地獄です。まさにその一言につきます。彼らが背負っている絶望に比べれば、我々先進国の人間が感じる絶望など天国かもしれません。何という理不尽、何という不合理。環境を大切にしましょうと、先進国に住む我々が、リッチな生活に首まで浸かりながら、テクノロジーを駆使しながら、いい服を着て旨い物をたらふく食い、大量消費生活を満喫しながら、もっと快適に、もっと裕福に、もっと長生きしたい、もっと幸福になりたいと貧しい国の方々から踏んだくる不条理な現実。そういう自分も、クーラーの効いた部屋でこういった不条理な現実を観ながら、半ば己の実存を満たす為に、少し問題を考えている自分という自尊心を満足させ、日本に生まれてよかったぜなんて思っている。
何という欺瞞。
それでもこの先進国の恩恵を受けた生活を止める事なんて出来やしない自分がいる。つくづくグッタリさせられる映画、ダーウィンの悪夢について、前回予告した通り今日は書こうと思います。
ダーウィンの悪夢 デラックス版/ドキュメンタリー映画

¥3,102
Amazon.co.jp
かつてダーウィンの楽園と呼ばれた人類発祥の地、ケニア・ウガンダ・タンザニアの三国に囲まれたヴィクトリア湖に、ナイルパーチという魚を誰かが放流しました。ナイルパーチというのは肉食魚で他の魚を食べてしまいブラックバスと似たような感じかと思います。それが湖の生態系を壊してしまった。しかしこのナイルパーチ、食用として主にヨーロッパや日本で消費され、我々が食する安い値段の白身魚のなんとかはほとんどこれだそうです。有名な某ハンバーガー屋さんも使っているとか。このナイルパーチを食用に加工する事によって貴重な外貨獲得になるのですが、いったんグローバライゼーションに巻き込まれる事によって不可逆な流れへと足を踏み入れてしまい、その事が更に、貧困、病、争いという生き地獄を加速してしまっています。しかも生態系が破壊されてしまってますのでもとの生活には戻れない。
飢饉などにより、人々は仕事を求めヴィクトリア湖周辺に集まるのですが、ナイルパーチの加工工場というのは、外資によって運営されていて、技術は進んでいますので人員をそれほど必要としない。湖でナイルパーチを取るのにも漁船が必要ですので、それを持たない人には無理となります。集まって来ても仕事があるわけではない。男達は戦争が起これば兵士となって仕事にありつけますので戦争に希望を抱き、女達は体を売って金を稼ぎ、虐待を受けたりしながら、どんどんエイズに感染していく。その女達の商売相手である男達もどんどんエイズに感染し死んでいく。現地の教会の神父は教義上コンドームの使用を進める事は出来ないと言う。子供達はストリートチルドレンとなり、僅かな食い扶持を争い、ヤクでラリって刹那的な快楽に身を委ねる。ナイルパーチをヨーロッパに運ぶ輸送機はからでは飛ばない、ヨーロッパにナイルパーチを運び、ヴィクトリア湖周辺に武器を輸送する。そこに需要と供給も成立し、いい加減な空港を中継地点として各地に武器が拡散していく。まさに適者生存、ダーウィンの悪夢。
現地の人達も、輸送機の乗組員も、このどうにもならない貧困の構造をわかっている。国連の人間もこの構造をわかってはいるが、この貧困を救う為には外貨を獲得せねばならず、その為の支援はこれしかないだろうと最適化をしている。我々日本人もこの構造の頂点にいて、この格差を食い物にしているが、多くの人間は普段そんな事を考えたりしない。自分達がそんな地獄の上に構築された楽園に住んでいるなど自覚もないし、それなりに不満や不安を抱えている。ナイルパーチ食べ続けようが、止めようが、我々の些細な舵の切り替えが、末端の地獄では、大きな影響を及ぼす。これを観ると間違いなくナイルパーチは食べたくないと感じるでしょう。しかしそうなるとビクトリア湖周辺の方々にとっても貴重な外貨獲得源が無くなってしまう。この地獄に加担している現実を知り、これはよくないとなったとしても、具体的にどうやって救えばいいのか考えると、何かしらの政策を打つ以上そこには必ず線を引く事になり、何らかの視座を取る事になる。そうするとその内側と外側が必ず生じてしまい、格差が出来る事は不可避になってしまう。全員を平等に幸福にする政策など有り得ない。干渉するという事は現状を何らかの形でかえる事になりますから、クリアカットな解決策、全員の満足度を不満が起きないように担保する政策というのが有り得ない以上、どんなに善意に基づいたにしてもそれは恣意的な選別に陥ってしまう。そうするとそこには他人の抜け駆け感や、不平等間は更なるルサンチマンを生み出してしまう。それによって泥沼の内戦に陥ってしまう例はいくらでもある。
我々先進国が裕福さを我慢し、大量の贈与を行う事が出来るのなら、ある部分では救う可能性はあるのかもしれませんが、平等に幸福になる為の政策など有り得ないのだから。何かしらの火種を持ち込む事に加担する事にもなりかねない。そしてそこには武器を売って儲けるという権益も発生する。大量の贈与が先進国のコンセンサスとなって人々が大量消費のライフサイクルを我慢出来るかと言うと、必ず不満は出るだろうし、消費が落ち込めば経済力が弱まりますから、国際競争力も連鎖的に弱まってしまいかねない。そう考えると動員の見通しは暗いものになってしまう。
それにただ援助をするだけでは後にはつながらない、生態系が壊れてしまってもとの生活に戻れない以上、外貨を稼ぐ方法を身につけなければ、この地獄からは抜け出る方法はない。しかしそうなるとこの構造を加速させる事になってしまい、競争のゲームに更に巻き込まれる事にもなる。結局競争に勝ち残るしか希望はない。まさにダーウィニズム。
それぞれ関わりのある人間はこの不毛な構造を知っているがどうにもならない。それぞれがやるべき事を、最善な事をなしても、合成の誤謬によって生き地獄になってしまっている。何という事でしょう。我々もこの理不尽に加担している。しかしそこから救う具体的な行動をとってもやはり加担してしまう。だから無視しておけばよいのかと言うと、どんどん人は死んでいく。
確かにこういった格差をバネにして大儲けしている企業はあります。しかし需要がなければ成立しませんので、彼らだけが悪者だと言ってしまう事は出来ません。少なくともナイルパーチ産業は最大の外貨獲得源として、現地とすれば切っても切れない存在になってしまってもいる。武器を売りつけている存在がとんでもないというのはあります。しかしここにも需要と供給が成立してしまっている構造がある。日本からは武器が行っていないであろう事がかろうじてマシなのかもしれませんが、我々の社会にいかに武器が密接に関わっていて、日本が平和ボケしているのかがよくわかります。貧困に苦しんでいて絶望していても、誰も助けてくれない、助けられない。そこを食い物にして武器の輸送の中継地点として利用し、武器を売りつけ、争いはこの世からなくならない。
こういった事に先進国が積極的に関与していくべきなのかもしれませんが、舵取りをしている政治家がそれが票につながらないと考えれば、当然そんなインセンティブが起こるわけも無く、結局軍事的にも経済的にも強力な力を持つ国々の国民が関心を持ち、それを国政に繁栄させたとしても、そこにはやっぱり権益が生まれますから、国家間での権益の争奪戦に陥ってしまう。そうなれば経済的にも軍事的にも力があり、発言力の強い国に取って都合のいい状況にしかならない。
ここで考えねばならないのは彼らを救おうとしても、無視するにしても、いずれにせよ我々はこの地獄に加担してしまっている構造に組み込まれていて、そのピラミッドの頂上付近に君臨しているという事です。資本主義の社会というのは儲けないと生きて行けないが、儲けるという事は誰かが割を食う事になる。そしてそれを同時に担保するのは難しいという矛盾が必ず生じます。その矛盾に引き裂かれているのが我々の社会です。彼らの事は何とかするべきだとも思うが、中々自分達の欲求を捨て去る事も出来ない、仮に個人でそう思ったとしても、構造が変わる見込みは全くない。我々の社会は貧しい国々の方々に比べれば考えられないような天国でしょう。彼らの生活を観ると引き裂かれそうな気分になります。しかし彼らと生活を変われるかと聞かれれば、自分はほぼ100%間違いなく無理だと答えてしまいます。この矛盾、社会というものが生み出す理不尽、自分と言うエゴが生み出す不条理、生まれた瞬間からこの矛盾に引き裂かれているのが我々の社会です。こんな事を考える余裕があるだけマシなのです。彼らにはそんな余裕すら無く、生きて行くという事そのものが、絶望や理不尽に覆い尽くされている。まあ全くそういう事を気にせずに関係ないと生きている人もいるのでしょうが、この状況を見れば、おそらく程度の差はあるでしょうが矛盾を感じるでしょう。
いかに外貨を稼ぐという事が大切か、これを観るとよくわかります。外貨を稼ぐというのも、単に経済的に競争力があるとかだけの問題ではなく、最初にその初期手持ち量を確保する為に必要なものは結局、力の論理、ゲヴァルトなんだという事がつくづくわかってしまいます。世の中は全然きれい事なんかでは回らない。今の社会の仕組みを設計しているのは、結局巨大な軍事力を持ち、それを背景とした大国が、自国にとって都合のいい制度をいかにして構築するかで鍔迫り合いをし、貧困も紛争も経済活動も、すべて取引のリソースになっています。貧困に対処するように見えても、結局裏に自国の権益が隠れている。自国がいかに国際社会で優位にたつか、もちろん自国と言っても国民の人気を取り、自分が所属する権益集団の代弁者となり、いかに振る舞うかという事が重要な行動原理になってしまう。
それを観てとんでもねえ奴らだ、腐ってやがると、我々一般人は思います。今の日本の現状を考えると、弱者切り捨て、格差是正と叫んで選挙戦が行われています。どういう風に格差を是正するのかという事を単純化して言っちゃえば、一方は上げ潮路線、一方は所得の再分配と言っています。上げ潮路線は競争のゲームで勝ち残って行く為に、国家権力をスリム化し(抜け穴だらけで全然やってないように見えますが)、建て前では日本の経済力そのものを拡大させて行けば、おのずと諸問題は解決して行くはずだと簡単に言えばそういう事です。しかし競争のゲームで勝ち残って行くという事は、ビクトリア湖周辺の方々のような存在を踏み台にしているという事にもなります。日本の中でさえ格差是正と大騒ぎしているのですから、競争のゲームというのは奪い合いになってしまいます。加工産業を基盤とした外需中心の構造で、人件費の安い国々と渡り合うにはもう無理があります。その構造のまま競争のゲームに勝ち続けても、当たり前ですが国民すべてが実感を感じる事など絶対に出来ません。という事は産業構造を転換させない事には、短期的に競争に勝ち残ったとしても、人口も減って行くこの国はどんどん競争力は弱まって行きますから、益々実感を感じる事のない、儲かっている企業があるのに、国民はその恩恵を受ける事は出来ない社会になっていきます。
構造改革や小さな政府というのは建て前では、日本の腐りきって淀んでいた癒着や談合の体質を風通しのいいものとして、権益を規制緩和し、イノベイティブな発想を生み出す土壌を醸成し、国際競争に勝ち残っていきましょうというものだったはずです。しかし実際政府が何をやったかと言えば、たいして権益など持っていない社会的弱者から利権を吸い上げ、非正規労働者を増やし、小さな商店は潰れ、タクシーの運ちゃんはきりきり舞いし、地方にはぺんぺん草も生えないといった状況にしただけで、既得権益の上で莫大な収入を得ている連中には甘く、腐りきった役人の改革は穴だらけ、これからそういった利権構造に切り込むのかどうかはわかりませんが、どう贔屓目に見てもそんな気はさらさらないようにしか見えない。
一方再配分路線というのは儲かっている企業は国民に還元しろと言った感じになっています。しかし仮にその儲けを国民に再配分をするにしても、割を食うのはヴィクトリア湖周辺の方々のような存在です。日本人の雇用を増やすとか、再配分をするというのであれば、こういった存在は買いたたかれるか、切り捨てられるかになります。この人達も救い、日本人も裕福になり、企業も発展していくというのは中々難しいと思います。少なくとも今の産業基盤では不可能に近いのではないでしょうか。競争社会に組み込まれてしまっていますから、日本国民に還元する分をどこからか吸い上げねば難しいでしょう。企業が競争のゲームで勝ち残っていく事をそこそこ諦めて、国民に再配分し、貧しい国々を救うという事は短期的には出来るかもしれませんが、競争に負けてしまえば淘汰されますから、元も子もなくなってしまいます。そういう方向に舵を切り、経済活動は衰退し、人口も減っていき、物理的な力もアメリカ頼み、という状況では、この国全体が貧しくなってしまいかねませんから本末転倒になってしまいます。国民の所得が増えて、消費が増えれば企業は生き残れるかもしれませんが、貧しい国々が悲惨なのはわかるけれど、まずは日本人の生活が先だろという発想になるのであれば、利己的に振る舞う大国の力の政治や、貧しい国から踏んだくる企業、己の権益にあくせくしている連中と思考パターンは同じです。他人の事より自分が大切という事です。だから批判も自分達にかえって来てしまう。
それに結局改革といっても変わったのは社会的弱者の権益を吸い上げ、既得権益層は巨大に君臨しているという構造は何一つ変わっていないどころか、より強化されていますから、現時点で国民に再配分する社会に戻しても、役人の既得権は変わらず、税金を無駄遣いする構図は温存されたまま、最悪、中央一極集中によるバラまきに戻るだけという可能性もあるのではないかと思います。弱者は不可逆的な流動化にさらされてしまった構図は変わらず、再配分にせよという運動の影に規制緩和に反対する既得権益層も隠れています。既得権益層は当たり前ですが、改革しようが再配分になろうが、己の権益を守る事以外は興味はないでしょう。メディアが一番いい例です。インチキ改革にしても、再配分にしても、この権力構造は簡単には崩れず、流動化した弱者だけが消費税率の先延ばしなどのエサに引っかかって、既得権を維持したいと考えている人達の手助けにもなっている。構造改革と言っても強力な権限や裁量を国家権力が握ったまま、責任を地方や民間に押し付けている社会にしかなっていません。事前チェック型の社会から、事後チェック型のルール主義の、流動化した社会に舵を切った以上、止めて知らん顔しているのも話になりませんし、元に戻すのはもっと問題外です。弱者はもう後戻り出来ない流動化にさらされています。権益を握っている方々の体質を風通しの良いものにし、一極集中型の外需中心産業の構造を変えねば、この国の構造的な問題は何も変わりませんし。貧しい国から踏んだくるという構図は変わりません。残念ながら与党も野党も、そういったプランがまるでない。
続く。
何という欺瞞。
それでもこの先進国の恩恵を受けた生活を止める事なんて出来やしない自分がいる。つくづくグッタリさせられる映画、ダーウィンの悪夢について、前回予告した通り今日は書こうと思います。
ダーウィンの悪夢 デラックス版/ドキュメンタリー映画

¥3,102
Amazon.co.jp
かつてダーウィンの楽園と呼ばれた人類発祥の地、ケニア・ウガンダ・タンザニアの三国に囲まれたヴィクトリア湖に、ナイルパーチという魚を誰かが放流しました。ナイルパーチというのは肉食魚で他の魚を食べてしまいブラックバスと似たような感じかと思います。それが湖の生態系を壊してしまった。しかしこのナイルパーチ、食用として主にヨーロッパや日本で消費され、我々が食する安い値段の白身魚のなんとかはほとんどこれだそうです。有名な某ハンバーガー屋さんも使っているとか。このナイルパーチを食用に加工する事によって貴重な外貨獲得になるのですが、いったんグローバライゼーションに巻き込まれる事によって不可逆な流れへと足を踏み入れてしまい、その事が更に、貧困、病、争いという生き地獄を加速してしまっています。しかも生態系が破壊されてしまってますのでもとの生活には戻れない。
飢饉などにより、人々は仕事を求めヴィクトリア湖周辺に集まるのですが、ナイルパーチの加工工場というのは、外資によって運営されていて、技術は進んでいますので人員をそれほど必要としない。湖でナイルパーチを取るのにも漁船が必要ですので、それを持たない人には無理となります。集まって来ても仕事があるわけではない。男達は戦争が起これば兵士となって仕事にありつけますので戦争に希望を抱き、女達は体を売って金を稼ぎ、虐待を受けたりしながら、どんどんエイズに感染していく。その女達の商売相手である男達もどんどんエイズに感染し死んでいく。現地の教会の神父は教義上コンドームの使用を進める事は出来ないと言う。子供達はストリートチルドレンとなり、僅かな食い扶持を争い、ヤクでラリって刹那的な快楽に身を委ねる。ナイルパーチをヨーロッパに運ぶ輸送機はからでは飛ばない、ヨーロッパにナイルパーチを運び、ヴィクトリア湖周辺に武器を輸送する。そこに需要と供給も成立し、いい加減な空港を中継地点として各地に武器が拡散していく。まさに適者生存、ダーウィンの悪夢。
現地の人達も、輸送機の乗組員も、このどうにもならない貧困の構造をわかっている。国連の人間もこの構造をわかってはいるが、この貧困を救う為には外貨を獲得せねばならず、その為の支援はこれしかないだろうと最適化をしている。我々日本人もこの構造の頂点にいて、この格差を食い物にしているが、多くの人間は普段そんな事を考えたりしない。自分達がそんな地獄の上に構築された楽園に住んでいるなど自覚もないし、それなりに不満や不安を抱えている。ナイルパーチ食べ続けようが、止めようが、我々の些細な舵の切り替えが、末端の地獄では、大きな影響を及ぼす。これを観ると間違いなくナイルパーチは食べたくないと感じるでしょう。しかしそうなるとビクトリア湖周辺の方々にとっても貴重な外貨獲得源が無くなってしまう。この地獄に加担している現実を知り、これはよくないとなったとしても、具体的にどうやって救えばいいのか考えると、何かしらの政策を打つ以上そこには必ず線を引く事になり、何らかの視座を取る事になる。そうするとその内側と外側が必ず生じてしまい、格差が出来る事は不可避になってしまう。全員を平等に幸福にする政策など有り得ない。干渉するという事は現状を何らかの形でかえる事になりますから、クリアカットな解決策、全員の満足度を不満が起きないように担保する政策というのが有り得ない以上、どんなに善意に基づいたにしてもそれは恣意的な選別に陥ってしまう。そうするとそこには他人の抜け駆け感や、不平等間は更なるルサンチマンを生み出してしまう。それによって泥沼の内戦に陥ってしまう例はいくらでもある。
我々先進国が裕福さを我慢し、大量の贈与を行う事が出来るのなら、ある部分では救う可能性はあるのかもしれませんが、平等に幸福になる為の政策など有り得ないのだから。何かしらの火種を持ち込む事に加担する事にもなりかねない。そしてそこには武器を売って儲けるという権益も発生する。大量の贈与が先進国のコンセンサスとなって人々が大量消費のライフサイクルを我慢出来るかと言うと、必ず不満は出るだろうし、消費が落ち込めば経済力が弱まりますから、国際競争力も連鎖的に弱まってしまいかねない。そう考えると動員の見通しは暗いものになってしまう。
それにただ援助をするだけでは後にはつながらない、生態系が壊れてしまってもとの生活に戻れない以上、外貨を稼ぐ方法を身につけなければ、この地獄からは抜け出る方法はない。しかしそうなるとこの構造を加速させる事になってしまい、競争のゲームに更に巻き込まれる事にもなる。結局競争に勝ち残るしか希望はない。まさにダーウィニズム。
それぞれ関わりのある人間はこの不毛な構造を知っているがどうにもならない。それぞれがやるべき事を、最善な事をなしても、合成の誤謬によって生き地獄になってしまっている。何という事でしょう。我々もこの理不尽に加担している。しかしそこから救う具体的な行動をとってもやはり加担してしまう。だから無視しておけばよいのかと言うと、どんどん人は死んでいく。
確かにこういった格差をバネにして大儲けしている企業はあります。しかし需要がなければ成立しませんので、彼らだけが悪者だと言ってしまう事は出来ません。少なくともナイルパーチ産業は最大の外貨獲得源として、現地とすれば切っても切れない存在になってしまってもいる。武器を売りつけている存在がとんでもないというのはあります。しかしここにも需要と供給が成立してしまっている構造がある。日本からは武器が行っていないであろう事がかろうじてマシなのかもしれませんが、我々の社会にいかに武器が密接に関わっていて、日本が平和ボケしているのかがよくわかります。貧困に苦しんでいて絶望していても、誰も助けてくれない、助けられない。そこを食い物にして武器の輸送の中継地点として利用し、武器を売りつけ、争いはこの世からなくならない。
こういった事に先進国が積極的に関与していくべきなのかもしれませんが、舵取りをしている政治家がそれが票につながらないと考えれば、当然そんなインセンティブが起こるわけも無く、結局軍事的にも経済的にも強力な力を持つ国々の国民が関心を持ち、それを国政に繁栄させたとしても、そこにはやっぱり権益が生まれますから、国家間での権益の争奪戦に陥ってしまう。そうなれば経済的にも軍事的にも力があり、発言力の強い国に取って都合のいい状況にしかならない。
ここで考えねばならないのは彼らを救おうとしても、無視するにしても、いずれにせよ我々はこの地獄に加担してしまっている構造に組み込まれていて、そのピラミッドの頂上付近に君臨しているという事です。資本主義の社会というのは儲けないと生きて行けないが、儲けるという事は誰かが割を食う事になる。そしてそれを同時に担保するのは難しいという矛盾が必ず生じます。その矛盾に引き裂かれているのが我々の社会です。彼らの事は何とかするべきだとも思うが、中々自分達の欲求を捨て去る事も出来ない、仮に個人でそう思ったとしても、構造が変わる見込みは全くない。我々の社会は貧しい国々の方々に比べれば考えられないような天国でしょう。彼らの生活を観ると引き裂かれそうな気分になります。しかし彼らと生活を変われるかと聞かれれば、自分はほぼ100%間違いなく無理だと答えてしまいます。この矛盾、社会というものが生み出す理不尽、自分と言うエゴが生み出す不条理、生まれた瞬間からこの矛盾に引き裂かれているのが我々の社会です。こんな事を考える余裕があるだけマシなのです。彼らにはそんな余裕すら無く、生きて行くという事そのものが、絶望や理不尽に覆い尽くされている。まあ全くそういう事を気にせずに関係ないと生きている人もいるのでしょうが、この状況を見れば、おそらく程度の差はあるでしょうが矛盾を感じるでしょう。
いかに外貨を稼ぐという事が大切か、これを観るとよくわかります。外貨を稼ぐというのも、単に経済的に競争力があるとかだけの問題ではなく、最初にその初期手持ち量を確保する為に必要なものは結局、力の論理、ゲヴァルトなんだという事がつくづくわかってしまいます。世の中は全然きれい事なんかでは回らない。今の社会の仕組みを設計しているのは、結局巨大な軍事力を持ち、それを背景とした大国が、自国にとって都合のいい制度をいかにして構築するかで鍔迫り合いをし、貧困も紛争も経済活動も、すべて取引のリソースになっています。貧困に対処するように見えても、結局裏に自国の権益が隠れている。自国がいかに国際社会で優位にたつか、もちろん自国と言っても国民の人気を取り、自分が所属する権益集団の代弁者となり、いかに振る舞うかという事が重要な行動原理になってしまう。
それを観てとんでもねえ奴らだ、腐ってやがると、我々一般人は思います。今の日本の現状を考えると、弱者切り捨て、格差是正と叫んで選挙戦が行われています。どういう風に格差を是正するのかという事を単純化して言っちゃえば、一方は上げ潮路線、一方は所得の再分配と言っています。上げ潮路線は競争のゲームで勝ち残って行く為に、国家権力をスリム化し(抜け穴だらけで全然やってないように見えますが)、建て前では日本の経済力そのものを拡大させて行けば、おのずと諸問題は解決して行くはずだと簡単に言えばそういう事です。しかし競争のゲームで勝ち残って行くという事は、ビクトリア湖周辺の方々のような存在を踏み台にしているという事にもなります。日本の中でさえ格差是正と大騒ぎしているのですから、競争のゲームというのは奪い合いになってしまいます。加工産業を基盤とした外需中心の構造で、人件費の安い国々と渡り合うにはもう無理があります。その構造のまま競争のゲームに勝ち続けても、当たり前ですが国民すべてが実感を感じる事など絶対に出来ません。という事は産業構造を転換させない事には、短期的に競争に勝ち残ったとしても、人口も減って行くこの国はどんどん競争力は弱まって行きますから、益々実感を感じる事のない、儲かっている企業があるのに、国民はその恩恵を受ける事は出来ない社会になっていきます。
構造改革や小さな政府というのは建て前では、日本の腐りきって淀んでいた癒着や談合の体質を風通しのいいものとして、権益を規制緩和し、イノベイティブな発想を生み出す土壌を醸成し、国際競争に勝ち残っていきましょうというものだったはずです。しかし実際政府が何をやったかと言えば、たいして権益など持っていない社会的弱者から利権を吸い上げ、非正規労働者を増やし、小さな商店は潰れ、タクシーの運ちゃんはきりきり舞いし、地方にはぺんぺん草も生えないといった状況にしただけで、既得権益の上で莫大な収入を得ている連中には甘く、腐りきった役人の改革は穴だらけ、これからそういった利権構造に切り込むのかどうかはわかりませんが、どう贔屓目に見てもそんな気はさらさらないようにしか見えない。
一方再配分路線というのは儲かっている企業は国民に還元しろと言った感じになっています。しかし仮にその儲けを国民に再配分をするにしても、割を食うのはヴィクトリア湖周辺の方々のような存在です。日本人の雇用を増やすとか、再配分をするというのであれば、こういった存在は買いたたかれるか、切り捨てられるかになります。この人達も救い、日本人も裕福になり、企業も発展していくというのは中々難しいと思います。少なくとも今の産業基盤では不可能に近いのではないでしょうか。競争社会に組み込まれてしまっていますから、日本国民に還元する分をどこからか吸い上げねば難しいでしょう。企業が競争のゲームで勝ち残っていく事をそこそこ諦めて、国民に再配分し、貧しい国々を救うという事は短期的には出来るかもしれませんが、競争に負けてしまえば淘汰されますから、元も子もなくなってしまいます。そういう方向に舵を切り、経済活動は衰退し、人口も減っていき、物理的な力もアメリカ頼み、という状況では、この国全体が貧しくなってしまいかねませんから本末転倒になってしまいます。国民の所得が増えて、消費が増えれば企業は生き残れるかもしれませんが、貧しい国々が悲惨なのはわかるけれど、まずは日本人の生活が先だろという発想になるのであれば、利己的に振る舞う大国の力の政治や、貧しい国から踏んだくる企業、己の権益にあくせくしている連中と思考パターンは同じです。他人の事より自分が大切という事です。だから批判も自分達にかえって来てしまう。
それに結局改革といっても変わったのは社会的弱者の権益を吸い上げ、既得権益層は巨大に君臨しているという構造は何一つ変わっていないどころか、より強化されていますから、現時点で国民に再配分する社会に戻しても、役人の既得権は変わらず、税金を無駄遣いする構図は温存されたまま、最悪、中央一極集中によるバラまきに戻るだけという可能性もあるのではないかと思います。弱者は不可逆的な流動化にさらされてしまった構図は変わらず、再配分にせよという運動の影に規制緩和に反対する既得権益層も隠れています。既得権益層は当たり前ですが、改革しようが再配分になろうが、己の権益を守る事以外は興味はないでしょう。メディアが一番いい例です。インチキ改革にしても、再配分にしても、この権力構造は簡単には崩れず、流動化した弱者だけが消費税率の先延ばしなどのエサに引っかかって、既得権を維持したいと考えている人達の手助けにもなっている。構造改革と言っても強力な権限や裁量を国家権力が握ったまま、責任を地方や民間に押し付けている社会にしかなっていません。事前チェック型の社会から、事後チェック型のルール主義の、流動化した社会に舵を切った以上、止めて知らん顔しているのも話になりませんし、元に戻すのはもっと問題外です。弱者はもう後戻り出来ない流動化にさらされています。権益を握っている方々の体質を風通しの良いものにし、一極集中型の外需中心産業の構造を変えねば、この国の構造的な問題は何も変わりませんし。貧しい国から踏んだくるという構図は変わりません。残念ながら与党も野党も、そういったプランがまるでない。
続く。