前回の続きでござる!!
ここにチェック機能をビルトインするのだという風になると、まあ政権交代が手っ取り早いわけですが、そうなると民主党のクソさ加減にも問題が出てくるでしょう。与党をひっくり返すだけの数を考えれば民主党以外では確率は限りなく低い、でも民主党はクソ。困ったもんですが、この際、政治家なんてもんは全員クソだと我々が自覚して、民主党に政権を取らせる事が大切なのではなく、与党にノーと言う事が重要なのだという事を自覚するべきです。
そういう事を言うと、例えば外国人参政権の問題なんかで騒いでいる方々が非常に多いので、売国奴だなんて指をさすコミュニケーションに溢れていて厄介なんですが、反対の論拠はわかります。民主党を信用出来ないというのも気持ちはわかる。
だけど外国人に参政権を与える事がこの国に与える悪影響より、遥かに自民党のクソ共に公を牛耳られている方が悪影響なのではないかと思います。それにこの問題は所詮賛成にしろ反対にしろ、それが動員のツールになっているから政治家はいかにもやる気満々のそぶりを見せ騒いでいるだけで、国民の生活の為に騒いでいるわけではない事を自覚しましょう。
政治家はそれが票になるから利用しているに過ぎません。クソのような政治家の肩を持ち、動員に利用されて、結果的に自分達の首をいずれにせよ絞める事につながります。だからコイツらに、そういう単なるポジショナリティで政治家なんてやってんじゃねえよ、という意志を突き付ける事が重要なのではないかと思うわけです。
主に在日朝鮮や在日韓国系の方々に対する、恐れのようなものが反対派の背景にある事はわかりますし、言っている事もまあ理解出来ます。参政権がほしければ、帰化しろという論点もわかります。それに多くの場合、こういう事を言う人達は帰化の基準をもっと簡略化すべしなんて言ってもいますので、論理的にも理解出来ます。
強制連行というある種のネタをいつまでも利用して、在日特権を貪っている方々もいますからこれは大きな問題ではあるでしょう。ムカつく気持ちはわからないわけではありません。
しかし別にそんな事どうだっていいじゃねえかと思うわけです。そういう特権を貪り、国民を虐げている日本人だって、ありとあらゆる所にいくらでもいます。外人に選挙権を与えて不都合があるからと言ったって、人口減、先行き真っ暗の我が国は必ずどこかで移民を受け入れるなり何なりしないと回らなくなる可能性があります。その時に移民したいと思えないような国では移民だって来ません。
移民など受け入れると言うと恐れを抱く人もいるでしょう。それもわかります。しかしこの国の政治家にお任せの状態では、少子化対策なんて絶対やる気も無いし、社会保障だって知らん顔です。減っていく人口からより負担させる事しか、どうせ考えつくはずもありませんし、考える気もないでしょう。
それに現時点でも企業の研修制度などで、結構酷い待遇で働いている外国人の方々だっていっぱいいます。こういう方々は明らかに日本の経済を支えているわけです。日本人がキツいから、汚いから、カッコ悪いからと避けているような仕事を安い賃金、長い拘束時間に縛られながら働いています。
そういう問題についてどう考えるのかと言えば、自分はよっぽど売国奴の腐れ役人や、老害、腐れ政治家なんかより、この国のためになっているのではないかと思いますし、彼らを無視していることが、そういう人々のルサンチマンを生む原因にも直結しているような気がします。
ここが難しい所でそういう方々に例えば権利を与えてしまうと、賃金が上がってしまい、結果的に企業が負担出来なくなり働く場所を無くしてしまう可能性があるので、一概に権利を認めれば彼らが救われるわけではないのが難しい所でもあるのですが、そういう構造の上に我々は生きているという事をまず自覚すべきではないかと感じます。
もちろんけしからん奴もいるのでしょう。しかしそれは日本人とて同じ事です。昔は世界中の帝国主義国家が植民地を作り、奴隷を引っ張って来たり、現地で利用して富を吸い上げるという事をしていたわけですが、植民地という制度を国家がとれなくなってから顕在化しているのは、移民という奴隷制度です。もしくは不法滞在や不法入国という奴隷制度です。
ようするに不法であるという事を上手く利用すれば、労働賃金を買いたたけます。不法であるという事がバレれば国外退去になりますから我慢せざるを得ないし、そもそも働かせてもらえる所があるだけマシです。移民である人々は移民というだけで同じスタートラインには立てませんから、そこを利用した労働環境に叩き込む事が正当化出来ます。
それでこの状況はアメリカやヨーロッパでもずっと昔から起こっている現象で、グローバル化を押し進める事によって益々自由経済帝国主義は広がっています。
かつてサルトルなんかが指摘した論点なんですが、国家はこれに対して一応断固対処だ!!という姿勢は見せます。が、事実上黙認している状態で、植民地統治をせずコストをかけずに、自発的に奴隷をかき集める為のプラットフォームになっているわけです。
奴隷になっても仕事があるだけマシだと思うような環境に住んでいる方々というのは、市場経済やグローバル化によって痛めつけられている国々です。帝国主義を振りかざすのは野蛮な事なのだ、というコンセンサスは得られましたが、構造的には資本主義という暴力で弱い国を痛めつけて、奴隷として移民するなり不法滞在するしか方法が無い状態に叩き込んでいるわけです。
そしてそういう方々が国内にいるという事は、政治的な動員ツールにもなります。民族主義です。政治への不満の矛先を、他民族にそらす事によって、回避する。外国にそれをやると、最悪、暴走して戦争を引き起こす事にも直結しますが、国内を分断統治していれば、戦争の危険も無いし、コストをかけずに、国民をコントロール出来るというわけです。
外国人参政権、そこには確かに大きな矛盾があります。しかし国家権力に忠誠を尽くすのが愛国者ではない、民衆の幸福を考えるのが愛国心だと書きましたが、そういう意味で言えば、こういう構造に苦しめられている人々に手を差し伸べるのが本当のナショナリストであると思います。
政府に逆らう奴は反日分子だ、なんて騒いだ自民党の国会議員がいましたが、こういう奴こそ真っ先にぶち殺すのがナショナリズムであり、そういうバカに苦しめられている民衆がどこの国にもいるわけです。
そこを考えた時、外国人参政権なんて話は小さな話です。ハッキリ言えばどうでもいい。圧倒的なマジョリティは日本人なんですから、心配する事は無いと思います。
在日の方々は日本人の事が嫌いなのかもしれませんが、だから売り言葉に買い言葉では、いつまでたってもこの問題を動員のツールとして利用され続けるのみです。排除より包摂、それが多分未来を切り開く思考なんだろうと思うわけです。
意見のぶつかり合いはどんどんすべきですが、排除というのは必ず争いに帰結してしまいます。エクスクルーシブは純化していく発想に直結しますから、インクルーシブでなければコンフリクトの実りも無くなってしまいます。エクスクルーシブしてコンフリクトが起これば、それは悲惨な争いになってしまいます。
所詮政治家なんて誰がなってもクソなのですから、我々がきちんと監視する事を自覚出来れば何の問題もありません。クソの中から一番マシなクソを選ぶのが選挙なんですから、参政権がどうこうなんて問題はたいした問題じゃないのではないかと思うわけです。それよりもこのクソ共に利用される事の方が問題です。
いまガソリン国会なんて大騒ぎしていますが、これは結局、蛇口の開け閉めの話でしかありません。国家権力の恣意性には手が届きそうもなく、この先どうやって、山積している難問を切り抜けていくのかという経路も見えませんし、その青写真も描いていません。ただ単に政局がらみで国民の情緒を煽り、動員の為のツールとして使っているだけです。それは与党も野党も変わりません。しかしそうであっても選挙によって我々のチェックは絶対に必要です。
アメリカは80年代にレーガノミックスによって地方分権に舵を切り替え、今ではダウ平均採用の30の大企業のうち、ニューヨークに本社があるのは7社にすぎません、世界企業の殆どが、ニューヨーク以外の場所から生まれした。80年代は、マイクロソフト、インテル、オラクル、ウォルマート、90年代にはシスコシステムズ、ヤフー、アマゾン、グーグル、金融機関でさえ、ピムコ、テンプルトン、カーギルなど、地方からどんどんベンチャーが生まれてくる構造に組み替えて活性化させました。GEのような古い企業もニューヨークから出て行き生まれ変わりました。
それに比べて日本の方向性は全く逆行しています。地方を破綻に追い込んでも中央が生き残るなど考えられない舵取りです。日本の上場企業の五割の本社が東京であり、時価総額トップ50のうち38社の本社が東京にあります。そのなかで過去30年間に一から新しく出来た会社はソフトバンク一社のみです。3%の国土に8200万人が住み、97%の国土が活用されきっていません。観光の赤字は3兆円に達しています。土地の価格の高い都会に本社を置き、満員電車で長時間の通勤に耐える我が国の労働生産性は先進国のなかでも非常に低いレベルです。働き過ぎとか、日本的な経営とか、そういうのはもはや幻想にすぎません。一部の技術力が素晴らしいというだけです。
例えば高速道路を無料化する。世界一高い通行料金を誇る我が国のこの制度、中国だって立派でかつ無料の高速道路網によって、極めて効率的な流通システムを生み出しています。
資本主義というのはどんなに機会の平等を担保しようとしても、あらかじめ個人が持っていたり、企業が持っている初期手持ち量の格差というのが必ず存在します。個人であれば能力や生まれ、企業であれば知名度や資金力、そういうものの不平等というのは絶対に消えませんし是正しようもありません。
しかし例えば高速道路というのは非常に高い料金で、そのコストが負担出来る人にとって有利な状況を作り出しています。初期手持ち量の是正は出来なくとも、それ以外の機会の平等を担保して貰わねば、勝負しろつったって、初期手持ち量の差で勝つ方は絶対に決まっているというシステムでは、自由市場なんて全くイカサマです。
今の国家権力には全くそんな意識のかけらさえ見受けられません。この国の高速道路制度や醜い規制は、織田信長が登場する前の関所制度にそっくりです。信長は関所を撤廃し、楽市楽座を行う事によって、自国を富ませていきます。目先の権益に縛られて関所の通行料を踏んだくっていたのでは、国は発展しないと知っていたのです。
こんな関所的な発想なんて、いったいいつの時代の話なんだよ、というような制度を、この国は延々と取り続け、国民もそれが普通だと思ってしまっています。
高速道路を無料にすれば、地域格差是正、大都市の人口過密の是正、地方の観光事業の活性化、道路を作る以上の経済効果、様々ないい事がいっぱいあります。
高速道路は元々無料にするという前提の制度です。岸信介、アイゼンハワーで作った。これを田中角栄が変えた。最もその時点では必要だったのは確かでしょうが、料金と税金を高速道路ユーザーから二重取りしているおいしい制度です。これをいつまでも取り続けているのは、あまりにも前時代的です。国民もそれが普通だと思ってしまっている。
自動車ユーザーから取っている税金は9兆円近くもあります。欧米の1.5倍から7倍程度負担しています。消費税率が低いという論点を政治家のバカ共はよくほざきますが、消費税という所だけを見ると、確かにそうですが、それ以外の負担が桁違いに大きいのです。それは自動車ユーザーに限った事ではありません。
そして高速料金が3兆、消費税とほぼ同じで巨大な財源です。これが道路建設に使われて、5%つまり約6000億円が政治家の懐に落ちていく構造になっています。政治家の最大のビジネスモデルです。3兆が無くなれば、企業であれば売り上げが約3割減るわけですから、経営者ならどうやったって阻止するに決まっています。これが政治家のメンタルです。でもこれでは国民に還元されない、一部の既得権を握っている連中の間で金を回していても、未来には全くつながらない。
自民党や道路族の政治家の後援会の幹部は、実はみんな高速道路を無料化にした方が儲かる人達ばかりです。その事に政治家すら気付いていない。農家、農業団体、ガソリンスタンド、スーパーマーケット、観光、ありとあらゆる産業が潤う、つまり地方は、97%交通は自動車。高速料金が青森~東京間、往復5万円がただになれば、産直も簡単になるし、客もいっぱい呼び込める。地方では非常に大きなメリットがある。
利権を手放したくない連中が絶対に阻止したいと考えているだけで、大枠で考えれば、地方対策するのなら、人一人も首を切る必要も無いし景気を直接刺激する非常に効果的な方法です。欧米諸国では20~30%の車が高速道路を利用するのに対して、日本では僅か11%、高いコストをかけて作っても使われなければ意味がないのです。
道路公団民営化というのは、国鉄の民営化を単純に真似たような所がありました。世界の常識で言えば高速道路なんてものは無料が当たり前です。政治家に取っての基盤となる地元の経済権益という事を考えれば道を造るより街が出来た方が遥かに大きい。出入り口に街が一つずつ出来ていくと考えれば、とてつもない権益になります。
この建設需要の方が遥かに大きい、土建屋だって潤う。地方に病院やショッピングセンターが出来れば、地方に住み易くなるし、企業も進出し易くなります。郵政でも、年金でも、農業でもゼロサムの部分があったりしますが、これだけはそういう構造がありません。
高速道路が有料なのは当たり前だという感覚があります。島国なので外国を知らないだけです。ヨーロッパならこんなの成り立たちません。ある国でただなのに、ある国でバカ高い値段なんて取れない。日本人がそれを知らない事をいい事に延々と続けている。中国だって2万キロの高速道路が無料で開放されている。
地方を自立させたかったら、一番手っ取り早いのです。政治家も裏金をもらうなんていうやり方じゃパクられるリスクもあるわけですから、そんなリスクを取るよりよっぽど票稼ぎにも経済発展にもつながります。
地方の財源が無いと騒いでいるのだから、道路財源も地方へ全部移譲してしまって、作りたかったら道路を作らせて、あまった分は、教育でも何でも好きに使って良い事にする。そうすれば節約のインセンティブがはじめて働く事にもつながります。
流動化させると空洞化すると書きましたが、道路をわざわざ作ってそんな事をするのなら、もともとあるものをフル活用して、活性化をはかった方が経済効果はあります。
とまあどうやってこの国の経済や社会を浮上させていくのかというものが全く無いのが現状のこの国の統治権力のメンタルです。己の権益をいかに守るかという事に固執して、全体的なビジョンもクソも無い、場当たり的な、短期的な選挙対策ばかり。こういう連中であるという事を我々は認識すべきではないかと思います。
ベネディクト・アンダーソンの言葉を借りて、国家なんて「想像の共同体」に過ぎないと書きましたが、そうであっても、例え幻想だろうが何だろうが、実態としてそこに存在していますので、意味が無い事も事実です。
想像の共同体という化け物は我々の目の前にいて、我々の生活を浸食している。コイツらを監視出来るのは我々国民しかいません。その為には些細な事で国民同士揉めていたのでは、コイツらの思うつぼです。
政治家なんてものは我々の下僕なのですから、どんどんチェックして目一杯こき使ってなんぼです。本当に国民の為に汗をかいている政治家(いるのか疑問ですが)には敬意を表し、選挙で報いてやればいいのです。まあ本くらい買ってやってもいいかもしれません。
岡倉天心や大川周明、西洋的な学問を学んだ連中が、日本というのは包摂や多様性を尊重するのが日本人なんだと定義しました。新渡戸稲造や内村鑑三なんかも似たようなことを言ってます。
多様性や包摂とは言っても、そこにただ乗り野郎が出て来たりもしますので、一義的に多様性や包摂が素晴らしいと言い切る事は確かに出来ません。談合利権集団を包摂してしまったりもしますから。
やっぱり二元論的善悪、ルール主義をある程度厳格にせねばならない部分ももちろんあるでしょう。多様性や包摂が素晴らしい状態にするためには、人々の公的な貢献、パブリック・コントリビューションも重要です。
ようするにただ乗りするのではなく、それなりにコストを個人個人が負担する。それは金でという事だけではありません。様々な分野でです。選挙に行くというのはまず大前提です。
ルール主義というのも大切ですが、何の為のルールなのかというのも常に自覚する必要があります。亀田家なんかに吹き上がって、俺の感動をどうしてくれるんだ!!となってみたり、赤福には容赦はないけれど、日銀の政策には全くスルーではしょうがありません。
メディアには期待出来ませんので、そういう自覚も重要です。一日の賞味期限違いに烈火の如く怒るのもいいですし、ルールを破ってけしからんというのもわかりますが、一日、賞味期限が過ぎても腐るわけではありません。それを大量廃棄する社会ってルールは守っているけど善い社会なのか?と考えると、ルールなんてそんなものでしかありません。ルールを守ってみんなが不幸になっていたのでは意味がありません。
公的な貢献というと国家への貢献みたいな話になってしまいがちですが、国民が生きて行く為に必要なパブリックは国民の手である程度賄えばいいのです。それを何でもかんでも国家にお任せ状態だから、統治権力がつけあがる部分でもある。
いろいろ人が生きていればいろんな人がいる、気に食わない奴もいる、しかし本当に一番問題なのは統治権力者の腐ったマインドです。革命は無理なので、せめて選挙できちんとノーと言いましょう。
そういえば、橋下弁護士がまんまと大阪知事になりました。自分は以前、彼の光市事件に対する見方が気に食わなかったので散々書きました。個人的にはあまり共感も出来ないお人です。今は彼を持ち上げるメディアばかりですが、そのうち梯子をはずしてくる可能性は大です。あれこれ批判をぶつけて、メッタクソに叩く状況になるやもしれません。おそらくその時、自分は彼擁護のネタを書くのだろうななんて思いながら、長々と統治権力の腐りきったメンタルにあれこれ文句を言ってみました。
この話題はこれにてEND!!!
ここにチェック機能をビルトインするのだという風になると、まあ政権交代が手っ取り早いわけですが、そうなると民主党のクソさ加減にも問題が出てくるでしょう。与党をひっくり返すだけの数を考えれば民主党以外では確率は限りなく低い、でも民主党はクソ。困ったもんですが、この際、政治家なんてもんは全員クソだと我々が自覚して、民主党に政権を取らせる事が大切なのではなく、与党にノーと言う事が重要なのだという事を自覚するべきです。
そういう事を言うと、例えば外国人参政権の問題なんかで騒いでいる方々が非常に多いので、売国奴だなんて指をさすコミュニケーションに溢れていて厄介なんですが、反対の論拠はわかります。民主党を信用出来ないというのも気持ちはわかる。
だけど外国人に参政権を与える事がこの国に与える悪影響より、遥かに自民党のクソ共に公を牛耳られている方が悪影響なのではないかと思います。それにこの問題は所詮賛成にしろ反対にしろ、それが動員のツールになっているから政治家はいかにもやる気満々のそぶりを見せ騒いでいるだけで、国民の生活の為に騒いでいるわけではない事を自覚しましょう。
政治家はそれが票になるから利用しているに過ぎません。クソのような政治家の肩を持ち、動員に利用されて、結果的に自分達の首をいずれにせよ絞める事につながります。だからコイツらに、そういう単なるポジショナリティで政治家なんてやってんじゃねえよ、という意志を突き付ける事が重要なのではないかと思うわけです。
主に在日朝鮮や在日韓国系の方々に対する、恐れのようなものが反対派の背景にある事はわかりますし、言っている事もまあ理解出来ます。参政権がほしければ、帰化しろという論点もわかります。それに多くの場合、こういう事を言う人達は帰化の基準をもっと簡略化すべしなんて言ってもいますので、論理的にも理解出来ます。
強制連行というある種のネタをいつまでも利用して、在日特権を貪っている方々もいますからこれは大きな問題ではあるでしょう。ムカつく気持ちはわからないわけではありません。
しかし別にそんな事どうだっていいじゃねえかと思うわけです。そういう特権を貪り、国民を虐げている日本人だって、ありとあらゆる所にいくらでもいます。外人に選挙権を与えて不都合があるからと言ったって、人口減、先行き真っ暗の我が国は必ずどこかで移民を受け入れるなり何なりしないと回らなくなる可能性があります。その時に移民したいと思えないような国では移民だって来ません。
移民など受け入れると言うと恐れを抱く人もいるでしょう。それもわかります。しかしこの国の政治家にお任せの状態では、少子化対策なんて絶対やる気も無いし、社会保障だって知らん顔です。減っていく人口からより負担させる事しか、どうせ考えつくはずもありませんし、考える気もないでしょう。
それに現時点でも企業の研修制度などで、結構酷い待遇で働いている外国人の方々だっていっぱいいます。こういう方々は明らかに日本の経済を支えているわけです。日本人がキツいから、汚いから、カッコ悪いからと避けているような仕事を安い賃金、長い拘束時間に縛られながら働いています。
そういう問題についてどう考えるのかと言えば、自分はよっぽど売国奴の腐れ役人や、老害、腐れ政治家なんかより、この国のためになっているのではないかと思いますし、彼らを無視していることが、そういう人々のルサンチマンを生む原因にも直結しているような気がします。
ここが難しい所でそういう方々に例えば権利を与えてしまうと、賃金が上がってしまい、結果的に企業が負担出来なくなり働く場所を無くしてしまう可能性があるので、一概に権利を認めれば彼らが救われるわけではないのが難しい所でもあるのですが、そういう構造の上に我々は生きているという事をまず自覚すべきではないかと感じます。
もちろんけしからん奴もいるのでしょう。しかしそれは日本人とて同じ事です。昔は世界中の帝国主義国家が植民地を作り、奴隷を引っ張って来たり、現地で利用して富を吸い上げるという事をしていたわけですが、植民地という制度を国家がとれなくなってから顕在化しているのは、移民という奴隷制度です。もしくは不法滞在や不法入国という奴隷制度です。
ようするに不法であるという事を上手く利用すれば、労働賃金を買いたたけます。不法であるという事がバレれば国外退去になりますから我慢せざるを得ないし、そもそも働かせてもらえる所があるだけマシです。移民である人々は移民というだけで同じスタートラインには立てませんから、そこを利用した労働環境に叩き込む事が正当化出来ます。
それでこの状況はアメリカやヨーロッパでもずっと昔から起こっている現象で、グローバル化を押し進める事によって益々自由経済帝国主義は広がっています。
かつてサルトルなんかが指摘した論点なんですが、国家はこれに対して一応断固対処だ!!という姿勢は見せます。が、事実上黙認している状態で、植民地統治をせずコストをかけずに、自発的に奴隷をかき集める為のプラットフォームになっているわけです。
奴隷になっても仕事があるだけマシだと思うような環境に住んでいる方々というのは、市場経済やグローバル化によって痛めつけられている国々です。帝国主義を振りかざすのは野蛮な事なのだ、というコンセンサスは得られましたが、構造的には資本主義という暴力で弱い国を痛めつけて、奴隷として移民するなり不法滞在するしか方法が無い状態に叩き込んでいるわけです。
そしてそういう方々が国内にいるという事は、政治的な動員ツールにもなります。民族主義です。政治への不満の矛先を、他民族にそらす事によって、回避する。外国にそれをやると、最悪、暴走して戦争を引き起こす事にも直結しますが、国内を分断統治していれば、戦争の危険も無いし、コストをかけずに、国民をコントロール出来るというわけです。
外国人参政権、そこには確かに大きな矛盾があります。しかし国家権力に忠誠を尽くすのが愛国者ではない、民衆の幸福を考えるのが愛国心だと書きましたが、そういう意味で言えば、こういう構造に苦しめられている人々に手を差し伸べるのが本当のナショナリストであると思います。
政府に逆らう奴は反日分子だ、なんて騒いだ自民党の国会議員がいましたが、こういう奴こそ真っ先にぶち殺すのがナショナリズムであり、そういうバカに苦しめられている民衆がどこの国にもいるわけです。
そこを考えた時、外国人参政権なんて話は小さな話です。ハッキリ言えばどうでもいい。圧倒的なマジョリティは日本人なんですから、心配する事は無いと思います。
在日の方々は日本人の事が嫌いなのかもしれませんが、だから売り言葉に買い言葉では、いつまでたってもこの問題を動員のツールとして利用され続けるのみです。排除より包摂、それが多分未来を切り開く思考なんだろうと思うわけです。
意見のぶつかり合いはどんどんすべきですが、排除というのは必ず争いに帰結してしまいます。エクスクルーシブは純化していく発想に直結しますから、インクルーシブでなければコンフリクトの実りも無くなってしまいます。エクスクルーシブしてコンフリクトが起これば、それは悲惨な争いになってしまいます。
所詮政治家なんて誰がなってもクソなのですから、我々がきちんと監視する事を自覚出来れば何の問題もありません。クソの中から一番マシなクソを選ぶのが選挙なんですから、参政権がどうこうなんて問題はたいした問題じゃないのではないかと思うわけです。それよりもこのクソ共に利用される事の方が問題です。
いまガソリン国会なんて大騒ぎしていますが、これは結局、蛇口の開け閉めの話でしかありません。国家権力の恣意性には手が届きそうもなく、この先どうやって、山積している難問を切り抜けていくのかという経路も見えませんし、その青写真も描いていません。ただ単に政局がらみで国民の情緒を煽り、動員の為のツールとして使っているだけです。それは与党も野党も変わりません。しかしそうであっても選挙によって我々のチェックは絶対に必要です。
アメリカは80年代にレーガノミックスによって地方分権に舵を切り替え、今ではダウ平均採用の30の大企業のうち、ニューヨークに本社があるのは7社にすぎません、世界企業の殆どが、ニューヨーク以外の場所から生まれした。80年代は、マイクロソフト、インテル、オラクル、ウォルマート、90年代にはシスコシステムズ、ヤフー、アマゾン、グーグル、金融機関でさえ、ピムコ、テンプルトン、カーギルなど、地方からどんどんベンチャーが生まれてくる構造に組み替えて活性化させました。GEのような古い企業もニューヨークから出て行き生まれ変わりました。
それに比べて日本の方向性は全く逆行しています。地方を破綻に追い込んでも中央が生き残るなど考えられない舵取りです。日本の上場企業の五割の本社が東京であり、時価総額トップ50のうち38社の本社が東京にあります。そのなかで過去30年間に一から新しく出来た会社はソフトバンク一社のみです。3%の国土に8200万人が住み、97%の国土が活用されきっていません。観光の赤字は3兆円に達しています。土地の価格の高い都会に本社を置き、満員電車で長時間の通勤に耐える我が国の労働生産性は先進国のなかでも非常に低いレベルです。働き過ぎとか、日本的な経営とか、そういうのはもはや幻想にすぎません。一部の技術力が素晴らしいというだけです。
例えば高速道路を無料化する。世界一高い通行料金を誇る我が国のこの制度、中国だって立派でかつ無料の高速道路網によって、極めて効率的な流通システムを生み出しています。
資本主義というのはどんなに機会の平等を担保しようとしても、あらかじめ個人が持っていたり、企業が持っている初期手持ち量の格差というのが必ず存在します。個人であれば能力や生まれ、企業であれば知名度や資金力、そういうものの不平等というのは絶対に消えませんし是正しようもありません。
しかし例えば高速道路というのは非常に高い料金で、そのコストが負担出来る人にとって有利な状況を作り出しています。初期手持ち量の是正は出来なくとも、それ以外の機会の平等を担保して貰わねば、勝負しろつったって、初期手持ち量の差で勝つ方は絶対に決まっているというシステムでは、自由市場なんて全くイカサマです。
今の国家権力には全くそんな意識のかけらさえ見受けられません。この国の高速道路制度や醜い規制は、織田信長が登場する前の関所制度にそっくりです。信長は関所を撤廃し、楽市楽座を行う事によって、自国を富ませていきます。目先の権益に縛られて関所の通行料を踏んだくっていたのでは、国は発展しないと知っていたのです。
こんな関所的な発想なんて、いったいいつの時代の話なんだよ、というような制度を、この国は延々と取り続け、国民もそれが普通だと思ってしまっています。
高速道路を無料にすれば、地域格差是正、大都市の人口過密の是正、地方の観光事業の活性化、道路を作る以上の経済効果、様々ないい事がいっぱいあります。
高速道路は元々無料にするという前提の制度です。岸信介、アイゼンハワーで作った。これを田中角栄が変えた。最もその時点では必要だったのは確かでしょうが、料金と税金を高速道路ユーザーから二重取りしているおいしい制度です。これをいつまでも取り続けているのは、あまりにも前時代的です。国民もそれが普通だと思ってしまっている。
自動車ユーザーから取っている税金は9兆円近くもあります。欧米の1.5倍から7倍程度負担しています。消費税率が低いという論点を政治家のバカ共はよくほざきますが、消費税という所だけを見ると、確かにそうですが、それ以外の負担が桁違いに大きいのです。それは自動車ユーザーに限った事ではありません。
そして高速料金が3兆、消費税とほぼ同じで巨大な財源です。これが道路建設に使われて、5%つまり約6000億円が政治家の懐に落ちていく構造になっています。政治家の最大のビジネスモデルです。3兆が無くなれば、企業であれば売り上げが約3割減るわけですから、経営者ならどうやったって阻止するに決まっています。これが政治家のメンタルです。でもこれでは国民に還元されない、一部の既得権を握っている連中の間で金を回していても、未来には全くつながらない。
自民党や道路族の政治家の後援会の幹部は、実はみんな高速道路を無料化にした方が儲かる人達ばかりです。その事に政治家すら気付いていない。農家、農業団体、ガソリンスタンド、スーパーマーケット、観光、ありとあらゆる産業が潤う、つまり地方は、97%交通は自動車。高速料金が青森~東京間、往復5万円がただになれば、産直も簡単になるし、客もいっぱい呼び込める。地方では非常に大きなメリットがある。
利権を手放したくない連中が絶対に阻止したいと考えているだけで、大枠で考えれば、地方対策するのなら、人一人も首を切る必要も無いし景気を直接刺激する非常に効果的な方法です。欧米諸国では20~30%の車が高速道路を利用するのに対して、日本では僅か11%、高いコストをかけて作っても使われなければ意味がないのです。
道路公団民営化というのは、国鉄の民営化を単純に真似たような所がありました。世界の常識で言えば高速道路なんてものは無料が当たり前です。政治家に取っての基盤となる地元の経済権益という事を考えれば道を造るより街が出来た方が遥かに大きい。出入り口に街が一つずつ出来ていくと考えれば、とてつもない権益になります。
この建設需要の方が遥かに大きい、土建屋だって潤う。地方に病院やショッピングセンターが出来れば、地方に住み易くなるし、企業も進出し易くなります。郵政でも、年金でも、農業でもゼロサムの部分があったりしますが、これだけはそういう構造がありません。
高速道路が有料なのは当たり前だという感覚があります。島国なので外国を知らないだけです。ヨーロッパならこんなの成り立たちません。ある国でただなのに、ある国でバカ高い値段なんて取れない。日本人がそれを知らない事をいい事に延々と続けている。中国だって2万キロの高速道路が無料で開放されている。
地方を自立させたかったら、一番手っ取り早いのです。政治家も裏金をもらうなんていうやり方じゃパクられるリスクもあるわけですから、そんなリスクを取るよりよっぽど票稼ぎにも経済発展にもつながります。
地方の財源が無いと騒いでいるのだから、道路財源も地方へ全部移譲してしまって、作りたかったら道路を作らせて、あまった分は、教育でも何でも好きに使って良い事にする。そうすれば節約のインセンティブがはじめて働く事にもつながります。
流動化させると空洞化すると書きましたが、道路をわざわざ作ってそんな事をするのなら、もともとあるものをフル活用して、活性化をはかった方が経済効果はあります。
とまあどうやってこの国の経済や社会を浮上させていくのかというものが全く無いのが現状のこの国の統治権力のメンタルです。己の権益をいかに守るかという事に固執して、全体的なビジョンもクソも無い、場当たり的な、短期的な選挙対策ばかり。こういう連中であるという事を我々は認識すべきではないかと思います。
ベネディクト・アンダーソンの言葉を借りて、国家なんて「想像の共同体」に過ぎないと書きましたが、そうであっても、例え幻想だろうが何だろうが、実態としてそこに存在していますので、意味が無い事も事実です。
想像の共同体という化け物は我々の目の前にいて、我々の生活を浸食している。コイツらを監視出来るのは我々国民しかいません。その為には些細な事で国民同士揉めていたのでは、コイツらの思うつぼです。
政治家なんてものは我々の下僕なのですから、どんどんチェックして目一杯こき使ってなんぼです。本当に国民の為に汗をかいている政治家(いるのか疑問ですが)には敬意を表し、選挙で報いてやればいいのです。まあ本くらい買ってやってもいいかもしれません。
岡倉天心や大川周明、西洋的な学問を学んだ連中が、日本というのは包摂や多様性を尊重するのが日本人なんだと定義しました。新渡戸稲造や内村鑑三なんかも似たようなことを言ってます。
多様性や包摂とは言っても、そこにただ乗り野郎が出て来たりもしますので、一義的に多様性や包摂が素晴らしいと言い切る事は確かに出来ません。談合利権集団を包摂してしまったりもしますから。
やっぱり二元論的善悪、ルール主義をある程度厳格にせねばならない部分ももちろんあるでしょう。多様性や包摂が素晴らしい状態にするためには、人々の公的な貢献、パブリック・コントリビューションも重要です。
ようするにただ乗りするのではなく、それなりにコストを個人個人が負担する。それは金でという事だけではありません。様々な分野でです。選挙に行くというのはまず大前提です。
ルール主義というのも大切ですが、何の為のルールなのかというのも常に自覚する必要があります。亀田家なんかに吹き上がって、俺の感動をどうしてくれるんだ!!となってみたり、赤福には容赦はないけれど、日銀の政策には全くスルーではしょうがありません。
メディアには期待出来ませんので、そういう自覚も重要です。一日の賞味期限違いに烈火の如く怒るのもいいですし、ルールを破ってけしからんというのもわかりますが、一日、賞味期限が過ぎても腐るわけではありません。それを大量廃棄する社会ってルールは守っているけど善い社会なのか?と考えると、ルールなんてそんなものでしかありません。ルールを守ってみんなが不幸になっていたのでは意味がありません。
公的な貢献というと国家への貢献みたいな話になってしまいがちですが、国民が生きて行く為に必要なパブリックは国民の手である程度賄えばいいのです。それを何でもかんでも国家にお任せ状態だから、統治権力がつけあがる部分でもある。
いろいろ人が生きていればいろんな人がいる、気に食わない奴もいる、しかし本当に一番問題なのは統治権力者の腐ったマインドです。革命は無理なので、せめて選挙できちんとノーと言いましょう。
そういえば、橋下弁護士がまんまと大阪知事になりました。自分は以前、彼の光市事件に対する見方が気に食わなかったので散々書きました。個人的にはあまり共感も出来ないお人です。今は彼を持ち上げるメディアばかりですが、そのうち梯子をはずしてくる可能性は大です。あれこれ批判をぶつけて、メッタクソに叩く状況になるやもしれません。おそらくその時、自分は彼擁護のネタを書くのだろうななんて思いながら、長々と統治権力の腐りきったメンタルにあれこれ文句を言ってみました。
この話題はこれにてEND!!!