前回の続きです。

危険だ危険だと騒いでいる大人達は何が危険でどう問題なのかわかって言っているとは思えない。出会い系的なもので子供が傷つくのは耐えられない。そりゃそうです。そんな事は誰にでもわかる。しかし子供がそう言うコミュニケーションを必要としている社会になっているという事をどう考えるのか?

まあ未成年がセックスをした。まして自分の子供がってなれば気持ちはわかりますが、セックス、セックスうるせえよって感じです。それがどうした!!誰だっていつかは経験する事です。殆どの男女が経験する。セックスよりも危険な事は沢山ある。セックスしたら何もかもお終いってわけではない。ガキンチョがセックスしない方がいいのはわかるけれど、それで犯罪に巻き込まれたりする状態を回避するのが一番重要な問題です。

だいたい第二次成長から、実体験までの間隔が近代化を遂げた社会では長過ぎます。その事がマスターベーションの期間を長くし、男がフェチ化する原因を招いているのです。男がフェチ化するって事は現実の恋愛に実りを感じられなくなったり、厄介事の多い現実の恋愛から撤退して、妄想でそこそこ満足してしまうという状態を招く。それは少子化と無関係ではない。

フェチ化した男に魅力を感じなくなれば女性は男に頼るのを止める。こういう事はすべて連鎖的に繋がっている事です。どこか一カ所切り口を見て問題だから大騒ぎすると、意図せざる副作用がつきものなのです。

ついでなので言っておくと、明治以前の近代化する前のこの国は、性体験の年齢は今より随分と低いものでした。近代以前はどこもそうです。それがむしろ自然の摂理にはかなっている。だけど近代化した社会ではそうはいかない。これは近代と言うフィクションを駆動させる為には必要な事なのかもしれませんが、そう言う事をわきにおいても、あんまりセックスセックスとヒステリックになるのも健康的じゃない。いずれやる事なんだから、どうせやるなら避妊をして、どうせやるなら行きずりの男と下らん関係を結ぶのはよろしくないと教育する事の方が重要です。

ちゃんと愛する人とセックスするよりも、行きずりの男と行きずりの関係を結んだ方が、煩わしい人間関係に脅かされる事もないし、近い存在であっても全く気持ちをわかってくれないし、気持ちも言えない状況になっていればそういう方向に逃げるのは不自然な事でも何でも無い。なんでそういう所に承認を求めて行くのか?ここが重要です。ここから大人が救ってやれないのなら、かえってそれ遮断してしまうと、子供が承認不足に陥ってアノミー化してしまう状況に加担する事になりかねません。

犯罪に巻き込まれるパターンはごく僅かです。そして自殺などで大騒ぎされるような事態もごく稀です。それ以外はそういうコミュニケーションによって現実の実りの無さを補っている部分があるわけです。その実りの無い現実を作り出したのは大人です。いつの時代にも大人が理解不能の子供のコミュニケーションというのはあったはずです。それで傷つく事も自殺する事もあった。

それに傷つく傷つくうるせえよ!!って感じです。傷ついて初めて気付く事だって沢山ある。人間万事塞翁が馬じゃないけれど、傷ついたり不幸な事が、成長や次の段階へのステップになる事もある。一度も挫折せずに大人になって、まともな大人になれるわけない。傷ついて、傷つけて、人の痛みを知って、理不尽不合理に身をさらして人は賢くなる。親が心配するのは可愛い子供の為に仕方のない事ですが、こういう事を煽って商売にしているトンチキ野郎は本当とんでもない。

まあ、で、あったとしても、傷ついたり傷つけたりして、人を死なせちゃったり、自殺しちゃったりする状態、これはなんとしても回避しなければならない。犯罪に巻き込まれるような状況や、実際に未成年なのにわけのわからないオヤジとセックスするのも回避したい。携帯を規制してもこういう事態は別の形で必ず出てくる。その事をどうするのかを真剣に考えないと、「空き地のエロ本化」もしくは「パチンコ屋の景品交換所化」します。

未成年はエロ本を読んじゃいけません。だけど昔のガキンチョは道に落ちてたり、駅で拾ったりして、空き地に隠してあったりしました。そんな事は大人は誰でもわかっている。わかっているが見つければ怒るけれど止められない。オヤジのエロ本を盗んで空き地に隠していたりするからです。

パチンコ屋で景品にしか交換出来ないなんてウソだという事を、誰でも知っている。みんな知っているが一応やっちゃいけませんって話になっている。警察すら取り締まらない。

携帯を規制したり、それに変わるコミュニケーションを規制しても、代替物は必ず登場し、誰でもやっているのを知っていて、誰でもそういう事があるのをわかっている社会になれば、建て前でダメだと言っても無駄だという諦めが蔓延してしまう可能性がある。

家族は自分の子供であれば大変だと思っても、先生もそんなの珍しくも何ともないしと諦め、社会もまあそんなもんだよと諦める社会になれば、携帯でのコミュニケーションは未成年は規制されているという事は建て前としてわかるけれど、みんなやってんじゃんという風になってしまう。それで規制していると言ったって意味がなくなってしまう。

それに実際に家族間でのコミュニケーションはどんどん希薄になり、親の前では決して本音を見せられない、こういう状態になっていて、家族もそれぞれのロールをただこなしているだけで、家族という他人化が進んでいます。建て前で携帯のコミュニケーションはやってませんと言ったって、親もやってるし、子供もやってるし、家族には本音は言えないけれど、匿名の誰かには話せるという状況が進んでいるのは現実としてあるわけです。

子供のコミュニケーション能力を憂いて、何の裏付けもない妄想話を、社会の仕組みもよくわかっていないアホたれの、べき論や下らん素人の床屋談義を公共の電波で流すなっつうのって感じです。この手のテクノロジーに対するアンチテーゼを言っていれば金になる連中というのが必ず存在します。テレビはバカになる、ネットはバカになる、ゲームはバカになる。言うのは良いでしょう。完全に間違っちゃいないかもしれない。だけどだからどうしたって話です。

それに文句を言ったって、必要とする需要があるかぎり、必ず無くす事は出来ない。出来ないからって、規制したり統制したりするのはバカげている。妄想やいい加減な仮説、ついて行けない老人の寂しさを癒す為に、制度を勝手にいじくられて、余計やぶ蛇になるというパターンを何度繰り返せばいいのか。

昔、連続幼女誘拐事件で宮崎という男が話題になりました。彼の部屋がメディアに映し出された時、世間は仰天しました。そして彼のマニアックなオタク的な所と、偏ったセクシャリティがこういった事件を引き起こしたのだという事を言うアンポンタンがいっぱいいました。

しかしこれは何の裏付けもクソもない妄想に過ぎません。実際のオタク系の方々の性犯罪というのは極めて少なく、恋愛弱者である彼らはむしろ非現実的な世界で欲求を満たしているので、現実に踏み出さなくとも満足している人が多いわけです。正直引くのはわかりますが、ロリコン的なアニメが好きだから現実世界でもそうに違いないというのは、あまりにも乱暴な話です。

男がエロビデオで痴漢ものを観たり、レイプものを観たからと言って、実際に痴漢したりレイプしたりはしないのと一緒です。パートナーが同意すればそういうプレーをする人はいるかもしれませんが、赤の他人にそれをやって良いかダメかを判断出来ないのは、エッチなDVDを観ているかどうかは関係ありません。

エッチな映像を観たら犯罪予備軍だと言われたら、男は殆ど犯罪予備軍です。エロい映像を観て実際にパートナーにコスプレをしてもらったり、言葉攻めをしたり、シチュエーション的に楽しんでいる人より、二次元のマスターベーション・ファンタジーで充足しているオタク系の方々の方が実際の行動が伴っていないのでピュアだったりします。

その昔、エズラ・ヴォーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」等が持てはやされたり、バブル期だったこの国では、相当トンチンカンな事をほざいていた経済学者とか専門家が沢山いました。その後、バブルが弾け失われた十年に叩き込まれた状況から振り返ると、まさにバカ丸出し、スットコドッコイも良い所です。

ITバブル期にも同じような連中が沢山いました。IT化される事によって在庫を持つ必要が無くなるので云々かんぬんと。未来の事が正確にわかっている人は誰もいません。これだけは確実な真理です。であるならば、いかに構造をぶっ壊さずに、なるべく副作用を軽減するかという発想が重要なのです。

携帯電話のコミュニケーションの一部分だけを取り上げて、それがどのような社会的影響を及ぼすのかを考えず、べき論をほざく輩の話に煽られるのは賢くありません。こういう連中やまさに公衆の面前で下半身をさらけ出しているのと大差ない、ポコチン保守のようなバカが多くて困るのですが、自分達の価値観が現状の価値観と乖離しているのはそういう奴らがズレているからで、現実が間違っているかどうかとは関係がない。現実が間違っているかどうかわかっている人間はどこにもいないし、仮にそうだとしても、慎重に舵を切り直さないと、副作用で何年も苦しむ事になりかねない。

そういう、まあ良心的な気持ちなのかもしれませんし、悪気は無いのだとは思いますが、若者に説教するくらいなら死ぬまでやってればいいし、自分も最近の若者はなっとらん的な事をほざきますから、それくらいなら若者に煙たがられるのを覚悟すればいくらやっても構わないけれど、それで制度設計されたんじゃたまったもんじゃありません。

肝腎なのは隔離より耐性、それで犯罪に繋がったり自殺に繋がったりするのを食い止めたいのだったら、可視化出来ないより出来た方が未然に防げる可能性もある。携帯を取り上げたって、そういうコミュニケーションを必要とする需要は無くならないのだから、そういうコミュニケーションを必要とする社会をどうするのか考えないと、可視化出来なくなって余計やぶ蛇になるだけです。

日の丸や君が代に反対している下らん左翼もそういう事で自由を主張するなら、もっと身近な所で子供の自由を主張すればいいのに、そんなどうでもいいような、下らん事でポンコツ理念を掲げて吹き上がっていながら、肝腎な所では子供の安心安全という切り口に簡単に乗せられて全然役に立たない。

どうせ役立たずのクズなので何も期待もしていませんが、日の丸や君が代なんてベタで信じている奴なんかいないし、そこに意味なんて今時の普通の感覚としては何も感じていない。

ちょっと前に断固決然日の丸君が代、簑田胸善的なコミュニケーションで中国韓国何するものぞ!!と、吹き上がっていた人達もいっぱいいましたが、そういうのは今もいるのかもしれませんが、情けないしカッコ悪いので放っておけばすぐに廃れます。脆弱な依存心故に国家と言う下駄を履いて偉そうにするのは痛々しい。それでスッキリするんだから実行力なんてないんだし、放っておけばいい。だからそんなに大騒ぎするような現象ではない。

日の丸や君が代を仮に国家が駆使して、動員を計るような事をするのなら、バカ言ってんじゃねえよ、愛国心を煽るのはいいけれど、国家権力に対する忠誠とは意味が全然違うぜ、と教えれば済む話です。尽忠報国の志を養えというのなら、真っ先に売国官僚や私欲を貪る政治家どもをぶち殺せと教えてやればいいのです。

こういう所は自由だなんだと大騒ぎするくせに、アーキテクチャが本当にぶっ壊れるかもしれないような状況のときは何の役にも立たない。ゆとり教育だって、リベラル勢力が大騒ぎしていたのに全然大騒ぎしていたような状態とは完全に骨を抜かれてしまって程遠い結果になっている。

フェミニズムでも子供の権利でもいいけれど、それがあたかも絶対普遍の真理であるかのように、ちょっと欧米でそういう国があるからと言って本気で吹いたバカが沢山いました。制度も風習も宗教も何から何まで違うのに、形だけパクって導入したって上手く行きっこありません。

ある部分でそうなっていないからと言って、それを簡単に導入したりすると、必ず副作用が出て来ます。そういう事を考慮して制度設計をしないと取り返しがつかない事態になる。こういう権利を導入して、そういう理想の社会になったかと言えば全然なっていないわけです。そしてそれを求めている人が沢山いるかと言うと、もう求めていないで依存状態の方がいいと言うような力学もある。ただパクったって上手く行かない。

明治維新の際、天皇を中心にして国をつくったのは、ただ西洋から民主主義や資本主義を導入しても、日本には神のシステムがないという事を知っていたから、それの代替物として利用し、制度を設計したわけです。戦後のこの国が民主主義も資本主義も上手く機能しない原因の根幹にあるのは、神のフィクションというシステムがないからです。だからどんなフィクションも回って行かない。

神のシステムの代替物として、一方ではアメリカとの安保、一方では憲法九条という形になっている。これらは代わりになるわけない。それが金だったり名誉だったり、ある思想だったり、インチキ宗教だったりしても代替物にはならない。神のシステムを持たない状態は、多くの人に諦めが蔓延している。

神のシステムを作れと言いたいのではありません。それがないから上手く行かないという事を自覚して制度設計をしないから、どこもかしこも腐敗だらけで二進も三進もいかなくなるわけです。

なぜ三島由紀夫が天皇の人間宣言に納得いかなかったのかと言えば、まさにこの状況を危惧していたからに他なりません。

制度設計をすると、そこに既得権益に群がるハイエナ共がぶら下がり、簡単にブレーキも踏めないし、舵も切れない。そういう国である事も踏まえないで、制度をどんどんいじくって来たあげくが今のスッカラカンな状態を招いているわけです。右でも左でも関係ありません。我々が簡単に煽られていたのではどうにもなりません。

つづく!!