前回の続きでございます。グローバライゼーションは多様性を担保すると書きました。しかし多様性はそのわからなさゆえに人々は恐れを感じます。本当は多様性のなさ、単純化したゆらぎのなさこそが、この国の戦前のような政治形態を生み出したりするわけです。破滅への道です。

この国があの戦争に突っ走っていった最大の原因は、統治権力に明治維新から日露戦争くらいまであった多様性が無くなった事が最大の問題です。頭の良さという事に関して言えば、維新や日清日露戦争当時より学力は優秀だったのだと思いますが、思考が単純化し、問題を解く頭の良さではなく、危機に対応する頭の良さが無くなってしまった。この国ではいまだにその頃の弊害が残っています。官僚なんかその典型です。多様性を獲得し危機に対応出来る頭の良さを獲得する事が、現代の教育の一番のプライオリティであるはずなのに、結局、分数が出来なくなっているとか、くだらない理由で教育の舵を切り替えようとしています。当たり前ですが分数なんかいくら出来たって、危機に対応する能力は養えません。答えのある問題は簡単なのです。答えのない問題にどう対応し、どう考えるかを養う事が肝腎なのに、大人まで子供がバカになっているとか言って大騒ぎしています。大人の真似しているだけなのに。

アメリカがなぜ最強の国家なのか、それはどんなに格差があろうと、どんなに問題を抱えてようと、常に多様性を担保し続けているからでもあります。それが建国の理念にも建前上はなっている。自由です。多様性は恐ろしく感じる、しかしそこから回避していてはやっぱりロクな事はない。その先に滅びが待っている。それが行き過ぎるとナチスや共産主義による粛正、宗教間の対立や排除のような、血みどろの歴史を生み出す原動力にもなってしまいます。その事をわかっているから、あの国は酷い国でどうしようもない国ですが、最強の座に君臨し続けていられるわけです。

アメリカ人自体を見て行くと、単純な善悪二元論的な思考をしている人が結構います。そういう意味では、日本人やヨーロッパ人より個人個人の思考は単純かもしれません。排除的な単純思考に陥りやすい。だからネオコンみたいのが出てくるわけです。黄禍論だって優生学だってアメリカで持てはやされました。だけどそれゆえに多様性を物理的に担保し続けているのかもしれません。それが単純化しやすい国民性を相殺している。そしてその多様性ゆえにコミュニケーションはわかりあえないという事を前提に考えている。

例えば黒人文化であるヒップホップなんか典型ですが、黒人というのはずっと虐げられて来たわけです。いくら話を聞いたって、絶対に彼らの言い分なんて聞いてもらえなかった、そういう現実は今にいたっても残っている。だから彼らはコミュニケーションに対して絶望している。その絶望と向き合うリソースとして、ヒップホップがあるわけです。魅力的なリリック(歌詞)絶妙のライム(韻を踏む)で誰にも聞いてもらえない事に向き合う事によって、強力な武器となる人々を魅了する事の出来るものを身につけるわけです。子供の頃から文化として生活に染み込んでいる。日本人の若者がファッションだけ真似していたりするのを見ると痛々しくてしょうがないのですが、これも文化に対する甘えでしょう。ヒップホップはファッションじゃありません。生活であり文化です。ディスリスペクトという言葉がありますがリスペクトの本当の意味も知らない輩がディスるもディスられるもクソもありません。

音楽で言えばロックだって同じようなもんです。アメリカから話は飛びますが、例えばイギリスの労働者階級の人々というのは希望が全く無い。週末サッカー場で酒飲んで暴れるくらいしか楽しみがなかったりする。若者はサッカー選手になるか、ロッカーになって成功するくらいしかその環境から抜け出す方法がなかったりします。だから彼らの音楽は心に突き刺さって来たりするわけです。絶望に向き合うリソースです。

この国の音楽がクソばかりなのは多分この辺に理由があるのではないかと思います。カッコだけ真似していて何にも向き合っていない。マスターベーションです。映画もそうです。この国では本当の意味での絶望なんて共有していない。誰かが何とかしてくれるとみんな思っている。統治権力が何とかしてくれる、アメリカが助けてくれる、景気が良くなれば上手くいく、国が悪い、教育が悪い、アメリカが悪い、中国が悪い、メディアが悪い、制度が悪い、ルールが悪い、企業が悪い、誰かのせいにしていれば何とかなると思っている。しかしそれでもどうにもならない、絶望しか残っていないという事を感じた時、悲劇を経験した時、初めてそれに立ち向かうリソースやコミュニケーションを獲得出来るのかもしれません。本当の意味での希望とは何かを知る事が出来るのかもしれません。

前大戦の敗戦の時、決定的なチャンスだったわけです。しかしアメリカにスポイルされてしまった。アメリカさんありがとうになってしまった。そして時が流れてバブルが弾けても結局目覚めなかった。

絶望を味わう事がいい事だとは思いませんが、絶望を感じる事も出来ないような依存と甘えではもっと悲惨な目にあいます。

さて話は振り出しに戻って、今回の小沢さんの辞任騒動の顛末でいったいどれくらいの人がきちんとあの人が言っている事を聞いていたのか?まず大手メディアはゼロでした。民主党の議員や他の政党の議員も、殆ど聞いてないようにしか見えません。小沢さんは会見で重要なことを言っています。その事が殆ど取り上げられない。ひょっとすると安全保障の大転換の可能性もあったわけです。福田政権がそれを飲む可能性があった。それが出来るのなら連立なんて話は鼻くそみたいなもんです。アメリカン・プラットフォームを受け入れるにしたって、依存状態と自立状態では状況は全く異なります。

アメリカとの関係を本当に戦後体制から脱却し、あらゆるアーキテクチャーに染み付いている、アメリカに対する依存と引き換えにズタズタになっている、この国の完璧に底の抜けた状態を変えられる可能性があったわけです。軍事を依存しているがために、食、エネルギー、住、金融、技術、情報、ありとあらゆる分野の安全保障の底が抜けてスッカラカンなのが現状です。アメリカの国益第一という奴隷状態から自立する第一歩になる可能性のある話だったのに、まんまと水泡に帰したわけです。

格差だの弱者救済だの騒ぐのなら、アメリカの国益第一で考えなくてはならない状態から、日本の国益第一に考えられる状態にシフトせねばどうにもなりません。それをきちんと話も聞かずに、全くやれやれです。国民の意志が反映されないとかほざいている人もたくさんいますが、現状の奴隷国家の状態では、何回選挙をやろうが政権交代をしようが、国民の意志など永久に反映など絶対にされません。

思いやり予算を続けろというプレッシャーが今かけられてもいる。この踏んだくられ続ける構図がどうにかなったかもしれなかったのに。

非常に残念ですが、人の話を聞かないとこういう事になるわけです。これはこの国の未来の希望まで失ってしまうような決定です。自分の国の責任を自分達で取れないような国であり続けるかぎり、この状況からの脱却は永久に不可能です。戦争反対と思うのなら尚更です。

連立というのは実は入口で、アメリカとの関係を相対化させる勢力と、アメリカ依存で権益を確保する勢力にようやく割れて、政界再編するチャンスであったかもしれないわけです。おそらく小沢民主が政権をとってもこの方向性はそう簡単な話ではありません。そもそも政権を取れるかも怪しいわけですが、民主自体も一枚岩ではないからです。そして自民も一枚岩ではない。最大の問題は同じような方向性である人達が別々の政党で実りのない権力闘争を延々と繰り返している事がそもそも原因なのです。そして同じ政党内では足の引っ張り合いに終始し、政権を維持する為、又は奪取する為、数合わせの為に妥協して政党を運営している。国民益とは関係ない政治家の個人的な都合の為、理念も目標も二の次になってしまっている状況にある。だからどちらが政権を握ってもアメリカから自立するという方向性に対して拒否反応が出る。

もちろん簡単な話ではありませんが、どこかで第一歩を踏まねばこの状況からは脱却出来ません。反米でも非武装でも上手くいきません。それを突破する鍵があったかもしれないと思うと悔やんでも悔やみきれませんが、時間は戻りませんし、この一件で日本人は全く無関心ですが、アメリカは危機感を確実に感じていますから、必ずこの状況を回避するため、日本を経済的な植民地状態のままにする為のインテリジェンスやアタックを始めるでしょう。千載一遇のタイミングを逃した可能性もあるわけです。そりゃ絶望して辞めたくもなります。

くだらない潔癖主義が蔓延していますので、民主党は今回の一件で大変不人気になる可能性があります。いつになるかわからない解散総選挙ですが政権交代の可能性も難しいのかもしれませんが、民主党が仮に政権を握ったとしてこの方向性にそのタイミングでいける可能性があるのかどうかは疑問ですが、今のままではどうにもならない事も確かです。

まあアメリカはテロ特なんて話は本当はどうでもよくて、日本の政治が止まった状態なのは北朝鮮との関係改善のプロセスに日本の援助を交換条件に使えないという事に対する焦りから、連立を念頭に置いた政策協議に対して歓迎しているという話もあります。ひょっとすると小沢さんもアメリカに大事な部分を握られているので、見せかけの対米関係相対化、安全保障政策転換というアメを小沢に与えても、いつでも脅しが利くので構わないと考えて、あえて老い先短い中曽根やナベツネがパターナリズム的に国を憂いて改憲を望んでいる、その為に現状では連立しかない、という良心につけ込んだ可能性もあるので、そうであれば結局手の平で踊らされただけなのかもしれません。それは自分ごときにはわからない事です。

よくユダヤの陰謀、アメリカの陰謀、様々な言い方で、結局小沢に任せたって無意味だという言い方があります。それは本当はどうなのかわかりません。正しいのかもしれません。

しかし仮に正しいとしても、そういうものに対抗する為に国民的な連帯で対抗すると言ったって、結局何らかの政党を使ったり、何らかのカウンターとなる権力を使わなければ不可能です。国民が連帯して革命でも起こすなら話は別ですが。そんな事はほぼ不可能です。そうであれば例えケガレていようが汚れていようが、戦後体制から新しい安全保障政策の転換と対米関係相対化の為に必要と思えるものを道具的に利用して、一歩でも前に進ませる以外、文句を言っていてもどうにもならないし、道具にすらならない正論を支持して何の影響力もないのでは意味がありません。正しい事を言って、例え報われなくともいいのだ、というのであれば別ですが、未来を憂いているのなら例え手を汚してでも前に進ませる局面も必要です。政治はきれい事ではないからです。あいつは悪者だとフィンガーポインティングしていても前に進めません。スッキリはするかもしれませんがスッキリしても現状は何一つ変わらないでしょう。

本当にユダヤ権力やアメリカの陰謀だったりするのなら尚更です。巨大な権力に正論で立ち向かっても絶対に勝ち目はない。例え負けたとしても道義があればいいのだという発想で、前大戦で散々人が死んでいるわけです。それでは何の進歩もない。結局そういう大義の為に死んでいった後世の為に死んでいった人々の魂を我々は無駄にしかしていません。それどころかアメリカの奴隷になっているわけです。そうなるのであれば初めからあれだけ人を死なせてしまった意味はどこにあるのか?

平和な世の中になったではないかという言い方があります。確かになりました。アメリカの核の傘のもとにいて、朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦と戦争特需や、戦争経済のおこぼれにあやかって繁栄と平和を手にしたわけです。今またアフガンやイラクとの対テロ戦争という名目で無辜の民が虐殺されている事なんか全く知らん顔しているどころか、そのお手伝いをしましょうとやり合っているわけです。

こういうどうにもならない現状にいて、今更きれい事でケガレているとか正しくないとか騒いでいても虚しいだけです。

この国はもう政治が停滞しているのに国民はそれほど問題にも感じていませんし、アーキテクチャーもそれで何とかなってしまう。これだけ腐敗や堕落の膿みが吹き出しているのにそれでも民主党にお任せで政権交代すればクリアカットな解決策になると思っていたり、相変わらず自民に依存していたり、ケガレていると吹き上がったり、汚い手段だと正論で吹き上がったりしていても、別になんとか世の中回ってしまっている。

世の中の裏側の事は自分はよくわかりませんが、せめて目の前の人の言っている事は聞いた方がいいのではないかと思うのです。その話もよく聞かないで、裏を読んだり、先読みしたり、それが当たっているならまだしも全く外れている。そしてきれい事で吹き上がる。せめてそういう疑心暗鬼、不安ベースの意味の解らん憶測より、正論もいいけれど、言った事の真意くらい聞き取れなければ、コミュニケーションなんて上手くいきっこありません。話の内容を全く聞いていない、小沢会見の解説を観てつらつらと書いてみました。