寒さが一段と厳しくなって参りました。寒いのが大嫌い、三日坊主でございます。ビリー隊長のしごきも完璧に日常と化し、だいぶ物足りなく感じるようになり、少し飽きて参りました。

さて様々な事が起こっていますが、真面目に取り上げたいと思える問題も中々無く、どうでもいい話題ばかりに感じます。

オシム監督の後釜が岡ちゃんになりそうですが、何とも複雑です。あまりにも役者が違いすぎるのは否めません。他に適当な人材で、協会の思惑通りに言う事を聞きそうな人もいなかったという感じでしょうか。前々回のフランス大会での実績を買われてという事でしょうけれど、あの時も加茂監督が作り上げた代表を引き継いだわけですから、今回もひょっとすると上手い事行くかもしれません。頑張ってほしいものです。

気になるネタもそれほどないので、またしても抽象的な話になりそうですが、始めます。

誰が敵で誰が味方か?なぁんて書き方をすると仰々しいのですが、パキスタンの情勢を観ていてもしかり、ヴェネズエラの様子を観ていてもしかり、国家権力が国民の連帯に楔を打ち込み、国民同士で指の刺しあい、悪いのはアイツだ、という図式が世界中で吹き荒れています。アメリカの共和党VS民主党、フランスのサルコジの是非、韓国の大統領選、台湾の総統選挙、日本でもこう言った形が国民が個に分裂していくのを補うかのように、アイツのせいだ、悪者は誰だ、という図式に溢れています。

あぁ、やだやだ。嫌なご時世です。

政治的なイシューに対して賛成、反対はあるでしょうから、自分が応援する候補もしくは政党ではない、人や政党を支持する人々と意見が違うのは当然です。全員一致で善き方向を目指すという事は、実は民主主義の最大の勘違いなのだ、という言い方もされます。それが例えばファシズムを生み出したりしますから。

問題点に興味を持ち続けさせたり、振り向かせたりする為には、誰が味方で、誰が敵かを認識する事によって、常に対立点を与え続ける。これが民主主義にとって重要な要素であるという言い方です。それは確かにそうだと思います。民主主義にとっては。

この対立点というのは、各々本当の目論みは違うのだとしても、少なくとも指示している一般市民は、生活の向上、国民の益になると思い指示しているはずです。もちろん己の既得権温存の為に、己の所属する共同体の為にというのもあるでしょうが、普通の感覚で言えば己の所属する共同体の利益が即ち国民益につながるはずだと思っているわけで、自分達さえよければ、この国が沈没しても構わないという人もいるのでしょうが、国が沈没すれば少なからずその痛手は受けるわけで、全く関係ないというわけにも行かない事は誰にでもわかるはずです。

しかしこの対立点、金持ちと貧乏人、経営者と労働者、利口な人と頭の悪い人、世代間、性別間、地域間、そして国家間の対立点を巧みに政治家や役人、そしてメディアに乗せられて煽られ、指の刺しあい、断罪合戦、自分が両足どころか首まで泥沼に浸かっているのに、他人を指差してアイツはケガレているとやり合っている。自分の汚れている姿は見えない、もしくは見ない。情けなさの連鎖、自分の事は差し置いて、人を断罪する。直接言っているうちはまだ救いようがあります。コンフリクトが起これば、すぐに変わる事が出来なくとも、経験の蓄積になり、いつの日か役立つ事もある。

メディアの厚顔無恥な己の立ち位置をしらばっくれて、恣意的に悪者を指差す構図も、何を言ってやがるという面もありながら、それがある程度のガバナンスになっちゃっているのも事実としてあります。もちろんインチキ、恣意性、捏造も沢山ありますが、それによる指の刺し合いがかろうじて、底の抜けた社会を担保してもいる。こんな腐りきった連中が恣意的にその力を活用している事が本当は最大の問題なのですが、動員力としては侮れないものがあります。

しかし、お前もな!的に足下をひっくり返されるという現象が起こっているのが現状です。風向きはすぐに変わり、今まで指示していたものを簡単に捨て去り、アイツはもう終わった的な現象がある。ちょっと汚れると、アイツは信用出来ない、騙された、裏切られたとなり、傷ついたとか傷つけられたとか大騒ぎする。大声で否定すると、お前もな!と指をさされるので面と向かって言えなくなる。蛸壺に引きこもってマスターベーション的なコミュニケーション。君は凄い、君は間違っていない、という共同体の内輪受けだらけ、共同体の外とのコンフリクトは、例えば掲示板でメッタクソにけなしたり、攻撃されない場所から攻撃をする。いつ誰に裏切られるのかもわからず、疑心暗鬼の世の中になり、誰も信用出来ない。

どうせ裏では何をしているかわからない。だから必要以上に関わりを持ったり、大声を上げたりすれば誰に足下をすくわれるかわからない。ましてこの国では道徳や良心を規定する宗教や思想の伝統がない。メディアが悪者だと指をさせばそれに煽られ、政治家が公務員が悪者だと言えばそれに煽られる。本当に自分にとって誰が味方で誰が敵なのかもわからない。だからわかりやすく敵を設定してくれるものの口車に簡単に乗せられてしまう。あいつらのせいで何もかもが台無しだと指をさす事によって、自分はその対象とは違うと言う確認をしながら、自分がどちら側の人間かを確認する。共同体からはじかれないように自己防御をする。

自民党がずっと政権与党であり続けた原因の一つとして、野党が一つにまとまれないという理由があるかと思います。言い方を変えれば与党の野党分断工作が巧みであったと。

もちろん裏で手を握っていた旧社会党的な図式もありますが。まぁそれほど巧みにも見えないのですが、自民党を支持している人達、自民党を引きずり下ろしたい人達という風に二分すると、自民党というのは右から左までいろんな奴がいます。ちょっと前なのに小泉安倍路線の時に元気のよかった人々はおとなしくなり、その頃いるのかいないのかわからないような人達が盛り返してくる。目指している方向性は外から見ると全く真逆なんじゃないのかという人達がいるので、様々な層を取り込める。

逆に自民党に対抗しようとする野党は最近民主党は右から左までネオリベからリベラルまで様々ですが、どちらかと言うと、自民党の薄汚さには我慢ならんが、小沢はどうしても気に食わないとか、社民の連中は虫酸が走るとか、共産はさすがに無理だろとか、国民の間でも分断され、もちろん政党間もわだかまりが無くならない。己の立ち位置の正しさを提示し、延々と鍔迫り合いを繰り返して来ました。とりあえず自民党を引きずり下ろすという目的でも、中々共闘出来ない。ちょっとケガレていると、アイツは信用出来ないって話になってしまう。

別に自分は自民党が敵だから団結しろとか言いたいわけではありません。個人的な感覚で言えばもちろん自民はとっとと野に下ってほしくてたまりませんが、個人的な感覚は別の話ですのでそれはわきにおいておきます。

何が言いたいかと言うと、本当に今敵だと言われている対象が、本当に敵なのか?という事が気になるのであります。日本人の我々の幸せにとって何が最適なのか、これは難しいですし立ち位置が様々ですから、そう簡単に意見はまとまりません。だからその事を争点にするのは悪くないと思いますが、少なくとも日本人がどうすれば幸せになるのか?という事を考えている人達は同志であり同胞であるはずです。問題点で対立していても、最終的な願いは同じはずではないでしょうか。

例えば先日、11月25日は三島由紀夫の命日でした。なぜ三島が自決したのか、前年の国際反戦デーで自衛隊の治安維持の為の出動をしなかった。本当は要求される可能性があり、治安出動を機に自衛隊がクーデターを起こす事によって、憲法九条も安保もアメリカのケツなめ状態になっているので、ケツなめ自衛隊から国軍になるんだ、というビジョンを掲げていたわけですが、実際治安出動がなくて落胆し、市ヶ谷で檄を飛ばしたわけです。アメリカの軍隊でいいのか永久にと。

そうすると、バカヤロー、うるさい、引っ込めと言われて、腹を切って死んじゃった。

当時の防衛庁長官であった中曽根や、首相であった佐藤栄作が、キチガイがいたとか、戦後の平和と民主主義の本義をぶちこわしにする奴が出てきたとか、それぞれがそういう風に発言をするわけなんですが、当時の論壇を見ると、ふざけるな、新左翼なども三島とは立場が違うが、三島がアメリカや自衛隊に対して思っている思いを共有できるという前提でいろんな奴が集まって話している、キチガイがやったという発言は余りにも欺瞞に満ちているではないかという議論を普通の人間がある程度できる状況がかろうじてあったわけです。

改憲、護憲という対立軸があります。自分は改憲が必要だと思っている人間ですが、それは日本人の幸せの為であって、戦争したくて言っているわけではありません。憲法解釈も酷い状況ですし、例えば衆議院と参議院のあり方一つとっても、今のように国会運営が機能しない、従来の憲法に則っていたのでは上手く機能しない状況があるわけです。9条の争点にしてもそうです。実際にこの国はもうすでに戦争に加担している。9条を守っていても戦争しているわけです。社会が過剰流動化にさらされ、もうすでにアメリカのように経済的理由で自衛隊が優良な就職先になりつつある。こういう状況を生み出している現状を鑑みれば、憲法9条を守っていてもムリがあるのではないかと思うわけです。だいたい憲法自体、相当軽んじられてもいる。

それにそもそもこの国は立憲の概念もよくわかっていないアホたれが改憲だとかほざいたりしますので、安倍晋三的改憲はヘドが出ますので大反対ですが、原理原則が守れないし、簡単に解釈も変わるし、守っていても機能していないのでは、論理的に言って変えるしかないだろうというのが、常識的な改憲派の考えなのではないかと思います。もちろん変えようが守ろうがそもそも遵法精神がなければ本末転倒なんですが。

こういった対立軸は様々ですが、あらゆる所に存在しています。道路、公共事業の問題だってそうです。必要だと思う人もいるし、そうでない人もいる。しかし公共事業がそもそも悪だ、という言い方は間違いです。公共投資というのは乗数効果が期待出来ますから正常に機能すれば経済効果は何倍も得られる事になります。経済効果が得られれば国民は裕福になりますから、最終的には税収になって跳ね返って来るわけです。もちろんケインズのいう所に従えばという話ですが。ただ穴を掘るだけでも、そして掘る場所が無くなったら今度はそれを埋めるのでも、乗数効果は得られるわけです。

問題は腐敗した談合によって一部の人間が価格を不当に釣り上げ、金を回しているスキーム、政治家や役人がそのおこぼれの利権を貪っているという構図が問題なだけで、公共事業どころか、談合だって本当は問題ではありません。

競争による入札という事になれば、安い値段で勝負出来る所が常に勝ち続けてしまいます。そうなると例えば地元の業者が空洞化してしまい、地域を保全するという観点から言うと、逆にソシアルコストが高くついてしまいます。多少高くとも地元の業者を優遇するということ自体は、みんながソシアルコストをちょっとずつ負担する事によって、地域の空洞化を防ぎ保全する事につながります。だから不当に談合して、わざわざバカ高い金額で落札し、それが政治献金になって政治家に還流させているような構造が問題なわけです。そうなると政治に金がかかる事も問題なのかもしれません。

もちろん道路を作るという事は流動化を促進する事につながりますから、闇雲に作れば地域は空洞化してしまいます。新しい店舗が出来たり街並が出来たりすれば、もともとあったものは潰れてしまったり衰退してしまったりもします。そういう意味で地域保全にならない場合ももちろんありますが、今の公共事業を問題視する視点は、そういう視点では全然ありません。公共事業そのものに問題があるわけではなく、それを回しているスキームが問題なわけです。流動化させる事によって活性化するために道路なんか作るのだったら、高速道路を無料化した方がよっぽど経済効果はあると思います。

しかしこの問題も道路そのものを悪者にする事によって、本当の問題点とはズレてしまった所で議論されている。ヘタすると、都市VS地方という図式で、対立軸になってしまったりもする。本来都市に住んでいる人々と、地方に住む人々が敵対関係にあるわけありません。そこを巧妙に争点化する事によって、問題点からずらされてしまうわけです。

それに官僚の天下りという問題も大騒ぎしますが、これによって企業が逆転出来るシステムを担保しているなんていう評価さえ外国ではあったりします。つまり経済競争というのは勝つ方は常に勝ち続けてしまい、やがて独占状態になってしまう恐れが存在します。しかし官僚の口利きによって、初期手持ち量をある程度キャンセル出来るというわけです。最近騒がれている山田洋行のような後発の弱小商社が五大商社独占の間隙を縫って防衛利権に切り込めたのは、旧経世会の後押しがあったからこそです。もちろんそれを旧経世会防衛族の防衛利権の代理人として活用し金を還流させるシステムを悪用していたわけですから、正当化するつもりは毛頭ありませんが、問題は悪用している事ではないかと思うわけであります。

つづく!!