なかなか時間が無くて続きが書けませんでごめんなさい。今日も暴走かっ飛ばして書きますのでそこはご容赦下さい。それでは前回の続きスタート!!
北朝鮮問題の報道を観て、拉致被害者家族の記者会見を観て、簡単に乗せられる。この問題が解決しないのは、もちろん北朝鮮にも問題があるのは当たり前だし、拉致の被害は酷い話なのは間違いないのだが、それを援護してしまっているのは、そういう善悪や感情をわきにおいて思考する論理性が無く、被害者でもないくせに感情を煽られて騒ぐ吹き上がりのバカと、それに媚びたメディア、動員に利用した頭の悪すぎる政治家に責任がある。アメリカは酷いとか思っているようなバカがどうにもならない。アメリカが酷いというよりも、日本の舵取りが酷過ぎたというだけの話です。
アメリカが何とかしてくれるともし本当に思っていたのだとしたら救いようが無い。アメリカがテロ国家指定解除をするという事になるに決まっていると感じる事が出来ないのだとすれば酷すぎる。
日本人が拉致と核に優先順位をつけない、もしくは拉致を優先するというのなら、思う所はあるけれどまあわかります。だけど他の国が、日本と同じく拉致優先で考える事なんて有り得ないという事ぐらい、普通に考えればどう考えても当たり前だと思うのですが、こういう事を言うと、すぐ被害者の気持ちを考えろって話になっちゃう。北朝鮮を擁護するのかって話になっちゃう。全然そんな話をしていないのに。
この政治、メディア、国民のトリニティ的構造がどうにもならない。これぞ俗情に媚びたパブリック・ディポルマシーの限界という感じでしょうか。
とは言っても、政治家が政治家であるのなら当然わきまえなければならない当たり前の前提である、マックスウェーバー的な、プロセスやポジショニングやきれい事をグチャグチャほざくのではなく、何が出来たかという事によって政治家は評価されるしかない、そういう事を知った上で選択する政治家だけが評価出来るという事がわかっていれば、国民がアホだろうが、メディアがゴミだろうが、官僚がクソだろうが、選挙で落ちようが、政治家としてやるべき事をやって、決定すれば簡単に解決する問題です。政治家は政治家になるのが目的では無い。
これはアメリカのプラグマティズムなんかも同じような所があって、プラグマティズムを一言で定義すると、結果オーライの思想、帰結主義的擁護と言えます。何がいいのかは先見的には決まらない。結果としてそれがよい事を行なっているとなれば擁護出来るという発想です。
アメリカでは善悪二元論という伝統プラス、プラグマティズム、帰結主義的擁護という、乱暴な言い方をすれば手段を選ばないという所がどこかしら存在し続けて来たという所がある。ネオコンもそういうところがあって、ネオコンなやり方自体全く擁護出来る代物じゃありませんが、その部分というのは思想として否定出来るようなものではなくて、帰結主義的擁護というのは政策評価にしては欠かせない発想です。
意図はそうだったこうだったという問題じゃない。何が出来たかという事によって政治家は評価されるしかない。そういう事を知った上で選択する政治家だけが評価出来るというのが、マックスェーバの伝統的な理論。政治というのは元々帰結主義的な、結果オーライ的な所がある。
日本でも亜細亜主義の系列から出て来た日蓮主義、我々は戦争を招いたのは国粋主義者だと教わっていますが、国粋主義者と言われる人達の多くが、石原莞爾とか宮沢賢治なんかもそうですが、国柱会、日蓮主義者でした。国粋主義の仮の姿をとって、最終的には天皇を日蓮宗に帰依をさせる事によって、日蓮宗というのは世直し宗教なので、日本を世直し国家とする、世直し国家である事によって日本は道義国家になると。
正義を握っている、だから時に侵略を行なおうが場合によってはゲバルトを行使しようが、それは世直しの為のものだと。世直しを行なう時には、みんなある程度の犠牲を覚悟でやるではないかみたいな発想、これが道義国家と呼ばれるもので、道徳主義をほざくバカ保守が道義国家を勘違いして使いますが、国民が道徳的な国家であるという事では全く無い。全然関係ありません。世直し、正義を追求する国家であるが故に、帰結主義的にその行動が正当化されるという思想のことで、すでに田中智學が戦前に展開をして、多くの人達がかりそめの国粋主義者になって行く。
ネオコンにしろ戦前の亜細亜主義にしろ考え方としては帰結主義的擁護的な伝統的なマックス・ウェーバーの論理を当てはめる事が出来るわけですが、結果は知られる通りの有様なので帰結主義的にみれば擁護出来ませんので否定されるのは当たり前ですボロクソに否定していいのですが、そういう覚悟が必要であるという事です。
こういう暴走した結果を招く事がありますので、帰結主義的擁護を全面的に擁護出来るわけではありません。結果オーライだからって何をやってもいいと言うわけではないし、それに伴う犠牲を考えれば、外交政策というのは慎重にならざるを得ないのは当然と言えば当然です。それで戦争をして悲惨な結果を招いているようでは下の下です。
しかしだからと言って決定を先送りし、何も前に進まない状態をグズグズ言い訳したり、権益の争奪戦をやっているような連中は下の下以下、問題外です。決定というのは責任とセットになっていますから、それは責任を取りたくないと言っているのと同じです。きれい事やポジショニングばかりで何も決定せずに責任を回避しているようなクズは政治家の資格がありません。単なる税金ドロボーでしかない。決定する能力がないなら政治家なる資格はない。
帰結主義的に結果が良くない自体を招けばボロクソに叩かれる覚悟がなくちゃ、そもそも政治家としては不適格だという事です。ネオコンや戦前の帰結を知っているわけですから、そういう帰結を招かないように結果を出す政治家こそが、政治家と呼べる、政治家になってもいい、政治家を名乗ってもいい存在だと言う事です。
もちろん政治家にならなければ政治を行なう事も出来ないといったような言い訳をする政治家は沢山いるでしょう。結果を出す為には選挙でうからなければならず、その為には人気も必要だと。そうである以上、国民が喜びそうなエサを与えて、政治を前に進めて行く必要があります。国民にエサを与えて人気を稼ぐ事は手段であって目的ではありません。ましてそれで、社会を疲弊させるようでは話にならない。結果を何一つ出していないカスが言う事ではない。最低限、政治家としてわきまえなければならない常識すらわきまえてないクズばかり。議会制民主主義を採用しているのに、国民が小難しい事を考えなくとも済む制度を悪用している。
サミットで大騒ぎしていますが、これに反対する市民運動なんかが、外国から人が来て起こっていたりします。こういう時、長野での聖火リレーの時と同じように、なぜ彼らがそういう主張をするのかという所より、乱暴だって話に落ちて終わっちゃう。
サミット自体の問題性はあんまり啓蒙されません。世界のたった14%の人口しか持たない国が集まって、勝手に世界の事を話している。しかもその国々は核を持ち、巨大な軍事力を持ち、経済力を持ち、恫喝をちらつかせながら、ずっと先進国に取って都合のいい権益を最優先しながら続いて来た。日本は核を持っていなくとも、核武装したアメリカ軍がいて、プロトニウムをいっぱい持っていて、技術力が高いと思われているのだから、同じように見られている。
軍事によって脅しているだけならまだしも、近代化して幸せになりましょうという甘言によってスポイルし、グローバル化に組み込んでしまう。そうすると元々国内で回っていた産業構造を外貨獲得型の産業構造に変化させ、国際市場で買いたたきいつまでたっても搾取される構造から出られないという袋小路に叩き込む。その袋小路に気付き、元の国内循環型の産業基盤に戻そうとしても、もう土地は荒れ果て、自然は破壊され、生態系が破壊されてしまって元通りにはなれない。
したがっていったんグローバル化を受け入れてしまうと、もう二度と戻れずかといって、搾取される構造からは出られないという袋小路に叩き込まれて、より過酷な環境に陥ってしまう。その事が更にグローバル化にコミットしないと立ち行かないという悪循環に陥ってしまう。こういう構造の頂点に君臨するのがG8という下らない集まりです。後進国の話だけではありません。日本は搾取の頂点にいますが、次第にこの搾取される構造と同じような袋小路に入ってしまっています。
もはや経済的には、日の出の勢いのある国が次々と出て来ているのだからそういう国まで包摂するのなら、まだ話はわかりますが、八カ国がふんぞり返っている所に、ご機嫌とりに仕方なしに他の国がやってくる。貧しい国の話を聞いているというスタンスを取る事によって言い訳として利用している。こんな茶番に何の正当性もない。ふざけんなと思うのが当たり前です。
日本がサミットに入れたのは、かつて財布として利用価値があったからで、もうその勢いも今はない。だいたい戦前、そういう白人支配の世界体制に異議を申し立てて戦争したというのが建前なのに、サミットに入って、メンツを保つような下らない政治家ばかり。非白人国家として唯一アジアから参加しているのだから、搾取の構造への異議申し立てでもするのなら、尊敬もされるかもしれませんが、そういう国々と一緒になって、いかに甘い汁を吸うか、本当はたいした甘い汁も吸えるようなポジションにはいないのですが、そういう奴らのお仲間に入れてもらえたと勘違いして喜んでいる。単に利用されているだけなのに。
かと言って、日本だけが抗ってもすぐにはじき出されてお終いでしょうから、アンチサミットではせっかくそういう連中に釘を刺す機会の可能性を失ってしまいますので、そういう意味でコミットするのならわかりますが、そういう話が出てこない。どうせ話し合ってあれこれきれい事をほざいたって、実効性だって疑わしい。今回のサミットだってシラケムード全開です。
グレンイーグルサミットの時、ホワイトバンドなんかが流行りました。あの時バンドエイドなんかもあったりした。日本でもホワイトバンドが流行った。しかしあの時唯一、ホワイトバンドの金が何に使われているのかって話が大騒ぎになったのは日本だけです。もちろん問題もあったでしょう。しかしあれはアドヴォカシーであって、募金をするって話ではありません。日本では「騙された」とか、「結局金儲けなんだろ」みたいな話になってしまう。実際「愛は地球を救う」とか言って、金儲けしている酷い話もありますので、こういう話が出て来やすいのは確かなんですが、肝腎の貧困問題への関心まで、あっという間に吹っ飛んじゃう。
今回のサミットの報道なんかでも一応それなりにサミットの効果が薄れているみたいな話は出て来たり、貧しい国の経済格差をどうするのだ、みたいな啓蒙もあったりしますが、こういうのが起こると必ずご祝儀相場で政権の支持率が上がっちゃったりする。そしてすぐに忘れる。真剣に考える事もない。その裏側でどれだけ厄介な事態が世界で進行しているのかという所を、ちょっとお涙頂戴的な勘違い啓蒙をするような話が出て来ても、その時は酷い話だってなっても、それが声となって政治に届かない。
声をあげない事自体は、みんな忙しかったりするわけですからしょうがない部分はありますが、声を上げている人達がせめて何に怒って声を上げているのかという事ぐらい、もう少しコンセンサスになってもいいのですが、ちょっと過激だと目をそらし、当たり障りのない、やる気のないデモ行進なんかだと、勝手にやってろで話が終わっちゃう。それで国家によって、デモを行なっていた人がしょっぴかれていても、過激な行動はいかがなものかって話に落ちてしまう。過激なのは問題だとしても、なぜそうするのかという所は、サラッと流れて行ってしまう。本当の問題点は押し流されてしまう。
本当の問題点には届かず囮に引っかかって終わりというパターンが延々と繰り返されています。姉歯の耐震偽装問題にしろ、一連の食品偽装問題にしろ、派遣会社の問題グッドウィル及び介護の問題コムスンにしろ、いずれも行政の不作為という所には問題が行かず、表面上の叩きやすい対象を国家、国民、マスメディアによって徹底的に叩き、結果的に派遣会社の必要性や介護の問題の構造そのものまで叩き、結局救われない人を大量に生み出してしまう。
しかし責任は国家ではなくて、末端の企業に責任があるという感じで、国家は責任を取らなくて済む。国民の必要性に応じて、正しい事をしているかのような錦の御旗を掲げ、弱者救済を掲げて、堂々と規制、権限の強化、利権の創出が出来るようになってしまった。それに対して声が上がらなくなってしまっている。メディアも国民も拍手喝采している。
ライブドアや村上ファンドは叩くけれど、福井前日銀総裁やオリックスの宮内には批判の刃が届かない。日興コーディアルはお目こぼしをする。グッドウィルは叩くけれど、トヨタやキャノンには刃が届かない。偽装請け負いをやっているような会社を牛耳る俗物が経団連の会長だったりするわけですから、どうにもならない。
メディアでもこういった会社は巨大なスポンサーでもあるというのもあるし、大手メディア自体、偽装請負と全く同じ図式の不正をしているので、この問題は絶対に叩かない。
コンビニで薬が売れるようになったみたいなニュースが先日ありましたが、こういう一見自由化しているかのような感じに見える手口がよくあるパターンです。まあこの話自体が直接そうだとか言いたいわけではありませんが、ある種の今この国で起こっている利権のパターンが含まれています。
結局末端の小売店に負担を強いて、裁量はお上が握ったまま、国民は便利になっているような気がするので、悪い話ではないように感じる。自由化という事で、新規参入なんかも入って来たりして、新規参入で風穴を開けようと思えば、他のメーカーが考えつかないような事をしなきゃならない。
もちろんその事がルール違反だと書いてあるわけではなくて、お上もその事を当然知っているのに、ある時何らかの問題が発覚するなり騒がれるなりすると、きれい事にスポイルされた俗情に媚びて、徹底的に取り締まり、それによって損害を受けた消費者への救済は政府の責任ではない、末端の小売店の負担は政府の責任ではない、政府はただ国民の不安に寄り添う形で、一罰百戒的にグレイゾーンだと取り締まる。
制度というのは黒か白なわけで、黒でもなければ白でもないとか、黒でも白でもあり得るとか言う話は有り得ません。それがあるのだとすれば、これは制度に問題がある。制度に問題があるのなら罪刑法定主義的観点から言っても、有罪にするのはやりすぎです。グレイゾーンを残しているのは行政の裁量として残しているようにしか見えない。裁量は権益になる。
そして、こういう悪者が出てくるのは国がキチンと規制をしないからだ!!みたいな話が出て来て、結局役人の権益は元通りというパターン。
利権構造で大騒ぎしている所というのは、こういった事後チェック型の利権構造に変化していない所ばかりです。そしてこの事後チェック型の権益も、それだけでも恣意性や裁量まみれなのですが、厄介なのは、いったん事後チェックを経由する事によって、むしろ国民が自ら望んで、事前チェック型に戻る事を正当化出来てしまうという構造が繰り返されている。
これではコミットメントの埋め込みどころでもなければ、分権化も程遠く、未来像が全く見えない。ネオリベがどうとか、グローバル化がどうとか、市場原理主義がどうとかって話では全然無い。もっと酷い状態になってしまう。
労働運動が変わり、革命運動として弱体化し、体制内化してしまうので配分の調整をめぐる権益の鍔迫り合いになる事が問題であったわけですが、それが更に進行して、事後チェックなので政府は責任もないし、金も無いので鍔迫り合いをしても、鍔迫り合いをしている連中には配分されない。一部の既得権や役人が権益を得るだけ、むしろ国家が国民の必要にかられて介入する事を正当化出来てしまう。
本当に自由化しているのだとすれば、ハーバマスのロジックで言うと、革命運動につながりそうな話なのですが、東側が無いからそうならないのだとしても、この国では本当に自由化しているわけではありませんので、そういう風になるどころか余計依存が強化されている。
冷戦崩壊以降、それまでどこかにあった、アメリカ依存で経済成長を遂げてアメリカから自立するという目標が消え、アメリカの元にいながら、自立するという目標も失いっているにもかかわらず、いかに日本の権益を残すのかという事によって、アメリカからのアタックがより加速し徹底的に叩かれていた図式から、堂々とアメリカ追従路線に舵を切りアメリカの元での権益の鍔迫り合いという図式に変化させたのが小泉政権です。そして今、バックフラッシュしている。
こりゃ長引きそうです。まとまりません。つづく!!
北朝鮮問題の報道を観て、拉致被害者家族の記者会見を観て、簡単に乗せられる。この問題が解決しないのは、もちろん北朝鮮にも問題があるのは当たり前だし、拉致の被害は酷い話なのは間違いないのだが、それを援護してしまっているのは、そういう善悪や感情をわきにおいて思考する論理性が無く、被害者でもないくせに感情を煽られて騒ぐ吹き上がりのバカと、それに媚びたメディア、動員に利用した頭の悪すぎる政治家に責任がある。アメリカは酷いとか思っているようなバカがどうにもならない。アメリカが酷いというよりも、日本の舵取りが酷過ぎたというだけの話です。
アメリカが何とかしてくれるともし本当に思っていたのだとしたら救いようが無い。アメリカがテロ国家指定解除をするという事になるに決まっていると感じる事が出来ないのだとすれば酷すぎる。
日本人が拉致と核に優先順位をつけない、もしくは拉致を優先するというのなら、思う所はあるけれどまあわかります。だけど他の国が、日本と同じく拉致優先で考える事なんて有り得ないという事ぐらい、普通に考えればどう考えても当たり前だと思うのですが、こういう事を言うと、すぐ被害者の気持ちを考えろって話になっちゃう。北朝鮮を擁護するのかって話になっちゃう。全然そんな話をしていないのに。
この政治、メディア、国民のトリニティ的構造がどうにもならない。これぞ俗情に媚びたパブリック・ディポルマシーの限界という感じでしょうか。
とは言っても、政治家が政治家であるのなら当然わきまえなければならない当たり前の前提である、マックスウェーバー的な、プロセスやポジショニングやきれい事をグチャグチャほざくのではなく、何が出来たかという事によって政治家は評価されるしかない、そういう事を知った上で選択する政治家だけが評価出来るという事がわかっていれば、国民がアホだろうが、メディアがゴミだろうが、官僚がクソだろうが、選挙で落ちようが、政治家としてやるべき事をやって、決定すれば簡単に解決する問題です。政治家は政治家になるのが目的では無い。
これはアメリカのプラグマティズムなんかも同じような所があって、プラグマティズムを一言で定義すると、結果オーライの思想、帰結主義的擁護と言えます。何がいいのかは先見的には決まらない。結果としてそれがよい事を行なっているとなれば擁護出来るという発想です。
アメリカでは善悪二元論という伝統プラス、プラグマティズム、帰結主義的擁護という、乱暴な言い方をすれば手段を選ばないという所がどこかしら存在し続けて来たという所がある。ネオコンもそういうところがあって、ネオコンなやり方自体全く擁護出来る代物じゃありませんが、その部分というのは思想として否定出来るようなものではなくて、帰結主義的擁護というのは政策評価にしては欠かせない発想です。
意図はそうだったこうだったという問題じゃない。何が出来たかという事によって政治家は評価されるしかない。そういう事を知った上で選択する政治家だけが評価出来るというのが、マックスェーバの伝統的な理論。政治というのは元々帰結主義的な、結果オーライ的な所がある。
日本でも亜細亜主義の系列から出て来た日蓮主義、我々は戦争を招いたのは国粋主義者だと教わっていますが、国粋主義者と言われる人達の多くが、石原莞爾とか宮沢賢治なんかもそうですが、国柱会、日蓮主義者でした。国粋主義の仮の姿をとって、最終的には天皇を日蓮宗に帰依をさせる事によって、日蓮宗というのは世直し宗教なので、日本を世直し国家とする、世直し国家である事によって日本は道義国家になると。
正義を握っている、だから時に侵略を行なおうが場合によってはゲバルトを行使しようが、それは世直しの為のものだと。世直しを行なう時には、みんなある程度の犠牲を覚悟でやるではないかみたいな発想、これが道義国家と呼ばれるもので、道徳主義をほざくバカ保守が道義国家を勘違いして使いますが、国民が道徳的な国家であるという事では全く無い。全然関係ありません。世直し、正義を追求する国家であるが故に、帰結主義的にその行動が正当化されるという思想のことで、すでに田中智學が戦前に展開をして、多くの人達がかりそめの国粋主義者になって行く。
ネオコンにしろ戦前の亜細亜主義にしろ考え方としては帰結主義的擁護的な伝統的なマックス・ウェーバーの論理を当てはめる事が出来るわけですが、結果は知られる通りの有様なので帰結主義的にみれば擁護出来ませんので否定されるのは当たり前ですボロクソに否定していいのですが、そういう覚悟が必要であるという事です。
こういう暴走した結果を招く事がありますので、帰結主義的擁護を全面的に擁護出来るわけではありません。結果オーライだからって何をやってもいいと言うわけではないし、それに伴う犠牲を考えれば、外交政策というのは慎重にならざるを得ないのは当然と言えば当然です。それで戦争をして悲惨な結果を招いているようでは下の下です。
しかしだからと言って決定を先送りし、何も前に進まない状態をグズグズ言い訳したり、権益の争奪戦をやっているような連中は下の下以下、問題外です。決定というのは責任とセットになっていますから、それは責任を取りたくないと言っているのと同じです。きれい事やポジショニングばかりで何も決定せずに責任を回避しているようなクズは政治家の資格がありません。単なる税金ドロボーでしかない。決定する能力がないなら政治家なる資格はない。
帰結主義的に結果が良くない自体を招けばボロクソに叩かれる覚悟がなくちゃ、そもそも政治家としては不適格だという事です。ネオコンや戦前の帰結を知っているわけですから、そういう帰結を招かないように結果を出す政治家こそが、政治家と呼べる、政治家になってもいい、政治家を名乗ってもいい存在だと言う事です。
もちろん政治家にならなければ政治を行なう事も出来ないといったような言い訳をする政治家は沢山いるでしょう。結果を出す為には選挙でうからなければならず、その為には人気も必要だと。そうである以上、国民が喜びそうなエサを与えて、政治を前に進めて行く必要があります。国民にエサを与えて人気を稼ぐ事は手段であって目的ではありません。ましてそれで、社会を疲弊させるようでは話にならない。結果を何一つ出していないカスが言う事ではない。最低限、政治家としてわきまえなければならない常識すらわきまえてないクズばかり。議会制民主主義を採用しているのに、国民が小難しい事を考えなくとも済む制度を悪用している。
サミットで大騒ぎしていますが、これに反対する市民運動なんかが、外国から人が来て起こっていたりします。こういう時、長野での聖火リレーの時と同じように、なぜ彼らがそういう主張をするのかという所より、乱暴だって話に落ちて終わっちゃう。
サミット自体の問題性はあんまり啓蒙されません。世界のたった14%の人口しか持たない国が集まって、勝手に世界の事を話している。しかもその国々は核を持ち、巨大な軍事力を持ち、経済力を持ち、恫喝をちらつかせながら、ずっと先進国に取って都合のいい権益を最優先しながら続いて来た。日本は核を持っていなくとも、核武装したアメリカ軍がいて、プロトニウムをいっぱい持っていて、技術力が高いと思われているのだから、同じように見られている。
軍事によって脅しているだけならまだしも、近代化して幸せになりましょうという甘言によってスポイルし、グローバル化に組み込んでしまう。そうすると元々国内で回っていた産業構造を外貨獲得型の産業構造に変化させ、国際市場で買いたたきいつまでたっても搾取される構造から出られないという袋小路に叩き込む。その袋小路に気付き、元の国内循環型の産業基盤に戻そうとしても、もう土地は荒れ果て、自然は破壊され、生態系が破壊されてしまって元通りにはなれない。
したがっていったんグローバル化を受け入れてしまうと、もう二度と戻れずかといって、搾取される構造からは出られないという袋小路に叩き込まれて、より過酷な環境に陥ってしまう。その事が更にグローバル化にコミットしないと立ち行かないという悪循環に陥ってしまう。こういう構造の頂点に君臨するのがG8という下らない集まりです。後進国の話だけではありません。日本は搾取の頂点にいますが、次第にこの搾取される構造と同じような袋小路に入ってしまっています。
もはや経済的には、日の出の勢いのある国が次々と出て来ているのだからそういう国まで包摂するのなら、まだ話はわかりますが、八カ国がふんぞり返っている所に、ご機嫌とりに仕方なしに他の国がやってくる。貧しい国の話を聞いているというスタンスを取る事によって言い訳として利用している。こんな茶番に何の正当性もない。ふざけんなと思うのが当たり前です。
日本がサミットに入れたのは、かつて財布として利用価値があったからで、もうその勢いも今はない。だいたい戦前、そういう白人支配の世界体制に異議を申し立てて戦争したというのが建前なのに、サミットに入って、メンツを保つような下らない政治家ばかり。非白人国家として唯一アジアから参加しているのだから、搾取の構造への異議申し立てでもするのなら、尊敬もされるかもしれませんが、そういう国々と一緒になって、いかに甘い汁を吸うか、本当はたいした甘い汁も吸えるようなポジションにはいないのですが、そういう奴らのお仲間に入れてもらえたと勘違いして喜んでいる。単に利用されているだけなのに。
かと言って、日本だけが抗ってもすぐにはじき出されてお終いでしょうから、アンチサミットではせっかくそういう連中に釘を刺す機会の可能性を失ってしまいますので、そういう意味でコミットするのならわかりますが、そういう話が出てこない。どうせ話し合ってあれこれきれい事をほざいたって、実効性だって疑わしい。今回のサミットだってシラケムード全開です。
グレンイーグルサミットの時、ホワイトバンドなんかが流行りました。あの時バンドエイドなんかもあったりした。日本でもホワイトバンドが流行った。しかしあの時唯一、ホワイトバンドの金が何に使われているのかって話が大騒ぎになったのは日本だけです。もちろん問題もあったでしょう。しかしあれはアドヴォカシーであって、募金をするって話ではありません。日本では「騙された」とか、「結局金儲けなんだろ」みたいな話になってしまう。実際「愛は地球を救う」とか言って、金儲けしている酷い話もありますので、こういう話が出て来やすいのは確かなんですが、肝腎の貧困問題への関心まで、あっという間に吹っ飛んじゃう。
今回のサミットの報道なんかでも一応それなりにサミットの効果が薄れているみたいな話は出て来たり、貧しい国の経済格差をどうするのだ、みたいな啓蒙もあったりしますが、こういうのが起こると必ずご祝儀相場で政権の支持率が上がっちゃったりする。そしてすぐに忘れる。真剣に考える事もない。その裏側でどれだけ厄介な事態が世界で進行しているのかという所を、ちょっとお涙頂戴的な勘違い啓蒙をするような話が出て来ても、その時は酷い話だってなっても、それが声となって政治に届かない。
声をあげない事自体は、みんな忙しかったりするわけですからしょうがない部分はありますが、声を上げている人達がせめて何に怒って声を上げているのかという事ぐらい、もう少しコンセンサスになってもいいのですが、ちょっと過激だと目をそらし、当たり障りのない、やる気のないデモ行進なんかだと、勝手にやってろで話が終わっちゃう。それで国家によって、デモを行なっていた人がしょっぴかれていても、過激な行動はいかがなものかって話に落ちてしまう。過激なのは問題だとしても、なぜそうするのかという所は、サラッと流れて行ってしまう。本当の問題点は押し流されてしまう。
本当の問題点には届かず囮に引っかかって終わりというパターンが延々と繰り返されています。姉歯の耐震偽装問題にしろ、一連の食品偽装問題にしろ、派遣会社の問題グッドウィル及び介護の問題コムスンにしろ、いずれも行政の不作為という所には問題が行かず、表面上の叩きやすい対象を国家、国民、マスメディアによって徹底的に叩き、結果的に派遣会社の必要性や介護の問題の構造そのものまで叩き、結局救われない人を大量に生み出してしまう。
しかし責任は国家ではなくて、末端の企業に責任があるという感じで、国家は責任を取らなくて済む。国民の必要性に応じて、正しい事をしているかのような錦の御旗を掲げ、弱者救済を掲げて、堂々と規制、権限の強化、利権の創出が出来るようになってしまった。それに対して声が上がらなくなってしまっている。メディアも国民も拍手喝采している。
ライブドアや村上ファンドは叩くけれど、福井前日銀総裁やオリックスの宮内には批判の刃が届かない。日興コーディアルはお目こぼしをする。グッドウィルは叩くけれど、トヨタやキャノンには刃が届かない。偽装請け負いをやっているような会社を牛耳る俗物が経団連の会長だったりするわけですから、どうにもならない。
メディアでもこういった会社は巨大なスポンサーでもあるというのもあるし、大手メディア自体、偽装請負と全く同じ図式の不正をしているので、この問題は絶対に叩かない。
コンビニで薬が売れるようになったみたいなニュースが先日ありましたが、こういう一見自由化しているかのような感じに見える手口がよくあるパターンです。まあこの話自体が直接そうだとか言いたいわけではありませんが、ある種の今この国で起こっている利権のパターンが含まれています。
結局末端の小売店に負担を強いて、裁量はお上が握ったまま、国民は便利になっているような気がするので、悪い話ではないように感じる。自由化という事で、新規参入なんかも入って来たりして、新規参入で風穴を開けようと思えば、他のメーカーが考えつかないような事をしなきゃならない。
もちろんその事がルール違反だと書いてあるわけではなくて、お上もその事を当然知っているのに、ある時何らかの問題が発覚するなり騒がれるなりすると、きれい事にスポイルされた俗情に媚びて、徹底的に取り締まり、それによって損害を受けた消費者への救済は政府の責任ではない、末端の小売店の負担は政府の責任ではない、政府はただ国民の不安に寄り添う形で、一罰百戒的にグレイゾーンだと取り締まる。
制度というのは黒か白なわけで、黒でもなければ白でもないとか、黒でも白でもあり得るとか言う話は有り得ません。それがあるのだとすれば、これは制度に問題がある。制度に問題があるのなら罪刑法定主義的観点から言っても、有罪にするのはやりすぎです。グレイゾーンを残しているのは行政の裁量として残しているようにしか見えない。裁量は権益になる。
そして、こういう悪者が出てくるのは国がキチンと規制をしないからだ!!みたいな話が出て来て、結局役人の権益は元通りというパターン。
利権構造で大騒ぎしている所というのは、こういった事後チェック型の利権構造に変化していない所ばかりです。そしてこの事後チェック型の権益も、それだけでも恣意性や裁量まみれなのですが、厄介なのは、いったん事後チェックを経由する事によって、むしろ国民が自ら望んで、事前チェック型に戻る事を正当化出来てしまうという構造が繰り返されている。
これではコミットメントの埋め込みどころでもなければ、分権化も程遠く、未来像が全く見えない。ネオリベがどうとか、グローバル化がどうとか、市場原理主義がどうとかって話では全然無い。もっと酷い状態になってしまう。
労働運動が変わり、革命運動として弱体化し、体制内化してしまうので配分の調整をめぐる権益の鍔迫り合いになる事が問題であったわけですが、それが更に進行して、事後チェックなので政府は責任もないし、金も無いので鍔迫り合いをしても、鍔迫り合いをしている連中には配分されない。一部の既得権や役人が権益を得るだけ、むしろ国家が国民の必要にかられて介入する事を正当化出来てしまう。
本当に自由化しているのだとすれば、ハーバマスのロジックで言うと、革命運動につながりそうな話なのですが、東側が無いからそうならないのだとしても、この国では本当に自由化しているわけではありませんので、そういう風になるどころか余計依存が強化されている。
冷戦崩壊以降、それまでどこかにあった、アメリカ依存で経済成長を遂げてアメリカから自立するという目標が消え、アメリカの元にいながら、自立するという目標も失いっているにもかかわらず、いかに日本の権益を残すのかという事によって、アメリカからのアタックがより加速し徹底的に叩かれていた図式から、堂々とアメリカ追従路線に舵を切りアメリカの元での権益の鍔迫り合いという図式に変化させたのが小泉政権です。そして今、バックフラッシュしている。
こりゃ長引きそうです。まとまりません。つづく!!