前回の続きです。
「スーパーサイズ・ミー」の中でも語られますが、ロビイングを請け負う会社が、守るべき食品企業からの目をそらさせる為によく使う手が、教育問題です。要するに食育です。
企業もそこに金を出し、健全な食に対する知識を学ばせる事が大切で、選択肢がある事自体が問題なんじゃないと問題点を反らす。
しかし当然、食育と称しながら、実際には子供達の給食などや学校での自販機などを導入させ、自分で健全な食に対する確かな選択が出来るような教育を施すとは言いながらも、選択肢が無いような状況に囲い、将来的にも企業にとっての都合のいい消費者を生み出すプログラムが進んで行く。
教育というのは確かに重要でしょう。これは不可欠です。しかしここにしっかりと監視するまなざしによってチェックを怠ると、どんどんこういう構造に飲み込まれてしまいます。子供が喜んでいるからと、放ったらかしにしておくと、いつの間にかそういう構造になってしまう可能性もありうる。
仮に政治家が利権の為でなくて、良心的に食育だとほざいているのだとしても、この国の政治家なんてのは基本的にバカばかりなので、本気でそれが良い事だと思って簡単に導入してしまう可能性がある。
大きな産業構造の変化があるので、局所的に食の安全とか、賞味期限問題とかで吹き上がっても、実際には構造自体がどれを選択しても食の安全とは程遠い選択肢しか無い状態になりつつある。小さな問題を放っておけとか言いたいのではなくて、これは単なるガス抜き効果になってしまう可能性もある。
冷凍ギョウザで騒いでますが、これだけ冷凍食品や加工食品、添加物まみれで、しかも土台はこういうベースで構造がシフトしている中ではあまりにも虚しい話でしかありません。
添加物というのは一つ一つの生物実験のようなものはしていても、それが複数重なった時、長期間服用した場合の人体への影響は未知数です。しかも実験をしていると言ったって、人間に実験したわけでもなければ、企業が研究費を出したりしているわけですから、企業に都合の悪い実験結果なんてそもそも出てくるようなインセンティブも働きづらい構造にあります。
教育をすると言っても選択肢が全く無い状況で、教育したから自己責任が取れるはずだというのも乱暴な話でもある。繰り返しますが教育は必要です。無駄だとは言わない。しかしそれが本当に適切なものであって、実際に選択肢が子供の前にちゃんと提示出来てなければ時間の無駄にしかならない。教育を隠れ蓑にする企業のタクティクスは頭に入れておく必要があるのではないかと思うわけです。
日本はまだそこまでは行っていないと思う方も多いと思いますが、そんな事はありません。すぐ目の前にまで忍び寄っているどころか、もう相当汚染されてしまっている。
そして今脚光を浴びているメタボ対策なんですが、これはハッキリ言って新たな利権作りという側面が強い。
これは後で詳しく書きますが大雑把にわけると二つの思惑が隠れています。一つは利権、もう一つはアンチグローバライゼーション。
アンチグローバライゼーションの力学というのは、現場で医者不足という現実が浸食しています。これは医療費のカットという小泉政権から出て来た竹中平蔵スキームを無自覚に突き進めて行くと、というかもうすでにそうなっているのですが、医者不足、病院不足が深刻になって来ます。
なので新たなメタボ対策という権益を生み出し、医療費のカットという力学を食い止めたいという思惑、これはどちらかと言うと、先々医者の数が足りなくなるであろう流れに逆らう、ある意味、メタボ対策自体というより、この国のアーキテクチャーにとって行き過ぎた改革に対するバックフラッシュという側面があります。これはもの凄く複雑なので後で詳しく述べます。
そして一方ではやっぱり単なる商業的な権益として利用しようとしている力学もあります。こっちは実際に国民が健康になるかどうかなんて事はハナっから問題にしちゃいない。
一方でろくでもないものをたらふく食わせるような力学があり、一方で健康の為と称して不安を煽り、その不安を汲み取るかのようなプログラムを走らせて新たな利権を作り出す。簡単に言えば家畜と一緒です。ブタや牛のように太らせた所で、不安を煽って病気と言う匕首を突きつけ権益を引き出す。要するに太らせた所で喰らう。
ブタのように食わせて経済が周り、太らせて病気予備軍を生み出す事によって更なる金儲けとなる。
太っているのは確かに健康には良くないのは確かなのでしょう。しかしメタボだのなんだのと騒いでいるのは、金儲けに利用する、構造的なプロフラムに洗脳された家畜共を食い物にする為で、国民の健康の為というのは単なる建て前に過ぎません。
世界的な構造としてグローバライゼーションが進んで行くという事は、逆に国家権力の力は強まって行きます。国家統制的な状況にシフトしている国も増えていますし、そもそも国家統制的な国が力を持ちつつある。自由経済を謳うような小さな政府路線の国であっても同じです。
これは人、物、金、情報が国境を越えて自由に行き来するようになると、当然社会は優勝劣敗主義、弱肉強食の競争の側面が強まってくる。国家間での鍔迫り合いというより個人間、企業間、様々な分野が国を越えて競争を始める。
国境の縛りを飛び越えて、情報空間で物理現実で流動化が進んで行くと実際に土地との結びつきというのが薄れて行くので、従来の意味での国境と言う壁は下がっているように錯覚する。
しかし実際には流動化するという事は、より国家が権利の所を厳しく握りしめるようになる。そうじゃないと他国が権利を主張し始めるからです。小さな政府路線というのは従来の権利から責任までを国家が管理するという状況から、グローバル化に対応する為に進んでいる方向性で、責任を民営化し、自己責任原則に放り出し、事後チェック、一罰百戒、重罰化で取り締まり、大本の権利はしっかりと国家が握ると言う形です。
だから責任を取らないけれど権利は握っているという事なので、小さな政府とは言っても国家権力の力自体は強まります。国家権力の弱体化を防ぐ縫策とも言える。そしてこれは国民の為ではないという所が重要です。国家権力自体が生き残りをかけてシフトしている構造変化、利権の変化なわけです。
権利をより強力に握っているという事は、国家権力が権利を主張出来る範囲がより明確になります。という事は国境の壁はむしろ上がる。なぜなら国境を境にして、国家権力のゲバルトの範囲、権利を行使出来る範囲が決まるからです。これは各国同じ事。だから国境の壁が高まるという事は、各国が帝国主義化するという帰結に繋がります。
この利権構造でグローバル化した世界では権利、所有権をいかに獲得して、実体経済をコントロールするのか?というのが、各国重要なテーマになっています。
その中での花形産業が金融と医療です。モノへの所有権、モノへのアクセスの権利が金であり、そういう営みすべてを牛耳る命、時間と言ってもいいかもしれませんが、それへのアクセス権である医療、薬を生産する事よりもむしろ、ようするに命を担保する知的所有権と言えます。
これは実際に担保しているかどうかが重要なのではなくて、担保していると多くの人々が錯覚出来ればそれでよいわけです。一般人にはそんな事を検証するリソースがありませんから。この二つがグローバライゼーションの世界での重要な位置をしめている。
エネルギーを豊富に抱えている国からそれをかすめ取る為にも、この二つの権利を牛耳るという事は重要な要素なわけです。そしてこの二つの権利はそれぞれ大きな多国籍複合体として世界を牛耳っています。全部繋がっている。
この権利獲得競争というのは国家レベルで例えば金融市場に規制の網をかけて遮断するような事をしたとしても、資本が逃げて行ってしまえば意味が無くなってしまいますから、一国で監視出来るレベルのものでは無くなっている。医療にしても同じです。
薬害問題などが出てくる構造というのはまさにこういう背景がある。役人の天下りの部分を規制しても太刀打ち出来ない構造の前に我々は立たされています。
薬害エイズの問題で大騒ぎした時、当時の厚生大臣であった菅直人が天下り禁止令を出した。所が彼が辞めて暫くすると元通りに戻っている。同じく菅直人氏が大臣だった時にシンクタンクに薬害エイズの調査分析を頼み報告書があがる。しかしこれが全く政策に役立てられない。後に厚生省の役人がなんて言ったかというと、あれは菅大臣が自分で勝手に調査依頼しただけなので役所の仕事ではないと言い出す。
メディアも知らん顔だし、国民も忘れ易い、全く役人どもの無責任ぶりは話になりません。しかし確かにここは見てわかり易いので、ここにこそ原因があると錯覚しがちですが、その後ろにある企業の実体が中々見えてこない。
731石井部隊の片腕だった内藤という男が、ミドリ十字の前身の日本ブラッドバンクという会社を作って、1950年に商業ベースでの売血を始めました。その2年くらい後に赤十字が非営利で始める。64年にライシャワーが暴漢に襲われて、非営利での血が全然集まらなかったので、ブラッドバンクの売血系の輸血を受けるのですが肝炎になってしまいます。それがきっかけで非営利でやるのだという方向にシフトして行きます。ブラッドバンクは本来苦しくなるはずだった。そしたらそこで血液製剤という方向に形を変えてブラットバンクが生き残りを計る。この辺から血液製剤ビジネスというのが成り立ち始めます。
そこで論争が起こります。血液は非営利であるべきだという主張と同時に薬ではない、人体の一部であるのだから薬として扱うのはおかしいのではないかと。しかし実際には薬だと保険対象になるので儲かるというのもあり、アメリカから入ってくる血は日本国内のものよりも安くて、病院はアメリカから入ってきたのを使うと保険で日本の薬価を前提にした金が戻って来るので莫大な差益が入る、これによってアメリカ産の血液製剤をバンバン使うという構造が加速して行くわけなのですが、今の構造はこんなわかり易い、薬価差益で儲けるなんていう構造ではなくなっています。
ビックファーマ、巨大製薬メーカーが世界戦略として、三つの戦略を打ち出している。
一つ目の柱が病気作り、即ちメディカリゼーション。これは病気を作り出し、そしてその処方箋と呼ばれる、インチキでも何でも構わない薬を売りさばく構造が広がっています。その処方箋に対する権利を握っている所が莫大な儲けを得る。
誰でも5つ6つ質問に答えると、何らかの病気の前兆にこじつける事が出来るような病気作りが広がっているわけです。メディアでもやたらこの手の不安を煽るものに溢れています。不健康な食い物をたらふく食う人々を沢山生み出すという構造は、こういう医療産業をも潤う事が出来る、病気予備軍を沢山作り出す事が出来る。肥満というのは様々な病気の引き金になり易いわけですから好都合というわけです。
老化とか生理反応を病気に仕立てる。肝炎問題で脚光を浴びたフィブリノゲン製剤も、低フィブリノゲン血症と言う単なる現象を仕立て上げてフィブリノゲンが下がった時にはフィブリノゲンを補充すればよいのだと言う理屈を付けて、フィブリノゲン製剤を利用して行くわけなのですが、出血した時に12ある血液凝固の中でフィブリノゲンだけ流れて行くという事は有り得ない。所が一番大事なのはフィブリノゲン、低フィブリノゲン血症という病気を作り上げて行く。
健康な人すべての人に一つ以上の病気をこじつける事が可能な社会になっています。病気を作って人々が薬に依存して治そうと考えるようにコントロールするプログラムが走っている。
二つ目は徹底した専門家の抱き込み。利益相反問題が絡んでくる。天下りを使わなくとも、現職の審査官達にメーカーが作った本の監修をさせて監修料や編集料で抱き込む。講演会などもそうで、贈収賄にならない抜け道がある。天下りだけが官僚をコントロールする手段ではない。
官僚がいくら有能であっても、ある病気とそれに対する薬への専門的な知識は持っていないので、ある病気とその薬について専門家が10人いるとして、この人達がその製薬会社の講演会の講師で来るたびに何十万何百万という金で講演をしてもらい骨抜きにされてしまう。未公開株まで取得していたなんて話が実際にある。臨床試験をやる責任者がその会社の未公開株を取得しているわけです。金で抱き込まれてしまう。
医学専門家だけではなくて、政府の高官や患者会のリーダー、ヨーロッパの報告ではWHOの係官ですら、医薬品産業の専門家抱き込みのプロセスにおいて色がついていないわけではないという報告もある。WHOがちょっとガイドラインをいじっただけで、その薬の適応患者が何十万人と水増しする事が出来る。
そして三つ目が徹底した宣伝広告。おびただしい数の薬のCMを有名人を使って宣伝をする。メディアでも病気の恐ろしさを煽り人々を不安に叩き込む。今は臨床試験の広告ですら新聞一面借切りで、薬を直接広告出来なくとも、専門医にご相談下さいと医薬品メーカーの名前と一緒に宣伝される。専門医に行くとあの広告はこの薬だって話になる。直接宣伝出来なくとも、いくらでも薬漬けにする方法がある。
病気を作って、専門家を抱き込んで、徹底した宣伝攻勢をかければ、すべての人々を薬漬けに出来るような構造が回っている。これが今の世界の医薬品メーカーの世界戦略になっている。日本の企業はこの世界戦略に対して出遅れている感がありますが、買収されてどんどん傘下に入って行ってしまうような方向にシフトしている。海外のメーカーに食われている。
こういう戦略で世界が動いている時に、天下りはけしからんとそこを規制すれば悪い事を食い止める事が出来るかのような感覚は完全に間違っちゃいないのですが、100歩も1000歩も実際の世界の構造は先に進んでいる。
つづく!!
「スーパーサイズ・ミー」の中でも語られますが、ロビイングを請け負う会社が、守るべき食品企業からの目をそらさせる為によく使う手が、教育問題です。要するに食育です。
企業もそこに金を出し、健全な食に対する知識を学ばせる事が大切で、選択肢がある事自体が問題なんじゃないと問題点を反らす。
しかし当然、食育と称しながら、実際には子供達の給食などや学校での自販機などを導入させ、自分で健全な食に対する確かな選択が出来るような教育を施すとは言いながらも、選択肢が無いような状況に囲い、将来的にも企業にとっての都合のいい消費者を生み出すプログラムが進んで行く。
教育というのは確かに重要でしょう。これは不可欠です。しかしここにしっかりと監視するまなざしによってチェックを怠ると、どんどんこういう構造に飲み込まれてしまいます。子供が喜んでいるからと、放ったらかしにしておくと、いつの間にかそういう構造になってしまう可能性もありうる。
仮に政治家が利権の為でなくて、良心的に食育だとほざいているのだとしても、この国の政治家なんてのは基本的にバカばかりなので、本気でそれが良い事だと思って簡単に導入してしまう可能性がある。
大きな産業構造の変化があるので、局所的に食の安全とか、賞味期限問題とかで吹き上がっても、実際には構造自体がどれを選択しても食の安全とは程遠い選択肢しか無い状態になりつつある。小さな問題を放っておけとか言いたいのではなくて、これは単なるガス抜き効果になってしまう可能性もある。
冷凍ギョウザで騒いでますが、これだけ冷凍食品や加工食品、添加物まみれで、しかも土台はこういうベースで構造がシフトしている中ではあまりにも虚しい話でしかありません。
添加物というのは一つ一つの生物実験のようなものはしていても、それが複数重なった時、長期間服用した場合の人体への影響は未知数です。しかも実験をしていると言ったって、人間に実験したわけでもなければ、企業が研究費を出したりしているわけですから、企業に都合の悪い実験結果なんてそもそも出てくるようなインセンティブも働きづらい構造にあります。
教育をすると言っても選択肢が全く無い状況で、教育したから自己責任が取れるはずだというのも乱暴な話でもある。繰り返しますが教育は必要です。無駄だとは言わない。しかしそれが本当に適切なものであって、実際に選択肢が子供の前にちゃんと提示出来てなければ時間の無駄にしかならない。教育を隠れ蓑にする企業のタクティクスは頭に入れておく必要があるのではないかと思うわけです。
日本はまだそこまでは行っていないと思う方も多いと思いますが、そんな事はありません。すぐ目の前にまで忍び寄っているどころか、もう相当汚染されてしまっている。
そして今脚光を浴びているメタボ対策なんですが、これはハッキリ言って新たな利権作りという側面が強い。
これは後で詳しく書きますが大雑把にわけると二つの思惑が隠れています。一つは利権、もう一つはアンチグローバライゼーション。
アンチグローバライゼーションの力学というのは、現場で医者不足という現実が浸食しています。これは医療費のカットという小泉政権から出て来た竹中平蔵スキームを無自覚に突き進めて行くと、というかもうすでにそうなっているのですが、医者不足、病院不足が深刻になって来ます。
なので新たなメタボ対策という権益を生み出し、医療費のカットという力学を食い止めたいという思惑、これはどちらかと言うと、先々医者の数が足りなくなるであろう流れに逆らう、ある意味、メタボ対策自体というより、この国のアーキテクチャーにとって行き過ぎた改革に対するバックフラッシュという側面があります。これはもの凄く複雑なので後で詳しく述べます。
そして一方ではやっぱり単なる商業的な権益として利用しようとしている力学もあります。こっちは実際に国民が健康になるかどうかなんて事はハナっから問題にしちゃいない。
一方でろくでもないものをたらふく食わせるような力学があり、一方で健康の為と称して不安を煽り、その不安を汲み取るかのようなプログラムを走らせて新たな利権を作り出す。簡単に言えば家畜と一緒です。ブタや牛のように太らせた所で、不安を煽って病気と言う匕首を突きつけ権益を引き出す。要するに太らせた所で喰らう。
ブタのように食わせて経済が周り、太らせて病気予備軍を生み出す事によって更なる金儲けとなる。
太っているのは確かに健康には良くないのは確かなのでしょう。しかしメタボだのなんだのと騒いでいるのは、金儲けに利用する、構造的なプロフラムに洗脳された家畜共を食い物にする為で、国民の健康の為というのは単なる建て前に過ぎません。
世界的な構造としてグローバライゼーションが進んで行くという事は、逆に国家権力の力は強まって行きます。国家統制的な状況にシフトしている国も増えていますし、そもそも国家統制的な国が力を持ちつつある。自由経済を謳うような小さな政府路線の国であっても同じです。
これは人、物、金、情報が国境を越えて自由に行き来するようになると、当然社会は優勝劣敗主義、弱肉強食の競争の側面が強まってくる。国家間での鍔迫り合いというより個人間、企業間、様々な分野が国を越えて競争を始める。
国境の縛りを飛び越えて、情報空間で物理現実で流動化が進んで行くと実際に土地との結びつきというのが薄れて行くので、従来の意味での国境と言う壁は下がっているように錯覚する。
しかし実際には流動化するという事は、より国家が権利の所を厳しく握りしめるようになる。そうじゃないと他国が権利を主張し始めるからです。小さな政府路線というのは従来の権利から責任までを国家が管理するという状況から、グローバル化に対応する為に進んでいる方向性で、責任を民営化し、自己責任原則に放り出し、事後チェック、一罰百戒、重罰化で取り締まり、大本の権利はしっかりと国家が握ると言う形です。
だから責任を取らないけれど権利は握っているという事なので、小さな政府とは言っても国家権力の力自体は強まります。国家権力の弱体化を防ぐ縫策とも言える。そしてこれは国民の為ではないという所が重要です。国家権力自体が生き残りをかけてシフトしている構造変化、利権の変化なわけです。
権利をより強力に握っているという事は、国家権力が権利を主張出来る範囲がより明確になります。という事は国境の壁はむしろ上がる。なぜなら国境を境にして、国家権力のゲバルトの範囲、権利を行使出来る範囲が決まるからです。これは各国同じ事。だから国境の壁が高まるという事は、各国が帝国主義化するという帰結に繋がります。
この利権構造でグローバル化した世界では権利、所有権をいかに獲得して、実体経済をコントロールするのか?というのが、各国重要なテーマになっています。
その中での花形産業が金融と医療です。モノへの所有権、モノへのアクセスの権利が金であり、そういう営みすべてを牛耳る命、時間と言ってもいいかもしれませんが、それへのアクセス権である医療、薬を生産する事よりもむしろ、ようするに命を担保する知的所有権と言えます。
これは実際に担保しているかどうかが重要なのではなくて、担保していると多くの人々が錯覚出来ればそれでよいわけです。一般人にはそんな事を検証するリソースがありませんから。この二つがグローバライゼーションの世界での重要な位置をしめている。
エネルギーを豊富に抱えている国からそれをかすめ取る為にも、この二つの権利を牛耳るという事は重要な要素なわけです。そしてこの二つの権利はそれぞれ大きな多国籍複合体として世界を牛耳っています。全部繋がっている。
この権利獲得競争というのは国家レベルで例えば金融市場に規制の網をかけて遮断するような事をしたとしても、資本が逃げて行ってしまえば意味が無くなってしまいますから、一国で監視出来るレベルのものでは無くなっている。医療にしても同じです。
薬害問題などが出てくる構造というのはまさにこういう背景がある。役人の天下りの部分を規制しても太刀打ち出来ない構造の前に我々は立たされています。
薬害エイズの問題で大騒ぎした時、当時の厚生大臣であった菅直人が天下り禁止令を出した。所が彼が辞めて暫くすると元通りに戻っている。同じく菅直人氏が大臣だった時にシンクタンクに薬害エイズの調査分析を頼み報告書があがる。しかしこれが全く政策に役立てられない。後に厚生省の役人がなんて言ったかというと、あれは菅大臣が自分で勝手に調査依頼しただけなので役所の仕事ではないと言い出す。
メディアも知らん顔だし、国民も忘れ易い、全く役人どもの無責任ぶりは話になりません。しかし確かにここは見てわかり易いので、ここにこそ原因があると錯覚しがちですが、その後ろにある企業の実体が中々見えてこない。
731石井部隊の片腕だった内藤という男が、ミドリ十字の前身の日本ブラッドバンクという会社を作って、1950年に商業ベースでの売血を始めました。その2年くらい後に赤十字が非営利で始める。64年にライシャワーが暴漢に襲われて、非営利での血が全然集まらなかったので、ブラッドバンクの売血系の輸血を受けるのですが肝炎になってしまいます。それがきっかけで非営利でやるのだという方向にシフトして行きます。ブラッドバンクは本来苦しくなるはずだった。そしたらそこで血液製剤という方向に形を変えてブラットバンクが生き残りを計る。この辺から血液製剤ビジネスというのが成り立ち始めます。
そこで論争が起こります。血液は非営利であるべきだという主張と同時に薬ではない、人体の一部であるのだから薬として扱うのはおかしいのではないかと。しかし実際には薬だと保険対象になるので儲かるというのもあり、アメリカから入ってくる血は日本国内のものよりも安くて、病院はアメリカから入ってきたのを使うと保険で日本の薬価を前提にした金が戻って来るので莫大な差益が入る、これによってアメリカ産の血液製剤をバンバン使うという構造が加速して行くわけなのですが、今の構造はこんなわかり易い、薬価差益で儲けるなんていう構造ではなくなっています。
ビックファーマ、巨大製薬メーカーが世界戦略として、三つの戦略を打ち出している。
一つ目の柱が病気作り、即ちメディカリゼーション。これは病気を作り出し、そしてその処方箋と呼ばれる、インチキでも何でも構わない薬を売りさばく構造が広がっています。その処方箋に対する権利を握っている所が莫大な儲けを得る。
誰でも5つ6つ質問に答えると、何らかの病気の前兆にこじつける事が出来るような病気作りが広がっているわけです。メディアでもやたらこの手の不安を煽るものに溢れています。不健康な食い物をたらふく食う人々を沢山生み出すという構造は、こういう医療産業をも潤う事が出来る、病気予備軍を沢山作り出す事が出来る。肥満というのは様々な病気の引き金になり易いわけですから好都合というわけです。
老化とか生理反応を病気に仕立てる。肝炎問題で脚光を浴びたフィブリノゲン製剤も、低フィブリノゲン血症と言う単なる現象を仕立て上げてフィブリノゲンが下がった時にはフィブリノゲンを補充すればよいのだと言う理屈を付けて、フィブリノゲン製剤を利用して行くわけなのですが、出血した時に12ある血液凝固の中でフィブリノゲンだけ流れて行くという事は有り得ない。所が一番大事なのはフィブリノゲン、低フィブリノゲン血症という病気を作り上げて行く。
健康な人すべての人に一つ以上の病気をこじつける事が可能な社会になっています。病気を作って人々が薬に依存して治そうと考えるようにコントロールするプログラムが走っている。
二つ目は徹底した専門家の抱き込み。利益相反問題が絡んでくる。天下りを使わなくとも、現職の審査官達にメーカーが作った本の監修をさせて監修料や編集料で抱き込む。講演会などもそうで、贈収賄にならない抜け道がある。天下りだけが官僚をコントロールする手段ではない。
官僚がいくら有能であっても、ある病気とそれに対する薬への専門的な知識は持っていないので、ある病気とその薬について専門家が10人いるとして、この人達がその製薬会社の講演会の講師で来るたびに何十万何百万という金で講演をしてもらい骨抜きにされてしまう。未公開株まで取得していたなんて話が実際にある。臨床試験をやる責任者がその会社の未公開株を取得しているわけです。金で抱き込まれてしまう。
医学専門家だけではなくて、政府の高官や患者会のリーダー、ヨーロッパの報告ではWHOの係官ですら、医薬品産業の専門家抱き込みのプロセスにおいて色がついていないわけではないという報告もある。WHOがちょっとガイドラインをいじっただけで、その薬の適応患者が何十万人と水増しする事が出来る。
そして三つ目が徹底した宣伝広告。おびただしい数の薬のCMを有名人を使って宣伝をする。メディアでも病気の恐ろしさを煽り人々を不安に叩き込む。今は臨床試験の広告ですら新聞一面借切りで、薬を直接広告出来なくとも、専門医にご相談下さいと医薬品メーカーの名前と一緒に宣伝される。専門医に行くとあの広告はこの薬だって話になる。直接宣伝出来なくとも、いくらでも薬漬けにする方法がある。
病気を作って、専門家を抱き込んで、徹底した宣伝攻勢をかければ、すべての人々を薬漬けに出来るような構造が回っている。これが今の世界の医薬品メーカーの世界戦略になっている。日本の企業はこの世界戦略に対して出遅れている感がありますが、買収されてどんどん傘下に入って行ってしまうような方向にシフトしている。海外のメーカーに食われている。
こういう戦略で世界が動いている時に、天下りはけしからんとそこを規制すれば悪い事を食い止める事が出来るかのような感覚は完全に間違っちゃいないのですが、100歩も1000歩も実際の世界の構造は先に進んでいる。
つづく!!