それでも、しつこく続きます。
専門的な分野というのは、政治家なんかよりも官僚のほうが現場の事をわかっている。そこに薄汚い構造が垣間見えたりするわけですが、この国の頭の悪いポピュリズムに走りやすい政治家に任せるとなるともっと危険な可能性もある。
ここを食い止める事が出来るのは国民の民度の上昇と、選挙での権利の行使しかないのですが、権力のチェック機関であるメディアは完全に政治や業界と一枚岩であって国民の民度の上昇の為の啓蒙は皆無。
現場を知らない頭の悪い政治家が経済学者などが言う、机上の抽象的なロジックで、国民経済の繁栄の為には、人材と金が医療部門に圧迫されるのは無駄だという話になってしまう。これは教育なんかでもそうです。
頭の悪いポピュリストが総理大臣になり、わけのわからない居酒屋の社長とか、ヤンキー先生とか、教育を構造的に全体のビックピクチャーと照らし合わせて考える事の出来ない勘違い野郎共に下らん議論をさせ、人気取りや消費者目線的な、市場経済じゃあるまいしトンチンカンな事をほざきはじめたり、無駄を省くという無駄の意味がわかっていないたわけ共が勝手に無駄が何であるのかわかってもいないのに決めつけたり、全くどうでもいいような、道徳教育だの親学だのほざき始める。
今の福田政権のように何もしないというのも政治家としては下の下、不適格だと思いますが、下手に余計な事をされるとろくでもない方向にしかいかない状態なのも尚厄介です。政治家の頭が悪すぎる。
しかしこれがポピュリズムのケツ舐め連鎖の中でそういう下らん政治家が支持されてしまったりする。どういう医療がそれぞれの国にとって適切なのかというのは、政治的に集合的な決定、民主制によって合意して行かなければいけないわけですが、今の所この国では、現状がどういう風になっているのかを正しく見極めて、それぞれの立場で意見を出し合って共有して行くというプロセスが全く出来ていない。足の引っ張りあい、悪者叩き、人気稼ぎに終始している。
官僚はわかっていても、自分達の立場を守らなければならないというのもあるし、おいしい利権を手放したくもないという事で、省益第一となり、政治家とのしがらみなどもあって、意見を言えないような雰囲気になっている。意見を言うと腐敗した利権構造を護持する為にほざいているのだという風に見えてしまう。実際にそういう側面もあるからしょうがないのですが、こういう袋小路にこの国は陥っているように見えます。
官僚から意見が出てこなければ談合マスコミ共には調査報道の力量もないし、そんなインセンティブの働くような構造がまるでないので、医者や専門家側から、書籍や論文などでアナウンスして行くしかないのですが、医療現場の崩壊ぶりを啓蒙すればするほど、ステークホルダーだからそんな事を言っているのではないか?仕事はどんな仕事でも忙しいんだよ的な感覚で見てしまったり、医者のなり手がいなくなるという副作用も誘発してしまう。とは言っても啓蒙しなきゃどうにもならないわけで、国民が合意したり選択するにも情報が共有されないと何も決められない。
朝日新聞なんかが典型ですが、いまだに医師不足を認めていません。患者の立場に立ち医者を叩き潰す事に重きを置いている。もちろん問題のある構造もあるにはあるので、そういう事が不必要だとは言いませんが、それで構造をぶっ壊して結果的に国民が苦しむというのでは本末転倒です。
まあ大メディアは医薬品産業というのがスポンサーでもありますので、弱い個人を叩くという事しか出来ないというのもあるし、医師不足が加速して、国民が不安になれば医薬品メーカーにとってはおいしい草狩り場に出来ますので、そういう力学に突き動かされてやっているのかもしれませんが、そこには正論やきれい事しか見ない国民性というのもアシストになってしまっているのは確かです。下らんバカコメンテーターのべき論やきれい事を拍手喝采する国なのでしょうがないのかもしれません。
こういう医者叩きのプレッシャー、訴訟の多さなどもそうですが、結局弁護士にしろ検察にしろ警察にしろ、大メディアにしろ、専門家がチェックしているという構造ではありません。なので医者の立場での言い分ですと、医療事故が起こり医療訴訟になるのは、ある意味仕方が無いかもしれないが、医者にチェックしてほしい、専門家に判断をしてもらえないと、公正な裁きにならないのではないかという言い分です。
もっともなんですが、我々側からそれを観た時に医者が医者を裁くなんて、どうせ仲間内なので、出来るわけが無いのではないか?という風に見えてしまう。バカメディアも煽るに決まっています。
各国の事例を見ると、専門ではない人間が専門家を監視するというのは土台無理な話ですので、専門の司法関係者を用意しています。
この国では専門家ではない人間が、専門家を監視するという構造がどこを見ても溢れかえっています。教科書問題のときの審査官問題でも触れましたが、専門家よりも優位な立場を利用して、お手盛りの専門家を集めたり、専門家の見解にチェックを入れたりする。そうすると専門家はその分野からある意味はじかれてしまうというサンクションが起こったりする。
医療部門に税金をかけろ的な言い方、これは教育なんかもそうですが、公共的なセクターを厚くするという議論は、大きな政府、かつて今でもそうですが腐敗した旧経世会的再配分的な方向性なのではないか?腐敗した官僚制度の肩を持って言っているのではないのか?という言い方に聞こえてしまうのでどうしても不人気になりやすい。だからと言って小さな政府路線と言っても、この国でのそれは単に利権構造のシフトでものを言っているだけが殆どなのでロクな方向に行かない。
イギリスやフランス、ドイツは基本的に病院は国営であり、診療所の医者は国家公務員に準じる立場になっている。アメリカは自由。日本の場合は複雑で、国公立病院が少ない。殆どが民間病院になる。そうなると金を集めるのは国家が健康保険で集めながら、実施は民間でという構造なので、自助努力で民間は経営して行かなければならず、生き残る為には黒字化を目指すというのはどうにもならない必要不可欠なインセンティブであり、そうなると赤字の患者を見捨てるという方向になりやすい。
グローバル化対応として権利を国家が握り、責任を民営化するという構造そのものが、元々この国の医療制度には内包されている。人の生き死にに責任を持たなくて済むような制度設計にそもそもなっているわけです。
医師不足を回避出来たフランスやドイツの1000人あたりの医師数は日本の倍なので、事実上人数を倍に出来なければ、フランスやドイツ型の舵取りは不可能。今から速攻で取りかかっても最低十年はかかる。
でも今の状況を見ていると、政治家は選挙の事しか頭になく、先の事なんか知ったこっちゃないという連中ばかりです。舵を切り替えてもどうせ足の引っ張りあいで停滞するに決まってますので、十年くらいじゃとてもじゃないけれど無理です。
そうなるとアメリカやイギリス型に舵を切るしか選択肢も無い事になりますが、アメリカやイギリスが上手く行っているという話では全くありませんので、上手く行かない乏しい医療資源を何を基準に分配して、どこに線を引いて切り捨てて行くのかという話にしかなりようが無い。というかもうすでにそうなっている。
金次第で医療を受けられるか否かが決まってしまったり、一刻を争う病であっても、長い待ち行列を待たなければならなかったり、少なくとも介護は完全にそうなっている。これは深刻な問題なのではないでしょうか。
医療費の増額という事になると、クレクレ主義的国民性なので、絶対に嫌がるに決まっていますし、その前に構造的な腐敗が見えるので納得出来るわけも無い。ポピュリズム的な政治家がそういう不人気になる事を言うわけが無い。
勤務医の負担を軽減する為には患者数を減らさねばならず、超高齢化社会をむかえる現状では事実上不可能。医学部の定員増はぼちぼち始まっていますが、やらないよりはマシというレベルでしか無く、焼け石に水という状況、それに一人前に成っていっぱしの医師になるまでには時間がかかる。八方塞がり、破滅の道を突き進んでいるようにしか見えない。こういう構造がこの国の現状なのです。
さて、非常に困った状況が垣間見えて来たのではないかと思います。こういう制度的な構造問題というのは所詮我々の民度、そして投票行動でしかコミット出来ないという人が殆どなので、絶望的ではありながらそれしか方法はありません。あまりにも無力に感じるかもしれませんが、諦めてしまっては抗う事なんて出来ません。誰しも無関係ではない問題です。
そして患者側の立場からこれを見た時に出来る事というのは、我々の意識の改革、これが重要なんだろうと思います。例えば外来で受診する回数、国民一人当たり年間14回ぐらいです。ヨーロッパやアメリカなんかを見ると、多くて約半分、だいたい半分以下が普通です。外来だけを見ても倍以上、病院に頼っている。ちょっとした事で病院を頼るメンタリティというのを少し見直さないと、どうにもなりません。
風邪を引けば病院だとなりますが、風邪くらいといっちゃなんですが騒ぎすぎる部分があるのではないでしょうか。子供の病気など特にそうです。こういうメンタリティをどこまで自制出来るのかという問題。
終末期医療にしても、どこまでそれをやるのか、もう助からない状態での延命治療に対して世論調査等をすると、8割くらいは止めてくれと思っています。が、自分の身内にその問題が降り掛かって来た時に、本当にそう思えるのか。延命治療を断る家族というのは全体の1割、2割という所だそうです。そういう状況になると遠い親戚が集まって来たりして、命の尊さというクソメディアが情緒的に騒ぎ立てるクリシェ的な文句に毒された人間が、情緒的な観点から口を挟むというパターンも多い。
命の尊さというのをはき違えた下らん啓蒙や教育が多いので、そうなるのも必然なんですが、この辺の意識改革から手をつけるというのが、我々にとって出来る事ではないでしょうか。
人工呼吸器をつけてしまうと、取り外すという事が出来ない、安楽死問題と言う微妙な問題が絡んできます。これによって家計が圧迫されて、病院は火の車、安楽死なんていう話になると、メディアも鬼の首でもとったかのように徹底的に叩いたりする。
こういう所もキチンと情報を国民が知っておかないと、それが何を意味するのかもわからない。抽象的な次元で、延命治療が善いとか悪いとか、人の命の尊さをどうたらこうたら語っていても無駄です。べき論というのは何の役にも立たない。正論やあるべき姿は、それはそれとして目指すべき方向性ではあるけれど、現状の制度、社会の状況でどのように考え振る舞うのかという議論が出てこないとどうにもなりません。
病院という場所が、医者という人種が、本来であれば家族が賄う領域であるとか、教育の分野や坊主のような宗教者の領域である部分まで担保するような社会になってしまっているのも問題です。
もちろん倫理的な価値判断というのは必要でしょう。しかし医学というのは身体の安全を守るものではありますが、安心まで担保せねばならないという状態をあまりにも押し付けている側面もあるのではないでしょうか。丸投げしているが故にトラブルが起こってしまう。医者なんだから何とかしろ、と言える範囲というのを越えている所がある。
教師に対する期待と一緒で、医者に対する期待が高すぎるという部分があるのでしょう。フリーアクセスを保障して、医療費の増加は反対、医者の高過ぎる年収はおかしい不公平だ、と言ったような両立不可能の要求を我々はしています。プライオリティが無い状態というのが、どうにもならない。
国民のコンセンサスが不可欠です。矛盾した要求を押し付けるのはファシズムと変わりません。情緒的に正論を吐いていると思っているのかもしれませんがこういう感覚がバカメディア、政治家も含め、この国全体がいま陥っている病癖です。数学が苦手な人が多いというのもあるのでしょうが、論理的な思考が出来ない。これが医療崩壊を益々加速させてもいる。
正論はわかるけれど、論理的に不可能だし、その要求は矛盾しているぞ、という言い方をすると、冷たい奴だ、とか、心がないのか、弱者切り捨てだ的な言い方で叩かれたりしますが、医療崩壊の状況に直面している現在、どっちが他人の身体に敏感な感性で思考しているのか、という事を考えると、矛盾した要求を暴力団のように押し付ける事の方がよっぽど想像力がない。
昔は医者にしろ教師にしろ、リスペクトが高かったので仕事がキツくても、それなりにやりがいも感じられたでしょう。今は期待は昔以上に高くて、その期待にそぐわないと徹底的に叩いて全く尊敬なんかしていないような状況です。それで医者にやる気を出せと言ったって、無茶ってもんです。
全体的な構造を見渡して、考える事が出来ないと、足の引っ張りあいだけが続いて行き、やがて医療もまともに受けられず、どんどん人が死んで行くような社会になるでしょう。
北朝鮮問題の時にも書きましたが、核問題と拉致問題、国交正常化、そして、けしからん経済制裁だという考えは全部両立しません。どれから解決するのかという優先順位をつけようものなら、断固解決と情緒的に吹き上がってどれも最優先だという話になってしまう。
道路問題にしろ、経済の問題にしろ、教育問題にしろ、部分部分での最適化の話は、正しいか間違っているのかはわきにおいて溢れかえっています。何か危険があると、規制だ、重罰化だ、と副作用も考えずどんどん制度をいじくってしまう。もしくは腐敗した構造がちょっと垣間見えると規制緩和だって話になる。
しかしこの国では全体的なビックピクチャーが描かれたためしがない。プライオリティをキチンと考えて、優先順位の高いものの為には、当たり前ですが低いものは犠牲にせざるを得ないという事にあまりにも鈍感です。
医者を叩きをして悪者を血祭りに上げて、病院がなくなってしまったのでは本末転倒です。叩いている人間がそんなにクリーンな人間か?少なくとも談合メディアのゴキブリ共にはそんな事を偉そうに言える筋合いじゃない。この国でもっとも薄汚い諸悪の根源に成り下がってさえいます。
本当は保守主義者というのはそういう思考をすべき存在なのですが、この国の保守主義者はアメリカ的な保守主義の上っ面を真似したバカばかりなのでよくわかっていません。むしろ保守主義者が吹き上がって制度変更をどんどん突き進めてしまっている。
保守という概念はフランス革命を反省する中から出てきた思想で、無政府主義、マルクス主義、いろいろあるのですが、そうした中の一つとして保守主義があります。人間は生きているスパンも、見る事が出来る範囲も狭いので、そういう限定された力しか持たない人間が全体性をいじるという事は、普通合理性的観点から考えるとリスクが大きすぎる。
マンハイムがフランス革命に対する反応として出てきた思想の中で保守主義がもっとも後知恵であってもっともレベルが高い合理主義だと言う理解をしています。フランス革命に対するアンチ、革命に対するアンチの思想、価値転換に対して疑いのまなざしを持てという事です。
ところが、アメリカというのは、もともとやって来たやり方では全然上手く行かなかったじゃないか、というアングリカンチャーチに虐められたピルグリム・ファーザー達が作った国なので、従来のやり方を変えて新しいやり方、ようするに自由を大切にするのだというのが建国の理念としてあります。だからその自由を保守するのがアメリカ的な保守主義になるわけです。本来の保守主義とは逆向きのベクトルがある。だから保守主義者が新自由主義なんかを掲げたりする。自由を束縛する規制には断固反対という話になるわけです。
そもそもの保守にしろ、アメリカ的な保守にしろ、従来のやり方から変更した時にそれで大丈夫か?と疑うのが保守なのに、この国の腐れ保守共は簡単に規制しろと制度変更をしたり、アメリカ的な新自由主義路線を追従して、規制緩和だと叫んだり、お前らいったい何なんだって感じです。
伝統を守るとか言っても、そんな事はどうだっていい事で、必要ならば残り、不必要なら淘汰されるわけです。必要だと思っている人間が大切に愛でてれば済む話です。
しかし全体的な制度の舵を切り替える、もしくは修正するという時、部分部分で対処するという時に、その事によって社会に副作用があるのではないのか?という啓蒙こそが大切で、不必要になって淘汰されたものを復活させるなんてのはどうだっていい話です。
現に変わってしまっている、変化を起こしてしまっている。それではこれ以上、国民が不幸にならない為にはどのような舵の切り方が合理的であるのか、最適論はいいけれど、それが本当に最適化に寄与するのか?そういう思考が全然無い。
都度都度オポチュニスティックに対応し、変わってしまって社会が滅茶苦茶になってからこんなはずじゃなかったと吹き上がる。バカかって話です。
もっとも保守だけではなくて、左翼というかリベラル勢力もこれに輪をかけたバカの集まりなのでどうにもならんのですが、こういうお粗末な言論空間で、談合メディアが牛耳っていて、政治家がポピュリズムに走れば、当然社会は滅茶苦茶になる。全くお寒い状況で嫌になってきます。
まずは現状認識が出来ていませんので、いろいろな意見を聞いて、国民的なコンセンサスが出来て、情報を共有しないと先に話が進んで行かない。
次回でフィニッシュです。
専門的な分野というのは、政治家なんかよりも官僚のほうが現場の事をわかっている。そこに薄汚い構造が垣間見えたりするわけですが、この国の頭の悪いポピュリズムに走りやすい政治家に任せるとなるともっと危険な可能性もある。
ここを食い止める事が出来るのは国民の民度の上昇と、選挙での権利の行使しかないのですが、権力のチェック機関であるメディアは完全に政治や業界と一枚岩であって国民の民度の上昇の為の啓蒙は皆無。
現場を知らない頭の悪い政治家が経済学者などが言う、机上の抽象的なロジックで、国民経済の繁栄の為には、人材と金が医療部門に圧迫されるのは無駄だという話になってしまう。これは教育なんかでもそうです。
頭の悪いポピュリストが総理大臣になり、わけのわからない居酒屋の社長とか、ヤンキー先生とか、教育を構造的に全体のビックピクチャーと照らし合わせて考える事の出来ない勘違い野郎共に下らん議論をさせ、人気取りや消費者目線的な、市場経済じゃあるまいしトンチンカンな事をほざきはじめたり、無駄を省くという無駄の意味がわかっていないたわけ共が勝手に無駄が何であるのかわかってもいないのに決めつけたり、全くどうでもいいような、道徳教育だの親学だのほざき始める。
今の福田政権のように何もしないというのも政治家としては下の下、不適格だと思いますが、下手に余計な事をされるとろくでもない方向にしかいかない状態なのも尚厄介です。政治家の頭が悪すぎる。
しかしこれがポピュリズムのケツ舐め連鎖の中でそういう下らん政治家が支持されてしまったりする。どういう医療がそれぞれの国にとって適切なのかというのは、政治的に集合的な決定、民主制によって合意して行かなければいけないわけですが、今の所この国では、現状がどういう風になっているのかを正しく見極めて、それぞれの立場で意見を出し合って共有して行くというプロセスが全く出来ていない。足の引っ張りあい、悪者叩き、人気稼ぎに終始している。
官僚はわかっていても、自分達の立場を守らなければならないというのもあるし、おいしい利権を手放したくもないという事で、省益第一となり、政治家とのしがらみなどもあって、意見を言えないような雰囲気になっている。意見を言うと腐敗した利権構造を護持する為にほざいているのだという風に見えてしまう。実際にそういう側面もあるからしょうがないのですが、こういう袋小路にこの国は陥っているように見えます。
官僚から意見が出てこなければ談合マスコミ共には調査報道の力量もないし、そんなインセンティブの働くような構造がまるでないので、医者や専門家側から、書籍や論文などでアナウンスして行くしかないのですが、医療現場の崩壊ぶりを啓蒙すればするほど、ステークホルダーだからそんな事を言っているのではないか?仕事はどんな仕事でも忙しいんだよ的な感覚で見てしまったり、医者のなり手がいなくなるという副作用も誘発してしまう。とは言っても啓蒙しなきゃどうにもならないわけで、国民が合意したり選択するにも情報が共有されないと何も決められない。
朝日新聞なんかが典型ですが、いまだに医師不足を認めていません。患者の立場に立ち医者を叩き潰す事に重きを置いている。もちろん問題のある構造もあるにはあるので、そういう事が不必要だとは言いませんが、それで構造をぶっ壊して結果的に国民が苦しむというのでは本末転倒です。
まあ大メディアは医薬品産業というのがスポンサーでもありますので、弱い個人を叩くという事しか出来ないというのもあるし、医師不足が加速して、国民が不安になれば医薬品メーカーにとってはおいしい草狩り場に出来ますので、そういう力学に突き動かされてやっているのかもしれませんが、そこには正論やきれい事しか見ない国民性というのもアシストになってしまっているのは確かです。下らんバカコメンテーターのべき論やきれい事を拍手喝采する国なのでしょうがないのかもしれません。
こういう医者叩きのプレッシャー、訴訟の多さなどもそうですが、結局弁護士にしろ検察にしろ警察にしろ、大メディアにしろ、専門家がチェックしているという構造ではありません。なので医者の立場での言い分ですと、医療事故が起こり医療訴訟になるのは、ある意味仕方が無いかもしれないが、医者にチェックしてほしい、専門家に判断をしてもらえないと、公正な裁きにならないのではないかという言い分です。
もっともなんですが、我々側からそれを観た時に医者が医者を裁くなんて、どうせ仲間内なので、出来るわけが無いのではないか?という風に見えてしまう。バカメディアも煽るに決まっています。
各国の事例を見ると、専門ではない人間が専門家を監視するというのは土台無理な話ですので、専門の司法関係者を用意しています。
この国では専門家ではない人間が、専門家を監視するという構造がどこを見ても溢れかえっています。教科書問題のときの審査官問題でも触れましたが、専門家よりも優位な立場を利用して、お手盛りの専門家を集めたり、専門家の見解にチェックを入れたりする。そうすると専門家はその分野からある意味はじかれてしまうというサンクションが起こったりする。
医療部門に税金をかけろ的な言い方、これは教育なんかもそうですが、公共的なセクターを厚くするという議論は、大きな政府、かつて今でもそうですが腐敗した旧経世会的再配分的な方向性なのではないか?腐敗した官僚制度の肩を持って言っているのではないのか?という言い方に聞こえてしまうのでどうしても不人気になりやすい。だからと言って小さな政府路線と言っても、この国でのそれは単に利権構造のシフトでものを言っているだけが殆どなのでロクな方向に行かない。
イギリスやフランス、ドイツは基本的に病院は国営であり、診療所の医者は国家公務員に準じる立場になっている。アメリカは自由。日本の場合は複雑で、国公立病院が少ない。殆どが民間病院になる。そうなると金を集めるのは国家が健康保険で集めながら、実施は民間でという構造なので、自助努力で民間は経営して行かなければならず、生き残る為には黒字化を目指すというのはどうにもならない必要不可欠なインセンティブであり、そうなると赤字の患者を見捨てるという方向になりやすい。
グローバル化対応として権利を国家が握り、責任を民営化するという構造そのものが、元々この国の医療制度には内包されている。人の生き死にに責任を持たなくて済むような制度設計にそもそもなっているわけです。
医師不足を回避出来たフランスやドイツの1000人あたりの医師数は日本の倍なので、事実上人数を倍に出来なければ、フランスやドイツ型の舵取りは不可能。今から速攻で取りかかっても最低十年はかかる。
でも今の状況を見ていると、政治家は選挙の事しか頭になく、先の事なんか知ったこっちゃないという連中ばかりです。舵を切り替えてもどうせ足の引っ張りあいで停滞するに決まってますので、十年くらいじゃとてもじゃないけれど無理です。
そうなるとアメリカやイギリス型に舵を切るしか選択肢も無い事になりますが、アメリカやイギリスが上手く行っているという話では全くありませんので、上手く行かない乏しい医療資源を何を基準に分配して、どこに線を引いて切り捨てて行くのかという話にしかなりようが無い。というかもうすでにそうなっている。
金次第で医療を受けられるか否かが決まってしまったり、一刻を争う病であっても、長い待ち行列を待たなければならなかったり、少なくとも介護は完全にそうなっている。これは深刻な問題なのではないでしょうか。
医療費の増額という事になると、クレクレ主義的国民性なので、絶対に嫌がるに決まっていますし、その前に構造的な腐敗が見えるので納得出来るわけも無い。ポピュリズム的な政治家がそういう不人気になる事を言うわけが無い。
勤務医の負担を軽減する為には患者数を減らさねばならず、超高齢化社会をむかえる現状では事実上不可能。医学部の定員増はぼちぼち始まっていますが、やらないよりはマシというレベルでしか無く、焼け石に水という状況、それに一人前に成っていっぱしの医師になるまでには時間がかかる。八方塞がり、破滅の道を突き進んでいるようにしか見えない。こういう構造がこの国の現状なのです。
さて、非常に困った状況が垣間見えて来たのではないかと思います。こういう制度的な構造問題というのは所詮我々の民度、そして投票行動でしかコミット出来ないという人が殆どなので、絶望的ではありながらそれしか方法はありません。あまりにも無力に感じるかもしれませんが、諦めてしまっては抗う事なんて出来ません。誰しも無関係ではない問題です。
そして患者側の立場からこれを見た時に出来る事というのは、我々の意識の改革、これが重要なんだろうと思います。例えば外来で受診する回数、国民一人当たり年間14回ぐらいです。ヨーロッパやアメリカなんかを見ると、多くて約半分、だいたい半分以下が普通です。外来だけを見ても倍以上、病院に頼っている。ちょっとした事で病院を頼るメンタリティというのを少し見直さないと、どうにもなりません。
風邪を引けば病院だとなりますが、風邪くらいといっちゃなんですが騒ぎすぎる部分があるのではないでしょうか。子供の病気など特にそうです。こういうメンタリティをどこまで自制出来るのかという問題。
終末期医療にしても、どこまでそれをやるのか、もう助からない状態での延命治療に対して世論調査等をすると、8割くらいは止めてくれと思っています。が、自分の身内にその問題が降り掛かって来た時に、本当にそう思えるのか。延命治療を断る家族というのは全体の1割、2割という所だそうです。そういう状況になると遠い親戚が集まって来たりして、命の尊さというクソメディアが情緒的に騒ぎ立てるクリシェ的な文句に毒された人間が、情緒的な観点から口を挟むというパターンも多い。
命の尊さというのをはき違えた下らん啓蒙や教育が多いので、そうなるのも必然なんですが、この辺の意識改革から手をつけるというのが、我々にとって出来る事ではないでしょうか。
人工呼吸器をつけてしまうと、取り外すという事が出来ない、安楽死問題と言う微妙な問題が絡んできます。これによって家計が圧迫されて、病院は火の車、安楽死なんていう話になると、メディアも鬼の首でもとったかのように徹底的に叩いたりする。
こういう所もキチンと情報を国民が知っておかないと、それが何を意味するのかもわからない。抽象的な次元で、延命治療が善いとか悪いとか、人の命の尊さをどうたらこうたら語っていても無駄です。べき論というのは何の役にも立たない。正論やあるべき姿は、それはそれとして目指すべき方向性ではあるけれど、現状の制度、社会の状況でどのように考え振る舞うのかという議論が出てこないとどうにもなりません。
病院という場所が、医者という人種が、本来であれば家族が賄う領域であるとか、教育の分野や坊主のような宗教者の領域である部分まで担保するような社会になってしまっているのも問題です。
もちろん倫理的な価値判断というのは必要でしょう。しかし医学というのは身体の安全を守るものではありますが、安心まで担保せねばならないという状態をあまりにも押し付けている側面もあるのではないでしょうか。丸投げしているが故にトラブルが起こってしまう。医者なんだから何とかしろ、と言える範囲というのを越えている所がある。
教師に対する期待と一緒で、医者に対する期待が高すぎるという部分があるのでしょう。フリーアクセスを保障して、医療費の増加は反対、医者の高過ぎる年収はおかしい不公平だ、と言ったような両立不可能の要求を我々はしています。プライオリティが無い状態というのが、どうにもならない。
国民のコンセンサスが不可欠です。矛盾した要求を押し付けるのはファシズムと変わりません。情緒的に正論を吐いていると思っているのかもしれませんがこういう感覚がバカメディア、政治家も含め、この国全体がいま陥っている病癖です。数学が苦手な人が多いというのもあるのでしょうが、論理的な思考が出来ない。これが医療崩壊を益々加速させてもいる。
正論はわかるけれど、論理的に不可能だし、その要求は矛盾しているぞ、という言い方をすると、冷たい奴だ、とか、心がないのか、弱者切り捨てだ的な言い方で叩かれたりしますが、医療崩壊の状況に直面している現在、どっちが他人の身体に敏感な感性で思考しているのか、という事を考えると、矛盾した要求を暴力団のように押し付ける事の方がよっぽど想像力がない。
昔は医者にしろ教師にしろ、リスペクトが高かったので仕事がキツくても、それなりにやりがいも感じられたでしょう。今は期待は昔以上に高くて、その期待にそぐわないと徹底的に叩いて全く尊敬なんかしていないような状況です。それで医者にやる気を出せと言ったって、無茶ってもんです。
全体的な構造を見渡して、考える事が出来ないと、足の引っ張りあいだけが続いて行き、やがて医療もまともに受けられず、どんどん人が死んで行くような社会になるでしょう。
北朝鮮問題の時にも書きましたが、核問題と拉致問題、国交正常化、そして、けしからん経済制裁だという考えは全部両立しません。どれから解決するのかという優先順位をつけようものなら、断固解決と情緒的に吹き上がってどれも最優先だという話になってしまう。
道路問題にしろ、経済の問題にしろ、教育問題にしろ、部分部分での最適化の話は、正しいか間違っているのかはわきにおいて溢れかえっています。何か危険があると、規制だ、重罰化だ、と副作用も考えずどんどん制度をいじくってしまう。もしくは腐敗した構造がちょっと垣間見えると規制緩和だって話になる。
しかしこの国では全体的なビックピクチャーが描かれたためしがない。プライオリティをキチンと考えて、優先順位の高いものの為には、当たり前ですが低いものは犠牲にせざるを得ないという事にあまりにも鈍感です。
医者を叩きをして悪者を血祭りに上げて、病院がなくなってしまったのでは本末転倒です。叩いている人間がそんなにクリーンな人間か?少なくとも談合メディアのゴキブリ共にはそんな事を偉そうに言える筋合いじゃない。この国でもっとも薄汚い諸悪の根源に成り下がってさえいます。
本当は保守主義者というのはそういう思考をすべき存在なのですが、この国の保守主義者はアメリカ的な保守主義の上っ面を真似したバカばかりなのでよくわかっていません。むしろ保守主義者が吹き上がって制度変更をどんどん突き進めてしまっている。
保守という概念はフランス革命を反省する中から出てきた思想で、無政府主義、マルクス主義、いろいろあるのですが、そうした中の一つとして保守主義があります。人間は生きているスパンも、見る事が出来る範囲も狭いので、そういう限定された力しか持たない人間が全体性をいじるという事は、普通合理性的観点から考えるとリスクが大きすぎる。
マンハイムがフランス革命に対する反応として出てきた思想の中で保守主義がもっとも後知恵であってもっともレベルが高い合理主義だと言う理解をしています。フランス革命に対するアンチ、革命に対するアンチの思想、価値転換に対して疑いのまなざしを持てという事です。
ところが、アメリカというのは、もともとやって来たやり方では全然上手く行かなかったじゃないか、というアングリカンチャーチに虐められたピルグリム・ファーザー達が作った国なので、従来のやり方を変えて新しいやり方、ようするに自由を大切にするのだというのが建国の理念としてあります。だからその自由を保守するのがアメリカ的な保守主義になるわけです。本来の保守主義とは逆向きのベクトルがある。だから保守主義者が新自由主義なんかを掲げたりする。自由を束縛する規制には断固反対という話になるわけです。
そもそもの保守にしろ、アメリカ的な保守にしろ、従来のやり方から変更した時にそれで大丈夫か?と疑うのが保守なのに、この国の腐れ保守共は簡単に規制しろと制度変更をしたり、アメリカ的な新自由主義路線を追従して、規制緩和だと叫んだり、お前らいったい何なんだって感じです。
伝統を守るとか言っても、そんな事はどうだっていい事で、必要ならば残り、不必要なら淘汰されるわけです。必要だと思っている人間が大切に愛でてれば済む話です。
しかし全体的な制度の舵を切り替える、もしくは修正するという時、部分部分で対処するという時に、その事によって社会に副作用があるのではないのか?という啓蒙こそが大切で、不必要になって淘汰されたものを復活させるなんてのはどうだっていい話です。
現に変わってしまっている、変化を起こしてしまっている。それではこれ以上、国民が不幸にならない為にはどのような舵の切り方が合理的であるのか、最適論はいいけれど、それが本当に最適化に寄与するのか?そういう思考が全然無い。
都度都度オポチュニスティックに対応し、変わってしまって社会が滅茶苦茶になってからこんなはずじゃなかったと吹き上がる。バカかって話です。
もっとも保守だけではなくて、左翼というかリベラル勢力もこれに輪をかけたバカの集まりなのでどうにもならんのですが、こういうお粗末な言論空間で、談合メディアが牛耳っていて、政治家がポピュリズムに走れば、当然社会は滅茶苦茶になる。全くお寒い状況で嫌になってきます。
まずは現状認識が出来ていませんので、いろいろな意見を聞いて、国民的なコンセンサスが出来て、情報を共有しないと先に話が進んで行かない。
次回でフィニッシュです。