最近気になったネタで、グリンピースの鯨肉問題が巷をちょっと騒がせました。横領を告発するとか言っているくせに、お前らがまず盗んでんじゃねえか!!ってな反応が殆どです。法律を犯している分際で、正義の味方を気取るなという感じの。
なんか話が矮小化されているのでちょっと気になるのですが、この問題は結構大きな問題を含んでいます。
グリンピースの肩を持っていると思われるのも嫌なので最初に書いておきますが、自分はグリンピースは嫌いです(食べ物のグリンピースも)。正直あの偽善者ぶった物言いがムカついてくる。はり倒してやりたくなります。それに時として行き過ぎな行為も多々ある。だけどだからこそ彼らの言い分に聴く耳を持たないと、彼らを批判する事もまた出来ない。
それに鯨は日本人にとっちゃ読んで字の如く魚だぜ、とも思っておりますので、食ってもバカ高いだけで、ひとつも旨いとは感じませんし、無くても困りませんが、いちいちとやかく言われるのもムカつきます。そういう気持ちは理解出来る。ただ職業柄、常に鯨肉などが流通している状況も確かに不思議な感じがします。常に流通している。
とまあ、ひとまずこれらの前提はいつものごとく全部わきにおいて書きますので、それではおっぱじめます。
大前提として、違法によって取得した証拠は、証拠能力がありません。なのでグリンピースに対する非難はそれなりに妥当な部分もあるとは思います。しかしそれを統治権力が言うのならわかりますが、マスメディアどころか国民まで統治権力のケツを舐めるような風潮は気持ちがいいもんじゃありません。
何にコントロールされて、何に利用されているのかよくよく考えてほしいもんだと思うわけです。
まず法を守るということと正義であるという事は全く関係がありません。法を守らない奴イコール悪というのは単純すぎて危険な発想です。
法律と言うのは国家が国民に向けた覚え書きであり、その国家は憲法によって縛られる。憲法の枠内で法律を作って統治をするわけです。
その憲法は国民が国家に向けた覚え書きであり、国民が国家をコントロールする為のものです。国家が勝手に法律を定め国民を抑圧するような事があっちゃならんと言うわけです。
つまり国家とは我々がまずコントロールしているという事が第一義にあり、我々の生活を守る為に法律によって取り締まり、統治をすると言うわけです。国家の闇を防御する為に法律で固めるというのは国民の為ではありません。もしそれが国民の為なのであれば説明する義務があるでしょう。
国家が決めた法律というのは国民の為なのです。
グリンピースが行なった行為と言うのは確かに短絡的だと捉える事も出来るかもしれません。しかしこの場合法律を守る事と、法を破って国家の嘘を暴く事と、どちらが国民益になるでしょうか?
ひとまずグリンピースの事はわきにおいて思考実験をします。今目の前で誰かが殺されたとします。貴方はその光景を目にしてしまった。犯人は目撃された事に気付き、車で逃走します。貴方は警察に連絡をしますが、今目の前で人が殺されて、警察はすぐには駆けつけてこない。このままでは犯人を逃してしまうという危険、もっと被害が広がるのではないかという不安、貴方はもちろん恐怖に駆られていますが勇気を振り絞って、自分の車で犯人を追跡します。貴方が決断を下すまでに、犯人はもう随分と遠くまで逃走してしまっている。貴方は法廷速度を違反して必死でそれを追いかける。やっと犯人を追いつめ車を止め犯人を取り押さえた所に警察が駆けつける。手錠がかかったのは貴方の手。
犯人も同様に裁かれて吟味されるのならまだしも、貴方しか目撃者はおらず、貴方はスピード違反をしているのでその言い分に正当性を感じてもらえず、犯人は証拠不十分で不起訴、裁かれたのは貴方だけ。
貴方はこれはおかしいじゃないかと訴えるが、世間もマスメディアも法律を犯した人間が何をほざいてやがる、正義を主張する前にまず法律を守れよ、と非難され社会的制裁を受ける事になる。国家も貴方だけを裁いて、これで正義が守られたと主張する。
と、いくらでも思考実験は出来ますが、こういう場合、法を犯した事と倫理的な正しさを追求する事とどちらを優先させるべきでしょう。当然、凶悪な犯人を追いかけた貴方の、勇気というより無謀さは危ういものでもある。もっと危険が生じたらどうするんだと。だけど悪者扱いをされたり、追いかけた犯人が全く無傷であるというのは、どう考えても法律的に正しいとしても倫理的にはおかしな話です。
国家が倫理を問う事無く法律に忠実に行動する理由はわかりますが、それが国民益になっているのか?そしてそれを国民やメディアまで統治権力の片棒を担ぎ、犯人の問題性を放り出して、たかがスピード違反の貴方をメッタクソに叩いたとしたら、何の為の法律で、誰の為の国家権力なのかがわからなくなってしまう。
国家は法律を定める事が出来るわけですから、自らの利権、国民の税金を横領して私腹を肥やす行いをすべて法律で守り、アンタッチャブルカテゴリーにしてしまえば、市民は絶対にそこに手を出せなくなってしまいます。警察も検察も国家権力の犬ですから法律は守っても(守ってませんが)国民益、ようするに憲法の範囲を超え暴走しているとすれば、それを食い止める事こそ国民益であり、法律を踏み越えて巨悪を暴く事の方が少なくとも国民レベルでは優先されるべき事です。国家の本義は国民の為にあるのですから。
かと言って各々勝手にこれが国民の為だと言って振る舞っていたのでは、確かに問題はありますので、そういう意味であいつらの行ないはどうなんだ?と吟味するのはわかりますが、そういった吟味もせず、国家権力がほざく合法性のケツを舐めるのは、近代国家の大前提、つまり国民が国家を操縦すると言う本義が損なわれてしまう。
日本と言うのは立憲主義の国です。でありながらその本義を投げ出すという事は、絶対に国民益と言うレベルでは国家は機能しない。統治権力を司るワイズマン達がいて、それが重要な選択を、一見国民に不利益になったとしても先々を考えればそれが国民益になるはずだと、是々非々の選択をとれるような国ならまだしも、日本全国津々浦々、統治権力はことごとく腐りきって、逃げ切り野郎ばかり、長期的なビジョンもなければ、全体を俯瞰する目線も無いポピュリズム野郎ばかり、組織益や省益を優先し、国民の生活なんて知ったこっちゃない状況に陥っている現在、何を根拠に統治権力のケツを舐めるのか理由がわからない。法律で取り締まるのはいいけれど、国民益にとっての優先順位をキチンとつけやがれとケツにケリを入れる方が重要です。その上で感謝するというのなら自分もそれには同意する。
光市の母子殺害事件のようなケースでは、国民もマスメディアも、デュープロセス?知るか!!とっとと死刑にしろ!!みたいな感じで近代裁判の原理原則を無視しろと言うのに、グリンピースのような事件では法律を守れと叫ぶ。一見矛盾するような振る舞いですが、いずれにせよこういう輩は自覚した方がいい、国家に利用されているという事を。ケツをなめなめ奴隷である事を自覚しないとそこからは出られない。
光市のような話もそもそも法律を犯人が破っているわけだからそこの法律を守れと言いたいのかもしれませんが、いずれにせよ感情プロパガンダに引っかかる動員要員であるという事を自覚しないと、この国のお先は真っ暗です。
光市のデュープロセスを守る事がなぜ重要なのか?グリンピースの振る舞いは単純に違法行為だと切って捨てるのは危険だと、守れと守るなと先程とは逆の意味で一見相矛盾するような事をなぜ言うのかというと、これらは国家を我々が操縦しているか否かという近代国家の原理原則に絡んでくるからです。
我々の意志に反して、国家がやりたい放題になってしまえば(なっていますが)、この社会は滅茶苦茶になってしまいます。繰り返しますがそういう事を任せるに足る賢人達がいるのなら、百歩譲ってまだわかる。だけどそんな奴はどこにもいないし、仮にいたとしても結局そういうお任せ主義がどういう帰結を生み出すのか少なくとも日本は経験しているはずです。前大戦しかり、バブル崩壊しかり。
権力は頂点で腐敗する。これはある種法則であって例外はありません。厄介なのは日本にはかつて例外があったと言われる時期があるから依存体質から脱却出来ないのですが、多くの社会、少なくとも近代型に舵を切った時点から、権力は頂点で腐敗してしまう事を監視する、政権を交代させて癒着を物理的に断ち切るという事を繰り返すしか、この社会は機能しない。我々が民主制を選択している以上、立憲主義を選択している以上、これは不可欠の常識なのです。
社会は自然物ではない。我々の生活の為に不可欠であるから必要なわけでフィクションです。社会があって我々が存在するのではない。そのフィクションを駆動させる為には我々のコミットメントが必要であり、暴走してしまう可能性を内包している強力な暴力装置である国家に勝手にはさせないぞという前提があって初めてドライブさせる事が出来るわけです。
この問題は古くは沖縄密約問題の西山太吉事件を思い起こさせられます。西山氏は国家の陰謀を違法行為を使ってスッパ抜きました。しかし彼はその違法行為故に断罪され、国家の陰謀は全く放置され、彼の違法性だけををメディアが容赦なく叩き、社会的サンクションを徹底的に受け、仕事も名誉も何もかも失い、30年以上たった今にいたっても名誉回復は成されていません。
佐藤内閣の際の沖縄返還問題というのは所謂「核抜き本土並」というスローガンで、返還される沖縄米軍施設の原状回復費は米国側が負担すると言う合意文章が表向きにされていながら、実は国民を騙し、税金によって日本側が負担すると言う密約を交わしていたという問題です。佐藤の花道論でもありました。沖縄は今にいたっても米軍駐留が続き、おもいやり予算などでふんだくられていますが、そもそも最初から、首相の花道に利用する為に国民を騙していたのが事の始まりで、そのインチキをずっと上塗りし続けているという事を、最初の時点で暴こうとしたわけです。
この陰謀があったという事は、すでにアメリカの情報公開によって明らかにされています。それに当時の外務官僚であった証言をした人間が陰謀を認めている。この国の政府見解は河野洋平議員が外務大臣だった頃に、その外務官僚が当時無いと言っているから、無いと聞いていると言うのが政府見解です。
しかしその後アメリカで情報公開がなされ、無いと証言していた元外務官僚が年を重ね良心の呵責に耐えられなくなったのか、実はあったとカミングアウトしている。にもかかわらず安倍晋三が官房長官だった当時、河野が発言した政府見解が日本政府の見解だとほざいている。裁判所もそれを根拠にしています。
河野見解のエビデンスとなっている証言が覆って、アメリカの情報公開によってあった事が明らかになっているのに、未だそれを認めようとしていないし、報道でそれを取り上げて、国民に啓蒙しようとすら全くされない。
ずっと無いと政府が言い続けて来た事が25年経ってアメリカの情報開示によって明らかにされたので、西山氏はほらあったじゃないかと主張しているわけなんですが、すでに時効だという事が判決に盛り込まれちゃったりする。これじゃ絶対に覆す事が出来っこ無い。
百歩譲って、司法判断で西山氏は確かに秘密文章の入手方法については違法行為を犯していますから、有罪だとなるのはしょうがないとしても、国家の詐欺行為には全く手をつけないどころか啓蒙もされないと言う状況は明らかに偏りがある。当時の政府という話だけではなくて、連綿と今にいたってもその詐欺行為の上塗りを続けている。この事が全く問題にされない。
国益の為に国家は嘘をつく事があります。それ自体はどこの国でもある事です。しかしその嘘が妥当なものだったのか?国民益になっているのか?単なる利権ではないのか?という事を吟味出来るか出来ないかでは全然違ってくる。
この事件のおかげで、国家の犯罪をスクープしてもそれを公にするとロクな事が無いというマスコミの萎縮効果は間違いなくあって、それが現在のチェックの働かない翼賛体制の原因の一因になっている。
何しろ今回のグリンピース問題なんかで明らかなように、国民は国家のケツを舐めるのが大好きなので、そりゃ国家批判の報道なんて、やっても人気もないし、ロクな事が無ければインセンティブも働きっこ無い。
例え法律で有罪だったとしても、その行いは国民益に適っているぜ、というコンセンサスが無けりゃ、せめて名誉ぐらいは担保されてなければ、正義感にかられて調査報道なんてやるのはバカらしいとなったってしょうがない。
このまま行くとどういう国になっていくのか?
捕鯨問題というのは、日本人的感情でいえば非常に微妙な問題です。なんで他所の国の食文化をとやかく言ってくるんだ?と。それでこの問題に吹き上がりたい理由もわかるし、自分も気持ちはわかります。
しかし正論だからと言って国際社会を敵に回し強情に貫く事によって、結果的にそれ以外の国益が損なわれてしまうかもしれないという事にも敏感になる必要があります。これは死刑制度などにも言える事です。
鯨の食文化を守って、それ以外の国際関係でバッシングをくらい国益を損じている一因になっているのだとすれば、差し引きプラスになってなければ国家戦略としては話になりませんから、引くのも戦略です。差し引きプラスに持って行ってこその戦略ってもんです。
感情に任せてシーシェパードなどに怒っていても、それで日本がどういう風に見られるのかという事も冷静に吟味する必要がある。世の中正論で回っているわけではない。これが外交の交渉カードになってしまっている現在、その辺もよく考えないと、吹き上がるのはいいけれど結果的に自分達の首を絞めてしまっているという事も十分有り得ます。
それに、諸外国やグリンピースやシーシェパードなどの言い分でいえば、調査捕鯨とは名ばかりで、確かに鯨肉は日本国内で商行為として流通しているわけで、その流れを与える事によって密猟なども絶えない。日本政府はそこをキチンと管理すると言ってますが、実際には鯨肉を横領していたりするのだとすれば、管理なんて出来っこ無いわけで、この国の統治権力の有様を見れば、年金問題にしろ、道路利権の問題にしろ、国民を騙しネコババしているわけです。こんな連中を何を根拠に信じられるというのか?と言われれば何も反論は出来ないはずです。
実際この鯨問題というのは役人の利権です。ここで飯を喰っている輩が沢山いる。その闇を明らかにする方法が違法行為以外には無いのだとすれば、違法行為を行なう事が国民益に反していると言えるでしょうか?多くの国民は食文化の内政干渉、日本の漁業の危機という文脈でこの問題を感情的に煽られて利用されています。その闇を情報公開させる事は必要なはずです。単に利権を守りたい連中の言い訳でなければそれが出来るはずです。法律で違法だと裁いたとしても、国民レベルではそれが必ずしも悪ではないという理解は最低限必要なんじゃないでしょうか?
もちろんグリンピースが悪ではないとかいいたいわけではありません。冷静に問題点見つめて、目先の違法行為という言葉にたぶらかされない民度が必要なのではないかと。
グリンピースの鯨肉横領をチョンボしてスッパ抜いた問題についてあれこれと書いてみました。
なんか話が矮小化されているのでちょっと気になるのですが、この問題は結構大きな問題を含んでいます。
グリンピースの肩を持っていると思われるのも嫌なので最初に書いておきますが、自分はグリンピースは嫌いです(食べ物のグリンピースも)。正直あの偽善者ぶった物言いがムカついてくる。はり倒してやりたくなります。それに時として行き過ぎな行為も多々ある。だけどだからこそ彼らの言い分に聴く耳を持たないと、彼らを批判する事もまた出来ない。
それに鯨は日本人にとっちゃ読んで字の如く魚だぜ、とも思っておりますので、食ってもバカ高いだけで、ひとつも旨いとは感じませんし、無くても困りませんが、いちいちとやかく言われるのもムカつきます。そういう気持ちは理解出来る。ただ職業柄、常に鯨肉などが流通している状況も確かに不思議な感じがします。常に流通している。
とまあ、ひとまずこれらの前提はいつものごとく全部わきにおいて書きますので、それではおっぱじめます。
大前提として、違法によって取得した証拠は、証拠能力がありません。なのでグリンピースに対する非難はそれなりに妥当な部分もあるとは思います。しかしそれを統治権力が言うのならわかりますが、マスメディアどころか国民まで統治権力のケツを舐めるような風潮は気持ちがいいもんじゃありません。
何にコントロールされて、何に利用されているのかよくよく考えてほしいもんだと思うわけです。
まず法を守るということと正義であるという事は全く関係がありません。法を守らない奴イコール悪というのは単純すぎて危険な発想です。
法律と言うのは国家が国民に向けた覚え書きであり、その国家は憲法によって縛られる。憲法の枠内で法律を作って統治をするわけです。
その憲法は国民が国家に向けた覚え書きであり、国民が国家をコントロールする為のものです。国家が勝手に法律を定め国民を抑圧するような事があっちゃならんと言うわけです。
つまり国家とは我々がまずコントロールしているという事が第一義にあり、我々の生活を守る為に法律によって取り締まり、統治をすると言うわけです。国家の闇を防御する為に法律で固めるというのは国民の為ではありません。もしそれが国民の為なのであれば説明する義務があるでしょう。
国家が決めた法律というのは国民の為なのです。
グリンピースが行なった行為と言うのは確かに短絡的だと捉える事も出来るかもしれません。しかしこの場合法律を守る事と、法を破って国家の嘘を暴く事と、どちらが国民益になるでしょうか?
ひとまずグリンピースの事はわきにおいて思考実験をします。今目の前で誰かが殺されたとします。貴方はその光景を目にしてしまった。犯人は目撃された事に気付き、車で逃走します。貴方は警察に連絡をしますが、今目の前で人が殺されて、警察はすぐには駆けつけてこない。このままでは犯人を逃してしまうという危険、もっと被害が広がるのではないかという不安、貴方はもちろん恐怖に駆られていますが勇気を振り絞って、自分の車で犯人を追跡します。貴方が決断を下すまでに、犯人はもう随分と遠くまで逃走してしまっている。貴方は法廷速度を違反して必死でそれを追いかける。やっと犯人を追いつめ車を止め犯人を取り押さえた所に警察が駆けつける。手錠がかかったのは貴方の手。
犯人も同様に裁かれて吟味されるのならまだしも、貴方しか目撃者はおらず、貴方はスピード違反をしているのでその言い分に正当性を感じてもらえず、犯人は証拠不十分で不起訴、裁かれたのは貴方だけ。
貴方はこれはおかしいじゃないかと訴えるが、世間もマスメディアも法律を犯した人間が何をほざいてやがる、正義を主張する前にまず法律を守れよ、と非難され社会的制裁を受ける事になる。国家も貴方だけを裁いて、これで正義が守られたと主張する。
と、いくらでも思考実験は出来ますが、こういう場合、法を犯した事と倫理的な正しさを追求する事とどちらを優先させるべきでしょう。当然、凶悪な犯人を追いかけた貴方の、勇気というより無謀さは危ういものでもある。もっと危険が生じたらどうするんだと。だけど悪者扱いをされたり、追いかけた犯人が全く無傷であるというのは、どう考えても法律的に正しいとしても倫理的にはおかしな話です。
国家が倫理を問う事無く法律に忠実に行動する理由はわかりますが、それが国民益になっているのか?そしてそれを国民やメディアまで統治権力の片棒を担ぎ、犯人の問題性を放り出して、たかがスピード違反の貴方をメッタクソに叩いたとしたら、何の為の法律で、誰の為の国家権力なのかがわからなくなってしまう。
国家は法律を定める事が出来るわけですから、自らの利権、国民の税金を横領して私腹を肥やす行いをすべて法律で守り、アンタッチャブルカテゴリーにしてしまえば、市民は絶対にそこに手を出せなくなってしまいます。警察も検察も国家権力の犬ですから法律は守っても(守ってませんが)国民益、ようするに憲法の範囲を超え暴走しているとすれば、それを食い止める事こそ国民益であり、法律を踏み越えて巨悪を暴く事の方が少なくとも国民レベルでは優先されるべき事です。国家の本義は国民の為にあるのですから。
かと言って各々勝手にこれが国民の為だと言って振る舞っていたのでは、確かに問題はありますので、そういう意味であいつらの行ないはどうなんだ?と吟味するのはわかりますが、そういった吟味もせず、国家権力がほざく合法性のケツを舐めるのは、近代国家の大前提、つまり国民が国家を操縦すると言う本義が損なわれてしまう。
日本と言うのは立憲主義の国です。でありながらその本義を投げ出すという事は、絶対に国民益と言うレベルでは国家は機能しない。統治権力を司るワイズマン達がいて、それが重要な選択を、一見国民に不利益になったとしても先々を考えればそれが国民益になるはずだと、是々非々の選択をとれるような国ならまだしも、日本全国津々浦々、統治権力はことごとく腐りきって、逃げ切り野郎ばかり、長期的なビジョンもなければ、全体を俯瞰する目線も無いポピュリズム野郎ばかり、組織益や省益を優先し、国民の生活なんて知ったこっちゃない状況に陥っている現在、何を根拠に統治権力のケツを舐めるのか理由がわからない。法律で取り締まるのはいいけれど、国民益にとっての優先順位をキチンとつけやがれとケツにケリを入れる方が重要です。その上で感謝するというのなら自分もそれには同意する。
光市の母子殺害事件のようなケースでは、国民もマスメディアも、デュープロセス?知るか!!とっとと死刑にしろ!!みたいな感じで近代裁判の原理原則を無視しろと言うのに、グリンピースのような事件では法律を守れと叫ぶ。一見矛盾するような振る舞いですが、いずれにせよこういう輩は自覚した方がいい、国家に利用されているという事を。ケツをなめなめ奴隷である事を自覚しないとそこからは出られない。
光市のような話もそもそも法律を犯人が破っているわけだからそこの法律を守れと言いたいのかもしれませんが、いずれにせよ感情プロパガンダに引っかかる動員要員であるという事を自覚しないと、この国のお先は真っ暗です。
光市のデュープロセスを守る事がなぜ重要なのか?グリンピースの振る舞いは単純に違法行為だと切って捨てるのは危険だと、守れと守るなと先程とは逆の意味で一見相矛盾するような事をなぜ言うのかというと、これらは国家を我々が操縦しているか否かという近代国家の原理原則に絡んでくるからです。
我々の意志に反して、国家がやりたい放題になってしまえば(なっていますが)、この社会は滅茶苦茶になってしまいます。繰り返しますがそういう事を任せるに足る賢人達がいるのなら、百歩譲ってまだわかる。だけどそんな奴はどこにもいないし、仮にいたとしても結局そういうお任せ主義がどういう帰結を生み出すのか少なくとも日本は経験しているはずです。前大戦しかり、バブル崩壊しかり。
権力は頂点で腐敗する。これはある種法則であって例外はありません。厄介なのは日本にはかつて例外があったと言われる時期があるから依存体質から脱却出来ないのですが、多くの社会、少なくとも近代型に舵を切った時点から、権力は頂点で腐敗してしまう事を監視する、政権を交代させて癒着を物理的に断ち切るという事を繰り返すしか、この社会は機能しない。我々が民主制を選択している以上、立憲主義を選択している以上、これは不可欠の常識なのです。
社会は自然物ではない。我々の生活の為に不可欠であるから必要なわけでフィクションです。社会があって我々が存在するのではない。そのフィクションを駆動させる為には我々のコミットメントが必要であり、暴走してしまう可能性を内包している強力な暴力装置である国家に勝手にはさせないぞという前提があって初めてドライブさせる事が出来るわけです。
この問題は古くは沖縄密約問題の西山太吉事件を思い起こさせられます。西山氏は国家の陰謀を違法行為を使ってスッパ抜きました。しかし彼はその違法行為故に断罪され、国家の陰謀は全く放置され、彼の違法性だけををメディアが容赦なく叩き、社会的サンクションを徹底的に受け、仕事も名誉も何もかも失い、30年以上たった今にいたっても名誉回復は成されていません。
佐藤内閣の際の沖縄返還問題というのは所謂「核抜き本土並」というスローガンで、返還される沖縄米軍施設の原状回復費は米国側が負担すると言う合意文章が表向きにされていながら、実は国民を騙し、税金によって日本側が負担すると言う密約を交わしていたという問題です。佐藤の花道論でもありました。沖縄は今にいたっても米軍駐留が続き、おもいやり予算などでふんだくられていますが、そもそも最初から、首相の花道に利用する為に国民を騙していたのが事の始まりで、そのインチキをずっと上塗りし続けているという事を、最初の時点で暴こうとしたわけです。
この陰謀があったという事は、すでにアメリカの情報公開によって明らかにされています。それに当時の外務官僚であった証言をした人間が陰謀を認めている。この国の政府見解は河野洋平議員が外務大臣だった頃に、その外務官僚が当時無いと言っているから、無いと聞いていると言うのが政府見解です。
しかしその後アメリカで情報公開がなされ、無いと証言していた元外務官僚が年を重ね良心の呵責に耐えられなくなったのか、実はあったとカミングアウトしている。にもかかわらず安倍晋三が官房長官だった当時、河野が発言した政府見解が日本政府の見解だとほざいている。裁判所もそれを根拠にしています。
河野見解のエビデンスとなっている証言が覆って、アメリカの情報公開によってあった事が明らかになっているのに、未だそれを認めようとしていないし、報道でそれを取り上げて、国民に啓蒙しようとすら全くされない。
ずっと無いと政府が言い続けて来た事が25年経ってアメリカの情報開示によって明らかにされたので、西山氏はほらあったじゃないかと主張しているわけなんですが、すでに時効だという事が判決に盛り込まれちゃったりする。これじゃ絶対に覆す事が出来っこ無い。
百歩譲って、司法判断で西山氏は確かに秘密文章の入手方法については違法行為を犯していますから、有罪だとなるのはしょうがないとしても、国家の詐欺行為には全く手をつけないどころか啓蒙もされないと言う状況は明らかに偏りがある。当時の政府という話だけではなくて、連綿と今にいたってもその詐欺行為の上塗りを続けている。この事が全く問題にされない。
国益の為に国家は嘘をつく事があります。それ自体はどこの国でもある事です。しかしその嘘が妥当なものだったのか?国民益になっているのか?単なる利権ではないのか?という事を吟味出来るか出来ないかでは全然違ってくる。
この事件のおかげで、国家の犯罪をスクープしてもそれを公にするとロクな事が無いというマスコミの萎縮効果は間違いなくあって、それが現在のチェックの働かない翼賛体制の原因の一因になっている。
何しろ今回のグリンピース問題なんかで明らかなように、国民は国家のケツを舐めるのが大好きなので、そりゃ国家批判の報道なんて、やっても人気もないし、ロクな事が無ければインセンティブも働きっこ無い。
例え法律で有罪だったとしても、その行いは国民益に適っているぜ、というコンセンサスが無けりゃ、せめて名誉ぐらいは担保されてなければ、正義感にかられて調査報道なんてやるのはバカらしいとなったってしょうがない。
このまま行くとどういう国になっていくのか?
捕鯨問題というのは、日本人的感情でいえば非常に微妙な問題です。なんで他所の国の食文化をとやかく言ってくるんだ?と。それでこの問題に吹き上がりたい理由もわかるし、自分も気持ちはわかります。
しかし正論だからと言って国際社会を敵に回し強情に貫く事によって、結果的にそれ以外の国益が損なわれてしまうかもしれないという事にも敏感になる必要があります。これは死刑制度などにも言える事です。
鯨の食文化を守って、それ以外の国際関係でバッシングをくらい国益を損じている一因になっているのだとすれば、差し引きプラスになってなければ国家戦略としては話になりませんから、引くのも戦略です。差し引きプラスに持って行ってこその戦略ってもんです。
感情に任せてシーシェパードなどに怒っていても、それで日本がどういう風に見られるのかという事も冷静に吟味する必要がある。世の中正論で回っているわけではない。これが外交の交渉カードになってしまっている現在、その辺もよく考えないと、吹き上がるのはいいけれど結果的に自分達の首を絞めてしまっているという事も十分有り得ます。
それに、諸外国やグリンピースやシーシェパードなどの言い分でいえば、調査捕鯨とは名ばかりで、確かに鯨肉は日本国内で商行為として流通しているわけで、その流れを与える事によって密猟なども絶えない。日本政府はそこをキチンと管理すると言ってますが、実際には鯨肉を横領していたりするのだとすれば、管理なんて出来っこ無いわけで、この国の統治権力の有様を見れば、年金問題にしろ、道路利権の問題にしろ、国民を騙しネコババしているわけです。こんな連中を何を根拠に信じられるというのか?と言われれば何も反論は出来ないはずです。
実際この鯨問題というのは役人の利権です。ここで飯を喰っている輩が沢山いる。その闇を明らかにする方法が違法行為以外には無いのだとすれば、違法行為を行なう事が国民益に反していると言えるでしょうか?多くの国民は食文化の内政干渉、日本の漁業の危機という文脈でこの問題を感情的に煽られて利用されています。その闇を情報公開させる事は必要なはずです。単に利権を守りたい連中の言い訳でなければそれが出来るはずです。法律で違法だと裁いたとしても、国民レベルではそれが必ずしも悪ではないという理解は最低限必要なんじゃないでしょうか?
もちろんグリンピースが悪ではないとかいいたいわけではありません。冷静に問題点見つめて、目先の違法行為という言葉にたぶらかされない民度が必要なのではないかと。
グリンピースの鯨肉横領をチョンボしてスッパ抜いた問題についてあれこれと書いてみました。