前回の続きです。
天皇陛下万歳はそもそも右翼とは関係ないと前回書きましたが、個人的には三島由紀夫が言ったように、天皇の人間宣言は非常に残念な気持ちがあります。自分は普通の一般の人々と大差ない程度に敬愛はしておりますが、別に天皇家をあおぎ奉っているわけではありません。
そしてあれだけどこに行っても、子供を産むにしても、何もかも一挙手一投足で縛られた方々を見ていると痛々しく感じます。動物園のパンダじゃあるまいし、人権もクソもあったもんじゃありません。そういう権利が彼らに認められるのかどうかは知りませんが、虐待もいい所です。
戦前も戦後も、いつまでたっても全国民が依存して甘えているわけです。それでもその期待に答えようと常に隙のない振る舞いをされている姿を見るにつけ、凄い方々なんだなぁと感じます。
しかし彼らの為に命をかけるなんてのは御免被りたいとも思っています。にもかかわらず何で人間宣言を悔やんでいるのかと言うと、革命の玉としての機能を、完璧にアメリカの奴隷政権に骨抜きにされて囲われているからです。
國體の護持という言葉を旗印にして、前大戦で散々多くの人々が犠牲になりました。どんな理由があるにせよ、玉砕だの特攻だのなんてのは作戦じゃありません。カルト教団じゃあるまいし、それを権力者が強いるのはどんな理由があっても問題外です。
しかし実際には降伏したらアッサリ天皇を差し出しているわけですから、そこで使われた國體の護持なる言葉は要するにステークホルダーの自己保身に過ぎません。こんなものはクソ喰らえです。
天皇と言うシステムを守らないと、今後革命の可能性が無くなるという意味においては、手打ちでも何でもして多少屈辱的な思いをしてでも、被害を最小限に食い止めて、このシステムは残すべきだったと思ってしまうわけなのです。
日本というのは歴史上、普段は殆ど天皇の存在に光が当たる事などありませんでしたが、権力が入れ替わり、新しい時代を築く時、天皇と言うレジティマシーの源を利用して、正統性を調達するという事を繰り返して来ました。政権がひっくり返っても、天皇がお墨付きを与えれば正統性を確保できた。権威を得る事が出来たわけです。
徳川家が何で征夷大将軍だったかと言えば朝廷のお墨付きを得られたからですし、その将軍家に楯突いた薩長が正統性を得られたのも天皇の錦旗を利用したからに他なりません。GHQが戦後この国を変えた時、それにみんなが従ったのも天皇を殺さなかったからであり、天皇がそれを望むと言ったからです。そういう歴史転換の超システムであった天皇と言うシンボルはもうその機能は完全に失っています。戦後教育、バカメディア、そしてこの国の政治によって。
革命の可能性が絶対に有り得なければ、当たり前ですが統治権力は腐敗します。所詮選挙とか言ったって、アメリカが設計したプラットフォームの上での事。根本から根こそぎひっくり返すなんて不可能です。ロックが言ったように民主主義というのは革命権とセットになっていないと機能しない代物です。アメリカ人が何で銃を手放さないのか、それはそういう所と密接な関係があるわけです。ただ銃は危険だという視点で野蛮だのなんだの日本のバカメディアは騒ぎますが、それは本質を見ていないのかわざとやっているのか知りませんが、片側だけの問題です。
現に政権交代が起こったってどうせ何も変わらないと多くの国民が諦めてもいる。仮にも総理大臣と野党第一党の党首が、アメリカ依存の安全保障から国連中心主義に変えるという、戦後レジームの大転換を謳っても、どうせそんなの無理だろ、ネタに決まっている、という風に多くの人々が見ている。アメリカ追従がよりやり易くする為に、国家の根幹の部分である憲法改正は簡単にやろうぜって話になるのは受け入れても、テロ特は何が何でも出さなきゃマズいと、アメリカですらどうでもいいと思っているのに、なんとかご機嫌を取ろうと、国民の生活なんてそっちのけで必死になっているのには、まあしょうがねえかって感じになる。
これらは戦後体制という呪縛から抜け出す方法もないし、その為のリソースも無いし、最大のリソースであったはずの、天皇を今の戦後体制の政府が骨を抜いて囲っているからでもあるわけです。
そのまんま知事なんかが政策協議の枠組みをぶち上げたりしていますが、仮に彼らの手元に、かつての天皇というリソースがあったら、天皇が支持するなり、「頑張って下さい」という言葉一つにせよ、事態は全然違うものになっているかもしれません。そういった可能性、政府に緊張感を持たせる可能性、いつひっくり返るかわからないという可能性がないのです。
戦乱に明け暮れていた時代から平和な時代に転換するとか、鎖国というのはフィクションなんですが、内向きの戦略から、新政府によって開国し、国際社会の荒波に乗り出すとか、そういった今までのパラダイムをがらりと変える変更なんて出来ない社会になってしまっている。だから選挙くらいじゃ所詮変わらないという雰囲気にもなってしまうわけです。
だからと言って、今現在、天皇の超システムを復活させることが仮に出来たとしても、多くの国民のマインドは書き換えられていますから、レジティマシーの源にはならないでしょう。ですから今さらそんな事を望んでも無駄なのですが、この国の出口のなさの理由はそんな所にもあるのではないかと思うわけなのです。
本当なら気に食わなければ、デモ、スト、暴動で抗えばいいのですが、この国はそういうマインドがありません。欧米の人が一番ビックリするのは、例えばワーキングプアにしろ、非正規労働者達にしろ、何で連帯して戦わないんだ?と不思議がります。そんな酷い事をされているのなら、なんでみんなで連帯して意見を言わないのだ?と。そういった我らのマインドも戦後体制によって、教育、メディア、統治権力者によって完全に骨が抜かれてしまっています。フランスなんかの暴動を野蛮だと言う片側だけしか啓蒙しません。
結局の所、選挙しか我々には手段がありませんので、民主党なんてクソみたいな政党ですが、とにかく与党にノーと突き付ける、これが今一番重要な事なのは確かです。
政権交代が起こっても監視して気に食わなければノーと言い続ける。どこが政権政党になってもクソなのは変わらないので、まずは我々のチェック機能を政権交代がいつでも起こるという状況にしてビルトインする。これしかありません。
詐欺に詐欺仲間はチェック出来ません。統治権力に身を置く存在すべてに対して、緊張感を持たせる。この事が出来るのなら天皇に依存してレジームチェンジを望むより、もっと高い民度を獲得出来ますので、劇的な転換は無理にしても、変えていく可能性は十分あります。それに劇的な変更は、多くの痛みを伴います。平和的に変えていくにはむしろその方がいいでしょう。
今、国民の幸福を踏みにじる俗物どもがやりたい放題の状況です。今の政府はもう完全にフラグが立っているので、あんまりああだこうだ言うのもバカらしくて避けていましたが、もう次の選挙なんて悠長な事は言ってられない位の劣化ぶりです。バカ過ぎて話にならなすぎる。小学生もビックリの国語力、ちょっと未来の事すら想像出来ない想像力の完璧な欠如、このバカどもにノーと言いましょう。
国家権力というのは、不安をベースにして、利権を確保します。だから国民全員が幸福になるような政策なんて、物理的に無理だと言う前に、そもそも取る気がありません。ある程度不安に右往左往している連中が多ければ多いほど、この豚どもの権益は増えます。
コイツらを自覚させる為には国民の意志を突き付ける以外に無い、政策がどうとかこうとか難しい事なんて考えなくてもいいのです。今幸福かどうか、統治権力は我々を幸福にしてくれているのか、その一点でそう思えないのなら、どんどんノーと言いましょう。そうしないと奴らは絶対何もしません。するわけ無いのです。
そして国民同士ムカつく思想信条を言う奴もいるでしょう。しかしこれで国民が分断されていたのでは意味がありません。ある意味それは統治権力に取っておいしいリソースでもあるからです。
B層がどうとか、ゆとり教育がどうとか、モンスターペアレントがどうとか、右翼だから、左翼だから、そんな事で国民同士が傷つけあっていたのでは、永久に国家権力の統治のリソースとして利用され続けるのみです。
確かに権利ばかり主張して義務を果たさないけしからん奴がいる、というご意見はまあわかります。しかしその前に統治権力を見て、こんな腐れバカの詐欺師どもに、なんでせっかく働いた金を貢がなきゃなんねぇんだ、というのはある意味真っ当な主張です。
国民の義務というのは憲法に規定されていますので、国家が国民を縛るものだと勘違いしている人が多いと思いますが、憲法というのは統治権力が守るべき覚え書きです。我々を縛るものではない。まずしっかりと国民の幸福や安全を担保出来る統治権力が前提なのです。
その上で、我々が義務を果たしているのに、義務を果たさない奴がいるのは迷惑だから取り締まれと、我々が国家権力に命令しているのです。そもそもの統治権力の義務を放棄しているような害虫どもが国民からネコババする為の決まりじゃありません。これは立憲主義の大前提です。こんな当たり前の常識すらわかっていない、サメ並の脳味噌しか持たないアホばかりなのが、我々が選択している政府の実情なのです。このウジ虫どもがネコババする為に国民を煽動して分断統治をするためのリソースとして利用されないようにしましょう。
それは諸外国に対する思いも同じです。最近では捕鯨問題で、オーストラリア人やグリーンピース、シーシェパード等に対してなんだコイツら的な気持ちもあろうかと思います。
しかし重要なのは日本政府の曖昧さに世界は怒っているのです。捕鯨して、それが市場に食料として高価で取引される。供給がタイトにならざるを得ませんので、こんなたいして旨くもクソも無い食い物に、バカ高い値段がつく。そして高価であればあるほど密猟が後を絶ちません。
クジラなんて別に普通に生きてりゃ食わなくとも生きて行けます。これも一つの利権なのです。おそらく食料としてどうしても必要だからという理由であれば、どこの国も反対なんかしないでしょう。
科学的にクジラの数がどうとかこうとかって話はもちろんあるでしょう。細かいデータははぶきますが、これを論点にしても確認する事は出来ませんから不毛です。正確に数字を把握するなんて物理的に不可能な話です。
これは環境問題なんかとも直結する話なので書いておきますが、例えば種の絶滅なんかで言いますと、2000年までに100万種が絶滅するという予想や、全種の50%が滅ぶと言う予想もありました。しかしこれらは単なる一つの見解、又は証拠の裏付けのない偏見でしかありませんでした。今現在地球にどれだけの種が生存しているのか誰も知らないからです。推定では300万~400万種です。かなり幅があって実際の所、誰もわかっていない。どれだけの種がいるのかわからない以上、どれだけの種が絶滅しているのかもわかりようがない。財布にいくら入っているのか知らないのに、いくら盗まれたかなんてわかるわけない。新種の数だけでも毎年1万5000種にものぼると言われています。
種の個体数をどうやって計測するのか、絶滅したとどうやって判断するのかと言いますと、ある区画を区切って、その区画内にいる、すべての昆虫、動植物の個体を一つずつ数えていきます。そして数年たったら、また同じ区画内で、同じように数える。昆虫はその区画内から出て他に移っているかもしれないし、そもそもこんなやり方で正確な計測など望めるわけありません。データなんてもんは所詮その程度のものでしかありません。
しかし日本がバッシングされている理由は日本政府の曖昧さ、調査捕鯨とか言ったって、結局金儲けであり、その事が市場に流れを与え実態の掴めない違法な商行為につながっている。日本にそんな管理能力なんてあるわけないと思われている。口ではうまい事を言っていても、絶対に誤摩化す連中だという事をどこの国もコンセンサスとして思っているので、叩かれるわけです。深刻な事故を起こしても「安全だ」「きちんと管理出来る」と言った感じで隠蔽体質は酷い状況です。そんな国に資源管理なんて出来るわけないと考えるのは当然と言えば当然なのです。
残酷だからとか言ったって、お前らだって肉食っているじゃねえかという論点に煽られて諸外国に憎しみの矛先を向けても、政府のリソースになるだけで、彼らの利権を増大させる事につながります。ようするに捕鯨国も反捕鯨国も国民感情を煽って、そのナショナリズムをポリティカルに利用されているのです。だいたいクジラにせよマグロにせよ、日本政府の言行不一致、いい加減さにそもそもの問題点はあります。そしてそういう状態であっても絶対に必要ならば、きちんと国際社会に認めさせるコンセンサスを築けない政府の交渉力の欠如がそもそもの問題なのです。
もちろん反捕鯨運動というのは裏があります。元々アメリカのベトナム戦争での枯葉作戦に対して、世界が反対を表明するコンセンサスが出来ていました。その際アメリカがその論点をズラす為に出して来たのが、日本に対する捕鯨へのバッシングです。要するに政治なのです。
これ以降叩かれ続けるわけですが、なんでそれに対して解決する能力のない連中に矛先が向かないかと言えば、我々が感情を煽られて、文化の危機だという言葉に乗せられてしまっているわけで、本当に文化の危機なら政府がちゃんと交渉をして、国内をきちんと管理出来るというプレゼンテーションをすればいいだけの話です。それが出来ない無能な豚どもの片棒を担ぐのは止めましょう。鯨が食いたかったら政府の隠蔽体質、交渉力のなさを非難しましょう。
つづく!!
天皇陛下万歳はそもそも右翼とは関係ないと前回書きましたが、個人的には三島由紀夫が言ったように、天皇の人間宣言は非常に残念な気持ちがあります。自分は普通の一般の人々と大差ない程度に敬愛はしておりますが、別に天皇家をあおぎ奉っているわけではありません。
そしてあれだけどこに行っても、子供を産むにしても、何もかも一挙手一投足で縛られた方々を見ていると痛々しく感じます。動物園のパンダじゃあるまいし、人権もクソもあったもんじゃありません。そういう権利が彼らに認められるのかどうかは知りませんが、虐待もいい所です。
戦前も戦後も、いつまでたっても全国民が依存して甘えているわけです。それでもその期待に答えようと常に隙のない振る舞いをされている姿を見るにつけ、凄い方々なんだなぁと感じます。
しかし彼らの為に命をかけるなんてのは御免被りたいとも思っています。にもかかわらず何で人間宣言を悔やんでいるのかと言うと、革命の玉としての機能を、完璧にアメリカの奴隷政権に骨抜きにされて囲われているからです。
國體の護持という言葉を旗印にして、前大戦で散々多くの人々が犠牲になりました。どんな理由があるにせよ、玉砕だの特攻だのなんてのは作戦じゃありません。カルト教団じゃあるまいし、それを権力者が強いるのはどんな理由があっても問題外です。
しかし実際には降伏したらアッサリ天皇を差し出しているわけですから、そこで使われた國體の護持なる言葉は要するにステークホルダーの自己保身に過ぎません。こんなものはクソ喰らえです。
天皇と言うシステムを守らないと、今後革命の可能性が無くなるという意味においては、手打ちでも何でもして多少屈辱的な思いをしてでも、被害を最小限に食い止めて、このシステムは残すべきだったと思ってしまうわけなのです。
日本というのは歴史上、普段は殆ど天皇の存在に光が当たる事などありませんでしたが、権力が入れ替わり、新しい時代を築く時、天皇と言うレジティマシーの源を利用して、正統性を調達するという事を繰り返して来ました。政権がひっくり返っても、天皇がお墨付きを与えれば正統性を確保できた。権威を得る事が出来たわけです。
徳川家が何で征夷大将軍だったかと言えば朝廷のお墨付きを得られたからですし、その将軍家に楯突いた薩長が正統性を得られたのも天皇の錦旗を利用したからに他なりません。GHQが戦後この国を変えた時、それにみんなが従ったのも天皇を殺さなかったからであり、天皇がそれを望むと言ったからです。そういう歴史転換の超システムであった天皇と言うシンボルはもうその機能は完全に失っています。戦後教育、バカメディア、そしてこの国の政治によって。
革命の可能性が絶対に有り得なければ、当たり前ですが統治権力は腐敗します。所詮選挙とか言ったって、アメリカが設計したプラットフォームの上での事。根本から根こそぎひっくり返すなんて不可能です。ロックが言ったように民主主義というのは革命権とセットになっていないと機能しない代物です。アメリカ人が何で銃を手放さないのか、それはそういう所と密接な関係があるわけです。ただ銃は危険だという視点で野蛮だのなんだの日本のバカメディアは騒ぎますが、それは本質を見ていないのかわざとやっているのか知りませんが、片側だけの問題です。
現に政権交代が起こったってどうせ何も変わらないと多くの国民が諦めてもいる。仮にも総理大臣と野党第一党の党首が、アメリカ依存の安全保障から国連中心主義に変えるという、戦後レジームの大転換を謳っても、どうせそんなの無理だろ、ネタに決まっている、という風に多くの人々が見ている。アメリカ追従がよりやり易くする為に、国家の根幹の部分である憲法改正は簡単にやろうぜって話になるのは受け入れても、テロ特は何が何でも出さなきゃマズいと、アメリカですらどうでもいいと思っているのに、なんとかご機嫌を取ろうと、国民の生活なんてそっちのけで必死になっているのには、まあしょうがねえかって感じになる。
これらは戦後体制という呪縛から抜け出す方法もないし、その為のリソースも無いし、最大のリソースであったはずの、天皇を今の戦後体制の政府が骨を抜いて囲っているからでもあるわけです。
そのまんま知事なんかが政策協議の枠組みをぶち上げたりしていますが、仮に彼らの手元に、かつての天皇というリソースがあったら、天皇が支持するなり、「頑張って下さい」という言葉一つにせよ、事態は全然違うものになっているかもしれません。そういった可能性、政府に緊張感を持たせる可能性、いつひっくり返るかわからないという可能性がないのです。
戦乱に明け暮れていた時代から平和な時代に転換するとか、鎖国というのはフィクションなんですが、内向きの戦略から、新政府によって開国し、国際社会の荒波に乗り出すとか、そういった今までのパラダイムをがらりと変える変更なんて出来ない社会になってしまっている。だから選挙くらいじゃ所詮変わらないという雰囲気にもなってしまうわけです。
だからと言って、今現在、天皇の超システムを復活させることが仮に出来たとしても、多くの国民のマインドは書き換えられていますから、レジティマシーの源にはならないでしょう。ですから今さらそんな事を望んでも無駄なのですが、この国の出口のなさの理由はそんな所にもあるのではないかと思うわけなのです。
本当なら気に食わなければ、デモ、スト、暴動で抗えばいいのですが、この国はそういうマインドがありません。欧米の人が一番ビックリするのは、例えばワーキングプアにしろ、非正規労働者達にしろ、何で連帯して戦わないんだ?と不思議がります。そんな酷い事をされているのなら、なんでみんなで連帯して意見を言わないのだ?と。そういった我らのマインドも戦後体制によって、教育、メディア、統治権力者によって完全に骨が抜かれてしまっています。フランスなんかの暴動を野蛮だと言う片側だけしか啓蒙しません。
結局の所、選挙しか我々には手段がありませんので、民主党なんてクソみたいな政党ですが、とにかく与党にノーと突き付ける、これが今一番重要な事なのは確かです。
政権交代が起こっても監視して気に食わなければノーと言い続ける。どこが政権政党になってもクソなのは変わらないので、まずは我々のチェック機能を政権交代がいつでも起こるという状況にしてビルトインする。これしかありません。
詐欺に詐欺仲間はチェック出来ません。統治権力に身を置く存在すべてに対して、緊張感を持たせる。この事が出来るのなら天皇に依存してレジームチェンジを望むより、もっと高い民度を獲得出来ますので、劇的な転換は無理にしても、変えていく可能性は十分あります。それに劇的な変更は、多くの痛みを伴います。平和的に変えていくにはむしろその方がいいでしょう。
今、国民の幸福を踏みにじる俗物どもがやりたい放題の状況です。今の政府はもう完全にフラグが立っているので、あんまりああだこうだ言うのもバカらしくて避けていましたが、もう次の選挙なんて悠長な事は言ってられない位の劣化ぶりです。バカ過ぎて話にならなすぎる。小学生もビックリの国語力、ちょっと未来の事すら想像出来ない想像力の完璧な欠如、このバカどもにノーと言いましょう。
国家権力というのは、不安をベースにして、利権を確保します。だから国民全員が幸福になるような政策なんて、物理的に無理だと言う前に、そもそも取る気がありません。ある程度不安に右往左往している連中が多ければ多いほど、この豚どもの権益は増えます。
コイツらを自覚させる為には国民の意志を突き付ける以外に無い、政策がどうとかこうとか難しい事なんて考えなくてもいいのです。今幸福かどうか、統治権力は我々を幸福にしてくれているのか、その一点でそう思えないのなら、どんどんノーと言いましょう。そうしないと奴らは絶対何もしません。するわけ無いのです。
そして国民同士ムカつく思想信条を言う奴もいるでしょう。しかしこれで国民が分断されていたのでは意味がありません。ある意味それは統治権力に取っておいしいリソースでもあるからです。
B層がどうとか、ゆとり教育がどうとか、モンスターペアレントがどうとか、右翼だから、左翼だから、そんな事で国民同士が傷つけあっていたのでは、永久に国家権力の統治のリソースとして利用され続けるのみです。
確かに権利ばかり主張して義務を果たさないけしからん奴がいる、というご意見はまあわかります。しかしその前に統治権力を見て、こんな腐れバカの詐欺師どもに、なんでせっかく働いた金を貢がなきゃなんねぇんだ、というのはある意味真っ当な主張です。
国民の義務というのは憲法に規定されていますので、国家が国民を縛るものだと勘違いしている人が多いと思いますが、憲法というのは統治権力が守るべき覚え書きです。我々を縛るものではない。まずしっかりと国民の幸福や安全を担保出来る統治権力が前提なのです。
その上で、我々が義務を果たしているのに、義務を果たさない奴がいるのは迷惑だから取り締まれと、我々が国家権力に命令しているのです。そもそもの統治権力の義務を放棄しているような害虫どもが国民からネコババする為の決まりじゃありません。これは立憲主義の大前提です。こんな当たり前の常識すらわかっていない、サメ並の脳味噌しか持たないアホばかりなのが、我々が選択している政府の実情なのです。このウジ虫どもがネコババする為に国民を煽動して分断統治をするためのリソースとして利用されないようにしましょう。
それは諸外国に対する思いも同じです。最近では捕鯨問題で、オーストラリア人やグリーンピース、シーシェパード等に対してなんだコイツら的な気持ちもあろうかと思います。
しかし重要なのは日本政府の曖昧さに世界は怒っているのです。捕鯨して、それが市場に食料として高価で取引される。供給がタイトにならざるを得ませんので、こんなたいして旨くもクソも無い食い物に、バカ高い値段がつく。そして高価であればあるほど密猟が後を絶ちません。
クジラなんて別に普通に生きてりゃ食わなくとも生きて行けます。これも一つの利権なのです。おそらく食料としてどうしても必要だからという理由であれば、どこの国も反対なんかしないでしょう。
科学的にクジラの数がどうとかこうとかって話はもちろんあるでしょう。細かいデータははぶきますが、これを論点にしても確認する事は出来ませんから不毛です。正確に数字を把握するなんて物理的に不可能な話です。
これは環境問題なんかとも直結する話なので書いておきますが、例えば種の絶滅なんかで言いますと、2000年までに100万種が絶滅するという予想や、全種の50%が滅ぶと言う予想もありました。しかしこれらは単なる一つの見解、又は証拠の裏付けのない偏見でしかありませんでした。今現在地球にどれだけの種が生存しているのか誰も知らないからです。推定では300万~400万種です。かなり幅があって実際の所、誰もわかっていない。どれだけの種がいるのかわからない以上、どれだけの種が絶滅しているのかもわかりようがない。財布にいくら入っているのか知らないのに、いくら盗まれたかなんてわかるわけない。新種の数だけでも毎年1万5000種にものぼると言われています。
種の個体数をどうやって計測するのか、絶滅したとどうやって判断するのかと言いますと、ある区画を区切って、その区画内にいる、すべての昆虫、動植物の個体を一つずつ数えていきます。そして数年たったら、また同じ区画内で、同じように数える。昆虫はその区画内から出て他に移っているかもしれないし、そもそもこんなやり方で正確な計測など望めるわけありません。データなんてもんは所詮その程度のものでしかありません。
しかし日本がバッシングされている理由は日本政府の曖昧さ、調査捕鯨とか言ったって、結局金儲けであり、その事が市場に流れを与え実態の掴めない違法な商行為につながっている。日本にそんな管理能力なんてあるわけないと思われている。口ではうまい事を言っていても、絶対に誤摩化す連中だという事をどこの国もコンセンサスとして思っているので、叩かれるわけです。深刻な事故を起こしても「安全だ」「きちんと管理出来る」と言った感じで隠蔽体質は酷い状況です。そんな国に資源管理なんて出来るわけないと考えるのは当然と言えば当然なのです。
残酷だからとか言ったって、お前らだって肉食っているじゃねえかという論点に煽られて諸外国に憎しみの矛先を向けても、政府のリソースになるだけで、彼らの利権を増大させる事につながります。ようするに捕鯨国も反捕鯨国も国民感情を煽って、そのナショナリズムをポリティカルに利用されているのです。だいたいクジラにせよマグロにせよ、日本政府の言行不一致、いい加減さにそもそもの問題点はあります。そしてそういう状態であっても絶対に必要ならば、きちんと国際社会に認めさせるコンセンサスを築けない政府の交渉力の欠如がそもそもの問題なのです。
もちろん反捕鯨運動というのは裏があります。元々アメリカのベトナム戦争での枯葉作戦に対して、世界が反対を表明するコンセンサスが出来ていました。その際アメリカがその論点をズラす為に出して来たのが、日本に対する捕鯨へのバッシングです。要するに政治なのです。
これ以降叩かれ続けるわけですが、なんでそれに対して解決する能力のない連中に矛先が向かないかと言えば、我々が感情を煽られて、文化の危機だという言葉に乗せられてしまっているわけで、本当に文化の危機なら政府がちゃんと交渉をして、国内をきちんと管理出来るというプレゼンテーションをすればいいだけの話です。それが出来ない無能な豚どもの片棒を担ぐのは止めましょう。鯨が食いたかったら政府の隠蔽体質、交渉力のなさを非難しましょう。
つづく!!