前回の続きです。

自立するという目標無しに(ソ連のような脅威無しに)、アメリカからゲインを引き出すという事は難しく、日本の権益(既得権の)を守るという事も難しい、なのでアメリカに思いっきり追従一蓮托生化して、アメリカのおこぼれを奪い合い、たいした権益のない連中は流動化に叩き込み、既得権の形をアメリカ追従事後チェック型に変更して守ったのが小泉での構造改革でした。

自立する気がなかったのは、右も左も一緒でしたし、国民も不安になるに決まっていましたので、事実上それしか選択肢はなかったとも言える。先送りにし更にスッカラカンになる可能性は大でしたから、マシだったとも言えるわけで、小泉だけに責任があるわけじゃありません。戦後政治、この国が戦後陥って来た弊害の帰結であったわけです。

天皇の元での鍔迫り合いから、アメリカの元での鍔迫り合いに変わったと書きましたが、その辺の話をちょっと書こうと思います。天皇の元での鍔迫り合いが最初はネタだったわけですが、段々ネタでなくなって行くのと平行して、この国が泥沼の状態に陥って行くのと、アメリカの元での鍔迫り合いが最初はネタだったのが、次第にネタじゃなくなって、本気でアメリカ追従になり、二進も三進もいかなくなって現状のボロボロな状態になるのと、何となく同じ事を繰り返しているように見えてしまいます。

天皇を統合のシンボルとして近代化した明治以降、天皇というのはネタとして岩倉使節団系の連中が中央集権国家を設計した時に近代化を走らせる為に利用したに過ぎません。だから尊敬もしてなかった。天皇陛下万歳というのはネタでしかありません。

プロテスタンティズムの神がいないこの国では、天皇がその代わりになって近代化を果たしたので、そういう意味で天皇主義というのなら、つまりネタである近代を走らせる為に、ネタである天皇が必要だという意味で天皇主義というのらわかります。三島由紀夫なんかはこの立場でしたが、そもそも右翼が最初に出て来た時は天皇陛下万歳なんて全く関係ありません。市民運動の一つとして、皇室を玉として戴いて、人民の権利を守る為の運動であって、下からの運動の中での愛国でした。パトリオティズムという感じです。愛国を国家に纂奪されて愛国心のない君側の奸が愛国を叫び暴走して行った事とは関係がない。

愛国というのは西郷の「敬天愛人」という言葉がモデルになっています。西南戦争での反政府軍、西郷軍は滅茶苦茶強くて、政府軍では太刀打ち出来ない。西郷への帰依、愛郷心を持った連中の勇猛さに手を焼いた新政府は、薩長にボロクソに叩きのめされて、西郷に怨みのある会津や、北越戦線で雷神隊を率いて山県有朋の官軍を散々手こずらせ、後に日露戦争で陸軍中将として第八師団を率い、黒溝台開戦において壊滅寸前の日本軍を窮地から救った立見尚文なんかを、新政府軍の抜刀隊に(主力が会津だと言われますが、薩摩藩郷士出身者の主力の中に混じっていたのが本当の所)引っ張って来て、旧幕府軍の戊辰戦争時のルサンチマン、愛郷心をそこにぶつけました。

西南戦争に敗れた、明治政府を正すという西郷の志は自由民権運動となって全国へ伝わりそこから下からの愛国が出て来ます。それが右翼の始まりだとも言える。頭山満なんかが有名です。

旧幕府軍、会津の愛郷心に散々手を焼き、西南戦争で西郷軍の愛郷心に手を焼き、西郷軍を打ち破った旧幕府軍の強さの源が愛郷心であった事を見て、新政府は上からの愛国を考えます。これは右翼とは関係がありません。国家のケツを舐めているだけです。アジテーションの天才、蓑田胸喜みたいな断固決然日の丸君が代的な論理も情緒もごっちゃまぜで多様性を認めないというのは、本来の右翼思想からすれば相当ズレた発想です。

西郷の為に死ぬ人間は沢山いるけれど、新政府の政治家の為に死ぬ人間はいない。西郷を越えるカリスマ性は天皇にしかないという事で、天皇中心の国家像、愛国心という事を利用して統治しようと考えます。この下から出てくる澎湃の声として沸き上がる民権としての愛国を脅威に感じて、官製の愛国によって押さえようとするわけです。最終的に官製の愛国が勝ち、その後の日本が暴走して行く帰結を招く事になります。

ちなみに右翼が民権から国権、亜細亜主義、インターナショナリズムと変貌を遂げて行き、段々国家主義的なナショナリズムと区別がつかなくなって、今日では同じだと勘違いしている人が右にも沢山いますが、これは根本的にわかっていない発想です。

アジアの惨状を見て、列強の侵略から国を守らないと、そもそも民権が守れなくなります。人民の権利を守る為に、国権を道具的に利用したのが最初だったわけです。同じ発想として、アジアが酷い目にあっているわけですから、アジアの連帯も考える。それで亜細亜主義となり、当時の帝国主義に対してアナキズム的なインターナショナリズム、抑圧された人民の連帯に反応して、インターナショナリズムも考えるというわけです。それは国家権力者同士の連帯ではなくて、抵抗の為の人民の愛国心だったわけです。それぞれの国で抑圧された人民達が愛する郷土を取り戻そうという思想に反応した。

まあ他所の国からすれば余計なお世話になって行くわけで今日的な状況を作ってしまった事は否定しませんが、初期の右翼はビハリ・ボースや孫文をかくまったりするわけです。インド、イギリス政府、そして日本政府と闘いながら。後に日本は満州国を作り、日本政府の肝いりで満州国皇帝が生まれたり、朝鮮を合邦した時も朝鮮神宮なんかを作ったりして、天皇制の輸出を考えたりするわけですが、初期の民権の中から生まれた右翼的な発想ではそんな事は全然考えていないわけです。中国なら中国の人民の権利こそ一番重要だと考えた。

だから中国人民が王制が必要ないと思えば打倒すればいいし、打倒するか維持するかは中国人民の意志で決めればいいと。中国人民の意志で決めた方向性を支援するという感じでした。天皇制の押しつけなんて微塵も考えちゃいなかったわけです。世界の王制が打倒されれば日本の天皇制が危うくなるとも思っていなかった。その国の人達が決めればいい事で、ためにならなければ王制なんてどんどん倒せばいいと思っていたくらいです。

大川周明や北一輝だってそういう所があった。亜細亜主義だってそういう所が出発点でした。亜細亜主義というのはその後の顛末もあって、アジアを日本が余計なお世話的にまとめようとしたという感じで言われるわけですが、当初の志は、今日のアメリカングローバライゼーション的なものに抗う、オルターグローバライゼーションというか、それぞれの主権国家が集まって、それぞれの多様性のもと共生をして行こうと言う、よい意味でのEU的な発想の先駆けです。

日本のシステムとして、常に天皇を玉として革命が起こり、レジティマシーの調達の装置として機能して来たという事で、日本には天皇制度は人民の権利を守る為に必要だと思っていたから皇室を戴いてと言っていたわけで、革命とは人民が不当な権力に抗う手段であり、それを正統化するのに天皇は欠かせなかった。

国家が愛国を独占し、日本の天皇制は素晴らしい、だから外国も学べ!!みたいな発想はなかったわけです。どんどん暴走して行き、天皇がアジアの盟主になるとか、世界の天皇になるとか、上からの愛国のケツを舐める人間が増えて行くわけですが、それは右翼ではありません。言っていてもネタでデューイのインストルメンタリズム的に言っているのか、ベタで本気で信じているのかでは全く違う。

次第に日本ではベタで信じる困った輩が増えて行った。それをネタでわかっている人は最初は利用していたのかもしれませんが、段々ブレーキが利かなくなってくる。愛国心の沸騰というのはコントロールが効かなくなります。だって国を愛しているんだから俺達は正しいという風になるわけです。国の為にと言っている人を弾圧してしまえば、愛国の刃は簡単に矛先が変わります。それが国家全体での後戻り不能の空気を作って行ったとも言えます。

中国が反日暴動によってカードを失ったのは記憶に新しい所ですし、韓国なんかも政権が不人気になると反日ナショナリズムを煽るというカードを必ず切って来ます。これは麻薬みたいなもんで一時元気になれますが、次第にコントロールが利かなくなり、それが逆にクビを絞めて行きリソースを減らしてしまうという事につながる。安倍なんかも威勢よく断固決然と拳を振り上げておりましたが、顛末の情けなさは、さすがに自分は大っ嫌いでしたがちょっと可哀想になるくらいでした。

幕末、尊王という事で、山崎闇斎の崎門学派の流れで水戸学や頼山陽なんかが流行っていたわけですが、これだって幕府の権威より、更に上位の権威を利用してレジティマシーを調達しようとしたに過ぎない。革命の玉として利用出来るから尊いと思っていたわけです。天皇と言う幕府よりも正統性があり、しかも幕府に変わる正統性になり得るという事で熱狂した武家や一部の特権階級とは違い、一般の民衆は天皇なんて言ったって知らない人の方が多かった。

この二重性故に天皇を利用する事になります。なので天皇を中心に据えても、誰だそりゃ?みたいな天皇を揶揄するような声が結構市民の中では普通にありました。それが決定的に変わったのは、日露戦争で日本が勝ったくらいから、天皇の神格化が市民の間でもネタではなくなって行くわけです。

もちろん、幕末、天皇の存在を知るものにとって、この尊王思想の影響は凄くて、当時の武士達のエートスを完全に変えました。これが近代化出来た理由かもしれません。キリスト教がカトリックに支配されていた構図から、プロテスタントが生まれ、予定説の神によって人々のエートスが変わった事によって資本主義が駆動して行ったのと似ています。しかし尊王思想が切実になった要因としては、列強の脅威と幕府の弱体化があり、神にでもすがりたいようなお先真っ暗感状態が、まさしく現人神であるという事を言っていた崎門学派によって埋め合わされたとも言えます。

最後の将軍、徳川慶喜がなぜ鳥羽伏見の戦いの際、錦旗を見てとんずらぶちかましたかと言うと、彼は水戸の生まれで、筋金入りの尊王思想、水戸学の薫陶を受けて育ったからです。明治維新というのは武士が起こした革命とも言えますが、そうでありながら武士の既得権を捨て去ってしまいます。廃藩置県、廃刀令と、明治新政府は武士の特権をどんどん奪ってしまいますが、こんな革命は古今東西例がありません。

廃藩置県だって普通なら戦争が起こっても不思議な話ではないにも関わらず、一滴の血も流れずに出来た。それはひとえに天皇のレジティマシーに、天皇教を武士達が信じていたからに他なりません。

しかしそれを明治政府は利用したわけです。崎門学派なんかが天皇は現人神であるという天皇教の基礎を築いていたわけですが、天皇教と国家神道は何の関係もありません。神道では天皇は皇祖神である天照大神直系の子孫だと言う事になっていて、皇祖神の斎主であって、それ以上のものではなく、まして現人神なんかではない。

それに天皇家は真言宗の檀家だったのですが、それを引きはがされて、国家神道のエビデンスとして利用します。天皇なんてよく知らなかった村落共同体の村人達を国民化し統合する為に、天皇と言うシンボルを使います。本当に政府が天皇を現人神だと思っていれば、こういう事は出来ません。

本来日本は天皇が統治していた国であり、武家とはイレギュラーな存在で、本来必要のない存在であった、天皇の代理としてならまあしょうがないとしても、武家が天皇をないがしろにして統治するなど、完全に間違った状態であるという事で、本来の姿に戻すのだというのが尊王思想の中心にあった事は事実ですが、西郷の変わりになる、官製のカリスマ性を天皇を利用して作り上げようとした事は明らかにネタであったわけです。

しかしこれが次第にネタではなくなって行きます。天皇を現人神と信仰する事を利用して天皇中心の国家像を作り、日清戦争に勝つ事によって浸透し、日露戦争の奇跡的な勝利によって不動のもの、一部の武家にとっての現人神であったものが、国民にとっての現人神となったわけです。

明治初期は天皇を信仰していても、明治政府のやっている事は方便であるという事に武家出身でまともにものを考える事が出来ればわかっていた事です。しかし世代交代が起こって段々忘れ去られてしまったというのもあったし、それで奇跡的な近代化を遂げて西洋を打ち破るまでになったので、慢心したのかもしれません。

戦前いやこの国は、明治の維新まで遡って考えると、元々攘夷というのが本義本懐としてあった。それはなぜかと言うと、侵略を回避して独立を守りたかったからです。これは当時日本全国ひっくるめて一つの独立国家という概念はなかったかもしれませんが、それぞれの藩にわかれ幕藩体制のもと、独立自尊で生きて来た。でもそうも言っていられないグローバル化の波が押し寄せて来た。造船技術による移動技術の近代化、兵器の近代化、出版の近代化よって、これまで日本が何度もさらされて来たグローバライゼーションとはわけが違い、アヘン戦争の例などもあって西洋列強の脅威というのが切実になった。

そこで事実上不可能な万歳突撃である攘夷を捨てて、開国し近代化に踏み切った、しかしこれは攘夷の為の開国であって、攘夷というのは戦争するとかって話ではなく、もちろん選択肢に含まれていたとは言えますが独立自尊の為に行なったと言えます。その為には半主権国家、半独立国家という矛盾した概念を押し付けられ、不平等条約を結ばされたと感じていた状況から、対等な関係性に引き上げる為に、天皇を使って天皇の前では皆平等という階級社会を取っ払うような方向性に進み近代化して行きます。

半主権国家とか、半独立国家とかいう概念は、そもそも意味がわかりません。主権があるかないかのどちらかであり、独立しているかいないかのどちらかしか無い。それが半分だけある(もしくはない)なんていう論理性のない言い方に怒りを覚えるくらいの賢さを当時の武家は当たり前に持っていたわけです。論理性の全く無い、グレイゾーンなんていう言葉が跳梁跋扈していて平気で使っている現在から見ると、相当まともな感覚です。

資本主義というのは今はマネジメントや技術の発達もあって、亜流の資本主義を駆動させる事は可能な時代になりましたが、当時としてみれば、予定説の神がいないと駆動しない代物でした。それがないと資本主義のエートスを獲得出来ないからです。ドイツ語で言うとべルーフ、英語ですとコーリング、職業=召命、要するに神から与えられた天職であると思えるかどうかに関わって来ます。

予定説というのはもう自分が神の国へ行けるか行けないかは生まれた時点で決まっている。人間の行動によってそれが変わってしまえば、人間が神をコントロールしている事になってしまいます。なのでどんなに信仰心を持ち神から与えられた天職を善なる心で全うしても、救われるか救われないかはもう決まってしまっている。いくら真面目にやっても満たされない。しかし救われる人間であれば当然神から与えられた天職には勤勉であるに決まっていますし、善なる心を持っているに決まっている、という事を信じ、それを拠り所にし、職業を自己目的化する事によって、資本主義が駆動して行くわけです。仕事とは単に金を稼ぐ為の方便ではなく、仕事そのものに価値があると思える事が重要です。

デモクラシーも神の前では皆平等と思えないと駆動しません。偉そうにしている特権階級の連中だって神の前では平等なわけです。人間の持っている権利もまたそうであり、だから民主主義が駆動する。王が生まれながらに尊いなどという考えは、神の前では平等であるわけですから色褪せて見える。伝統的な価値観も神の御心にそっているかどうかだけが関心事になれば、神様の為なら社会の仕組みなんてぶっ壊しても構わない。神の前では平等であるという精神に反していれば構わない。むしろ神の御心にそう、選ばれた人間であれば積極的にそうするであろう。これが革命思想につながって行き立憲主義が生まれるわけです。

したがってこういった宗教のない状況で民主主義、資本主義、立憲主義を導入しても、上手く機能するわけがないという事を、明治の元勲達は気付いたわけです。その為に天皇を利用した。したがって非白人国で当時唯一自力で近代化を遂げるという奇跡を成し遂げる事が出来たというわけです。今の日本が立憲も民主も資本主義も上手く機能しない理由はここにあります。だから三島由紀夫は天皇の人間宣言を嘆いたわけです。

日本の明治維新というのは極めて稀な革命です。民衆が立ち上がったわけではない。にもかかわらず特権階級が特権を捨てちゃった。そして天皇というフィクションを使って、近代化する。これは攘夷を成し遂げる為に必要だったからで、近代国家と認めてもらう為には民主や資本主義や立憲を上から押し付けて成し遂げる必要があった。その事が段々慢心を生むわけです。

攘夷を行なおうと素朴に思っていた時、征夷大将軍である徳川家がその役割を担えないと、多くの人々が気付き、倒幕に突き進むわけですが、新政府は征夷大将軍を政権から放逐し、その代わりとなる、帝国陸海軍大元帥という立場を天皇に引き継がせ、江戸城を皇居とするわけですが、当然この時武家出身の誰かが征夷大将軍の座を天皇から引き受けても、天皇を玉とした革命が繰り返された可能性があり、その事が近代化を後らせて列強の植民地と化したかもしれませんので、そのときの決定としてはそれが最善の選択だったのかもしれませんが、これが同時に悲劇に突っ走ってしまう原因になってしまった事は間違いありません。

天皇の王権が本格的に纂奪されたのは、足利義満の時で、それ以前は源氏の長者が必ずしも征夷大将軍になるという例はなかったわけです。源頼朝なんかを指して、源氏長者と言ったりしますが、彼は清和源氏の長者であって、源氏長者じゃありません。源氏長者とは主に源氏の中で最も官位の高いものがなっていたわけです。頼朝の時代の源氏長者は公家源氏で村上源氏である源通親(土御門通親)です。征夷大将軍が源氏の長者になったのは義満のときが最初で、そこから足利将軍家、そして徳川将軍家がかねるようになるわけです。

先日、義満が天皇になろうとして世阿弥に暗殺されたとか言う珍説をテレビでやっていましたが、彼は天皇になろうとしたのではなく、院政によって治天の君が掌握して来た王権を纂奪したわけです。天皇になろうとしたのじゃなくて、治天の君になったのです。治天の君とは天皇を出している皇統の家長である上皇なんかが就いていたわけですが、過去例外もありました。即ち皇位に即いた事のない、二人目の治天の君であり、武家として初めてその地位についたわけです。

天皇になろうとして殺されちゃったとか、そんなマヌケな話ではなくて、将軍であり源氏長者である武家が事実上、日本の王権を纂奪した出来事です。これが徳川慶喜にまでつながって行く事になるわけです。

息子を天皇にしようとしたとかって話もありますが、そこまで強引な事をやるほどバカじゃなかったのではないかと思います。源氏ももとを正せば皇族の血族である事は間違いありませんが、血統の遠さから考えて事実上不可能な発想です。力だけで獲得出来るものならば、天皇制なんて続くわけありません。そんな無茶苦茶な論理で天皇に無理矢理なってもメリットがない。だって事実上の王権を纂奪しているわけですから。

王政復古というのは武家に纂奪されていた王権を天皇に戻すという話なのですが、元々源氏長者と征夷大将軍は別の話であり、武家源氏が必ずしも征夷大将軍であったわけではありません。もちろん王権を握るなんてのも別の話だったわけですが、義満以降、特に徳川政権が源氏姓を名乗り、源氏長者と征夷大将軍、そして日本の王として君臨していた図式があった為に、古来王権を天皇が形骸化していたとは言え握って、征夷大将軍を任命していたという図式に戻る事なく、徳川が座っていた座席に政治の形態が変わったとは言え天皇が引き継いでしまった。これが大きな悲劇を引き起こしてしまった原因ではなかろうかと思うわけです。

それがめぐりめぐって前大戦にまで行ってしまった事については、明らかに勝てないとわかっていた戦いを回避する事なく突っ走ってしまった状況は、どんな理由があれ正当化すべきではないと思います。これはネタだった天皇制を本気にするやつが増えて来て、天皇の元での鍔迫り合い、愛国心の鍔迫り合い、俺の方が愛国者だ!お前は愛国者じゃないじゃないか!という多様性を認めない空気支配の構造に突っ走って行ってしまったわけです。

天皇をネタとして近代国家を設計し、列強に負けない強い国を作るという目標が、次第にネタが目的化しベタになり、アジアで偉そうな顔をしてみたり、勝てないのに止められないという最悪の帰結を招く事になるわけです。

アジア諸国が日本を嫌いな理由は亜細亜主義とか言ってたくせに、やってる事は西洋と同じじゃねえかという事でウソつきだとなるわけです。仲間だと思ってたら梯子を外されたわけですから、そりゃ西洋諸国よりルサンチマンは蓄積します。これも西洋の分断統治に引っかかった結果なのですが、手段が目的化していなければ気付けたのではないかと思うのです。

ふーっ。長い。終わらん。

趣味的な、拉致とは何の関係もないじゃないかと思われてもしょうがない話になっちゃいましたが、構造問題の話として、ネタがネタじゃ無くなるというのは非常に重要なこの国の弊害なので、次回はアメリカの元での鍔迫り合いがネタじゃなくなって行く話になります。

懲りずに、つづく!!