腱鞘炎の痛みがほぼ引いたものの、手を使う筋トレが出来ずに悩んでいた三日坊主ですが、最近いい方法を編み出しました。と言っても、別にたいした事じゃないのですが、それは走るという事です。筋トレ出来ない鬱憤を夜な夜な走り回って晴らしております。

走る用の洋服を持ってないので、普通の革ジャンにGパンとかで走っています。一歩間違えると、いいオヤジが普段着で夜一人で走っているわけですから、危ない奴だと思われるかもしれない危険が付きまといます。

警察に出会ったら職質されるかもしれないとか思いながらも、夜の道を黙々と走っております。普通に筋トレが習慣になってしまいますと、やらないと夜眠れないのが困った所で、走り回ってクタクタになればグッスリスッキリ眠れます。これで万事解決。

とまあ前置きはいい加減にしてそろそろ本題に入ろうと思います。

少し前に筑紫さんが亡くなりましたね。戦後リベラルを代表する方だったと思います。ご冥福をお祈りしたいと思います。田母神論文のような右的なアジェンダを掲げる輩が問題になっている最中に亡くなってしまうとは、何とも皮肉なめぐり合わせを感じてしまいます。

前回は右的な視点の問題点を主に書きましたが、それとちょうど対極に位置する所にいた人の代表格の一人であったのではないかと思います。右的な吹き上がりに比べれば、全然まともな事を言っていたとは思いますし、頭の中身も全然まともに見えますので、対極とか言っちゃうとちょっと失礼かもしれませんが、今日は前回とは逆側から今の日本の問題点を書こうと思います。

正直、自分は筑紫氏の言説はハッキリいってあまり好きではありませんでした。なのでバイアスがかかる事を最初に書いておきます。彼の事が好きな人は気分を悪くするかもしれません。

もちろんもうお亡くなりになった方の事をあれこれ書くのは、自分も日本人ですので気が引けます。いつものように政治家を罵倒するような書き方はしませんし、罵詈雑言は封印します。可能な限りフェアに書こうとは思います。死者に追い打ちをかけるような事はしたくありません。しかしだからと言ってテレビでやっている内輪ウケの美化は勘弁してほしい。

彼個人の生き方はそれはそれで自由ですし、その姿勢もいろいろ人それぞれ思う所があるでしょうから、個人の生き方を賞賛したり美化したりするのは大いに結構な事だと思います。むしろ良い事だと思う。死んだ人間に向かって罵倒するような姿勢はあんまり美しくありません。

だけどその思想的な所まで美化するのは賛同出来ません。よい所もあったでしょうし、問題点もあった。しかもその問題点は多分今の日本が陥っている閉塞状態の根源だと言ってしまって差し支えありません。それを彼の死とともにもろとも美化してしまうのは危険です。その問題点に向き合わない限り、今のこの国の状況を打破する事は不可能です。

戦後リベラルを掲げる勢力が結果的に右の吹き上がりを生み出している原因の一つである事はほぼ間違いありませんので、田母神のようなアホな言説が蔓延らない為にも、しつこいようですが原因を少し考えてみようと思うわけです。それではおっぱじめます。

自分は基本的に戦争なんて絶対やらない方がいいと思っていますし、平和であってほしいと思っています。国家が掲げる大義とか正統性なんてもんは、全てインチキ、絶対に認めてたまるかと思っています。戦争とは国家が行なうものであり、国家権力の為になんか死んでたまるかと。

それに行けと言う奴はどうせ行かないわけで、行くのは若者達です。人殺しはするなと教育しているわけですから、大人としては絶対に若者達をそんな状況にさらすわけには行かない。

しかし本当に自分の仲間や家族、大切な人の命が危険にさらされた場合は、多分怒って暴力に訴える場合もあるだろうなという矛盾もあります。が、国家が言う、敵だから殺せ、それが家族を守る為には必要なのだ、という話には絶対に乗せられてたまるかと思っています。

なので自分は基本的には反戦平和主義者です。まあ威張っていう事ではありませんね。普通そうでしょう。考え方もどちらかと言えばリベラルに近いかもしれません。それもとりあえず書いておきます。

さて自分はリベラルに近いと書いたのは、普通にこの国で生まれて普通にこの国で教育を受ければ、どちらかと言えばそういう風にだいたいなるという意味での話ですから、普通と言えば普通な状態なのではないかと個人的には思っております。

しかしその普通の教育で育ってリベラルっぽく成長した自分から見ても、筑紫氏のようなリベラル勢力というのは、ちょっとズレているように感じてしまうのです。

まず前回も書いた事ですが、彼らの理念というのは正しいと思うのですが、方法論と理念が一緒くたになっているように思えるのです。

ゲーム理論で言う所のブタの理論的考え方として戦略の上で言っているのであれば、つまり早い話が余計な選択肢を抱え込む(この場合、例えば改憲とか重武装とか核武装など)事によって、エントロピーが増大してしまうので、じっとしている事が(この場合で言えば、反戦平和護憲を唱えているほうが)合理的な場合が多々ありますので、そういう意味で戦略としての話であれば理解出来ますし、正しいと思います。

なんだよじっとしていれば一番よかったじゃねえかというのは日常的にある話ですし、余計な事を抱え込んだおかげで自爆してしまうというのもありがちな話ですから、それは理解出来るのですが、そういう戦略性があるのであれば、例えば田母神論文みたいな吹き上がりの唐変木に対して、キチンと戦略的説明をすればいいのに、感情論的な祈りや理念ばかりが前に出て来て、もう一方の感情論に火に油を注ぐかのような感じになってしまいがちです。

それに日本人の民度の低さ統治権力の頭の悪さを考えれば、改憲とか核武装とか重武装なんてものは、なんとかに刃物状態になってしまいかねないので、どうせバカなんだから危険がないようにしておいた方がいいのだという話は100%理解出来るし、80%くらいは賛同も出来るのですが、だからバカのままでいるように、感情論で誑かしておけばいいのだという話であるのならそれには賛同出来ません。

現にそういう感情論に誑かされたバカが、東京裁判は茶番だ!!日本は悪くなかった!!的な吹き上がりの元凶にもなっちゃっている所がある。騙されていた、嘘だったのか、みたいな感じでバックフラッシュしてしまう。

例え話で言うのなら、株の投資の話で今バフェット的な投資スタイルがやっぱり一番賢明なんだよ、みたいな話がちょうどサブプライムがはじけた事によって出てくる。オバマの財務長官にバフェットを、なんて話が出て来たりする(なるには株を売却しなきゃならないわけですから、あの人の株式を売却なんてしたら、大暴落になりそうな気もしますが)。多分それは正しいのでしょうし、ファンダメンタルズ重視の投資スタンスというのは一番賢明な方法だと自分も思います。

しかし相場というのは、得てしてファンダメンタル通りにはならない。最後の最後の局面でやっぱりファンダメンタルだという風になるのは間違いありませんが、真実が顔を出す瞬間は僅かしか無い。多くの賢明ではない投資家が、日々疑心暗鬼と熱狂によって右往左往している。

株は美人投票なので、みんなが儲かると思えば儲かるわけで、みんなが儲かると思っている儲かりそうな株は何だという風になって行くと、わけが分からなくなり、最終的にファンダメンタルに落ち着く。しかしそこに落ち着くまでには日々値動きによって、疑心暗鬼と熱狂を発動させてしまう。

自分は基本的にファンダメンタルだけでは買いません、基本、板とチャートです(短期でしか売買しませんので余計そうなのですが)。もちろんファンダメンタルを完璧に無視するという事も無いのですが、そこを気にしすぎてしまうと売れなくなってしまうので、あまり重視しないと言った方が適切かもしれませんね。

極端にオーバーシュートしていて、どう考えても安いと思えば買う時に重視する事はありますが、売る時に気にしすぎると、こんなはずじゃないという感じで塩漬け状態になりかねないのが恐ろしいからです。

長期投資のようなスタンスで出来ればいいのかもしれませんが、長期投資はリスクがありすぎるというのと、そのリスクを抱えて日々生きるのが辛いので、とっととリスクを取り除いてしまいます。まあ気が小さいのかもしれません。

ちなみに長期投資というのが本当は一番いい手法だというのは嘘です。オーバーナイト、オーバーウィークエンドで値段がころころ変わるのが相場ですし、先の事は誰にもわからない。何が起こるかわからないわけですから、とっとと手じまい出来る短期売買、中でもデイトレードが一番リスクの少ない投資です(もちろんそれが投資と呼べるのか、単にギャンブルじゃないかというのはその通りですが、リスクを少なくするという意味で考えると、持っていない状況が一番リスクが無いわけですから、大儲けも出来ませんが、大損もしないで済む)。

一般的には逆であるかのような言い方が普通なんですが、これは願望も入ってしまっている。リスク最小化という意味では、リスクを抱えてない方がいいに決まっている。ギャンブル性も少ない。もちろんそう簡単に割り切って欲望を切り捨てるのは難しい話であるのは確かです。

市場が常にファンダメンタルに基づいているのであれば、適正株価が5000円だとして、5000円以上になれば売って、5000円以下になれば買う、所謂アービトラージ、裁定取引という手法でやるのが賢明であるはずですが、これはLTCMの話を出すまでもなく、相場は必ずしもそういう風には動かない。5000円を越えれば更に買われ、5000円以下になれば更に売り浴びせが起こってしまったりする。

乱高下で例えば三日連続してストップ高とか、ストップ安みたいな状況があったりすると、最初の時点で買っておけばとか、売っておけばと悔しがったりするもんですが、最初の時点で買っている人は、三日連続してストップ高になった銘柄をそう簡単には売れないし売っていない。

実際殆ど取引が成立しないままストップ高に張り付いてしまっているような場合は、殆ど売買は成立していないわけですから、売り抜けている人は運がいい人で、多くは物理的に売れないし、心情的にももっと上がるかもしれないという感覚に支配されてしまい中々売れません。

さて三日連続でストップ高であった銘柄が四日目にやっと値をつけて寄り付くとします。そこから相場を読んで買うもしくは売る人が、本当に抜ける人です。

三日連続なんていうプラチナチケットを毎度毎度事前に買っておくとか売っておくなんて、インサイダーでもない限り不可能ですから、ボラティリティが高い時に勝てる人が本当に儲けられる人です。

勘違いする人もいないとは思いますが、一応勘違いされると困りますので言っておきます。自分がそうだという事ではありませんよ。

三日連続でという甘い夢をみてしまった賢明でない人間というのは、そう簡単に熱狂を機械的に切り捨てるという事が出来難い。同じように損している場合でも、そこまで値崩れをおこしてしまうと損切りが出来難い。

三日連続明けという状況は売買が通常よりも増える。乱高下する確率が高い。そこで買ったり売ったりして儲けている人が本当に儲けられる人で、三日連続高のあと大幅に値段を下げたりすると、もともと持っていた賢明でない人はそう簡単には売れません。甘い夢が邪魔をします。

結局その夢に誑かされて、一番儲かっている近辺で抜く事が出来ず、相当値崩れをおこしてから結果的に撤退するというパターンになっちゃったりもします。

人間の欲望に支配された状況というのは、冷静な判断が出来なくなる事がよくある話で、相場なんかをみていると、まさにその事を実感するわけです。

サブプライムだって、みんなやっぱりなと終わってみれば思っているわけですが、熱狂している時は止められなくなる。

バブルであるという事にも気付いている。株が一年前の値段の3倍も上がっていれば、短期的に会社の売り上げが三倍になっているなら話は別ですが、普通そういうわけではない。

根拠の無い熱狂によってどんどん上がって行く。当然どこかでこれはそのうちはじけるとわかっていながら、儲かると思えるうちは止められなくなる。

というとファンダメンタルが真実であると言っても、そこに落ち着く瞬間は一瞬しかないわけで、一日でファンダメンタルが変わるわけなんて無いのに、日々売り買いされている。そうすると真実だとしたってそこに実体が無いのではないかという感じもしてくる。

経済学者や賢明な投資家がファンダメンタル重視を言うとき、それは経済学ではなく願望が入ってしまっている。長期投資が有利であって、短期売買でギャンブルまがいのデイトレーダーはリスクが大きいのだ、というクリシェ的言い回しも同じで、実体ではなくて願望、べき論が入っている。市場が最後には賢明且つ公平であるはずだと。ファンダメンタルに基づいた市場であるべきだと。

科学的学問というのは願望じゃありませんので、それが真実だとしても真実である瞬間じゃない時の方が圧倒的なわけですから意味がありません。

市場の本当の姿をとらえるとすれば、べき論は正しいとしても、その瞬間は僅かしか無い。べき論に従っていても、大損ぶっこく人はいるわけで、正しい正常な状態がそうであったとしても、日々そうじゃない状態が繰り返される。賢明な人ばかりが売買するわけではなく、大多数が凡人なわけですから、中々べき論通りにはいきません。

バフェットやジム・ロジャーズのような投資スタイルは自分も尊敬しますし、凄いと思うのですが、凡人の欲望に振り回されやすい自分にはとても真似出来ません。アホみたいに値が下がっている時の胃の痛みに耐えられませんし、またもちろん夢のように値が吹き上がっている時の興奮状態を押さえる賢明さもありません。

市場がファンダメンタルズによって真実の姿を現した時に、決断して利食いする自信が無い。もう少しと思ってしまいますし、値が下がっても狼狽えず大丈夫だとデーンと構えていられない。つまんない値段で損切りしちゃいそうです。

バフェットのように理解出来ないものには投資をしないとか、信用出来ないものには投資をしないとか(彼はITバブルのときIT関連には一切投資をしていないと言いますし、もちろんサブプライムなんかで痛い目に合うような投資の仕方はしていないのでしょう。まあ今はそうは言ってもみんな一蓮托生で下がっていますが、その中で淘汰されてしまうような危ういものには手を出していないのだろうと思います。それに彼が日本株を持っていない時点で日本の構造問題を如実に表していると思います)、そういう信念を貫く自信がありません。目の前に人参がぶら下がっていればかぶりついてしまう。儲かりそうだと思ってしまったら、実際にそれで儲かる事もあるわけですから、中々欲望を制御する自信が無い。

何でこんな話を延々としているのかと言いますと、日本の田母神論文的田吾作も戦後リベラル勢力も、べき論と実体を混同して語っている所があるわけです。

べき論がいくら正しくとも、実体からかけ離れてしまえば、それは単なる願望でしかありません。平和とか戦争反対というのは願望で終わってしまってもらっては困るわけで、実体に影響を及ぼせなければ意味がありません。

その実体に及ぼす影響力が段々薄れているという事に向き合わないと、なんか日本の方向性がどんどん変な方向へ向かっている気がするのです。

そして、何でこういうべき論が投資だけではなくて様々な分野で幅をきかせるのかというと、そういう、べき論を信じている人口が多ければ多い程、得になる連中がいるからです。

べき論というか理念としては正しい事を、我々が賢明でありさえすればそういう方向へ進めるのかもしれませんが、世の中には賢明でない人も沢山いるわけで、それがまあ普通の凡人だと言える。べき論を利用する人も当然いますので、その事を鵜呑みにすると痛い目に合う事もしばしば。そして賢明であったとしても間違える事は有り得るわけで、全員が賢明になっても正しい方向に進めない可能性がある。

理想が正しいとしても、中国に怯えたり、北朝鮮に吹き上がったり、韓国にムカついたり、反日売国奴と誰かを名指ししてメッタクソにけなしたり、アイツは在日だと指をさしたり、テロとの戦争を本気にしてしまう人だったり、メディアの言っている事を鵜呑みにする人とか、犯罪が起こると結審したわけでもないのに犯罪者と決めつけてしまう人だったり、とっとと死刑にしろと吹き上がる人だったり、麻生を本気で支持している人だったりと、世の中には賢明ではない人も沢山いるわけで、欲望に支配されて自分をコントロール出来なかったり、他人を羨ましがったり、優越感に浸ってみたり、レイヤーを変えて行けば賢明じゃない人の方がむしろ多いかもしれません。それが普通の状態かもしれない。

特に日本では民度の低さも絶望的ですし、市民性の成熟なんて話は遠い彼方、人の話さえ聞かない人がいっぱいいるわけで、そういう状態で理念を掲げて正論を言っても、全く効果がない。

そういう人達もひっくるめて、いかに語りかけるか?どうすれば理想に近付けるのかという方法論を、理想とかべき論そのものでは示す事が出来ない。欲望を悪と、賢明でない事をダメな事だと言うだけではどうにもならない。

つづく!!