少し前に三浦和義氏が亡くなりました、自殺したという話ですが、まさか亡くなるとは思いませんでしたので、この問題はあまりキチンと取り上げませんでした。

今更書いても無意味かもしれませんが、この問題は、我々日本人の大きな問題点を映し出しています。彼が本当に自殺だったのか?という疑惑について取り沙汰されていますが、そういう事は全くわかりません。それに興味もありません。

そして彼が本当はクロだったのか?それともシロだったのか?という事にも全く興味がありません。そういう事じゃなくて、今回の経緯にいたるプロセスに、大きな問題点を残しています。今日はそのへんを突っ込んで行こうと思います。

それではおっぱじめます。

まず原則として一事不再理というのがあります。同じ罪で二度裁いてはならないという事です。これは法治国家の原理原則であって、ここを踏み越えてしまえば、いくらでも有罪になるまで個人を裁き続けるという事が可能になってしまいます。

つまりどんなに裁判で無罪を勝ち取ったとしても、どうせやってるんだろ、というスティグマが張り付いてしまえば、延々と有罪になるまで裁き続けるという事が可能になってしまう、必ず有罪に持ち込める事になってしまいます。

だったら有罪か無罪かを問う裁判制度自体が無意味になりかねず、推定無罪原則も疑わしきは被告人の利益にも、すべて捨て去ってしまう事に直結します。

特に日本では有罪率が99.998%、検察が睨んだらほぼ間違いなく有罪に持ち込める。しかも推定無罪原則も疑わしきは被告人の利益にも全く機能しておらず、捕まった時点で(というか特定の事件に至っては捕まる前から)、ほぼ有罪として取り扱われる事に何ら違和感を覚えない人が大半であり、殆どチェックが働いているとは言い難い状況です。

この状態で5万人に一人の割合で仮に無罪を勝ち取っても、なんだかんだと理由をつけて一事不再理が無視されてしまえば、いったん罪人とレッテルを貼られてしまえば絶対に有罪にまで持ち込める国になってしまう。そしたらもう法治国家とは言えません。暗黒裁判国家となる。

というか三権分立が事実上お題目であって、システム的に二権分立であるこの国ではそもそも司法が非常に重要な牽制の役割を握っています。にもかかわらず国家のケツ舐め判決しか殆ど出ないわけですから、この有罪率の時点で暗黒裁判国家とも言えます。

国民もこういう暗黒状態をキチンとチェックしようとする弁護士を、むしろ統治権力の奴隷となって批判に勤しむような国なわけですから。

先日橋下知事が光市弁護団に訴えられた一審の判決が出ました。個人的には大爆笑の判決だったわけで、橋下の弁護士としての適正まで不適格であるかのような判決でした。橋下は知事の期間中に傷つきたくないという事なんでしょうけれど、ここまでボロクソに負けたにも関わらず控訴したわけですが、こういう事が軽く報道されるだけで、橋下の問題点は殆ど啓蒙されません。

(誤解されたくないので書いておきますが、橋下が知事として不適格かどうかは自分にはわかりませんし、興味もありません。大阪の人が決めればいい事です。頑張って下さいとしか言いようがありません。しかし弁護士と言う肩書きを背負ってメディアに出るからには、それ相応の最低限の常識というものがあります。そういう意味で全く常識を欠いた人間であると思います。おふざけをするのも結構ですし、下らんバラエティに出るのも勝手に出ればいい、時事ネタに吹き上がりたければ勝手にやればいい、そういう事は何とも思いませんが、その中で発言する事には、やはり限度というものがある。やっていい事と悪い事があり物事には程度というものがあるわけです。圧倒的な動員力を利用出来るという事と、弁護士であるという事を忘れてもらっては困るってもんです。忘れているのか、単にバカでわからないのかは知りませんが、まさか弁護士なんだからわからないわけでもあるまいし。彼は何となく人権派全体に対してある意味での怒りを感じてらっしゃるようにも見受けられます。そこはある部分では理解出来ないわけじゃありませんが、個別のケースをそういった紋切り型で切ってしまうのは危険です。人権派のタクティクスが気に食わないとしても、それと光市弁護団の言っている事をキチンと聞くという事は別です。気に食わないから聞かないというのでは話にならない。このネタは書き出すと一本書けそうなので話を戻します)

その上、一事不再理が踏み越えられてしまう事を許してしまえば、これはもう暗黒裁判国家を通り越してます。目を付けられたらお終い地獄行きって事です。

今回はアメリカで裁かれるという事と、罪状が違うという事で、何となくしょうがないか的な雰囲気があり、彼が怪しいという事を多くの人が思っているという事もあって、この問題について予想以上に全く触れられる事がありませんでした。相変わらずこの国の体質は困った所があります。

当初アメリカで三浦氏が拘束されたという話を聞いた時には、あんまり事件自体に興味が無いという事もあったのですが、外国であるという事で一事不再理の問題が微妙だとは思うものの、いくら何でも主権国家の一市民をかっさらわれているわけですから、もう少し反応があるのかと思いました。ようするに日本の主権、一事不再理が侵害されているわけですから。

北朝鮮の拉致問題で主権が侵害されたと吹き上がっている国民がこれだけいて、メディアも国民感情に火をつけまくったわけです。結果的に北朝鮮問題では手詰まりにいたりましたが、これだけ盲目的な思考停止で、情緒的に解決の為の合理的な道を踏み外すまで大騒ぎ出来るのだから、今回の三浦氏の問題も明らかに主権の侵害です、主権を侵害されたという意味においては構造は要するに同じようなもんです。にもかかわらず殆ど問題意識が無い。

北朝鮮にはあれだけ吹き上がれるのに、アメリカには全く何も言えない。アメリカの奴隷国家のままでいる事を受け入れている現状で、主権もクソもないと常日頃から個人的には思っていますが、これだけ堂々と国家権力もメディアも国民もスルーするというのはいくら何でも酷過ぎると思います。そりゃないぜセニョリータって感じです。

それどころか、やっぱりやってやがったな的な反応が殆どで、メディアなどはリベンジよろしく、今度こそ三浦氏を血祭りに上げようという事なんでしょうけれど、こういう問題点には全く光を当てない。被害者感情を垂れ流し、もう一度裁かれるのが当然だというような空気まで出来てしまっていた。彼は万引きをして捕まったりしていますので、確かにイメージが悪いのはわかるのですが、万引きと殺人罪には何の因果関係もありません。

彼が拘束されたとき、バカメディアはわざわざサイパンまで行ってこういう問題点に殆ど触れる事もなくスルーのまま、新証拠云々の話なんかしている。新証拠があるとか無いとかの問題じゃない。しまいには彼が捕まる時に着ていたオレンジ色のつなぎの売っている店を探して来て、それを店員に着てもらってどれくらい目立つかなんて報道をしている。バカを通り越しています。

彼が本当のところはどうだったのかというのはわかりませんが、そういう事は問題じゃないのです。最高裁まで行って殺人罪では無罪、殴打事件での罪はすでに懲役を終えて罪は償っている。彼の事件は決着がついている。なので彼は日本の法的に言えば十分裁かれましたし、国家がロス疑惑で彼を裁く権利はすでに無い。

アメリカに新証拠があろうが無かろうが、日本としてはこれに断固抗議するのが普通であって、主権国家としては断固取り返すのが当たり前です。にもかかわらず殆ど政治家も何も言わない。かろうじて時の外務大臣だった高村が違和感を表明したくらいで、違和感はあるけれど実質認めている。法務大臣などは単なるバカでしたから語るまでもない。

アメリカは共謀罪がありますので、共謀罪では裁かれていない、みたいな話が出て来たりしました。日本でも殴打事件は有罪になったわけですから、共謀罪を適用すれば間違いなくぶち込めるのでしょう。

しかし同じ事件に対して、違う罪状なら裁けるのだとすれば、そんな事を言ったら、世界共通の法律があるわけではないので、国が違えば法律が違うのも当たり前ですから、異なる国と国が重なり合った所では一事不再理が無視されてしまうという問題を引き起こしてしまいます。

挙げ句の果てに殺人罪でも裁けると来たもんです。カリフォルニア州では重罪事件については一事不再理を問わないという法律があります。これはロス疑惑が起こった後に出来た法律で、日本の最高裁で結審する前だという事を根拠にして可能だという事になっている。

しかし共謀罪では裁かれていなかろうが、殺人罪には一事不再理が適応されなかろうが、日本の法律ではすでに裁いており、明らかに三浦氏は同じ事件で二度裁かれる事になるわけですし、日本の視点から見ても明らかに一事不再理が無視されているわけだから、日本政府としては、当然主権を主張するのなら抗議して当たり前の話です。にもかかわらず全く音無の構えであり、メディアも殆ど問題にしない。

終いには自殺じゃなくて他殺だったとか、なんか話が別の方向に行ってしまっている。バカメディアもこういった大きな問題点にはスルーでも、スキャンダラスなニオイのする話は国民も大好物であるという事もあって飛びついている。死人に口無しという事で、メディアにとっても三浦氏の死はどちらかと言えばありがたい話なのかもしれません。

確かに他殺であるのなら、これは問題でしょうし、事実を突き止める事は重要でしょう。だけどそんな事以前の段階で、日本人全ての無関心によって彼をあの境遇に追い込んでいる。バカメディアの恣意的な情報操作によって問題点が見えていない。他殺だろうが自殺だろうが関係ありません。彼をあの境遇に追い込んだのは我々日本人全ての責任です。

勘違いをされると困るので書いておきますが、自分はアメリカが悪いとか言っているわけではありません。アメリカはアメリカの法律に基づいて法を執行しているに過ぎない。強引だと思うのは日本からみるからで、アメリカの言い分はそれはそれとして筋が通っている。

問題は日本政府が全くこの問題に関心を示さないというか知らん顔をしているという事と、そういう問題点を一切スルーして、他殺か?自殺か?なんてやっているアホメディア、それとバカメディアに煽られて、彼がたとえやっていたとしても、日本の法律的にはもう終わっていなければならない事件であるという事を論理的に考える事が出来ない国民性に問題があると思っているだけです。

そもそもこの事件、事の発端は国際的にはどこの国も原則として属地主義の立場を取る国が殆どであるにもかかわらず、日本が属人主義を通して、半ば無理矢理日本で裁いたところに問題がある。日本は常に属人主義を主張しているわけでもないにも関わらず、マスコミの暴走、世論の沸騰、俗情に媚びた行政権力の権益増大を狙った恣意的な適応でもあった。

これだけの有罪率を誇る国でありながら、結果的に殺人罪では有罪に持ち込めなかったという事は、相当強引に裁こうとしたわけです。最初から属地主義としてアメリカで裁いていればこんな問題にはならなかった。有罪になったか無罪だったかはわかりませんが、今回のようなケースにはならなかったはずです。

アメリカは属地主義の立場で裁いていないのだから、今回彼を裁こうとするのはルールに重きを置く国ですから当然と言えば当然です。アメリカにいなければ時効停止期間にカウントされる。

そもそも問題の出発点の時点で、日本の警察権力、そしてバカメディアの暴走によってボタンを掛け違えてしまっている。余計な事をしなければ事は丸く治まっていたかもしれず、余計な手出しをしてしまった。

しかし事ここに至って、三浦氏を裁いてしまったからには、キチンとその後始末もしなければフェアじゃありません。にもかかわらずしらばっくれている。これは取り返しのつかない大問題です。三浦氏は結果的に死んでいるわけですから。

彼は裁判で10年以上戦って、無罪を勝ち取り、有罪になった件に関しては罪を償っています。推定有罪でメディアに徹底的に叩かれて、人間としての尊厳もクソも無い状況に追い込まれた。

かつてメディアはロス疑惑の時に、それこそキチガイじみたお祭り騒ぎを引き起こしました。多くの日本人もワイドショー的なお祭りに熱狂した。こんなどうでもいい話で大騒ぎするのだからよっぽどヒマだったのでしょう。彼が仮に本当はやっていたからと言っても、こういうバカ騒ぎをおこして一人の人間を血祭りに上げた事が免罪されるわけではありません。

加害者の人権ばかりを大切にして被害者の人権云々という言い方が必ず出て来て、それに乗せられている人がいっぱいいます。

これは全然わきまえていない話で人権を大切にするという事に関して、加害者も被害者も関係ない。どんなにぶち殺したくなるような罪を犯したとしても、個人的に感情的にはそりゃムカつきますし、ムカつく人がいるのも被害者家族が怒り狂うのも気持ちはわかりますが、だからと言ってその人権を国家がないがしろにしていい理由にはならない。それでは法治国家とは言えません。

被害者の人権がないがしろにされていると喚くのは構わないと思います。実際にそうであればこれは問題です。それに実際ないがしろにしているような所もありますし、これまでの日本の司法は被害者、もしくはその家族の感情的な救済措置をあまりにも無視しすぎていた所がある。だからその問題にコミットするのは重要な事だと思います。

しかしだから加害者の人権が無視されて構わないという理由にはならないし、被害者(家族)の人権を無視するなという問題と、人権は加害者であろうが被害者であろうが国家権力がないがしろにするのはマズいという問題は別の話です。

そもそも罪を認めているのならまだわかりますが、裁判で有罪が確定するまでは加害者は存在しません。容疑者がいるというだけで、結審して有罪になるまでは無罪として取り扱わねばならず、有罪になって初めて加害者となるわけです。そして加害者になったからと言って、その人権を無視していいという事も無い。

つづく!!