風邪男の三日坊主でございます。まだ完調ではございませんが、多少熱も下がり咳と鼻水も治まっています。ガキンチョはそんな自分の体調などどこ吹く風、抱きついて来たかなと思うと鼻水をなすり付けられております。変わりになすり付けようと追いかけるのですが、今の所気力もございません。

さてさて、本日はメールでのご質問を頂きましてそれに対しての回答と言うか自分なりの考えというか、妄想も入っておりますが書こうと思います。それでは始めます。

メールの内容はこんな感じです。そしてメールでのご質問ですので一応お名前は伏せさせて頂きます。何も問題ないとは思うのですが、もしかするとそれで不都合があるかもしれませんので。


「今回の三浦和義氏逮捕の大手メディアの報道の仕方をどう御覧になっていますでしょうか?
イージス艦と漁船の衝突事故や道路特定財源などの大きな問題が山積している最中、多くの時間とスペースをさいて報道しているのをみると、かつて裁判に訴えて敗れた大手メディア側の意趣がえしの臭いを私は強く感じます。

また過去の一連のロス疑惑報道などをみるとこの国のメディアの杜撰を強く感じるのですが、どうお考えでしょうか? 」


この問題に関してはあまりよくわかりませんので、上手く書けるかどうかわかりませんが、いざ!!

三浦氏の事件に関しては、相変わらずバカマスコミの過熱報道が目立ちます。自分はハッキリ言いますとこの事件に関しては今も昔もたいして興味はありません。日々のニュースのプライオリティから考えても、その事件の規模から見ても、たかが、殺人事件かもしれない、という話などどこにでもある話ですし、政治的な意思決定、経済の舵取りなどから考えれば、被害も些細なものに過ぎません。

人の命は大切だ、悪人は許すな、という事で些細であろうが何だろうが区別すべきではないと言うのは理解出来ますが、それを報道する以上、どうしてもプライオリティは付けねばならず、それがおっしゃるように道路財源の話やイージス艦の話、経済の先行きより優先されるべき事なのかというと、自分もそうは思えません。

暫定税率問題というのは、この国が破綻するまでこの腐った構造を止める事が出来ないのか、それとも新しいパラダイムに対応したレジーム作りをする気があるのかの分水嶺でもあると思ってますので、これをガソリン代が安くなる、道路は必要だという全くお門違いのポピュリズム政治に迎合して、本当の問題点に一切言及しないというかわかっていないのかもしれませんが、独占しているくせに怠っているのは明らかに国益にとって、国民益にとって何のプラスにもならないし、政治の監視の役割も担えていないし、全く持って話にならないと思っております。ああ、この国の政府もメディアも破綻する事を前提に考えているんだなと言う事がよくわかります。

それとも破綻するまで止められないだけなのかもしれませんが、こんな事は小学生でもわかる簡単な合理性計算です。国が破綻しても、自分達さえ生き残ればいいという発想では、国が破綻すれば元も子もないですし、生き残ったとしてもプラットフォームがぶっ壊れればそんな事を言っている場合ではありませんので、本末転倒とはこの事です。

会社単位とかで生き延びるのではなく、あくまでも個人的にという話ならわかりますが、それを組織をあげてやっていたりするのですから、末端の構成員はカルト教団、ハルマゲドン思想を騒いでいたオウム真理教の信者と大差ありません。

イージス艦の問題にしろ、直接被害にあった方々の問題はそれはそれとして、こういった構造、ようするに漁船がいるような海域で自動航行をしながら、いい加減な監視しかしていない海自のメンタル、そこどけそこどけイージス艦が通るぞ、という腐ったメンタルを生み出す腐った構造には全く切り込む気もさらさらない、癒着メディアのゴキブリ共の習性がよく現れております。

泥棒に詐欺師は監視出来ません。

一連の三浦氏に対する、この報道に対しては、全く興味もないので観ていないのが正直な所なのですが、明らかに難しい問題から目をそらさせる為の、ショック&オー、衝撃と畏怖作戦とでも申しましょうか、ややこしい微妙な問題に時間を割く事を避ける為の口実に使われているのは確かだと思います。

この問題については過去メディアが大騒ぎした時の姿勢から現在に至るまで、ゴキブリ共は何の反省もしていないどころか、より劣化している感があります。

立場上好きなだけ言いたい放題言える相手には、シロアリのように群がり、捏造だろうが憶測だろうが関係無しに、推定無罪原則をすっ飛ばして有罪推定でメッタクソに叩く。

この下らん話題がお茶の間も刺激を求めているという事も確かにあったであろうので、まだ昔の方がそれでもリスクを背負って、訴えられる事を覚悟で、非道な振る舞いをしていたわけですが、今のゴキブリ共はそれすらも無い。

やっている事は有罪推定と何ら変わりはありませんが、訴えられた時に不利にならないようなタクティクスを覚えたのか、必ず責任を回避するようなリスクヘッジをかけながら報道しております。ただこれは反省と言っても視聴者側には何一つプラスはありません。自らが標的にならない為に、存続戦略としてのタクティクスです。

そもそもこんなどうでもいい話題に時間を割く事自体、ニュース偽装と言えます。もっと重要な切実な問題がある。有罪推定で無罪かもしれぬ人をメッタクソに叩く、この国でのもっとも巨大な権力を行使し、有罪推定の自分達が過去取った姿勢は間違いではありませんでしたと言う、宣伝活動というか洗脳活動が行える。

これは本当に有罪だったら許されるとかそういう問題じゃありません。有罪だろうが無罪だろうが、現時点ではまだ決まっていないのに、明らかに世論を煽動するような報道は問題です。

ちょっと前に殺人事件をある父親を有罪と見込んで散々世論を煽り、当てが外れたばかりだというのに腐りきっています。

そういう劣化とリンクして益々政治的な微妙な問題や外交問題、経済問題のような重要な問題に関してはオンチのアホ記者か、専門の談合記者クラブのリークで甘やかされた、ズブズブの癒着記者しかいないので、全くお門違いのアホ報道、リークを足れ流すだけの翼賛報道ばかりになっています。啓蒙するとか監視するとかではなくて、自らの存続の事しか頭に無い。記者魂なるものは遠い過去の遺物です。

明らかに三浦氏がやったかどうかは別にして、メディアは今度は虎の尾を踏まないように、訴えられるリスクを回避しながら、有罪推定で攻撃しております。自分は三浦氏がやったかどうかには全く興味がないので、どうでもいいのですが、個人的に思う所でいいますと、確かに怪しいという感情はあります。だけどあたりまえですが、それと司法は何の関係もありません。99%クロでも、検察のデュープロセスに問題があれば無罪であるのが近代裁判の鉄則です。

ですので、この事件を裁いた当時の司法プロセスには多少安堵感を覚えた記憶があります。有罪推定、つまり結果があらかじめ決まったもとでの茶番では無かったという事が少なくともわかったので、この国は法治国家なのか?と思う事もしばしばでしたが、あれだけ大騒ぎした絶対クロ間違いなしのメンツのかかった裁判でも、こういう結果が出るのだからもしかすると日本の司法制度も捨てたもんじゃないのかもしれないと感じる事が出来ました。

が、今はその考えも錯覚だったと思っております。最近の司法の劣化ぶりは酷いものがある。司法の話が本筋ではありませんので、長くなるのでこの話はこれ以上は触れません。

さて、今回のこの問題があまりにもタイミング的に微妙な時期に飛び込んで来た事に関して、沖縄米軍の問題などを打ち消すかのように、ギョウザ事件を打ち消すかのように出て来た恣意性は感じる事は感じるのですが、これについてはわかりません。自分は基本的に黒幕説を聞くのは好きですが、そこで思考停止するのは嫌いなので、そこの所はわからないとしか言えません。

ただこの事件の本質の所に、やっぱり日本の警察とアメリカの警察の間でのパワーゲームはあったのだろうなと推察しております。アメリカと言うのは「属地主義」、日本と言うのは「属人主義」と言われています。「どこで起こったのか」と、「誰がやったのか」の差です。アメリカで起こったのだから当然アメリカが裁くという前提がアメリカですが、日本人がやったのだから日本が裁くと言うのが日本です。日本でアメリカ人が犯罪を起こした場合、アメリカでは原則としてそれを立件しません。しかし逆の場合に日本ではそれをします。すると二重に裁かれる事になるわけです。こういった矛盾点が浮き彫りになっています。

ただこれを考えると、今回の沖縄米兵の事件ではなくて、以前の米兵による少女への事件では、アメリカがこれに介入しています。当時は日米地位協定の問題などを大騒ぎしたり、その不当さを騒ぎました。三浦事件で日本がアメリカで行った図式というのは、日本人の犠牲者と日本人の容疑者という問題はあるものの、アメリカでの事件に日本の当局が介入した図式の逆バージョンという見方もこの95年の沖縄米兵事件はとれるわけです。

軍事絡みなので複雑な線はあるのですが、こちらが同じような事をやっても全く気にしませんが、相手にやられると途端にキーキー喚く日本人のメンタルがよく現れていたと思います。

この背後には日本の推定無罪原則の無さ、被告人の権利保護の概念が全く無い事、弁護士の立ち会いも無く、ビデオ撮影も無く、何の権利も認められず拘束されると言う、近代法治国家では有り得ない、暗黒裁判につながる前提を日本人は全く無自覚に受け入れていますが、他所からこれを観た場合、先進国としてはかなり立ち後れています。

こういう所にアメリカ人が例え容疑者といえども権利も無く不当に拘束されるのは、アメリカとしては座しているわけにはいかないと介入されたわけです。日本人はその司法プロセスの公平さの無さを啓蒙もされませんし教わっても来ませんので、感情論で少女が可愛そうという話を切り口に、司法の矛盾点には全く矛先が向きません。アメリカの横暴って話になってしまう。

確かに横暴ですが、突っ込まれると何も言えないようなヴァルネラビリティ、対攻撃脆弱性を抱えている所に一番の問題があるわけですが、そういったアビトラリー、恣意性を残しておいた方が利権になるステークホルダーも沢山いるので、感情論で国民を煽り、問題点は放置されると言う状態を許しているわけです。

と、少し深いレイヤーから見つめるとこういう事が出てくるわけですが、これをもう少し深いレイヤーで妄想も交えて突っ込んでみましょう。そうすると何が見えるのか?

三浦事件が大騒ぎされた当初は、メディアのゴキブリ共がゲリラ的に放火しまくったおかげで、国民感情が沸騰します。そうすると警察も検察もこれをキッチリ裁けないとなると、メンツに関わる問題になります。なので、日本の当局と、アメリカ当局の間で、パワーゲームがあったのではなかろうかと感じます。

当時の日本は、日の出の勢いで影響力を持ちはじめ、アメリカの世界支配に対する相対的な力は弱まりはじめ、力関係も逆転可能な希望のあった時期です。

当然、経済にしろ政治にしろ、いつまでもアメリカの後塵を排しておんぶに抱っこではなく、自立した方向性を目指しはじめ、産業にしろ技術にしろ、世界最強の座に上り詰めて行く時期です。この時期の役人達がアメリカの要望に従わず、日本の事は口を出すな!!という風になっていても不思議ではありません。

実際に日本は官僚がほぼ国の舵取りをしている国なので、政治家なんてのは飾りに過ぎません。それは当時の方がもっと強烈でした。だから無理筋でもパクって何が何でも有罪に持ち込んでやるというのが、日本国民へのメンツ、アメリカへの意思表示という二つの側面があったのではなかろうかと思います。

これが牛肉オレンジ交渉から日米構造協議、年次改革要望書、そしてバブルの崩壊と重なり日本を経済的に打ち負かすため、政治的なイニシアティブを取り戻すため、アメリカからの肥大した護送船団方式、事前チェック型の官僚制度に対するアタックが始まります。

確かにこういった官僚制度は腐ってましたので、叩き易い材料には事欠かないし、メディアも喜んで叩きます。何より深い所でアメリカからの目に見えないプレッシャーがあったので、腐敗は白日のもとにさらされ、威信を持っていた官僚達も地に落ちて行きます。元々その程度の能力しかない田吾作だったという事もあるのでしょう。大蔵官僚などの経済の舵取りは今考えるとバカまっしぐらです。

無自覚か自覚的にかそうした圧力によって、アメリカン・プラットフォームを受け入れて行きます。大規模店舗規制法緩和、建築基準法改正、前者は今の地方のシャッター通りを生み出す原動力になりましたし、後者は一連の耐震偽装問題なども引き起こしています。

次世代のOSであったトロンの開発も横やりが入って中止します。今はウインドウズが世界を席巻していますが、技術的にはトロンの方が上回っていたと言われています。世界標準のOSを日本が握るチャンスだったのにそれも奪われてしまう。

「不都合な真実」で有名なアル・ゴアが打ち出した「NII(ナショナル・インフォメーション・インフラストラクチャー)構想」、情報スーパーハイウェイ構想とも言われますが、ようするに現在のインターネット環境、高速通信回線で結ぶと言う発想なのですが、これはNTTが打ち出したVI&P(ビジュアル、インテリジェント&パーソナル)という構想のパクリです。

きりがないので止めときますが、こういったかつて日本がアメリカを打ち負かして、エズラ・ヴォーゲルの著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のような時代に抗う為に、アメリカはことごとく手を打って来ています。アメリカ的な現在のグローバライゼーションという方向性は、元々日本のこうした台頭に抗う為に打ち出された新しいアメリカン・プラットフォームです。

金融テクノロジーを駆使し、マネージメントを輸出し、自由化、規制緩和を各国に押し付ける。国境が無くなるとか騒いでいたアホウもいっぱいいましたが、そんな寝ぼけた話ではなく、グローバル化を押し進める事によって、より世界は帝国主義化して、国境を超えて人、物、金、情報の流通が盛んになりはしたものの、より国境を意識する時代に突入しております。

ごめんなさい!!まとまりませんので続く!!