前々回、前回のエントリーで黒幕説や陰謀論がなぜ出て来るのだろう。黒幕がいて陰謀論があるからだ、という事をひとまずわきにおいて書いて来ました。その過程でユダヤ人によるよく言われる陰謀論が出てくる理由は、ただ彼らが本当に黒幕であり、陰謀を持っているからだと言うだけでは足りないのではないか、と言った視点で書きました。勘違いされると困りますので、実際、例えば中東で延々と繰り広げられている、終わりなき凄惨な戦いを見れば、陰謀があろうがなかろうが、黒幕がいようがいまいが、現実は例えそれがどちらであれ、どうすれば片の付く問題なんだろうと考えれば考えるほど、どうにもならなさを感じます。自分には解決法は皆目見当もつきません。
困ったものです。人々が幸福になる為に生み出した、社会と言うシステム、宗教という神のシステム、結局、傷つけあい殺しあうエビデンスになってしまっている。この世は不完全なものにしかならないという法則によって動いているとは言っても、あまりにも理不尽です。これが知恵を獲得してしまった人間の原罪なのでしょうか。それとも本当に悪しき意思を持つ何者かが存在して、こういった厄介な構造をほくそ笑んでいるのでしょうか。
自分の立ち位置は散々書きましたが、その上であえて陰謀論や黒幕説について、どうしても腑に落ちない点があります。ないと言いたいわけではありません。あるのかもしれませんが、そういう事を言う方の意見を聞いていますと、それなりに説得力はあるのですが、いつも引っかかる部分があるのです。矛盾がないという事です。正確に言えば矛盾の部分を繋げるキーワードとして必ず黒幕が暗躍している点です。
これは前回前々回よりも少し突っ込んだ視点で書きますが、ないと言いたいわけではありませんので、誤解無きように。
アメリカのネオコンの政策や、もっと言えばアメリカの建国当初から歴史の影にユダヤあり、世界のあらゆる舞台の裏にユダヤありというような言い方があります。実際そう見える所は確かにあるでしょう。
元々アメリカというのは、アングリカン・チャーチに虐められていた、ピルグリム・ファーザー達が宗教的な新天地を創ろうという意志によって、建国へと進んでいったというのがあります。これはシオニズムと近い思想でもあります。宗教者達が創った国であるにも関わらず、合衆国憲法修正第一条に、思想・信条と並んで、信教の自由を入れました。これはアングリカン・チャーチに徹底的に弾圧された苦しみの被害体験がバックボーンとなっているわけです。建国の父達がユダヤ人だとか、フリーメイソンだとかいわれたりしますが、ユダヤ人かどうか自分にはわかりませんが、フリーメイソンであった人もいた事は事実だと思います。しかしフリーメイソンというのは、無神論者と共産主義者は入会出来ませんが、ユダヤ、キリスト、イスラム教徒、そして仏教徒であっても入会出来ます。そして入会の儀式には旧約聖書が使われ、古代ユダヤ系の人物が登場したりしますが、それが即ちユダヤ教と言い切ってしまうにはちょっと論理が飛躍しすぎてしまいます。キリスト教徒にとっては、旧約聖書も大切なものでもありますし、イスラムであっても聖書をキターブとしています。もちろん聖書のすべてではなく、「トーラー」(モーセ五書)、ダビデに与えられた「詩篇」、イエスに与えられた「福音書」の三つが啓典となっています。
プロテスタンティズムというのは聖書の教えをそのまま信じるというのが信仰の核にあります。これはユダヤ教徒が旧約聖書の教えをその通りに守るという事と同じです。まあイスラム教も啓典宗教ですので、一神教であり啓典宗教であるという事で考えれば、啓典を正しく読み、その教えを全うするというのは当たり前なのかもしれません。カトリックのように、教会や法王が、信者と神の間に立ち、秘蹟などを行なったりする事の方が、啓典宗教という観点からすれば、変わっているのかもしれません。どの啓典宗教にも、神と人間の間に立つ、預言者が出て来ますが、これは神の言葉を預かって代弁するだけで、一方的に、時には理不尽とも思えるようなくらい、神から命令されて、全く預言者そのものの自由意志は認められません。自分は啓典宗教なのだから、啓典をそのまま信仰にするという事が正しいのかどうかはわかりませんが、かつてカトリックでは、啓典を信者に読ませないという事をしていました。なぜか、それはヨーロッパの当時の識字率が異様に低かったという事もありますし、経典に書かれている事とは全く関係のない事を教えていたからだというのもあります。しかし啓典をそのまま読んで信仰するという事が即ち幸せに繋がるのかと言えば、アメリカ人を見ればわかりますが、不安に煽られて生きる事にもなってしまいます。万人に真実を教える事が即ち幸福だとは限らない、民衆は理不尽な真実より、口当たりのいい救いの担保となるものを欲しがるというのも、人間の性かもしれません。しかしやはり神の力を人間が利用していますと堕落が生じます。そこでプロテスタンティズムが出て来たというわけです。
予定説の神、即ちカルヴァニズムの考え方がプロテスタントの根本にあります。人間の運命は、すべてあらかじめ神によって決められている。人間が善い行いを積んだか否かで、神の裁きが変わってしまっては、人間が神をコントロールしてしまう事になる。人間ごときの行いでは神の裁きは変わらない、救われる人は生まれる前から決まっており、今のありようはすべて神が決めた事、そういう考え方です。どんなに真面目に生きようが、どんなに善行を積もうが、神の裁きはすでに決まっている。しかし神の救いを得られる人間であるからにはそれなりの人物であるはずだという教えによって、勤勉さを獲得していきます。どんなに一生懸命働いても、救われるか救われないかはすでに決まっているのですから、不安で不安でたまらなくなります。しかし救われる人間は信仰厚い人間であるはずだ、救われる人間は勤勉で善行を積んだ人間であるはずだと言う考えを拠り所にして、死ぬまで満たされる事の無い、宗教的勤勉さを手に入れる事によって、資本主義、産業革命が駆動していく事になります。
ですから資本主義を押し進めていけば、必ずイデオロギーの承認を担保する、神のシステムが必要となります。今の日本の一番の問題点は、神のシステムが存在しませんので、承認不足が生じてしまっている。それを担保する為に、愛国心のようなもので吸い上げようとしています。単純な格差是正ではこの問題はどこまでいっても救えません。仮にカルヴァニズム的な予定説の神システムを導入出来たとしても、やっぱり不安ベースの生き方からは逃れられない。この国がもうプラットフォームの土台に取り替えしのつきようも無いレベルで導入してしまっている、資本主義というベースの上にいる以上、この問題は不可避です。資本主義社会で勝ち残るという事は、永遠に競争に勝ち続けなければなりませんから、一握りの人間を覗いてどこかで必ず敗れる事になります。勝ち続けていてもどこかで負けるのではないかという不安が付きまといます。ですから必ず承認が必要になる場面が出て来ます。勝ち続けるか、国家のインチキ愛国心か、はたまた実存を満たす為の何かの運動か、カルト宗教も含めた信仰か、そして戦争か、それらが承認不足を補いますが、これらは必ず戦争はもちろんですが、他人を傷つけるものに簡単に変容します。この承認不足をどうやって危険の無い形で補うのかが、格差と言われる問題の一番の根っこだと思います。仕事を経て、そこそこの給料を手にしても、結局競争のシステムに組み込まれるだけです。今の所人間が生み出した制度の中で、かろうじて資本主義というシステムだけが何とか他よりはかろうじてマシというレベルでしかありませんが回っています。共産主義や社会主義、封建制度よりはかろうじてマシという程度なのかもしれませんし、上手くいっているとはとても言えないのかもしれませんが、競争のシステムに変わるものが提示されて、それが多くの人のコンセンサスを得るには中々難しいのではないかとおもいます。人が今より幸せになりたい、物理的に満たされたいと思う本能は止められないからです。このシステムで回っている以上、承認不足の問題にコミットしなければどうにもなりません。再配分によって収入の格差をある程度是正しても、この問題は解決出来ないでしょう。物理的な欲求を満たす為の是正では、多少はマシになるかもしれませんが心の問題は解決出来ません。格差があっても、どこに暮らしていても、承認の得られる、精神的な幸福が得られる社会を構築しないと、この問題を根絶するのは難しいと思います。話がそれました元に戻します。
この予定説というのは、ユダヤ教の中にもすでに萌芽は見られます。「ヨブ記」のように神の預言者の選び方と、彼に対する報い方には、予定説の濫觴が見えます。つまりプロテスタンティズムが芽生え、近代を駆動させていく思想を手に入れる遥か以前から、ユダヤ教徒は、その勤勉さを求める予定説の原型のようなものを知っていたという事になります。ユダヤ人に成功している人が多い理由も、もしかするとその辺にあるのかもしれません。それがユダヤ教徒に対する恐れに繋がっていったのかもしれません。
アメリカの宗教右派はもともと非政治的な人たちで、東部や西海岸のインテリに対して、アンチな存在でした。この人たちが政治性を持ち始めてくるのは、ちょうどカーター民主党政権の頃です。ニューライトと呼ばれている人たちが、ケーブルテレビが爆発的に普及してくのを利用して宗教番組を流し、宗教右派を政治的に覚醒させて、共和党復活を目論みました。そしてレーガン政権が出来るわけです。
南部は元来、民主党の地盤でした。福音主義派の人たちというのは大半は庶民です。東部の金持ちはけしからん、という感情があります。そこにゲイ・リブ、ウーマン・リブ騒がれはじめて、それに寛容な民主党離れが起きました。田舎の人々の宗教的な良心がそれを許せなかったというのがあったのでしょう。さらに公民権運動の高まりの中で、企業に対して一定数の有色人種の雇用を義務づけるとか、州によっては様々な規制を加えるようになります。それを嫌がる企業が規制の甘い南部に入って行き、資本が入ってくると当然、空洞化や格差問題が深刻になります。宗教がその受け皿となり、宗教右派が力を増す。こうした構造は、現代の日本でも宗教こそ受け皿になりきってはいませんが、変わりに愛国心や企業への非正規労働者であるにも関わらず忠誠心を持っていたり、自民党が支持されてしまったりした構造に似ています。パレスチナのイスラム組織ハマスなどもこういった構造が見えます。
宗教右派は、大きな政治的勢力に成長しましたが、元来素朴な宗教的良心の持ち主で、悪く言えば田舎者なわけです。政治の事にそれほど詳しいわけではありません。そこで左翼出身で政治の手練手管に長けたネオコンが、宗教右派を利用するという構図が出来上がるわけです。アメリカの場合、日本もそうなのかもしれませんが、大学の先生というのはほとんどがリベラルです。彼らは大学教員という職を持っていて、たまに新聞に文章を書いてみたりしながら、生活は安定しているわけです。そういった表街道からはじかれたネオコンの連中は、シンクタンクなどをやり食いつなぎながら時を待っていました。ルサンチマンを醸成し、ハングリーさを養い、思想を強化してきたわけです。宗教右派も、教会を通じた草の根運動から、強大な集票マシンに成長しました。それは大変な労力だったと思われます。
ネオコンの思想的な大きな柱は、レオ・シュトラウスという政治学者の思想です。ドイツ出身でナチスの迫害を受けてアメリカに亡命してきました。アウシュヴィッツやホロコーストを目の当たりにした人です。大衆は無知であり、嘘をつこうが騙そうが真理を知る一部の人間がコントロールしていかないと、どんなにきれい事をほざいていても、やられちまったら社会が無茶苦茶になってしまう、そしたら何もかもお終いだから、やられる前にやっちまえ、乱暴に言えばそんな感じでしょうか。ホロコーストの体験がおそらく核になっているのだと思います。
クリスチャン・ザイオニストというキリスト教徒のシオニストがいます。この人たちは宗教右派の中核と重なっています。彼らがイスラエル支持の姿勢を目立たせてきたのは、第3次中東戦争の際、国連と歩調を合わせて、ローマ・カトリックがパレスチナ側に立ったのに対抗したのがそもそもです。クリスチャン・ザイオニストの動機は、は48年のイスラエル建国、67年のエルサレム占領によって、すでに聖書が示していたハルマゲドンへのカウントダウンが開始されたと位置づけます。やがてイスラエルとイスラムの間で宗教戦争が起きる。これがハルマゲドンで、イスラエルは滅びそうになる。そのとき、危機一髪、イエス・キリストが再臨して、ユダヤ教徒たちはみんなキリスト教に改宗する。そして「千年王国」を創るというシナリオです。聖書を文字通りに解釈する人々達はそれを本気で信じています。
ユダヤ教徒がキリスト教徒に改宗すると言っているんですから、当然イスラエル最高の宗教権威の超正統派の人たちは、こういった考えに反対している人の方が多いようです。ハルマゲドンを人為的に早めてはいけないと。そもそもユダヤ教超正統派の人たちは、今はイスラエルに住んでいますが、イスラエルという人造国家を認めません。それはハルマゲドンを人為的に早めようとするものだからです。メシアの再臨は人間の意思ではどうにもならないものだから、静かにその日を待つ、というのが彼らの考え方です。
しかし人為的に早めたい人たちもいるようです。修正シオニスト等の流れです。アリエル・シャロンやエフード・オルメルト等がそうです。なぜ彼らがクリスチャン・ザイオニストを受け容れるのかといえば、彼らから見ればイスラエルを保持することが、宗教的使命の第一義であり、手段は二の次だからです。一方、クリスチャン・ザイオニストにしてみれば、ユダヤとイスラムとの緊張が増してくるのはハルマゲドン、キリスト再臨を早めることになる。こうした基本的な宗教的信念に基づいて、彼らは結びついています。目的は違えども、手段は同じという事になるのです。アメリカのキリスト教右派は、レーガン政権下では、ソ連との第3次世界大戦をハルマゲドンと規定していました。そのソ連がなくなってしまったので、今度はイスラムと戦争するということです。それがハルマゲドンと重なる。だからイスラムとの戦争は悪くない話だとなるわけです。
もちろんこの中でも、これ以外でも多様な様々な価値観と意志が複雑に絡まっているのが世界です。こういった宗教的な良心が(日本人的な感覚で言えば良心とは思えませんが)、軍産複合体の利権の構造や、ネオコンの思惑などに利用されているのは事実だと思います。しかし宗教的な良心といってもレベルも当然違うでしょう。本気でハルマゲドンを待望している人、日々の生活の拠り所として信仰を持っている人、全員が全員、キリスト再臨の為にはやく世界最終戦争が起こってほしいと思っているわけでもないでしょう。一部のユダヤ教徒と同じように、静かにその時を待つと思っている人だってたくさんいるはずです。こういった流れというのは、様々な過程で人々がそれぞれの立場で最適化していると思って歩んで来た事の帰結です。初めから誰かが、歴史のあらゆる背後にいて、コントロールして来て人はその思惑通りに動いていると言ってしまうには、あまりにも世界は複雑系であり、増大するエントロピーをあらかじめ計算の上で陰謀を企んでいるというのは、ハルマゲドンを待ち望んでいる人々の思考と同じ袋小路に入ってしまっているように見えます。人間はそこまで万能ではありません。明日の天気すら間違います。
次回へ続く。
困ったものです。人々が幸福になる為に生み出した、社会と言うシステム、宗教という神のシステム、結局、傷つけあい殺しあうエビデンスになってしまっている。この世は不完全なものにしかならないという法則によって動いているとは言っても、あまりにも理不尽です。これが知恵を獲得してしまった人間の原罪なのでしょうか。それとも本当に悪しき意思を持つ何者かが存在して、こういった厄介な構造をほくそ笑んでいるのでしょうか。
自分の立ち位置は散々書きましたが、その上であえて陰謀論や黒幕説について、どうしても腑に落ちない点があります。ないと言いたいわけではありません。あるのかもしれませんが、そういう事を言う方の意見を聞いていますと、それなりに説得力はあるのですが、いつも引っかかる部分があるのです。矛盾がないという事です。正確に言えば矛盾の部分を繋げるキーワードとして必ず黒幕が暗躍している点です。
これは前回前々回よりも少し突っ込んだ視点で書きますが、ないと言いたいわけではありませんので、誤解無きように。
アメリカのネオコンの政策や、もっと言えばアメリカの建国当初から歴史の影にユダヤあり、世界のあらゆる舞台の裏にユダヤありというような言い方があります。実際そう見える所は確かにあるでしょう。
元々アメリカというのは、アングリカン・チャーチに虐められていた、ピルグリム・ファーザー達が宗教的な新天地を創ろうという意志によって、建国へと進んでいったというのがあります。これはシオニズムと近い思想でもあります。宗教者達が創った国であるにも関わらず、合衆国憲法修正第一条に、思想・信条と並んで、信教の自由を入れました。これはアングリカン・チャーチに徹底的に弾圧された苦しみの被害体験がバックボーンとなっているわけです。建国の父達がユダヤ人だとか、フリーメイソンだとかいわれたりしますが、ユダヤ人かどうか自分にはわかりませんが、フリーメイソンであった人もいた事は事実だと思います。しかしフリーメイソンというのは、無神論者と共産主義者は入会出来ませんが、ユダヤ、キリスト、イスラム教徒、そして仏教徒であっても入会出来ます。そして入会の儀式には旧約聖書が使われ、古代ユダヤ系の人物が登場したりしますが、それが即ちユダヤ教と言い切ってしまうにはちょっと論理が飛躍しすぎてしまいます。キリスト教徒にとっては、旧約聖書も大切なものでもありますし、イスラムであっても聖書をキターブとしています。もちろん聖書のすべてではなく、「トーラー」(モーセ五書)、ダビデに与えられた「詩篇」、イエスに与えられた「福音書」の三つが啓典となっています。
プロテスタンティズムというのは聖書の教えをそのまま信じるというのが信仰の核にあります。これはユダヤ教徒が旧約聖書の教えをその通りに守るという事と同じです。まあイスラム教も啓典宗教ですので、一神教であり啓典宗教であるという事で考えれば、啓典を正しく読み、その教えを全うするというのは当たり前なのかもしれません。カトリックのように、教会や法王が、信者と神の間に立ち、秘蹟などを行なったりする事の方が、啓典宗教という観点からすれば、変わっているのかもしれません。どの啓典宗教にも、神と人間の間に立つ、預言者が出て来ますが、これは神の言葉を預かって代弁するだけで、一方的に、時には理不尽とも思えるようなくらい、神から命令されて、全く預言者そのものの自由意志は認められません。自分は啓典宗教なのだから、啓典をそのまま信仰にするという事が正しいのかどうかはわかりませんが、かつてカトリックでは、啓典を信者に読ませないという事をしていました。なぜか、それはヨーロッパの当時の識字率が異様に低かったという事もありますし、経典に書かれている事とは全く関係のない事を教えていたからだというのもあります。しかし啓典をそのまま読んで信仰するという事が即ち幸せに繋がるのかと言えば、アメリカ人を見ればわかりますが、不安に煽られて生きる事にもなってしまいます。万人に真実を教える事が即ち幸福だとは限らない、民衆は理不尽な真実より、口当たりのいい救いの担保となるものを欲しがるというのも、人間の性かもしれません。しかしやはり神の力を人間が利用していますと堕落が生じます。そこでプロテスタンティズムが出て来たというわけです。
予定説の神、即ちカルヴァニズムの考え方がプロテスタントの根本にあります。人間の運命は、すべてあらかじめ神によって決められている。人間が善い行いを積んだか否かで、神の裁きが変わってしまっては、人間が神をコントロールしてしまう事になる。人間ごときの行いでは神の裁きは変わらない、救われる人は生まれる前から決まっており、今のありようはすべて神が決めた事、そういう考え方です。どんなに真面目に生きようが、どんなに善行を積もうが、神の裁きはすでに決まっている。しかし神の救いを得られる人間であるからにはそれなりの人物であるはずだという教えによって、勤勉さを獲得していきます。どんなに一生懸命働いても、救われるか救われないかはすでに決まっているのですから、不安で不安でたまらなくなります。しかし救われる人間は信仰厚い人間であるはずだ、救われる人間は勤勉で善行を積んだ人間であるはずだと言う考えを拠り所にして、死ぬまで満たされる事の無い、宗教的勤勉さを手に入れる事によって、資本主義、産業革命が駆動していく事になります。
ですから資本主義を押し進めていけば、必ずイデオロギーの承認を担保する、神のシステムが必要となります。今の日本の一番の問題点は、神のシステムが存在しませんので、承認不足が生じてしまっている。それを担保する為に、愛国心のようなもので吸い上げようとしています。単純な格差是正ではこの問題はどこまでいっても救えません。仮にカルヴァニズム的な予定説の神システムを導入出来たとしても、やっぱり不安ベースの生き方からは逃れられない。この国がもうプラットフォームの土台に取り替えしのつきようも無いレベルで導入してしまっている、資本主義というベースの上にいる以上、この問題は不可避です。資本主義社会で勝ち残るという事は、永遠に競争に勝ち続けなければなりませんから、一握りの人間を覗いてどこかで必ず敗れる事になります。勝ち続けていてもどこかで負けるのではないかという不安が付きまといます。ですから必ず承認が必要になる場面が出て来ます。勝ち続けるか、国家のインチキ愛国心か、はたまた実存を満たす為の何かの運動か、カルト宗教も含めた信仰か、そして戦争か、それらが承認不足を補いますが、これらは必ず戦争はもちろんですが、他人を傷つけるものに簡単に変容します。この承認不足をどうやって危険の無い形で補うのかが、格差と言われる問題の一番の根っこだと思います。仕事を経て、そこそこの給料を手にしても、結局競争のシステムに組み込まれるだけです。今の所人間が生み出した制度の中で、かろうじて資本主義というシステムだけが何とか他よりはかろうじてマシというレベルでしかありませんが回っています。共産主義や社会主義、封建制度よりはかろうじてマシという程度なのかもしれませんし、上手くいっているとはとても言えないのかもしれませんが、競争のシステムに変わるものが提示されて、それが多くの人のコンセンサスを得るには中々難しいのではないかとおもいます。人が今より幸せになりたい、物理的に満たされたいと思う本能は止められないからです。このシステムで回っている以上、承認不足の問題にコミットしなければどうにもなりません。再配分によって収入の格差をある程度是正しても、この問題は解決出来ないでしょう。物理的な欲求を満たす為の是正では、多少はマシになるかもしれませんが心の問題は解決出来ません。格差があっても、どこに暮らしていても、承認の得られる、精神的な幸福が得られる社会を構築しないと、この問題を根絶するのは難しいと思います。話がそれました元に戻します。
この予定説というのは、ユダヤ教の中にもすでに萌芽は見られます。「ヨブ記」のように神の預言者の選び方と、彼に対する報い方には、予定説の濫觴が見えます。つまりプロテスタンティズムが芽生え、近代を駆動させていく思想を手に入れる遥か以前から、ユダヤ教徒は、その勤勉さを求める予定説の原型のようなものを知っていたという事になります。ユダヤ人に成功している人が多い理由も、もしかするとその辺にあるのかもしれません。それがユダヤ教徒に対する恐れに繋がっていったのかもしれません。
アメリカの宗教右派はもともと非政治的な人たちで、東部や西海岸のインテリに対して、アンチな存在でした。この人たちが政治性を持ち始めてくるのは、ちょうどカーター民主党政権の頃です。ニューライトと呼ばれている人たちが、ケーブルテレビが爆発的に普及してくのを利用して宗教番組を流し、宗教右派を政治的に覚醒させて、共和党復活を目論みました。そしてレーガン政権が出来るわけです。
南部は元来、民主党の地盤でした。福音主義派の人たちというのは大半は庶民です。東部の金持ちはけしからん、という感情があります。そこにゲイ・リブ、ウーマン・リブ騒がれはじめて、それに寛容な民主党離れが起きました。田舎の人々の宗教的な良心がそれを許せなかったというのがあったのでしょう。さらに公民権運動の高まりの中で、企業に対して一定数の有色人種の雇用を義務づけるとか、州によっては様々な規制を加えるようになります。それを嫌がる企業が規制の甘い南部に入って行き、資本が入ってくると当然、空洞化や格差問題が深刻になります。宗教がその受け皿となり、宗教右派が力を増す。こうした構造は、現代の日本でも宗教こそ受け皿になりきってはいませんが、変わりに愛国心や企業への非正規労働者であるにも関わらず忠誠心を持っていたり、自民党が支持されてしまったりした構造に似ています。パレスチナのイスラム組織ハマスなどもこういった構造が見えます。
宗教右派は、大きな政治的勢力に成長しましたが、元来素朴な宗教的良心の持ち主で、悪く言えば田舎者なわけです。政治の事にそれほど詳しいわけではありません。そこで左翼出身で政治の手練手管に長けたネオコンが、宗教右派を利用するという構図が出来上がるわけです。アメリカの場合、日本もそうなのかもしれませんが、大学の先生というのはほとんどがリベラルです。彼らは大学教員という職を持っていて、たまに新聞に文章を書いてみたりしながら、生活は安定しているわけです。そういった表街道からはじかれたネオコンの連中は、シンクタンクなどをやり食いつなぎながら時を待っていました。ルサンチマンを醸成し、ハングリーさを養い、思想を強化してきたわけです。宗教右派も、教会を通じた草の根運動から、強大な集票マシンに成長しました。それは大変な労力だったと思われます。
ネオコンの思想的な大きな柱は、レオ・シュトラウスという政治学者の思想です。ドイツ出身でナチスの迫害を受けてアメリカに亡命してきました。アウシュヴィッツやホロコーストを目の当たりにした人です。大衆は無知であり、嘘をつこうが騙そうが真理を知る一部の人間がコントロールしていかないと、どんなにきれい事をほざいていても、やられちまったら社会が無茶苦茶になってしまう、そしたら何もかもお終いだから、やられる前にやっちまえ、乱暴に言えばそんな感じでしょうか。ホロコーストの体験がおそらく核になっているのだと思います。
クリスチャン・ザイオニストというキリスト教徒のシオニストがいます。この人たちは宗教右派の中核と重なっています。彼らがイスラエル支持の姿勢を目立たせてきたのは、第3次中東戦争の際、国連と歩調を合わせて、ローマ・カトリックがパレスチナ側に立ったのに対抗したのがそもそもです。クリスチャン・ザイオニストの動機は、は48年のイスラエル建国、67年のエルサレム占領によって、すでに聖書が示していたハルマゲドンへのカウントダウンが開始されたと位置づけます。やがてイスラエルとイスラムの間で宗教戦争が起きる。これがハルマゲドンで、イスラエルは滅びそうになる。そのとき、危機一髪、イエス・キリストが再臨して、ユダヤ教徒たちはみんなキリスト教に改宗する。そして「千年王国」を創るというシナリオです。聖書を文字通りに解釈する人々達はそれを本気で信じています。
ユダヤ教徒がキリスト教徒に改宗すると言っているんですから、当然イスラエル最高の宗教権威の超正統派の人たちは、こういった考えに反対している人の方が多いようです。ハルマゲドンを人為的に早めてはいけないと。そもそもユダヤ教超正統派の人たちは、今はイスラエルに住んでいますが、イスラエルという人造国家を認めません。それはハルマゲドンを人為的に早めようとするものだからです。メシアの再臨は人間の意思ではどうにもならないものだから、静かにその日を待つ、というのが彼らの考え方です。
しかし人為的に早めたい人たちもいるようです。修正シオニスト等の流れです。アリエル・シャロンやエフード・オルメルト等がそうです。なぜ彼らがクリスチャン・ザイオニストを受け容れるのかといえば、彼らから見ればイスラエルを保持することが、宗教的使命の第一義であり、手段は二の次だからです。一方、クリスチャン・ザイオニストにしてみれば、ユダヤとイスラムとの緊張が増してくるのはハルマゲドン、キリスト再臨を早めることになる。こうした基本的な宗教的信念に基づいて、彼らは結びついています。目的は違えども、手段は同じという事になるのです。アメリカのキリスト教右派は、レーガン政権下では、ソ連との第3次世界大戦をハルマゲドンと規定していました。そのソ連がなくなってしまったので、今度はイスラムと戦争するということです。それがハルマゲドンと重なる。だからイスラムとの戦争は悪くない話だとなるわけです。
もちろんこの中でも、これ以外でも多様な様々な価値観と意志が複雑に絡まっているのが世界です。こういった宗教的な良心が(日本人的な感覚で言えば良心とは思えませんが)、軍産複合体の利権の構造や、ネオコンの思惑などに利用されているのは事実だと思います。しかし宗教的な良心といってもレベルも当然違うでしょう。本気でハルマゲドンを待望している人、日々の生活の拠り所として信仰を持っている人、全員が全員、キリスト再臨の為にはやく世界最終戦争が起こってほしいと思っているわけでもないでしょう。一部のユダヤ教徒と同じように、静かにその時を待つと思っている人だってたくさんいるはずです。こういった流れというのは、様々な過程で人々がそれぞれの立場で最適化していると思って歩んで来た事の帰結です。初めから誰かが、歴史のあらゆる背後にいて、コントロールして来て人はその思惑通りに動いていると言ってしまうには、あまりにも世界は複雑系であり、増大するエントロピーをあらかじめ計算の上で陰謀を企んでいるというのは、ハルマゲドンを待ち望んでいる人々の思考と同じ袋小路に入ってしまっているように見えます。人間はそこまで万能ではありません。明日の天気すら間違います。
次回へ続く。