続きです。

さて前回自分で決めると言っても、情報が制限され、恣意的な制度の枠組みの中で取れる選択肢が限られていれば、それは自分で決定しているという部分だけクローズアップしてみると、自己決定のような気もするが、実質的にはそういう風にせざるを得ない状況があるのではないのかという問題点を書きました。

安楽死にしろ、尊厳死にしろ、回復不能という事をベースにしても、死が目前にある場合は可能性は限りなく低いものでしかないのかもしれませんが、テクノロジーというのは発達しますので、現時点で回復不能であるからと言っても、それが将来にわたってそうであるかどうかは、誰にもわかりません。だからどんな病気や不自由であっても絶対に回復不能だとは言い切れない。

自己と言っても曖昧なものにしか過ぎず、いつ何時気が変わるかもしれませんので、そういう意味でも自己決定も絶対的とは言えない。例えば自分のブログとお付き合いしてくれている有り難いブロガー、( ̄^ ̄)y-~~ストロングスタイル様のブログに書かれている小説において(( ̄^ ̄)y-~~ストロングスタイル様、引用しちゃってごめんなさい)、先日こんな場面が出て来ました。

主人公の男がオーロラを観に旅に出かける。いろいろ思い悩んだりしていたものの、オーロラを観た瞬間、その素晴らしさに覚醒し、決定的な何かが変わるという話です。それによって周りの見方や言葉の伝わり方も、現実の捉え方も一気に劇的に変化する。

これは実際の生活において、誰にでもあり得る話です。オルタレーション、翻身といいますが、変化するというレベルよりもう少し上位の、決定的に価値転換する瞬間が何かのトリガーによって引かれて、生まれ変わったような目覚めを感じる。

目から鱗の語源となった異教徒パウロの改心などがそうで、何かをきっかけに価値観が変わるというのが実際にあり得るわけです。

そう考えますと、今絶望的だと感じるからと言って、将来にわたってそう思い続けるかどうかも定かではありませんし、回復不能という言い方も、絶対だとは言い切れない。

しかしそんな不確定な将来の事をベースにして、現に今苦しんだりしている状態を我慢させたり放置しておいたりしてもいいという理由になり得るのか?と言った感じで、こういう生死の問題というのは、これで良しというライン、万人が合意可能なラインというのが、おそらく将来にわたっても非常に難しい話になってしまいます。

なので肝腎なのは、複数の視点からこの問題を眺める事の出来る感覚が重要なんだろうと思います。コンベンショナルな、従来通りの紋切り型な善悪や、本人は悪気は無いのだろうと思いますが、頭の悪い善人気取りの人間が繰り出すクリシェ、常套句や決まり文句に煽られて、単純に物事を区別出来にくい社会に我々は身を置いているのだという自覚が重要なんだろうと思うわけなのです。

視座を輻輳させ、一律に善悪の基準に線の引く事の出来ない、都度都度アドホックな回答しか得られない社会なのだと。

制度的には曖昧にしておくわけにもいき難いのは確かですから、どこかで線を引かねばならないので、積極的安楽死や、ナチュラルコース消極的安楽死、それぞれ問題点があったりしてもとりあえずこのラインというのを決めねばなりません。

これは倫理感や論理性を追求しても結局一律に基準を設ける事に繋がりますので、このラインを超えたから善だとか悪だとか一概には言えず、ルールからズレているのかいないのかという問題にしかなりません。人それぞれいろいろな事情を抱えているわけです。

しかし制度をつくる際はステークホルダーが後ろにいますので、非常に恣意的に情報操作を使い人々の感情を煽り問題化したり、善悪の基準を声高に叫んだりするわけです。複数の視座を持つという事はそういった情報操作に引っかからない民度を養う為にも重要なんだろうと思うわけなのです。

SOLとCOLという考え方があります。サンクティティ・オブ・ライフとクオリティ・オブ・ライフという概念です。前者は生命の尊厳と訳され、後者は生活の質と訳されます。尊厳というのはディグニティとも訳されますので、尊厳死の場合デス・ウィズ・ディグニティと言いますがサンクティティの場合は神聖さという意味も含まれる尊厳という意味です。

ですので、生命の尊厳というのは、ようするに人の命は大切なものである、神が与えた試練と言うか神聖なものなので、これを犯す事そのものが悪い事なのだと言う発想です。人殺しは善くないとか、自殺は善くないとか、こういう感覚が支配していたというか、これだけでも社会が上手くまわっていたのですが、それが70年代くらいになると、生命の尊厳もいいけれど、生活の質も大切なのではないのか?社会福祉政策などで生活の質を高めるのも行政の責務なのではないのか?という風になって来ます。

昔は人は簡単に死んだわけです。延命治療と言ったってたかがしれていたわけですし。それが医療技術の発達によって、生と死のラインが曖昧になってくる。昔だったら死んでいたような状態でも生き残る事が出来るようになってくる。生と死の中間状態のようなものが出てくる。

脳死状態や植物状態などのように、医学的には生きているのかもしれないが、それって人間として生きている事になるのか?人間的な生活の質を送っている事になるのか?という疑問が出てくるわけです。

この生活の質という観点から、安楽死や尊厳死のような発想も出てくるわけです。人間としての尊厳、ディグニティが損なわれているのではないのか?人間らしく生きているとは言えないのではないのか?

そして死の問題だけではなくて、強姦されて妊娠した場合など、赤ん坊に罪はないが、赤ん坊を殺す事を許容する、母親の生活の質の為に赤ん坊の命を犠牲にしても構わないと中絶を認めるようになる事の延長線上に、出産の場面で着床前診断や出生前診断などによって命の選択を認めたりするようになってくる。

代理母問題などで騒がれたりしましたが、この際、受精卵チェック、着床前診断を行います。遺伝子的に問題があるかないかをチェックします。そして問題のある受精卵を捨て、遺伝子的に問題がないものを選別して着床させます。ドイツなどが典型でこれに反対をしていますが、非常に微妙な問題が内包されています。

トリプルマーカーテストと言って、出生前診断によって妊娠している赤ん坊に問題があるかないかを識別して、堕胎してしまうというような事も行われています。

これは善だとか悪だとか言いたいわけではありませんが、昔だったら神の領域であった事が、テクノロジーの進歩によって、人間が殺していい命、生きる価値のある生まれてくる命と、選別出来るようになってしまった。人間が勝手に線を引けるようになってしまったわけです。出来るようになったというだけではなく実際にもう選別している。

これに対してはやはり不遜な感じを拭いきれないという声が当たり前ですが出て来ます。宗教者などを中心として、COLを重視すべしと言って来たリベラルも、このままで行くと価値のある生命、価値のない生命、価値のある人間、価値のない人間、優秀な遺伝子、劣勢な遺伝子と振り分けるような、ある種優生学に繋がりかねない恐ろしい社会になってしまうかもしれないと、SOLを見直す動きが出て来ています。ドイツなどが敏感なのはナチスが行った愚行に通じる匂いを察知するからでしょう。

脳死なども曖昧なものに過ぎないと書きましたが、これについてもやはりCOLという観点から、生きているとしても、人間らしい生活の質は求められないので、殺してしまって、死んだ事にしてしまっていいのではないかという方向に舵を切られて来ました。

実際に臓器移植を待っているレシピエントもいるわけで、臓器移植すれば何もかも人生がバラ色ってわけでは本当はなく、それでもどれくらい生きていられるかも定かではなく、免疫抑制剤によって一生、感染症と拒絶反応の狭間で格闘して行かねばならなという問題がありますが、一応世間のコンセンサスとしては、生活の質を望めない、維持装置によってただ呼吸しているだけの生命より、臓器移植をする事によって、多少でも生活の質が向上するのならやむを得ないという感覚があるのだろうと思います。

実際にレシピエントやその家族からすれば、一刻も早く移植を受けたいという気持ちは理解出来ますし、それでよくなる可能性があるわけです。

特に我が国ではその手の啓蒙が非常に多いので、多くの人も合意出来るのではないかと思います。が、臓器移植というのは現在人類の目の前にある最後の莫大な金脈です。もの凄い利権がそこに絡んでいますので、これだけ複雑な解のない問題でありながら、非常に薄っぺらな感情に訴えるような啓蒙ばかりしか出て来ません。

大切な存在がもし脳死状態に陥ってしまったとして、呼吸もしているし、体温も暖かい、目を覚まして起き上がるのではないかという希望も感じる、とても死んでいるようには見えない、しかしこれは医学的には生きているとは言えないので、死体と変わりません、殺してしまって、死体なので殺すという表現はおかしいのかもしれませんが、生きている意味がもうないのです。という事に簡単に同意出来るのかという問題があるわけです。

それに脳死状態というのは、そもそも心臓移植ブームに乗っかって出て来たものです。従来は「不可逆昏睡」もしくは「超昏睡」と呼ばれていました。もちろん死んでいるわけではありません。心停止後の心臓より、拍動中の心臓のほうが移植の成功率が高い、しかし生きたまま心臓を取り出せば殺人罪として犯罪になってしまう。という事でこの状態を死んでいるのと同じ扱いが出来るように、脳死と名称を変更し、倫理的な問題をクリアーしたわけです。死体から臓器を取り出すのなら問題がないというわけです。

ある権益の為に簡単にこういう風に制度を変えて、情報を操作する事によって多くの人間がそれに同意してしまうのですから、植物死状態とか出て来かねません。だから生活の質重視も大概にしておかないと、恐ろしい社会になってしまうのではないかという事で、各国ブレーキを踏むべしという議論が出てくるわけですが、日本では全くと言っていいほどそういった啓蒙が一般的なレベルに降りて来ません。

むしろヒューマニズム的なものを煽られ、移植推進の方に世論も流されている。移植反対とか善とか悪とか言いたいわけでは全くありませんが、生と死の基準については一律に線の引けない非常に難しい問題であるという事を認識する必要があるのではないかと思うわけなのです。

簡単には線の引けない難しい問題ではあるのですが、テクノロジーの発達スピードにそれが全然追いついて行きません。生と死の境界線や命の選択を実際に行っていても、利権絡みの制度変更は電光石火で行おうと躍起になりますが、議論も追いつかない問題が、どんどんテクノロジー的に可能になってしまう。

だからと言って、簡単に線を引き直せば、結局命の線引きなんて恣意的なものなのだという、生きてるか死んでるか、殺しちゃいけないとか言ったって適当なものなんじゃないかという感覚になってしまいかねない。善悪で論じたって、現に殺してる命と、生かしている命を、都度都度適当に決めているだけなんじゃないかという風に感じてしまうわけです。

そう、命の線引きなんて、もう生と死の境界線が昔のように一律に引けなくなって、人間が引かねばならなくなっている時点から、人間が適当に決めた恣意的な線になってしまっているわけです。

だから善とか悪とか言ってないで、いろいろなビューポイントから眺めて、様々な議論や様々な啓蒙活動が必要なのです。立ち位置によって見え方が全然違ってくる。一般市民もそういった事を認識しておかないと矛盾に引き裂かれてしまう。

万人が合意可能な線はほぼ不可能であり、しかしテクノロジーの速度はどんどん加速している、従来の価値観だけでは割り切れない難しい問題なのです。まず難しい問題がそこにあるという事を認識する必要があるのではないかと思うわけなのであります。

そういった意味においても、この映画は非常に微妙なラインを我々の前に提示してくれる素晴らしい映画なのではないかと感じるわけなのです。

さて、翻って我が国の現状を見ますと、絶望したくなってくるようなアホな問題を延々と下らん政治家どもが議論しております。4月から「後期高齢者医療制度」が始まりますが、全く啓蒙が追いついているとは思えない、わざと知らん顔しているのではないかと感じる位、ガソリン国会とか言ってバカ丸出しであったり、ギョーザでピーピー騒いでいたりしますが、これが始まるとなると、老人達に多大な負担を強いる社会になるわけです。

この問題に触れてほしくない厚労省のクソ役人どもの思うつぼとでも言いましょうか。これによって老人が酷い状況に叩き込まれてから、メディアなんかも嬉しそうに「弱者切り捨て」とか報じるのでしょうが、こんな国で尊厳もクソもありません。

尊厳死というのは死ぬ前の最後の贅沢、わがままみたいな話です。苦しみから解放してくれと。こういう望みがかなえられる社会というのは、医療がきちんと受けられて、はじめてそういった制度をどうするのかという話になりうる。

しかしこの国の現状では、単なる口減らしの為に尊厳死を上手く利用されかねません。西側諸国で自殺率ナンバーワンの我が国、自殺者3万人の内、三分の一は60才以上の老人です。全体の割合で健康問題が4割、経済、生活問題が3割弱を占めています。これが60才以上の自殺者にすればもっと割合が多くなるでしょう。この状況ではCOLどころかSOLですら、満足に担保されてない状況の方々も相当数いるという事です。

道路と福祉をはかりにかけるような脅しをほざくクソ野郎、下らん利権獲得競争に邁進するブタ共、優先順位を考えろって話です。こんな国で命は大切だとか言ったって虚しい話です。この映画のような視点の問題を考えるには、周回遅れどころか話にならないような現状でもある。

しかしこれは問題点が可視化出来ますので、解のない問題とは違い、やるべき事はわかっているだけマシかもしれません。早くこの映画のような難しい問題点、解のない、しかし早急に議論しなければならない問題点を考えられるような社会にならねば、テクノロジーは益々突き進み、下らない善悪を論じて飯を喰っているゴキブリ共が利権を貪る構図からは脱却出来ません。

いずれにせよ我々の民度がもう少し成熟しないと、解のある問題にせよ、解のない問題にせよ、向き合う事も難しいのかもしれません。少しでも民度を成熟させる為には、この映画は非常に重要な切り口を与えてくれます。感動で泣ける!!で終わってしまう可能性も大ですが、物語の中で投げ出された矛盾を拾い上げて考える事が出来るのなら、いい学びになるのではないかと。

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