luxury-luxury様からのご質問、貧しい国々からありとあらゆるものを搾取して、我々は平穏無事に暮らしております。その理不尽に対してあまりにも無力である現実をどう思うか?という事に対する自分の考えを書きます。
ご質問の中身はだいたいこんな感じです。
「生きる糧として働いている子供達(貧しい国で人権もクソもなく生きる為に虐げられている)と消費する我々。彼らの生きる権利と我々の資本主義、大量消費の現実と・・。どう思われますか?
救うことは親切のつもりが傲慢という、話じゃないですけれど、
この現実を知って、諦めるのか、無関心でいるのか、傍観するのか、それとも何か行動するのか・・・
救うことは無理で、紛争にしてもそうですが、祈ったところで解決しない。むしろ、彼らの生活に関わるとしたら・・・」
中々ヘビーご質問。興味のない方はスルーでお願いします。
まずこの答えがわかれば、自分も日々こんな面倒くさい話をあれこれ書く必要もないかもしれず、その答えのなさに引き裂かれて、どうすりゃいいのさ、というのは同じです。その上で書きます。それでは始めます。
前回のネタで、まさにその事の向き合いかたのようなものが、ニセおでんくんが、最後に言った言葉の中に隠れているような気がします。
答えのわからなさ、無意味さ、でも、おでんくんとたまごちゃんは幸福を感じる事が出来た。おでんくんはデレデレ出来た。ニセおでんくんは命を助けてもらい、二人の幸福そうな顔を見る事が出来た。確かに無意味かもしれない、単なるエゴかもしれない、だけど、それでニセおでんくんもちょっと嬉しい気持ちになれた。
意味があるか、無意味か、それだけがすべてではないのが、人間と言う理不尽な生き物の業なのだと。
貧しい国を何とかするという超難問は答えがありません。堂々巡りでこの世界という無意味さ、生命という無意味さに意味を求めてしまった人間の最大の業、世界を社会というシステムに作り替えてしまった、知恵の実を食った人間が背負った原罪かもしれません。
資本主義と言う暴力性、グローバライゼーションと言う弱肉強食、格差だなんだと騒いでいても、生きるか死ぬかの極限状態に多くの人がさらされているわけではないこの国では、面倒くさいし、知っても何も出来ないし、俺達もその恩恵で食えているわけだし、まあいいんじゃない、そんな難しい話は別に。というジレンマに引き裂かれ、不可能性を突き付けられるが故に無関心と言う鎧を身にまとってしまう。
ハッキリ言っちゃえば貧しさに苦しんでいる方々は、結局は自分達で何とかするしかありません。我々には我々の生活もありますし、我々が介入するという事は、必ずアビトラリー、恣意的なものにならざるを得ない、我々の視点という介入しか出来ませんので、恣意性があればルサンチマン、怨みにつながってしまう。ルサンチマンは次の火種になる。
援助をしたり、募金をしたり、いろんな介入の方法はあるでしょう。しかしそれらは支配者達の車が高級車に代わり、贅沢な暮らしの補助をする。ようするに強いものの力を更に強くする事に貢献するだけで、間違いなく末端には行きません。よりエクスプロイト、搾取する構造を強化するだけです。
しかし弱肉強食は確かに自然の摂理かもしれませんが、この社会という共同幻想が生み出す弱肉強食は明らかに、社会というシステムを駆使する事によってエクスプロイトするシステムです。資本主義という制度を恣意的に駆使する事によって、永久に勝つ側が勝ち続けるシステムで、自然の摂理というより人為的なものです。
これほど徹底的な差を生み出している違いと言えば、たまたま生まれた場所の運がよかったかどうかの差だけです。無関心はそこに加担している事になる。
スタバでコーヒーを飲む。原産国には一円しか落ちません。原産国は幼い少女が売春をして家計を助けたりしている。我々はそれに金を払っているのに、原産国にたどり着くまでに、99%以上搾取されてしまう。そりゃいろいろ経費がかかるのはわかりますが、いくら何でも酷過ぎます。
勝つ側の連中、ようするに既得権を保持したい連中は、この搾取の構造を我々を共犯者に仕立て上げる事によって、諦めさせる、お前らだってこの構造の恩恵を受けているのだから偉そうに言うな!!という言葉に無力感を感じさせるというタクティクス、戦略をとってきます。
これに対して、確かにそうだけれど、お前らがそれを言うな!!という意志が必要なのではないかと感じるわけです。この搾取の構造で我々が共犯者として諦めてしまえば、この構造で得た利益が、政治家の懐に入り、政治家はそれらの企業を保護する内向きの戦略を取る、恣意的な制度を温存するという不公正さに胡座をかく連鎖を許す事につながります。
結果平等を唱える必要もないし、資本主義を否定する必要もありませんが、制度を利用し、恣意性を駆使し、不公正な競争を自由だとほざき、個人の自己責任に押し付けるような連中は許すべきではありません。まず我々の社会の不都合を何としても是正する意志をしめす。社会に潜む恣意性を正当化し、既得権を保持しようという力学に抗う。
文化と言うか、人の歴史は既得権の歴史とも言えます。我々すべてが既得権を握っている事も事実です。しかしだからと言って限度があるのではないでしょうか。飢え死にしたり、エイズでがんがん死んでいるような方々が沢山いるような国々を無視するという現実は例え無意味だとしても辛過ぎます。
我々はまずそのシステムを利用して利権を貪っている連中にNOと言い続ける。競争はいいけれど、お前らが言っているのはインチキな競争だ、自由でもなんでもない、不自由な枠に当てはめ、自由だと錯覚し、永久に搾取する側が勝ち続けるようなシステムじゃないか!!と。
こういう腐った連中がこの恣意性を自ら手放す蓋然性はゼロです。絶対に有り得ません。それにルールを作る側にロビイングをしたり、そのものであったりしますので、そんなものを是正するはずもない。
しかしそこに介入する手段がこの国ではきちんと担保されています。ただ全然機能していませんが、これは我々の選択によるものでもあります。諦めている。知ろうとしていない。知って、統治権力をきちんと監視する。これしかありません。そしてそれは我々が思い込まされている以上に強力な代物です。
原産国の虐げられている方々には彼らの戦いがあり、我々には我々の戦いがある。彼らはその戦いに勝てる見込みは今の所限りなくゼロに近い。しかし我々の戦いはきちんと強力な武器が担保されている。
我々がその戦いできちんと統治権力を監視し、国家権力を恣意的な暴力装置ではなくて、公平な競争を担保する装置に変える努力を示し、貧しい国々に外側から公平さを担保しろという圧力をかける。これしか救う手立てはないと思います。
企業も原産国の搾取の構造を利用しているくせに、そうじゃないと競争に勝てない!!とかほざきます。自らは例えば外資からの投資を敵対的買収だとか何だとかほざき、規制に守られ競争を免除されているにも関わらず、そういう所だけ競争主張する。資本主義の論理をほざく。
競争だ!!というのはいいでしょう。しかし非正規労働者のような人々を増やす事を正当化し、仮に今の競争に勝ち残れたとしても、それが日本社会を保全する事になっているのかと言えば、それでは子供の数など増えるわけないし、社会がちゃんと回っていなければ、結局企業は自分達の首を自分達でしめている事になる。短期的な逃げ切りしか考えていない。
そして利益の中から献金という金が政治家にキックバックされ、政治家もそれを擁護するような恣意性を強化する。そういう企業の広告収入を規制に守られ独占する事によって、一般人では考えられない高収入を得て利権を貪っている談合大手メディアの援護射撃に守られる。そういう連中が流す恣意的な情報に右往左往する一般市民。
これのどこが競争なのか?コイツらの握っている既得権維持の為のいいわけではないのか?腐れ談合メディアの利権だけでも、クロスオーナーシップ、再販価格制度、固定資産税免除、記者クラブ制度、数え上げればきりがない位、半ば犯罪に近い独占を規制によって守られている。先進国水準で考えれば、とてもじゃないけれど民主主義でもなければ、資本主義でもないような利権の巣窟です。
コネ入社のバカがテレビに出て来て、入社3年目で1000万を稼いでいます。コイツらの何がそれほど優れているというのか?何の価値を生み出しているのか?ただ単に電波一本独占しているだけで、台場や汐留にビルが建つわけです。その土地だって国有地を安く払い下げたものです。大手メディアの下ではキャノンの偽装請負と似たような構図があります。非正規社員から搾取している構造です。下請けの下請けの制作会社から搾取し、そこでは安い賃金で働いている人達がいる。大手談合メディアがキャノンのような会社を叩けないのは同じ事をしているからでもあるわけです。
能力主義や競争を煽るのはいいでしょう。そこは否定出来ない所がある。しかしこの国でいう所のそれは、あまりにも酷いインチキです。ここを突破せねばその先は絶望的です。しかし我々には抗う術がある。今、コイツらの腐敗やインチキはインターネットなどによって裸の王様状態です。インターネットを規制しようと目論んでいますが、そんなことを許しては、虐げられている国々を救う事なんて出来ない。まずは監視する。
既得権を握り競争を免除されているからには、それなりに社会に還元する義務があります。放っておいてもそんな事するつもりは毛頭ないに決まっています。詐欺に泥棒は監視出来ません。我々が監視するしかないのです。
我々一般市民も堕落した感受性でスポイルされた状態です。きれい事のオンパレード。ヒューマニズムを語っていながら、己の足下すら見ていない腐れ野郎が多過ぎます。
諦めてしまいたくなるような絶望的な状況のような気もしますが、実際に虐げられている国々の方々から比べれば天国です。抗う術もある。我々がここで声をあげねば彼らは永久に救われません。声をあげても可能性は限りなく小さいものでしかありませんがゼロではない。
こういった現実を一人でも多く知る、なんでこんな社会になっているのだろう?人間が罪深い俗物だから?日々の生活のほうが切実だから?生まれた場所が運がよかったから感謝すればそこで話は終わり?
人間がどうしようもないバカな存在であるのは事実かもしれませんが、少なくとも今の社会は特定の人々が、その諦めを利用し、制度を駆使しているわけです。
例え弱者を救う事が出来ないとしても、そこに声をあげる事が唯一我々が身近に出来る事なのではないかと思うわけです。無意味かどうかそんなことは後世が決めればいい事です。
この問題は答えはありません。どうすればいいかもありません。これで解決って方法もない。しかしこれはずっと昔から考えられ続けて来た、人類不滅の命題です。知るか?知らぬが仏か?依存か?自立か?西洋哲学などはまさにこの事を、初期ギリシャから延々と繰り返されて来たわけです。
依存を退け、自分の足で立ち、理不尽ゆえに我あり、不条理ゆえに我あり、とあえてこの身をさらし思考して行く事が、近代市民として成熟した姿なのではないのか?と思うわけです。そして我々は独ぼっちではありません。
意味があろうがなかろうが、出来る事が目の前にあり、どう考えても理不尽な状況も見えているし、どう見ても腐っている連中が好き勝手にやっている。くだらない事で市民同士が揉めている場合ではないのです。
恐れと不安におののきながら、何者かにすがり、依存していて耳と目を塞いでもこれだけ情報化された社会ですから、依存状態で居続けるという事のほうがむしろ難しい。依存したい人はすればいいし否定するつもりはありませんが、でも依存していてもおそらく多くの人はわかっているはずです。虚しさや無意味さが。この依存こそがインチキをしている連中の片棒を担いでいる事にもなる。
今、冷凍餃子で大騒ぎしています。どうせ談合記者クラブがリークを垂れ流しているだけですから、どこまでが事実で、どこまでがカバーストーリーなのかわかりません。この一連の問題で、誰が一番得をするのか考えてみましょう?
中国はそう簡単に全面的に認めて謝罪したり、賠償したりするわけありません。絶対に有り得ない。今の福田政権は媚中派ですから、中国との関係悪化となるような問題は厄介だと思うはずです。仮に中国側に全責任があるとして、それで国民が吹き上がれば、福田はそれなりに行動しなきゃならなくなります。しなきゃ不人気に直結する。中国も簡単には認めないに決まっている。だから原因は曖昧にしておいて、安全安心をなんとしても担保するという方向に話が流れて行きます。
そうすると誰が一番得をするのかというと、国民は不安におののき国に何とかしろ、規制だ!!って話に簡単になってしまう。出てくるのは役人がきちんと管理する、予算を増やして、ポストを増やしたり、天下るべき場所を増やしたり利権化されます。それが政治家にキックバックとしてかえって行く構造につながる。
例えば厚労省はそうじゃなくても、ボロボロです。社保庁、薬害、叩けばいくらでもホコリがでる。しかし国民の安心安全という感情に媚びれば、生き残りの道が開けます。食品の安心安全というのを間違いなく今ホットな利権です。そこにこの問題、何とも都合がいい。国民もそれにまんまと乗っかって恐れおののいている。
銃の問題で一頃大騒ぎしました。それで必ず出てくるのがしたり顔でメディアに出て来てくだらん啓蒙をするコメンテーターです。規制しろと。死んだ人が可哀想だとか、餃子食って腹壊しちゃって可哀想というのは確かにそう思います。偽装にしろ何にしろ、それでインチキして金儲けしている奴らは善悪でいえば悪でしょう。
しかしだから簡単に国の規制を呼び出し、みすみす利権化される事を国民自ら望み、メディアもそれを煽り、まんまと利権を貪る統治権力という構造につながる。統治権力がそもそも握っている恣意性には手が届かないし、国民が自ら進んで、後から後から統治権力が利権構造をこしらえる事を拍手喝采している。
安心安全は確かに担保するのが統治権力の責務です。しかしこれほど腐りきった統治権力であるにもかかわらず、あまりにもノーチェックで信用しすぎなのではないか?と思うわけです。簡単に信用してしまう。
自立して公正さを担保しようと思えば、依存しているよりも辛い現実にさらされるかもしれません。この搾取の構造でまがりなりにも生計を立てている国々の方々も困るかもしれない。だけどこの構造をそのまま許していれば、間違いなく我々もろくな未来はないし、貧しい国々の方々もこの構造からは絶対に出られない。
自立して向き合うにしてもそれぞれ人によって出来るレベルに差があるでしょう。NPOなどでバリバリ働く人もいるし、そう簡単に身動きがとれない人もいる。まずは知り、最低限のガバナンスとしての政治参加、投票行動。まずはそれだと思います。選挙にも行かない人が半分近くいるのに、行った事のない国々に思いを馳せても無力です。
政治なんて腐った連中ばかりで誰がなっても変わらない、かもしれませんが、少なくともNoは示す事が出来る。自ら手を汚して、腐った連中を時に非難し、時に応援して、監視されているというマインドを徹底的に統治権力に思い知らせるしか道はないと思います。
立ち位置をどうするのか?何となくは伝わったでしょうか?ようするに、無意味?だからどうした!!どうせ何も変わらない?それがどうした!!という事です。
次の記事でおでんくんとニセおでんくんに登場していただき締めくくらせていただきます。
ご質問の中身はだいたいこんな感じです。
「生きる糧として働いている子供達(貧しい国で人権もクソもなく生きる為に虐げられている)と消費する我々。彼らの生きる権利と我々の資本主義、大量消費の現実と・・。どう思われますか?
救うことは親切のつもりが傲慢という、話じゃないですけれど、
この現実を知って、諦めるのか、無関心でいるのか、傍観するのか、それとも何か行動するのか・・・
救うことは無理で、紛争にしてもそうですが、祈ったところで解決しない。むしろ、彼らの生活に関わるとしたら・・・」
中々ヘビーご質問。興味のない方はスルーでお願いします。
まずこの答えがわかれば、自分も日々こんな面倒くさい話をあれこれ書く必要もないかもしれず、その答えのなさに引き裂かれて、どうすりゃいいのさ、というのは同じです。その上で書きます。それでは始めます。
前回のネタで、まさにその事の向き合いかたのようなものが、ニセおでんくんが、最後に言った言葉の中に隠れているような気がします。
答えのわからなさ、無意味さ、でも、おでんくんとたまごちゃんは幸福を感じる事が出来た。おでんくんはデレデレ出来た。ニセおでんくんは命を助けてもらい、二人の幸福そうな顔を見る事が出来た。確かに無意味かもしれない、単なるエゴかもしれない、だけど、それでニセおでんくんもちょっと嬉しい気持ちになれた。
意味があるか、無意味か、それだけがすべてではないのが、人間と言う理不尽な生き物の業なのだと。
貧しい国を何とかするという超難問は答えがありません。堂々巡りでこの世界という無意味さ、生命という無意味さに意味を求めてしまった人間の最大の業、世界を社会というシステムに作り替えてしまった、知恵の実を食った人間が背負った原罪かもしれません。
資本主義と言う暴力性、グローバライゼーションと言う弱肉強食、格差だなんだと騒いでいても、生きるか死ぬかの極限状態に多くの人がさらされているわけではないこの国では、面倒くさいし、知っても何も出来ないし、俺達もその恩恵で食えているわけだし、まあいいんじゃない、そんな難しい話は別に。というジレンマに引き裂かれ、不可能性を突き付けられるが故に無関心と言う鎧を身にまとってしまう。
ハッキリ言っちゃえば貧しさに苦しんでいる方々は、結局は自分達で何とかするしかありません。我々には我々の生活もありますし、我々が介入するという事は、必ずアビトラリー、恣意的なものにならざるを得ない、我々の視点という介入しか出来ませんので、恣意性があればルサンチマン、怨みにつながってしまう。ルサンチマンは次の火種になる。
援助をしたり、募金をしたり、いろんな介入の方法はあるでしょう。しかしそれらは支配者達の車が高級車に代わり、贅沢な暮らしの補助をする。ようするに強いものの力を更に強くする事に貢献するだけで、間違いなく末端には行きません。よりエクスプロイト、搾取する構造を強化するだけです。
しかし弱肉強食は確かに自然の摂理かもしれませんが、この社会という共同幻想が生み出す弱肉強食は明らかに、社会というシステムを駆使する事によってエクスプロイトするシステムです。資本主義という制度を恣意的に駆使する事によって、永久に勝つ側が勝ち続けるシステムで、自然の摂理というより人為的なものです。
これほど徹底的な差を生み出している違いと言えば、たまたま生まれた場所の運がよかったかどうかの差だけです。無関心はそこに加担している事になる。
スタバでコーヒーを飲む。原産国には一円しか落ちません。原産国は幼い少女が売春をして家計を助けたりしている。我々はそれに金を払っているのに、原産国にたどり着くまでに、99%以上搾取されてしまう。そりゃいろいろ経費がかかるのはわかりますが、いくら何でも酷過ぎます。
勝つ側の連中、ようするに既得権を保持したい連中は、この搾取の構造を我々を共犯者に仕立て上げる事によって、諦めさせる、お前らだってこの構造の恩恵を受けているのだから偉そうに言うな!!という言葉に無力感を感じさせるというタクティクス、戦略をとってきます。
これに対して、確かにそうだけれど、お前らがそれを言うな!!という意志が必要なのではないかと感じるわけです。この搾取の構造で我々が共犯者として諦めてしまえば、この構造で得た利益が、政治家の懐に入り、政治家はそれらの企業を保護する内向きの戦略を取る、恣意的な制度を温存するという不公正さに胡座をかく連鎖を許す事につながります。
結果平等を唱える必要もないし、資本主義を否定する必要もありませんが、制度を利用し、恣意性を駆使し、不公正な競争を自由だとほざき、個人の自己責任に押し付けるような連中は許すべきではありません。まず我々の社会の不都合を何としても是正する意志をしめす。社会に潜む恣意性を正当化し、既得権を保持しようという力学に抗う。
文化と言うか、人の歴史は既得権の歴史とも言えます。我々すべてが既得権を握っている事も事実です。しかしだからと言って限度があるのではないでしょうか。飢え死にしたり、エイズでがんがん死んでいるような方々が沢山いるような国々を無視するという現実は例え無意味だとしても辛過ぎます。
我々はまずそのシステムを利用して利権を貪っている連中にNOと言い続ける。競争はいいけれど、お前らが言っているのはインチキな競争だ、自由でもなんでもない、不自由な枠に当てはめ、自由だと錯覚し、永久に搾取する側が勝ち続けるようなシステムじゃないか!!と。
こういう腐った連中がこの恣意性を自ら手放す蓋然性はゼロです。絶対に有り得ません。それにルールを作る側にロビイングをしたり、そのものであったりしますので、そんなものを是正するはずもない。
しかしそこに介入する手段がこの国ではきちんと担保されています。ただ全然機能していませんが、これは我々の選択によるものでもあります。諦めている。知ろうとしていない。知って、統治権力をきちんと監視する。これしかありません。そしてそれは我々が思い込まされている以上に強力な代物です。
原産国の虐げられている方々には彼らの戦いがあり、我々には我々の戦いがある。彼らはその戦いに勝てる見込みは今の所限りなくゼロに近い。しかし我々の戦いはきちんと強力な武器が担保されている。
我々がその戦いできちんと統治権力を監視し、国家権力を恣意的な暴力装置ではなくて、公平な競争を担保する装置に変える努力を示し、貧しい国々に外側から公平さを担保しろという圧力をかける。これしか救う手立てはないと思います。
企業も原産国の搾取の構造を利用しているくせに、そうじゃないと競争に勝てない!!とかほざきます。自らは例えば外資からの投資を敵対的買収だとか何だとかほざき、規制に守られ競争を免除されているにも関わらず、そういう所だけ競争主張する。資本主義の論理をほざく。
競争だ!!というのはいいでしょう。しかし非正規労働者のような人々を増やす事を正当化し、仮に今の競争に勝ち残れたとしても、それが日本社会を保全する事になっているのかと言えば、それでは子供の数など増えるわけないし、社会がちゃんと回っていなければ、結局企業は自分達の首を自分達でしめている事になる。短期的な逃げ切りしか考えていない。
そして利益の中から献金という金が政治家にキックバックされ、政治家もそれを擁護するような恣意性を強化する。そういう企業の広告収入を規制に守られ独占する事によって、一般人では考えられない高収入を得て利権を貪っている談合大手メディアの援護射撃に守られる。そういう連中が流す恣意的な情報に右往左往する一般市民。
これのどこが競争なのか?コイツらの握っている既得権維持の為のいいわけではないのか?腐れ談合メディアの利権だけでも、クロスオーナーシップ、再販価格制度、固定資産税免除、記者クラブ制度、数え上げればきりがない位、半ば犯罪に近い独占を規制によって守られている。先進国水準で考えれば、とてもじゃないけれど民主主義でもなければ、資本主義でもないような利権の巣窟です。
コネ入社のバカがテレビに出て来て、入社3年目で1000万を稼いでいます。コイツらの何がそれほど優れているというのか?何の価値を生み出しているのか?ただ単に電波一本独占しているだけで、台場や汐留にビルが建つわけです。その土地だって国有地を安く払い下げたものです。大手メディアの下ではキャノンの偽装請負と似たような構図があります。非正規社員から搾取している構造です。下請けの下請けの制作会社から搾取し、そこでは安い賃金で働いている人達がいる。大手談合メディアがキャノンのような会社を叩けないのは同じ事をしているからでもあるわけです。
能力主義や競争を煽るのはいいでしょう。そこは否定出来ない所がある。しかしこの国でいう所のそれは、あまりにも酷いインチキです。ここを突破せねばその先は絶望的です。しかし我々には抗う術がある。今、コイツらの腐敗やインチキはインターネットなどによって裸の王様状態です。インターネットを規制しようと目論んでいますが、そんなことを許しては、虐げられている国々を救う事なんて出来ない。まずは監視する。
既得権を握り競争を免除されているからには、それなりに社会に還元する義務があります。放っておいてもそんな事するつもりは毛頭ないに決まっています。詐欺に泥棒は監視出来ません。我々が監視するしかないのです。
我々一般市民も堕落した感受性でスポイルされた状態です。きれい事のオンパレード。ヒューマニズムを語っていながら、己の足下すら見ていない腐れ野郎が多過ぎます。
諦めてしまいたくなるような絶望的な状況のような気もしますが、実際に虐げられている国々の方々から比べれば天国です。抗う術もある。我々がここで声をあげねば彼らは永久に救われません。声をあげても可能性は限りなく小さいものでしかありませんがゼロではない。
こういった現実を一人でも多く知る、なんでこんな社会になっているのだろう?人間が罪深い俗物だから?日々の生活のほうが切実だから?生まれた場所が運がよかったから感謝すればそこで話は終わり?
人間がどうしようもないバカな存在であるのは事実かもしれませんが、少なくとも今の社会は特定の人々が、その諦めを利用し、制度を駆使しているわけです。
例え弱者を救う事が出来ないとしても、そこに声をあげる事が唯一我々が身近に出来る事なのではないかと思うわけです。無意味かどうかそんなことは後世が決めればいい事です。
この問題は答えはありません。どうすればいいかもありません。これで解決って方法もない。しかしこれはずっと昔から考えられ続けて来た、人類不滅の命題です。知るか?知らぬが仏か?依存か?自立か?西洋哲学などはまさにこの事を、初期ギリシャから延々と繰り返されて来たわけです。
依存を退け、自分の足で立ち、理不尽ゆえに我あり、不条理ゆえに我あり、とあえてこの身をさらし思考して行く事が、近代市民として成熟した姿なのではないのか?と思うわけです。そして我々は独ぼっちではありません。
意味があろうがなかろうが、出来る事が目の前にあり、どう考えても理不尽な状況も見えているし、どう見ても腐っている連中が好き勝手にやっている。くだらない事で市民同士が揉めている場合ではないのです。
恐れと不安におののきながら、何者かにすがり、依存していて耳と目を塞いでもこれだけ情報化された社会ですから、依存状態で居続けるという事のほうがむしろ難しい。依存したい人はすればいいし否定するつもりはありませんが、でも依存していてもおそらく多くの人はわかっているはずです。虚しさや無意味さが。この依存こそがインチキをしている連中の片棒を担いでいる事にもなる。
今、冷凍餃子で大騒ぎしています。どうせ談合記者クラブがリークを垂れ流しているだけですから、どこまでが事実で、どこまでがカバーストーリーなのかわかりません。この一連の問題で、誰が一番得をするのか考えてみましょう?
中国はそう簡単に全面的に認めて謝罪したり、賠償したりするわけありません。絶対に有り得ない。今の福田政権は媚中派ですから、中国との関係悪化となるような問題は厄介だと思うはずです。仮に中国側に全責任があるとして、それで国民が吹き上がれば、福田はそれなりに行動しなきゃならなくなります。しなきゃ不人気に直結する。中国も簡単には認めないに決まっている。だから原因は曖昧にしておいて、安全安心をなんとしても担保するという方向に話が流れて行きます。
そうすると誰が一番得をするのかというと、国民は不安におののき国に何とかしろ、規制だ!!って話に簡単になってしまう。出てくるのは役人がきちんと管理する、予算を増やして、ポストを増やしたり、天下るべき場所を増やしたり利権化されます。それが政治家にキックバックとしてかえって行く構造につながる。
例えば厚労省はそうじゃなくても、ボロボロです。社保庁、薬害、叩けばいくらでもホコリがでる。しかし国民の安心安全という感情に媚びれば、生き残りの道が開けます。食品の安心安全というのを間違いなく今ホットな利権です。そこにこの問題、何とも都合がいい。国民もそれにまんまと乗っかって恐れおののいている。
銃の問題で一頃大騒ぎしました。それで必ず出てくるのがしたり顔でメディアに出て来てくだらん啓蒙をするコメンテーターです。規制しろと。死んだ人が可哀想だとか、餃子食って腹壊しちゃって可哀想というのは確かにそう思います。偽装にしろ何にしろ、それでインチキして金儲けしている奴らは善悪でいえば悪でしょう。
しかしだから簡単に国の規制を呼び出し、みすみす利権化される事を国民自ら望み、メディアもそれを煽り、まんまと利権を貪る統治権力という構造につながる。統治権力がそもそも握っている恣意性には手が届かないし、国民が自ら進んで、後から後から統治権力が利権構造をこしらえる事を拍手喝采している。
安心安全は確かに担保するのが統治権力の責務です。しかしこれほど腐りきった統治権力であるにもかかわらず、あまりにもノーチェックで信用しすぎなのではないか?と思うわけです。簡単に信用してしまう。
自立して公正さを担保しようと思えば、依存しているよりも辛い現実にさらされるかもしれません。この搾取の構造でまがりなりにも生計を立てている国々の方々も困るかもしれない。だけどこの構造をそのまま許していれば、間違いなく我々もろくな未来はないし、貧しい国々の方々もこの構造からは絶対に出られない。
自立して向き合うにしてもそれぞれ人によって出来るレベルに差があるでしょう。NPOなどでバリバリ働く人もいるし、そう簡単に身動きがとれない人もいる。まずは知り、最低限のガバナンスとしての政治参加、投票行動。まずはそれだと思います。選挙にも行かない人が半分近くいるのに、行った事のない国々に思いを馳せても無力です。
政治なんて腐った連中ばかりで誰がなっても変わらない、かもしれませんが、少なくともNoは示す事が出来る。自ら手を汚して、腐った連中を時に非難し、時に応援して、監視されているというマインドを徹底的に統治権力に思い知らせるしか道はないと思います。
立ち位置をどうするのか?何となくは伝わったでしょうか?ようするに、無意味?だからどうした!!どうせ何も変わらない?それがどうした!!という事です。
次の記事でおでんくんとニセおでんくんに登場していただき締めくくらせていただきます。