例えば三角合併は、ユダヤ権力の傀儡であるアメリカの要望であり、ドルが無価値になる前に、割安である日本の企業を買収し、日本の資産を踏んだくろうと企んでいるのだ、という言い方があります。アメリカの要望という点はわかりますし、将来そういった不安はあるのかもしれません。しかし日本株が割安だという部分は嘘です。正確に言えば安いものもあるが、これも本来高いポテンシャルを持ちながら無能な経営によって、収益が悪く株価も安いのと、全く魅力もないのでただ単に安いのでは、意味が違います。前者であれば、買収の可能性もありますが、これは会社にとって、従業員にとっては必ずしもマイナスってわけではありません。外資に買われる事によって息を吹き返した企業だってあります。会社がつぶれて従業員一同路頭に迷うのが最悪の事態だと思えば、それを回避するのが一番合理的な判断だと思います。株価というのは短期的にはぶれますが、株主というのはそんなにアホな連中ばかりではありませんから、長期的に見れば、まともな経営をしている企業はそれなりの株価に落ち着いていますし、その値段も日本ではむしろ割高になります。全体的にはアメリカなどの企業よりは割高であり、収益率も低い。
アメリカ経済が破綻すれば、日本だってまちがいなく甚大な被害を受ける事になります。企業というのは当たり前ですが回収の見込みのない投資はしたくないものです。ファンドであればもっと単純です。安ければ買い、高ければ売る。需給のバランスとファンダメンタルズが価格を決めます。アメリカの経済が悪化すると織り込み済みなのであれば、世界中影響を受けるでしょうから、空売りをかけて、一番安い所で拾うのが合理的な判断というものです。もちろん破綻してしまっては無意味ですが。
アメリカ経済が破綻すれば、日本も中国も、世界中の国々が程度の差はあるでしょうが甚大な被害を被る事になるでしょう。一部の人間の資産を海外に逃がすという意味においてやるのだとしても、こういったスキームを正当化する為にしているのなら話が大袈裟すぎます。資産を持っていても、経済が破綻してしまっては本末転倒です。多少の通貨高や通貨安において資産をどこの通貨で持っておく方が有利か、多少のインフレであれば、株や資産で持っていた方が有利とかいう話はわかりますが、そういうのはまともな経済活動が回っていなければ意味がありません。
北東アジア地域を冷戦状態にする。これもよく言われます。確かにそれによって武器が売れれば儲かるというのはあるでしょうし、戦争の恐れという不安を利用して金儲けが出来るのも確かだと思います。しかしアメリカはすでに中国とは手打ちをしています。経済的には完全に繋がっています。中国の人民元の切り上げがなぜあの程度で済んでいるのか、中国が米国債を買い支えてくれるから。それももちろんありますが、アメリカが本気でそれを是正させようと思えば、もっと圧力をかけるはずです。アメリカは双子の赤字を抱えていてどうにもならない状態だ的な言われ方もします。しかし半分は正しいかもしれませんが半分は違います。アメリカは貿易赤字に見えますが、実際は中国がアメリカ企業の工場になっていますので、儲かっているのはアメリカの企業です。安い中国の労働市場を使い、貿易で赤字を被っている以上に、キッチリアメリカの企業は儲けています。だから人民元の更なる切り上げもポーズばかりという事になるのです。この構造を生み出す事によって、急激なインフレは起こらない仕組みになっています。だから金利も上がりにくい。もちろん中国もそれによって雇用を生み出したり出来ますし、将来、技術を完全に獲得出来れば自立すると考えるのかもしれませんが。
日本もいつまでもデフレから抜け出られないのはこの構造に組み込まれているからです。石油価格が上がろうが、原材料費があがろうが、安い労働市場があれば、一番費用のかかる人件費の問題がクリアー出来ます。ちょっとくらい原材料費があがっても、儲けが大きくなっていますから、製品価格には簡単には響かない、だからインフレにはなりにくく、またインフレアレルギーの日銀は、すぐに金利引き上げという匕首をちらつかせます。ですから景気が良くなっていると言っても、実感を感じられないのは当たり前、そして恐慌は起こりにくい経済システムになっているというわけです。
通貨というのは信用の制度ですから、借金が莫大な国の通貨の信用が弱いのは当たり前であり、円が安いのも、金利が低い事が単なる理由ではなく、日本という国の信用がなくなりつつあるからだという見方もあります。ドルに対する見方も似たようなものがあります。そういう側面も間違いなくあるとは思いますが、肝心なのは、例えそれが何であれ、中国の安い人件費を利用する現状の外需中心の産業基盤では、別に困らないという事です。
経済的な格差を利用した権益の争奪戦がグローバライゼーション、資本主義という構造の側面にあります。弱肉強食です。それでは格差がダメなんだと、再配分、もしくは内需中心の経済基盤に切り替えるとどうなるのかと言えば、そこにはインフレというかつてこの国が経験した状況と表裏一体になります。再配分とか格差是正とかいっても、結局は、俺に分け前をよこせ、という利己的な思考、物理的な欲求が隠れています。もちろん、生活に必要な最低限のレベルさえ担保されていない方々の問題は対処しなければ話になりませんが、物理的な欲求の構造に組み込まれるという事は、資本主義、弱肉強食の構造に組み込まれるという事になります。日本人の生活水準をあげる為には、企業は更に弱肉強食の構造で勝ち続けなければいけません。という事はどういう事か、絶望的な貧困に苦しんでいる国々の方々を更なる絶望に叩き込む事に繋がります。
構造改革というインチキを利用して、権益を握っている連中にとっての都合のいい規制緩和で儲けているのは確かです。こういったインチキ改革をあたかも国民の為だとかいう輩は、話にならない対象です。しかしそういった連中や、例えば黒幕的な人達がいるのだとしても、その人達がいなくなれば即ち何もかも問題解決となるかと言うと、残念ながらそうはなりません。違う誰かが弱肉強食の原理で勝ち残るだけです。戦争という暴力が、国家という枠組みを無くせば乗り越えられると考える左翼思想と同じです。国家がなくなっても暴力そのものはなくなりません。国家と言う暴力装置である統治機関があるからこそ、我々国民が暴力に怯えずにすむ空間を担保し、暴力を管理しているともいえます。グローバライゼーション、資本主義社会というシステムというのは必ず、勝者と敗者を生み出します。だからこのシステムがいかんと言っても、もうもとには戻れません。この流れは不可逆性が必ず生じてしまいます。このシステムを取り入れた事によって、すでに取り返しのつかないレベルで様々なものを、我が国だけで見ても捨て去ってしまっていて復元はほぼ不可能です。同じでなくとも似たようなものを再構築するにも、膨大な時間と金がかかります。これは食料自給率の問題だけをとっても明らかです。という事はどんなに否定したくとも、企業が外貨を稼ぐ為に格差を利用した国際競争に勝ち続けていくという事を、否定出来ない構造に組み込まれているという事実を認めないと、そこから先には進む事が出来ません。それは結局、分け前をよこせ、という物理的な欲求とどう付き合っていくのかという問題に帰結します。内需か、外需か。格差を是正しろ。こういった問題を立てる時に、経済的な物理的な欲求を切り口にしてしまいがちです。そうしますと必ずパラドックスに陥ってしまいます。精神的な承認をいかに担保する社会を構築するのか、という観点からこういう問題にコミットしないと、本当の問題点は解決出来ません。この辺の問題は根が深いので別の機会に改めます。話を戻します。
北東アジア地域の問題を考えれば、これは陰謀でもなんでもなく、アメリカや中国にとっての経済合理性を考えれば、そんなに難しい話ではありません。自国の利益を最大化しようとしているだけで、日本が相手にされず、一人前の国として認めてもらえないのも、アメリカと中国がテーブルの下ではガッチリ手を握っているからです。それは陰謀とかいうレベルのややこしい話で見なくとも、ごく単純な話です。であれば当然、北朝鮮への対応も決まるというわけです。小泉前首相が、なぜ急激な親米一本やりに舵を切ったのか、全く無視されつつあったこの関係性の中で、立場を鮮明に打ち出す事によって、アメリカはまだ日本が利用可能なコマだという事に気付きました。日本と北東アジアの関係が悪化すれば、アメリカにとっての対アジア外交のリソースとなるからです。しかも日本と中国が関係をこじらせれば、アメリカ企業にとっても中国においての優位性を獲得出来ます。日本の企業の力は、中国市場での強力なライバルですから、日本が不人気になるという事は悪い話ではない。こういう構造の中に組み込まれているのに、この国の舵取りをされている方々の思考は短絡的でお粗末この上ありませんが、彼らは彼らにとっての権益を確保する為に、つまり選挙で勝つ為であったり、既得権を維持する為であったり、それぞれ利益を最大化しようとしているのです。
黒幕説や陰謀説というのは、存在するのかもしれませんが、世の中あらかじめ計算済みで行動するにはあまりにも複雑です。バタフライ・イフェクトというのがあります。北京で蝶がバタバタ羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こるというやつです。初期条件のわずかな差が、結果に大きな違いをもたらすというやつです。風が吹けば桶屋が儲かる、という言葉もあります。人間がこの世界の森羅万象を計算して予測する事は不可能です。安倍総理が不人気になった理由はなんでしょう?これに答える事は簡単ではありません。
量子力学で、量子の位置と運動量を同時に決定する事は出来ないという原理があります。量子位小さな物質になってしまうと、観測という行為そのものが対象に影響を及ぼしてしまうからです。人間の心もこれに似ています。誰かに貴方は今何を考えていますかという質問をします。しかし今考えている事を言語化する過程で必ずタイムラグが生じます。だから今、という瞬間を言語化しようとした瞬間にすでに過去を語っている事になるのです。人はそれぞれ認識している現実というのがあります。同じものを同じものに他人が見ているのかどうか、それは結局言語と言う共通のプラットフォームによって確認出来るにすぎません。実際にどう見えているのかは、認識を言語化しないとわかりあえず、言語化しないと認識も出来ません。認識を言語化するのではなく、言語によって認識しているのです。自分の中でさえそうなのですから、他人との関係性では尚更です。
そうやって言語と認識の時間的なズレや、空間的、物理的、感覚的ズレが必ず生じてしまいます。それが言語をあやつるという事の限界でもあるわけです。ウィトゲンシュタインは言語の限界は言語でしか示せない事を自覚した上で「語りうる事は明らかに語りうるのであり、語り得ない事については沈黙しなければならない」と言いました。人はわからないという事からは逃れられません。必ずわからない、言語化出来ないという事は生じます。言語化出来ないという事は問題は存在しないわけです。というよりウィトゲンシュタイン的に言うと、言語化出来ないのだから無意味なのかもしれません。ですがこのわからなさ、というのが厄介です。わからない事をそのまんまにしておきますと、人は不安になります。そこでその不安を担保する為に言語化したり、何かに依存したり、わかったような気にさせてくれるものにすがってしまいます。
そして人はそのわからなさのレベルも様々ですから、場合によってはわかっている、もしくはわかっているように見える人と、わからない自分との間に情報のディバイドがあると不安になります。実際その情報の非対称性を利用して金儲けをしたりもするわけです。この情報の非対称性の恐怖、わからなさというのが厄介です。それを利用して実際に儲けているやつがいると、何かとてつもなく巨大な存在に見えてしまったりもする。本当は知っているか、わからないかの差でしかないものを、大袈裟に見積もってしまう。実際たったそれだけの差であっても、大儲け出来る事も沢山ありますから魅力的にも見える。だから情報というのはとてつもない力も持つ事が出来ます。
葬儀屋、車屋、保険会社、金融機関、不動産屋、情報の非対称性を利用して儲けている職種はいくらでもあります。しかし情報の非対称性が存在しているという事がわかれば、利用されていても人は安心します。そういった会社の従業員が親切な笑顔で懇切丁寧に応対してくれれば、まあ金儲けとして商売をしているとはわかっていても、何かどす黒い陰謀にまみれているとは思わないでしょう。それは結局、その商品を買うかどうか決定権は自分にあるという、コントロール可能な領域が残されているからでもあります。そして情報の非対称性の存在が確定している事も大きいのだと思います。
アメリカにKKKというわけのわからない存在がいてみんなが恐怖していた時代があります。しかし彼らの情報が公になると次第に笑いのネタにされてしまったりして無力化していったという事があります。今の社会、情報の非対称性を無力化出来るインターネットという便利な代物があります。しかしそれでもやっぱりわからない事というのは存在する。わからない事をわかった気にもさせてくれたりする危険と隣り合わせであるという事を自覚して向き合わないと、せっかく情報の非対称性という恐怖を無力化出来るツールも諸刃の剣となってしまいかねません。実際それによってネット規制の流れも出来つつあります。情報の非対称性というわからなさの怪物と対峙する為に、インターネットは非常に有効な手段です。しかし結局はそれを上手く使いこなすも暴走させてしまうのも、我々次第となります。
選挙の候補者に100万円寄付するとします。この時、負けそうな候補に寄付はしないでしょう。正確には負けそうな方が善人で、正しい政策を打ってくれそうに見える人だとしても、100万円寄付するとなれば、ただそれだけでは出来ません。人によっては100万くらいはした金だと思う方もいるかもしれませんので、1000万、1億と位をあげていけば、明らかに負けるとわかっている善人より、勝つ可能性のある方に寄付するはずです。結果的に勝った方は勝ち馬に乗って見返りを求める人々から多額の寄付を受け取る事になるでしょう。この場合、金で選挙に勝ったと言えるでしょうか?因果関係と相関関係というのを、我々はよく混同します。あの企業も、この企業も、ユダヤ系金融機関が裏で糸を引いている、これも正確にはどうなのかはわかりませんが、勝ち残る可能性の無い企業に出資するより、勝ち残る企業に出資するのは経済的な合理性から考えれば当たり前と言えば当たり前です。そしてそういった金融機関やファンドにも顧客が存在します。彼らが守りたいのは、自分達の顧客の利益を上げて、更に儲ける事です。結果的にそれで困る人がいたとしても、顧客の利益を最優先するはずです。ではその顧客が悪者かといえば、自分の資産を運用によって増やしてくれそうな所に投資するのは経済的インセンティブを考えれば当たり前です。儲かりそうも無い所にお金を預けて誰も損したいとは考えないでしょう。だから勝っている側に金が集まるというのはよくある事なのです。この世はそういった様々なインセンティブによって、複雑に動いています。誰かが悪者で善人である我々を手の平で弄んでいる、そういった人々は存在するのかもしれませんが、前もって計算済みで行動出来るほど、人間は万能ではありません。そのときそのときの経済的なインセンティブの複合体として、儲かる事をしているだけなのではないかと思います。そこに情報の非対称性という恐怖も存在しますから、必要以上に大きく見積もってしまっているという事もありそうな気がします。
散々書きましたが、黒幕説や陰謀論が無いと言いたいわけではありません。しかし一番厄介なのは、わからない恐怖、という猜疑心です。言語をあやつるという限界に制約されている以上、人はそのわからない不安とは隣り合わせの存在でもあります。しかし人の存在は、結局のところ関係性の結節点でしかありえないのもまた事実。傷ついたり苦しんだりするのだとしても、そこからは逃れられません。物事をシンプルに考えるのは悪い話ではありませんが、原因をシンプルにしても結果は変えられません。原因を知り対処するというのは重要です、しかし原因を知るという事はそんなに簡単な話ではなく、様々な側面や様々な事象が複雑に絡み合って織りなしているのが人の営みです。そういった構造に目を向けるのはとても苦しく、不安であり、絶望と隣り合わせですが、目をそらしても何も変わりません。黒幕説や陰謀論について、あれこれ書いてみました。
アメリカ経済が破綻すれば、日本だってまちがいなく甚大な被害を受ける事になります。企業というのは当たり前ですが回収の見込みのない投資はしたくないものです。ファンドであればもっと単純です。安ければ買い、高ければ売る。需給のバランスとファンダメンタルズが価格を決めます。アメリカの経済が悪化すると織り込み済みなのであれば、世界中影響を受けるでしょうから、空売りをかけて、一番安い所で拾うのが合理的な判断というものです。もちろん破綻してしまっては無意味ですが。
アメリカ経済が破綻すれば、日本も中国も、世界中の国々が程度の差はあるでしょうが甚大な被害を被る事になるでしょう。一部の人間の資産を海外に逃がすという意味においてやるのだとしても、こういったスキームを正当化する為にしているのなら話が大袈裟すぎます。資産を持っていても、経済が破綻してしまっては本末転倒です。多少の通貨高や通貨安において資産をどこの通貨で持っておく方が有利か、多少のインフレであれば、株や資産で持っていた方が有利とかいう話はわかりますが、そういうのはまともな経済活動が回っていなければ意味がありません。
北東アジア地域を冷戦状態にする。これもよく言われます。確かにそれによって武器が売れれば儲かるというのはあるでしょうし、戦争の恐れという不安を利用して金儲けが出来るのも確かだと思います。しかしアメリカはすでに中国とは手打ちをしています。経済的には完全に繋がっています。中国の人民元の切り上げがなぜあの程度で済んでいるのか、中国が米国債を買い支えてくれるから。それももちろんありますが、アメリカが本気でそれを是正させようと思えば、もっと圧力をかけるはずです。アメリカは双子の赤字を抱えていてどうにもならない状態だ的な言われ方もします。しかし半分は正しいかもしれませんが半分は違います。アメリカは貿易赤字に見えますが、実際は中国がアメリカ企業の工場になっていますので、儲かっているのはアメリカの企業です。安い中国の労働市場を使い、貿易で赤字を被っている以上に、キッチリアメリカの企業は儲けています。だから人民元の更なる切り上げもポーズばかりという事になるのです。この構造を生み出す事によって、急激なインフレは起こらない仕組みになっています。だから金利も上がりにくい。もちろん中国もそれによって雇用を生み出したり出来ますし、将来、技術を完全に獲得出来れば自立すると考えるのかもしれませんが。
日本もいつまでもデフレから抜け出られないのはこの構造に組み込まれているからです。石油価格が上がろうが、原材料費があがろうが、安い労働市場があれば、一番費用のかかる人件費の問題がクリアー出来ます。ちょっとくらい原材料費があがっても、儲けが大きくなっていますから、製品価格には簡単には響かない、だからインフレにはなりにくく、またインフレアレルギーの日銀は、すぐに金利引き上げという匕首をちらつかせます。ですから景気が良くなっていると言っても、実感を感じられないのは当たり前、そして恐慌は起こりにくい経済システムになっているというわけです。
通貨というのは信用の制度ですから、借金が莫大な国の通貨の信用が弱いのは当たり前であり、円が安いのも、金利が低い事が単なる理由ではなく、日本という国の信用がなくなりつつあるからだという見方もあります。ドルに対する見方も似たようなものがあります。そういう側面も間違いなくあるとは思いますが、肝心なのは、例えそれが何であれ、中国の安い人件費を利用する現状の外需中心の産業基盤では、別に困らないという事です。
経済的な格差を利用した権益の争奪戦がグローバライゼーション、資本主義という構造の側面にあります。弱肉強食です。それでは格差がダメなんだと、再配分、もしくは内需中心の経済基盤に切り替えるとどうなるのかと言えば、そこにはインフレというかつてこの国が経験した状況と表裏一体になります。再配分とか格差是正とかいっても、結局は、俺に分け前をよこせ、という利己的な思考、物理的な欲求が隠れています。もちろん、生活に必要な最低限のレベルさえ担保されていない方々の問題は対処しなければ話になりませんが、物理的な欲求の構造に組み込まれるという事は、資本主義、弱肉強食の構造に組み込まれるという事になります。日本人の生活水準をあげる為には、企業は更に弱肉強食の構造で勝ち続けなければいけません。という事はどういう事か、絶望的な貧困に苦しんでいる国々の方々を更なる絶望に叩き込む事に繋がります。
構造改革というインチキを利用して、権益を握っている連中にとっての都合のいい規制緩和で儲けているのは確かです。こういったインチキ改革をあたかも国民の為だとかいう輩は、話にならない対象です。しかしそういった連中や、例えば黒幕的な人達がいるのだとしても、その人達がいなくなれば即ち何もかも問題解決となるかと言うと、残念ながらそうはなりません。違う誰かが弱肉強食の原理で勝ち残るだけです。戦争という暴力が、国家という枠組みを無くせば乗り越えられると考える左翼思想と同じです。国家がなくなっても暴力そのものはなくなりません。国家と言う暴力装置である統治機関があるからこそ、我々国民が暴力に怯えずにすむ空間を担保し、暴力を管理しているともいえます。グローバライゼーション、資本主義社会というシステムというのは必ず、勝者と敗者を生み出します。だからこのシステムがいかんと言っても、もうもとには戻れません。この流れは不可逆性が必ず生じてしまいます。このシステムを取り入れた事によって、すでに取り返しのつかないレベルで様々なものを、我が国だけで見ても捨て去ってしまっていて復元はほぼ不可能です。同じでなくとも似たようなものを再構築するにも、膨大な時間と金がかかります。これは食料自給率の問題だけをとっても明らかです。という事はどんなに否定したくとも、企業が外貨を稼ぐ為に格差を利用した国際競争に勝ち続けていくという事を、否定出来ない構造に組み込まれているという事実を認めないと、そこから先には進む事が出来ません。それは結局、分け前をよこせ、という物理的な欲求とどう付き合っていくのかという問題に帰結します。内需か、外需か。格差を是正しろ。こういった問題を立てる時に、経済的な物理的な欲求を切り口にしてしまいがちです。そうしますと必ずパラドックスに陥ってしまいます。精神的な承認をいかに担保する社会を構築するのか、という観点からこういう問題にコミットしないと、本当の問題点は解決出来ません。この辺の問題は根が深いので別の機会に改めます。話を戻します。
北東アジア地域の問題を考えれば、これは陰謀でもなんでもなく、アメリカや中国にとっての経済合理性を考えれば、そんなに難しい話ではありません。自国の利益を最大化しようとしているだけで、日本が相手にされず、一人前の国として認めてもらえないのも、アメリカと中国がテーブルの下ではガッチリ手を握っているからです。それは陰謀とかいうレベルのややこしい話で見なくとも、ごく単純な話です。であれば当然、北朝鮮への対応も決まるというわけです。小泉前首相が、なぜ急激な親米一本やりに舵を切ったのか、全く無視されつつあったこの関係性の中で、立場を鮮明に打ち出す事によって、アメリカはまだ日本が利用可能なコマだという事に気付きました。日本と北東アジアの関係が悪化すれば、アメリカにとっての対アジア外交のリソースとなるからです。しかも日本と中国が関係をこじらせれば、アメリカ企業にとっても中国においての優位性を獲得出来ます。日本の企業の力は、中国市場での強力なライバルですから、日本が不人気になるという事は悪い話ではない。こういう構造の中に組み込まれているのに、この国の舵取りをされている方々の思考は短絡的でお粗末この上ありませんが、彼らは彼らにとっての権益を確保する為に、つまり選挙で勝つ為であったり、既得権を維持する為であったり、それぞれ利益を最大化しようとしているのです。
黒幕説や陰謀説というのは、存在するのかもしれませんが、世の中あらかじめ計算済みで行動するにはあまりにも複雑です。バタフライ・イフェクトというのがあります。北京で蝶がバタバタ羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こるというやつです。初期条件のわずかな差が、結果に大きな違いをもたらすというやつです。風が吹けば桶屋が儲かる、という言葉もあります。人間がこの世界の森羅万象を計算して予測する事は不可能です。安倍総理が不人気になった理由はなんでしょう?これに答える事は簡単ではありません。
量子力学で、量子の位置と運動量を同時に決定する事は出来ないという原理があります。量子位小さな物質になってしまうと、観測という行為そのものが対象に影響を及ぼしてしまうからです。人間の心もこれに似ています。誰かに貴方は今何を考えていますかという質問をします。しかし今考えている事を言語化する過程で必ずタイムラグが生じます。だから今、という瞬間を言語化しようとした瞬間にすでに過去を語っている事になるのです。人はそれぞれ認識している現実というのがあります。同じものを同じものに他人が見ているのかどうか、それは結局言語と言う共通のプラットフォームによって確認出来るにすぎません。実際にどう見えているのかは、認識を言語化しないとわかりあえず、言語化しないと認識も出来ません。認識を言語化するのではなく、言語によって認識しているのです。自分の中でさえそうなのですから、他人との関係性では尚更です。
そうやって言語と認識の時間的なズレや、空間的、物理的、感覚的ズレが必ず生じてしまいます。それが言語をあやつるという事の限界でもあるわけです。ウィトゲンシュタインは言語の限界は言語でしか示せない事を自覚した上で「語りうる事は明らかに語りうるのであり、語り得ない事については沈黙しなければならない」と言いました。人はわからないという事からは逃れられません。必ずわからない、言語化出来ないという事は生じます。言語化出来ないという事は問題は存在しないわけです。というよりウィトゲンシュタイン的に言うと、言語化出来ないのだから無意味なのかもしれません。ですがこのわからなさ、というのが厄介です。わからない事をそのまんまにしておきますと、人は不安になります。そこでその不安を担保する為に言語化したり、何かに依存したり、わかったような気にさせてくれるものにすがってしまいます。
そして人はそのわからなさのレベルも様々ですから、場合によってはわかっている、もしくはわかっているように見える人と、わからない自分との間に情報のディバイドがあると不安になります。実際その情報の非対称性を利用して金儲けをしたりもするわけです。この情報の非対称性の恐怖、わからなさというのが厄介です。それを利用して実際に儲けているやつがいると、何かとてつもなく巨大な存在に見えてしまったりもする。本当は知っているか、わからないかの差でしかないものを、大袈裟に見積もってしまう。実際たったそれだけの差であっても、大儲け出来る事も沢山ありますから魅力的にも見える。だから情報というのはとてつもない力も持つ事が出来ます。
葬儀屋、車屋、保険会社、金融機関、不動産屋、情報の非対称性を利用して儲けている職種はいくらでもあります。しかし情報の非対称性が存在しているという事がわかれば、利用されていても人は安心します。そういった会社の従業員が親切な笑顔で懇切丁寧に応対してくれれば、まあ金儲けとして商売をしているとはわかっていても、何かどす黒い陰謀にまみれているとは思わないでしょう。それは結局、その商品を買うかどうか決定権は自分にあるという、コントロール可能な領域が残されているからでもあります。そして情報の非対称性の存在が確定している事も大きいのだと思います。
アメリカにKKKというわけのわからない存在がいてみんなが恐怖していた時代があります。しかし彼らの情報が公になると次第に笑いのネタにされてしまったりして無力化していったという事があります。今の社会、情報の非対称性を無力化出来るインターネットという便利な代物があります。しかしそれでもやっぱりわからない事というのは存在する。わからない事をわかった気にもさせてくれたりする危険と隣り合わせであるという事を自覚して向き合わないと、せっかく情報の非対称性という恐怖を無力化出来るツールも諸刃の剣となってしまいかねません。実際それによってネット規制の流れも出来つつあります。情報の非対称性というわからなさの怪物と対峙する為に、インターネットは非常に有効な手段です。しかし結局はそれを上手く使いこなすも暴走させてしまうのも、我々次第となります。
選挙の候補者に100万円寄付するとします。この時、負けそうな候補に寄付はしないでしょう。正確には負けそうな方が善人で、正しい政策を打ってくれそうに見える人だとしても、100万円寄付するとなれば、ただそれだけでは出来ません。人によっては100万くらいはした金だと思う方もいるかもしれませんので、1000万、1億と位をあげていけば、明らかに負けるとわかっている善人より、勝つ可能性のある方に寄付するはずです。結果的に勝った方は勝ち馬に乗って見返りを求める人々から多額の寄付を受け取る事になるでしょう。この場合、金で選挙に勝ったと言えるでしょうか?因果関係と相関関係というのを、我々はよく混同します。あの企業も、この企業も、ユダヤ系金融機関が裏で糸を引いている、これも正確にはどうなのかはわかりませんが、勝ち残る可能性の無い企業に出資するより、勝ち残る企業に出資するのは経済的な合理性から考えれば当たり前と言えば当たり前です。そしてそういった金融機関やファンドにも顧客が存在します。彼らが守りたいのは、自分達の顧客の利益を上げて、更に儲ける事です。結果的にそれで困る人がいたとしても、顧客の利益を最優先するはずです。ではその顧客が悪者かといえば、自分の資産を運用によって増やしてくれそうな所に投資するのは経済的インセンティブを考えれば当たり前です。儲かりそうも無い所にお金を預けて誰も損したいとは考えないでしょう。だから勝っている側に金が集まるというのはよくある事なのです。この世はそういった様々なインセンティブによって、複雑に動いています。誰かが悪者で善人である我々を手の平で弄んでいる、そういった人々は存在するのかもしれませんが、前もって計算済みで行動出来るほど、人間は万能ではありません。そのときそのときの経済的なインセンティブの複合体として、儲かる事をしているだけなのではないかと思います。そこに情報の非対称性という恐怖も存在しますから、必要以上に大きく見積もってしまっているという事もありそうな気がします。
散々書きましたが、黒幕説や陰謀論が無いと言いたいわけではありません。しかし一番厄介なのは、わからない恐怖、という猜疑心です。言語をあやつるという限界に制約されている以上、人はそのわからない不安とは隣り合わせの存在でもあります。しかし人の存在は、結局のところ関係性の結節点でしかありえないのもまた事実。傷ついたり苦しんだりするのだとしても、そこからは逃れられません。物事をシンプルに考えるのは悪い話ではありませんが、原因をシンプルにしても結果は変えられません。原因を知り対処するというのは重要です、しかし原因を知るという事はそんなに簡単な話ではなく、様々な側面や様々な事象が複雑に絡み合って織りなしているのが人の営みです。そういった構造に目を向けるのはとても苦しく、不安であり、絶望と隣り合わせですが、目をそらしても何も変わりません。黒幕説や陰謀論について、あれこれ書いてみました。