前回の続きです。

彼がサイパンで拘束された時にも、自殺が伝えられた後にも、真実を明らかにとか、真実は闇の中にとか、本当に無実であったのなら戦ってほしかったとか、あまりにも無神経な物言いを言う人がいました。本当の問題点には一切合切スルーして、被害者感情に寄り添い、正しいことを言っているつもりになっている。

長い年月をかけて裁判で戦って、やっと無罪を勝ち取って、晴れて自由になったと思ったら、今度はアメリカで拘束される。そして真実を明らかにとか、本当に無実なら戦えとか言われる。

また長い年月を戦って、今度はアメリカですので共謀罪も駆使してくるでしょうから、少なくとも日本でも殴打事件は有罪だったわけです。そういう意味では有罪は逃れる事は出来なかったでしょう。それにカリフォルニア州では最高刑で死刑もありますから、最悪の場合を考えると絶望したくもなる。

あげく日本政府は知らん顔、国民もどうせやってんだろという感じ、メディアは鬼の首でも取ったかのようにロス事件のリベンジと目をキラキラさせている。同じ日本人から殆ど援護射撃がないどころか、崖にかかった手を踏みつぶして奈落の底に突き落とすかのような雰囲気、これでは自殺だってしたくなる。希望もクソもない。

日本は法治国家であり、裁判で無罪を勝ち取ってその上どうやって真実を明らかにすればいいと言うのか?最高裁まで戦った人間にまだ無実を証明しろと言うのか?

彼を何によって裁くのか?何によって有罪無罪を決めるのか?と言えばルールがそれを担保するわけで、ルールで裁いて無実を勝ち取り、罪を償った人間を、この上何で裁き、どうやって無実を証明しろというのか?

これは日本のルールで無実だっただけの話で、アメリカのルールで裁く権利もあるのだと彼に言うのか?

日本が属人主義を主張したという出発点に問題点があったとしても、三浦氏個人には何の関係もない事です。これではいったん怪しいというレッテルが貼られてしまえば、もう人権もない、法律も関係ない、無限地獄でOKだお前に人間の資格は無いと言っているのと同じです。

それでもやっぱり、だって彼は怪しいじゃねえか、実際に殺された人や残された家族は絶対納得いかないだろうし。という所にどうしても引っかかる人がいるのだろうと思います。ルール的には無罪だと言っても納得いかねえよって感じかもしれません。

しかし何によって彼を裁くのかと言えば、主観的にみて悪そうに見えるから有罪ってわけにも行かないわけで、ルールで取り締まる以外ない。ルールは人が作ったものですから、キチンとルールが機能していなければ、その裁きにも正当性が無くなってしまう。だからデュープロセス、適正手続きに基づいているかどうか、ここをないがしろにするわけには行かないのです。法治国家の前提条件が崩れてしまう。

それにハッキリ言ってしまえば彼が怪しいのではないかとか、本当はやっているんじゃねえかというのは関係ない。本当はやっていたとしてもです。それが法治国家のルールだからです。

個人的に言えば自分も日本のメディアを通して、この事件をロス疑惑からの流れを見ていますから、疑わしいとは思っています。だけどそういう事とキチンとデュープロセスに基づいた法律を執行するという事は全く別次元の話で関係ない事です。怪しければルールは関係ないのであれば、法律なんてあってないようなもの。意味ありません。

刑事裁判というのは被告が無罪を立証する場ではない。無罪というのは立証出来ません。疑い出せばいくらでも疑う事が出来てしまいます。所謂、悪魔の証明というやつです。

それにそもそも被告を裁く場でもない。原告側、つまり国家権力側のあったという証拠を吟味する場であるわけです。真偽を問うのは原告の証拠であり、被告の無罪の真偽ではない。その結果として被告が裁かれる事があるというだけの話です。

仮に心証で99%有罪だとしても、原告の証拠に僅かでも疑いが残れば無罪、これが近代裁判の鉄則です。日本は全然そうなっていない。

さらに重要なのは裁判で真実を明らかにするという言い方がありますが、裁判は真実の究明の場でもない。裁判官が真実だと思える事を主観的に判断する場です。

なので怪しいと思うのは自由ですが、それと適正手続きに基づいた法の執行は別問題であるのが法治国家のルールです。そこの所をスプリッティング出来ないとルールの恣意性を許す事となり、結果としてもっと悲惨な状況を招きかねません。というか悲惨な状況に今の日本は置かれているわけです。

この問題は根深いので少し遠回りをします

例えば自分は大っ嫌いですが前法務大臣であった鳩山というくるくるパーがいます。あのバカは死刑制度についてベルトコンベアー論者であり、実際に彼のもとではがんがん死刑が執行されました。それに対して、人権派とかが反発し、朝日新聞なんかも彼を評して死神とか言ってたりした。

自分は死刑には人道の観点からとかではなくて、現在の国家権力の恣意性のままこの制度を維持して行く事は危険だという事と、プラス人間には絶対は有り得ない、間違える可能性があり得るという事で、死刑制度は合理的ではないという意味で反対です。

それに世論の8割が死刑に賛成という状態も、それが何を意味するのか情報開示されているのならまだしも、明らかに情報操作されコントロールされた帰結なわけで、無能な権力のブタ共にこんな権利を持たせたままでは、なんとかに刃物状態です。殺す事を国家権力のブタ共が正当化するというだけでも危険極まりない。

しかしルール主義という観点からすれば、法務大臣なんだから当然死刑を執行するのも仕事なわけで、かつて後藤田正晴が法相の際、3年4ヶ月の死刑のモラトリアムを、死刑に対する疑義はそれはそれとしてルールはルールだという事で死刑を再開した事と同じで、死刑制度に反対だからルールは守りませんというのも、それはそれで本当は問題です。

鳩山の死刑のベルトコンベアー論というのもバカ扱いされましたが、恣意性を挟まないで死刑を一定のルールに基づいて行なって行くというのは、考え方としては間違ってはいない。死刑制度に何らかの行政権力の意志を差し挟む為に恣意的に利用する事を避けるには、死刑には反対ですが死刑制度を維持する以上、絶対必要不可欠な考え方です。

彼になってから死刑執行の数が異例のスピードで増えたという事が実際にあるので、彼の問題点を死刑廃止論者が感じるのはわかります。法律的には半年以内で死刑を執行するという事になっていますが、平均すると死刑の執行までに7年6ヶ月、半年以内というのは事実上難しいので、後付け的ですが法的拘束力の無い訓示規定という判例もありますし、回復不能の罰という事を考えれば殺してしまえば取り返しがつきませんから、何らかの新証拠が出て来て再審という事も有り得ます。

なので7年から8年というのはそれなりに合理的な期間であるとも言える。ある意味、死刑制度を維持して来た積み重ねの中で暗黙の合理的なルールとも言えます。

だからそういう意味で最近の死刑の乱発に疑義を呈するのは理解出来ますが、その事とルールをルールとしてどう考えるのかというのは別の問題で、ピーチクパーチク喚いている死刑反対の人権派が、鳩山のアホの言っている事が何もかも憎いというのは、そういうスプリッティングが出来ていない。どっかの知事みたいですが、こういう構造が全体的にこの国を覆っています。

現に秋葉原での事件の後、宮崎勤が死刑執行されました。これは神戸の連続児童殺傷事件の際に、永山則夫の刑が執行されたのと同様に、明らかに行政権力の民意に媚びた意志を感じざるを得ません。ポピュリズムが垣間見える。ポピュリズムに媚びるのは行政権力に対する風当たりが強い現在、彼らの生き残り戦略でもある。

例えそういう意図が無いとしても、現状の恣意性のままではそういう疑いを持たれるのは避けられない。宮崎の刑の執行は、刑の確定から2年4ヶ月という、死刑の執行まで平均で7年から8年という事を考えれば異例の早さです。最近はそういうのが増えている。人を一人殺すのにそういう恣意的な都合で利用するのはマズい。

宮崎はどう考えても死刑に値するから時間をかけるだけ無駄だ的な物言いが必ず出て来ます。言いたい事はわかりますが、これは制度の問題で国家権力というリヴァイアサンを危険がないように運用する為には、抜け道を許してしまえば必ずそこに恣意性が生まれ恣意性を許せばそれが権益になる。だから今の日本はこんな状態になっているわけです。行政権力のやりたい放題、沈没しかかっている。これは権力の恣意的な運用を我々が許しているからでもある。

死刑に反対するのもわかります。自分も死刑には反対ですから。しかし現に死刑制度はあるわけで、死刑は執行されているわけです。反対を唱えて何も変わらない状況が続いているわけで、権力の恣意性も事実上やりたい放題なわけです。

とりあえず死刑制度を維持するのなら、まず恣意性をどうにかしろというのは死刑に賛成するわけではないし、すぐに実行不可能な要求を突き付けて吹き上がって何も変わらないのは最悪です。現状を少しでもマシな制度にするのは、死刑反対とは別のレイヤーの話として現実的な現状のルールの恣意性の排除という事で言えば重要な論点です。死刑存置論者も廃止論者も殆どがこういう基本的な視点がありません。その事が大きな問題です。

もう一つ、民主党の小沢がアメリカ中心主義から、国連中心主義に軸足を移すというような事を言いました。これに与党のゴミ共が噛み付くわけです。アメリカとの同盟関係をどうするんだ!!国連というのは機能していないのに、それに言われたら出て行くというのは問題だ!!云々、バカバカしい。

小沢の本当の意図は知りませんが、せめて話くらい聞けよって感じです。数学がわからないのでしょう。小沢は必要条件であると言っているだけで、十分条件であるとは言ってません。国連が腐っていて機能していないなんて話はバカでも知っている話で、アメリカとの関係を無視するとも言っていない。

アメリカに言われたら無原則、オートマティックに出て行くのではなくて、キチンと国連で正当性を調達したものに関して、日本が主体的に行くか行かないかを決めましょうと言っているだけです。国連決議があれば絶対に出て行って戦争の片棒を担ぐとは一言も言っていない。

裏を読み取るにしてもまず表を聞いてないのだから話にならない。ようするにアメリカには逆らえないからという理由で無原則に出すのではなくて、紛争地域の問題の解決の為に出来る事を国連決議と言う原則に則って主体的に判断しようと言っている。

与党は野党の危うさというレッテルを貼りたいわけだから、まあバカなのでしょうけれど、反対するのは分からない話ではありませんが、戦争反対、憲法9条護持と神棚に祭り上げている勢力も、国連決議を原則にして主体的に決めるとなると、すぐに戦争がおっぱじまるかのような勘違いをしている。話を聞いていません。

現に無原則でアメリカに言われたらガソリンスタンドとは言いながらすでに戦争に加担している現実を無視している。イラクには派兵したわけです。

ここから脱却するにはただ反対というのでは国際的な世論をバックにつけるという事は難しいわけで、アメリカだって黙ってはいないでしょう。国連の決定を必要条件にするというのは、アメリカ依存から脱却する為の方便としては有効なタクティクスでもある。

アメリカの暴走に加担するのではなくて、一定の歯止めとしてプレゼンスを示すのにも有効です。同盟国家がそういう立ち位置を表明するという事は長期的にみればアメリカにだって有効なリソースになり得る。

それにアフガンなんかで今一番重要な事は戦争を終結させる事で、戦争に加担する事ではない。その為には日本はペシャワール会などの頑張りもあって非常に有利なリソースがあった。

小泉政権の際、川口というバカが外務大臣だった時に、何の事かわからずに厄介な北部同盟の武装解除の貧乏くじを引いてしまった。

しかし日本は武力をちらつかせてアフガンに接しないという事と、戦争を背景にして経済復興を遂げた国ではないという事(これはアメリカの属国であるからで勘違いなのですが)、にもかかわらずアメリカと肩を並べる屈指の経済大国となったという事、比較的中立であるという美しき誤解があった。だからどこの国でも絶対に不可能だと言われていた北部同盟の武装解除が上手く行った。

それが上手く行きすぎて軍事的な空白を生み出し、現状の混乱を招いているわけですが(これは最初からわかっていた事なのですが、ブッシュの再選の為に無理矢理武装解除を早めて、アフガンを復興させたのだという旗を立てたかったというのが理由です)、最初のアフガン復興会議だって日本でやったわけです。

そういう事を急速に失ってしまっている。理由は安倍のバカが給油延長の際、アメリカのケツを舐める為にドメスティックな問題を外国まで行ってオーストラリアで大騒ぎをした事、これによって逆に日本がアメリカの軍事作戦に参加しているという事を知らなかった世界にも、アフガン国民にも日本もアメリカの手先であるという事を宣伝してしまった(ペシャーワル会の問題は単なる強盗の類いの犯行かもしれませんが、これ以後日本人が被害に会う日が来るという事は想定内でもあった。テロの標的に合う事も可能性としてあり得る。日本人程標的にしやすい危機管理の無い国もありませんから。安倍のバカの罪は重い)。日本が培って来た美しき誤解を急速に一瞬で食い潰してしまった。

国際的に評価が高いとかほざいているバカがいっぱいいますが、国際的とはどこの事だ?って感じです。カルザイやムシャラフでさえ日本の海上活動は知らなかったわけです。そもそも給油法の根拠となるアフガンに海はありません。

何の為の海上活動かと言えば、紛争地域の問題解決ではないのは明らかで、単にアメリカのケツを舐めるという所行に過ぎません。しかもアフガンの掃討作戦が始まった当時はそれなりに意義もあったのですが、現在ではその必要性も殆ど無くなっている。アメリカが出せというのは、単に高い金で石油が売れて、それをただで給油出来るからに他ならない。

人が犠牲にならないような活動が重要だと言うのはわかりますが、だからガソリンスタンドという何の正統性もなければ役にも立たない恥知らずな行いでいいと言う理由にはなりません。

アフガンの復興、国際貢献というのが、単なるお題目となって形骸化し、今の日本の現実的な政策として出来る範囲で何かを行なう、という部分だけが手段が目的化し、政治家の保身、役人の権益となって、何の為のガソリンスタンドかという肝腎要の部分が吹っ飛んでいる。現実主義と言う名の堕落が起こる。

そして現に戦争に加担しているという現実を無視して、きれいごとの理想論者達は出来もしない理想を掲げ、紛争地域では人が次々と死に絶望が渦巻いているという事をみていない。アメリカのやり口は気に食わないとは思いますが、アメリカに逆らって別の道に進むという方向性では、必ずアメリカに釘を刺されますから、現時点のこの国の体制から考えれば非常に困難であるとも言える。

だからアメリカの逆鱗に触れないように納得させなければ難しい。その為の方便として国連を持ち出すのは戦術としては有効です。紛争地域をどうにかしたいと思えばこそ、アメリカの欺瞞に怒りを感じればこそ、目的の為の手段として、アメリカ依存から脱却する為に何でも利用するくらいの戦略が無ければ、きれい事を言うだけでは何も変わらない。

ここの所が現実主義者にしろ、理想主義者にしろ、この国に蔓延っている「平和主義者」達はわかっていない。彼らが言っている平和主義は、傲慢な日本一国だけよければ知ったこっちゃない平和主義です。アフガンなんて知ったこっちゃないと言うのならちゃんとそう言えよって感じです。そっちの方が共感は出来ませんが、美辞麗句で誤摩化さない分だけよっぽどマシです。

給油法のエビデンスとなっているOEFでは凄まじいコラテラルダメージを引き起こし続け、アフガン国民からの反感も沸騰しています。アメリカとそれに属する諸国はどんどん不人気になっている。

もはやカブールのすぐ側までタリバンが復活している。泥沼の様相を呈しているわけです。それはタリバンが前線基地を作って、包囲しているとかそういう事ではない。タリバンとはムーブメントなので日常生活に入ってくる。

タリバンというのはこれだけ世界各国がコミットしても統治出来ないアフガンを、一時期統治していた凄まじい統治能力を持っています。統治していただけではなく支持もされていた。麻薬の栽培だって実質ほぼゼロにしていた。現在アフガニスタンにおけるヘロインの原料であるアヘンの生産量は全世界の9割以上を占めています。タリバンの影響力がどれくらい凄まじいかがわかります。恐怖政治で脅すだけでは、これほどの統治は出来ません。人気もあるわけです。

例えば村でとんでもない極悪人が出る。住民が困って警察に頼む、警察は何もしないどころか裏で賄賂まで取っていたりする。しかしタリバンの大物に話を持って行けば、睨みをきかせてくれて効果覿面。そうしたらどちらに心が傾くのか言うまでもない。あまりにも現政権が腐敗しているので、タリバンを支持する人の輪が首都に迫っている、つまり国家の威信よりも、タリバンの人気の方が上回っている。

アフガンにおける解決の糸口はタリバンと和解するしかない。元の軍閥上がりの腐敗した警察部隊、武装解除した軍閥達、マフィアの親分達が民主選挙によって政治家になっちゃっている。アフガンは形は民主制になってしまっている主権国家なのでおいそれと内政干渉が出来難い、何しろそれを主導して作り上げたのがアメリカであるからです。

仮に多国籍軍が撤退すればカルザイ政権は5分ともたないと言われています。このどうにもならない泥沼状態にアメリカのケツを追いかけて参戦する事の意味のなさ。こういう事がわかっていても相も変わらずテロ特は必要だ!国際的に評価されている!!といった感じのバカが多い。

もちろん小沢がISAFに出せるかのような事を言ったのは全くのお門違いで、そんな事が重要なわけでもないのですが、アメリカのケツを追いかける状況は、まず何らかの理由を作って脱却しないと次の手も打てない。

本当に重要なのは軍隊を送る事ではなくて、和平への道筋の為に間に入り出口戦略の道を付ける事です。少なくともガソリンスタンドをする事ではない。もちろん簡単な話ではないに決まってますが、それが出来るリソースが日本にはあった。

まだかろうじてアフガンでも日本に対する美しき誤解が残っているので、戦争に加担する事ではない日本に出来る事はあります。というか日本にしか出来ないと言ってもいいかもしれない。そしてそれは日本の国益にもなるし、アメリカだってヨーロッパ諸国だって本当はアフガンのどうにもならなさに困っているわけです。国際的な信用を得るにも非常に重要な話です。

これも現実の問題と理想の問題を一緒くたにしている人がいっぱいいる事の弊害でもある。

話がそれすぎました、つづく!!