華氏四五一度/レイ・ブラッドベリ

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「かつては書物が、ここかしこ、至る所で、かなりの人たちの心に訴えていた。
~ところが、その後地球上は、人口は倍になり、三倍になり、四倍になった。映画、ラジオ、雑誌の氾濫。そしてその結果、可能なかぎり低いレベルへ内容を落とさねばならなくなった。
~古典ものは切り詰めて、十五分のラジオ番組に当てはめる、それを更にカットして二分もあれば目が通せる分量に縮め、最後はギリギリに短縮して、十行か十二行の辞典用梗概となる。
~辞典は元々、参考資料にすぎない。それにしても、今ではこの方針が徹底した。そこらの人間に聞いてみるがいい。『ハムレット』を知っていると言う連中の知識にした所で、例の、『これ一冊で、あらゆる古典を読破したと同じ。隣人との会話の為、必須の書物』と称する重宝な書物に詰め込まれた一ページ・ダイジェスト版から仕入れたものだ。育児室からカレッジへ、それから更に、元の育児室へ、そこに過去五世紀にわたる人類の知識の型が見られるんだ。
~映画だって、いよいよスピード・アップだ。これだってスピード第一なんだ。カチッ!ほら、映った。はやく見ないと消えてしまうぞ!あれだ!カチッ!ほら、大急ぎで!ペースは速い。上だ!下だ!内だ、外だ!なぜ、どうやって、なにを、どこで?え?おお!バン!パチッ!ドン!ビシン!ボン!ドシン!ダイジェストのダイジェスト版、そのまたダイジェスト版。政治問題?そんなもの一段でよかろう。二行もあればたくさんかな。なんなら、見出しだけにしておくか。どうせみんな消えてなくなる事だ!人間の思考なんて、出版業界、映画界、放送業界、そんな社会のあやつる手のままにふりまわされる。不必要なもの、時間つぶしの存在は、遠心力で跳ね飛ばされてしまうのが運命なんだ!」

「学校は僅かの年月で卒業出来る。規律は緩むし、哲学、歴史、言語、そんなものは勉学の対象ではなくなるのだ。英語もスペリングもなおざりにされて、いつか完全に無視されてしまうだろう。生活はその日暮らし、仕事は割のいいのだけをねらう。作業が終われば、遊びが待っている。ものを学ぶなんて、たいして意味のある事じゃない。ボタンを押し、スイッチを入れ、ナットとボルトを締めさえすれば、用は足りるんだからな。
~みなに、もっと、もっと、スポーツをやらせる必要がある。あれをやっていればものを考える事がなくなる。スポーツによって組織を作り、その組織体の組織を作り、そのまた組織を作り上げる。書物には漫画を増やす。写真を増す。それによって頭の回転を防ぐ事が出来る。込み入った事を考えられなくなるが、それもまた結構な事さ。気が短くなって公道で車をすっ飛ばす群衆が無数に増えてくるが、いい傾向だ。どこへ行こうかなど、考える事はない。ただどこかへ行きさえすればいい。ひしめきあって、車を飛ばせばいいんで、どこへ行くと、目的地を決める必要はない。いわばガソリン避難民。街全体がモーテルに変わり、遊牧民になった人々が潮の出入りを追って、大波のような移動を続ける。
~憲法に書いてあるように、自由平等に生まれて来るものじゃない。それでいて結局は平等にさせられてしまう。誰もが、他のものと同じ形をとって、はじめてみんなが幸福になれるのだ。高い山がポツンと一つそびえていたのでは、大多数の人間が怖じ気づく。嫌でも自分の小ささを味あわなければならん事になる。
~国民を政治的な意味で不幸にしたくなければ、すべての問題には、二つの面がある事を教えてはならん。一つだけ与えておくのが要領なのさ。何も与えずに済めばそれにこした事はないがね。政府が無能で、指導者ばかりがやたらに多くて、税金を取り立てるのに熱中しなければならんにしても、それを国民にとやかく言わせてはいかん。とにかく平穏無事が何より大切だ。国民には記憶力のコンテストでも与えておけばいい。それもせいぜい流行歌の文句。州政府の所在地の名でなければ、トウモロコシの生産量はいくらと言った問題がいい。うんざりするほどの『事実』を詰め込んで窒息させてしまう事だな。
~国民はそうこうしているうちに、それぞれ、自分も相当の思索人だと思い込んでしまう。動きもしないのに、動いているような気持ちを意識して来る事になる。それで彼らは幸福になれるのだ。その種の事実だけなら、常に変化を見る事がないからだ、間違っても哲学とか社会学とかいったものを与えて、事実を総合的に考える術を教えるんじゃない。現代では計算尺で計算したりする輩より、宇宙現象を方程式で説明する輩より、ずっとずっと幸せに暮らせるものだ。ジェットカーに超スピード、性と麻薬。機械的に反射作用をもたらすものに限る」


いきなり前置きの引用が長くなりましたが、本日は古い書籍の事について書きたいと思います。かなり大昔に読んだ本なのですが、最近の世の中の流れにうんざりしながら、この本のなかに書かれていたフレーズを思い出しました。昔読んだ時、結構衝撃を受けたのですが、それが最近の一連の政治、経済、報道の流れに無力感を感じている時、この本の事を思い出し、引っ張り出して来て改めて目を通しました。相当古い本なのですが、全く書かれている通りの未来を迎えつつあるのかと、ちょっと愕然としました。
レイ・ブラッドベリ著、華氏451度について本日は書きたいと思います。冒頭の引用は、このなかに書かれているやり取りです。
タイトルをパロッた、華氏911によって、一時期脚光を浴びましたが、華氏451度というのは本が燃える温度を示しています。この本はSF小説で、本というペーパーメディアのなかでも、文学、哲学、宗教、思想、学術といった、人に考えを及ぼすものが禁じられた近未来の小説です。人々は難しい考えを持たないようになり、表層的なテレビやラジオなどの娯楽に身を任せ、難しい話には無関心になっている管理された社会です。
主人公は焚書官という書物を見つけ出し、それを焼く役割を果たす、現代の消防士とは真逆の役割を担う組織に所属し、日々の生活に疑問を持たず、平穏に暮らしていた男が、あるきっかけで、次第にその役割に疑問を持ちはじめ、本を保護する方向に行動を切り替え、社会に追われる立場になっていく、というお話です。
言論を封殺して、人々を管理するというのは太古の昔から繰り返されて来た人間の性かもしれませんが、近代になりやっとそういった規制はよくないのではないかというコンセンサスを人々は得ました。しかしこれは常にその権利を確認し続けないとあっという間に失ってしまう、非常に脆弱なものです。やっと人々はその大切さを学び今があります。
この国、いや世界の至る所で、そういった流れに逆行するような空気もあります。それを持ち続ける努力を忘れずに、更に多くの世界中の人々のコンセンサスになるかどうかが、歴史を繰り返すしかないか、それとも食い止める事が出来るのかの境目になるのだろうと感じます。
もっと恐いのは、考えたり悩んだり、難しい事をあれこれ考えるのは厄介でもあり、刹那的な一瞬の中身のない快楽に人々が身を任せ、自らそういったものを手放していく、この本のなかに描かれている社会になりつつあるのではないかという状況も感じてしまいます。これは本当に厄介です。そういった社会では、他人と違った考えを持つ事が危険分子扱いされてしまい、平和な日常を妨げる悪しき存在として、人々は喜んでその弾圧を喝采する。
まだそこまでこの国や世界が行き詰まってはいないと思いたいのですが、少なくともその途中にあるのではないかという事を感じさせる、物事が単純化された社会になるつつあるような、しかもそのスピードは昔この本を読んだ時より、どんどん加速しているような気がします。
あまりにもこの世界の現状、そしてその先を予言しているかのようなこの本ですが、詳しい話の内容は是非読んでみる事をオススメします。大変面白い本です。
本日はこの本に書かれていた、予見的な部分が非常に今の危機を象徴しているような気がしましたので取り上げてみました。
この本が書かれたのは1953年ですので(もちろん自分が読んだのはそこまで昔ではありません。まだ生まれてませんから)相当昔です。我々が普段感じている社会の閉鎖感や矛盾というのは、昔から考えられて来た事であり、常にあるものなのかもしれません。しかしそれは裏を返せば、そういった危機感を昔から考えて来たにもかかわらず、いまだに克服出来ない人間の愚かさの象徴かもしれません。それが人間なのか、それともいつかは克服出来るものなのか、例え前者が答えだとしても、我々は前に進むしかありません。だとすれば後者である、いつかはそういう時代が来ると信じて進むしかないのかもしれません。
最後にこの本で最も気に入っている部分を引用させて頂き、終わりにしたいと思います。


「万が一不幸にももう一度、暗黒時代が襲うような事になれば、また最初からやり直しになる。それはやむを得ん事さ。考えようでは、そこが人間の素晴らしい点でもあるんだな。どんなにがっかりした所で、どんなにうんざりしたにしても、もう一度最初からやり直す事を諦めるような者はおらんのだ。それというのも、何が大事であり、何がやるだけの価値のある仕事か、よく心得ておるからだ」