安倍総理の肝いりの教育再生会議の迷走ぶりは、全く話になりませんね。今日本に必要な事がなんであるのか全く理解していないと言うか、逆走していると言うか、あれでどうにかしようと本気で考えているのかどうか分かりませんが、仮に本気だとすると安倍さんのおつむは本当にカラッポなのではないかと感じてしまいます。あまり賢そうに見えない総理大臣というのは、もはや我が国のお家芸なのかもしれませんが、一般人が見てそう見えるのですから、いい加減にまともな人材はいないものかとガッカリしてしまいます。
何でもまたとんでもない親学とか言うのが騒がれています。徳育の話もそうでしたが、まあ言いたい事はわかりますし、言っている事は間違っちゃいないのだろうとは思いますが、ハッキリ言って余計なお世話です。どんなに正しかろうがなんだろうが、あんたらに言われる筋合いじゃないよ、という事です。立場をわきまえてもらいたいもんだと思います。
道徳的な正しさを国民に根付かせようというパターナリズム的な余計なお世話は、ハッキリ言って今必要な事ではないと思います。駄目親に正しく行動しろ、という事がいかに無駄かわかってらっしゃらない、しっかりとした子供を育てる為に今一番必要なのは、教師がしっかりする事でも、親がしっかりする事でもありません。そりゃしっかりするにこした事はありませんが、いかに社会が子供達を育てる環境を整えられるか、という事が重要なのだと思います。ダメ親やダメ教師がけしからんというのはわからないでもありませんが、そういう人達が誰かに何かを言われる事によって変わる可能性というのは極めて低いと思うのです。自分でその事に気付き本気で改善しようとしなければ変わるわけありません。多少は変わる人もいるのでしょうが、そういう結構なボリュームで存在してしまっている人達をどうするのか、親や教師は大人ですし、自分で選んだ選択ですから勝手にすればいいと思いますが、その子供達をどうやってサルベージするのか。それが問題なんだろうと思います。
赤ちゃんポストもそうです。けしからん、道徳心が足らないと吹き上がる気持ちもわからなくありませんが、吹き上がって叱りつけても、なってないと嘆いても、子供を捨てようと思う親は存在するわけです。自分も捨てる事はないんじゃないかとも思いますし、捨てるくらいなら避妊くらいしろ、とも思います。が、そういう親が存在している事も事実なのです。経済的な問題や、まあそれ以外にも理由はあるのでしょうが、それくらい何とかしやがれ、とも思いますが、一番大切なのは子供の命です。
それに理由はどうあれ、自分の子供を捨てるような親なんだから、そういう親がまともに子育てが出来るようにも思えません。親と一緒に暮らす方がもちろん理想ではありますが、その事によってかえって不幸な結末を生むくらいなら、子供の為には赤ちゃんポストがあるのも仕方がないのではないかと感じます。そういう親に対してけしからんと説教たれても、人の話を素直に聞いて、悪いとわかるくらいならそんな事しないでしょうし、言うに言われぬ事情があってやむを得ず捨てる親にそんな事言ったって、いけない事だという事は百も承知なはずです。しかし捨てずにはいられない何らかの理由がある。そういう人を完全に無くすために必要な事は、偉そうに説教する事じゃありません。出来るか出来ないかは別として、社会的な整備を整えればそういう人達がいなくなるのかと言えば、それも無理でしょう。どんなに恵まれた社会になったとしても、そういう親の存在を全くなくすという事は不可能だと思います。ですからいろいろ問題はあると思いますが、とりあえず子供の命を最優先にするのであれば、赤ちゃんポストもやむなしと思うのです。
教育の問題もこれと全く同じ構図です。しっかりしろと言ってわかるような親であれば、子供をそれなりにちゃんと教育出来るでしょう。しかしそれが出来ない人が増えている。肝心なのは子供達の未来です。
最近の親が劣化してバカ親になっているとか、教師たちが劣化してバカになっているとか言うのは、正確に言えば必ずしも正しくはないと思います。昔もバカ親はたくさんいましたし、非常識な教師もたくさんいました。何が問題かと言えば、親や教師たち以外が子供達の成長を助ける社会、平たく言えば世間とかそういう共同体がぶっ壊れた結果です。肝心なのはバカ親を教育するよりも、親がバカでも子は育つというシステムを再構築する事を考える必要があるのだろうと思います。昔はよかった的に聞こえてしまうとすれば本意ではありませんが、まだ地域社会や世間というものが機能していた頃は、飲んだくれの親父であっても、子供は立派に成長し、社会的にも経済的にも成功をおさめるという事が現在よりはあったように感じます。しかし現在の状況を見ますと、共同体や世間が壊れ、政治家が人気取りのリソースとして、またメディアや企業が金儲けの為に、不安や体感治安を煽る事によって、親が子供をかこっている状態になっています。その事によってバカ親が、全く同じような大人に育つ子供を再生産しているシステムが回っているという事が問題なのだろうと思います。生まれた時から完全に機会の平等がない、這い上がるシステムが存在しない、そういうシステムを作るどころか、固定化した格差を更にブーストさせるような事をしていながら、バカ親に断固決然と吹き上がるのは大概にした方がいいと思います。
この国には元々道徳観念なんてありません。あったのは共同体や世間の目を気にする、世間体だけです。それは現在でも残っていますが、共同体の内部で通用する論理によって自己を規定していたのが、この国で勘違いしている道徳観念です。会社のなかではよい社員であっても、一歩表に出ると非常識な振る舞いをしたりする、会社のなかでの体裁を守るために自己を規定していても、一歩外に出るとそのたがが外れてしまう。旅の恥はかきすて的な感覚があるのもこの為です。それは学生の仲間内でのものや、役人、公務員、政治家、様々なものがあります。しかし昔はそれらの蛸壺をつなぐ世間というものが一応存在していましたから、会社や学校、組織共同体から一歩外に出ても、世間共同体があった。だから世間体というものが機能し、それが道徳観念的に機能していたのだと思います。
しかし今は世間や地域共同体というものは空洞化してしまい、それぞれの蛸壺をつなぎ止める前提が壊れてしまいました。だからそれぞれの蛸壺での常識が、外から見ると非常識に見えてしまったり、世間というものが機能していた頃の残像とずれているように感じたりするのだと思います。ですから役人や政治家、公務員や企業が外から見ると非常識に見えてしまったりするのでしょう。しかし何とずれているのかというもとになっている世間や社会という共同体はすでに壊れていますので、おかしいぞと叫んでも、断罪しても空論となってしまうのです。子供達の集団が理解出来ないのもそういった状況によってより加速しています。
また携帯電話やパソコンの普及によって、より個人主義が蔓延しています。家族であっても、表面上は仲良し家族でも実はバラバラでお互い何を考えているのかわからないという感じになっていたりもします。所属している仲間内であっても同じ状況はあるでしょう。自分が所属する、学校や会社などの共同体からはじかれてしまうと、それをつなぐ世間は壊れ、家族は個人化し、友人であっても、恋人であっても、個人主義が広がっていますので、自分の居場所を見いだす事が出来ずに、孤独に陥ってしまい、様々な弊害を引き起こしたりする場合もあります。
街並は大店法の緩和以来、シャッター街だらけとなり、コンビニやファミレスのようなものばかりが増え、地域性は薄れてしまっていますから、親がバカでも子が育つシステムの再構築と言っても、以前のような地元共同体のようなものを復活させるのは難しいでしょう。時間は不可逆ですから、いったん失ったものと同じものは出来ません。それをどうやって構築するのかという事を考えず、現在のシステムのまま、ただバカ親やダメ教師に吹き上がっていても、何も解決出来ないと思います。
どんなに正しい道徳的な事を言っても、この国にはもとからそんなものはありませんし、歴史的にも共同体による縛りがあったに過ぎません。ダメ親やバカ教師が一定数存在しても、上手く回っていく社会を構築する為に必要な事は、世間共同体の変わりとなるシステムをいかに構築するかだと思います。バカ親にけしからんと説教たれる事じゃありません。
また教育の分権化も絶対に必要です。中央で一律に管理するやり方では、失敗した時に一からやり直しになってしまいますし、一蓮托生となってしまいます。分権化する事によって成功する地域、失敗する地域と分かれ、ますが一時期それを乗り越えれば成功例がデータとして蓄積されますから、その成功例を全国の学校で取り入れれば、全体で一蓮托生的に失敗するよりマシというわけです。
教育再生会議がどのように舵取りしたいのかは、結果が出ない事には何とも言えませんが、失敗しても彼らや総理はどうせ責任なんてとりもしないのでしょうが、実際に被害を被るのは未来の大人である子供たちです。もう少しまともに考えて貰いたいもんだとつくづく思ってしまいます。教育の問題はそのまんまこの国の未来に跳ね返って来ます。スッキリするのが目的なのか、既得権の綱引き合戦に終始してしまうのか、それとも本当にこの国の未来の為、子供達の為、まともに教育改革をしたいのか、その事を我々はしっかり見ていかなければならないのではないかと思います。