かつてオイルショックという大打撃がこの国を襲いました。インフレが起こり、高金利を呼び、株価は暴落し、不景気に叩き込まれました。自分はまだその当時は赤ちゃんだったので、体験したとは言いがたいのですが、それらの事が現実に起こったという、人々の記憶も残っていますし、多くのものでそれを確認するすべもあります。
この時の直接的な原因は、エジプトとシリアがイスラエルに攻撃を仕掛け第四時中東戦争がはじまり、OPECのサウジやアラブの産油国が、アメリカなどのイスラエル支援国への輸出カット、原油公示価格の引き上げによって、国内の石油価格が跳ね上がり、狂乱物価が起こり、経済成長率は戦後はじめてマイナス成長になりました。日本だけが打撃を受けたわけではなく、世界同時不況に見舞われました。インフレと不況が同時に起こり、スタグフレーションなんて言われました。
現在、中東でアメリカによって戦争が行われ、レバノンのアラブ武装組織、ヒズボラが、イスラエルの兵士二人を拘束し、イスラエルの領土にロケット弾を打ち込んだ事から、イスラエルは隣国レバノンを攻撃しました。そしてまた石油の値段があがっています。2006年の夏には80ドル近くにまでなりました。起こっている状況だけを考えますと、オイルショックの当時と同じような状況になっています。しかし当時のような不況にはなっていない。物価が急激に上昇する事もないですし、景気がいいと言われているほど、国民が実感する事はないのかもしれませんが、それほど深刻な不況になってしまったというわけではありません。景気自体がずっと悪かったので我々が鈍感になっているのかもしれませんが、間違いなくオイルショック当時のようなインフレや不況にはなっていません。なぜならないのでしょうか。それともこれからなるのでしょうか。
米中経済同盟を知らない日本人/山崎 養世

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そんな素朴な、そう言われればそうだよな、という切り口から始まり、今の世界の枠組み、日本の構造的な問題、歴史的な歩み、そしてこれからの成すべき事、実にわかりやすい、小中学生の子供でもわかるような語り口で、是非子供に読ませたいと思うと同時に(自分は子供はいませんが)大人が読んでもなるほどと思う所の多い、大変素晴らしい書籍、山崎養世さんの、米中経済同盟を知らない日本人、を読みました。山崎養世さんと言いますと、高速道路無料化論者で有名ですが、ちゃんとその話もはいっています。しかも非常に説得力がある。
この本の素晴らしい所は、なんと言ってもわかりやすく、誰でも手軽に読めるような書き方で書かれている所です。奥さんに読んでもらい、わかりづらいと言われた部分は、全部書き直した、とおっしゃっているだけの事はあります。
現状の世界や、この国の問題点、まあそう言った切り口の本は沢山あります。しかしそういう厄介な構造をひっくり返しているにもかかわらず、ちゃんと希望が書かれており、非常にポジティブになれます。是非十代の若者に読んでほしいと思ってしまいます。もちろん希望や解決策が書かれていますが、そんなきれい事だけじゃ上手くいかねえんだよな、という風に言ってしまえば身も蓋もないですし、若干強引な所もあります。例えばカントを引用するくだりがあるのですが、ちょっと無理があるこじつけ的な部分もあり、そう解釈すればそう言えない事もないけれど、ちょっと強引すぎるのではないか、とか思ってしまう所もあるにはあります。そう言う部分が若干あるにはありますが、歴史のストーリーとしても、世界や日本の構造を理解するにしても、これから成すべき事はなんなのかを知る上でも、広く国民がこの本を読めば、おそらく多くの人のコンセンサスを得やすいであろうと感じられる、非常にポジティブな内容でした。それらの問題を繋げていく鍵になるのがお金の流れです。
グローバライゼーションという言葉や、開かれていく世界経済について、何かとネガティブなまなざしが増えています。あたかもそのせいでお先真っ暗的な状況に陥っているような感覚さえあるのではないでしょうか。何となくそう言う世界の流れによって、格差が生まれ、救われない人々がいる、そんな感じで言われたりします。実際国内の格差や弱者切り捨てなんかとは次元の違う、全く救いのない、貧しい国々の方々の絶望的な状況をグローバライゼーションによって、ブーストしている部分は間違いなく存在しています。
しかし開く事によって、お金、人、物、情報が世界を自由に駆け回るようになる事は、悪い事ばかりではないはずで、問題ももちろんありますが、国内だけを見れば、それによって確実にいい社会になっている部分もあり、差し引き勘定で考えれば、決してマイナスではない、それがマイナスに見えるのは、むしろ世界の流れが変わっているにもかかわらず、古い体質に依存している状態が問題なのだと言う事がわかります。絶望的な貧困に喘ぐ国々の方々の状況を改善する為に必要な事は、国際社会の流れから閉ざして、無視していてもどうにもなりません。国際社会の枠組みに向き合い、それをまず知らなければ、絶対に不可能な事でもあります。もちろんまず国民が、貧しい国なんて知ったこっちゃねえぜ、それより自分達の生活だ、という意識の方が大多数の人々にとって切実な感覚でしょうから、貧しい国々の経済格差についてどう考え対処するのか、という観点で言えば、世界の流れに向き合うと同時に、合意を得なければならないハードルも沢山あります。
明治維新前、維新後、前大戦前、戦後、状況が一変し、国のレジームや、これまでのスキームを変えないと対応出来ない状況というのは、失ってしまうものも確かにある、しかし戦前や江戸時代より、変わった事によって差し引きプラスになっているのではないか。例えば規制緩和や小さな政府、グローバライゼーションという開かれた社会になる事によって、確かに問題もある。しかし差し引きプラスになる為に変えなければいけない部分を、旧態依然のままでは、ただおいてけぼりを喰らう人々が出るだけで、プラスとして受けられる恩恵をみすみす逃してしまう事になります。
こういった時代の流れは不可逆で、確かに誰も望んでいないかもしれないですし、不安もあります。だからと言って変えるべき所をグズグズしていたのでは、マイナスにしかならないのではないか、日本人が嫌だろうがなんだろうが、世界はそういう風に動いています。その流れを閉ざし、変わる事が出来なければ、益々おいてけぼりを喰らうだけです。
それに対する危機意識として、まあ表面上の改革だとかほざいているバカがいっぱいいますが、本当に変えなければいけない部分は温存しているくせに、力のない地方や弱者だけをただ切り捨てるのは、全然グローバライゼーションでも、規制緩和でも、小さな政府でもありません。それらの言葉を巧みに利用して、己の権益を守っている所行にすぎないのです。開く事によって変わらなければなりませんが、それを中途半端にしていたのでは、差し引きマイナスにしかならない、という事がよくわかります。
旧態依然とした制度に守られてぬくぬくとしている連中が、弱者切り捨てや、地方切り捨ての言い訳として、グローバライゼーションや開かれた社会に責任を押し付けているにすぎないのです。本当に全体で差し引きプラスにする為に変えなければいけないのは、旧態依然とした制度です。世界の流れではありません。仮に世界の流れが間違っているとしても、変える事は出来ません。人々が豊かになりたいというインセンティブは止めようがないからです。それにそれを閉ざしていたのではどっち道お先真っ暗です。開く事によって世界の流れを受け入れ、そしてそれが間違った流れに向かっているのだとすれば、その上でよい所と問題のある部分を峻別していく事が重要です。悪いとわかっている所まで受け入れる必要はありません。
世界の流れそのものを悪い所もあるからと言って閉ざしていたのでは、世界の流れは何も変わりませんし、ただおいてけぼりを喰らって誰からも相手にされない、人口のただ減っていく衰退国家になる事は目に見えています。日本にはまだまだ無駄にしている部分が沢山あり、そこを上手く使えばまだまだ国全体として差し引きプラスになる部分が山のようにあります。それらを活用させないような仕組みが旧態依然とした制度と、その制度でも逃げ切る事の出来る一握りの人々です。
大きな政府、小さな政府という言い方があります。最近では小さな政府路線は格差を拡大させ、弱者切り捨ての政策だと言った感じで、こういったまあ所謂ネオリベ政策的言われ方をしているものは不人気になりつつあります。元々資本主義経済の初期の段階では、アダム・スミスの言うような、自由にすれば経済は神の見えざる手によって上手くいく、政府は余計な干渉をせずに、なるべく自由にしておくべきだ、言ってみれば小さな政府的な考え方で世の中は上手くいく、という風に言われていました。それが所謂古典経済学と我々が知っているものの代表的な考え方でした。供給したものは、すべて需要されるなんて言う事が言われていたりしました。セイの法則というやつです。ですから失業も絶対に有り得ないという事になります。しかし世の中はそうはならない、不景気になれば失業も出てくるし、供給すればすべて売れるなんて事は有り得ません。
常識的に考えれば、当たり前だと思いますが、それでも小さな政府、自由市場が経済を上手く回すという考えそのものが間違っているわけではありません。自由にしておくと言っても、どうしたってそれには限界があります。労働者の賃金を好き勝手に安くしたり出来ませんし、商品だって、安くすると言っても限界があります。ただ同然で安く売れば、売れる事は売れますが、それでは生活は立ち行かない。自由な状態にしておけば市場は上手く回る、のかもしれませんが、自由な状態にすると言っても制約があり、必ず不自由な状態が生まれます。である以上、上手くいかないのは当たり前というわけです。自由な市場経済という前提が有り得ない以上、神の見えざる手によって上手くいく事もなくなってしまいます。そこで生まれたのが、ケインズの言った経済学的な、大きな政府路線が出て来るわけです。
需要を公共事業によって増やし、乗数効果を利用して経済を活性化させたり、自由にはなり得ない市場経済に介入し経済を上手く回していくという発想です。資本主義というのは必ず貧困や失業を生み出しますので、資本主義を乗り越えなければならないとマルクスが言い、共産主義や社会主義なんて言う概念も生まれます。しかしそれでもやっぱり上手くいかない。共産主義や社会主義のように、競争のない社会で真面目に頑張れるほど、人間は崇高な生き物ではありませんし、国が市場に介入したり、経済を活性化させる政策を打てる権限や裁量を大きく持ちすぎてしまいますと必ず腐敗する。悪い意味での談合体質や、癒着、恣意的な政策や裁量、日本の政治家や役人、既得権益層が腐っているのを見れば、人間が愚かな生き物であるという事がよく分かります。政治家や役人の腐れ具合は確かに問題かもしれない、しかし仮にその立場に自分が立たされたとき、彼らと同じ判断を絶対にしないと言い切る事は出来ないとわかってもいますので、その状況に国民自体腹も立つけれど、ある種の諦めも存在する。腐敗した構造を是正したり、そうならないようなルールを作れと言ったって、是正したりルールを作ったりしている連中がそもそも腐っているのだから、そんなインセンティブ働きようがない。そこで再び、小さな政府という路線が進んだのです。アメリカではレーガン、イギリスではサッチャー、そしてこの国では表面上は、前政権の小泉さん、そしてそれを引き継ぐ安倍政権。
小さな政府ではどうしても上手くいかない、自由にも限界がある、だけどそこに政府が介入している状況もやっぱり上手くいない、人間は神ではありませんので、権限や裁量が与えられれば必ず堕落する人が出てくる。日本もそれによって膨大な借金と、お先真っ暗な状況、出口のない不況、政治家や役人にこれ以上好き勝手させたのでは、本当にどうにもならないのではないか。それならまだ、レッセフェールにしておいた方が、マシなのではないかという事で、小さな政府路線に舵を切らざるを得なかった、というのが現状です。しかしそもそも小さな政府、自由市場に任せるという事自体、上手くいかないのはわかりきっている事ですから、ただ政府を小さくして、レッセフェールにしておけばいいと言うものでもありません。あくまでも政治家や役人が強力な権限や裁量を握って好き勝手にふるまい、税金を無駄にし、私益や組織益の為にグダグダやっているよりマシだと言う次元の話でしかありません。しかしこの国で言われる所の、小さな政府とかストラクチュアル・リフォーム、構造改革という代物は、全くインチキで、本来するべき改革はいっこうに進まず、官から民へというお題目によって高らかに謳われている事柄の内幕は、権限と裁量は国家権力が握ったまま、責任は民間に押し付ける、ようするに国家権力の力をただ強化する所行にすぎません。
銀行や大企業を優先した政策ばかりで、特に銀行は税金まで使って救済したのに、一般の国民の生活は全然向上しない、こういった物言いがされたりもします。日本のプラットフォームを維持しようと思えば、一般の国民や中小企業から先に救う事は確かに出来ません。まず救うべき優先順位として、銀行や大企業から救わねば、国民の生活の向上もない事はわかります。しかし今の国家権力がそこから先へ国民の生活を向上させる為だとか、醜い権限や裁量による腐敗の構造を是正して、風通しを良くするとかという振る舞いは全くする気もなく、ただ単にたいした権利もない弱者の権利を吸い上げ、更に国家権力の力を強める為の政策をバンバン強行採決によって通しています。
弱者救済を旗印にあげますと、やっぱりそこにも利権は生まれ腐敗に繋がりますから、闇雲に弱者救済をすればいいというわけではありませんが、少なくとも最低限、機会の平等を担保する為の政策を打つ事くらいはやってもらわなければ、自由経済と言ったって、そもそも選択肢がなければ自由もクソもありません。結果平等を担保する必要はないと思いますが、アメリカさんの都合のいい政策ばかり、国家権力に都合のいい政策をせっせと打つ事ばかりやってないで、機会の平等を担保する為に打てる政策はまだまだ沢山あります。そこには権益も絡まってますので知らん顔しているというわけです。
教育の機会が、親の収入や住んでいる場所によって埋める事の出来ない格差になっているという現状は、とっとと是正してもらわねば話になりません。不良債権を抱えた銀行は、結局、彼らの責任でそうなっているだけで、責任はちゃんと彼らにあります。そこを税金で救済しておいて、たまたま生まれた場所が地方の僻地というだけで、統廃合などによって教育の機会が担保されていない、学校に通うと言ったって、いちばん近い所が何十キロも離れた所にあったのでは選択の自由もクソもありませんし、小学生や中学生には不景気になった責任は何一つありません。それが要するに、小さな政府とか構造改革と言うなら勘弁してもらいたいもんだと思います。構造改革なんてそもそも、コンピューターを導入する事によって効率を高めるという程度の、企業経営論の話です。
この本にも書かれていますが、例えば高速道路、世界一高い通行料金を誇る我が国のこの制度、中国だって立派でかつ無料の高速道路網によって、極めて効率的な流通システムを生み出しています。資本主義というのはどんなに機会の平等を担保しようとしても、あらかじめ個人が持っていたり、企業が持っている初期手持ち量の格差というのが必ず存在します。個人であれば能力や生まれ、企業であれば知名度や資金力、そういうものの不平等というのは絶対に消えませんし是正しようもありません。しかし例えば高速道路というのは非常に高い料金で、そのコストが負担出来る人にとって有利な状況を作り出しています。初期手持ち量の是正は出来なくとも、それ以外の機会の平等を担保して貰わねば、勝負しろつったって、初期手持ち量の差で勝つ方は絶対に決まっているというシステムでは、自由市場なんて全くイカサマです。
高速道路を無料にすれば、地域格差是正、大都市の人口過密の是正、地方の観光事業の活性化、道路を作る以上の経済効果、様々ないい事がいっぱいあります。詳しい事はこの本を読んでもらえばわかりますが、今の国家権力には全くそんな意識のかけらさえ見受けられません。この国の高速道路制度や醜い規制は、織田信長が登場する前の関所制度や座の制度にそっくりです。信長は関所を撤廃し、楽市楽座を行う事によって、自国を富ませていきます。目先の権益に縛られて関所の通行料を踏んだくっていたのでは、国は発展しないと知っていたのです。
コムスンの話題で世間は持ち切りです。グッドウィル・グループの会長がクソミソに叩かれています。泣けばいいと思っているのか今イチ釈然としませんが、彼らが善いか悪いかは今日は触れません。しかし気になるのは、介護という仕事は、金儲けじゃない、善意と信頼関係が大切なんだ的な言い方が、金にまみれたメディアや、バカ政治家がほざいています。こういう物言いはいい加減にしてもらいたいもんだとつくづく思います。ただ単に善行がしたい、人の役に立ちたいと思うのなら、ボランティア活動をするとか、出家するとかすればいい事で、企業であれば、どんなに小さな企業であっても、金儲けにインセンティブなければ、誰もやりませんし、生活の為になるからやるのです。自分の実存を満たすだけなら、趣味で十分です。なかにはやりがいもあって、それが収入にも直結するからやっている人もいるでしょう。しかしそれは生活が出来て、ある程度、金にもなるから出来る事であって、善意ややりがい、信頼関係だけで満足する人はおそらくいないと思います。
金儲けというインセンティブが、よい介護やサービスをして顧客に満足してもらうという事と一致するような枠組みや制度が必要です。人の欲望というのは際限がありませんし、全員がそれをコントロールする社会というのは中々難しいと思います。お金を儲けたいというインセンティブを邪悪なものとする、カビの生えた古代の思想から、いい加減に脱却して、そう言うインセンティブが間違った方向に行かない社会や制度を作るという、近代国家であれば当たり前の枠組みが必要だと思います。
金儲け主義はあまりいい事ではないと、声高に叫ぶメディア関係者や政治家は、俗情に媚びて、人々の嫉妬心にさおさしほざきますが、彼らこそ金に汚い連中です。しかも競争によって得ているより、特権に守られているからこそ高収入を得ている側面があります。金儲けが悪い事でそれをするのはあまりよくない事だというくだらない前提で、人々のインセンティブをねじ曲げてしまいますと、それが不正や犯罪に繋がってしまったりもします。いい加減、人間は浅ましい生き物でもあるという事を認め、その上で制度やルールを作る事が肝心です。もちろん人間には善意もあります。しかしいつも正しいとは限りませんし、間が指す事もあるのです。人々のインセンティブをくじき、諦める社会ではなく、やる気を補完するような、そんな社会を作らない事には、この国のお先真っ暗感や袋小路から脱却するのは、永久に不可能なのではないでしょうか。
我々に出来る事は殆どありません。政権交代させるくらいしか国家権力にアプローチする方法はありません。選挙と言っても選択肢が全くない絶望感もあります。野党が政権を握ってもどうせ変わらないかもしれません。だから現行のままで諦めるのか、唯一のアプローチを行使するのか、それは人々の自由な選択です。そんなもの自由とは呼べませんが、残念ながら現実的な動員を考えればそれしかないのです。
この本は非常に面白く、そしてこの世界の問題点、日本の舵取りの一つのシナリオを明確に見せてくれます。結局グローバライゼーションに組み込まれ、弱肉強食の荒波のなかで、権益を確保しようと思ったら、そんなきれい事じゃ上手くいかない、物理的な力、軍事力がものを言うんだ、という事を言ってしまうと身も蓋もありません。国家なんて言うのは、ようするに、言う事を聞かなければ殺す、という事の延長線上に法律があり、国際社会の鍔迫り合いも、自国の権益を守る為に、言う事を聞かないと攻撃するぞ、という延長線上に世界のプラットフォームや表面上のルールがあります。そう言ってしまえば身も蓋もないかもしれませんが、現状の我が国の軍事力や世界の枠組み、そして国民の平均的な感覚からすれば、そう言う身も蓋もない社会かもしれないが、そのなかでどう振る舞うのかという事でしか前に進めないのも事実です。その為に必要な考えがこの本には詰まっています。
山崎養世さんの、米中経済同盟を知らない日本人、を読みあれこれ書いてみました。