前回からの続きです。
戦前我々が中国に対して行った戦争、及び朝鮮半島に対して行った合邦政策、これらはいまだに謝罪バカ、断固決然アホによって国内でも対立は止みませんし、北東アジア諸国との溝も埋まりません。
この問題は例えば朝鮮半島の近代化は日本のおかげじゃないか!!当時の世界情勢で日本が取った選択肢はしょうがなかった!!一方、南京事件や強制連行、慰安婦問題等で、捏造してでも、日本は悪い事をしたんだ!!このような感じで。バカ左翼と腐れ保守のリソースです。
この論点はいつまでたってもまだやってんのか?と思わせる終わりなき不毛な論争です。靖国なんかも似たような所がある。重要なのはこれを煽っている御用学者や左翼学者いずれにせよ、この論点が飯のタネであり、金儲けである事を忘れてはなりません。
この論点がなくなればおまんま食い上げとまでは行かなくとも、おいしい飯のタネが無くなるわけですから、こういうカス共はそもそもこういった論点の存続こそを望んでいるだけで、解決なんて望んでもいません。本を書いたり、くだらん啓蒙をしてりゃ金になるのですから、これも一種の利権なのです。
だいたいこういった歴史なんて曖昧なものにクリアカットな答えなんてあるわけないのです。どんなに科学的な検証がなされようと、ビューポイントが違えば見え方は全く異なる事です。
したがって手打ち以外には絶対に有り得ない。それが外交ってもんです。手打ちじゃない外交なんて、真実に基づいた外交なんて絶対に有り得ないのです。有史以来一度もそんなものはないでしょう。だから歴史の真実なんて寝言をほざいている輩は、1000歩譲って、例えそれが本当に物理的客観的真実であったとしても、何の効力も持たない馬に念仏を唱えているようなものなのです。
真実かどうかはわきにおいて、多様な自国及び世界の歴史認識を学ぶ姿勢は無駄だとは言いません。それがストーリーであっても何かしら知るきっかけにはなるかもしれませんし。ただ外交上の手打ちとは別次元のファンタジーだと思っておいた方がまともです。
何の効力も無い、虚空に向かって拳を振り上げているようなもの、安倍晋三が北朝鮮に拳を振り上げていたようなもの、小泉純一郎が自民党をぶっ壊すと喚いていたようなものなのです。
安倍晋三は北朝鮮問題で人気を獲得した人間ですから、北朝鮮問題が解決してしまえば彼の最大のリソースは無くなってしまいます。だから解決する気なんてさらさらない。解決したかったら手打ちに持ち込む以外有り得ない。善悪で拳を振り上げて威張り散らしていても、絶対に解決なんてするわけない。小泉純一郎は自民党の議員ですから、そもそも無理です。確かに今の自民党は壊れていますが、結局なんだかんだで何も変わっていません。
そしてこういった言説に感染する人々というのを生み出す事によって政治的なリソースとして吸い上げられて利用されてしまうという構造がある事に目を向けるべきです。
この問題はそれぞれ言いたい事はあるでしょう。しかし事実は我々は中国と戦争をした。朝鮮半島を合邦した。これに対してそれぞれの思いが交錯しているわけです。
我々は当時自国の内戦もまともに管理出来ないような弱小国であった朝鮮半島と対等合邦、つまり日本人と朝鮮人の間に差別は無いと言って合邦しました。当時の情勢とか近代化に貢献したとかそういう事の前にまずその事実があるわけです。当然差別がないなんて有り得ません。
我々にとってはそんな事当たり前だろと思うかもしれません。弱小国と当時ロシアと世界最大級の戦争をしてこれを打ち破った列強帝国国家である日本が対等なんてあるわけない。
建て前で対等とは言ったって、守ってやってんだからそんなの言わなくてもわかるだろ?という本音と建て前のコミュニケーションに慣れている我々であれば、まあそりゃそうだよなと思ってしかるべきですが、彼らにはその論理は通用しません。平等だと言ったのに、差別したじゃないか、信用していたのに裏切ったじゃないか、バカにしていたじゃないか、となるわけです。
我々はたいして自覚していませんが嘘をついた事はまぎれも無い事実です。欧米諸国が植民地にたいして対等だなどとは絶対に言いませんでしたし、アメリカ人が黒人奴隷にたいして平等だなんて絶対に言いません。言うわけもないのです。そんなの嘘に決まっているからです。それを言うという事は解放宣言になるわけです。
日本はそういっておきながら解放したわけではありません。合邦し、差別したわけです。もちろん差別と言ったって、あからさまにやった人もいたでしょうし、そんな事は全然気にせず仲良くしようとした人もいたでしょう。
しかしこれらはいずれにせよ、上から目線にしかなりようがない。我々にそんな気が無くとも、そういう風に受け取られてしまう可能性はどうしたってなかったとは言えません。相対的に欧米の植民地政策の方が苛烈だった事はまぎれも無い事実ですし、それに比べりゃ日本は温情的であったというのは確かでしょう。実際に近代化の礎を築いたわけですから。
しかし嘘をついていた。これはまぎれもないのです。当時の情勢から考えれば日本の取りうる選択肢は、他に適切なものがなかったとも言えるかもしれません。
しかしそれは日本の安全保障の為であって、朝鮮半島の人々の為というのは方便に過ぎません。対等だと言い切るのはそもそも不可能な関係性にしかなりようがないのです。どんなに善意があったと言ったって、それは我々の側から見ているからそう見えるだけで、相手にとっては単なる押しつけで余計なお世話かもしれないわけです。日本人のわかりあえるというコミュニケーションに対する甘え、論理性のなさ、そこが何しろ問題なのです。
彼らは騙された、裏切られたという事を問題にしているのですから、彼らの嘘捏造を断罪しても、お前らが先に騙して来たんだろで話は終わってしまうのです。そして彼らの価値観では裏切った奴には何をしてもよいと思っています。
元々日清日露戦争だって朝鮮半島の自立の為、なんつって建て前では戦争したわけです。それで結果的に何をしたかと言えば、合邦したわけです。平等だと嘘をついて。
だから伊藤博文は暗殺されたわけです。安重根は勤王の志士という言い方だって出来ます。東亜の独立自尊の為の日清日露戦争だというのが、天皇の言葉だったわけですから、結果的に朝鮮独立論者だったとは言え、伊藤はこれに反した事になるわけです。その理念を信じて死んで行った日清日露の戦死者を裏切った事にもなる。だから逆賊である伊藤を殺した。と、安重根は言っているわけです。
理由はいろいろあるでしょう。当時の世界情勢のパワーゲーム、朝鮮半島の脆弱さ故の日本の安全保障、しかしその理由が何であれ嘘をついたというのは動かせない事実なのです。
初めからそんなきれいごとを言わないで、日本の安全保障の為にやったという事を認めればいいだけの話です。彼らは嘘つきと我々を断罪し、我々はそこをすっ飛ばして、恩恵も受けただろ、世界情勢を見てみろ、お前らの国内事情を学べとか言ったって通じるわけないのです。
中国だってそうです。我々は大東亜共栄圏とか、アジア主義とか言って何をしたのかと言えば、中国と戦争をしたわけです。つまり嘘をついた事になる。その部分はどんなにいいわけを言っても認めざるを得ません。彼らの論理では信頼を裏切るという事は何より重い罪です。何が原因かは問題じゃないのです。
だから何を言っても通じないわけです。近衛文麿のアホが何をしたのか、何で泥沼の戦争状態を必要としたのか、それは政治家や役人に取っての危機というリソースが利権だったからに他なりません。
確かにコミュニズムの台頭、開戦にいたる経緯いろいろ我々にも理由はあります。しかしこれらの理由はどこまでいっても我々の都合にしか聞こえないでしょう。
彼らからすればある次期を境にアジアを切って見捨てたとなるわけで、そこをすっ飛ばして、原因は何々のせいだ俺達は悪くないと言っても、でも嘘ついただろ、仲間だって言っていたくせに、となるわけです。それにしたって南京事件のようないい加減な捏造なんかしやがってとなっても、最初に裏切ったのはお前らじゃねえのかよとなってしまう。全然噛み合ないわけです。
そして左翼の連中も同じようなもんです。謝罪、土下座と謝っていても、単なる活動のリソースとして捏造に加担し利用しているわけです。友好を謳い、本音はただ単に利用している。
これではかつて彼らにやった二枚舌の本音と建て前を使い分けている事と何ら変わりません。だから彼らからいつまでたっても信頼を得られないわけです。捏造なんてものは歴史にはつきものですから、別にやりたかったらやればいいと思います。日本だって他所の国に偉そうな事を言えるような立派な嘘のない歴史を持っているわけでもありません。単なるフィクションです。
歴史というのは想像の共同体である国家が作り上げたフィクションで国家の数だけ存在します。国家間に厳格な線引きなど勝手に現在からさかのぼって引いているだけなので、アブストラクト及びネグレクトされた恣意的なものに過ぎません。いろんな国々の歴史を調べようとも、国家と国家の間をつなぐ、そこからこぼれているものまで考えないと全体像は見えてこないのです。
我々が営んでいる現在の日本というプラットフォームも都度都度書き換えられて来た代物です。戦国から江戸になった時に徳川幕府によって書き換えられ、江戸から明治の過程で新政府の正当性を主張する為に書き換えられ、そして戦後GHQによって書き換えられ、その時のステークホルダーによって都合良く書き換えてしまう程度のものなのです。
多様な見方があって当然でそういったものを弾圧する事の方がむしろ問題です。会津藩や豊臣の歴史がなぜ残っているのか、それはそういうものを気に食わなくとも認めざるを得ないし、語り継ぐ事は止められないからです。そしてそれを認めるだけの許容性があったのかもしれません。だから捏造かもしれないけれど、そんな事は止められない。
だけど活動のリソースや政治的イデオロギーのリソースとして他の国の方々を利用するのは止めた方がいい。それは何より彼らを侮辱した振る舞いです。戦前を断罪していても、マインドは何一つ変わっていない。押しつけは単なるマスターベーションです。
こういった論点で国民同士揉めていたり、外国に謝っているふりをしても、断固決然と吹き上がっていても、単に統治権力に取ってのリソースにしかなり得ません。いい加減そういう事で吹き上がっている左右のおバカさん達は指のさし合いをしていないで、国民の幸福の為に統治権力を監視するという目的の為に共闘するべきです。クズみたいな学者どもの金儲けに利用され、統治権力のゴミ野郎どものリソースになってる場合じゃないのです。
今現在、世界同時株安と言う問題に直面し、少し戻して来ていますが、世界はリセッションは避けられないなんて話も出て来ています。同時多発テロの衝撃と同じようなショックを市場は受けました。物理的な破壊と同じ規模です。
この国でもかつてバブルが弾けました。これは物理的な破壊があったわけではありませんが、経済的打撃は前大戦以上のものでした。物理的破壊が起こっていないし、直接その時は痛くも痒くもない人が大勢いるので、たいした問題とは思えないという風になるのもわかるのですが、経済的な打撃は物理的打撃によって起こる副作用と同じですから、それがバブルだろうが何だろうが無関係と思っている人であっても、最悪の場合、痛い目にあう事になります。
だから関係ないとは行かない状況にもう組み込まれて我々は生きているのです。食料自給率が4割を切っていても、エネルギー自給率が一桁でも、生きていられるのはグローバルな経済のおかげでもあるわけです。
しかしこの国の経済政策はあまりにも内向き、いったいいつの時代の話をしてんだよ!!という切り口ばかりです。そして国民もそれに簡単に乗せられてしまう。
小泉竹中ラインから安倍晋三まで、改革という事をとりあえず旗印に上げていました。これはある意味不可避な部分もある。制度的に開いていかないとどうにもならない部分もあったわけですが、彼らが行ったそれらの政策は非常に恣意的で、結局利権の構造が変わっただけでした。
この時、急激にアメリカ依存に切り替えた的な言われ方もされますが、これは80年代後半からの流れでした。特に小泉のときのやり方が、アメリカ追従があまりにも見え見えだったので、国民は次第に族議員、利権を残したい官僚の意見を垂れ流すマスコミに煽られて、改革に反対する人が増えていきます。
小泉にしろ安倍にしろポピュリズム的な手法はメディアも視聴率至上主義、もしくは発行部数至上主義ですから完全に翼賛体制でしたが、構造改革が進むと大手メディアは最も腐りきった談合利権集団、独占寡占のバリバリの規制に守られた不平等の頂点にいる存在ですから、当たり前ですが非常に危機感を感じるわけです。だから聖域に踏み込ませないように、世論を煽動するわけです。そういう意味では官僚や族議員と行動原理は全く同じです。
そして小泉も安倍もポピュリストですから、所詮人気取りとしてやっている側面があるので、不人気になればやる気を失ってしまいます。
安倍のときはそれが加速していって、かれは最終的にポシャりました。しかしこの時のアメリカ依存という政策はハッキリ言ってムカつきますが、国内の利権を残したい連中を黙らせる為には、アメリカがやれと言ってるのだ!!という印籠を出す必要があった事は否定出来ません。あまりにも抵抗は凄まじかったからです。
安倍は戦略があまりにも無さ過ぎたので、袋叩きにあってポシャってしまいましたが、国民が自覚すべきは、改革反対という言い方の裏に隠れている利権を取り戻したい浅ましい連中に踊らされていたという事です。
改革賛成と最初は小泉を担ぎ、利権構造をシフトさせる事を喝采し、自分達に分け前が回ってこないと知るや、逆の勢力に踊らされ、元通りに戻す事に加担してしまった。当然分け前なんて回ってくるはずありません。
我々が監視すべきなのはそれがどの程度国民のためになるのかという事で、彼らが我々を幸福にするつもりなど毛頭ないという事に無自覚でした。だからメディアの大合唱にまんまと乗せられて、元の木阿弥になってしまったわけですが、本来であれば改革を支持したのなら改革が足りないと怒るべきで、やっぱり昔がよかったという利権の綱引きに乗せられている場合ではないのです。小泉にしろ安倍にしろ、改革と言ったって、都合のいいところしかやってねぇじゃねぇか!!となるのが正しい怒りのぶつけ方です。
格差拡大、弱者切り捨てという言葉に人々は引き寄せられ、これらの政策は不人気になり、福田政権になって、結局全部凍結ばかりで、せっかく切り込んだ利権構造まで元に戻しています。
恣意性はもちろんの事、古い自民党の利権獲得が構造が全面に押し出されて来ています。小泉から安倍の路線というのは、社会が事後チェック型に変わり、そこに合わせて利権の構造をシフトさせたので、世界から観ると、古い体質を変えるかのような錯覚を与える事が出来ました。
しかし現在の利権構造を取り戻す運動は、昔のやり方のままなので、全然隠れていません。完璧に可視化できる状態です。人口が減り、子供の数が減り、老人ばかりの未来、政治家も役人も相も変わらず利権獲得競争に邁進し、借金なんてどこ吹く風、これでは日本の成長なんて有り得ないと思われて、失望売りになっても仕方のない事です。
小泉も安倍も福田ですら、国民の大多数が本当かどうか知りませんが、一応世論調査では支持していたとされています。いい加減気付いた方がいいのは、政治家なんてもんは基本的に国民の為になんて絶対に働かない。働くわけ無いのです。だから彼らが何か我々にとっていい政策を自発的に行うなんて事は有り得ません。絶対に有り得ない。
大手メディアが言っている事や、政治家の口車に乗せられていると、我々にとっての政策など永久に、未来永劫とらないと知るべきです。構造改革路線を国民は支持しましたが、結局変えたのは変え易い所のみで、本当に変えるべき所は全然変わっていません。それでも何もしないよりはマシかもしれませんが、それを先に進める事無く、結局戻っただけ、戻ったら戻ったで、またやっぱり改革が必要だとなるのでしょうか?
つづく!!
戦前我々が中国に対して行った戦争、及び朝鮮半島に対して行った合邦政策、これらはいまだに謝罪バカ、断固決然アホによって国内でも対立は止みませんし、北東アジア諸国との溝も埋まりません。
この問題は例えば朝鮮半島の近代化は日本のおかげじゃないか!!当時の世界情勢で日本が取った選択肢はしょうがなかった!!一方、南京事件や強制連行、慰安婦問題等で、捏造してでも、日本は悪い事をしたんだ!!このような感じで。バカ左翼と腐れ保守のリソースです。
この論点はいつまでたってもまだやってんのか?と思わせる終わりなき不毛な論争です。靖国なんかも似たような所がある。重要なのはこれを煽っている御用学者や左翼学者いずれにせよ、この論点が飯のタネであり、金儲けである事を忘れてはなりません。
この論点がなくなればおまんま食い上げとまでは行かなくとも、おいしい飯のタネが無くなるわけですから、こういうカス共はそもそもこういった論点の存続こそを望んでいるだけで、解決なんて望んでもいません。本を書いたり、くだらん啓蒙をしてりゃ金になるのですから、これも一種の利権なのです。
だいたいこういった歴史なんて曖昧なものにクリアカットな答えなんてあるわけないのです。どんなに科学的な検証がなされようと、ビューポイントが違えば見え方は全く異なる事です。
したがって手打ち以外には絶対に有り得ない。それが外交ってもんです。手打ちじゃない外交なんて、真実に基づいた外交なんて絶対に有り得ないのです。有史以来一度もそんなものはないでしょう。だから歴史の真実なんて寝言をほざいている輩は、1000歩譲って、例えそれが本当に物理的客観的真実であったとしても、何の効力も持たない馬に念仏を唱えているようなものなのです。
真実かどうかはわきにおいて、多様な自国及び世界の歴史認識を学ぶ姿勢は無駄だとは言いません。それがストーリーであっても何かしら知るきっかけにはなるかもしれませんし。ただ外交上の手打ちとは別次元のファンタジーだと思っておいた方がまともです。
何の効力も無い、虚空に向かって拳を振り上げているようなもの、安倍晋三が北朝鮮に拳を振り上げていたようなもの、小泉純一郎が自民党をぶっ壊すと喚いていたようなものなのです。
安倍晋三は北朝鮮問題で人気を獲得した人間ですから、北朝鮮問題が解決してしまえば彼の最大のリソースは無くなってしまいます。だから解決する気なんてさらさらない。解決したかったら手打ちに持ち込む以外有り得ない。善悪で拳を振り上げて威張り散らしていても、絶対に解決なんてするわけない。小泉純一郎は自民党の議員ですから、そもそも無理です。確かに今の自民党は壊れていますが、結局なんだかんだで何も変わっていません。
そしてこういった言説に感染する人々というのを生み出す事によって政治的なリソースとして吸い上げられて利用されてしまうという構造がある事に目を向けるべきです。
この問題はそれぞれ言いたい事はあるでしょう。しかし事実は我々は中国と戦争をした。朝鮮半島を合邦した。これに対してそれぞれの思いが交錯しているわけです。
我々は当時自国の内戦もまともに管理出来ないような弱小国であった朝鮮半島と対等合邦、つまり日本人と朝鮮人の間に差別は無いと言って合邦しました。当時の情勢とか近代化に貢献したとかそういう事の前にまずその事実があるわけです。当然差別がないなんて有り得ません。
我々にとってはそんな事当たり前だろと思うかもしれません。弱小国と当時ロシアと世界最大級の戦争をしてこれを打ち破った列強帝国国家である日本が対等なんてあるわけない。
建て前で対等とは言ったって、守ってやってんだからそんなの言わなくてもわかるだろ?という本音と建て前のコミュニケーションに慣れている我々であれば、まあそりゃそうだよなと思ってしかるべきですが、彼らにはその論理は通用しません。平等だと言ったのに、差別したじゃないか、信用していたのに裏切ったじゃないか、バカにしていたじゃないか、となるわけです。
我々はたいして自覚していませんが嘘をついた事はまぎれも無い事実です。欧米諸国が植民地にたいして対等だなどとは絶対に言いませんでしたし、アメリカ人が黒人奴隷にたいして平等だなんて絶対に言いません。言うわけもないのです。そんなの嘘に決まっているからです。それを言うという事は解放宣言になるわけです。
日本はそういっておきながら解放したわけではありません。合邦し、差別したわけです。もちろん差別と言ったって、あからさまにやった人もいたでしょうし、そんな事は全然気にせず仲良くしようとした人もいたでしょう。
しかしこれらはいずれにせよ、上から目線にしかなりようがない。我々にそんな気が無くとも、そういう風に受け取られてしまう可能性はどうしたってなかったとは言えません。相対的に欧米の植民地政策の方が苛烈だった事はまぎれも無い事実ですし、それに比べりゃ日本は温情的であったというのは確かでしょう。実際に近代化の礎を築いたわけですから。
しかし嘘をついていた。これはまぎれもないのです。当時の情勢から考えれば日本の取りうる選択肢は、他に適切なものがなかったとも言えるかもしれません。
しかしそれは日本の安全保障の為であって、朝鮮半島の人々の為というのは方便に過ぎません。対等だと言い切るのはそもそも不可能な関係性にしかなりようがないのです。どんなに善意があったと言ったって、それは我々の側から見ているからそう見えるだけで、相手にとっては単なる押しつけで余計なお世話かもしれないわけです。日本人のわかりあえるというコミュニケーションに対する甘え、論理性のなさ、そこが何しろ問題なのです。
彼らは騙された、裏切られたという事を問題にしているのですから、彼らの嘘捏造を断罪しても、お前らが先に騙して来たんだろで話は終わってしまうのです。そして彼らの価値観では裏切った奴には何をしてもよいと思っています。
元々日清日露戦争だって朝鮮半島の自立の為、なんつって建て前では戦争したわけです。それで結果的に何をしたかと言えば、合邦したわけです。平等だと嘘をついて。
だから伊藤博文は暗殺されたわけです。安重根は勤王の志士という言い方だって出来ます。東亜の独立自尊の為の日清日露戦争だというのが、天皇の言葉だったわけですから、結果的に朝鮮独立論者だったとは言え、伊藤はこれに反した事になるわけです。その理念を信じて死んで行った日清日露の戦死者を裏切った事にもなる。だから逆賊である伊藤を殺した。と、安重根は言っているわけです。
理由はいろいろあるでしょう。当時の世界情勢のパワーゲーム、朝鮮半島の脆弱さ故の日本の安全保障、しかしその理由が何であれ嘘をついたというのは動かせない事実なのです。
初めからそんなきれいごとを言わないで、日本の安全保障の為にやったという事を認めればいいだけの話です。彼らは嘘つきと我々を断罪し、我々はそこをすっ飛ばして、恩恵も受けただろ、世界情勢を見てみろ、お前らの国内事情を学べとか言ったって通じるわけないのです。
中国だってそうです。我々は大東亜共栄圏とか、アジア主義とか言って何をしたのかと言えば、中国と戦争をしたわけです。つまり嘘をついた事になる。その部分はどんなにいいわけを言っても認めざるを得ません。彼らの論理では信頼を裏切るという事は何より重い罪です。何が原因かは問題じゃないのです。
だから何を言っても通じないわけです。近衛文麿のアホが何をしたのか、何で泥沼の戦争状態を必要としたのか、それは政治家や役人に取っての危機というリソースが利権だったからに他なりません。
確かにコミュニズムの台頭、開戦にいたる経緯いろいろ我々にも理由はあります。しかしこれらの理由はどこまでいっても我々の都合にしか聞こえないでしょう。
彼らからすればある次期を境にアジアを切って見捨てたとなるわけで、そこをすっ飛ばして、原因は何々のせいだ俺達は悪くないと言っても、でも嘘ついただろ、仲間だって言っていたくせに、となるわけです。それにしたって南京事件のようないい加減な捏造なんかしやがってとなっても、最初に裏切ったのはお前らじゃねえのかよとなってしまう。全然噛み合ないわけです。
そして左翼の連中も同じようなもんです。謝罪、土下座と謝っていても、単なる活動のリソースとして捏造に加担し利用しているわけです。友好を謳い、本音はただ単に利用している。
これではかつて彼らにやった二枚舌の本音と建て前を使い分けている事と何ら変わりません。だから彼らからいつまでたっても信頼を得られないわけです。捏造なんてものは歴史にはつきものですから、別にやりたかったらやればいいと思います。日本だって他所の国に偉そうな事を言えるような立派な嘘のない歴史を持っているわけでもありません。単なるフィクションです。
歴史というのは想像の共同体である国家が作り上げたフィクションで国家の数だけ存在します。国家間に厳格な線引きなど勝手に現在からさかのぼって引いているだけなので、アブストラクト及びネグレクトされた恣意的なものに過ぎません。いろんな国々の歴史を調べようとも、国家と国家の間をつなぐ、そこからこぼれているものまで考えないと全体像は見えてこないのです。
我々が営んでいる現在の日本というプラットフォームも都度都度書き換えられて来た代物です。戦国から江戸になった時に徳川幕府によって書き換えられ、江戸から明治の過程で新政府の正当性を主張する為に書き換えられ、そして戦後GHQによって書き換えられ、その時のステークホルダーによって都合良く書き換えてしまう程度のものなのです。
多様な見方があって当然でそういったものを弾圧する事の方がむしろ問題です。会津藩や豊臣の歴史がなぜ残っているのか、それはそういうものを気に食わなくとも認めざるを得ないし、語り継ぐ事は止められないからです。そしてそれを認めるだけの許容性があったのかもしれません。だから捏造かもしれないけれど、そんな事は止められない。
だけど活動のリソースや政治的イデオロギーのリソースとして他の国の方々を利用するのは止めた方がいい。それは何より彼らを侮辱した振る舞いです。戦前を断罪していても、マインドは何一つ変わっていない。押しつけは単なるマスターベーションです。
こういった論点で国民同士揉めていたり、外国に謝っているふりをしても、断固決然と吹き上がっていても、単に統治権力に取ってのリソースにしかなり得ません。いい加減そういう事で吹き上がっている左右のおバカさん達は指のさし合いをしていないで、国民の幸福の為に統治権力を監視するという目的の為に共闘するべきです。クズみたいな学者どもの金儲けに利用され、統治権力のゴミ野郎どものリソースになってる場合じゃないのです。
今現在、世界同時株安と言う問題に直面し、少し戻して来ていますが、世界はリセッションは避けられないなんて話も出て来ています。同時多発テロの衝撃と同じようなショックを市場は受けました。物理的な破壊と同じ規模です。
この国でもかつてバブルが弾けました。これは物理的な破壊があったわけではありませんが、経済的打撃は前大戦以上のものでした。物理的破壊が起こっていないし、直接その時は痛くも痒くもない人が大勢いるので、たいした問題とは思えないという風になるのもわかるのですが、経済的な打撃は物理的打撃によって起こる副作用と同じですから、それがバブルだろうが何だろうが無関係と思っている人であっても、最悪の場合、痛い目にあう事になります。
だから関係ないとは行かない状況にもう組み込まれて我々は生きているのです。食料自給率が4割を切っていても、エネルギー自給率が一桁でも、生きていられるのはグローバルな経済のおかげでもあるわけです。
しかしこの国の経済政策はあまりにも内向き、いったいいつの時代の話をしてんだよ!!という切り口ばかりです。そして国民もそれに簡単に乗せられてしまう。
小泉竹中ラインから安倍晋三まで、改革という事をとりあえず旗印に上げていました。これはある意味不可避な部分もある。制度的に開いていかないとどうにもならない部分もあったわけですが、彼らが行ったそれらの政策は非常に恣意的で、結局利権の構造が変わっただけでした。
この時、急激にアメリカ依存に切り替えた的な言われ方もされますが、これは80年代後半からの流れでした。特に小泉のときのやり方が、アメリカ追従があまりにも見え見えだったので、国民は次第に族議員、利権を残したい官僚の意見を垂れ流すマスコミに煽られて、改革に反対する人が増えていきます。
小泉にしろ安倍にしろポピュリズム的な手法はメディアも視聴率至上主義、もしくは発行部数至上主義ですから完全に翼賛体制でしたが、構造改革が進むと大手メディアは最も腐りきった談合利権集団、独占寡占のバリバリの規制に守られた不平等の頂点にいる存在ですから、当たり前ですが非常に危機感を感じるわけです。だから聖域に踏み込ませないように、世論を煽動するわけです。そういう意味では官僚や族議員と行動原理は全く同じです。
そして小泉も安倍もポピュリストですから、所詮人気取りとしてやっている側面があるので、不人気になればやる気を失ってしまいます。
安倍のときはそれが加速していって、かれは最終的にポシャりました。しかしこの時のアメリカ依存という政策はハッキリ言ってムカつきますが、国内の利権を残したい連中を黙らせる為には、アメリカがやれと言ってるのだ!!という印籠を出す必要があった事は否定出来ません。あまりにも抵抗は凄まじかったからです。
安倍は戦略があまりにも無さ過ぎたので、袋叩きにあってポシャってしまいましたが、国民が自覚すべきは、改革反対という言い方の裏に隠れている利権を取り戻したい浅ましい連中に踊らされていたという事です。
改革賛成と最初は小泉を担ぎ、利権構造をシフトさせる事を喝采し、自分達に分け前が回ってこないと知るや、逆の勢力に踊らされ、元通りに戻す事に加担してしまった。当然分け前なんて回ってくるはずありません。
我々が監視すべきなのはそれがどの程度国民のためになるのかという事で、彼らが我々を幸福にするつもりなど毛頭ないという事に無自覚でした。だからメディアの大合唱にまんまと乗せられて、元の木阿弥になってしまったわけですが、本来であれば改革を支持したのなら改革が足りないと怒るべきで、やっぱり昔がよかったという利権の綱引きに乗せられている場合ではないのです。小泉にしろ安倍にしろ、改革と言ったって、都合のいいところしかやってねぇじゃねぇか!!となるのが正しい怒りのぶつけ方です。
格差拡大、弱者切り捨てという言葉に人々は引き寄せられ、これらの政策は不人気になり、福田政権になって、結局全部凍結ばかりで、せっかく切り込んだ利権構造まで元に戻しています。
恣意性はもちろんの事、古い自民党の利権獲得が構造が全面に押し出されて来ています。小泉から安倍の路線というのは、社会が事後チェック型に変わり、そこに合わせて利権の構造をシフトさせたので、世界から観ると、古い体質を変えるかのような錯覚を与える事が出来ました。
しかし現在の利権構造を取り戻す運動は、昔のやり方のままなので、全然隠れていません。完璧に可視化できる状態です。人口が減り、子供の数が減り、老人ばかりの未来、政治家も役人も相も変わらず利権獲得競争に邁進し、借金なんてどこ吹く風、これでは日本の成長なんて有り得ないと思われて、失望売りになっても仕方のない事です。
小泉も安倍も福田ですら、国民の大多数が本当かどうか知りませんが、一応世論調査では支持していたとされています。いい加減気付いた方がいいのは、政治家なんてもんは基本的に国民の為になんて絶対に働かない。働くわけ無いのです。だから彼らが何か我々にとっていい政策を自発的に行うなんて事は有り得ません。絶対に有り得ない。
大手メディアが言っている事や、政治家の口車に乗せられていると、我々にとっての政策など永久に、未来永劫とらないと知るべきです。構造改革路線を国民は支持しましたが、結局変えたのは変え易い所のみで、本当に変えるべき所は全然変わっていません。それでも何もしないよりはマシかもしれませんが、それを先に進める事無く、結局戻っただけ、戻ったら戻ったで、またやっぱり改革が必要だとなるのでしょうか?
つづく!!