くだらん話を致します。全くこのブログとは無縁の話、恋愛の話でございます。というのは先日知り合いの恋愛話を耳にしまして、直感的に思った事があります。尚この話は女性からすると非常に嫌な気分になる話です。それに男はそんな酷いやつばかりではない、という事は一般論としてはあるでしょうが、それはちょっと置いといて、汚れた大人として男のダークサイドについて書きます。
とある女性、仮名Aちゃんという子がいます。まだ20代の女性です。このAちゃんが遠距離恋愛をしていると言います。彼氏が遠くに仕事の関係で住んでいる。とは言ってもこの関係は今は微妙で彼氏彼女の関係かと言うと、離ればなれになる前に実質的に別れて、離ればなれになってから何となく友達的に付き合いながら、電話したり、帰ってくれば遊ぶという関係が続いていると言います。
彼氏なのかというと、正式には付き合っているわけではないのだが、何となく電話もマメにかかってくるし、合えばもちろんセックスもするのでしょうから、付き合っているような気もする。微妙な関係だと。
自分はこれを聞いた瞬間に、そいつはキープだぜ!!と思ったわけです。ようするに女がいるのかいないのかまではわかりませんが、マメに電話をかけてくるのだから、付き合っている女はいないのでしょう。しかしAちゃんが好きならばというか、付き合いたいと思っているなら、そう言うはずで、そう言わないのは、そこの所は微妙にしておきたいぜ、という狡い男の側面が垣間見えたのでした。
きっとそういう事を言っても多分Aちゃんには通じないと思いますが、これは男歴の長い自分の経験則からすると、ハッキリさせない方が都合がいいという真実を、傷つけたくないとか、やさしさとか、そういう言葉に逃げる狡猾な男のダークサイドが見えてしまったのです。
もちろんそれを自覚していない男性もいっぱいいますので、本当にやさしさのつもりなのかもしれませんが、それは誰に対する優しさなのか?というとこれが中々わからない人には絶対に伝わらない話です。
自分は非常に卑劣な男で、やさしくないとよく言われ続けました。特に女性には。卑劣さは自覚していますし、特に若い頃はさすがに暴力を振るったりはしませんでしたが、女性に関しては相当酷い事をして来たと思います。だから卑劣さは否定しないのですが、世間一般的に言われている、優しさ、という言葉には非常に違和感を感じるのであります。
女性に告白されたとします。自分はその際、全くその女性に心がない場合はキッパリと断ります。これっぽっちも希望の残らないように好きではないという事を伝えます。付き合っている女性に対しても、付き合っているのが苦痛に感じたり別れた方がいいなと思うと(もちろん関係をすぐに終わらせるという意味ではありません。若い頃はそういう傾向がありましたが、好きだと思えるうちは可能なかぎり関係は続けようとします)、ハッキリ言います。そしてこれまたキッパリと跡形もなく断ち切ってしまいます。そうすると、第三者から必ず言われるのが、やさしさが足りないという事です。
それで、これに関しては中々理解してもらえないのですが、自分が相手を嫌いなのに、相手に期待を持たせるような言い方はかえってよくないのではないかと思っているのです。
相手の為を思うからこそ、自分に全くその気が無いなら、一刻も早く自分の事なんて忘れてもらって、もしくは嫌いになってもらって、別の誰かさんとよろしくやった方が幸せになれるはずです。その際、自分が優しい言葉なんかかけたりすれば、新しい彼氏とよろしくやるまでに時間がかかったり、比べてしまったりするのではないかと思うのです。それだったら、ああ、あんな奴と別れてせいせいした、新しい彼氏はなんて良い人なんだろう、となってくれた方がその人の為なんじゃないかと思うわけです。
だから結構酷い言い方を別れ際にしているらしく、非難される事が多いのですが、仮にそこで、本当はもう好きじゃないのに、君の事は好きだけど云々かんぬん、君を傷つけたくないから云々かんぬん、なんて言い方はどうなんだ?と思うわけです。それって誰に対する優しさなんだ?好きなら付き合えばいいのだし、別れるって事は付き合いたくないという意思表示なわけですから、相手が今後キッパリと自分の事を忘れるようになってくれた方が、相手にとってはいいのではないかと思うわけです。付き合う気もないのにその気にさせるような事を言うのはどうなんだと。
未練があるのなら傷ついたって付き合えばいいのだし、男なので心に未練はないが身体に未練があるという不埒な思いは否定出来ません。女性からすればムカつくかもしれませんが、男とはそういった生き物です。付き合いたくはないけれど、セックスはしたいと言う事です。でもこの場合、自分は男なのでそれが自分の友人であるのなら、その不埒さを自覚している人の事は責める気になりません。気持ちはわかるからです。
しかしそういった不埒さを、思いやりとか、やさしさという振る舞いで隠す輩は、自覚的にせよ無自覚にせよ、どうなんだ?と思うわけです。
同じ行動ならいいじゃないかと思うかもしれませんが、思いやりや優しさに逃げている男は、キープの女性より目当ての女が現れたとき、君の事は好きだけど、もっと大切な女性が出来た的な言い訳を言って、最後まで自覚する事なく、もしくは気付いていれば優しさと言う鎧をまとったまま、その時点でもキープ女に望みを持たせるような言い方をしたりして、ダラダラと関係をキープするという事をやるからです。仮にそこで関係が終わっても、自分は好きな人が出来たからという言葉に逃げて、キープ女を傷つけたという事を思い出によって美化してしまい、自覚していなかったりもします。これは最悪です。
同じ振る舞いをしていても、自分は狡い卑劣な男だと自覚している奴であれば、優しさや思いやりという言葉は方便として使っていても、逃げてはいないので、女性のありがたみに気付いた時、一気に変われる可能性があります。そういう人は意外とまともになったりする。卑劣さと向き合っている分だけ、本当の優しさを自覚する時が必ず来るからです。
汚い男の代弁者みたいになっていますが、自分はそのように思っとります。そして女性の方々からすれば、例えそれが気付いていようがいまいが、優しさに逃げていようがいまいが、結果的には一緒じゃないか、許せないという風に思うかもしれませんが、こういった男が跳梁跋扈するのは、同時に女性の側にも相互補完関係の要素があると自覚してほしいと思います。キープ女みたいな姑息な方法を男性がとれるのは、そういった曖昧な関係性でもそれなりに承認されていると錯覚してしまう女性が存在するからです。
こういった手段が全く通じない女性もいます。あっという間に次の男をこしらえて、さっさと前の男は忘れてしまう女性。別れたら徹底的に否定する女性。携帯の番号まで変えちゃったりする人もいる。こういう女性にはつけ込む隙がありませんから、卑劣な男もキープしようもありません。
Aちゃんみたいな女の子は傾向として人の話を聞いていません。本人は聞いていると言うでしょうが、物理的に聞いているかもしれませんが、理解するという意味においては聞いていません。だから忠告しても無駄なのですが、好きだけど、自分も束縛されないし、電話はかかってくるし、たまにセックスは出来るし、いい男が出来たり、素敵な出会いがあって上手い事行くかもしれないし、白黒ハッキリつけて傷つくのは厄介だし、というモラトリアムを望んでもいる。こういう人につけ込む男性というのがいつの時代にもいる。
それにおそらく優しい彼なのかもしれません。が、この場合、本当に優しい彼なら付き合っているかどうかハッキリさせてくれるはずです。女性の側も、見せかけの優しさに逃げている。そういう姿勢が、人に優しいふりをして、本当は自分に一番優しい男を増長させるのです。
モラトリアムな関係性の否定をするつもりはありません。自分は大人なので身体だけの関係というのも切実な人達というのもいるのがわかっていますから。だけどそのモラトリアムは自分で望んだ結果だと言う事は自覚してほしいと思うわけです。
男に別の女が出来た、急に冷たくなった、その男は間違いなく卑劣漢です。しかしそれを望んだのは自分でもあるという事を。騙された、こんなはずじゃなかった、傷ついた、そんな事を言っても意味がありませんし、そういう曖昧さに甘んじて来たのは、許していたのは自分の選択でもある。そういう人は自覚出来ないと、いつまでたっても似たような男と同じような事態を繰り返すというパターンに陥ります。
彼氏の優しさに引き裂かれていたり、満足感を得られなかったり、物足りなさを感じている女性がいたら、その事を少し考えてみてはどうかと思います。ってこのブログにそれほど女性の需要があるとは思えませんが、これは最近では逆転現象も起こっており、そっくりそのまま男性にも言える事です。自分大好き人間、自分の気持ち第一主義的な人が老若男女増えておりますので。
イギリスの社会学者、アンソニー・ギデンズの言う所の「再帰的近代」における、つまり我々が生きている成熟した近代「後期近代」、他に向けられていたはずの指向が、実際には自己に向けられた指向に陥ってしまう後期近代においての作動様式、「再帰性」のなかでは、「嗜癖的関係性」つまり、あるべき状態、あるべき関係、あるべき自己像、あるべき他者像に対する、嗜癖や依存に、再帰的ループの中では結局当事者の選択の問題に帰せられるので、簡単に落ち込んでしまいます。それをとどめようとするためには「純粋な関係性」ループ的な状態の中で、自分が何を要求して、相手も同じメカニズムに縛られた中で何を要求しているのかを意識、獲得し、関係性を選び直す事が重要なのです。
と、まぁ今日は固い話は止めときましょう。ようするに、騙されたこんなはずじゃなかった、なんていう風になって、相手を物理的に傷つけちゃったり、ストーカー行為に及んだりしたのではパクられて結果的に自分に因果が帰ってきますので、Aちゃんのような状況になっている男性女性の方々は、異性なんていっぱいいますので、少し冷静になって事態を俯瞰してみてはどうかと思うわけです。
尚、この関係性は男女の関係だけではなく、社会のありとあらゆる所に蔓延っていて、所謂ヒューマニズム的な価値観によって溢れかえっています。仕事の関係性にせよ、宗教に依存するメンタリティにせよ、ある価値観に縛られているメンタリティにせよ、関係性に実りがないと感じる方は少しそういった事から現実を俯瞰してみると、煮詰まった状態をアイロニー化出来るかもしれません。そしてそれはあるべき自己像と実際の自分の乖離に引き裂かれる、袋小路的なメンタリティに向き合う為にも必要な感受性です。相手が何を言っているのかという事より、何をしているのかよく見てみる。自分が何を選択しているのかを自覚する。
多分自分の事は自分が一番わかっていると思えば思う時ほど、第三者の話を真剣に聞いてみる。これが大切かもしれません。もちろんその第三者か卑劣な野郎なら、その状況を利用して、あわよくば、なんて思っているかもしれませんので注意が必要ですが。
好きだから付き合うのか?付き合っているという事自体が大切なのか?好きだという事を告げて関係性が壊れるような関係に意味なんてあるのか?傷つく事を恐れ白黒つけない、答えを出さないという事は、結果的にモラトリアムを選択している事になる。それは人のせいじゃなくて、自分の選択なんだという事、自分が望んだ結果なんだという事に気付けるかどうかが重要です。
そして優しさを利用している事を自覚している方々がもしこれを読んでいるのなら、人との関係性というのは、結局パターンが決まって来ますので、セックスなんて結局誰とやってもそんなに変わらないし、どうすれば落ちるのかも数をこなして行くとパターン化して来ます。一時の寂しさを紛らわす為に欲望を解放していても、ただ数をこなしているだけでは、最終的には虚しいだけになって来ます。入れ替え可能の底の浅い関係性では承認は得られません。
やったり落としたりするのは、慣れればある種のテクニックですので、誰と付き合っても承認不足をたえず抱える事になって、だから数をこなし余計虚しくなるという、悪循環、人間関係に実りがどんどんなくなってしまいます。誰でもいいという事は、相手からもその程度の承認しか得られないという事です。
これは相手が金持ちだから、仕事が出来るから、頭がいいから、束縛しないから、優しいから、面白いから付き合っている、このような単なる条件付きの関係性も同じ袋小路に直結します。ようするに金があれば誰でもいい、仕事が出来れば誰でもいい、頭さえよければ、束縛しなければ、面白いから、という条件であれば誰でもいいと言っているのと同じですので、こういう関係をいくら結んでも傷つかないかもしれませんが、底の浅いくだらない関係にしかなりようがありません。だから満たされたとしても、単なる動物的な欲求を満たすというだけで、人間関係によって承認を得る事もされる事も出来ません。
付き合ったり落としたりする事より、深く関わって続けて行く事こそが本当は一番難しく、そして入れ替え不可能な人格を承認し合う関係性を築く事も出来ます。だから傷ついたり泥にまみれたりもする。最近では傷ついただの、汚れただの大騒ぎする脆弱なコミュニケーションに溢れていますし、その傷から自由になる事や、傷を埋めたり汚れを消す処方箋に溢れています。スピリチュアル的説教が持てはやされたりもします。
しかし傷から自由になる必要なんてないし、生きていれば汚れない方がどうかしている。傷を埋める事なんて出来るわけもない。その傷や汚れこそが唯一無二の自分と言うものを形作り、入れ替え不可能の人格を形成しているわけです。そこから自由になったり、消したり、埋めちゃったりするって事は、唯一無二の自分を形成しているパーツを捨て去る事にも直結します。
深くかかわり合うのを避け、傷や汚れという言い方で自分を形作っているパーツから自由になる処方箋やマニュアルに右往左往していては、入れ替え不可能な人格や、入れ替え不可能な関係性なんて築けるわけありません。入れ替え可能な底の浅い関係性をただ、快不快原則で選択し、消費していく事が快楽だと思うのは自由ですし、それもそれなりに楽しかったりしますから否定はしませんが、それは自分の選択の結果であるという事を、せめて自覚することが重要なのだろうと思うわけであります。
Aちゃんの準彼氏が卑劣漢かどうかはわかりませんし、自分には関係のない話なので、知ったこっちゃないのですが、そんな事を感じました。普段は女にモテなそうなネタばかりかいておりますが、意外と恋愛経験値は高い男、三日坊主でした。
それと、女性の方は男性を見分ける時に重要な要素として、いかに女性の目から見てアホらしい事に没頭しているかどうか、これは実は重要な要素です。表面上の快不快原則で右往左往するのは動物と大差ありません。女性に気に入ってもらう為に受けそうな受け答えをする男は爽やかかもしれませんが、必ずしもそれが中身に直結するとは限りません。
女性の目から見て、何でこんな事にこんなに情熱を注いでんだ?という男は、退屈かもしれませんが裏切り率は低いと思います。そしてある特定の対象を一見レスポンスは鈍く感じるかもしれませんが大切に考える傾向が高いと思います。女性受けのいい男、思いやりや優しさのある男、そういうのを偽装して女に近付く輩の話は、話半分で聞きましょう。
安定か?不安定か?どちらが幸せなのか、実りのある恋愛経験なのか、傷つく事も時には大きな経験にもなるので一概には言えませんが、思いやりや優しさを偽装する男、三日坊主でした。
とある女性、仮名Aちゃんという子がいます。まだ20代の女性です。このAちゃんが遠距離恋愛をしていると言います。彼氏が遠くに仕事の関係で住んでいる。とは言ってもこの関係は今は微妙で彼氏彼女の関係かと言うと、離ればなれになる前に実質的に別れて、離ればなれになってから何となく友達的に付き合いながら、電話したり、帰ってくれば遊ぶという関係が続いていると言います。
彼氏なのかというと、正式には付き合っているわけではないのだが、何となく電話もマメにかかってくるし、合えばもちろんセックスもするのでしょうから、付き合っているような気もする。微妙な関係だと。
自分はこれを聞いた瞬間に、そいつはキープだぜ!!と思ったわけです。ようするに女がいるのかいないのかまではわかりませんが、マメに電話をかけてくるのだから、付き合っている女はいないのでしょう。しかしAちゃんが好きならばというか、付き合いたいと思っているなら、そう言うはずで、そう言わないのは、そこの所は微妙にしておきたいぜ、という狡い男の側面が垣間見えたのでした。
きっとそういう事を言っても多分Aちゃんには通じないと思いますが、これは男歴の長い自分の経験則からすると、ハッキリさせない方が都合がいいという真実を、傷つけたくないとか、やさしさとか、そういう言葉に逃げる狡猾な男のダークサイドが見えてしまったのです。
もちろんそれを自覚していない男性もいっぱいいますので、本当にやさしさのつもりなのかもしれませんが、それは誰に対する優しさなのか?というとこれが中々わからない人には絶対に伝わらない話です。
自分は非常に卑劣な男で、やさしくないとよく言われ続けました。特に女性には。卑劣さは自覚していますし、特に若い頃はさすがに暴力を振るったりはしませんでしたが、女性に関しては相当酷い事をして来たと思います。だから卑劣さは否定しないのですが、世間一般的に言われている、優しさ、という言葉には非常に違和感を感じるのであります。
女性に告白されたとします。自分はその際、全くその女性に心がない場合はキッパリと断ります。これっぽっちも希望の残らないように好きではないという事を伝えます。付き合っている女性に対しても、付き合っているのが苦痛に感じたり別れた方がいいなと思うと(もちろん関係をすぐに終わらせるという意味ではありません。若い頃はそういう傾向がありましたが、好きだと思えるうちは可能なかぎり関係は続けようとします)、ハッキリ言います。そしてこれまたキッパリと跡形もなく断ち切ってしまいます。そうすると、第三者から必ず言われるのが、やさしさが足りないという事です。
それで、これに関しては中々理解してもらえないのですが、自分が相手を嫌いなのに、相手に期待を持たせるような言い方はかえってよくないのではないかと思っているのです。
相手の為を思うからこそ、自分に全くその気が無いなら、一刻も早く自分の事なんて忘れてもらって、もしくは嫌いになってもらって、別の誰かさんとよろしくやった方が幸せになれるはずです。その際、自分が優しい言葉なんかかけたりすれば、新しい彼氏とよろしくやるまでに時間がかかったり、比べてしまったりするのではないかと思うのです。それだったら、ああ、あんな奴と別れてせいせいした、新しい彼氏はなんて良い人なんだろう、となってくれた方がその人の為なんじゃないかと思うわけです。
だから結構酷い言い方を別れ際にしているらしく、非難される事が多いのですが、仮にそこで、本当はもう好きじゃないのに、君の事は好きだけど云々かんぬん、君を傷つけたくないから云々かんぬん、なんて言い方はどうなんだ?と思うわけです。それって誰に対する優しさなんだ?好きなら付き合えばいいのだし、別れるって事は付き合いたくないという意思表示なわけですから、相手が今後キッパリと自分の事を忘れるようになってくれた方が、相手にとってはいいのではないかと思うわけです。付き合う気もないのにその気にさせるような事を言うのはどうなんだと。
未練があるのなら傷ついたって付き合えばいいのだし、男なので心に未練はないが身体に未練があるという不埒な思いは否定出来ません。女性からすればムカつくかもしれませんが、男とはそういった生き物です。付き合いたくはないけれど、セックスはしたいと言う事です。でもこの場合、自分は男なのでそれが自分の友人であるのなら、その不埒さを自覚している人の事は責める気になりません。気持ちはわかるからです。
しかしそういった不埒さを、思いやりとか、やさしさという振る舞いで隠す輩は、自覚的にせよ無自覚にせよ、どうなんだ?と思うわけです。
同じ行動ならいいじゃないかと思うかもしれませんが、思いやりや優しさに逃げている男は、キープの女性より目当ての女が現れたとき、君の事は好きだけど、もっと大切な女性が出来た的な言い訳を言って、最後まで自覚する事なく、もしくは気付いていれば優しさと言う鎧をまとったまま、その時点でもキープ女に望みを持たせるような言い方をしたりして、ダラダラと関係をキープするという事をやるからです。仮にそこで関係が終わっても、自分は好きな人が出来たからという言葉に逃げて、キープ女を傷つけたという事を思い出によって美化してしまい、自覚していなかったりもします。これは最悪です。
同じ振る舞いをしていても、自分は狡い卑劣な男だと自覚している奴であれば、優しさや思いやりという言葉は方便として使っていても、逃げてはいないので、女性のありがたみに気付いた時、一気に変われる可能性があります。そういう人は意外とまともになったりする。卑劣さと向き合っている分だけ、本当の優しさを自覚する時が必ず来るからです。
汚い男の代弁者みたいになっていますが、自分はそのように思っとります。そして女性の方々からすれば、例えそれが気付いていようがいまいが、優しさに逃げていようがいまいが、結果的には一緒じゃないか、許せないという風に思うかもしれませんが、こういった男が跳梁跋扈するのは、同時に女性の側にも相互補完関係の要素があると自覚してほしいと思います。キープ女みたいな姑息な方法を男性がとれるのは、そういった曖昧な関係性でもそれなりに承認されていると錯覚してしまう女性が存在するからです。
こういった手段が全く通じない女性もいます。あっという間に次の男をこしらえて、さっさと前の男は忘れてしまう女性。別れたら徹底的に否定する女性。携帯の番号まで変えちゃったりする人もいる。こういう女性にはつけ込む隙がありませんから、卑劣な男もキープしようもありません。
Aちゃんみたいな女の子は傾向として人の話を聞いていません。本人は聞いていると言うでしょうが、物理的に聞いているかもしれませんが、理解するという意味においては聞いていません。だから忠告しても無駄なのですが、好きだけど、自分も束縛されないし、電話はかかってくるし、たまにセックスは出来るし、いい男が出来たり、素敵な出会いがあって上手い事行くかもしれないし、白黒ハッキリつけて傷つくのは厄介だし、というモラトリアムを望んでもいる。こういう人につけ込む男性というのがいつの時代にもいる。
それにおそらく優しい彼なのかもしれません。が、この場合、本当に優しい彼なら付き合っているかどうかハッキリさせてくれるはずです。女性の側も、見せかけの優しさに逃げている。そういう姿勢が、人に優しいふりをして、本当は自分に一番優しい男を増長させるのです。
モラトリアムな関係性の否定をするつもりはありません。自分は大人なので身体だけの関係というのも切実な人達というのもいるのがわかっていますから。だけどそのモラトリアムは自分で望んだ結果だと言う事は自覚してほしいと思うわけです。
男に別の女が出来た、急に冷たくなった、その男は間違いなく卑劣漢です。しかしそれを望んだのは自分でもあるという事を。騙された、こんなはずじゃなかった、傷ついた、そんな事を言っても意味がありませんし、そういう曖昧さに甘んじて来たのは、許していたのは自分の選択でもある。そういう人は自覚出来ないと、いつまでたっても似たような男と同じような事態を繰り返すというパターンに陥ります。
彼氏の優しさに引き裂かれていたり、満足感を得られなかったり、物足りなさを感じている女性がいたら、その事を少し考えてみてはどうかと思います。ってこのブログにそれほど女性の需要があるとは思えませんが、これは最近では逆転現象も起こっており、そっくりそのまま男性にも言える事です。自分大好き人間、自分の気持ち第一主義的な人が老若男女増えておりますので。
イギリスの社会学者、アンソニー・ギデンズの言う所の「再帰的近代」における、つまり我々が生きている成熟した近代「後期近代」、他に向けられていたはずの指向が、実際には自己に向けられた指向に陥ってしまう後期近代においての作動様式、「再帰性」のなかでは、「嗜癖的関係性」つまり、あるべき状態、あるべき関係、あるべき自己像、あるべき他者像に対する、嗜癖や依存に、再帰的ループの中では結局当事者の選択の問題に帰せられるので、簡単に落ち込んでしまいます。それをとどめようとするためには「純粋な関係性」ループ的な状態の中で、自分が何を要求して、相手も同じメカニズムに縛られた中で何を要求しているのかを意識、獲得し、関係性を選び直す事が重要なのです。
と、まぁ今日は固い話は止めときましょう。ようするに、騙されたこんなはずじゃなかった、なんていう風になって、相手を物理的に傷つけちゃったり、ストーカー行為に及んだりしたのではパクられて結果的に自分に因果が帰ってきますので、Aちゃんのような状況になっている男性女性の方々は、異性なんていっぱいいますので、少し冷静になって事態を俯瞰してみてはどうかと思うわけです。
尚、この関係性は男女の関係だけではなく、社会のありとあらゆる所に蔓延っていて、所謂ヒューマニズム的な価値観によって溢れかえっています。仕事の関係性にせよ、宗教に依存するメンタリティにせよ、ある価値観に縛られているメンタリティにせよ、関係性に実りがないと感じる方は少しそういった事から現実を俯瞰してみると、煮詰まった状態をアイロニー化出来るかもしれません。そしてそれはあるべき自己像と実際の自分の乖離に引き裂かれる、袋小路的なメンタリティに向き合う為にも必要な感受性です。相手が何を言っているのかという事より、何をしているのかよく見てみる。自分が何を選択しているのかを自覚する。
多分自分の事は自分が一番わかっていると思えば思う時ほど、第三者の話を真剣に聞いてみる。これが大切かもしれません。もちろんその第三者か卑劣な野郎なら、その状況を利用して、あわよくば、なんて思っているかもしれませんので注意が必要ですが。
好きだから付き合うのか?付き合っているという事自体が大切なのか?好きだという事を告げて関係性が壊れるような関係に意味なんてあるのか?傷つく事を恐れ白黒つけない、答えを出さないという事は、結果的にモラトリアムを選択している事になる。それは人のせいじゃなくて、自分の選択なんだという事、自分が望んだ結果なんだという事に気付けるかどうかが重要です。
そして優しさを利用している事を自覚している方々がもしこれを読んでいるのなら、人との関係性というのは、結局パターンが決まって来ますので、セックスなんて結局誰とやってもそんなに変わらないし、どうすれば落ちるのかも数をこなして行くとパターン化して来ます。一時の寂しさを紛らわす為に欲望を解放していても、ただ数をこなしているだけでは、最終的には虚しいだけになって来ます。入れ替え可能の底の浅い関係性では承認は得られません。
やったり落としたりするのは、慣れればある種のテクニックですので、誰と付き合っても承認不足をたえず抱える事になって、だから数をこなし余計虚しくなるという、悪循環、人間関係に実りがどんどんなくなってしまいます。誰でもいいという事は、相手からもその程度の承認しか得られないという事です。
これは相手が金持ちだから、仕事が出来るから、頭がいいから、束縛しないから、優しいから、面白いから付き合っている、このような単なる条件付きの関係性も同じ袋小路に直結します。ようするに金があれば誰でもいい、仕事が出来れば誰でもいい、頭さえよければ、束縛しなければ、面白いから、という条件であれば誰でもいいと言っているのと同じですので、こういう関係をいくら結んでも傷つかないかもしれませんが、底の浅いくだらない関係にしかなりようがありません。だから満たされたとしても、単なる動物的な欲求を満たすというだけで、人間関係によって承認を得る事もされる事も出来ません。
付き合ったり落としたりする事より、深く関わって続けて行く事こそが本当は一番難しく、そして入れ替え不可能な人格を承認し合う関係性を築く事も出来ます。だから傷ついたり泥にまみれたりもする。最近では傷ついただの、汚れただの大騒ぎする脆弱なコミュニケーションに溢れていますし、その傷から自由になる事や、傷を埋めたり汚れを消す処方箋に溢れています。スピリチュアル的説教が持てはやされたりもします。
しかし傷から自由になる必要なんてないし、生きていれば汚れない方がどうかしている。傷を埋める事なんて出来るわけもない。その傷や汚れこそが唯一無二の自分と言うものを形作り、入れ替え不可能の人格を形成しているわけです。そこから自由になったり、消したり、埋めちゃったりするって事は、唯一無二の自分を形成しているパーツを捨て去る事にも直結します。
深くかかわり合うのを避け、傷や汚れという言い方で自分を形作っているパーツから自由になる処方箋やマニュアルに右往左往していては、入れ替え不可能な人格や、入れ替え不可能な関係性なんて築けるわけありません。入れ替え可能な底の浅い関係性をただ、快不快原則で選択し、消費していく事が快楽だと思うのは自由ですし、それもそれなりに楽しかったりしますから否定はしませんが、それは自分の選択の結果であるという事を、せめて自覚することが重要なのだろうと思うわけであります。
Aちゃんの準彼氏が卑劣漢かどうかはわかりませんし、自分には関係のない話なので、知ったこっちゃないのですが、そんな事を感じました。普段は女にモテなそうなネタばかりかいておりますが、意外と恋愛経験値は高い男、三日坊主でした。
それと、女性の方は男性を見分ける時に重要な要素として、いかに女性の目から見てアホらしい事に没頭しているかどうか、これは実は重要な要素です。表面上の快不快原則で右往左往するのは動物と大差ありません。女性に気に入ってもらう為に受けそうな受け答えをする男は爽やかかもしれませんが、必ずしもそれが中身に直結するとは限りません。
女性の目から見て、何でこんな事にこんなに情熱を注いでんだ?という男は、退屈かもしれませんが裏切り率は低いと思います。そしてある特定の対象を一見レスポンスは鈍く感じるかもしれませんが大切に考える傾向が高いと思います。女性受けのいい男、思いやりや優しさのある男、そういうのを偽装して女に近付く輩の話は、話半分で聞きましょう。
安定か?不安定か?どちらが幸せなのか、実りのある恋愛経験なのか、傷つく事も時には大きな経験にもなるので一概には言えませんが、思いやりや優しさを偽装する男、三日坊主でした。