前回の続きでござる。

昔自分がガキンチョの頃、バンドをやってまして金が無くなってくると、よく仲間と「楽器売って、スタジオ代にすればいいんじゃない?」とか、バイト代を使い果たして金が無いのでバイクのガソリン代が無くなってくると「バイク売ってガス代にすればいいんじゃねぇか?」とか、本末転倒スキームをネタとして言い出したり言い出す奴がいて、みんなでその金の無さガキンチョなりの不自由さを笑う作法がありました。

大人になって社会を見渡してみると、様々な分野で本末転倒スキームなんじゃねぇか?と感じる事が沢山ある事を知り、尚かつそれで社会が回ってしまっている現実を知り、回っているのは回っているけれど、なんかその割にはあまり幸福そうに見えない人がいっぱいいたりして、それは本末転倒スキームだからなんじゃないか?仕事は手段なんだからさ、と思いながらも、年を重ねるとそうしないと生活出来ないという現実もわかって来て、中々一筋縄ではいかないもんだという事をそれなりに学ぶわけですが、楽器を売っちゃってスタジオに入って練習しても、練習出来ないし、楽しくないのは当たり前と言えば当たり前です。何で俺はこんな事までしてスタジオに入らなきゃならないのだ?俺は何がしたくてスタジオで練習してんだ?楽器を売らないと金が無いのでスタジオで練習出来ないわけですが、楽器が無くちゃ練習も出来ないわけで、そしたら別の手段でスタジオ代を稼ぐしか無いのは当たり前なのですが、必ずしも社会はそうなっていません。

またそういう事をわかっているけれど、生活があるんだよ!!スタジオに入りたいんだよ!!という人ならまだしも、そういう事をわからずにか、それとも悪意があってなのか、スタジオ代が無いのは、楽器に原因がある、なんて啓蒙をする人がいたりして、そっか楽器を売ればスタジオ代になるじゃん、と簡単に乗せられてしまう人が出て来たり、本気で、楽器なんて売ってしまえ!!楽器があるからスタジオ代が無いんだ!!楽器が諸悪の根源だ!!なんて叫びだす人もいる始末で、だって楽器が欲しくて買ったのはあんただろ、と思うのですが、騙されていた、我々は悪くないと言う感じになっていたりする。

また、ネタで、楽器を売ってスタジオで練習しよう!!なんて冗談を言うと、真面目な顔をしてそれでは練習をする意味が無い、お前はバカか?何考えてんだ?そういう事を言う奴がいるから、社会が滅茶苦茶になってしまうのだ!!だからB層は困ったものなのだ!!と言った感じで日常をアイロニー化してそこそこのテンションで乗り切る為に、自虐ネタで盛り上がっていると、そういう奴らがいるから日本はダメになるんだ!!なんて事を言い出す人もいたりして、楽器とスタジオで言うとバカバカしいのですが、こういった構造があるのではなかろうかと思うわけです。もちろん半ば冗談ですが。

楽器を持っていなきゃそもそもスタジオで練習しようとは思いませんので、楽器のせいだ!というのもまあ一理あると言えばあるし、楽器を売ったら練習出来んだろ!というのももちろん論理的に正しい正論ですので争点化するのは別に構わないと思うのですが、その争点が手段ではなくて目的と化してしまったりもします。より善い社会を目指して議論を戦わせるのならまだしも、徹底的に相手を叩き、議論じゃなくてケンカになっちゃたりもします。他人の言葉に寛容さを無くし、対立理念で争いあっても誰が最終的に得をするのか考えればそんな事をしている場合ではないのです。

平成二十年度予算案で、道路特定財源、国と地方あわせて、4兆8626億円。防衛関係費、4兆7796億円。防衛より金使っている。介護が1兆9000億。生活保護2兆。社会福祉に1兆6500億。失業対策には1956億。驚くべきプライオリティで、どれだけ道路を優先させているかというのがよくわかる。これ以外に隠れ特定財源、名目上は一般財源なのですが実質的に自動車関連、道路関連施設に使われる金が6000億あるので、実質5兆5000億が道路に消えて行きます。もちろん談合でバリバリになっているので乗数効果などほぼ得られない。

道路の投資額、中国が世界一で28兆。アメリカが15兆。日本が7兆7760億。国土面積は中国やアメリカの二十数分の一。にもかかわらず、アメリカの半分の金を使っている。日本はカリフォルニアとほぼサイズが同じ。フランスが日本の半分以下で、3兆2900億。イギリスは1兆3500億。これだけみるだけでも日本の道路好きがいかに異常であるかがわかります。もちろん道路建設自体の価格が高いという事もあります。

数字だけを見て、だから必要ないとか必要だとか言うつもりはありません。それでも必要な道路があるのは当たり前ですし、東国原知事が示していたデータによりますと、宮崎県は確かに道路事情は明らかに立ち後れています。

こういった地方は当然ありますので、そういう所に手当てしなきゃどうしようもねぇだろとも思います。それにそういった地方は道路だけ何とかすればどうにかなるような状況ではなく、教育にしろ医療にしろ介護にしろ、出来るだけ沢山必要だという地方が沢山あるわけです。なんでこんなになるまで、放置して来たんだという話も多々あります。これが近代国家なのか?と感じるような。

足りるか足りないかはその場所で生活しなければわかりませんし、そこだけで生活していたのでは、それが足りているのか足りていないのか相対化出来ません。単に不便だという話にしかどうしてもなりませんので、そういう風に言われると、俺達だって不便なんだよ!!ってな感じで、大都会に住む方々にしろ、地方に住む方々にしろ道路には感じないとしても何かしらはあるわけで、線を引けば必ず抜け駆け感を感じる人もいるし、俺達の首長は何やってんだ!!的な話になるのも致し方ない部分もあります。

こうやって争点化していても結局地方には権限は無いので、地域再生なんてインセンティブを持つと、最終的には中央が手綱を握っているので、争点化しても矛先は中央には向きづらい構造になってしまっています。

ですから何を持って必要と決めるのか、数字でも結局実情は違うんだという話になりますし、現に日本全体としては世界屈指の道路高密度国家でもあるわけですが、悲惨な現実もあるわけです。

なので必要か不必要かという話はわきにおいて、仮に5兆5000億もの金を使っているのに、どうして不合理な状況を許しているのかと言えば、これが合成の誤謬で避けられない現実なのか?それともこれが最善の選択なのか?それとも明らかに何らかの不公正によって、引き起こされている状態なのか?それらを見極める為にもとりあえず議論の俎上に乗せないと、それすらも出来ません。

国交省の役人だって部分部分、個人個人をみれば決していい加減に仕事しているようには見えないのに、合成の誤謬が起こってしまう。国交省ではありませんが自分の親戚に書きたくありませんが厚労省につとめている人間がいます。端から見てるとそりゃ激務です。本人もそう言ってます。朝も早くから夜の夜中まで働いて、厚労省なんて言ったら、今や親の敵のような叩かれっぷりです。

実際に道路で飯を喰っている人もいるわけですし、ただ仕事としてやっている人達には何の罪もありません。そういう人達も、地方の方々も、もちろん都会の方々も、幸福に生きる事を最低限担保するのは統治権力の責務です。ただ単に贅沢を言っているだけなのか、それとも本当に困窮しているのか、これは正確に計れる問題じゃありません。何より心の問題が絡んでくるからです。結局幸福かどうか感じるのは個人のイグジステンシャルの問題でもあり、それは人それぞれでもある。

ただこれがキチンとバランスを考えて統治しているのか、ベンサムやミルのような功利主義的な言い方をすれば、幸福の最大化につとめているのかという事が問題です。国家が取る政策というのはまさにその事を担保する為の手段で目的ではありません。

道路建設の公共性や公益性を主張する事が仕事であるような勢力はそれを主張すればいいし、それで利権を貪りたい政治家が役人の為に便宜を図るとか、役人が政治家に働きかけるとか、その程度であればまあある立ち位置から観た合理性として、彼らなりの合理性はあるのでしょうからそれはそれでやりたい人はやればいい。

問題なのはプライオリティが変更可能な仕組みになっているかというのが最大の問題で、道路建設推進の仕事をする勢力もあれば、そうではない勢力もあり、それに対する支持者、支援者がいて、サポーターとしての政治家もいて、これが議論を戦わせて、道路建設に無条件で金が流れて行くのではなくてチェックや交代の機能が働けば、理不尽さや不合理さを回避出来る仕組みとしては現状より合理的なはずです。

道路というのは国土開発幹線自動車道建設会議、略して国幹会議が審議します。道路というのは役人が上から勝手に決めているのではなくて、一応国民の代表という事になっている連中が、国民の声を吸い上げてつくっているという形になっている。ようするに審議会制度のようなもんです。
審議会制度というのはマッカーサーがつくった日本の民主主義の根幹であるはずの制度ですが、完全に形骸化しております。ダムであればダム審、教科書検定の話のときでも触れましたが、お手盛りの審議会制度というのが困った話ですがこの国では常識になっており、完全に茶番で全くチェックなんて働かない腐りきったシステムです。

しかし何でこれが審議会ではなくて国幹会議という名前なのかと言うと、政治家がこれに名を連ねているからです。まさに怪しげな堂々たるメンツ。

衆議院議員、伊吹文明(自民)、小沢鋭仁(民主)、谷垣禎一(自民)、二階俊博(自民)、鉢呂吉雄(民主)、山本有二(自民)。

参議院議員、興石東(自民)、羽田雄一郎(民主)、藤井孝雄(民主)、山崎正昭(自民)。

学識経験者など、上村多恵子(社団法人京都経済同友会常任幹事)、楓千里(㈱JTBパブリッシング法人事業部長)、金子原二郎(長崎県知事)、桜井正光(社団法人経済同友会代表幹事)、杉山雅洋(早稲田大学商学学術院教授)、張富士夫(社団法人日本自動車工業会会長、トヨタ株式会社会長)、橋本博之(慶応義塾大学大学院法務研究科教授)、早坂礼子(㈱産業経済新聞社編集局編集員)、御手洗富士男(社団法人日本経済団体連合会会長、キャノン株式会社会長)、森地茂(政策研究大学院大学教授)。

学識経験者というか道路に詳しいという事は、直で携わっている人間はいないが道路建設に関わりが深いとも言える。

所詮は道路局でつくった計画について善いか悪いか議論するので案はそこにすでにある。いくら使うかも決まっている。それを前提にした議論なので全く無意味な茶番です。医療とか介護とか教育とか足りない所はいくらでもあるのだから、それらも含めて優先順位をつけて行かなければ意味がない。所詮道路の中で決まった案をどうするかという話でしかない。国民の利益を踏まえた議論になんてなるわけが無いしなりようが無い。

ここで必要だの必要じゃないだの議論したって、人間必要だと言えば何でも必要になる。何でも欲しいわけだから、あって困るものでなければ、OKに決まっている。あって困るなんてものがあるかと言えば、そんなものよっぽどスットコドッコイな話じゃなければあるわけない。それ以外の様々なものをひっくるめた上でのプライオリティにしなければ全く無駄です。

だいたいこんな連中にそんな調査能力なんてあるわけない。国交省が出してくる予定路線に対して国交省が出してくる情報をもとに吟味しなきゃならないわけで、本当に必要かどうかなんて調べてないのだからわかるわけない。下から吸い上げる仕組みになっていない。ステークホルダーが必要だと思っている計画しか出てくるはずも無い。

仮に反対なんてしようものなら、段ボール三箱くらいの資料の山を持って来て、あれこれデータが書いてあるものを全部目を通してから反論してくれという話に冗談抜きで本当になるといいます。そして次回の国幹会議からははずされる。

人間は欲張りで、欲望は無限大なので、必要という言葉は気をつけなければなりません。行政の仕事で言えば、道路もそりゃ必要かもしれないが、医療だって、教育だって、防衛だって必要で、すべて必要だと言えば、必要だと思っている人にとっては必要になってしまう話です。

我々の一般家庭でもそうですが、金には限界がある。国が使える金、自治体が使える金、行政が使える金というのは、今でも半分以上が借金で、800兆の債務が積み上がっています。これもいろいろな見解がありますが、少なくともそういう現状に我々は立っている。

使える金には限りがあって、やりたい事には限りがない、そのなかで何に回すかという事を、なるべく国民全体にとってまずフェアに効率的にやらなくちゃいけません。これが大前提です。ここから道路について考えた場合、フェアなのか効率的なのか、本当に必要なのかという問題があるわけです。

もちろん権限を握っているんだから、それなりにおいしい思いが出来るに決まっています。こんな茶番で審議されて、必要だ必要だと言われても説得力が無さ過ぎます。こんな状態で無駄遣いを止めてくれなんて言ったってそんな機能がないし、そんな気もさらさらない。

道路族と国交省はこんな状況であっても、なぜそこまでつくりたくてしょうがないのかといいますと、政治家はアホだとしても、まがりなりにも官僚というのはエリートでもあるわけで、こんなバカな話わかってないわけが無い。

仕事だからと言っちゃえばそれまでですが、国土交通省道路局というのは、橋本行革以前は建設省、運輸省に交通局というのがありました。これは交通をやるわけで、道路局というのは道路建設をやります。先進国で建設の為の役所があるというのは珍しい話です。

我々にとって何が大切かと言うと流通も含めた交通の問題です。その為に必要なら道路はつくるという事なのですが、道路建設というのは交通の為の手段です。つくる事そのものを目的とした専門の行政官庁がある国というのはあまりありません。フランスくらいです。

折角二つの役所がくっついたのだから、その時に一緒にすべきでした。かつては重要度はあったであろうが、道路特定財源の必要性と同時に道路行政を見直さなければどうにもならない部分もあります。つくるのが目的の役所があって莫大な金を囲い込んでいる状態なので、どうしたって手放したくないだろうし、手放したら存在意義が無くなってしまう。

無念!!続く!!