前回の続きです。

この一連の流れに対米従属から国連中心主義の流れもあるのです。国連中心主義というのは確かに矛盾が沢山あります。小沢批判には国連だって間違う事があるじゃないかという言い方があります。しかし小沢氏の方向性は国連決議が必要条件だと言っているにすぎません。十分条件だと言っているのではないのです。国連が決議したから全部従うと言っているのではなく、そこは主体的に日本という国が判断するわけです。国連の決議が間違っていれば従わない可能性もある。

日本が例えば自衛隊を海外に派遣するためには必ず国連決議が必要だと言っているわけです。だから国連決議はないけれど、本当は派遣した方がいいのに、という状況では残念ながら、国連の決定がなければ日本は勝手に動かせない。しかし国連決議があり、我が国の主体的判断で必要だとなれば、派遣すると言っているわけです。

これは国家権力の暴走、憲法の国権の発動による武力行使を禁じる部分を守る事になる。もちろんアメリカへの貢献も国連が認めればするし、日本の原理原則を示す事によって、アジアの国々に理解を求める方向性にもなる。

アメリカのケツを追いかけて、主体性も原理原則もない状況で信用してくれと言ったって誰も信用なんて出来るわけもない。国連でもただアメリカに二票あるのと同じように見られているわけで、この国はアメリカの属国くらいにしか見られていません。

小沢氏のロジックは、不朽の自由作戦OEFは、アメリカの個別的自衛権の発動で、その海上阻止行動MIOの後方支援というのは国際法上戦闘活動の一種という事になります。それでは日本国憲法の精神に合致していないという立ち位置です。

OEFというのは国連決議1368、9.11直後、テロに対して個別的自衛権を発動出来る、という決議をベースにして、一ヶ月後に、実際に国連に相談をせずに、自らの判断で個別的自衛権の発動としてアフガン攻撃を開始しました。これに対して小泉さんがどこの国よりも早く、日本は後方支援をすると宣言して、艦船を出した。これがテロ特という事です。

国連が個別的自衛権を認めるとは言っても、それを実際に行使するかどうか判断するのはアメリカです。だからアメリカが始めた戦争でもある。国連決議はテロに対して個別的自衛権を発動する権利があると認めたにすぎませんから、日本がそれに手を貸す事は全く別の話で、国際貢献ではなく、アメリカ貢献にすぎませんし、国連のマンデートもない。

そしてアメリカ自体も国連のマンデートを望んでいなかったわけです。縛られたくない、自由にぶっ放したいという事です。

それに比べてISAFは国連憲章第7章に基づく、国連決議1386、集団的自衛権と言う形のマンデート、お墨付きを貰っています。同じ後方支援をするのなら、こちらの方が国際的な正当性は間違いなくありますし、アメリカに対する貢献にもなるわけです。

確かにISAFは相当問題点があります。PRTにしろ非常に危険な状態でもあるわけで、そこに自衛隊を派遣するとなれば危険である事は間違いありません。

だから安全な正当性の根拠もない所で原理原則もなくアメリカ貢献さえしていればいいのだ、というのか、それとも国際的な正当性を調達し、原理原則に基づいて、国際貢献をして行くという方がいいのか。

これは従来の戦争反対という見方では解決出来ない次元の問題でもあります。それとも戦争反対と言って、国際貢献など知らん顔していればいいと言うのであれば別です。きれい事の御為ごかし的な理想論で平和を望めばアフガンに平和が訪れるのなら、この国が国際社会で責任のある国だと思われるような貢献が出来るのならそれもいいでしょう。でも実際に戦闘活動が行われている現状では非常に難しいと思います。他所の国の事なんて知ったこっちゃない、国際社会で無責任と仮に非難されても関係ないという風に果たして思えるでしょうか。

そのように期待しすぎかもしれませんが、小沢氏の方向性はこの国の戦後のパラダイムを変えようとしているように見えるわけです。それは「日本改造計画」から実は変わっていない方向性でもあります。

日本改造計画/小沢 一郎

¥1,575
Amazon.co.jp

小沢さんという人は色々と黒い噂もありますし、イメージとしてネガティブなものも張り付いていますし、実際叩けばほこりが出るようにも見えます。

しかしかつて田中角栄をスキャンダルによって血祭りに上げ、彼の方向性が道半ばで途切れ、その後のこの国の政治が迷走して行った事を考えると、おそらく田中がやりたかった方向性を、小沢は引き継ごうとしているようにも見えます。

目的のために何をやってもいいと言うわけでもありませんが、彼のスキャンダラスな側面ばかりにフォーカスをあて、結果的にどういう帰結になるかという事を、我々は学ぶべきかもしれません。何を言っているのかどういう方向性を導こうとしているのか、それが今明確に示せる政治家は非常に少なくなっています。

小沢さんを応援しているわけではありませんが、日本が幸せな国になるというビジョンが今の所殆ど見えないのが現状です。何となく問題を先送りして、未来に負債をどんどん残して逃げ切ろうとしている連中ばかりに見える中で、おそらくそれを遂げる為の一つの方向性を打ち出しているように見えるわけです。

こういう意見がどんどん出て来てコンフリクトが起こり、排除ではなく包摂的な、多様性を認めあいながら、将来を憂うという観点で議論する事が大切なのではないかと思うのであります。党利党略、組織益、私益に縛られ、その関係性の複雑に絡まった状況を解きほぐすのは、その場しのぎではない真剣なビジョンを示し合い、多様性を盛り込み包摂した社会を目指すしかないだろうと思います。

そうすると必ず矛盾は出て来ます。矛盾があると間違いかと言えば、矛盾のない社会なんてありませんし、そんな社会は永久に来ません。矛盾を突いて足の引っ張りあいをするのではなく、その矛盾に向き合いながら進んで行くしかないのだと思います。矛盾があるから全部先送りという状況ではもう立ち行かないのです。そういう意味で言うと、小沢さんのビジョンは久々に明確な意志を感じる事が出来るビジョンなのではないかと思うのです。こういう意見がどんどん出てくれば日本もまだまだ捨てたもんじゃありません。

しかしそれを生かせるかどうかは結局国民の判断に最終的にはなるわけです。だから我々の責任は重大です。

彼を支持するかどうかは個人の自由ですので、嫌いな人は投票しなければいい事です。自民党はもうすでにやっていますが、国民の血を流す事へのアレルギーに対する感情的な動員を使っています。本当に先々の事を考えたとき、それが果たして日本の未来のためなのか、選挙に受かるためなのか、我々は判断しなくてはなりません。

民主党は政権政党として頼りないという言い方があります。自分もそう思います。しかし自民党にそれがあるかと言うと、彼らにも全くその能力はないと言って差し支えないでしょう。ここまでこの国を疲弊させたわけですから。

民主党は参議院での数を原理に、議員立法を提出していますが、これは与党と官僚の批判にさらされる事になります。だから急速に彼らは今学習しているようにも見える。与党なんてずっとそうですが官僚に丸投げの無責任体質です。答弁までそうです。だからこのプロセスは民主が自民を抜く可能性もあるのです。

それは小沢さんの「日本改造計画」の中に書かれていた事でもあります。官僚が頂点にいる構造に依存するのではなく、国民から負託された国会議員が舵取りをして行く、そのために政治家個人の能力が高くなければ出来ません。

おそらくメディアはよくわかっていないので、表面的な事ばかりを報道し、危険な民主、ハト派の自民という愚劣な二項対立図式で切り捨てる可能性もあります。その辺を慎重に見て行く必要があるのだろうと思います。

ここまで日本という国が二進も三進もいかなくなった原因は何か、表面上、血を流さなければ安全だと言えるのか、安全保障は軍事だけではない事を、もはや手遅れかもしれませんが気付くべき時なのではないかと思います。

アメリカに依存していれば本当にこの国の安全保障が立ち行くのか、現在の状況を見てそういえるのか、小沢民主の方向性についてあれこれ考えてみました。