前回の続きです。
小泉政権はこの構造に切り込みますが、小泉政権発足当時からの景気の低迷、長引く不況によって、中小企業低金利融資という、弱者救済を旗印に財務省やヒモ付きの議員の強烈な抵抗によって、いったん撤退を余儀なくされます。先送りという事です。メディアには散々叩かれますが、小泉総理の人気も中々落ちないという事もあり、メディアもそこに迎合しますので、やがてそのバッシングも冷め、この問題は一旦棚上げとなります。
大手銀行の不良債権処理も終わり、景気も上向きはじめ、企業業績の好調もあり、先行きにも期待が出来るようになったという事で、次第に政府系金融機関統廃合の問題に切り込んで行く環境が整いはじめます。大騒ぎになった郵政選挙があり、郵政民営化法案が可決し、いよいよとなります。郵政選挙の時に、小泉総理は正しいと思うと何でもする男だという事が印象としてあると思います。憲法違反なのではないかと言われる、衆議院を解散してまで、頑に郵政民営化にこだわった男、賛否両論ありますが、当時の支持率や勢いの凄まじさは記憶に新しい所です。その勢いと世の流れをバックにして再びとなるわけであります。
しかし案の定というかやっぱりと言うか、相も変わらず財務省、旧輸銀関係者を背後に、ヒモ付きの議員達の抵抗は激烈を極めます。言っている事は分からない話でもないのですが、国全体が莫大な借金を抱え込み、沈没しそうな状況にあるわけです。民間に出来る事は民間に、官はその補完に徹し、民業を圧迫するような事があってはならぬ、しかし官にしか出来ない事は、やっぱり官がやるべきだ、そういう根拠を元に反対の議論を展開させるわけなのですが、実際、仮に官がやるべき事であったとしても、ここまで借金まみれの国にしてしまったわけですから、官には出来ていなかったというのが現状認識であるはずです。だからと言って民間では担保しきれない部分もやっぱりあるわけで、どうしても最後の所は官が面倒を見るという事は避けられないのもまた事実。
この攻防戦を見ていると、やっぱり巧みに弱者救済、国際競争力という観点を強調して、官僚の既得権を維持するという力学が働いているように見える。弱者救済、競争力の維持という事は大切だが、それを言っている連中が本気でそれを守っているようにも見えない。官僚が甘い汁を吸える構図は、どう見たってあるわけで、そこに切り込もうとすると、そんなの絶対に民には出来っこない無理に決まっていると反対する。国際協力銀行の総裁(財務省の天下りOB)をヒアリングすれば、出て来る言葉は旧基金との合併による相乗効果ばかり。しかも例にとられる相乗効果はいつも同じものばかり、という事は相乗効果は当初見込んだよりもはるかに少なく、それしかないという事の裏付けにもなるのですが、本気でそれを良心から擁護する人もいれば、どう見てもヒモ付きなんだろうなという議員、財務官僚出身議員などが頑強に抵抗する。
統廃合という基本原則があるにもかかわらず、なんとか存続させる文脈を潜り込ませようと、必死。ようはどっちとも取れる玉虫色の先送り、もしくは統廃合になったとしても、同程度の力を温存出来る図式をなんとか潜り込ませようと、必死。
解体―国際協力銀行の政治学/草野 厚

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ここで気をつけなければならないのは小泉竹中批判でよくありがちな文脈ですが、弱者切り捨てという言葉があります。しかしこの攻防戦は弱者救済の為の攻防戦では残念ながらありません。改革側、小さな政府を目指す側というのは、官僚の既得権、税金の無駄遣いの構図を減らさないと、どんな政策を打っても無意味になってしまう。金持ちや儲かっている企業から税金を取れという文脈がありますが、仮にそういう方向に舵を切っても、この無駄遣いの構図を何とかしないと意味がありません。ようするに官に無駄遣いさせるのなら、民間に切り離してまわした方がいい、その方が競争力の強化にもなり、すぐにとは行かないまでも再分配にもなるだろうというのが本音はどうか知りませんが、一応の眼目であったはずです
そして小さな政府というのは権限や裁量は国家が握ったまま、責任の部分を民営化するという図式ですから、政府の力自体は強まります。それがこの時の攻防戦の改革側の目指した方向性なわけです。そういう所謂、規制緩和という舵取りにいち早く反応を示し、その構造を利用して金儲けをしている連中が増えていますので、我々は結局規制緩和などインチキじゃないか、結局金持ちが得するだけじゃないかとなります。しかし言わば毒をもって毒を制すではありませんが、官僚の無駄遣いが、しかも情報非公開で堂々と回っていた構図と比べてどうでしょう。今はインチキをやっている業者というのは結構、問題化しやすくなっています。これは以前であれば官僚のもみ消しなどによって表に出てこなかった部分でもあります。それを民営化しているからこそ、目に見えてしかも罰せられるという図式になっているというわけです。これが官僚の既得権のままであれば問題化しないし、仮にしたとしてもたいした責任も取りません。
しかし絶対に官にしか出来ないという事は間違いなく存在します。それは機会の平等を担保する社会。例えば子供が親の収入などによって人生が決まってしまう社会というのは道義的な問題というより、むしろ合理的な国益計算という観点から考えても著しく不合理です。人材を無駄にしてしまう事になりかねないからです。少子化を迎え人口減の社会になるというのに、親のストック資産を引き継いで競争になるという状況は、平等不平等という問題もありますが、人口減の社会では適材適所に人材を配置しなければならないという事の方が切実な問題でもあります。
教育というのは選別して動機付けを与える制度です。勝ち組の子供ばかりが優遇されて、貧しい家庭の子供にはその機会すらないという状況は、あまりにももったいない、人材の無駄遣いという事になるわけです。今の教育再生会議の面々のようにアホばかりが議論している内容はあまりにもレベルが低すぎる。消費者がいいと思った通りにするのが、経済では当たり前なのだから、という観点から改革しようとしている愚か者までいる。こういう所を経済の論理と全く同じ次元で考えている時点でレベルが低すぎます。話にならない。
累進課税というのは実は平等の概念に反するのではないかという議論だってあります。競争すれば勝つ方と負ける方が出るのは当然です。にもかかわらず勝つ方が負けた側を保護しなさいというのは平等と言えるのか?という感じで、自分はそこの所は難しいと感じますが、この議論はある前提が必要になります。それは機会が平等であるという事、つまり親のストック資産によって、生まれた場所によって、又は、国の裕福さの度合いにおいて、あらかじめ決められたイニシャルエンドウメント(初期手持ち量)を無視したパレート最適性による市場の均衡点では、この議論は成り立たないという事です。政治家も二世議員がたくさんいますからこういう基本的な常識に対して鈍感なのかもしれません。そこまで思考した上で、機会の平等を担保出来ないのだから、論理的な帰結として累進課税や弱者救済措置は必要だとなるわけです。しかしそれを行う能力が、この国にはないのが問題なのです。
弱者救済と叫ぶのは理解出来ますが、借金が減っているのかと言えば全く減っておらず、むしろ増えているのが現状です。そう、殆どこういう無駄遣いの構図というのは凄まじい抵抗故に切り崩せない部分でもあります。しかもそこから利権を吸い出している政治家だっています。経済界もそこに乗っかってもいます。この癒着したズブズブの関係をどうにかしないと、先行きは不透明。
借金が増えているのにもかかわらず、弱者救済という言葉に引っ張られて我々は煽られていますが、その背後に官僚の既得権確保の巻き返しが隠れている事を忘れてはなりません。
この構図を排除しない事にはやっぱりどうにもならない、所詮金が民間に流れるのか、官僚の利権に流れるのかの綱引きをしているだけです。企業はそこそこ好業績を上げていても、一般市民にまでそれを実感する感覚がまわっていないというのは事実としてあるでしょう。
しかしこれは今の産業基盤に問題があります。人件費の安い国と張り合っているのだから当たり前と言えば当たり前なのです。この構造でまわっているかぎり、劇的な生活の向上というのは自助努力で成功を収めないかぎり不可能です。右肩上がりの経済成長を遂げていた時期とは違うのですから。政府に何とかしてもらうという発想では不可能なのです。そこに辿り着く為にも、税金を無駄にする構図を何とかしないと難しいのだと言うわけです。
官僚達がけしからんという事もあるのでしょうが、権限や裁量を持っているが責任を全く取らないというシステムで動いている連中に金を預けていたのではどうしたって腐敗します。するなと言っても無理というものです。人間それほど立派な生き物ではありません。肝心なのはそういうシステムをどうにかしないとならないのではないか、という事です。
一般人には中々景気の回復が実感出来ないと言います。当たり前です。産業基盤の問題もありますが、今はまだ不景気のトンネルから抜けたと言っても、半分抜けたくらいです。中小企業や一般の国民はまだトンネルの中、一部の大企業などの先頭車両がトンネルから抜けただけなのです。トンネルから抜けるにはそのまま引っ張ってってもらう以外ありません。トンネル内の後部車両から先に救うという事は、資本主義では不可能なのです。仮にそれをやるのだとすると再配分という事になりますが、そうなりますと官僚が好き勝手に使える税金が増えるというだけです。それでダメだからこの構造に切り込もうとなったはずなのですが、借金が増えているというのに、官僚に煽られて、早くもそれをわすれて分け前をよこせと叫んでいる輩が沢山いるというわけです。
そもそも旧大蔵省がバブルにとどめを刺した政策、総量規制を忘れてはなりません。これによって日本経済は戦争に負けた時点と同じくらいの経済的な大打撃を受ける事になるのです。それが今日まで日本を二度と立ち上がれないような借金まみれの国にしてしまった原因でもあるわけです。
もちろんバブルで浮かれていた当時の経済状況にも間違いなく問題はあります。しかし国の舵取りをする連中がそれを叩き潰しとどめを刺す側にまわってどうするのでしょう。バブルのような状況をソフトランディングさせるのは難しい舵取りかもしれませんが、ハードランディングどころか、繁栄をすべて吹き飛ばし借金まみれの体質にしてしまった原因を作ったわけです。その事で旧大蔵省はたいして責任も取っていません。
官僚というのは戦前の新官僚達の思想を今に受け継いでいます。旧ソ連のノーメンクラツーラのごとくです。つまり大衆を等しく貧乏にして平等に保つという思想です。官僚や政治家のような連中、盛んに平等を叫んでいる連中が、等しく平等を真逃れているという現実。不平等を煽り、民衆は吹き上がりますが、誰が一番得をするのかと言えば民衆ではありません。民衆は官僚や政治家の権力闘争のリソースにすぎないという事を自覚する必要があるのではないかと思います。官僚は自分達の権益が脅かされたり、民が必要以上に裕福になりそうだと感じると、必ず自動的にこの手の政策を打って来ます。それを忘れてはなりません。
官僚の抵抗も激烈ですが、例えば日銀、何かっつうと利上げをちらつかせます。そもそもゼロ金利、量的緩和に踏み切った時、何の為にそうしたのかと言えば景気の回復の為です。
ゼロ金利や量的緩和というのは言わば背水の陣それ以下には金利は引き下げようもありませんから、それでダメならどうにもならないという所まで追い込まれていたという事です。
しかし景気が良くなったでしょうか。多くの人はそう感じていないから、安倍さんの不人気につながったのだと思います。
小泉総理花道論でデフレ脱却という旗を立てる為に、本当かどうか知りませんが日銀は利上げに踏み切ったという話もありますが、肝心なのは不景気のトンネルから出たのはまだ半分くらいでしかないという事です。金利を上げるという事は、大企業にとって負担がかかりますから、牽引力が弱まってしまう。したがって後部車両を引っ張れない。本当はゼロ金利や、量的緩和のような、背水の陣的な政策を打つという事に対して、そもそも疑問はあります。それでダメだったらどうするつもりだったんだろうと。
しかしそれをやっておきながら、景気の回復が一般にまで浸透していない段階で解除に踏み切り、金利を引き上げるという行動は景気の頭を押さえつけるという事に他なりません。
ここでもやっぱり民に金が流れて行く構図に対して、官僚達の抵抗という図式があるのではなかろうかと見え隠れします。俺達の分け前をよこせという感じです。なんか似てますね。
メディアなども散々煽りましたが、一般人の預金金利なんてたいした話ではないはずです。しかし大衆の金利をネコババして勝ち逃げする大企業的な言われ方がされます。全くお門違いかと言えば確かにそういう部分はありますが、そういう批判の影に誰が暗躍しているのかよく考えましょう。
高度経済成長時、特にオイルショック以降、顕在化した大衆の声として、物価高というのが散々叫ばれました。給料も増えているのだから当たり前なのですが、それで散々旧大蔵は叩かれたわけです。だから日銀にいまだに過剰とも思えるようなインフレアレルギーが存在するのかもしれませんが、今の物価高というのは殆ど原油の高止まりに由来するものです。景気もそれほど一般人が実感するほど回復しているわけでもないし、一般人の給料にも反映していない。にもかかわらず、何かっつうと金利引き上げをちらつかせ景気の頭を押さえつけるような事ばかりしています。
だいたい日銀の総裁は偉そうなことをいくら言ったってあの人が何をして来たのか、村上ファンド問題でも究極のインサイダー取引をしているわけです。村上が有罪になっても、あの総裁は責任も取らないし辞めもしない。まあ金利調節に失敗した時に悪者として切り捨てる為に温存されているだけなのかもしれませんが。
今の日本の金利は低い状況にあり円も最近円高に振れていますが、ずっと売られて来たのは事実ですから問題はあるでしょう。しかし景気回復という目標が道半ばでありながら、利上げをちらつかせている構図はやっぱり意図的なものもあるのではなかろうかと感じてしまうわけです。
完全にデフレから脱却出来たのかと言えばそれはまだなのではないかと思うわけで、デフレから脱却しない事には消費が増えて行くという事も期待で来ません。なのに何でそんなに利上げ利上げと匕首をちらつかせて、景気を人質にとるような行動ばかりしたがるのか。
日銀の独立性などとほざきますが、政治から独立している事は非常に重要です。政治家の花道論として利上げなどを仮にしているのなら問題外ですが、それは官僚に対しても同じです。官僚の権益確保のカードに成り下がるなど絶対にあってはならない状況です。このカードは対政治家、対経済界に非常に有効なツールです。我々の生活に直結する問題なのに、鍔迫り合いのリソースになどなってほしくはないものです。
物価高というのもオイルショック後のような状況になっているわけではありません。狂乱物価とかそんな感じでは全然ない、給料だってあがらないわけですから、国民が景気の回復を実感出来るようになってから利上げしたって遅くはないはずです。この国の産業基盤ではもうそれを一般人が実感する事は不可能なのかもしれませんが、それにしたって気がはやいのではないかと思うのです。しかもそれが何ヶ月も前から既定路線のように漏れ聞こえて来るのは、本来犯罪になりかねない守秘義務違反です。
借金が多すぎて日銀は金利を上げ渋っているという言い方がありますが、それは間違っちゃいないのかもしれませんが、実際には金利をあげて、尚かつ、あげるぞあげるぞと脅しをちらつかせているわけですから、そこをきちんと見る必要があるのではないかと思います。
さて大幅に話はそれてしまいましたが、我々は何を言っているのかを見るのではなく、何をしているのかという事を冷静に見る必要があるという事です。
今、小泉竹中路線や、安倍政権的なものを批判するのはいいでしょう。自分もどちらかと言えばそっちの方の考えでもあります。しかしそれは誰が言っている事なのか、自分の目で見て、自分の頭で考えている事なのか、そういう自分も結局、全部自分で考えているわけではありませんが、複数あるストーリー、あらゆる立場から見た時に本当に目の前に見えている現実がそう見えるのか、テレビで誰かが言っていた、ネットで誰かが言っていた、偉い人の本に書いてあったというのも重要ですが、それらは単なるある立ち位置からの一つの視座にすぎません。それらを複合して見た時にどう見えるのか。そういう事が言いたいだけなのです。
別に小泉さんや竹中さんが間違っていないとか、安倍さんは正しいなんて言うつもりは全くありませんので誤解無きように。
次回、話を本筋に戻すとします。
つづく。