続きでございます。

大騒ぎをして世論を煽り、血祭りに上げるという事を、毎度毎度、捏造、インチキ、嘘八百や、恣意的で不確定な情報を垂れ流し繰り返すわけですが、その批判の刃が自分達に向く事は絶対にない。

そういうメディアの腐りきった状況はインターネットの発達により段々啓蒙されてはいますから、気付いている人が増えている事もまた事実でしょう。その点では北朝鮮や中国よりはマシかもしれませんが、大手メディアでしかインプットの無い人や、興味の無い人にとっては、隠されている事です。そんな事、大手メディアが報じるわけも無い。

大手メディアは全く自浄能力も無い。逆にその事実を知る人が一定のボリュームで増えている事によって、放送法の改正などをむしろ国民が拍手喝采してしまっている本末転倒な力学も出て来ている。

数々の捏造報道に対する吹き上がりもそうだし、マスメディアのやり口に対し、いい加減にしろという論調も増えている。国家権力がメディアを厳しく監視するという状況を国民が支持しかねない状況です。

メディアも権力とより一体化する事によって、乗り切ろうとする力学も見える。大手メディアなど潰れてしまえと、感情的には思いますが、メディアが都合よく使って来たせいで、報道の自由が、国家権力に監視される状況を作り出しかねないのです。

これは非常に危険な事です。現在でも、相当引き返す事が不可能な地点まで、この国の大手メディアは踏み込んでしまっています。にもかかわらず全く危機意識すらない。

彼らが危機に感じるとすれば、ライブドアや、楽天、ソフトバンクのような新興企業に、自分達の特権を奪われるのではないかという事に対する危機意識と、防御本能を猛烈に発揮し、捏造だろうが、でっち上げだろうがおかまいなしに、世論操作して公正中立、公共放送として国民の利益を守るという、都合のいいときだけ国民の知る権利をだしに使い、叩き潰すという事はよくやりますが、国家権力の介入を許すという事に対してや、本当の知る権利という国民すべての大切な権利に対しての危機意識も防御本能も働かないというか、興味も無いのかもしれません。これは非常にどうにもならない手詰まり感を感じます。

検察の有罪率の高さ、99.998%という異常な数字によって、推定無罪原則など全くどこかに消えていますし、これだけ有罪率が高ければ世間もメディアも国家権力も裁判所でさえも有罪推定で思考してしまっている。

逮捕された瞬間に、もう犯罪者扱いを受けてしまう。検察だってこれだけ有罪率が高いのに、有罪に持ち込めないという事はダメ検察官という烙印を押される事にもなる。この状況で裁判員制度なんて導入しても、全く何の効果もありませんし、ハッキリ言って無意味に近いものがあります。

これは先進国基準で考えれば有り得ない構造です。普通、推定無罪原則は当たり前であり、裁判で刑が確定するまではその人は無罪です。刑が確定してはじめて犯罪者と確定されるのです。この国の検察が非常に優秀であるから、この有罪率なのかもしれませんが、それにしたってだから推定無罪など気にしなくていいとはなりません。これは近代裁判の鉄則であり、法治国家を名乗るのなら、当たり前の原理原則であるはずです。

白か黒か識別出来るのは、それが白か黒になっているからです。白にも黒にもなっていなければ、当たり前ですが白なのか黒なのかわかるわけありません。たぶん白だからとか、おそらく黒だから、という理由でそれを白か黒か決めつけるのは単なる予想にすぎません。単なる予想を見て、例えば天気予報を見て、明日の天気が晴れだと言ったからといって、明日の天気が絶対晴れだと決まっているわけではない、こんな事は当たり前の話なんですが、この国ではこんな当たり前の思考すら出来ていないのが現状です。国家権力もメディアも、そして国民も。

仮に司法制度が推定無罪原則をきちんと担保した制度が回っているのなら、下らない三流メディアが俗情に媚びて被害者感情を垂れ流す類いの報道ごっこを、ワイドショーやタブロイド紙が喚くのならまだ理解出来ますが、司法制度に推定無罪原則の担保なんて全くない状態であるにもかかわらず、メディアまでが同じ船に乗ってしまえば、当然それを見ている国民までもが同じ思考しか出来ず、推定無罪原則を主張している人間がまるでキ○ガイや共犯者のような扱いを受ける、一体全体どうなっているんだという状況です。

現在、メディアでは次の自民党総裁が誰なのか?提灯報道に精を出しています。薄汚い政治家どもも、勝ち馬になりそうな候補に便乗して、生き残りをはかろうと振る舞っています。

雪崩を打ったような勝ち馬現象は、政治家など、そもそも何の理念も、なんの信念も無い連中なのだという事を如実に表しています。みんなに支持される総裁という事は、政治家に取って、自民党にとって都合がいいからであり、国民には何の関係もない力学によって動いています。

大手メディアの翼賛報道によって、国民がまんまと乗せられ。小泉チルドレンなんて言う理念もクソも無い、自立した思考すら全くないカスみたいな政治家が増えてしまっています。

小泉さんの時も安倍さんの時も、メディアの翼賛報道によって支持し、手の平を返す報道によって、一気に世論が逆にぶれたりしています。そう考えると、大メディアというのは、現在のこの国で最も強力な権力そのものともいえます。いい加減そういうものに煽られて、支持したり批判したりする構造から脱却しましょう。

この構造からの出口は市民のリテラシーしかありません。メディアの気持ち悪い勝ち馬報道から距離を取り、自分達の目で見て、自分達の頭で考える。

政治家のような公人は叩かれて当然の立場の人間ですし、メディアというのは数々の特権を免罪されていますので、私人だと逃げる事は許されない立場の人間です。だから大いに叩いても構わない。

しかし国家権力やメディアが煽って、特定の団体や個人を悪者と決めつけて叩く論調に乗せられるのは問題です。批判の刃はどこに向けるべきものなのか、考える必要があるのではないかと思います。浅ましい連中の勝ち馬現象に対して、冷ややかに見つめるまなざしが何より重要なのではないかと考えます。

大手メディアの腐った構造についてあれこれ書いてみました。