前回の続きです。
沖縄密約事件で有名な西山太吉事件なんかも典型で、最高裁まで行って結局負けちゃったのですが、今度は切り口を変えて、先日密約の公文書の公開を請求しました。
アメリカの国立公文書館からセキュリティクリアランスが25年経った事によって、当時のアメリカ局長であった吉野と、ジョセフ・スナイダー全権大使のサインの入ったアメリカ側の公文書が公開されています。
つまり密約の存在を明記した、沖縄返還に当たって、本当はアメリカが出す事になっていた金を日本が肩代わりした、ようは日本が国民に秘密にして金で解決したという事を黙っていましょうという約束です。しかも、もう吉野はその当時の密約を認めている。
当時の首相であった佐藤栄作はノーベル平和賞なんて貰ってますが、彼の花道の為に、当時の大蔵大臣であった福田赳夫と結託して、国民の税金をネコババして、これをやったわけです。
その事を記してある公文書が日本側にもあるはずだから、それを開示しろと請求したわけです。西山が見た公文書はもちろん日本側の公文書です。
結果どうなったかと言うと、密約の存在には全く触れず、対象文章の不存在による不開示、ようするに無くなっちゃったからありませんと言う話で決着をつけようとしている。
密約を否定してしまうと、アメリカを否定した事になるわけだから、そこには全く触れる事もなく、見つからないのでありませんというわけです。ふざけてるを通り越してます。
本当に無いのだとすれば、公文書管理の杜撰さを露呈した事になるし、まあ多分隠しているわけでしょうから、国民に嘘をつき続けているわけです。
アメリカでは現にそういう文章が存在しているのだから、密約はあるわけです。にもかかわらず、当時メディアは統治権力のケツを舐めて西山を血祭りに上げた事もあってメディアも殆どスルーだし、政治家もしらばっくれている。
沖縄問題の全ての出発点もここにある。だからわけのわかんない思いやり予算も踏んだくられている構造がある。マルチラテラルな外交の枠組みを構築出来ず、アメリカ依存、アメリカありきの外交政策を取らざるを得ない弱みもここに起因する。
北朝鮮の脅威とか中国の脅威なんてのは、単なる言い訳に過ぎず、本当の理由はここにある。ようするに弱みを握られてしまった事を、延々と隠蔽する為に、国民に負担を強いているわけです。
その事で更に弱みが膨らんで、更にそれを隠蔽しているので、益々突っ込まれるという連鎖が繰り返されている。
アメリカからの要求、年次改革要望書のようなものをはねつける事が出来ない理由も、国際貢献と言う名のアメリカ貢献、テロとの戦いとか言って、アメリカの奴隷にならざるを得ない構造だって出発点はここにある。
政治家と役人が結託して犯罪を犯しているわけだから、政権交代をしてこれを表沙汰に出来れば、自民党の息の根を完全に止める事も出来る。だから政権を手放したくないという帰結につながるわけです。こういう事が山ほどある。西山事件なんてのは氷山の一角です。
アメリカはケネディの事件は75年になっていますが、普通は25年経てば後からそれが適切だったかどうか検証する事が出来る。日本はそれが全く出来ない。
政治的決定で密約を結んだ方が国益になるという事は有り得ますので、密約を結ぶという問題点よりも、それを隠蔽し続けるという事が大きな問題で、後から検証して学べるかどうかの違いは決定的です。
そのせいで嘘で嘘を塗り固めていかねばならない状況に陥ってしまい、それがどんどん膨らんでいって、外交の際にもヴァルネラビリティになってしまっている。弱みを握られている。
ドメスティックな問題から見ても、与党政治家と役人が弱みを握り合っている。もう情報公開なんてやってしまえば、統治権力の根底から否定する事になりかねないインチキ構造で身動きがとれなくなってしまっている。
根本から腐っているわけです。だから役人に甘くなる。政治家と役人の手に手を携えた一蓮托生の癒着関係のおかげで、国が沈没しかねない状況にまでなっている。全くいい加減にしやがれって感じです。
こういう問題の首謀者であった福田赳夫の息子が堂々と総理大臣をやったり、佐藤栄作にしたって安倍の爺さんである岸信介は実兄であり、麻生の爺さんである吉田茂とは姻戚関係にある。
これでは三権分立どころか、二権分立すらしていないこの国では、情報開示なんてされるわけが無い。これがこの国の構造です。どこまで腐っていれば気が済むのかって感じです。こういう構造に楔を打ち込む事が出来るのは投票だけです。
薬害の問題、年金問題等を例に出すまでもなく、あらゆるところに隠蔽体質が溢れかえっている。例えば外国と交渉をする。その中身をチェックしようとすると、役人が遮断する。内容が高度な政治的問題であるから、メモを取らなかったなんて言う言い訳が出てくる。
こんな事は有り得ない絶対にやっちゃマズい事です。しかもメモを取らなかったのは後から言ってももうどうにもならないので、せめて口頭で内容をさわりだけでもいいから開示してくれと要求すると、今度はメモが無いからわからないと来るわけです。
公文書を無くしちゃったという言い訳が通って、誰も責任を取らないわけですから、役人の権限で好き勝手に情報を取捨選択出来るという事になります。都合の悪い情報は隠蔽し極端な話、廃棄してしまえばいい事になる。
よく歴史の真実という言葉が世間では踊りますが、こういう状態を放置しておいて真実もクソも無い、後から歴史の書き換えが出来る、いくらでも改竄が可能な状況なわけで、実際に改竄が溢れかえっている。
全くチェックが働かない状況で、泥棒が泥棒をするかどうか判断しているわけですから、お寒い状況で話にならない。
歴史の真実という言葉は正直自分は大嫌いです。歴史なんてもんは所詮誰かがある時点から過去を振り返って書いたものですから。この国で歴史の真実とか騒いでいるたわけは、誰かが引いた恣意的な線をネグレクトして言っている。どんなに客観的であると主張したって、誰かの視点からの解釈であり結局のところ後付けでしかないわけです。
しかし今の日本の状況ではそういうレベル否定するような状態じゃないわけです。解釈する前に改竄されてしまえばどうにもならない。
歴史というのは未来に大きな影響を及ぼすもので、それによって人と人が殺し合いまでするものです。にもかかわらずこういう状況を放置するという事は将来への莫大な負債になりかねない。
こういう構造をどうにかするには、物理的に政官の癒着を断ち切る政権交代しか方法が無い。小沢が腹黒いので信用出来ないとか言っている人は、こういう構造と秤にかけてよくよく考えてもらいたいもんだと思うわけです。
小沢ももちろん民主党も他の野党も信用は出来ません。しかし現状のこの腐った構造に楔を打ち込む為には政権交代が実際に起こるという事を政治家に突き付けるしかない。それが唯一の方法で、しかも効果的な方法でもあるし、不可能な話でもない。
だいたい政治家を信用出来るとか出来ないとか評価している事自体、ハッキリ言って政治家を何だと思っているのかと不思議に感じます。あんな奴らは基本的に全て信用出来ないこそ泥みたいなもんです。
普通の人間があんな恥知らずな事をしたいとは思わないでしょう。美辞麗句を並べ立て、多くの人を騙して平気な顔をしているわけですから。脆弱な自意識を満足させる為に多数の人間に肯定されないと前に進めないような下らない人間がなるものです。特に偉そうな顔をして悦に入っているような輩はクズ以下、ウジ虫以下です。
権力は頂点で腐敗する。これは法則で例外はありません。自民党だけが薄汚いのではなくて、政治家なんてマキャベリの昔から、自らの手を汚してでも前に進むのが政治なわけで、政治とは汚いものであって、卑しいものであるわけです。同じ人間なんだからそんな大層な事は期待するだけ無駄なのです。
だからこそ、そのこそ泥どもに好き勝手をさせない為に我々が監視する。それが民主制の本義でもある。
そこまで機能して徹底的に政治家をこき使った上でこそ初めて尊敬や感謝も出来るってもんです。その為に税金を払っているわけですから。何をやっているか正確な情報開示も無いのに感謝も尊敬も出来るわけがありません。
与党はようするにこそ泥どもが権力を握ってしまっているわけで、しかもこの国ではチェックが働かない、だからこうなっている。野党だって与党になってノーチェックであればいずれ同じ事でしょう。
例えば最近野党からの突き上げがサンドバック状態の公明党が悲惨な様相を呈しております。個人的には虫酸が走る程嫌いな自分でさえ、若干気の毒だと思ってしまうくらいボロクソに攻撃されている。自民党も正念場であるので、もう公明党の事など構っていられないと、若干見捨てられているような感じになっている。
元々公明党というのは、もっと害のないというか、生活政党と言うか、力も無いけどそんなに変な事も言わない(悪く言えばきれい事に塗れた)政党というイメージがあったわけです。今程の嫌悪感を、一般的に持たれているわけではなかった。
それが権力欲に目がくらんで、建て前的理念をかなぐり捨てて自民党という毒薬を喰らい続けた結果、単なるカルト教団と一蓮托生の困った奴らというイメージしか無くなっている。それが創価学会に対するイメージまでもを奈落の底に突き落としてしまっている。権力を握ってノーチェックでのさばる事によって起きるコラプションのよい例です。
本当の問題は牽制の仕組みを(与党や役人の口車に乗せられて)我々が有効に機能させていない所にある。政治家を聖人君子かなんかと勘違いしてケガレているとか騒いでいる事程バカらしい話はありません。
だいたい情報も開示されていないのに誰々は信用出来るとか信用出来ないとかやっている事がいかにバカバカしいか、そろそろ自覚しないと市民制の成熟も遠い彼方です。政治家も官僚も所詮単なる人間なんですから。
さて、腐りきったこの国の構造問題について長々と書いたわけですが、民主党は要するに野党だから言えるだけで、自民党のような立場になって本当の事が言えるのか?という心配は確かにある。
例えば地方分権の話ひとつにしても三位一体の地方改革の際、税源移譲を渋ったのが大問題であるわけなんですが、民主党案は一括交付金なので税源移譲にはなっていない。
全体的に大雑把に見れば結構筋がいい勘所を持った政策も出ていますが、細かく見ると穴がある事も確かです。なので与党の腐った構造に目を向けるのと同様に、仮に政権交代が起こるのなら、今度は民主党を厳しくチェックしなければならなくなります。
民主党の議員というのは、先日マルチの疑惑が取り沙汰された議員がいましたが、金の問題や女性スキャンダルに対して相当脇の甘い連中がいっぱいいます。その中でも党首である小沢は頭一つ飛び抜けて黒い疑惑が絶えない。
だから人気もないわけですが、政権を仮に取るとなると、細川政権の時のように今度は野党に下った自民党からのスキャンダルに対するバッシングが始まるでしょう。
そうなると潔癖主義的国民性である我々は簡単にそういうものに流される可能性もあるし、もちろんバカメディアは難しい構造問題とかにはノータッチでも、そういう単純な図式になると大騒ぎで祭りが起こるでしょう。
その時に結局バックフラッシュしてサブスタンスは何も無くてお終いと言った感じの、小泉政権的扱い、旧社会党的扱い、新進党的扱いになる可能性もあり得る。実際90年代に政権交代が起こった際、その頃あった政党はことごとく解体しています。
そうなると、また10年くらいは空白の暗黒時代になってしまう可能性もある。景気のお先は真っ暗、政治は空白、役人はやりたい放題、少子化、高齢化では、もう浮上する経路が見当たらなくなってしまう。
まだ浮上出来るうちに何とかしないと、道端で普通に病人が倒れていたり、死体が転がっているような社会にだってなりかねない。
なので、民主制とはお任せでは機能しないのだという事を、そろそろ我々も学ばなければなりませんし、単純なスキャンダルで不正を抱えているような議員が問題だとしても、結局サブスタンスが何も無い状況で終わるという事は避けねばなりません。
バブル後の10年の時のようなバッファはもうこの国には無い。我々が目覚めないと破滅の道を突っ走る事にもなりかねない。つまり政権交代しようが政権交代が起こらなかろうが、今までのようなお任せ民主主義ではこの国のお先は真っ暗だという事です。その為のリテラシーを獲得する必要がある。
自民党の今の体たらくはハッキリ言えば終わってますが、だから自民党的なシステムが全部ダメだったのかと言うと、そんな事は無いわけで、我々はいったん汚れているとスティグマが張り付いたものに対して徹底的に排除し、後からこんなはずじゃなかった的なリソースが何も無いというパターンを繰り返して来ました。
自民党というのは左から右まで実に様々な人材を抱え、恣意的ではあるものの、相当民主的なボトムアップの政策決定のシステムが機能していた。ダーティな部分が見えるので薄汚いイメージがあるにはありますが、むしろ民主的でありすぎるくらいの部分があって、それが政策決定の遅さという大問題はあるものの、様々な立場を包摂して行く妥協案を見いだす為には非常に機能的に働いていた部分もある。
政権交代も起こらないし、国民も無関心なので、与党の中で徹底的に突き詰めて政策を練って行くというプロセスがあった。それが議員の力関係もあり、特定の所に権益が回っているように見えてしまうし、実際にそうだった側面もあったのは事実ですが、良いところもあったわけです。
まあ、もう小泉が壊しちゃったのですが、そういう意味でいえば民主党の党首が小沢である事がいい方に転べばそういうよい所を取り入れる事が出来るかも知れないし、悪い方に転べば、自民党的な不透明でダーティーなものを引き継いでしまうかもしれない。
お互いに反目し合っていて、政局の手法も一方は都市型、一方は地方票と言った感じで全く真逆の立ち位置にいる小泉と小沢の合作によって、自民党的なものはもう壊れています。時計の針を元に戻す事は出来ないわけだから、よいところを取り入れて、悪いところを捨て去って、そろそろオルタナティブを目指す必要があるのでしょう。
権力が分立しておらず、政権交代も起こらず、それでもまがりなりにも民主的だと勘違い出来たのは、確かに自民党の功績です。しかし情報の流通速度の上昇と、テクノロジーの発達によって、そろそろこの体制では難しくなっている。せっかく我々に権利があるわけですから、キチンと行使して行く時期なのかもしれません。
腱鞘炎から復活して、長々と最近のあれこれについて書いてみました。
この話題はこれにてEND!!
沖縄密約事件で有名な西山太吉事件なんかも典型で、最高裁まで行って結局負けちゃったのですが、今度は切り口を変えて、先日密約の公文書の公開を請求しました。
アメリカの国立公文書館からセキュリティクリアランスが25年経った事によって、当時のアメリカ局長であった吉野と、ジョセフ・スナイダー全権大使のサインの入ったアメリカ側の公文書が公開されています。
つまり密約の存在を明記した、沖縄返還に当たって、本当はアメリカが出す事になっていた金を日本が肩代わりした、ようは日本が国民に秘密にして金で解決したという事を黙っていましょうという約束です。しかも、もう吉野はその当時の密約を認めている。
当時の首相であった佐藤栄作はノーベル平和賞なんて貰ってますが、彼の花道の為に、当時の大蔵大臣であった福田赳夫と結託して、国民の税金をネコババして、これをやったわけです。
その事を記してある公文書が日本側にもあるはずだから、それを開示しろと請求したわけです。西山が見た公文書はもちろん日本側の公文書です。
結果どうなったかと言うと、密約の存在には全く触れず、対象文章の不存在による不開示、ようするに無くなっちゃったからありませんと言う話で決着をつけようとしている。
密約を否定してしまうと、アメリカを否定した事になるわけだから、そこには全く触れる事もなく、見つからないのでありませんというわけです。ふざけてるを通り越してます。
本当に無いのだとすれば、公文書管理の杜撰さを露呈した事になるし、まあ多分隠しているわけでしょうから、国民に嘘をつき続けているわけです。
アメリカでは現にそういう文章が存在しているのだから、密約はあるわけです。にもかかわらず、当時メディアは統治権力のケツを舐めて西山を血祭りに上げた事もあってメディアも殆どスルーだし、政治家もしらばっくれている。
沖縄問題の全ての出発点もここにある。だからわけのわかんない思いやり予算も踏んだくられている構造がある。マルチラテラルな外交の枠組みを構築出来ず、アメリカ依存、アメリカありきの外交政策を取らざるを得ない弱みもここに起因する。
北朝鮮の脅威とか中国の脅威なんてのは、単なる言い訳に過ぎず、本当の理由はここにある。ようするに弱みを握られてしまった事を、延々と隠蔽する為に、国民に負担を強いているわけです。
その事で更に弱みが膨らんで、更にそれを隠蔽しているので、益々突っ込まれるという連鎖が繰り返されている。
アメリカからの要求、年次改革要望書のようなものをはねつける事が出来ない理由も、国際貢献と言う名のアメリカ貢献、テロとの戦いとか言って、アメリカの奴隷にならざるを得ない構造だって出発点はここにある。
政治家と役人が結託して犯罪を犯しているわけだから、政権交代をしてこれを表沙汰に出来れば、自民党の息の根を完全に止める事も出来る。だから政権を手放したくないという帰結につながるわけです。こういう事が山ほどある。西山事件なんてのは氷山の一角です。
アメリカはケネディの事件は75年になっていますが、普通は25年経てば後からそれが適切だったかどうか検証する事が出来る。日本はそれが全く出来ない。
政治的決定で密約を結んだ方が国益になるという事は有り得ますので、密約を結ぶという問題点よりも、それを隠蔽し続けるという事が大きな問題で、後から検証して学べるかどうかの違いは決定的です。
そのせいで嘘で嘘を塗り固めていかねばならない状況に陥ってしまい、それがどんどん膨らんでいって、外交の際にもヴァルネラビリティになってしまっている。弱みを握られている。
ドメスティックな問題から見ても、与党政治家と役人が弱みを握り合っている。もう情報公開なんてやってしまえば、統治権力の根底から否定する事になりかねないインチキ構造で身動きがとれなくなってしまっている。
根本から腐っているわけです。だから役人に甘くなる。政治家と役人の手に手を携えた一蓮托生の癒着関係のおかげで、国が沈没しかねない状況にまでなっている。全くいい加減にしやがれって感じです。
こういう問題の首謀者であった福田赳夫の息子が堂々と総理大臣をやったり、佐藤栄作にしたって安倍の爺さんである岸信介は実兄であり、麻生の爺さんである吉田茂とは姻戚関係にある。
これでは三権分立どころか、二権分立すらしていないこの国では、情報開示なんてされるわけが無い。これがこの国の構造です。どこまで腐っていれば気が済むのかって感じです。こういう構造に楔を打ち込む事が出来るのは投票だけです。
薬害の問題、年金問題等を例に出すまでもなく、あらゆるところに隠蔽体質が溢れかえっている。例えば外国と交渉をする。その中身をチェックしようとすると、役人が遮断する。内容が高度な政治的問題であるから、メモを取らなかったなんて言う言い訳が出てくる。
こんな事は有り得ない絶対にやっちゃマズい事です。しかもメモを取らなかったのは後から言ってももうどうにもならないので、せめて口頭で内容をさわりだけでもいいから開示してくれと要求すると、今度はメモが無いからわからないと来るわけです。
公文書を無くしちゃったという言い訳が通って、誰も責任を取らないわけですから、役人の権限で好き勝手に情報を取捨選択出来るという事になります。都合の悪い情報は隠蔽し極端な話、廃棄してしまえばいい事になる。
よく歴史の真実という言葉が世間では踊りますが、こういう状態を放置しておいて真実もクソも無い、後から歴史の書き換えが出来る、いくらでも改竄が可能な状況なわけで、実際に改竄が溢れかえっている。
全くチェックが働かない状況で、泥棒が泥棒をするかどうか判断しているわけですから、お寒い状況で話にならない。
歴史の真実という言葉は正直自分は大嫌いです。歴史なんてもんは所詮誰かがある時点から過去を振り返って書いたものですから。この国で歴史の真実とか騒いでいるたわけは、誰かが引いた恣意的な線をネグレクトして言っている。どんなに客観的であると主張したって、誰かの視点からの解釈であり結局のところ後付けでしかないわけです。
しかし今の日本の状況ではそういうレベル否定するような状態じゃないわけです。解釈する前に改竄されてしまえばどうにもならない。
歴史というのは未来に大きな影響を及ぼすもので、それによって人と人が殺し合いまでするものです。にもかかわらずこういう状況を放置するという事は将来への莫大な負債になりかねない。
こういう構造をどうにかするには、物理的に政官の癒着を断ち切る政権交代しか方法が無い。小沢が腹黒いので信用出来ないとか言っている人は、こういう構造と秤にかけてよくよく考えてもらいたいもんだと思うわけです。
小沢ももちろん民主党も他の野党も信用は出来ません。しかし現状のこの腐った構造に楔を打ち込む為には政権交代が実際に起こるという事を政治家に突き付けるしかない。それが唯一の方法で、しかも効果的な方法でもあるし、不可能な話でもない。
だいたい政治家を信用出来るとか出来ないとか評価している事自体、ハッキリ言って政治家を何だと思っているのかと不思議に感じます。あんな奴らは基本的に全て信用出来ないこそ泥みたいなもんです。
普通の人間があんな恥知らずな事をしたいとは思わないでしょう。美辞麗句を並べ立て、多くの人を騙して平気な顔をしているわけですから。脆弱な自意識を満足させる為に多数の人間に肯定されないと前に進めないような下らない人間がなるものです。特に偉そうな顔をして悦に入っているような輩はクズ以下、ウジ虫以下です。
権力は頂点で腐敗する。これは法則で例外はありません。自民党だけが薄汚いのではなくて、政治家なんてマキャベリの昔から、自らの手を汚してでも前に進むのが政治なわけで、政治とは汚いものであって、卑しいものであるわけです。同じ人間なんだからそんな大層な事は期待するだけ無駄なのです。
だからこそ、そのこそ泥どもに好き勝手をさせない為に我々が監視する。それが民主制の本義でもある。
そこまで機能して徹底的に政治家をこき使った上でこそ初めて尊敬や感謝も出来るってもんです。その為に税金を払っているわけですから。何をやっているか正確な情報開示も無いのに感謝も尊敬も出来るわけがありません。
与党はようするにこそ泥どもが権力を握ってしまっているわけで、しかもこの国ではチェックが働かない、だからこうなっている。野党だって与党になってノーチェックであればいずれ同じ事でしょう。
例えば最近野党からの突き上げがサンドバック状態の公明党が悲惨な様相を呈しております。個人的には虫酸が走る程嫌いな自分でさえ、若干気の毒だと思ってしまうくらいボロクソに攻撃されている。自民党も正念場であるので、もう公明党の事など構っていられないと、若干見捨てられているような感じになっている。
元々公明党というのは、もっと害のないというか、生活政党と言うか、力も無いけどそんなに変な事も言わない(悪く言えばきれい事に塗れた)政党というイメージがあったわけです。今程の嫌悪感を、一般的に持たれているわけではなかった。
それが権力欲に目がくらんで、建て前的理念をかなぐり捨てて自民党という毒薬を喰らい続けた結果、単なるカルト教団と一蓮托生の困った奴らというイメージしか無くなっている。それが創価学会に対するイメージまでもを奈落の底に突き落としてしまっている。権力を握ってノーチェックでのさばる事によって起きるコラプションのよい例です。
本当の問題は牽制の仕組みを(与党や役人の口車に乗せられて)我々が有効に機能させていない所にある。政治家を聖人君子かなんかと勘違いしてケガレているとか騒いでいる事程バカらしい話はありません。
だいたい情報も開示されていないのに誰々は信用出来るとか信用出来ないとかやっている事がいかにバカバカしいか、そろそろ自覚しないと市民制の成熟も遠い彼方です。政治家も官僚も所詮単なる人間なんですから。
さて、腐りきったこの国の構造問題について長々と書いたわけですが、民主党は要するに野党だから言えるだけで、自民党のような立場になって本当の事が言えるのか?という心配は確かにある。
例えば地方分権の話ひとつにしても三位一体の地方改革の際、税源移譲を渋ったのが大問題であるわけなんですが、民主党案は一括交付金なので税源移譲にはなっていない。
全体的に大雑把に見れば結構筋がいい勘所を持った政策も出ていますが、細かく見ると穴がある事も確かです。なので与党の腐った構造に目を向けるのと同様に、仮に政権交代が起こるのなら、今度は民主党を厳しくチェックしなければならなくなります。
民主党の議員というのは、先日マルチの疑惑が取り沙汰された議員がいましたが、金の問題や女性スキャンダルに対して相当脇の甘い連中がいっぱいいます。その中でも党首である小沢は頭一つ飛び抜けて黒い疑惑が絶えない。
だから人気もないわけですが、政権を仮に取るとなると、細川政権の時のように今度は野党に下った自民党からのスキャンダルに対するバッシングが始まるでしょう。
そうなると潔癖主義的国民性である我々は簡単にそういうものに流される可能性もあるし、もちろんバカメディアは難しい構造問題とかにはノータッチでも、そういう単純な図式になると大騒ぎで祭りが起こるでしょう。
その時に結局バックフラッシュしてサブスタンスは何も無くてお終いと言った感じの、小泉政権的扱い、旧社会党的扱い、新進党的扱いになる可能性もあり得る。実際90年代に政権交代が起こった際、その頃あった政党はことごとく解体しています。
そうなると、また10年くらいは空白の暗黒時代になってしまう可能性もある。景気のお先は真っ暗、政治は空白、役人はやりたい放題、少子化、高齢化では、もう浮上する経路が見当たらなくなってしまう。
まだ浮上出来るうちに何とかしないと、道端で普通に病人が倒れていたり、死体が転がっているような社会にだってなりかねない。
なので、民主制とはお任せでは機能しないのだという事を、そろそろ我々も学ばなければなりませんし、単純なスキャンダルで不正を抱えているような議員が問題だとしても、結局サブスタンスが何も無い状況で終わるという事は避けねばなりません。
バブル後の10年の時のようなバッファはもうこの国には無い。我々が目覚めないと破滅の道を突っ走る事にもなりかねない。つまり政権交代しようが政権交代が起こらなかろうが、今までのようなお任せ民主主義ではこの国のお先は真っ暗だという事です。その為のリテラシーを獲得する必要がある。
自民党の今の体たらくはハッキリ言えば終わってますが、だから自民党的なシステムが全部ダメだったのかと言うと、そんな事は無いわけで、我々はいったん汚れているとスティグマが張り付いたものに対して徹底的に排除し、後からこんなはずじゃなかった的なリソースが何も無いというパターンを繰り返して来ました。
自民党というのは左から右まで実に様々な人材を抱え、恣意的ではあるものの、相当民主的なボトムアップの政策決定のシステムが機能していた。ダーティな部分が見えるので薄汚いイメージがあるにはありますが、むしろ民主的でありすぎるくらいの部分があって、それが政策決定の遅さという大問題はあるものの、様々な立場を包摂して行く妥協案を見いだす為には非常に機能的に働いていた部分もある。
政権交代も起こらないし、国民も無関心なので、与党の中で徹底的に突き詰めて政策を練って行くというプロセスがあった。それが議員の力関係もあり、特定の所に権益が回っているように見えてしまうし、実際にそうだった側面もあったのは事実ですが、良いところもあったわけです。
まあ、もう小泉が壊しちゃったのですが、そういう意味でいえば民主党の党首が小沢である事がいい方に転べばそういうよい所を取り入れる事が出来るかも知れないし、悪い方に転べば、自民党的な不透明でダーティーなものを引き継いでしまうかもしれない。
お互いに反目し合っていて、政局の手法も一方は都市型、一方は地方票と言った感じで全く真逆の立ち位置にいる小泉と小沢の合作によって、自民党的なものはもう壊れています。時計の針を元に戻す事は出来ないわけだから、よいところを取り入れて、悪いところを捨て去って、そろそろオルタナティブを目指す必要があるのでしょう。
権力が分立しておらず、政権交代も起こらず、それでもまがりなりにも民主的だと勘違い出来たのは、確かに自民党の功績です。しかし情報の流通速度の上昇と、テクノロジーの発達によって、そろそろこの体制では難しくなっている。せっかく我々に権利があるわけですから、キチンと行使して行く時期なのかもしれません。
腱鞘炎から復活して、長々と最近のあれこれについて書いてみました。
この話題はこれにてEND!!