前回の続きでごわす。

これに日本はやりたい放題でつつかれている。これを甘んじて受けなければならない理由は、一つはアメリカに完全に安全保障の根幹を握られている所に原因があります。自国で自衛出来ない国である事がもっとも大きな原因でしょう。

これは頭の悪い政治家、利権まみれの役人からなる、フィージビリティ・スタディの全く無い統治権力、下らんゴシップ報道しか出来ない談合マスコミ、そしてアメリカ軍と言う世界最強最悪のテロ国家の後ろ盾のもとで、憲法9条とか平気な顔して喚き、この矛盾をなんの疑問も持たずに平和国家を謳い、堕落と怠落を貪って来た国民の、三位一体の構造が生み出しているものかもしれません。

日本が世界を席巻しナンバーワンになり、それを維持して行くという目標は、次第にアメリカの後塵を排して、中国や韓国やインドのような国と不毛な競争を行い生き残りをはかるという方向に変わって来ます。非正規労働者やホワイトカラー・エグゼンプションなんかもこういった枠組みで生き残りをはかるためです。

役人も政治家もアメリカの国益第一で、残りを国内で利権争奪するという図式に変わる。小泉改革で大騒ぎされる格差問題ですが、一連の80年代後半から失われた10年を経て顕在化して来たもので、小泉が全部やったわけではありません。

腐敗した官僚制度による事前チェックは無理なので、事後チェック型、即ち一罰百戒で見せしめのように徹底的に叩くという方向性、ライブドアにしろ村上ファンドにしろ、ミートホープにしろ不二家にしろ、コムスンにしろ、以前であれば官僚の規制と癒着によって表面化しなかったであろう問題が、事後チェック型社会に舵を切ったおかげで表面化するようになります。

事後チェック型社会とは、責任を民営化し、権利の所は国家が握る。権利を国家が握ったままなので国家の力自体は変わらず、責任を取らなくても済むシステムですので、小さな政府とは言いながら国家権力の力自体は強まるという方向性です。

困るのは国民、それを正義の味方ぶって権力を行使し、悪者を退治するというわけです。しかし困った国民は困ったままという状態で、その責任は国家が取らなくて済むというわけです。コムスンが悪い、赤福が悪い、と言っていれば済む。国民は困っていて不安なので、国家権力の裁量と権限を喜んで拍手喝采し、それが天下りの為の新たな利権を生み出し、政治家にキックバックが入るという構造です。

今はこれに対して、新たなアメリカン・プラットフォームのもとでの利権確保が出来難い官僚達、族議員達が、利権を取り戻そうと躍起になってバックフラッシュしております。いずれにしろ小さな政府にしろ大きな政府にしろ、国家の恣意性には手が届かず、国民益には全く関係のない利権争奪戦になっております。これが日本の現状です。

してみますと、やはり以前は善いか悪いかは別にしまして、アメリカの好きにはさせないぞという意志を多少なりとも持っていた役人達も、この流れの中アメリカには逆らっても勝ち目が無いので、アメリカが食い散らかした国内の利権の争奪戦の図式に変わっています。だからアメリカの言う事には従わざるを得ないという状況になってしまっているわけです。

そうしますと自らの利権はどんどん減って行く省庁もある。アメリカがどんどんこの腐敗した官僚制度を突っ込めば、いくらでも権益を丸裸に出来ますので、アメリカに逆らっても勝ち目は無いが、このままだと奪い合う国内のパイも、少子化でもあるし、超高齢化社会でもあるし、借金まみれでもあるわけだし、どんどん無くなって行きます。という事で、現在なんとしても手放さないと、利権屋どもが大騒ぎしているのが、道路特定財源の問題とも言えます。

あくまでもこれは国民の為ではありません。小泉が打ち出した民営化推進論にしろ、今回のバックフラッシュにしろ、それぞれどこに方向が向いているのかと言えば国民の方なんか全然向いておりません。

そこで出て来たのが、今回の沖縄米兵の事件です。なんでこれがここまで表面化して大騒ぎするのだろう?というのを考えた時に、まず頭を過ったのが、普天間移設の海上フロート案の復活、ようするに沖縄に金をよこせというプレッシャーも背後にあるのではなかろうかと勘ぐっておりました。ライブドア事件の際、闇に葬られてしまった野口さんへの対処から考えるに、沖縄の迅速な行動は何がそこまで突き動かしているのだ?という疑問がわいたわけです。

単純な正義感からなのかもしれませんが、そういう人ももちろんいるでしょう。しかし背後には教科書問題で吹き上がったのと同じ、公共事業よこせという無言の沖縄県民のプレッシャーもあるのではないかと感じたわけです。確かに米兵の行いはけしからんものでありますし、ヤンキーゴーホームと叫びたい気持ちです。個人的には。

しかしこういった事件というのは米兵に限らず、いくらでもあるだろうし、日本人だって沢山似たような事をやっているはずです。いたいけな少女に暴行を働く輩はけしからんとは思いますが、これと米兵の全体の問題を結びつける事によって、感情的に国民が怒りに燃える状態になれば得をする連中がいます。

沖縄利権というのは現在の与党を相当蝕んでおります。沖縄が事前収賄の地域であるというのは有名な話で、金の無い議員はまず沖縄に行けというのが与党のコンセンサスでもあると言われています。政界を引退しても、いまだに沖縄行脚をする人もいるくらいですから。何も頼み事はされなくても、とりあえず金だけはくれるというわけです。それでいざというときお願いしますと。

だから小泉内閣の時に打ち出されたV字滑走路案というのは相当押し戻されて、海上移設案にスイングバックしております。この事業規模は一桁違いますので、公共事業を望んでいる現地の方々、沖縄利権によってキックバックを貪っている防衛族などは海上移設案に戻したくて戻したくてウズウズしているでしょう。

これも小泉から安倍の媚米インチキ保守の流れの中、沖縄利権をぶった切って、米軍再編に金を出すという流れになります。こっちの方が額が全然大きいのですが、グァムの米兵の住居に関する割り増し問題、米軍再編利権が騒がれて沸騰している背後に、沖縄利権復活の力学があるわけです。防衛相の守屋元次官の問題もこういった力学が背後にあります。彼はV字滑走路案の推進役として、小泉飯島ラインから託されているわけです。

どちらに転んでも腐っていてどうしようもないのですが、我々が沖縄が米軍に虐げられているという感覚で、この問題を見つめると見えて来ませんが、こういった力関係が背後に隠れています。そこで今回の米兵の愚行です。

背後には利権争奪のパワーゲームが隠れています。アメリカ的なものを旗印に改革を叫ぶ勢力、旧来の日本的な腐敗した談合癒着体質のもと利権を温存しておきたい勢力、どちらも国民の事なんて眼中にないのでしょうが、この国の腐敗した強力な構造をバラすにはアメリカ的な後ろ盾がないと、役人のタクティクスに抗えないというのもありますし、アメリカ的な巧妙さに抗う為には、腐敗した役人のタクティクス、談合癒着体質を前面に押し出さないと抗えないという、何ともアメリカの奴隷から抜け出せない、政治家がバカなのが一番の問題ですが、安全保障をアメリカに依存している状態が生み出す帰結でもあります。

自立して防衛能力を持つなんていう話になれば、まずアメリカが許すわけありませんし、アジアからの反発もあるでしょう。国内でも確実に軍国主義への道という批判が出てくる状態ですし、今の統治権力のアホ共にそんなおもちゃを与えたら、それこそ「なんとかに刃物」でもあるのでしょうがないのですが、袋小路に入っているわけです。

だからと言って非武装中立なんて言ってられるのもアメリカがいてこそだと多くの国民も思っているでしょうし、本気でアメリカの後ろ盾無しに非武装中立で耐えられるほど、ちょっと北朝鮮が吠えるとビビる国ですから、国民もまだまだ理想としてはそう思うけれど、実際やるとなると話は別だと思っているのが現状でもあるのではないでしょうか。外交でこれを担保するような能力はこの国の統治権力にあるわけありません。

アメリカ中心主義から、国連中心主義へという事を、例えば野党の小沢党首が言おうものなら、大騒ぎする国ですので、手詰まり感は否めません。とまあそんな話は本筋ではありませんので程々にしておいて、三浦氏の事件ですが、こういった日本のバックフラッシュ、アメリカ的なるものへの腐敗構造を利用したバックフラッシュに対する楔の一つだと思ってしまうわけです。

日本が本来アメリカで起こった事件に介入して、無理筋で立件しようとした。有罪率99.998%の我が国で、あれだけ限りなくクロに近いと言われていた人物が、暴行事件の有罪だけで、本筋の事件の方では無罪になってしまったわけです。50000人に1人しか無罪にならない国であるにも関わらずです。という事は相当無理筋だったわけです。自分も詳しく知っているわけではありませんが、状況証拠や憶測の域を出ないかなり無茶な話だったと記憶しております。怪しいのは理解出来ますから、捜査するのは仕方ないとしてもです。

自分は暴行事件が有罪であると断定したのに、なんで銃撃事件はこれと無関係になるのだろう?という事を考えました。これは自分が当時抱いた憶測ですが、デュープロセスの問題、証拠不十分というのももちろんあるのだろうけれど、結局は無理筋で捜査した捜査当局のメンツの為の手打ちだったんじゃないかという気もするわけです。両方無罪ではメンツが立ちません。両方有罪にするには材料が無さ過ぎる。ということで。

この事件というのは、日本の官僚制度の絶頂時期から、落ちぶれて地に落ちて行く過程とリンクしています。アメリカに抗って世界一を目指した時期から、叩かれて奴隷国家として諦める時期とリンクしています。絶頂時の官僚制度であれば、有罪でぶち込んだかもしれません。しかしそういった力が相対的に弱まっている中での判決でもあったのだろうと感じるわけです。

こうやって日本の力がどんどん弱まっている中で、95年の沖縄米兵事件がありました。もはや官僚にしろ政治家にしろ、アメリカの出先機関に完全に成り下がっていた事も関係があるのではないかと感じます。

日本の意見なんてもう聞く必要なしという事ですし、日本も国内では勇ましい議論が横行しますが、実際アメリカにものを言うような度胸も無いし、そんな事を言えば言ったで、かえって日本の司法制度の未成熟を叩かれるだけ、腐った行政官僚制度の矛盾を突っ込まれるだけ、だから実際に効果的な事は何一つ言えないくせに、国内向けにはさも意見を言って来ました的な顔をしている。

そして、今回の米兵の事件でアメリカ的なものへのバックフラッシュが腐敗した構造を維持する力学とともに吹き上がって来ます。ギョーザ事件での中国との関係を悪化させない日本の対中外交というか、言うべき事も言えない媚中政権の媚中外交、韓国との雪解けムード、親米政権といか、インチキ奴隷政権の力が弱まって、積極的ではないにしろ、アメリカからちょっと距離を取ろうかなという面子が復活し、現政権を形作っています。ここに楔を打ち込む意味でも、今回の三浦氏再逮捕というのは、アメリカにとって効果的でもあるのだろうと感じるわけです。

そもそも彼は日本的な腐敗した官僚制度の恣意性によって利用され、腐ったメディアによって祭り上げられた人です。権力の恣意性を知る男であるが故に、メディアとのその後の裁判ではことごとく賠償金が支払われているわけです。メディアは腐ってますのでいくらでも踏んだくってやればいいのですが、本当にやったかどうかは別として、かつて日本が無理筋でパクって結局有罪に持ち込めなかった恣意性に突っ込みを入れる為には、非常に有利な材料ともなるのではないでしょうか。

仮にアメリカで有罪が確定するとなれば、日本の捜査当局は何やってんだという話につながりかねませんし、結局最初からアメリカに任せておけばよかったんだよという話にもなりかねない。そしてかつての彼に対する日本の捜査当局の恣意性も全部筒抜けってわけです。ひょっとするとそういった事を司法取引に使ってくるやもしれません。

それに彼が有罪であってくれた方が嬉しい人達だっていっぱいいるでしょう。これ以上、野放しにしておくと統治権力にしろ、メディアにしろ厄介な存在である事は間違いありません。だからと言って消すには声が大きすぎる。アメリカに弱みを握られる事になりますが、国益を売り渡すのは何とも思わなくとも、自分達の権益が脅かされるのは何が何でも阻止する連中です。誰でも自分の権益は守りたいのはわかりますが、彼らがそれをやると、国民益とは間逆のベクトルを向いていますので非常に厄介です。

万引きやって掴まったりもしてますので、国民世論的にはやっぱり怪しいんじゃないの?という感じにもなっている。万引きと人殺しは何の関係もないのですが、そういう感覚になるような情報操作もされている。繰り返しておきますが、自分はシロかクロかには興味はありません。人殺しの肩を持つとかそういう問題ではなく、構造そのものを問題にしているので、彼が有罪かそうでないかは自分がわかる事ではありません。それに興味もありません。

ただ本当に殺人を仮に犯しているのなら、被害にあった方、そのご家族の思いは計り知れないと思いますので、それなりの報いは受けてしかるべきだと思っております。ただ二重に裁かれる状況について書きますと長くなりますのでそれには触れませんが、その事に問題があるとしてもそれが現在のプラットフォームでもあるので難しい問題でもあります。

そして沖縄米兵の問題も自分は肩を持つとかそんなつもりは毛頭ありませんので、当ブログの読者の方はそんな事わざわざ言うまでもないと思いますが、一応その事も書いておきます。

さて、アメリカというのは日本が自立した方向性を歩もうとすると必ず釘を刺して来ます。田中角栄の失脚を筆頭として、背後でアメリカ的な力学が動いていたのではないか?と言われている政治劇にマスコミは右往左往して乗せられて来ました。大規模店舗規制法にしろ何にしろ、アメリカが日本の消費者の事なんか考えているわけないのに、消費者利益という美辞麗句に乗せられ、アメリカ的な改革を無自覚で受け入れ続け、メディアもそれを賛美し、今の二進も三進もいかない状況を生み出しています。

こういう事を考えるとき、今回の話にはひょっとすると、政治的な力学が背後にあるんじゃないかななんて、妄想かもしれませんが思ったりするわけです。シンボリックに米兵の問題にしろ、三浦氏の問題にしろ背後で利用すると得な連中が、日本政府のある力学にしろ、アメリカ的なるものにさおさす力学にしろ、アメリカ自体にしろいるのではないかと思うと、そう思えない事もない。

もちろん本当に何か証拠が見つかってという事もあるのかもしれませんが、何でこの時期に、しかもこんなに時間が経っているのに?という思いは拭えません。アメリカにとってあの事件がそれほど重要なのか?三浦氏にそれほど政治的な意図とは無関係な大物性があるのか?という事を考えると、何らかの政治的な意思表示なのではないか?と下衆の勘ぐりを入れたくなるわけです。まあ殺人をしているのであればそれだけで重大な犯罪ですから、それを取り締まるのは重要な事です。ですので文句が言いたいわけでも何でもありません。

と、メールを頂いた方に対しての返答だけではなくて、個人的な妄想まで入ってしまいました。ただ自分病み上がりですので、頭が朦朧としております。ですので戯言の類いと受け取って頂けたら幸いです。三浦事件のに対するメールへの返答もかねて、ロス疑惑とやらをあれこれ書いてみました。