台風が吹き荒れ、過ぎ去ったと思ったら大地震。どんどん被害者の数が増えていき、改めて自然の恐ろしさを実感しました。被害に遭っている方々の救済が、一刻も早く行われる事をただただ願うばかりです。対応している方々の足を引っ張るわけではありませんが、こういう事を人気獲得のパフォーマンスになどにしている場合ではありません。
しかし自分ごときがそういう事を非難出来るのかと言えば、自分には何も出来ませんし、日々の生活もあります。テレビで現地の壮絶な現状を見せられると胸が痛みますが、実際に自分に出来る事はないし、政府の迅速な対応を願う事しか出来ません。実際昨日地震があった丁度そのとき、自分はシャワーを浴びていて、髪の毛を洗っていたので全く気付きませんでした。自分が住んでいる所もまあまあそこそこの震度で揺れていたにもかかわらずです。シャワーから出てテレビを見ていたら、とんでもない事が起こっていると気付くわけですが、それでも予定があったり、やるべき事があったりするわけで、胸が痛んでいるとかいいながら、自分の生活をただ営む事しか出来ない。
そういう自分の無力さをわかっているくせに、テレビの報道の仕方にイライラしたり、原発の火事を映しながら原発に対する無知から来るのか、嬉しそうにあたかも放射能漏れが起こっているとでも言いたげな報道。結果的に放射能漏れが起こっていたようですが、原発が火事になっていると報じていた当初は、放射能漏れが起こっているのかどうかは少なくともわかっていなかったはずです。それをメラメラ燃える映像にあわせて、人々の不安を楽しそうに煽っている報道姿勢はバカ丸出しです。わかっていない事はわかっていないと報道すればいいのにとか思ったりします。被災者の方々にマイクを向けて気持ちを聞き出そうとしているのを見てしまい、またはらわたが煮えくり返るような気持ちになってしまったり。
地震の話題が終わると、芸能情報で誰それが破局したとか、恋人が発覚したとかやっている様をたまたま惰性で見てしまったりすると、ムラムラと怒りがこみ上げ、こんなどうでもいい話題(いつもどうでもいいけれど)、よりによってこんな日に楽しそうに報道してんじゃねえよ、とか思ってしまったりするわけです。
地震の情報を確保したいと思いながら、ムカつくから見ないようにしている報道ステーションを仕方なく見ていれば、プロレスアナウンサーのクズが、地震と台風と温暖化を関連づけて、人類の大量消費社会の帰結だ的な、大量消費を煽り金儲けして、その権益にどっぷり浸かっているメディアの人間が、全く何の根拠もないアホなコメントで大衆の感情を煽るような事を平気な顔してほざいているのを見て、げんなりしながらチャンネルを変える。
久しぶりに真面目にテレビを長時間見ていましたので、あまりにも酷い放送ぶりにグッタリしながら、自分は何をしているかと言えばサッカーのアジアカップなんかを見ながら、日本代表の予選通過を喜んだりしている。そういう自分の浅ましさをわかっているくせに、報道にイライラしたり、人気取りのパフォーマンスに政治家が利用している様を見てムカムカしたりしている。自分の中での矛盾にスッキリ出来ないモヤモヤとした気分になりながら、自然の理不尽に対しての人間の無力さに胸が苦しくなってしまいます。
地震の問題というのは明日は我が身の問題なはずなのですが、自分自身もどっかでまだ他人事というか、自分の住んでいる所は大丈夫なのではないかという、根拠のない感覚がわずかにあります。大地震が起こるたびに、そういった甘い考えは危険だと気付かされるのですが、しばらくすると日常の様々な出来事に流されながら、すっかり危険だという感覚が麻痺してくる。人間の社会での出来事、政治的な対立軸、経済活動などとは無関係に、自然というのは全く理不尽にある日突然無茶苦茶にしてしまいます。そして無茶苦茶になってしまった状況でさえ、人間は政治的なパフォーマンスに利用したり、不安や恐怖を煽って経済活動に勤しんだりしています。そういう自分自身も自分の日常を営み、こんな事をブログに書いて、スッキリしないモヤモヤを正当化しようと欺瞞的な行動をとってもいる。
大地震という理不尽を目の当たりにし、我々が生活している地球という土台は、人間の生活や都合なんて全くおかまいなしである事、それさえも権益確保の草狩り場になってしまう事、それらに対して圧倒的に無力である個人の生活、そんな矛盾を感じモヤモヤしてしまいました。被災者の方々が一刻も早く救済される事と、ケガをされた方々の回復、そして亡くなった方々の冥福をお祈りしつつ、まとまらないまま今日は終わりにします。