前回の続きです。
さて二元論を脱却すると言っても、そこから先がもっと重要です。
日本にはアメリカのようにロバート・ベラーの言うようなシヴィル・レリジョン、市民宗教的伝統もありませんし、ヨーロッパのサンディカリズム、階級的伝統もありません。
アメリカが小さな政府で回るのは、ガヴァメント・セクターを補う分厚いパブリック・セクターがあるからです。NPO、NGOの活動等が社会の公共性を底支えしている。
日本が何でそういうものを補っているのかというと、官が担って来たわけです。地域共同体がぶっ壊れたというのもありますが、そもそも公を担う市民性というより、クレクレ主義的分捕り合戦、蛸壺的集合の複合体という側面が強く、承認の担保にはなっていたかもしれませんが、公は常にお上が何とかしてくれるというのが日本における問題点です。
なので官の影響力を弱めるという事と同時に、何によって公を担保するのか、これが非常に難しい問題です。かつて天皇制というフィクションによって、市民のコミットメントを作り出そうと試みますが失敗に終わり、代わりになるものが無い。
これは近代を走らせるという意味で考えると決定的な欠如です。それはフィクションであったとしても無いよりは全然マシですし、アメリカにしろヨーロッパにしろ所詮フィクションです。公の担い手が無いという状況に陥れば社会は上手く駆動しない。
三島由紀夫がなぜ天皇主義者だったのかと言うと、彼は徹底した近代主義者であるが故に天皇と言うシステムが人間宣言してもらっちゃ困ると思ったわけです。公へのコミットメントは簡単に作り出す事が出来ない。
天皇主義だって本当はさほど天皇を敬い続けて来たわけではないのですが一応ネタとして万世一系という伝統がある事になっているから駆動したわけです。そういう伝統があるのかと言えば壊れている。人間が作ったものは必ず壊れます。復活させようと躍起になっているタコがこういう事を考えて言っているのかどうかは知りませんが、壊れたものは簡単には元には戻らない。
なので非常に難しいというかほぼ不可能に近い話です。伝統も悲劇も無しにそんなものを作り上げる事に成功した国はありません。これを作り出す事が出来たら大偉業だとも言える。それくらい難しい問題です。
政治や外交の話で考えても、政治家の力量もいちじるしく低いので、現状で国際社会と渡り合えるとすれば、官僚の優秀さを利用するしかない。
しかし制度が不透明で穴だらけ、実際官僚も腐敗した構造を抱えてもいるので、メディアや国民が吹き上がりやすいですし、政治家もポピュリズムに走りやすいので、官僚たたきをしていれば人気が出てしまう側面もある。しかもお任せ主義。ここもやっぱり頭の悪い二元論が邪魔をしている。
役人の恣意性や不透明さは問題です。そしてそこで違法な振る舞いをしているのであればそれはしかるべき罰が与えられる必要はあるでしょう。しかし官僚全体を善か悪か?必要か不必要か?という切り方は出来るわけありません。
ルールの公正さというのはグローバル基準でもあるので、ここを遮断し続けていればどんどん孤立して行く。しかしそこを可視化して、一見抜け駆け感を感じるような構造が見えたとき必ず官僚たたきが沸騰する、すると行政官僚制度の弱体化にもつながる。グローバル化を受け入れるという事は流動化社会を更に加速させてしまう事にもつながり、しかもその流動化を担保するようなアクセプタンス、承認のシステムもことごとく壊れている。
国家権力は小さくして行くしか無い。コンパクトにして行かないと、そもそも金が無いのだからそうせざるを得ない。これは絶対不可避です。そして制度の透明化これも絶対に必要です。しかしその過程は微妙な舵取りが要求されるというか、実質上政治家はアホなので、相当国民が痛みを感じるでしょう。
その際、プライオリティを考えず、クレクレ主義的な発想に向かってしまえばそこに政治家は媚びやすいですし、そういう政治家じゃないと政治家になれないという問題もある。メディアも大騒ぎするでしょう。
リソースが乏しすぎて楽観的な経路が見当たらないのですが、制度は開かなきゃならないここは不可欠でしょう。しかし官僚をただ弱体化してしまえば立ち向かうリソースは更に減ってしまう。中国の話を書いた時に中国は微妙な舵取りを必要としていると書きましたが、それは日本にも当てはまる事で、そこを先送りし続けているのが日本の現状です。
それは政治家が無能だからという側面も間違いなくありますが、中国と決定的に違うのは、民主制を採用し、表面的な天下りけしからんとか利権けしからんという話が噴出しやすく、中国のように政治家達が合理性計算をして国をコントロールするという事が出来難い構造でもあるから、先送りするしか無いという面がある。
中国の問題の時にも書きましたが透明化して自由化すれば中国がハッピーになるかと言えば、多分全く逆になる恐れがあり得るのと同じで、ただ単に透明化して役人の権益を取り上げても、政治家にとって戦う唯一のリソースでもある官僚のタクティクスを失えば、もっと失速しかねない。
なので制度の透明化は重要ですが、透明化して見えるようになった問題点の何を優先的に変えるべきなのかという事も吟味しなきゃならない。そこには国民のコミットメントが非常に重要になる。
お任せ主義で、メディアの言っている事を鵜呑みにし、バカな政治家の言う事に乗せられてしまったり、権益が見えるからと言って全体の優先順位を考えずに断罪していれば、どんどん手詰まりになって行くしか道はない。
外資悪、権益悪、という単純な善悪二元論、外資を排除しているとロクな事が無いぞ、なんて事を書くと外資を擁護しているとか言う風になってしまいがちですが、善か悪かという単純な図式で物事を切っていたのではどんどん自分達の首を自分達で締め付けている事にしかならない。
さてそこで最近の洞爺湖サミットまでは延命を計りたいという事が最大のモチベーションであろう福田政権の舵取りです。彼は官僚の利権に切り込んで行くかのような政策も打ち出しておりますが、これは多分ネタでしょう。実際にその気があるとは思えない。とりあえずそういう姿勢を見せないと洞爺湖までもたない。なので出して来ているのだと思います。
なぜなら福田総理自身が前政権の公約には拘束されないと公然と主張しているわけです。官僚の利権は福田がポシャれば全部バックフラッシュするのはほぼ間違いない。ただし政権交代が起これば話は違ってくるかもしれませんが。
なのでこのネタの方の話はとりあえずあんまり重要じゃありません。重要なのは洞爺湖サミットというモチベーションのおかげで、環境に対するコミットメントやクラスター爆弾のオスロプロセス、中国との関係、食料サミットでの日本の立ち位置の表明に対する一定の評価、こっちの方に注目しております。
自分はこの手の問題というのはそのイシュー自体がどうのこうのという事についてそれほど重要だとは正直思っていません。重要ではあるかもしれませんが、それよりももっと、世界の枠組みにコミットメントを示すという事自体に意味があると思っています。
なぜかと言うと、対米関係一本やりの外交政策はバブル以前で終わっているパラダイムです。そこから脱却出来ないという事がこの国にとっての重大な問題点であるだろうと思っているからです。
アメリカと仲良くするのは悪い事ではありませんが、アメリカだけと仲良くするのではなくて、アメリカ以外とも重要な関係性を築くという事はアメリカとの交渉のカードにもなるし、アメリカ以外との交渉のカードにもなる。
ただアメリカの言う事を聞く意外の選択肢が結局の所無いという状態は合理的ではありません。そうすることがアメリカにとってもめぐりめぐってリソースになりうる部分も間違いなくある。
アメリカのやり方が不人気になれば日本も一蓮托生で見られてしまう。日本がコミットメントを示し一定のポジションを築く事が出来れば、友好国としてアメリカに釘を刺したり、アメリカの立場を自立した一人前の国として援護したりも出来る。今のままでは結局アメリカの言う事を聞いているだけの奴隷国家が何を言ってやがるで話が終わってしまいます。
日本政府の背後にはアメリカの影、遠慮があまりにも見え見えな状況があり、これはどう考えてもプラスにならない。
アメリカにとっても日本はもう使えないカードになりつつあるわけです。だから無視されたりもするわけで、そもそも基地を貸してやっているというだけでも十分貢献しているのですから、もうちょっと距離を取る方がよいのではないかと思うわけです。対米依存状態というのがどうにもならない弊害を生み出している。この依存が何しろどうしようもない。
そういう意味でまだまだ物足りないと文句を言いたいのは山々なんですが、一見対米関係にひびを入れかねないと従来であればビビって自己規制してしまうような方向性を、まあアメリカが大統領選があるのでそれどころではないという面も強いと思いますが、すこしずつ距離を取ろうとしているように見える。
アホな官房長官が中国への自衛隊機派遣問題で自爆しましたが、コイツがバカだという問題もありますが、対アメリカへの遠慮という思考停止の自動スイッチが過剰に作動してしまったとも言えるかもしれません。そうでなければ単なるアホなのでしょう。
対米関係に距離を取るという方向性は、もちろんネタなのかもしれませんし、そこの所はわかりませんが、アメリカの大統領選後を見据えて、先手を打っておくには悪い方向性ではない。むしろそこをモタモタしていると、大統領選後、ジャパンパッシングが加速する可能性もありうる。
親日路線は変わらないかもしれませんが、どの道、BRICs諸国の台頭から考えても、日本の相対的なポジションは下がって行かざるを得ない。なのでアンチグローバルな鎖国的な発想では問題外です。だからと言ってグローバライゼションとは言いながらアメリカンプラットフォームを無自覚に受け入れ続けるという方向性も合理性が全くありません。
なのでマルチラテラルな関係性を築くという事は非常に重要であり、オルタグローバライゼーション、グローバルにさおさしながら、グローバルの善き所やリソースをフル活用して、グローバル化のもたらす弊害を手当てするという戦略が必要です。そしてそれが現在の政治思想の主流でもある。いまだに日本では鎖国か?開国か?の頭の悪い二元論が主流ですが、ここがどうしようもない。
そういう風に見ていると洞爺湖までの延命と言うモチベーションとは言え、現状の方向性は悪い話ではない。現状この国で問題になっている後期高齢者医療の問題にしろ、格差の問題にしろ、その大本にあるのはグローバル化対応の問題が根っこの所にあります。それは即ち対米関係と言ってしまっても大袈裟ではない。
なので対米関係をある程度、物言える関係性に引き戻さないと、現状の奴隷状態では、アンチグローバルにしろ、グローバルにしろ、ロクな状況にならない。あちらこちらで足の引っ張り合いが起こり、物事が全然前に進まない。
それはアメリカが悪だと言いたいわけではありません。政治家も官僚もメディアも問題がありますが、現状の立ち位置を吟味出来ず、簡単に吹き上がり、乗せられやすい国民性が大きく足を引っ張っている。
アメリカから距離を取る為には突っ込まれても跳ね返せるような透明さや公正さは重要なんですが、アメリカから一定の距離を取る為には非常に微妙な舵取りも必要です。透明さや公正さを制度化したとしても、だからと言って役人の権益を何から何まで奪ってしまったのでは、日本のバカな政治家に任せてもそんな力量はありません。
何でもかんでも感情的に吹き上がって役人の権益けしからんという風潮ですと、結局彼らもバレないように、タバコの販売機に使う、なんたらというカードのような新たな権益を生み出すような下らない事をしてしまう。またそれがバレて吹き上がるという構造の繰り返し。
官僚に任せておいてもロクな社会になっていないのは間違いないので、彼らが正しいとか言うわけではありませんし、役人の力量と言っても民間に任せた方が上手く行くんじゃねえか?って部分もおおいのですが、すぐにそれを全部正すという事も出来ないので、プライオリティの問題が重要になってくるわけです。
透明化するという事は、いろんなノイズが可視化されるという事です。それを無自覚に叩いていると、せっかく可視化出来てもまた見えない所に潜り込んでしまう。なので可視化しても何が問題で何が重要なのかという事に敏感にならないと、役人や政治家叩きをしていても結局一番痛い目にあうのは国民自身というパターンが繰り返されて行くのみです。
またそれが出来ない国民性だから不透明なままで行かざるを得ない構造があり、その帰結として不透明さを利用した薄汚い権益にぶら下がる連中が後を絶たない状況が続いて行く。
可視化や公正さを求めるのは重要なんですが、同時にそれを吟味出来るリテラシーや感情を制御出来る成熟した民度も重要です。つまり国民が自覚出来れば世の中随分と変わるわけです。まあそれが一番難しいのですが。
この国の現状は制度は閉ざしたまま、役人や政治家、他人の抜け駆け感や制度の表面的な問題点に簡単に吹き上がる、そこに政治家も役人もメディアもそういう民度からの攻撃をかわす為に媚びてポピュリズムに走り裏ではバレないようなスキーム作りに邁進し、国民は表面的な囮に引っかかり、既得権の権益や恣意性をよりどんどん認めてしまうという最悪の悪循環です。
役人の居酒屋タクシー問題なんかで大騒ぎしています。もちろん悪くないとはおもいませんが、こんな所がそれほど重要な問題なのか?って話です。
確かに役人の構造は問題があるし、奴らの不作為によってこの国がここまで閉塞している面は間違いなくある。しかし彼らの年間平均労働時間は5000時間と言われています。普通の人の平均がその半分。なんでもかんでも叩いていればやる気も無くなるし、国民の為よりも自分達の権益の為となるのも、役人なんだからそんなのけしからんじゃないかとなるのは正しいのですが、人間の心理としては気持ちはわかります。
彼らを全員今すぐ辞めさせるなんて事は出来ないわけですから、やる気をもって国民益の為に働けるようなモチベーションをもたせてやらないと、結果的に痛い目にあうのは国民自身になってしまう。
制度は開き、可視化して、尚かつ優先順位をつけて、それなりに必要な権益は認めてあげる。その代わりそこが国民益と著しく乖離していれば、正してくれよという世論が出てくる。そういう所が無いと、悪循環によって沈没間違いなしです。
市場経済というプラットフォームに我々は立っているわけで、これを恣意的に運用して、外資を敵扱いしても勝ち目はありません。嫌いだから不公正な制度でもいいじゃないかでは、まともな近代国家として相手にされなくなってしまいます。公正なルールで戦えるようにする為には、アメリカとの距離も一定に保つ必要があります。ここから転換が出来ないと、アメリカからの自立もまた出来ない。このままでは未来は限りなく暗いものでしかない。
それとこれは自分の持論なんですが、やっちゃえば何とかなっちゃう論というのがあります。
問題や不合理も出てくるだろう、だけどやってしまえばもうやるしかないわけで、やっちまえば何とかなるわけです。いつまでも不安や恐れを抱いて、制度や国家に守られていないと心配でしょうがないという自立出来ない図式から最も手っ取り早く脱却するには、そういう状況に叩き込むのが一番手っ取り早い。
人間は適応する。何とかしてしまう所もある。その上でこぼれた問題を手当てした方が、簡単に片付くという事もあります。
料理人と言うかサービス業というのは人がバンバン入れ替わります。すぐ辞めるし、すぐ入ってくる。バックレ辞めが非常に多い職種ではないかと思います。そうなると必ず人手は足りなくなる。その時、必ず自分が言うのは、野郎共!何とかしろ!!これです。何とかするしか無いわけで、ごちゃごちゃ言っていても始まらない。だからやるしか無い。手を動かせ。という事です。その代わり責任は責任者が取る。
結構それで何とかなっちゃうもんです。失敗したって、そこから回復しようとする力も人は持っている。
もちろん制度やシステムの問題はそれに伴う副作用も多く、自分もよく、簡単に舵を切る前に吟味しろ!!なんて書いたりしておりますが、だからってなんにも話が進まなければ何も解決しない。話が進まなければ、問題の進行も止まっているのなら、グズグズしていてもいいのですが、時間は止まらない。もうどこかで舵を切らなきゃならないわけで、舵を切るなら早い方がいいに決まっている。逃げ切り野郎共の都合で借金ばかり増えたんじゃたまりません。
その為にも、まずは、そろそろ出口の無い二元論から卒業をしましょう。そうしないと話は全然進みません。
この話題はこれにてEND!!
さて二元論を脱却すると言っても、そこから先がもっと重要です。
日本にはアメリカのようにロバート・ベラーの言うようなシヴィル・レリジョン、市民宗教的伝統もありませんし、ヨーロッパのサンディカリズム、階級的伝統もありません。
アメリカが小さな政府で回るのは、ガヴァメント・セクターを補う分厚いパブリック・セクターがあるからです。NPO、NGOの活動等が社会の公共性を底支えしている。
日本が何でそういうものを補っているのかというと、官が担って来たわけです。地域共同体がぶっ壊れたというのもありますが、そもそも公を担う市民性というより、クレクレ主義的分捕り合戦、蛸壺的集合の複合体という側面が強く、承認の担保にはなっていたかもしれませんが、公は常にお上が何とかしてくれるというのが日本における問題点です。
なので官の影響力を弱めるという事と同時に、何によって公を担保するのか、これが非常に難しい問題です。かつて天皇制というフィクションによって、市民のコミットメントを作り出そうと試みますが失敗に終わり、代わりになるものが無い。
これは近代を走らせるという意味で考えると決定的な欠如です。それはフィクションであったとしても無いよりは全然マシですし、アメリカにしろヨーロッパにしろ所詮フィクションです。公の担い手が無いという状況に陥れば社会は上手く駆動しない。
三島由紀夫がなぜ天皇主義者だったのかと言うと、彼は徹底した近代主義者であるが故に天皇と言うシステムが人間宣言してもらっちゃ困ると思ったわけです。公へのコミットメントは簡単に作り出す事が出来ない。
天皇主義だって本当はさほど天皇を敬い続けて来たわけではないのですが一応ネタとして万世一系という伝統がある事になっているから駆動したわけです。そういう伝統があるのかと言えば壊れている。人間が作ったものは必ず壊れます。復活させようと躍起になっているタコがこういう事を考えて言っているのかどうかは知りませんが、壊れたものは簡単には元には戻らない。
なので非常に難しいというかほぼ不可能に近い話です。伝統も悲劇も無しにそんなものを作り上げる事に成功した国はありません。これを作り出す事が出来たら大偉業だとも言える。それくらい難しい問題です。
政治や外交の話で考えても、政治家の力量もいちじるしく低いので、現状で国際社会と渡り合えるとすれば、官僚の優秀さを利用するしかない。
しかし制度が不透明で穴だらけ、実際官僚も腐敗した構造を抱えてもいるので、メディアや国民が吹き上がりやすいですし、政治家もポピュリズムに走りやすいので、官僚たたきをしていれば人気が出てしまう側面もある。しかもお任せ主義。ここもやっぱり頭の悪い二元論が邪魔をしている。
役人の恣意性や不透明さは問題です。そしてそこで違法な振る舞いをしているのであればそれはしかるべき罰が与えられる必要はあるでしょう。しかし官僚全体を善か悪か?必要か不必要か?という切り方は出来るわけありません。
ルールの公正さというのはグローバル基準でもあるので、ここを遮断し続けていればどんどん孤立して行く。しかしそこを可視化して、一見抜け駆け感を感じるような構造が見えたとき必ず官僚たたきが沸騰する、すると行政官僚制度の弱体化にもつながる。グローバル化を受け入れるという事は流動化社会を更に加速させてしまう事にもつながり、しかもその流動化を担保するようなアクセプタンス、承認のシステムもことごとく壊れている。
国家権力は小さくして行くしか無い。コンパクトにして行かないと、そもそも金が無いのだからそうせざるを得ない。これは絶対不可避です。そして制度の透明化これも絶対に必要です。しかしその過程は微妙な舵取りが要求されるというか、実質上政治家はアホなので、相当国民が痛みを感じるでしょう。
その際、プライオリティを考えず、クレクレ主義的な発想に向かってしまえばそこに政治家は媚びやすいですし、そういう政治家じゃないと政治家になれないという問題もある。メディアも大騒ぎするでしょう。
リソースが乏しすぎて楽観的な経路が見当たらないのですが、制度は開かなきゃならないここは不可欠でしょう。しかし官僚をただ弱体化してしまえば立ち向かうリソースは更に減ってしまう。中国の話を書いた時に中国は微妙な舵取りを必要としていると書きましたが、それは日本にも当てはまる事で、そこを先送りし続けているのが日本の現状です。
それは政治家が無能だからという側面も間違いなくありますが、中国と決定的に違うのは、民主制を採用し、表面的な天下りけしからんとか利権けしからんという話が噴出しやすく、中国のように政治家達が合理性計算をして国をコントロールするという事が出来難い構造でもあるから、先送りするしか無いという面がある。
中国の問題の時にも書きましたが透明化して自由化すれば中国がハッピーになるかと言えば、多分全く逆になる恐れがあり得るのと同じで、ただ単に透明化して役人の権益を取り上げても、政治家にとって戦う唯一のリソースでもある官僚のタクティクスを失えば、もっと失速しかねない。
なので制度の透明化は重要ですが、透明化して見えるようになった問題点の何を優先的に変えるべきなのかという事も吟味しなきゃならない。そこには国民のコミットメントが非常に重要になる。
お任せ主義で、メディアの言っている事を鵜呑みにし、バカな政治家の言う事に乗せられてしまったり、権益が見えるからと言って全体の優先順位を考えずに断罪していれば、どんどん手詰まりになって行くしか道はない。
外資悪、権益悪、という単純な善悪二元論、外資を排除しているとロクな事が無いぞ、なんて事を書くと外資を擁護しているとか言う風になってしまいがちですが、善か悪かという単純な図式で物事を切っていたのではどんどん自分達の首を自分達で締め付けている事にしかならない。
さてそこで最近の洞爺湖サミットまでは延命を計りたいという事が最大のモチベーションであろう福田政権の舵取りです。彼は官僚の利権に切り込んで行くかのような政策も打ち出しておりますが、これは多分ネタでしょう。実際にその気があるとは思えない。とりあえずそういう姿勢を見せないと洞爺湖までもたない。なので出して来ているのだと思います。
なぜなら福田総理自身が前政権の公約には拘束されないと公然と主張しているわけです。官僚の利権は福田がポシャれば全部バックフラッシュするのはほぼ間違いない。ただし政権交代が起これば話は違ってくるかもしれませんが。
なのでこのネタの方の話はとりあえずあんまり重要じゃありません。重要なのは洞爺湖サミットというモチベーションのおかげで、環境に対するコミットメントやクラスター爆弾のオスロプロセス、中国との関係、食料サミットでの日本の立ち位置の表明に対する一定の評価、こっちの方に注目しております。
自分はこの手の問題というのはそのイシュー自体がどうのこうのという事についてそれほど重要だとは正直思っていません。重要ではあるかもしれませんが、それよりももっと、世界の枠組みにコミットメントを示すという事自体に意味があると思っています。
なぜかと言うと、対米関係一本やりの外交政策はバブル以前で終わっているパラダイムです。そこから脱却出来ないという事がこの国にとっての重大な問題点であるだろうと思っているからです。
アメリカと仲良くするのは悪い事ではありませんが、アメリカだけと仲良くするのではなくて、アメリカ以外とも重要な関係性を築くという事はアメリカとの交渉のカードにもなるし、アメリカ以外との交渉のカードにもなる。
ただアメリカの言う事を聞く意外の選択肢が結局の所無いという状態は合理的ではありません。そうすることがアメリカにとってもめぐりめぐってリソースになりうる部分も間違いなくある。
アメリカのやり方が不人気になれば日本も一蓮托生で見られてしまう。日本がコミットメントを示し一定のポジションを築く事が出来れば、友好国としてアメリカに釘を刺したり、アメリカの立場を自立した一人前の国として援護したりも出来る。今のままでは結局アメリカの言う事を聞いているだけの奴隷国家が何を言ってやがるで話が終わってしまいます。
日本政府の背後にはアメリカの影、遠慮があまりにも見え見えな状況があり、これはどう考えてもプラスにならない。
アメリカにとっても日本はもう使えないカードになりつつあるわけです。だから無視されたりもするわけで、そもそも基地を貸してやっているというだけでも十分貢献しているのですから、もうちょっと距離を取る方がよいのではないかと思うわけです。対米依存状態というのがどうにもならない弊害を生み出している。この依存が何しろどうしようもない。
そういう意味でまだまだ物足りないと文句を言いたいのは山々なんですが、一見対米関係にひびを入れかねないと従来であればビビって自己規制してしまうような方向性を、まあアメリカが大統領選があるのでそれどころではないという面も強いと思いますが、すこしずつ距離を取ろうとしているように見える。
アホな官房長官が中国への自衛隊機派遣問題で自爆しましたが、コイツがバカだという問題もありますが、対アメリカへの遠慮という思考停止の自動スイッチが過剰に作動してしまったとも言えるかもしれません。そうでなければ単なるアホなのでしょう。
対米関係に距離を取るという方向性は、もちろんネタなのかもしれませんし、そこの所はわかりませんが、アメリカの大統領選後を見据えて、先手を打っておくには悪い方向性ではない。むしろそこをモタモタしていると、大統領選後、ジャパンパッシングが加速する可能性もありうる。
親日路線は変わらないかもしれませんが、どの道、BRICs諸国の台頭から考えても、日本の相対的なポジションは下がって行かざるを得ない。なのでアンチグローバルな鎖国的な発想では問題外です。だからと言ってグローバライゼションとは言いながらアメリカンプラットフォームを無自覚に受け入れ続けるという方向性も合理性が全くありません。
なのでマルチラテラルな関係性を築くという事は非常に重要であり、オルタグローバライゼーション、グローバルにさおさしながら、グローバルの善き所やリソースをフル活用して、グローバル化のもたらす弊害を手当てするという戦略が必要です。そしてそれが現在の政治思想の主流でもある。いまだに日本では鎖国か?開国か?の頭の悪い二元論が主流ですが、ここがどうしようもない。
そういう風に見ていると洞爺湖までの延命と言うモチベーションとは言え、現状の方向性は悪い話ではない。現状この国で問題になっている後期高齢者医療の問題にしろ、格差の問題にしろ、その大本にあるのはグローバル化対応の問題が根っこの所にあります。それは即ち対米関係と言ってしまっても大袈裟ではない。
なので対米関係をある程度、物言える関係性に引き戻さないと、現状の奴隷状態では、アンチグローバルにしろ、グローバルにしろ、ロクな状況にならない。あちらこちらで足の引っ張り合いが起こり、物事が全然前に進まない。
それはアメリカが悪だと言いたいわけではありません。政治家も官僚もメディアも問題がありますが、現状の立ち位置を吟味出来ず、簡単に吹き上がり、乗せられやすい国民性が大きく足を引っ張っている。
アメリカから距離を取る為には突っ込まれても跳ね返せるような透明さや公正さは重要なんですが、アメリカから一定の距離を取る為には非常に微妙な舵取りも必要です。透明さや公正さを制度化したとしても、だからと言って役人の権益を何から何まで奪ってしまったのでは、日本のバカな政治家に任せてもそんな力量はありません。
何でもかんでも感情的に吹き上がって役人の権益けしからんという風潮ですと、結局彼らもバレないように、タバコの販売機に使う、なんたらというカードのような新たな権益を生み出すような下らない事をしてしまう。またそれがバレて吹き上がるという構造の繰り返し。
官僚に任せておいてもロクな社会になっていないのは間違いないので、彼らが正しいとか言うわけではありませんし、役人の力量と言っても民間に任せた方が上手く行くんじゃねえか?って部分もおおいのですが、すぐにそれを全部正すという事も出来ないので、プライオリティの問題が重要になってくるわけです。
透明化するという事は、いろんなノイズが可視化されるという事です。それを無自覚に叩いていると、せっかく可視化出来てもまた見えない所に潜り込んでしまう。なので可視化しても何が問題で何が重要なのかという事に敏感にならないと、役人や政治家叩きをしていても結局一番痛い目にあうのは国民自身というパターンが繰り返されて行くのみです。
またそれが出来ない国民性だから不透明なままで行かざるを得ない構造があり、その帰結として不透明さを利用した薄汚い権益にぶら下がる連中が後を絶たない状況が続いて行く。
可視化や公正さを求めるのは重要なんですが、同時にそれを吟味出来るリテラシーや感情を制御出来る成熟した民度も重要です。つまり国民が自覚出来れば世の中随分と変わるわけです。まあそれが一番難しいのですが。
この国の現状は制度は閉ざしたまま、役人や政治家、他人の抜け駆け感や制度の表面的な問題点に簡単に吹き上がる、そこに政治家も役人もメディアもそういう民度からの攻撃をかわす為に媚びてポピュリズムに走り裏ではバレないようなスキーム作りに邁進し、国民は表面的な囮に引っかかり、既得権の権益や恣意性をよりどんどん認めてしまうという最悪の悪循環です。
役人の居酒屋タクシー問題なんかで大騒ぎしています。もちろん悪くないとはおもいませんが、こんな所がそれほど重要な問題なのか?って話です。
確かに役人の構造は問題があるし、奴らの不作為によってこの国がここまで閉塞している面は間違いなくある。しかし彼らの年間平均労働時間は5000時間と言われています。普通の人の平均がその半分。なんでもかんでも叩いていればやる気も無くなるし、国民の為よりも自分達の権益の為となるのも、役人なんだからそんなのけしからんじゃないかとなるのは正しいのですが、人間の心理としては気持ちはわかります。
彼らを全員今すぐ辞めさせるなんて事は出来ないわけですから、やる気をもって国民益の為に働けるようなモチベーションをもたせてやらないと、結果的に痛い目にあうのは国民自身になってしまう。
制度は開き、可視化して、尚かつ優先順位をつけて、それなりに必要な権益は認めてあげる。その代わりそこが国民益と著しく乖離していれば、正してくれよという世論が出てくる。そういう所が無いと、悪循環によって沈没間違いなしです。
市場経済というプラットフォームに我々は立っているわけで、これを恣意的に運用して、外資を敵扱いしても勝ち目はありません。嫌いだから不公正な制度でもいいじゃないかでは、まともな近代国家として相手にされなくなってしまいます。公正なルールで戦えるようにする為には、アメリカとの距離も一定に保つ必要があります。ここから転換が出来ないと、アメリカからの自立もまた出来ない。このままでは未来は限りなく暗いものでしかない。
それとこれは自分の持論なんですが、やっちゃえば何とかなっちゃう論というのがあります。
問題や不合理も出てくるだろう、だけどやってしまえばもうやるしかないわけで、やっちまえば何とかなるわけです。いつまでも不安や恐れを抱いて、制度や国家に守られていないと心配でしょうがないという自立出来ない図式から最も手っ取り早く脱却するには、そういう状況に叩き込むのが一番手っ取り早い。
人間は適応する。何とかしてしまう所もある。その上でこぼれた問題を手当てした方が、簡単に片付くという事もあります。
料理人と言うかサービス業というのは人がバンバン入れ替わります。すぐ辞めるし、すぐ入ってくる。バックレ辞めが非常に多い職種ではないかと思います。そうなると必ず人手は足りなくなる。その時、必ず自分が言うのは、野郎共!何とかしろ!!これです。何とかするしか無いわけで、ごちゃごちゃ言っていても始まらない。だからやるしか無い。手を動かせ。という事です。その代わり責任は責任者が取る。
結構それで何とかなっちゃうもんです。失敗したって、そこから回復しようとする力も人は持っている。
もちろん制度やシステムの問題はそれに伴う副作用も多く、自分もよく、簡単に舵を切る前に吟味しろ!!なんて書いたりしておりますが、だからってなんにも話が進まなければ何も解決しない。話が進まなければ、問題の進行も止まっているのなら、グズグズしていてもいいのですが、時間は止まらない。もうどこかで舵を切らなきゃならないわけで、舵を切るなら早い方がいいに決まっている。逃げ切り野郎共の都合で借金ばかり増えたんじゃたまりません。
その為にも、まずは、そろそろ出口の無い二元論から卒業をしましょう。そうしないと話は全然進みません。
この話題はこれにてEND!!