構造の変化も表しています。インテリを気取った奴に対しても、戦争になれば逆転のチャンスが有り得ると。

所謂ロスジェネと呼ばれる世代というのは、戦後民主主義、この国のリベラル教育が冷戦末期から崩壊によって機能不全に陥っていく、そのリベラル教育を受け、気が付いたら社会には希望が無い状況に投げ出されてしまっている。

社会に出たらバブルは崩壊しているし、失われた10年だし、個々人の責任ではどうにもならない構造に投げ出されて、労働力を安く買いたたかれ、入れ替え可能な承認によって承認不足、尊厳を破壊されてしまっている。人権だの自由だのと言っている勢力が、あまりにもそこに対して全く無関心でした。

相も変わらず反戦平和とか、自由とかお題目を唱えている。全然そういう人達の声を救い上げるような事をして来なかったどころか、正規社員の権益を守る為にむしろ、そういう人達を積極的に疎外して来た。若者達に希望が無いのはそういう社会にしてしまった大人の責任です。

そしてそういう社会であるにもかかわらずその自覚が決定的にある世代より上の連中は欠けている。そしてどうにもならないのは人権だなんだと騒いでいるリベラル勢力というのは決定的に鈍感であるわけです。

左派では酷いのになると団塊ジュニアとかロスジェネの負け組は黙って消えてくれ的なメッセージがあからさまにわかってしまうような下らない本を書く奴までいます。

特に政治家なんかだと、投票率の高い高齢者とか団塊世代に寄り添う形での政策は打ち出しますが、その煽りをまともに食ってしまうのが所謂ロスジェネと言われる世代です。だからそういう世代がニートになるとかそういう問題を取り上げられたりして叩かれますが、そういう不毛な形で再配分が循環しているとも言える。

そもそも最初の時点で公正さを欠いた、ある世代の票の為にある世代を犠牲にするという方向性が生み出しているものだとも言えるわけです。この国のリベラル勢力というのはそもそもそういう所に非常に鈍感な伝統を持っています。よくこういう感受性でリベラルを掲げられるもんだと頭の中身を疑いたくなる。決定的にズレている。

こういう層が、例えば小泉竹中を支持してしまったとかって話になりやすいのですが、そういう事よりも、そっちの方がバカリベラルよりマシだと思ってしまっている人達がいるという事を切実に感じた方がいい。

そこにすらリベラル派は勝てなかったわけです。安倍が参院選でボロクソに負けて、左派の野党なんかが偉そうな顔をしていたりしますが、別にそいつらが勝っているわけでもない。どちらかと言えば議席を減らしているわけです。

安倍が負けたのも小泉が勝ったのも言ってみれば同じ現象です。ようするに不満が動員になっている。それで政権交代が常態化するのは悪くありませんが、不満を持っている人がいっぱいいるにもかかわらず、弱者救済、人権を謳っている勢力が支持されていないという問題は根深いものがある。

実際問題として右傾化自体はだいぶ落ち着いたと思いますが、かと言ってリベラル勢力に信用が戻っているのかといえばそういうわけでもない。微妙に人気を獲得しているのは共産党ぐらいです。俺の生活を何とかしろ!!弱者?知った事か!!と言った感じで、もしくは無関心によって、社会がギスギスしている。

実際こういう社会にしてしまった原因のいったんはある一定の年代以上の人々のクレクレ主義と無関心にあったのは間違いありません。といっても、ここまで社会の底が抜けてしまえば、老人も不安で不安でしょうがない。だから今更自業自得だと言ったってどうにもならない。

しかしそこに配分したって結局は医療に吸い取られ、もしくは将来の不安の為に貯め込むという事にしかならず、景気を刺激する事にはならない、したがって消費も増えないし、仕事も増えないわけだから、若者の求人環境もよくならない。

その吸い取られる所の医療は火の車、なぜか?朝日新聞系のバカリベラルが散々医者叩きを俗情に媚びてやって来た事のツケです。医療ミスや医療事故を、犯罪や殺人であるかのように紋切り型に被害者感情をバックに散々ケチョンケチョンに痛めつけて来た。リベラル系のメディアはずっと医者不足さえ認めて来なかった。このままで行くと危ないぞという言説はあったにもかかわらず、無視し続けて来た。それをここまで放置して来てあげく、たらい回しとか医者不足とか騒いでいる。バカじゃねえかって話です。

殺人と同様に取り扱われるリスクを犯してまで人命救助をしようと思うような、奇特な医者なんてそんなにいるもんじゃない。誰だって自分がかわいい。当然リスクの少ない歯科医とか精神科医になった方が危険が無い。

もちろん御用学者がエビデンスを与え、背後の統治権力の利権をめぐる権力闘争の力学との相乗作用によって、医療をここまで空洞化させてしまった。

入ってくるのは大手製薬会社、もちろん甘い汁を吸う利権の亡者どもがぶら下がっている。当然大手製薬会社の広告収入は大手メディアに。タミフルとラムズフェルドの話なんて記憶に新しい所です。

被害者の気持ちはそれはそれとしてわかるけれど、我々のよってたつ土台まで壊してしまえば社会は機能しなくなる。問題点が無かったわけではありませんので、ある程度攻撃したり、白日の下にさらすことはある時期までは重要だったという事は否定しませんが、紋切り型の思考停止的批判をずっと続けてしまった結果、その副作用によってもっと酷い社会になってしまっているわけです。

もう疑心暗鬼社会によって様々な所がスカスカになっている。そこを監視ビジネスや安心安全ビジネスが草狩り場として利用する。当然背後にはこれまた御用学者、役人の権益が入り込み、もちろん族議員が暗躍し、その広告収入は大手メディアも享受するわけで、批判なんて絶対に向くわけが無い。

全く困った図式で嫌になりますが、こういうスキームにまんまと乗せられている。リベラルも、その俗情に媚びた物言いを鵜呑みにして感情的に雄叫びをあげる国民も。当然そのツケが赤木君のような若者に最終的には降りて行く。

バカリベラルは目の前しか見ていない。ただ条件反射しているだけ。お前らそれでも知識人か!アホな国民を啓蒙するのが仕事じゃねえのかよって事です。世の中は連関している。何かが変われば、当然その副作用が必ず生じる。

だからマンハイムは保守主義がもっとも合理的だといったわけです。生きているスパンも短いし、見る事が出来る範囲も狭い、そういう限定された力しか持たない人間ごときが全体性をいじるという事は、普通合理性的観点から考えるとリスクが大きすぎるということを言った。

変えるのであればフィージビリティスタディが重要で、それでも計算不能で予測不能な事態が起こりうるのが我々の社会です。一生懸命考えたって上手く行かない事があるのに、なんにも考えずに感情に任せて断固決然じゃ上手く行くわけが無い。

若者に対するまなざしの話に戻りますが、バカ保守系の昔に比べれば裕福になっているのだ甘えるな的な言説がありますが、これも全くわかっちゃいない。昔は貧しくとも帰るべきプラットフォームとか共同体とか、自分が苦境に立たされていても、今に比べれば経済は右肩上がりだったわけで、未来に希望は見えていたし、それなりに承認もあった。

経済的な見通しの明るさが全く無い状況で、ハーバマス的に言えば、システムに生活世界がことごとく置き換えられ、空洞化した事によって、希望も無い、帰るべきプラットフォームも無い、家族も家族という他人状態、承認も単に条件付きの役割とマニュアルに基づけば誰でもいい入れ替え可能の承認でしかない。

人は貧しくてもなんとか生きて行けますが(もちろん程度はありますよ)、尊厳も承認も希望も無い孤独な状態では生きて行けません。金が無くても稼げば何とかなる。しかし社会的構造問題や統治権力の無能さによる希望の無さというのはどうにもならない。社会的不公正によるチャンスの無さというのはどうにもならない。

宿命論的に諦めるしか無くなる。それでモチベーションを持てと言っても無理ってもんです。そういう構造に投げ出されて孤独を感じ尊厳を破壊され、承認不足に陥っている状況というのは、何かを頑張ればどうにかなるという問題ではないわけです。運が悪かったと諦めざるを得ない。

運が悪かったと諦めても、それでも仲間達と酒をかっくらってよろしくやるとか、ある程度、仕事が安定しているとか、夢が叶わなくてもそこそこ楽しく生きられる社会でも無くなってしまっている。

オタク文化や携帯のコミュニケーション、掲示板、テレビゲーム等々、これらが害悪だみたいに言われたりしますが、そういうものに没頭出来る人はそういう空間で包摂されているわけだからむしろ安全な存在です(ここでも掲示板の不安がでてくると俗情に媚びるバカが雄叫びをあげて、ネット規制の力学として絡めとられてしまう)。

生活世界が空洞化し、ことごとくシステムに置き換わってしまったこの社会で、そういう一次的とはいえ代替機能を果たす何らかの錯覚の承認のはけ口が錯覚だと気付いている人は、脱社会化へのプレッシャーに必死で踏ん張って耐えているわけです。

ちょっと相対化して物事を考えれば代替物は何も代替していないという事に簡単に気付きますから、そういう事にそのうち多くの人間が気付く事になるでしょう。そしたらどうにもならなくなる。社会に参加しないという現在の状況よりももっと悪化します。多くの人がこんなくそったれな社会なんて壊れちまえと思うようになりかねないからです。

更にそれを放置しておけばどうなるかは目に見えている。どこかに敵を見つけて、吹き上がって暴走して行く。半ばもうそう言う状態になっている。

もちろん黙って統治権力がそれを放置するという事は無いでしょう。更に統治権力の権限強化、重罰化、監視社会、密告社会、とその事によって更に抑圧は増えるわけですから、人々のルサンチマンは更に蓄積されて行く、統治権力の無能さを考えれば今後10年20年ぐらいは経済も見通しは暗い、ひょっとするともうどん底のままかもしれない。どんどん悪いサイクルが連鎖して行く。そういう兆候が明らかに始まっている。

そういうルサンチマンのはけ口が統治権力には届かないとなれば、国家と同一化し、それは弱者に矛先を向ける。自分よりも惨めな暮らしをしている奴を血祭りに上げるようになりかねない。もっと厄介なのは、外に敵を作り出し、戦争経済を回す事によって金儲けになるという事しか希望がなくなるという事です。もうそれは遠い先の話ではないかもしれない。実際テロとの戦いとか言ってアメリカのケツをすでに追いかけている。相当後戻り不能の所まで来てしまっている。

にもかかわらず、相も変わらず世の中では消費を煽るようなあらゆるツールが溢れかえっており、テレビを付ければ豪華絢爛、贅沢の極みを尽くした欲望をブーストさせるようなものが溢れている。一方で貧乏人をあざけり笑うようなコミュニケーションもある。

そういうものをまざまざと見せつけられ、挙げ句の果てには世の中は金だけじゃないなんて事をほざく奴が出て来たりする。だったら全財産を寄付でもすりゃいいのに、そんな事はやりっこ無い。そいつだって金の為にそういうきれい事を言っているのであり、しかも競争を免除された空間で、高収入を約束されていたりする。

こういうものが悉く可視化出来る環境で、その都度その都度、宿命を受け入れろと突き付けられる、勝ち組負け組といったような紋切り型の二元論はよくないとか言いながら、思いっきりそういうものを増幅させるようなものが溢れかえっている。実際に金だけじゃないとかほざいて高収入を得ている連中がいながら、生活の為に必要な僅かな金を手に入れる為に、尊厳を捨て、欲望を制御し、罵倒され、こき使われて、カツカツの状態。あげく自己責任、お前がダメなのは、お前が頑張っていないからだ、お前が間違っているからだ、お前がダメだからだ、と、あらゆる局面で、時には直接、時には無言で突き付けられる。

昔も過酷な環境であったり、安月給であったりというのはあったと思いますし、考えようによっては今よりも酷かったと言えるかもしれませんが、決定的に違うと思うのは、モチベーションがあるかどうかの差だと思います。

自分のやっている事に意味があると感じられるかどうか、自分の為になっていると感じられるかどうか、ここで我慢すれば自分の為になるはずだと思えるかどうか、多分今の時代はそういうものが、部分的な流動化によって決定的に失われている所と、競争を免除され温々と保護された場所で愚痴っている連中の間での、埋め難い格差になっているような気がします。

他人のモチベーションには結局人は干渉出来ません。当の本人が持てなければどうにもならない。いったん競争からこぼれてしまったら包摂されてモチベーションを持てるような空間がことごとく流動化されてしまっている。

経団連の物言いなんかが典型で、日本に工場を置いてやっているだけありがたく思え的な、しょうがないからお前らに仕事を与えてやってるんだ的な言い方をされていれば、役に立っているとも思えないし、それが何か将来の糧になるとも思えなくなってしまうのは無理もありません。しかも派遣業なんかが中間で搾取をしているわけですから、モチベーションを持ち続けるというのは難しい。

まだまだ!つづく!!