完璧に無視してやろうかと思いましたが、この問題を考えないというのもヤバい気がします。どうも、どうでもいい気がしてしまう。別に誰がなっても腐った構造は変わらないのではないかと諦めにも似た気持ちになってしまっている。

これは非常に危険な事ですが、今のメディアの状況、世論の動き、そして政治家どもの浅ましさを見ていると、もうこの国はダメかもしれないと本当に思ってしまいそうです。

しょうがなく取り上げるこの問題、もうおわかりかと思いますが、自民党総裁選でございます。それでは始めます。

全く何の方向性も打ち出していない状況で、一斉に雪崩の如く福田支持を打ち出す構造は、完璧に小泉以前の森喜朗を担ぎ上げた派閥主導の構造と同じです。担いでいる面々も似たような連中が暗躍している。小泉、安倍路線を否定するのはいいけれど、以前の自民党的なダーティーリベラルに舵を戻すのなら、自民党はこれで完全にお終いなのでしょう。

機会の平等の担保の無いまま、自由競争のネオリベ路線もゴメンですが、旧経世会的、薄汚い再配分路線は勘弁してほしい。

どんなにきれい事を吐こうが、どんなに言い訳を喚こうが、この国がここまで借金まみれになり、小泉のような劇薬を必要とするような社会にしたのは、かつての自民党的な不透明なコーポラティズムによるものであり、政権政党を長い間つとめていたわけですから、言い逃れは出来ません。現状の社保庁問題にしろ、北朝鮮問題にしろ、事をここまで放置していたのはこの連中です。

プライマリーバランスの黒字化を先送りして、ばらまきに回帰するような力学も見られる。それに反応する方も反応する方だが、結局腐った構造は手付かずのまま、この路線に戻るのなら、今の連中が逃げ切るために、未来にツケを先送りしているにすぎません。こんな状況で、子供にちゃんとしろと教育する資格などありません。

地方重視はいいけれど、結局ばらまきと中央に何とかしてもらうというメンタリティのままならば、何をしようと無駄です。腐った構造の逃げ切りの根拠にされてしまう。

問題なのは、ネオリベかリベラルかという問題ではなく、腐敗した構造、不透明な構造が問題なのです。不透明なネオリベと、腐ったリベラルの綱引きでは意味がありません。

もちろん人間である以上ある種の浅ましさは否定出来ないのも事実ですが、現在の国家権力の腐敗した構造は話にならない。詐欺、泥棒の類いと寸分変わらない。いくら何でも酷すぎる。詐欺を詐欺仲間が監視など出来るわけが無いのです。ルールに開かれ、可視化できるシステムにしない事には、市場経済だろうが、再配分路線だろうが、無意味です。上手くいくわけがありません。

もしかすると透明な再配分政策に舵を切り替えるのかもしれませんが、政治家どものポスト欲しさの、バンドワゴン現象を見ると、全く期待は出来そうもありません。

福田にしろ、麻生にしろ、まだ何も成していない段階で批判するべきではないかもしれませんが、こいつらのどこに、何を期待して世論がこんなに盛り上がっているのか理解出来ません。ああ、やだやだ。

安倍のお坊ちゃんがダメだとなって、出て来た候補も、やっぱり政治家のお坊ちゃん。いい加減、世襲制度のような封建社会じゃあるまいし、勘弁してもらいたいもんですが、そんな輩しかいないのも、この国の手詰まりを感じてしまう。全く希望が見えない。

確かに福田さんがなるにしても、麻生さんがなるにしても、安倍よりはマシかもしれません。外交問題でも安倍のような空疎な吹き上がりに乗っかって、断固決然と喚くという事は無いでしょう。特に麻生さんの外交は、外務省のポカを相当リカバリーして来ているように見えましたから、是々非々で交渉する能力は安倍よりはあるように見えます。もちろん福田さんもそうです。

安倍的な空疎なバカ保守路線を支持する声もありますから、そういう連中にも気を使わなければならないという、特に麻生さんにはそういった姿勢も見られますが、保守とは何か?というのを学ぶにはいい機会かもしれません。何を守るのが保守なのか?

小泉、安倍的な新自由主義を押し進め、競争に敗れた寂しい連中のルサンチマンを吸い上げ、断固決然と吹き上がるのは、本来保守でもなんでもない。憲法9条が日本の繁栄の桎梏になっている、これを国際貢献という建て前に、アメリカにいい顔したいから変えるなど、保守でも右翼でもないという事に気付く事が出来るのなら、今回の総裁選もいい学びになるのかもしれません。

憲法9条とは元々反米ナショナリズム、アメリカの言うがままにならないために、アメリカのくれた憲法を逆手に取って利用していたのが、本来の保守本流であるはずです。どうすれば日本が自立出来るのか、どうすればこの国を守る事が出来るのか、面従腹背で上手く交渉し、是々非々で対応し、何でも利用して自立を視野に入れていた。アメリカからゲインを引き出すために、左翼勢力の護憲運動や平和主義も、交渉のリソースとして設計された構造に上手く利用して外交の舵取りをしていた。これが保守のあるべき姿であるはず。

それが段々、田中角栄くらいまではそうだったはずですが、中身が空疎になり、腐敗した構造しか無くなってしまった。どうにもならなくなり手詰まりに陥ってしまった所に、小泉のような劇薬が国民に幻覚を見せて一時自民党を延命させた。保守本流など遠い昔に捨て去っているとは言うものの、早い話が吹き上がって断固決然とスッキリするような姿勢は、保守とは一番対極にある姿勢です。もちろん右翼でもなんでもない。こういった連中が標的にしている偽物バカ左翼と全く同じ図式です。

これを踏まえて考えれば、安倍よりはマシと世論が納得する理由が無いわけでもない。もっとも、麻生さんは舌禍事件を不用意に起こしたりもしましたし、単なる育ちのいいお坊ちゃんであるという事は安倍と似た者同士です。安倍よりはマシっぽく見えるだけ、というレベルにすぎない可能性もある。

今回の安倍辞任にも一枚噛んでいますし、参院選直後の安倍続投もこの人が、今辞めるなよ、と釘を刺したと言われていますから、福田支持に流れて行く過程で、安倍もろともパージしてしまおうという力学もあります。最近では与謝野、中川秀直あたりが典型ですが、当初は知っていたのをすべて麻生に押し付ける、という力学があったものの、段々他の連中も知っていたという事がバレて、あいつも知っていた、コイツも知っていたと、政治家同士が足の引っ張りあいをしている様は醜さを通り越して、滑稽ですらありますが、大本命であった麻生さんはこのままでいくと、安倍と一蓮托生となり、復活の機会が無くなる可能性すらあります。普通にいけばこの人の可能性はないので、まあいいでしょう。次の政権のポストに就けるようであれば、ひょっとすると復活の可能性が無いわけでもない。

おそらく福田さんという事になるのでしょう。世論も彼を支持していますし、今の所メディアも持ち上げています。彼も御曹司ですが、安倍や麻生よりは大人に見えますし、民主党にとってもおそらく一番厄介なのがこの人でしょう。安倍のようなバカに比べれば数段マシにも見える。現状の自民党を考えればこの人が支持される理由も何となくわかる。

しかし現状、総理大臣不在という事で全く国政が手付かずの状況でもあるわけです。この政治的な空白を生み出した元凶は、自民党に他なりません。政治的な空白状態になっているにもかかわらず、別に経済も回っているし、行政も回っている。政治家何ぞは何の役にも立たない、単なるお飾り以外何者でも無いという事を如実に表しています。別にいてもいなくても変わらないようなどうでもいい連中に、莫大な税金を注ぎ込んで雇っているという事のくだらなさがバカバカしくもあります。

本当に国民にとって必要である政治家というのが、一体どれくらい存在するのか。自民党の中にどれだけ存在するというのか。何の役にも立たない連中が担ぎ上げる人間が、果たして役に立つのか?大きな問題点を我々は今、突き付けられているのではないかと感じます。こんな時に次の自民党の総裁がだれそれだと、浮かれている場合か。

福田さんはおそらく安倍よりは軸足を低く構え、バランスの取れた舵取りが出来るでしょう。例え薄汚れた連中が担ぎ上げているとしても、頭の悪い断固決然バカよりはマシです。しかし忘れてはなりません。彼は小泉政権の官房長官でもあったはずです。イラク人質事件の際、彼は何を言ったか。

自己責任。

この意味の解らない言葉を吐いて、例えどんな時でも国民の生命と財産を守るのが統治権力の責務であるという、憲法に規定された当たり前の原理原則を、国家権力は責任は持てないから、自分で責任を取れとシフトチェンジさせたのも、この人の発言がターニング・ポイントになったという事を忘れてはいけません。

責任なんてものは、人にとってもらうものではない。自分で取るのが当たり前です。わざわざ自己なんて付けないと、責任の概念が明確に出来ない所は、この国の病んでいる所かもしれません。しかし責任も取れない政治家どもが国民を見捨てる根拠に使うなど言語道断です。

国民的な目線から見れば、そりゃ危険な所にわざわざ出向いて行って、危険な目にあうのは自業自得なんじゃない、と思うのも無理は無い。しかしそれを国家権力が明言するなど、憲法違反の可能性すらあります。そんな身勝手な輩を助けるために、税金を無駄にしてほしくない、という国民の俗情を煽り、そしてそれに媚びて、国家権力の責任を軽減して、責任を取らなくても済むレジームに変えてしまった。

小泉、安倍路線のインチキ小さな政府路線というのは、まさにこの路線です。それの先陣を切っていた輩であったはず。この国の忘却癖は毎度の事ながらガッカリしますが、それをわかって期待しているのか。

福田さんの父親である、福田赳夫はかつて、ダッカのハイジャックの際、「人命は地球より重い」という言葉を吐き、テロに屈し、国際的に物笑いの種となり、日本というのは国際社会の原理原則もわきまえていない二流国家だと言う事を知らしめました。そのトラウマだかコンプレックスだかがあるのかどうか定かではありませんが、そういう日本のこれまで国際的に物笑いになっても、軍事力も無いし、紛争によって物事を解決しない(出来ない)という理念、一応建て前では政治家は国民を見捨てないというきれい事を覆し、そんなの自分で責任取れ、と、本来本音として隠されていた事を言ったわけです。しかもそれに対して、国民も何とも思わないどころか、支持してしまった。この国はどんどん寛容さを失い、他人を信用出来ず、重罰化を拍手喝采する社会になっている。

本来であれば、確かに自業自得だとは思うけれど、それを政治家が言うな、というのが、国民の当たり前のコモンセンスであったはず。政治家はそれを何とかするのが仕事だろ、という常識が吹っ飛んだ。

腐りきった自民党政治が行き詰まり、小泉と言う劇薬、言わば麻薬を使って、国民を錯覚、もしくは幻覚に陥れ、まんまと自民党は延命しました。この麻薬は禁断症状をもたらします。国民もメディアも政治家でさえも、この禁断症状によって、お祭り騒ぎを求める構造に変わりました。

バカメディアはもはや微塵も期待出来ません。見通しは真っ暗ですが、我々はお祭り騒ぎに乗せられる事無く、たかが自民党のバンドワゴン総裁選など、冷静に見つめるまなざしが大切です。書き出すとまだまだ書き足りないのですが、きりがないので今日はこれにて。