今日でまとめます。
大分県の教員採用試験の話は酷い話であると同時に、これは日本人としてある程度の常識をわきまえている人間なら、100%確実に言える事ですが、どこの共同体でもある事だと知っている。当たり前の共通前提です。しかしそれが是正される可能性は限りなく乏しい。みんな知っているけど不可能だと思っている。
メディアもコネ入社ばかり、政治家も二世議員ばかり、あらゆる企業、あらゆる官庁、あらゆる役所に普通にある事で、今更大騒ぎするような話ではない。こういうのが普通に蔓延っている状況というのは誰に責任があるのでしょう?
もちろん腐敗堕落の温床である腐った地方行政にあるのは間違いありません。分権化なんてしてもらっちゃ責任を取らなきゃならなくなるので困ると考える、分権化を妨げて国家に依存するしか能力の無い、逃げ切る事のみしか考えてないクズ共には、何の擁護の言葉も浮かばない。
こういう立場を利用した、競争の阻害、自由への妨害をする輩は、個人的に言えば出刃で三枚におろしてやろうかって感じです。口を開けて国家からのおこぼれを待ち、それを腐った構造で回しているような地方行政に巣食うハイエナ共には一片の同情の余地もない。ものには限度ってもんがある。
しかしなんで国家権力者が責任を追及される立場から逃れているのでしょう?これが今の権力構造です。ヘタをすると、地方分権へのアンチな力学を醸成するエビデンスと化してしまう。国家権力は何やってんだ!!って話になっちゃう。
これは地方やある組織が腐っているからそいつらが全部悪いという話では終わらない。そういう状態を放置してきた国家にも大きな責任があるに決まっている。教員採用試験だけではなくて、あらゆるその手の試験、予選通過儀式には必ず付きまとっている腐敗構造です。あらゆる所に蔓延しすぎて、もうそう簡単には取り除けないほどどうにもならない状況に成ってしまっている。
日本の舵取りが上手く行かない理由もキチンとクオリファイされてない能力の無い人間が、あらゆる組織に競争を免除されて、こういうインチキで入って寄生している。ヘタをすると半分位がそうだったりするわけですから、当然でもある。こんな状態を慣習だからと放置し、利用し、そして発覚すれば悪者としてパージし、中央集権のエビデンスにしようなどと、一体どこまで腐っていれば気が済むのか。
今回の顛末の情報を知れば知るほど、不正がやり易い構造になっている。明らかに不正をしやすい構造を放置する事によって得になる連中にとっては都合が良かったわけです。不正をした方が得な構造を放置しながら、あとは個人の良心に任せるみたいなやり方ではなくて、キチンと個人や組織のインセンティブと、外部の利益と、そしてこういう言い方は好きではありませんが、善なる行いとが、それほど乖離しないようなアーキテクチャーになっていない所が非常に問題がある。チェックに開かれていない。
不正を働いた方が合理的な判断だったりする場合がある。もちろんパクられちゃえば不合理ですから結果的に見ると不合理な判断なんですが、人間はそんなに先の事を合理性計算に基づいて何でもかんでも予測出来るわけではありませんし、捕まったってどうせ執行猶予だし、最悪すぐに出てこられる、であれば合理的だと考える場合だってあり得る。
これは企業にしろ、官僚にしろ、自己目的化が起こるに決まっているような構造に投げ出しておいて、良心が無いのか!!とか、腐ってやがる!!って感じで叩いても、その位置に立たされたとしたら、人間は弱い生き物ですし、狡い生き物ですから、俺は絶対にやらないと自信を持って断言出来ない人だって沢山いるはずです。これはたまたまそのポジションにいないから犯罪者になってないだけかもしれない。
強い崇高な精神の持ち主からすれば、そういう煩悩まみれの弱い人間は修行が足りないの一言で片付けられてしまうかもしれませんが、そんな人は中々いるもんじゃありませんし、偉そうにメディアでほざいている連中や、俗情に媚びた政治家なんかをみていると、お前だって似たようなもんだよと思えるような人がそういう想像力が無い。
その立場に立たされてないのだから、立たされていない人間が文句を言う権利は持ちろんあるし、実際にルールを破っているのだから、弁護する余地はありませんが、アーキテクチャーを真剣に考えて是正出来ないと、こういう問題は絶対に無くならない。お手盛りの第三者機関的チェックでは是正する気が無いと言っているのと同じです。
こんな問題はよく考えなくともどう考えたって不合理です。地方行政の談合体質なんてのは誰でも知っている事でありながら、どうせ変わらないと諦めるアンタッチャブル・カテゴリーと化している。至る所、あらゆる所にこういった構造はあるとみんなが知っていながら、どうにもならないと諦めている、あるときみんな知っていた当たり前のどうにもならない構造が表面化すると、生け贄として徹底的に血祭りに上げて一部の構造には吹き上がるけれど、抜本的な是正にはほど遠く、ガス抜きで生け贄を叩いたあとは、時と新たな情報に流されて忘れてしまう。
大分の話なんかはどういう風に話が転がっても、社会の底が抜ける方向にしか行かない。おそらくお手盛りの第三者機関が出て来るという事になれば、それは生け贄を一握り罰して、あとはお咎めなし、追跡調査不可能という事実上蓋をしてお目こぼしというパターンになるのでしょうけれど、そうなれば教育に対する不信は益々深刻なものになるでしょう。どうせ裏金で先生になったんだろ?という疑いのまなざしを、保護者もそれ以外の大人も、子供達も教師に向けて見るようになる。
これは大分だけの話ではありません。どこでも普通にあると誰でも思っている構造なわけですから、教育が益々疑心暗鬼なシステムとなってしまう。そうなると更に抜け駆けを加速させ、抜け駆け感も同時に膨らませてしまう。
もう教師の言っている事なんて何を言っても説得力が無い。父親も教師で、その子供も教師であるパターンであれば、仮に不正を働いていないとしても、疑いのまなざしで見られてしまう。潔白な教師もやる気を失ってしまう。
潔白な教師からすれば冗談じゃないと思うでしょうし、こういう構造はとんでもない話なので、仮にこれはほぼ有り得ませんが、徹底的に遡って不正を追及して、教員免許の剥奪をするような事をすれば、ヘタをすると、半分近くの教師が職を失い、当然そういう奴らを罰するのはいいとしても、学校や潔白であった教師や、子供達が煽りを食う事になる。いずれにせよババを掴まされるのは、無関係であった人々という事になっちゃう。
今の日本の構造から考えると、ただ分権化しても上手く行くわけが無い。地方がこういう構造を抱えているかぎり、絶対に厄介な事態は益々起こってくるでしょう。だから分権化は阻止しなきゃならないと、可能性としては少ないかもしれませんが権益の為ではなくて、国家の舵取りをまともにしなきゃならないという志によって、分権化を阻止するという発想になってもしょうがない構造がある。
分権化は絶対に必要ですが、それが結果的にもっと酷い状況を加速する可能性もある。ここでもやっぱりコミットメントが重要になる。まず市民性を成熟させ、コミットメントや社会性を埋め込んだり、普通にアーキテクチャーに従ってインセンティブを持てば、まともに社会が回るような設計が重要になる。
無関係であった人が割を食うという言い方をしましたが、誰でも知っている構造をどうせ変わらないと諦めているという事は、その構造を許しているという事と同じ事で、積極的ではなくとも加担している。だから無関係な人がいるとすれば、それは子供達だけです。大人であれば誰でも加担しているとも言える。認めているのだからそれで割を食うのは自分達の責任でもあると言えます。
韓国が吹き上がっている教科書問題、これだってようするに三流官庁である文科省の生き残り戦略です。竹島の教科書記述の問題で世論を煽れば、バカな吹き上がり共が、韓国人も日本人も吹き上がって、文科省が重要な役割を担っているという宣伝効果に利用されてしまう。こんなのは、とっとと分権化すればいい話で、あんなゴミみたいな官庁がいつまでも権益を握ってるからこういう事になる。そしてそれに乗せられる我々の責任でもある。
ブッシュが拉致問題を忘れないと言いました。これはアメリカは人権問題にうるさい国なので、当然自分の立ち位置を守る為というのもあるでしょう。それと同時に、日本人がそういう言い方をすると喜ぶという事を知っているからでもある。結局忘れないと言っているだけで、何をするとも言ってない。逆に忘れなければ何でもやると言っているのと同じです。だけど「忘れない」という一言が挟まり、被害者家族への同情を見せると、日本人はコロッと引っかかる。重要な成果だとかって評価するアホ知識人までいる。
なんにも言わないで、拉致問題には全く一言もふれなかったのがゼロだとすると、ちょっとふれたという程度なので、ゼロではないというだけです。
しかしこういう言い方をされると、簡単に引っかかる日本人も、結局は、忘れないと同情してくれるのはありがたいけれど、具体的に何もしてくれないじゃないか、って話にやっぱりなる。まあ当然ですよね。忘れないとしか言ってませんから。
だけど、例えば竹島問題で、韓国の立場を考慮するという言い方をして、結局書く日本政府、それに吹き上がる韓国人をみていい加減にしろと感じる日本人。
考慮すると言いながら結局書いているじゃないかという韓国人の言いたい事と、忘れないと言っているだけで結局何もしてくれないじゃないかという日本人の思考は同じです。自分達は普通にそう思っても、他所の国がやっていると、ふざけんなって話になる。
しかも韓国人の場合、日本が直接交渉の相手ですが、日本の拉致問題の場合、相手国は北朝鮮です。アメリカは関係ない。だから知らん顔するのは当然であるのに、そういう風には思わない。
韓国が酷いとか北朝鮮がムカつくと思っても、彼らと交渉するのは国民ではない。日本政府です。人気稼ぎの為なのか、本当に解決の為なのかを見極めなければならない。可哀想と思っているかどうか、強気に振る舞っているかどうかは関係ない。
加藤紘一が北に拉致被害者を返すべきだったと言って、バッシングされましたが、もしそれで解決出来る可能性があるのなら、方法論としては有りだと自分は思います。もちろん今更そんな事をしてもしょうがありませんが、あの時点拉致被害者が日本に帰国した時点では返す事になっていたわけだし、その北との約束のちゃぶ台をひっくり返したわけです。安倍晋三が。
福田首相は当時官房長官だったわけですが、彼も返せと言っています。その事で結局辞任につながる。この交渉をここまで引っ張って来た田中均も売国奴としてパージしちゃった。安倍の進言にポピュリストの小泉が乗った。そのせいで北との交渉の目処が途切れ、小泉はノーベル平和賞の夢が潰えた。だから安倍を怨んでると言います。自分で乗っかったくせに。
その後、この問題は手詰まりになり全く解決のめどが立たなくなってしまった事を思えば、北との信頼関係を構築し、バーター取引に持ち込んででも解決するような方向性の方が重要だったはずです。拉致被害者を返さないとしても、北との交渉の窓はなんとしても残さなきゃならなかった。だって交渉しなきゃ帰って来ませんから。
もちろん福田や加藤が本当に解決の為に言っているのかと言うと、どうもそうじゃなくて臭いものには蓋をの精神、北の利権に目がくらんでって感じにも見えない事も無いのですが、方法論として解決する事が目的であれば、言うのも不遜だというのは戦前と変わらない。被害者家族の気持ちは十分わかりますが、彼らの感情の救済を最優先して、結局解決出来ないのでは意味がない。スッキリするか善か悪かは関係がない。善を叫んで、スッキリして、結果的に解決しないのでは意味がない。解決するのが目的なんだから、土下座しようが経済支援しようが関係ない。
経済支援とは止めるというのは脅しになりますが、復活してやるというのはアメにはなりません。復活しなくても慣れてしまえば痛くも痒くもないからです。日本との経済関係をズブズブにして、日本無しじゃ立ち行かない構造に依存させて、経済支援カットなら効果がある。だから交渉の窓を閉じて、経済支援のアメをちらつかせたって何の効果もない。世界中の国で経済制裁をしなきゃ何の効果もないからです。こんな事は外交の常識です。
だからアメリカだって経済制裁をすぐに止めちゃおうという話になる。ブッシュ政権のレイムダック、彼の手柄、実質的な外交成果の皆無云々という話を偉そうにほざくバカ知識人がいますが、それ以前に外交の常道です。
経済制裁の効果がある論を言っていたたわけが、結局その言ってしまったトンでも論に縛られて、国民を誑かしている。まだ言っているバカが沢山いる。被害者家族や、国民まで誑かされちゃった。経済制裁はやる前に脅している段階か、やった瞬間しか効果がない。なのにこの国の政府は世論に流されてあっというまにカードを全部使い果たしてしまった。カードは切っちゃったらもう効力がどんどん無くなって行くだけです。
これはアメリカからの自立の問題とも重なります。日本がアメリカから自立するには、北東アジアからの感情的な許しが絶対に無ければなりません。彼らが吹き上がる以上、日本の自立は難しい。自立するという事は、日本をアメリカ管理から手放す事になるからです。日本に対してルサンチマンを感じる彼らからすれば、こんな論理性の無い嘘ばっかりついている民族を自由に放置したら、何をしでかすかわからないと感じているに決まっている。
石原都知事的な断固決然野郎が典型ですが、脅しというのはゲバルトの恐れが無くちゃ意味がない。アメリカの奴隷状態の国でいくら偉そうにしたって、どうせ何も出来ないに決まっているとどこの国でもわかっているわけで、何の効果もない。言うべき事を主張しろと言ったって、そんな奴隷国家の言う事なんて無視したって痛くも痒くもないわけです。北朝鮮だって日本と直接交渉なんてしなくたって、アメリカと片がつけばどうにでもなると考えている。だから交渉なんてまともにやったって下らないわけです。かつて経済のチャンピオンだった頃ならそれでもどうにかなったかもしれませんが、もうそうではなくなっている。それはどんどん加速して突っ走っている。
内政干渉に屈するという事は、一人前の国として外交の敗北を意味するとか言う言説もありますが、こういうのは下らない、下らな過ぎる。だって一人前の国じゃないじゃないか、って感じです。バカにされたとバカが吹き上がっても意味がない。バカなんだから。必要なのはバカじゃなくなるように学ぶ事で、吹き上がる事ではない。一人前の国として振る舞いたかったら、まず一人前に成る事です。それが出来ない段階で、外交に敗北したとか吹き上がっても、もうすでに奴隷状態で敗北状態であれば無意味です。そこからどうやって脱却するのか考えた方がいい。
今の日本に出来る方向性は一つしか無い。友好を謳うしか無いわけです。当然友好だけでは現実の国際政治を乗り切れるほど甘くはない、だからゲバルトの脅しの効果を有効にする為には何が何でも自立しなきゃ交渉は出来ない。交渉は友好だけでは上手く行かない。
だから自立の為に必要な事は何でもしなきゃならない。政治家のメンツなんてどうでもいいクソ喰らえです。日本人のプライドなんて犬に食わせてやればいい。土下座でも何でもして、彼らの感情的な許しを得なきゃならない。その為の支援ならいくらでもOKです。歴史の事実なんてなんだっていい。だいたい歴史に真実なんて無い。
日本はもう絶対に酷い事は致しませんと、靴を舐めようがケツを舐めようがやる必要がある。その為に竹島が必要ならくれてやればいい。その為にガス田が必要ならくれてやればいい。北方領土だって放棄したって構わない。それと引き換えに自立出来るのなら安いもんです。日本がいかに無害な国家であるかというプレゼンテーションが重要で、叩かなければ安全な国だとすり込む事が重要です。
それはアメリカに対しても重要です。いかに忠誠心を持っているか、いかにアメリカの国益になるか、土下座でも嘘八百でも何でも構わない、自立しちまえばこっちのもんです。その為にはどんな事でもやる必要がある。アメリカ追従にしたってこれが前提に無くちゃ意味がない。北東アジアに吹き上がって戦後レジームからの脱却とかほざいているクズは、自立する為に必要な手順を全く踏んでいないので、自立なんて考えちゃいないわけです。だからどんなにカッコつけてもこういう奴らは売国奴です。
もちろん河野洋平的な問題の先送りの為の土下座も論外です。目的が無い、それ自体が目的になっている。ようするに政争の具に利用している。こういうのももちろん売国奴です。国民が吹き上がったって、政争の具を越えて政治家がプライオリティを考えて決断主義的に実行すれば解決する可能性はある。こういう事を人気取りのリソースにしたり、引きずり下ろす為の手段に利用したりしていたのでは、この国の未来は無い。
自立すればおいそれと無体な要求は出来なくなる。何も自立して軍備をちらつかせて偉そうにしろとか言いたいわけではありませんが、理不尽な要求を無原則に突き付けていてもどうせアメリカの奴隷だから心配ないという状況と、自立したそれなりの軍事力を持った国家では交渉の仕方だって変わってくる。それはアメリカ軍を追い出さなくたって出来る事はあるはずです。現に戦後はそうやって舵取りをして来た。
理不尽な要求を突き付けないかぎり、日本は安全な友好国家だと思わせる事が重要です。それは言うべきことを言わないという事ではありません。友好国と奴隷とは意味が全く違う。その為に軍事も交渉のリソースとして利用価値があり、実際それを使っちゃっちゃアメリカや戦前の日本の二の舞になっちゃう。
手段の目的化を散々叩きましたが、別に手段が目的化しても、誰にも迷惑がかからない実存の次元でのデータベース的記号の消費であれば、それは別に誰にも文句を言う権利は無い。組織がそういう状態に陥ってしまうと言っても、そりゃある程度はしょうがない部分は当たり前ですがあります。誰だって食ってかなきゃならないわけですから。しかし度を超した手段の目的化はやっぱりマズい。多くの人が酷い目にあっても関係ないというのでは、社会が回らなくなってしまう。
逆に言えば、目的がしっかりとあって、その為の手段なのだとすれば、自分は権益だって天下りだって、ポピュリズムだって、土下座だって強気の外交だってなんだっていいと思います。日本には公を担えるのは今の所官しかない。それに政治家はアホばっかりなので、アメリカと渡り合う為に、近隣諸国と交渉する為には官僚の力が必要であるというのもわかる。その為であれば官の特権をある程度認めてあげたって構わないと思います。その先に国民益という事がしっかりあれば、その手段はなんだって構わない。
もちろんやらない方がいいに決まっている事は沢山あります。ルールだって守った方がいいに決まっているし、それで他国や誰かを敵として設定して傷つけるような事はやらない方がいいに決まっている。そういう事を除けば何でもやっていいのかと言えば、やらないで済めばやらない方がいいに決まっている事はいっぱいあります。しかし目的が無くなるのは困ります。これが一番最悪の事態です。
小沢と福田の連立話が出たとき、この国では滅茶苦茶に叩きました。民主制が終わってしまう、みたいな感じで。しかしあのとき殆どの人が小沢が重要な事を言っているのをちゃんと聞いてない。自衛隊を出す時は国連中心主義にするという重大な一言です。これを自民が飲むと言ったから連立するというか政策協議に入ると言いました。
これは戦後レジームの本当の大転換になる可能性があったわけです。アメリカ依存から国連という正統性を使って脱却すると言っているのに等しかった。これは明治維新の王政復古とか大政奉還なみの大転換の可能性がある方向性です。
これが出来れば政権交代なんてクソみたいな話ですし、これが出来るのなら連立しようがなんだろうがどうでもいいような決定です。アメリカの奴隷状態では誰が政権を握ろうが結局一緒ですから。小沢もそう思ったから飲んだのでしょう自民党の時代からそれを言っていましたし。だけどその事を全然理解する前提がないので、民主主義の自殺行為だ!!って話になっちゃう。奴隷状態の国で民主主義なんて死んでるのに、国民もメディアも政治家までもが、全く理解する事なく吹き上がった。民主制を機能させる為に必要な事を理解していない。プライオリティが滅茶苦茶です。
無原則でアメリカの奴隷として自衛隊を出す方向性から脱却し、国連の決定が必要条件であると言っただけで、国連に言われたら絶対に出すなんて一言も言ってないのに、それを理解する事なく吹き上がった。国連なんてのはどうせ形骸化しているわけで、アメリカからの脱却の為の方便として言っているという事が伝わらなかった。危険だ!!って話になっちゃう。無原則でアメリカの言うがままに出す事と、ちゃんと原理原則をつくって、日本が主体的に判断するというのでは全然違います。目先の危険というか政治家の決定に伴う責任を回避して、先々もっと厄介な事態に巻き込まれる可能性を残してしまった。せめて言っている事ぐらい聞けよって感じでした。
もちろん小沢は信用出来ないとか言うのは理解出来る、福田もどうせ政権を守るための方便なんだろという風に見えるのも共感出来る。政治家は無能のクズばかりなので、そんな目的に向かって突っ走るとロクな事が無いようにも感じる。今の政治家なんかに自立なんかさせて、フリーハンドを持たせたら、それこそなんとかに刃物状態です。国民の民度も絶望的なので変な方向に行きそうな気もするというか行くでしょう今のままなら。
アメリカのケツを舐めようが中国のケツを舐めようが、連立を組もうが、目的のための合理的な判断か否か、それを見つめる冷静なまなざしが無い。目的はなんであるのか目的達成に不可欠であれば、泥にまみれてもやるべき事はありますし、きれい事を守りすぎて何の結果もついてこないというのでは困る。我々はそれが何の為であるのか、目的をキチンと見極めてそれから論じなければ意味がありません。
日本人はあれほど酷い爆撃にさらされて、あんなに惨い目にあったのに、心のどこかでアメリカ人が大好きです。それはアメリカの文化的コンテンツによって骨の髄まで彼らの文化が染み付いて、それが憧れになっているからです。北朝鮮なんかにも同じ事で、政治でグズグズやるよりもとっとと国交正常化し、文化的な交流を盛んにしてしまえば、一番有効に彼らの牙を抜く事が出来ます。彼らとの問題を手っ取り早く解決する為には有効なリソースになり得る。
それに経済関係が依存するようになれば、なんだかんだ文句は言い合う関係ではあり続けるかもしれませんが、背に腹は代えられなくなる。無能な政治家の動員のツールに利用させていたのでは絶対に解決しない。
さて随分長くなりましたが、最後に自分の好きな戦前の日本のお話を書いて終わりにします。これが非常に今の日本にとってのいい教訓になるだろうと思うからです。
黒船来航という話は多くの人が知っていると思いますが、白船来航というのは歴史に埋もれてしまっていて意外と知られていません。
日露戦争の後、日本が疲労困憊していたときに、初めて白人が有色人種に負けたもんだから、アメリカはビビりました。黄禍論なんてことがいわれてて、このまま太平洋をほおっておくとバルチック艦隊を破った、世界有数の日本艦隊が太平洋の覇権を握ってしまい、太平洋の軍事バランスが崩れてしまう、と言って、グレートホワイトフリートと呼ばれた大西洋艦隊を、当初サンフランシスコが目的地だったのを世界一周に変更して、それを口実に日本の近海に近づき黒船以来の砲艦外交で威嚇行動にでたわけです。
アメリカの艦隊十六隻に対して、日本は七隻しか戦艦がありませんでした。アメリカの戦艦が白塗りだったので、白船来航っつって大騒ぎになったわけです。当時日本には戦う力は殆ど残っていませんでしたし、日露戦争の後、軍縮もやっちゃってるので危機だった。
そこで、この国がとった戦略が、ようこそ白船艦隊、ウェルカム米国艦隊の皆さん、万歳万歳とやったわけです。新聞もアメリカに媚を売ったり、アメリカの皆さんに粗相のないように説教口調で注意を促したり、簡単な英会話をのせたり、徹底的に歓迎ムードで対抗した。アメリカ艦隊は大砲の一発でも撃って脅かしてやろうとやってきてるのに、港ではアメリカの小旗を振って、子供も大人もウェルカムアメリカの皆さんと熱狂し、女の子は菊の花束を持ってお出迎えし、みんなで万歳万歳、星条旗よ永遠なれを歌ったり、園遊会や晩餐会に招待したりして、アメリカの機先を制したわけです。
今こういう発想はありません。国民から政府まで、スポイルされた環境で薄っぺらのペラペラなきれい事ばかりになってしまった。この頃も国民レベルでは大差ないかもしれませんが、少なくとも政府はもう少しまともだったように感じる。今の政府は危機というと選挙に落ちるって話になってしまう。この後、手段が目的化し泥沼の戦争に突っ走って行った頃にももちろん無かった発想です。
目的がなんであるのか?その事を見極めないと、いつまでたっても進めません。メディアが気持ち悪く中国や韓国に媚を売るのはありますが、これは媚を売るのが目的だともいえるのですが、今は情報化社会なので、そもそもこの当時のように一丸となる事は不可能です。
だから情報のコントロールよりも教育や啓蒙で格好悪くても情けなくとも必要な事をやる。それを国民が見極めた上で是非を考えられるようにならないと、表面的な対立点で一歩も前に進めない。見極めても意見は割れるでしょうから、そういう意味での対立点は消えないでしょう。しかし上っ面の対立点でああだこうだやり合っているよりはいい。せめてある程度の前提でクオリファイされた意見でせめぎあってくれればもう少し希望も持てる。
そして人のせいに押し付けるだけなら、誰だって責任者になれる。責任を取らないで済むのなら、どんなバカでも責任者に成れます。企業の経営者だってそうです。従業員に責任を押し付けてクビにしてれば済むのなら、誰だって出来る。
しかしそういう手段は最後の手段で、そう簡単に出来ないと誰でも思っていたから、責任者というのは大変な立場であったはずです。そういう構造にぶら下がって依存し惰眠を貪って来た無責任な輩が多過ぎて、責任を持ってる奴に責任を取らせるという意味で、自己責任はわかります。が、そうであるのなら先ず重い責任を負っている人間がいるはずです。
事後チェック型社会は不安を煽って権益を吸い上げるというパターンです。その事を見極め、成すべき事の為の手段か、それともそれ自体が目的か見極めなければ、どんどん手詰まりになってしまいます。その上でのコミットメント、結局それしか無い。
本当毎度毎度クソ長くてすんませんでした。今月はずっとマジネタで書こうと思ってたのですが断念です。
それではいつものように、この話題はこれにてEND!!
大分県の教員採用試験の話は酷い話であると同時に、これは日本人としてある程度の常識をわきまえている人間なら、100%確実に言える事ですが、どこの共同体でもある事だと知っている。当たり前の共通前提です。しかしそれが是正される可能性は限りなく乏しい。みんな知っているけど不可能だと思っている。
メディアもコネ入社ばかり、政治家も二世議員ばかり、あらゆる企業、あらゆる官庁、あらゆる役所に普通にある事で、今更大騒ぎするような話ではない。こういうのが普通に蔓延っている状況というのは誰に責任があるのでしょう?
もちろん腐敗堕落の温床である腐った地方行政にあるのは間違いありません。分権化なんてしてもらっちゃ責任を取らなきゃならなくなるので困ると考える、分権化を妨げて国家に依存するしか能力の無い、逃げ切る事のみしか考えてないクズ共には、何の擁護の言葉も浮かばない。
こういう立場を利用した、競争の阻害、自由への妨害をする輩は、個人的に言えば出刃で三枚におろしてやろうかって感じです。口を開けて国家からのおこぼれを待ち、それを腐った構造で回しているような地方行政に巣食うハイエナ共には一片の同情の余地もない。ものには限度ってもんがある。
しかしなんで国家権力者が責任を追及される立場から逃れているのでしょう?これが今の権力構造です。ヘタをすると、地方分権へのアンチな力学を醸成するエビデンスと化してしまう。国家権力は何やってんだ!!って話になっちゃう。
これは地方やある組織が腐っているからそいつらが全部悪いという話では終わらない。そういう状態を放置してきた国家にも大きな責任があるに決まっている。教員採用試験だけではなくて、あらゆるその手の試験、予選通過儀式には必ず付きまとっている腐敗構造です。あらゆる所に蔓延しすぎて、もうそう簡単には取り除けないほどどうにもならない状況に成ってしまっている。
日本の舵取りが上手く行かない理由もキチンとクオリファイされてない能力の無い人間が、あらゆる組織に競争を免除されて、こういうインチキで入って寄生している。ヘタをすると半分位がそうだったりするわけですから、当然でもある。こんな状態を慣習だからと放置し、利用し、そして発覚すれば悪者としてパージし、中央集権のエビデンスにしようなどと、一体どこまで腐っていれば気が済むのか。
今回の顛末の情報を知れば知るほど、不正がやり易い構造になっている。明らかに不正をしやすい構造を放置する事によって得になる連中にとっては都合が良かったわけです。不正をした方が得な構造を放置しながら、あとは個人の良心に任せるみたいなやり方ではなくて、キチンと個人や組織のインセンティブと、外部の利益と、そしてこういう言い方は好きではありませんが、善なる行いとが、それほど乖離しないようなアーキテクチャーになっていない所が非常に問題がある。チェックに開かれていない。
不正を働いた方が合理的な判断だったりする場合がある。もちろんパクられちゃえば不合理ですから結果的に見ると不合理な判断なんですが、人間はそんなに先の事を合理性計算に基づいて何でもかんでも予測出来るわけではありませんし、捕まったってどうせ執行猶予だし、最悪すぐに出てこられる、であれば合理的だと考える場合だってあり得る。
これは企業にしろ、官僚にしろ、自己目的化が起こるに決まっているような構造に投げ出しておいて、良心が無いのか!!とか、腐ってやがる!!って感じで叩いても、その位置に立たされたとしたら、人間は弱い生き物ですし、狡い生き物ですから、俺は絶対にやらないと自信を持って断言出来ない人だって沢山いるはずです。これはたまたまそのポジションにいないから犯罪者になってないだけかもしれない。
強い崇高な精神の持ち主からすれば、そういう煩悩まみれの弱い人間は修行が足りないの一言で片付けられてしまうかもしれませんが、そんな人は中々いるもんじゃありませんし、偉そうにメディアでほざいている連中や、俗情に媚びた政治家なんかをみていると、お前だって似たようなもんだよと思えるような人がそういう想像力が無い。
その立場に立たされてないのだから、立たされていない人間が文句を言う権利は持ちろんあるし、実際にルールを破っているのだから、弁護する余地はありませんが、アーキテクチャーを真剣に考えて是正出来ないと、こういう問題は絶対に無くならない。お手盛りの第三者機関的チェックでは是正する気が無いと言っているのと同じです。
こんな問題はよく考えなくともどう考えたって不合理です。地方行政の談合体質なんてのは誰でも知っている事でありながら、どうせ変わらないと諦めるアンタッチャブル・カテゴリーと化している。至る所、あらゆる所にこういった構造はあるとみんなが知っていながら、どうにもならないと諦めている、あるときみんな知っていた当たり前のどうにもならない構造が表面化すると、生け贄として徹底的に血祭りに上げて一部の構造には吹き上がるけれど、抜本的な是正にはほど遠く、ガス抜きで生け贄を叩いたあとは、時と新たな情報に流されて忘れてしまう。
大分の話なんかはどういう風に話が転がっても、社会の底が抜ける方向にしか行かない。おそらくお手盛りの第三者機関が出て来るという事になれば、それは生け贄を一握り罰して、あとはお咎めなし、追跡調査不可能という事実上蓋をしてお目こぼしというパターンになるのでしょうけれど、そうなれば教育に対する不信は益々深刻なものになるでしょう。どうせ裏金で先生になったんだろ?という疑いのまなざしを、保護者もそれ以外の大人も、子供達も教師に向けて見るようになる。
これは大分だけの話ではありません。どこでも普通にあると誰でも思っている構造なわけですから、教育が益々疑心暗鬼なシステムとなってしまう。そうなると更に抜け駆けを加速させ、抜け駆け感も同時に膨らませてしまう。
もう教師の言っている事なんて何を言っても説得力が無い。父親も教師で、その子供も教師であるパターンであれば、仮に不正を働いていないとしても、疑いのまなざしで見られてしまう。潔白な教師もやる気を失ってしまう。
潔白な教師からすれば冗談じゃないと思うでしょうし、こういう構造はとんでもない話なので、仮にこれはほぼ有り得ませんが、徹底的に遡って不正を追及して、教員免許の剥奪をするような事をすれば、ヘタをすると、半分近くの教師が職を失い、当然そういう奴らを罰するのはいいとしても、学校や潔白であった教師や、子供達が煽りを食う事になる。いずれにせよババを掴まされるのは、無関係であった人々という事になっちゃう。
今の日本の構造から考えると、ただ分権化しても上手く行くわけが無い。地方がこういう構造を抱えているかぎり、絶対に厄介な事態は益々起こってくるでしょう。だから分権化は阻止しなきゃならないと、可能性としては少ないかもしれませんが権益の為ではなくて、国家の舵取りをまともにしなきゃならないという志によって、分権化を阻止するという発想になってもしょうがない構造がある。
分権化は絶対に必要ですが、それが結果的にもっと酷い状況を加速する可能性もある。ここでもやっぱりコミットメントが重要になる。まず市民性を成熟させ、コミットメントや社会性を埋め込んだり、普通にアーキテクチャーに従ってインセンティブを持てば、まともに社会が回るような設計が重要になる。
無関係であった人が割を食うという言い方をしましたが、誰でも知っている構造をどうせ変わらないと諦めているという事は、その構造を許しているという事と同じ事で、積極的ではなくとも加担している。だから無関係な人がいるとすれば、それは子供達だけです。大人であれば誰でも加担しているとも言える。認めているのだからそれで割を食うのは自分達の責任でもあると言えます。
韓国が吹き上がっている教科書問題、これだってようするに三流官庁である文科省の生き残り戦略です。竹島の教科書記述の問題で世論を煽れば、バカな吹き上がり共が、韓国人も日本人も吹き上がって、文科省が重要な役割を担っているという宣伝効果に利用されてしまう。こんなのは、とっとと分権化すればいい話で、あんなゴミみたいな官庁がいつまでも権益を握ってるからこういう事になる。そしてそれに乗せられる我々の責任でもある。
ブッシュが拉致問題を忘れないと言いました。これはアメリカは人権問題にうるさい国なので、当然自分の立ち位置を守る為というのもあるでしょう。それと同時に、日本人がそういう言い方をすると喜ぶという事を知っているからでもある。結局忘れないと言っているだけで、何をするとも言ってない。逆に忘れなければ何でもやると言っているのと同じです。だけど「忘れない」という一言が挟まり、被害者家族への同情を見せると、日本人はコロッと引っかかる。重要な成果だとかって評価するアホ知識人までいる。
なんにも言わないで、拉致問題には全く一言もふれなかったのがゼロだとすると、ちょっとふれたという程度なので、ゼロではないというだけです。
しかしこういう言い方をされると、簡単に引っかかる日本人も、結局は、忘れないと同情してくれるのはありがたいけれど、具体的に何もしてくれないじゃないか、って話にやっぱりなる。まあ当然ですよね。忘れないとしか言ってませんから。
だけど、例えば竹島問題で、韓国の立場を考慮するという言い方をして、結局書く日本政府、それに吹き上がる韓国人をみていい加減にしろと感じる日本人。
考慮すると言いながら結局書いているじゃないかという韓国人の言いたい事と、忘れないと言っているだけで結局何もしてくれないじゃないかという日本人の思考は同じです。自分達は普通にそう思っても、他所の国がやっていると、ふざけんなって話になる。
しかも韓国人の場合、日本が直接交渉の相手ですが、日本の拉致問題の場合、相手国は北朝鮮です。アメリカは関係ない。だから知らん顔するのは当然であるのに、そういう風には思わない。
韓国が酷いとか北朝鮮がムカつくと思っても、彼らと交渉するのは国民ではない。日本政府です。人気稼ぎの為なのか、本当に解決の為なのかを見極めなければならない。可哀想と思っているかどうか、強気に振る舞っているかどうかは関係ない。
加藤紘一が北に拉致被害者を返すべきだったと言って、バッシングされましたが、もしそれで解決出来る可能性があるのなら、方法論としては有りだと自分は思います。もちろん今更そんな事をしてもしょうがありませんが、あの時点拉致被害者が日本に帰国した時点では返す事になっていたわけだし、その北との約束のちゃぶ台をひっくり返したわけです。安倍晋三が。
福田首相は当時官房長官だったわけですが、彼も返せと言っています。その事で結局辞任につながる。この交渉をここまで引っ張って来た田中均も売国奴としてパージしちゃった。安倍の進言にポピュリストの小泉が乗った。そのせいで北との交渉の目処が途切れ、小泉はノーベル平和賞の夢が潰えた。だから安倍を怨んでると言います。自分で乗っかったくせに。
その後、この問題は手詰まりになり全く解決のめどが立たなくなってしまった事を思えば、北との信頼関係を構築し、バーター取引に持ち込んででも解決するような方向性の方が重要だったはずです。拉致被害者を返さないとしても、北との交渉の窓はなんとしても残さなきゃならなかった。だって交渉しなきゃ帰って来ませんから。
もちろん福田や加藤が本当に解決の為に言っているのかと言うと、どうもそうじゃなくて臭いものには蓋をの精神、北の利権に目がくらんでって感じにも見えない事も無いのですが、方法論として解決する事が目的であれば、言うのも不遜だというのは戦前と変わらない。被害者家族の気持ちは十分わかりますが、彼らの感情の救済を最優先して、結局解決出来ないのでは意味がない。スッキリするか善か悪かは関係がない。善を叫んで、スッキリして、結果的に解決しないのでは意味がない。解決するのが目的なんだから、土下座しようが経済支援しようが関係ない。
経済支援とは止めるというのは脅しになりますが、復活してやるというのはアメにはなりません。復活しなくても慣れてしまえば痛くも痒くもないからです。日本との経済関係をズブズブにして、日本無しじゃ立ち行かない構造に依存させて、経済支援カットなら効果がある。だから交渉の窓を閉じて、経済支援のアメをちらつかせたって何の効果もない。世界中の国で経済制裁をしなきゃ何の効果もないからです。こんな事は外交の常識です。
だからアメリカだって経済制裁をすぐに止めちゃおうという話になる。ブッシュ政権のレイムダック、彼の手柄、実質的な外交成果の皆無云々という話を偉そうにほざくバカ知識人がいますが、それ以前に外交の常道です。
経済制裁の効果がある論を言っていたたわけが、結局その言ってしまったトンでも論に縛られて、国民を誑かしている。まだ言っているバカが沢山いる。被害者家族や、国民まで誑かされちゃった。経済制裁はやる前に脅している段階か、やった瞬間しか効果がない。なのにこの国の政府は世論に流されてあっというまにカードを全部使い果たしてしまった。カードは切っちゃったらもう効力がどんどん無くなって行くだけです。
これはアメリカからの自立の問題とも重なります。日本がアメリカから自立するには、北東アジアからの感情的な許しが絶対に無ければなりません。彼らが吹き上がる以上、日本の自立は難しい。自立するという事は、日本をアメリカ管理から手放す事になるからです。日本に対してルサンチマンを感じる彼らからすれば、こんな論理性の無い嘘ばっかりついている民族を自由に放置したら、何をしでかすかわからないと感じているに決まっている。
石原都知事的な断固決然野郎が典型ですが、脅しというのはゲバルトの恐れが無くちゃ意味がない。アメリカの奴隷状態の国でいくら偉そうにしたって、どうせ何も出来ないに決まっているとどこの国でもわかっているわけで、何の効果もない。言うべき事を主張しろと言ったって、そんな奴隷国家の言う事なんて無視したって痛くも痒くもないわけです。北朝鮮だって日本と直接交渉なんてしなくたって、アメリカと片がつけばどうにでもなると考えている。だから交渉なんてまともにやったって下らないわけです。かつて経済のチャンピオンだった頃ならそれでもどうにかなったかもしれませんが、もうそうではなくなっている。それはどんどん加速して突っ走っている。
内政干渉に屈するという事は、一人前の国として外交の敗北を意味するとか言う言説もありますが、こういうのは下らない、下らな過ぎる。だって一人前の国じゃないじゃないか、って感じです。バカにされたとバカが吹き上がっても意味がない。バカなんだから。必要なのはバカじゃなくなるように学ぶ事で、吹き上がる事ではない。一人前の国として振る舞いたかったら、まず一人前に成る事です。それが出来ない段階で、外交に敗北したとか吹き上がっても、もうすでに奴隷状態で敗北状態であれば無意味です。そこからどうやって脱却するのか考えた方がいい。
今の日本に出来る方向性は一つしか無い。友好を謳うしか無いわけです。当然友好だけでは現実の国際政治を乗り切れるほど甘くはない、だからゲバルトの脅しの効果を有効にする為には何が何でも自立しなきゃ交渉は出来ない。交渉は友好だけでは上手く行かない。
だから自立の為に必要な事は何でもしなきゃならない。政治家のメンツなんてどうでもいいクソ喰らえです。日本人のプライドなんて犬に食わせてやればいい。土下座でも何でもして、彼らの感情的な許しを得なきゃならない。その為の支援ならいくらでもOKです。歴史の事実なんてなんだっていい。だいたい歴史に真実なんて無い。
日本はもう絶対に酷い事は致しませんと、靴を舐めようがケツを舐めようがやる必要がある。その為に竹島が必要ならくれてやればいい。その為にガス田が必要ならくれてやればいい。北方領土だって放棄したって構わない。それと引き換えに自立出来るのなら安いもんです。日本がいかに無害な国家であるかというプレゼンテーションが重要で、叩かなければ安全な国だとすり込む事が重要です。
それはアメリカに対しても重要です。いかに忠誠心を持っているか、いかにアメリカの国益になるか、土下座でも嘘八百でも何でも構わない、自立しちまえばこっちのもんです。その為にはどんな事でもやる必要がある。アメリカ追従にしたってこれが前提に無くちゃ意味がない。北東アジアに吹き上がって戦後レジームからの脱却とかほざいているクズは、自立する為に必要な手順を全く踏んでいないので、自立なんて考えちゃいないわけです。だからどんなにカッコつけてもこういう奴らは売国奴です。
もちろん河野洋平的な問題の先送りの為の土下座も論外です。目的が無い、それ自体が目的になっている。ようするに政争の具に利用している。こういうのももちろん売国奴です。国民が吹き上がったって、政争の具を越えて政治家がプライオリティを考えて決断主義的に実行すれば解決する可能性はある。こういう事を人気取りのリソースにしたり、引きずり下ろす為の手段に利用したりしていたのでは、この国の未来は無い。
自立すればおいそれと無体な要求は出来なくなる。何も自立して軍備をちらつかせて偉そうにしろとか言いたいわけではありませんが、理不尽な要求を無原則に突き付けていてもどうせアメリカの奴隷だから心配ないという状況と、自立したそれなりの軍事力を持った国家では交渉の仕方だって変わってくる。それはアメリカ軍を追い出さなくたって出来る事はあるはずです。現に戦後はそうやって舵取りをして来た。
理不尽な要求を突き付けないかぎり、日本は安全な友好国家だと思わせる事が重要です。それは言うべきことを言わないという事ではありません。友好国と奴隷とは意味が全く違う。その為に軍事も交渉のリソースとして利用価値があり、実際それを使っちゃっちゃアメリカや戦前の日本の二の舞になっちゃう。
手段の目的化を散々叩きましたが、別に手段が目的化しても、誰にも迷惑がかからない実存の次元でのデータベース的記号の消費であれば、それは別に誰にも文句を言う権利は無い。組織がそういう状態に陥ってしまうと言っても、そりゃある程度はしょうがない部分は当たり前ですがあります。誰だって食ってかなきゃならないわけですから。しかし度を超した手段の目的化はやっぱりマズい。多くの人が酷い目にあっても関係ないというのでは、社会が回らなくなってしまう。
逆に言えば、目的がしっかりとあって、その為の手段なのだとすれば、自分は権益だって天下りだって、ポピュリズムだって、土下座だって強気の外交だってなんだっていいと思います。日本には公を担えるのは今の所官しかない。それに政治家はアホばっかりなので、アメリカと渡り合う為に、近隣諸国と交渉する為には官僚の力が必要であるというのもわかる。その為であれば官の特権をある程度認めてあげたって構わないと思います。その先に国民益という事がしっかりあれば、その手段はなんだって構わない。
もちろんやらない方がいいに決まっている事は沢山あります。ルールだって守った方がいいに決まっているし、それで他国や誰かを敵として設定して傷つけるような事はやらない方がいいに決まっている。そういう事を除けば何でもやっていいのかと言えば、やらないで済めばやらない方がいいに決まっている事はいっぱいあります。しかし目的が無くなるのは困ります。これが一番最悪の事態です。
小沢と福田の連立話が出たとき、この国では滅茶苦茶に叩きました。民主制が終わってしまう、みたいな感じで。しかしあのとき殆どの人が小沢が重要な事を言っているのをちゃんと聞いてない。自衛隊を出す時は国連中心主義にするという重大な一言です。これを自民が飲むと言ったから連立するというか政策協議に入ると言いました。
これは戦後レジームの本当の大転換になる可能性があったわけです。アメリカ依存から国連という正統性を使って脱却すると言っているのに等しかった。これは明治維新の王政復古とか大政奉還なみの大転換の可能性がある方向性です。
これが出来れば政権交代なんてクソみたいな話ですし、これが出来るのなら連立しようがなんだろうがどうでもいいような決定です。アメリカの奴隷状態では誰が政権を握ろうが結局一緒ですから。小沢もそう思ったから飲んだのでしょう自民党の時代からそれを言っていましたし。だけどその事を全然理解する前提がないので、民主主義の自殺行為だ!!って話になっちゃう。奴隷状態の国で民主主義なんて死んでるのに、国民もメディアも政治家までもが、全く理解する事なく吹き上がった。民主制を機能させる為に必要な事を理解していない。プライオリティが滅茶苦茶です。
無原則でアメリカの奴隷として自衛隊を出す方向性から脱却し、国連の決定が必要条件であると言っただけで、国連に言われたら絶対に出すなんて一言も言ってないのに、それを理解する事なく吹き上がった。国連なんてのはどうせ形骸化しているわけで、アメリカからの脱却の為の方便として言っているという事が伝わらなかった。危険だ!!って話になっちゃう。無原則でアメリカの言うがままに出す事と、ちゃんと原理原則をつくって、日本が主体的に判断するというのでは全然違います。目先の危険というか政治家の決定に伴う責任を回避して、先々もっと厄介な事態に巻き込まれる可能性を残してしまった。せめて言っている事ぐらい聞けよって感じでした。
もちろん小沢は信用出来ないとか言うのは理解出来る、福田もどうせ政権を守るための方便なんだろという風に見えるのも共感出来る。政治家は無能のクズばかりなので、そんな目的に向かって突っ走るとロクな事が無いようにも感じる。今の政治家なんかに自立なんかさせて、フリーハンドを持たせたら、それこそなんとかに刃物状態です。国民の民度も絶望的なので変な方向に行きそうな気もするというか行くでしょう今のままなら。
アメリカのケツを舐めようが中国のケツを舐めようが、連立を組もうが、目的のための合理的な判断か否か、それを見つめる冷静なまなざしが無い。目的はなんであるのか目的達成に不可欠であれば、泥にまみれてもやるべき事はありますし、きれい事を守りすぎて何の結果もついてこないというのでは困る。我々はそれが何の為であるのか、目的をキチンと見極めてそれから論じなければ意味がありません。
日本人はあれほど酷い爆撃にさらされて、あんなに惨い目にあったのに、心のどこかでアメリカ人が大好きです。それはアメリカの文化的コンテンツによって骨の髄まで彼らの文化が染み付いて、それが憧れになっているからです。北朝鮮なんかにも同じ事で、政治でグズグズやるよりもとっとと国交正常化し、文化的な交流を盛んにしてしまえば、一番有効に彼らの牙を抜く事が出来ます。彼らとの問題を手っ取り早く解決する為には有効なリソースになり得る。
それに経済関係が依存するようになれば、なんだかんだ文句は言い合う関係ではあり続けるかもしれませんが、背に腹は代えられなくなる。無能な政治家の動員のツールに利用させていたのでは絶対に解決しない。
さて随分長くなりましたが、最後に自分の好きな戦前の日本のお話を書いて終わりにします。これが非常に今の日本にとってのいい教訓になるだろうと思うからです。
黒船来航という話は多くの人が知っていると思いますが、白船来航というのは歴史に埋もれてしまっていて意外と知られていません。
日露戦争の後、日本が疲労困憊していたときに、初めて白人が有色人種に負けたもんだから、アメリカはビビりました。黄禍論なんてことがいわれてて、このまま太平洋をほおっておくとバルチック艦隊を破った、世界有数の日本艦隊が太平洋の覇権を握ってしまい、太平洋の軍事バランスが崩れてしまう、と言って、グレートホワイトフリートと呼ばれた大西洋艦隊を、当初サンフランシスコが目的地だったのを世界一周に変更して、それを口実に日本の近海に近づき黒船以来の砲艦外交で威嚇行動にでたわけです。
アメリカの艦隊十六隻に対して、日本は七隻しか戦艦がありませんでした。アメリカの戦艦が白塗りだったので、白船来航っつって大騒ぎになったわけです。当時日本には戦う力は殆ど残っていませんでしたし、日露戦争の後、軍縮もやっちゃってるので危機だった。
そこで、この国がとった戦略が、ようこそ白船艦隊、ウェルカム米国艦隊の皆さん、万歳万歳とやったわけです。新聞もアメリカに媚を売ったり、アメリカの皆さんに粗相のないように説教口調で注意を促したり、簡単な英会話をのせたり、徹底的に歓迎ムードで対抗した。アメリカ艦隊は大砲の一発でも撃って脅かしてやろうとやってきてるのに、港ではアメリカの小旗を振って、子供も大人もウェルカムアメリカの皆さんと熱狂し、女の子は菊の花束を持ってお出迎えし、みんなで万歳万歳、星条旗よ永遠なれを歌ったり、園遊会や晩餐会に招待したりして、アメリカの機先を制したわけです。
今こういう発想はありません。国民から政府まで、スポイルされた環境で薄っぺらのペラペラなきれい事ばかりになってしまった。この頃も国民レベルでは大差ないかもしれませんが、少なくとも政府はもう少しまともだったように感じる。今の政府は危機というと選挙に落ちるって話になってしまう。この後、手段が目的化し泥沼の戦争に突っ走って行った頃にももちろん無かった発想です。
目的がなんであるのか?その事を見極めないと、いつまでたっても進めません。メディアが気持ち悪く中国や韓国に媚を売るのはありますが、これは媚を売るのが目的だともいえるのですが、今は情報化社会なので、そもそもこの当時のように一丸となる事は不可能です。
だから情報のコントロールよりも教育や啓蒙で格好悪くても情けなくとも必要な事をやる。それを国民が見極めた上で是非を考えられるようにならないと、表面的な対立点で一歩も前に進めない。見極めても意見は割れるでしょうから、そういう意味での対立点は消えないでしょう。しかし上っ面の対立点でああだこうだやり合っているよりはいい。せめてある程度の前提でクオリファイされた意見でせめぎあってくれればもう少し希望も持てる。
そして人のせいに押し付けるだけなら、誰だって責任者になれる。責任を取らないで済むのなら、どんなバカでも責任者に成れます。企業の経営者だってそうです。従業員に責任を押し付けてクビにしてれば済むのなら、誰だって出来る。
しかしそういう手段は最後の手段で、そう簡単に出来ないと誰でも思っていたから、責任者というのは大変な立場であったはずです。そういう構造にぶら下がって依存し惰眠を貪って来た無責任な輩が多過ぎて、責任を持ってる奴に責任を取らせるという意味で、自己責任はわかります。が、そうであるのなら先ず重い責任を負っている人間がいるはずです。
事後チェック型社会は不安を煽って権益を吸い上げるというパターンです。その事を見極め、成すべき事の為の手段か、それともそれ自体が目的か見極めなければ、どんどん手詰まりになってしまいます。その上でのコミットメント、結局それしか無い。
本当毎度毎度クソ長くてすんませんでした。今月はずっとマジネタで書こうと思ってたのですが断念です。
それではいつものように、この話題はこれにてEND!!