さて教科書問題の悪しき連鎖、氷山の一角から教育を、いやこの国全体の問題点に切り込む手段は、分権化です。多分これしかありません。

教科書を国家権力が検定している状態から脱却し、分権化し地方地方でそれぞれが国家に依存せず自立する。自治と補完の原則、地方が中央に依存せず、どうしても対応出来ないところだけ、国家権力を呼び出して補うという、ヨーロッパなんかでは当たり前の国家像です。アメリカだって州ごとに法律が違ったりします。

これは教科書だけの問題ではありません。中央が恣意的な権限や裁量を持ったまま、責任だけ地方になすり付ける今の構造は分権化でもなんでもありません。それこそ地方を切り捨てているだけです。権限を地方に移譲し、それぞれが模索する。教育の問題も教科書だけではなく分権化がキーワードです。人口の偏り、地域の空洞化、中央に依存しバラマキを待望する、バラまいた金は献金となって政治家に戻っていく、これらは集権的な制度を国家が手放さない事が原因となっています。

しかし分権化と言ってもそんなに甘い話ではありません。なぜなら短期的にはもっと悲惨な状況になるかもしれないからです。教科書を取ってみても、もっと国粋的な教科書や、共産主義的な教科書が出てくる可能性だってある。そして当然ですが上手くいく地域といかない地域の格差も生まれます。経済にしろなんにしろです。

それでもなぜ分権化がいいのか?というと、その格差を目的としてやっているわけです。簡単に言えば国家が一律に管理するという状況ですと、国が間違えば国民全員が痛い目にあいます。全員が沈没するわけにはいかないのです。

だから地域地域でいろんなやり方を模索する必要があります。そうすれば失敗しても一部の地域だけですし、成功例が出て来るはずです。成功例が出てくればそれを学んで真似れば、被害は最小で済みます。もちろん地域が違えば上手く行かない事もあるでしょうが、そこはただ真似るだけではなく地域性をミックスさせる事によって、トライアル&エラーを繰り返すしかありません。その事が独自性や多様性を担保もします。

しかしこれには大きな壁が立ちはだかっています。もちろん権限を手放さない国家権力という事もありますが、これは政権交代を繰り返していけば、一気にどうにかなるとは思えませんが、少しずつは変わっていかざるを得ないはずです。それに民主党は一応分権化を謳っています。本当に出来るかどうかはわかりませんが。

大きな壁とは我々の心の問題です。絶対に不安になる。失敗した政策を打った地域の住人は絶対に吹き上がる。だから必ずメディアや政治家は、分権化して悪くなったという事を、煽り炎上させ、その不安に媚びて依存的な国民がそれに引っかかるというパターンに陥りかねないからです。依存体質につけ込まれるという構造です。

分権化する事に対する、既得権益層の抵抗は郵政なんかとは比べ物にならないくらいの凄まじい抵抗になるでしょう。国民の為には全く頭を使わない官僚も、己の権益維持の為には恐るべき能力を発揮し、あの手この手を駆使して、国民世論に火をつけバックフラッシュさせる為に全身全霊を注ぎ込むに決まっています。そりゃ当然です。誰だって自分が可愛いし、防御本能が働くのは合理的と言えば合理的です。

地方切り捨てという言葉で向く矛先は、権限や裁量を地方に移譲しろ、という方向ではなく、国に依存して何とかしてくれという方向になっちゃってますし、安倍が打ち出した政策が殆ど巻き返されているのは役人の凄まじい抵抗と巧みなタクティクスによるものです。公務員制度改革なんて殆ど見通しが立たなくなっちゃった。

元々安倍的な政策はどうせダメだと思っていましたし、結局恣意性が見え見えでしたからどうでもいいのですが、必ず我々の不安を煽り、それに引っかかってみすみす役人の権益になってしまうという状況が起こりかねない。不安というのは政治家や役人の権益です。対策を打つという事は、新たに組織を立ち上げたり、天下り先の確保になったり、税金をバラまきキックバックが政治家の懐に入るという構造を生み出します。

良心的な正義感から地方の格差が生まれる事に対して弱者を見捨てるのか!!という方向性になる可能性も大ですし、何となく言っている事が正論のような気がしますが、国が一律に管理して失敗する、もしくはグズグズと旧来の制度にを温存し利権を貪るという状況を脱しないと、近い将来本当により絶望的な状態になるのは確実です。

これにはくだらない平等教育が邪魔をします。これは国家がこの構造を手放さない為に施した戦略でもある。平等というエサで国民を釣って、既得権益者が権益を貪るという制度です。平等を叫んでいるもの達が、平等を真逃れ搾取すると言う、旧ソ連の官僚制度や北朝鮮とたいして変わらない構造を抱えているわけです。そこまで抑圧的ではないにしろ、自由だと錯覚しているだけ厄介です。

だからそこを回避しなければならないわけですから、短期的には成功例と失敗例が出ても、成功例を知る、対応策を知ることが重要なのです。そうすれば失敗した地域も救えます。国が間違いのない成功に導く舵取りなんて出来るわけありません。未来の事など予測不能ですし、世の中ここまで滅茶苦茶にしといて今更国家権力を信用出来る要素は何もありません。結局彼らには己のポジショナリティしか頭にないのです。

もちろん夕張市と大都市では、初期手持ち量が全然違いますから、せいぜいその穴埋めくらいをしてくれれば十分です。この場合もアメを与えて国の言う事を聞かせたりするような権限を国が持っていなければ、利権の温床になる事も最低限で防げます。いろんな方法を試してなるべく早く成功例を導入するという事が重要なのです。

そうすると愚作を打つ地方はどんどん人が流れていきますから、腐敗している場合ではなくなります。透明化もしないわけにはいきません。独自性を打ち出し、人を呼び込む事をそれぞれの自治に任せれば、無能な舵取り役は淘汰されるでしょう。そもそもバカで無能な人間が政治家を志そうとするから問題が吹き出て来るわけですから。

優秀な人間を生み出そうと思えば教育制度だって優秀な人材を生み出す方法を模索するはずです。そしてそれが流失しないように、また外部から優秀な人間が流れて来るようにインセンティブも働きます。よそ者をはぶく事で上手く行く地域もあるでしょうが、それで回らなければ変わらざるをえません。そして自治体同士、相互チェックも働くようになるし。協力して何かを成そうともするでしょう。少なくとも今の状況よりはマシになるはずです。

今の状況は国に依存して、無能な政治家やクソ役人どもがことごとく打つ手打つ手を失敗し、しかも全くその事に責任も感じていなければ痛みも感じていません。どこ吹く風です。分権化すればもう少し自分の生活に密接なレベルの事を反映させやすくなります。

国民の生活よりもテロ特だ、なんて言うアホくさい図式は分権化したらそういうわけにはいきません。もちろん国防は大切ですが、テロ特は国民の生活よりも優先させるほど重要な問題ではありません。テロ特は国防とは何の関係もありませんし、何の得もありません。むしろ中東諸国から怨みを買い、報復の対象になるだけで、いい事なんて何もありません。アメリカだってもうどうだっていいと思っている。

アメリカが日本に基地を持っているのは日本を守る為なんかではありません。アメリカの世界戦略、太平洋の覇権を維持する為の戦略として日本の基地を利用しているだけです。日本人が何人死のうが、例え核攻撃されようが、それが理由でアメリカが助けてくれるなんて思ったら大間違いです。なんで日本人の為にアメリカ人が命をかけなければならないのか?そんな理由はどこにもありません。

アメリカが戦争するのは、アメリカの国益(ブッシュのように一部のステークホルダーの利権の為という事もありますが、それも含めて)になると判断した時だけです。北朝鮮の拉致問題を見ていればわかるはずです。米軍基地が攻撃されて、日本を守る事がアメリカの国益になると思えば助けてくれるかもしれませんが、今グァムに米軍が移転したりしています。先制核攻撃を受ける可能性のある地域に米軍をおいておくのはリスク回避の観点から得策ではないのではないか、という力学があります。これに対して日本を見捨てないで下さいと貢いでいるわけです。もちろんアメリカは交渉のリソースとして押したり引いたりしているわけです。アメリカと中国は経済的にはテーブルの下でガッチリ手を握っています。だからもちろん基地としての価値も相対的に薄まってもいる、が、このおいしい構造を簡単に手放すわけがありません。手放すよ、と不安を煽って、ゲインを引き出せるうちは、アメリカは国益となれば何でもやってくる国です。だから反米になれとは言いませんが、戦略的に付き合う必要があるのです。

少なくとも分権化すればテロ特が最優先だとはならないはずです。とまあ、分権化すれば何もかもがすぐに上手く行くわけでもなければ、政権交代すれば何もかもが上手く行くわけでもありませんが、今の状況を続けていってもじり貧は間違いありませんから、どこかで一歩を進みだす必要があります。そしてその鍵は我々の手にある。

明治維新以降、近代化の過程では、国民が一丸となって突き進むという教育制度は必要だったのかもしれません。我々が学校の授業や例えば体育等で、軍隊式の、整列!!、気をつけ!!前へ習え!!休め!!というかけ声に従うという教育は、資本主義的な作法を浸透させる為に必要な振る舞いでした。時間通り会社に行くとか、休憩時間以外は真面目に働くとか、上司のかけ声に反応したり言う事を聞く為に。

そして戦争が終わり焼け野原から、再復興近代化を果たす過程でもこういった全員一丸となって突き進むという作法が必要だったと思います。

しかしバブルが弾け、近代化や裕福になるという目標がある程度達成され、右肩上がりの経済もかつてのように望めない時代になり、パラダイムが変わっているのに延々とこの古い制度が残っているどころか、強化しようとしている状況は時代遅れも甚だしい。生き方も多様性が求められる社会、真面目に働く事が幸せになれるとは限らない社会では、そういう日常にどうやって向き合う事が出来るのかという思考を獲得しなければ、人々はアノミー化してしまいます。

そして現在の受験制度というのは要するにホワイトカラーになる為の事務能力を競う教育です。だから都会に人が集まるのは当然です。集権的なシステムで本社が都会にあれば人はそこを目指します。それに寄生するサービス業も乱立する。したがって地域は空洞化するに決まっている。地域が空洞化しているとか言ったってそういう教育を施していれば当然なのです。

もう本社を都会に置き、工場で加工貿易して外貨を稼ぐと言うビジネスモデルではこの国は立ちいかない。中国やインドのように、人件費の安い国には勝ち目がありません。

そこに勝つ為には優秀な技術者を育てねばなりませんが、学校教育がホワイトカラーになる為の教育で、そこからこぼれた人がブルーカラーの仕事につく、という状況では優秀な技術者を生む状況にはなりにくい。

ただホワイトカラーが単純労働者を管理するというやり方で中国やインドと不毛の争いを続けても、地方の工場は閉鎖されたり、労働者の賃金はどんどん切り下げられ、非正規労働者やネットカフェ難民等を生み出す状況をどんどん加速しています。

そういう労働者達が最低限必要なものが手の届くような欲望を満足させる社会設計をすれば、当然地域性は壊れ、街並はファストフード、コンビニやファミレス化しパチンコ屋、レンタル店と、入れ替え可能のどこも同じような景色になってしまっている。そういう街並にさらされて生きる人間達は当然ホワイトカラーであっても、単に社会の歯車でしかない自分の存在に引き裂かれる。

もうこういう社会設計ではお先真っ暗です。その為には分権化し地域の独自性出し多様性を担保する。ホワイトカラーになる事が成功とは限らない社会なのですから、何かの技術者を目指したり、農業だって、漁師だって、林業だって、観光産業だって、いろいろな道があるはずです。

学校の受験競争にはじかれた人間が希望を感じない社会、受験に成功したとしても単なる歯車となって虚しさを感じる社会は、それ以外の選択肢が遮断されていて、失敗したら復活出来ない社会だからでもあります。受験に失敗しても別に困らない、道を誤ったと感じたら途中で修正が利く社会にしなければ、人々は競争して他人を蹴落とし、金が一番の行動原理になっても当然なのです。そしてそこからこぼれた人々は、諦めるか、ルサンチマンを感じるだけになってしまう。

これからの世界の動きは、これまでのような教育制度では対応出来ない状況になる。それに対応する為には多様性は不可欠です。前大戦泥沼に突き進んだ理由は、この多様性がエリートから末端まで失われていたからでもあります。逆に明治維新が成功したのは多様性を盛り込んだからです。たかが教科書検定ですが、その裏には非常に複雑なこの国の問題点が隠れています。ここを突破口に出来れば、この国は変われる可能性があります。

人は不安を感じるなと言っても無理ですから、短期的には分権化によって悪化した場合の我々の心が最後の壁です。それは困難な道かもしれません。資本主義というのは、聖書の中身をそのまま信じるプロテスタンティズムによって生み出されたシステムですが、真実を知る事(聖書の中身)によって、それ以外を信用出来ない、不安に煽られるようになったから、信用をより透明化するため、契約によって信用を担保する、ルールや契約によって末端まで縛り付ける事になったわけです。通貨やルール主義これらは信用を可視化したものです。

だから目に見えない可視化出来ない信頼は益々失われ、更に不安を加速する。それが資本主義経済の帰結でもあるわけです。現状では資本主義というのは最悪なシステムですが、残念ながら一番マシでもあるのです。

ひょっとすると資本主義を通過し、多くの人々がもうこりごりだと感じる事が出来れば、マルクスの言ったような社会になるかもしれません。共産主義がことごとく失敗したのは、資本主義を経由しないで舵を切ったからだという見方もあります。ソ連も北朝鮮もそうです。

そういう社会になるのかどうかは自分にはわかりませんが、この不安とどう向き合い、信頼をベースに生きられるようになるかが、資本主義を続けるにしろ、違う社会を目指すにしろ、手詰まりの社会を変える鍵になるのではないでしょうか。

相変わらず簡潔に書けない己の未熟さに辟易しますが、luxury-luxury様こんなものでいかがでしょうか。長過ぎて読むのに疲れるかもしれませんが、それはご勘弁を。
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教科書の問題についてあれこれ書いてみました。