言うまでもありませんが自分は男です。しかも自分で言うのもなんですが、女々しいのは嫌いですし、男は男らしくあるべきだという比較的古めの観念も持っています。そんな人間でありながら、何の因果か、何を血迷ったのか、映画、プラダを着た悪魔、を観てしまいました。きれいな女性が出て来そうだからスケベ心で観たのではありません。もちろん全くないかと言うと全くないわけでもないかもしれませんが、たまたま巡り合わせで観てしまいました。今日はそれについて書きたいと思います。
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チャラチャラした映画っぽく見えますし、あまり期待もせず、どうせ面白くないだろうとか、面白いとしても、男が観てはたして理解出来るのか、そう思いながら何となく観ていますと、想像していたより酷くはありませんでした。以外と男が観ても(興味の無い人間が観ても)引っかかるフックがきちんと用意されていました。以前も書きましたが、その為に重要な要素は痛みと理不尽による共感です。それがある程度描かれていると自分の日々の問題と照らし合わせて考えられる。
この物語の痛みや理不尽にまつわる事というのは、仕事に関する事ですので、仕事を多少した事があればバイトであっても、もちろん責任が重い立場であればあるほど、一度は味わった事のあるであろう痛みです。それが引っかかって最後まで興味を持ってみる事が出来ました。人が死んだり、記憶喪失になったり、不治の病に冒されたり、日本が沈没してしまったりと言ったような、非日常のあまり体験する機会の無い痛みというのは、可愛そうという事は感じるかもしれませんが、日常の生活に落とし込んで共感は出来ません。日常の痛みに向き合っている人間は、そういった非日常の痛みはアホらしく感じるものですが、今この国では日常の痛みや理不尽に向き合わなくてもそこそこ楽しく生きて行けるせいもあって、日常の痛みに鈍感になっている人が増えていると思います。そういう人は日常の痛みや理不尽に向き合わないように生活していますので、日常の痛みや理不尽を観るより、有り得ない非日常の痛みを観た方が感動も出来るのだろうと思います。でもそういった非日常の痛みを体験する機会というのはそう簡単に訪れるものではありませんから、自分の日々の生活に落とし込んで考えれば、きれい事だよという展開だったりしますが、日々の生活に痛みや理不尽がなく、したがって考える機会や学びのチャンスも無く、刺激も無いので、そういった非日常のバカげた理不尽や痛みを描いた映画が幅をきかせてもいるのだろうと感じます。
ヤクザ映画や勧善懲悪の時代劇を観て興奮するのと大差はないと思います。もちろんそういった娯楽が必要だと感じる人は大いに楽しめばいいと思いますが、あんまりそういうものが溢れかえってしまいますと、人の痛みに鈍感な人間が増えていくのではないかと感じます。よく過激な暴力描写が描かれていたりすると、あたかもそういうものが人の暴力的な側面を助長させると言った物言いがされますが、例えそういうものであっても、きちんと日常の痛みが描かれているかどうかが重要な要素になるのだろうと思います。それがあれば人の痛みを、自分の痛みに置き換えて学ぶチャンスになりますから必ずしも悪影響ばかりと切って捨ててしまうのは正しいとは限らないのではないかと思います。それが描かれずにただ闇雲に非日常的な痛みや理不尽だけが描かれれば、それが例え暴力描写の無い、恋愛映画であったとしても、人の痛みを感じる事の出来ない人間を増やす事になります。人の痛みや理不尽を感じられる人間は、非日常の痛みが描かれた映画などは、暴力的なものであろうが、恋愛ものであろうが、絵空事だと言う感覚で突き放してみる事が出来ますから、そういったものに悪影響を受ける心配も無いのだろうと思います。人は困難にぶつからずに可能な範囲でちょろちょろやっている分には楽ですが賢くはなれませんし、刺激もありません、本当の意味での楽しさというのは、楽する事とは違います。楽しむのは以外と大変なものだと思います。
前置きが長くなってしまいましたが、もちろんこの映画の主人公の女性のおかれている立場や、劇的な成長の仕方は、ちょっとどころか多いにハリウッド的、得意のご都合主義全開ですし、一応主人公がさえない女の子だというのは、最初の洋服の地味さと、ファッション業界で働く女性達とのコントラストによってそれなりに説得力がありますが、見え見えの展開と、主人公の女性の潜在的とも言えないような美しさのおかげで、お約束的展開はCMを見ただけでも予想出来るそのままになっていきます。さえない女の子がきれいになり、仕事にサクセスしていくというやつです。こんなきれいな女の子をさえないと言ってしまうのはちょっと無理を感じますし、まあセンスが無いという意味においてなら多少わからない事も無いですが、デブあつかいをするにいたっては、ちょっと無理がありすぎます。全然太っているようには見えないからです。もちろんファッション業界でしのぎを削る女性は素人からするとバカバカしいとも思えるくらいの体重や体型を気にするのかもしれませんし、実際物語中にもそれをパロって自虐的なネタにしていた部分もありましたが、後半きれいになった主人公が痩せたという事がセリフによってわかるのですが、男の目から見ると正直全然わかりませんでした。ファッション的に洗練されたというか、あか抜けたという事は伝わりますが、体型が変わったようにはヴィジュアルを観ているだけでは殆どわかりませんでした。その微妙な所が女性にとっては肝心なのかもしれませんが。
主人公が感じる事になる理不尽や痛みというのは、ある程度の年齢になり、仕事上の経験が増えている人間であれば、まあ若い頃はそういう葛藤もあったけれど、それを乗り越えてしまえば、もっと理不尽な事は沢山あるという事がわかりますので、青二才の甘い葛藤に過ぎないものでしかありません。しかし一度でもそれを経験した事があれば、今考えればバカバカしい事で迷っていたけれど当時はそれが切実だったんだよな、という実感は残っているはずですし、自分も仕事を始めたばかりの頃に味わった、いろいろな出来事に照らし合わせて共感出来ました。今の感覚からすればたいした事ではないともちろん思ってしまいますが、右も左もわからず仕事を始めたばかりの主人公が、おそらく初めて人生で味わう様々な理不尽に右往左往する様に、自分の仕事を始めたばかりの時に味わった痛みに直結して、その頃を思い起こさせてくれる。当然同じような仕事上の壁を抱えていると感じている人は、レベルの違いこそあれそういう自分自身の痛みに直結し共感出来る。有り得ない展開であり、全く想像もできない世界の話ですが、その共感が出来るおかげで最後まで見れましたし、そこそこ面白かったと感じました。
突っ込みどころはいくらでもあるので、あらを探せばきりがない映画ですが、主人公が仕事上の上司、名優、メリル・ストリープ演じるミランダと言う女性、理不尽女王に翻弄されていく様がコミカルに、テンポよく描かれます。程度の違いこそあれ、こういう人いるよなという共感を感じます。下っ端で働いているときは何がなんだかわからずに、言われた事をこなし、時には言われる前に察知して手をまわしたり、それでも理不尽に叩きのめされたり、一生懸命やっていても、結果が伴わなければプロの世界は甘くはありませんから、頑張っているから認めてもらえるという事は無い、頑張るのは当たり前、結果を出すのも当たり前、嫌ならとっとと辞めちまえ、そんな感じで、後から後から休む暇も考える暇も与えられる事も無い位、次から次へと物量で理不尽を申し付けられる。下っ端でこき使われているうちは、プライオリティもよく分かっていないので、ちょっとした事で(何もわかっていない状態ではミスがどれだけの面倒を起こすのかよくわかっていないので、勝手に、ちょっとした事でうるせえな、と思っても実は上に立つ人から見れば厄介な失敗だったりもします)クソミソに叩きのめされる。今となっては、下っ端で何も仕事の出来ない若造は、やってもやっても追いつかない位いっぱいいっぱいで丁度いいと思いますが、そういう事がわかるまでは、へたれたり、愚痴ったり、ムカついたりするもんです。何もわかっていなかったと時が経てば気付く事が出来ますが、こき使われているときは中々気が付かないもんです。もちろんそういった事を気付く前に辞めていってしまう人は、どこに行っても基本的には変わらないのでしょうから、気付く事も無いのかもしれませんが。
物語の中の主人公は本当にやりたい仕事があり本来あまりファッション業界には興味がありません。しかし自分がやりたい仕事の為の、一つのステップになるのではないか、という目論みで、何となくその仕事を始めます。当然現実は厳しく、ミランダという上司からの有無をいわせない指示、全く何をしてよいのかわからないが、周りは全然優しくない、ファッションに対してあまりモチベーションの無い主人公は白い目で見られる、そして様々な壁にぶち当たり、主人公はへたれてしまい、比較的優しく接してくれた、ミランダの片腕的部下、仕事上の先輩のハゲ親父に弱音と愚痴をぶつけ甘えます。すると、辞めたければ勝手にしろ、お前の変わりなど速攻見つかる、この仕事は多くの人間にとって憧れの仕事だ、お前はそのありがたみもわからず、文句ばかりいっているだけだ、仕事で見返す気が無いなら、さっさと辞めろ的な、全く甘えさせても貰えず、逆に主人公の甘えを容赦なく叩きます。それをきっかけとして自分の甘えに気付き、仕事に没頭していくのと同時進行的に、主人公はどんどん洗練されていきます。まあご都合主義的展開なんですが、まあその事はあえて触れないとして、ミランダの指示に対し、先回りし、自分が何を成す事が、上司に求められているのか、その事を敏感に察し、いつしか信頼を勝ち取っていきます。しかし仕事上の要求される次元は、だからと言って軽減される事は無く、更に主人公は多忙を極めて行く。そこでまたこれまたよくある話ですが、仕事の忙しさに忙殺される主人公は、次第に友人や恋人との間に距離が出来ていきます。仕事に忙殺されるに従って、プライベートがおろそかになってしまう、仕事に対して、最初の壁を突破し責任感を持ち始めると、次にぶち当たる壁としては、経験ある方も多いと思います。特に恋人との関係は社会人になって、仕事の厳しさを知り、一人前になるまでは必ず仕事がらみで一悶着あったりするものだと思います。
主人公も彼氏との関係が次第にギクシャクして来ます。友達も彼氏も、同じように仕事をして一人前になっていく過程です。だから忙しくて大変なのは主人公だけの話ではない。みんな程度の違いこそあれ、それぞれ壁にぶつかったりして葛藤しているもんです。しかし全く違う仕事をしている人と自分の仕事量を比べる事なんて出来ません。できないがゆえに、忙しさに忙殺されているあまり人に甘えてしまう。誰だって頑張っているという事に思考が働かない、よく陥りがちです。
彼氏は、主人公がきれいになって遠い存在になっていく事に対する嫉妬もあるのでしょうが、元々やりたくない仕事だとか言っていたくせに、浮かれすぎているのではないか、それがお前の本当にやりたい事なのか?と釘をさし、別れを切り出します。時を同じくして友人にも釘を刺されます。懸命に働き、しかも次第に認められつつあるという自負心もある主人公は、周りとの距離感に戸惑いながらも、仕事の方では先輩の女性を追い抜き、自分の地位を確立していきます。
同じ頃、ミランダの完璧とも思えた仕事、強い女という表の顔だけではなく、少し人間らしい一面を主人公は知り、私生活の孤独を仕事に没頭する事によって振り切ろうとします。彼氏との問題が微妙な状態を引きずったままである後ろめたさもありつつ、言い寄る、イケメン男と一夜を共にし、そこでミランダはもうお払い箱になるかもしれないという事を聞き、主人公は焦り、ミランダにその事を伝えようとするも、ミランダは更にその上を行き、そんな事とっくにお見通しで、自分の片腕でもあるハゲ親父を踏み台にして自分の危機を回避します。密かにハゲ親父を慕っていた主人公は、ミランダが危機を回避した事を素直に喜べません。主人公はミランダに言われます。自分に似ていると。主人公はそんな事は無い、自分は信頼を裏切ったりしないと言い返しますが、同じ事をやっていると指摘されます。同僚を踏み台にしてのしあがっていると。それに主人公自身、元彼との事をうやむやにしたままイケメン男と一夜をともにしてしまったり、彼氏との関係を仕事の犠牲にしてしまったり、友人の心が離れてしまったり、もうすでに仕事によっていろいろ失いつつある。その事に目覚め彼女は自分のやりたい仕事をするべきだという事に気付く。
日本人的な価値観から言うと、今の仕事を辞めても、結局同じ事だという風に思ってしまったり、何の仕事をしたって、きれい事だけでは片付かない事ばかりだという風に思いますが、でも本当は、真剣にやりたい仕事が他にあって、どうしてもそれがやりたいと思うのであれば、きれい事だろうが上手くいかなかろうが、やっぱりチャレンジせずに諦めるべきではないという事も間違ってはいない。正確に言うなら結果が出て後からああだこうだ言う事は出来るが、人間の選択なんて結局その時一番ベストだと思う事を選択しても、それがどういう結果になるかはやってみなければわからない。主人公は彼氏に、その仕事が本当にやりたい事なのか?という事を言われました。ハゲ親父はミランダに裏切られても、仕方が無い、信じるしか無い、嫌なら辞めるしか無い、いつか報われる日も来る、そういう姿勢を目の当たりにします。自分にはそんな選択は出来ない、なぜなら本当にやりたい仕事ではないから、という事に気付き、本当にやりたい仕事につきます。もちろん、あまり興味の無い仕事が嫌になって辞めたからって、やりたい仕事であっても、おそらく本当にやりたい事をやらせてもらえるまでには相当な時間を必要とするでしょうし、同じような選択、仕事の為に何かを犠牲にしなければならない選択を迫られる事はあるでしょう。しかし自分が本当にやりたいと思ってもいないような仕事で、ミランダやハゲ親父のような選択をして貪欲に生き抜いていく事は出来ない。そういう真剣な人達には太刀打ち出来ない。そういう事に気付いたのではないかと思います。もしかしたら主人公はそんな事気付かずにただ嫌になって辞めただけかもしれませんが、最後がスッキリ片付かないままで終わっているのでそういった深読みもしようと思えば出来る、バカ映画かと思ったら意外と真面目なテーマを扱っていました。
関係が微妙だった彼氏との問題も、どっちとも取れる描き方でした。ただお互い仕事でまずはしっかり地に足をつけるのであれば、恋愛よりも今は仕事に頑張るべきだという事にお互い考えがまとまっているようにもとれます。彼氏も、主人公が本当にやりたい事をやるという選択を、素直にやっと目が覚めたかという感じで喜んでいます。元サヤに納まるかどうかはぼやかしていますが、お互いポジティブにはなっている。やりたい仕事についても困難だらけかもしれないが、主人公は一応、理不尽女王ミランダに少しは認められもしたという事が多少自身にもなったのか、どうなるかはわからないが、前向きに話は終わります。もちろんアメリカ社会は日本のように同じ会社で長く勤める事が必ずしも良い事ではなく、キャリアアップの為に転職しサクセスしていける社会であるというベースが前提となっているという事もありますが。
それとファッション業界に対する皮肉や、流行に対する皮肉などが所々に出ていて面白かった部分でもありました。流行のファッションに敏感に反応し、右往左往していても、結局ファッションの神髄は、内面を磨く事だというような事が言われていたり、何気なく自分で選択していると思っているものでも、流行の仕掛人がいて、そういう人達が作り出したトレンドによって自分が選択していると錯覚しているだけだというような事が言われていたり、まともなメッセージが結構取り込まれていました。
何より凄かったのはメリル・ストリープです。ああいうタイプの人を演じる時、結構ワザとらしくなってしまったりするもんですが、本当にあんな人がいるのかどうかは、自分は全く知識もないので知りませんが、いそうなリアリティはありました(ちなみに言葉の理不尽より、暴力の理不尽が加わると、自分が若い頃に師事した親方を思い出させてくれます)。途中ほぼスッピンだと思うのですが、その姿で登場したときは凄まじいプロ根性を感じました。普通映画でもテレビでも、風呂上がりという状況なのに、キッチリ化粧をしていたりするのが多いと思いますが、別にそこまでリアルに演じなくとも、誰も文句は言わないと思うのですが、プロはさすがだと思いました。
今日本映画が活況だと騒いでいます。最近のハリウッド映画は以前のようなバカ映画が減って来ている傾向です。こんな一昔前なら間違いなくクソ映画にしかなりそうも無い映画ですら、あらは沢山ありますが、以外としっかりしたテーマに向き合って描かれています。それに対して、活況だと騒いでいる邦画では、殆どクソ作品に溢れかえって手の付けられない状況に陥ってしまっているように感じます。昔のハリウッド的なご都合主義的スッキリ映画が減り、意外と真面目なテーマの映画に日本人がついていけず、国内のクソ映画、バカ映画に向かっているのではないかという嫌な流れも感じます。
プラダを着た悪魔、を観てつらつらと書いてみました。
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この物語の痛みや理不尽にまつわる事というのは、仕事に関する事ですので、仕事を多少した事があればバイトであっても、もちろん責任が重い立場であればあるほど、一度は味わった事のあるであろう痛みです。それが引っかかって最後まで興味を持ってみる事が出来ました。人が死んだり、記憶喪失になったり、不治の病に冒されたり、日本が沈没してしまったりと言ったような、非日常のあまり体験する機会の無い痛みというのは、可愛そうという事は感じるかもしれませんが、日常の生活に落とし込んで共感は出来ません。日常の痛みに向き合っている人間は、そういった非日常の痛みはアホらしく感じるものですが、今この国では日常の痛みや理不尽に向き合わなくてもそこそこ楽しく生きて行けるせいもあって、日常の痛みに鈍感になっている人が増えていると思います。そういう人は日常の痛みや理不尽に向き合わないように生活していますので、日常の痛みや理不尽を観るより、有り得ない非日常の痛みを観た方が感動も出来るのだろうと思います。でもそういった非日常の痛みを体験する機会というのはそう簡単に訪れるものではありませんから、自分の日々の生活に落とし込んで考えれば、きれい事だよという展開だったりしますが、日々の生活に痛みや理不尽がなく、したがって考える機会や学びのチャンスも無く、刺激も無いので、そういった非日常のバカげた理不尽や痛みを描いた映画が幅をきかせてもいるのだろうと感じます。
ヤクザ映画や勧善懲悪の時代劇を観て興奮するのと大差はないと思います。もちろんそういった娯楽が必要だと感じる人は大いに楽しめばいいと思いますが、あんまりそういうものが溢れかえってしまいますと、人の痛みに鈍感な人間が増えていくのではないかと感じます。よく過激な暴力描写が描かれていたりすると、あたかもそういうものが人の暴力的な側面を助長させると言った物言いがされますが、例えそういうものであっても、きちんと日常の痛みが描かれているかどうかが重要な要素になるのだろうと思います。それがあれば人の痛みを、自分の痛みに置き換えて学ぶチャンスになりますから必ずしも悪影響ばかりと切って捨ててしまうのは正しいとは限らないのではないかと思います。それが描かれずにただ闇雲に非日常的な痛みや理不尽だけが描かれれば、それが例え暴力描写の無い、恋愛映画であったとしても、人の痛みを感じる事の出来ない人間を増やす事になります。人の痛みや理不尽を感じられる人間は、非日常の痛みが描かれた映画などは、暴力的なものであろうが、恋愛ものであろうが、絵空事だと言う感覚で突き放してみる事が出来ますから、そういったものに悪影響を受ける心配も無いのだろうと思います。人は困難にぶつからずに可能な範囲でちょろちょろやっている分には楽ですが賢くはなれませんし、刺激もありません、本当の意味での楽しさというのは、楽する事とは違います。楽しむのは以外と大変なものだと思います。
前置きが長くなってしまいましたが、もちろんこの映画の主人公の女性のおかれている立場や、劇的な成長の仕方は、ちょっとどころか多いにハリウッド的、得意のご都合主義全開ですし、一応主人公がさえない女の子だというのは、最初の洋服の地味さと、ファッション業界で働く女性達とのコントラストによってそれなりに説得力がありますが、見え見えの展開と、主人公の女性の潜在的とも言えないような美しさのおかげで、お約束的展開はCMを見ただけでも予想出来るそのままになっていきます。さえない女の子がきれいになり、仕事にサクセスしていくというやつです。こんなきれいな女の子をさえないと言ってしまうのはちょっと無理を感じますし、まあセンスが無いという意味においてなら多少わからない事も無いですが、デブあつかいをするにいたっては、ちょっと無理がありすぎます。全然太っているようには見えないからです。もちろんファッション業界でしのぎを削る女性は素人からするとバカバカしいとも思えるくらいの体重や体型を気にするのかもしれませんし、実際物語中にもそれをパロって自虐的なネタにしていた部分もありましたが、後半きれいになった主人公が痩せたという事がセリフによってわかるのですが、男の目から見ると正直全然わかりませんでした。ファッション的に洗練されたというか、あか抜けたという事は伝わりますが、体型が変わったようにはヴィジュアルを観ているだけでは殆どわかりませんでした。その微妙な所が女性にとっては肝心なのかもしれませんが。
主人公が感じる事になる理不尽や痛みというのは、ある程度の年齢になり、仕事上の経験が増えている人間であれば、まあ若い頃はそういう葛藤もあったけれど、それを乗り越えてしまえば、もっと理不尽な事は沢山あるという事がわかりますので、青二才の甘い葛藤に過ぎないものでしかありません。しかし一度でもそれを経験した事があれば、今考えればバカバカしい事で迷っていたけれど当時はそれが切実だったんだよな、という実感は残っているはずですし、自分も仕事を始めたばかりの頃に味わった、いろいろな出来事に照らし合わせて共感出来ました。今の感覚からすればたいした事ではないともちろん思ってしまいますが、右も左もわからず仕事を始めたばかりの主人公が、おそらく初めて人生で味わう様々な理不尽に右往左往する様に、自分の仕事を始めたばかりの時に味わった痛みに直結して、その頃を思い起こさせてくれる。当然同じような仕事上の壁を抱えていると感じている人は、レベルの違いこそあれそういう自分自身の痛みに直結し共感出来る。有り得ない展開であり、全く想像もできない世界の話ですが、その共感が出来るおかげで最後まで見れましたし、そこそこ面白かったと感じました。
突っ込みどころはいくらでもあるので、あらを探せばきりがない映画ですが、主人公が仕事上の上司、名優、メリル・ストリープ演じるミランダと言う女性、理不尽女王に翻弄されていく様がコミカルに、テンポよく描かれます。程度の違いこそあれ、こういう人いるよなという共感を感じます。下っ端で働いているときは何がなんだかわからずに、言われた事をこなし、時には言われる前に察知して手をまわしたり、それでも理不尽に叩きのめされたり、一生懸命やっていても、結果が伴わなければプロの世界は甘くはありませんから、頑張っているから認めてもらえるという事は無い、頑張るのは当たり前、結果を出すのも当たり前、嫌ならとっとと辞めちまえ、そんな感じで、後から後から休む暇も考える暇も与えられる事も無い位、次から次へと物量で理不尽を申し付けられる。下っ端でこき使われているうちは、プライオリティもよく分かっていないので、ちょっとした事で(何もわかっていない状態ではミスがどれだけの面倒を起こすのかよくわかっていないので、勝手に、ちょっとした事でうるせえな、と思っても実は上に立つ人から見れば厄介な失敗だったりもします)クソミソに叩きのめされる。今となっては、下っ端で何も仕事の出来ない若造は、やってもやっても追いつかない位いっぱいいっぱいで丁度いいと思いますが、そういう事がわかるまでは、へたれたり、愚痴ったり、ムカついたりするもんです。何もわかっていなかったと時が経てば気付く事が出来ますが、こき使われているときは中々気が付かないもんです。もちろんそういった事を気付く前に辞めていってしまう人は、どこに行っても基本的には変わらないのでしょうから、気付く事も無いのかもしれませんが。
物語の中の主人公は本当にやりたい仕事があり本来あまりファッション業界には興味がありません。しかし自分がやりたい仕事の為の、一つのステップになるのではないか、という目論みで、何となくその仕事を始めます。当然現実は厳しく、ミランダという上司からの有無をいわせない指示、全く何をしてよいのかわからないが、周りは全然優しくない、ファッションに対してあまりモチベーションの無い主人公は白い目で見られる、そして様々な壁にぶち当たり、主人公はへたれてしまい、比較的優しく接してくれた、ミランダの片腕的部下、仕事上の先輩のハゲ親父に弱音と愚痴をぶつけ甘えます。すると、辞めたければ勝手にしろ、お前の変わりなど速攻見つかる、この仕事は多くの人間にとって憧れの仕事だ、お前はそのありがたみもわからず、文句ばかりいっているだけだ、仕事で見返す気が無いなら、さっさと辞めろ的な、全く甘えさせても貰えず、逆に主人公の甘えを容赦なく叩きます。それをきっかけとして自分の甘えに気付き、仕事に没頭していくのと同時進行的に、主人公はどんどん洗練されていきます。まあご都合主義的展開なんですが、まあその事はあえて触れないとして、ミランダの指示に対し、先回りし、自分が何を成す事が、上司に求められているのか、その事を敏感に察し、いつしか信頼を勝ち取っていきます。しかし仕事上の要求される次元は、だからと言って軽減される事は無く、更に主人公は多忙を極めて行く。そこでまたこれまたよくある話ですが、仕事の忙しさに忙殺される主人公は、次第に友人や恋人との間に距離が出来ていきます。仕事に忙殺されるに従って、プライベートがおろそかになってしまう、仕事に対して、最初の壁を突破し責任感を持ち始めると、次にぶち当たる壁としては、経験ある方も多いと思います。特に恋人との関係は社会人になって、仕事の厳しさを知り、一人前になるまでは必ず仕事がらみで一悶着あったりするものだと思います。
主人公も彼氏との関係が次第にギクシャクして来ます。友達も彼氏も、同じように仕事をして一人前になっていく過程です。だから忙しくて大変なのは主人公だけの話ではない。みんな程度の違いこそあれ、それぞれ壁にぶつかったりして葛藤しているもんです。しかし全く違う仕事をしている人と自分の仕事量を比べる事なんて出来ません。できないがゆえに、忙しさに忙殺されているあまり人に甘えてしまう。誰だって頑張っているという事に思考が働かない、よく陥りがちです。
彼氏は、主人公がきれいになって遠い存在になっていく事に対する嫉妬もあるのでしょうが、元々やりたくない仕事だとか言っていたくせに、浮かれすぎているのではないか、それがお前の本当にやりたい事なのか?と釘をさし、別れを切り出します。時を同じくして友人にも釘を刺されます。懸命に働き、しかも次第に認められつつあるという自負心もある主人公は、周りとの距離感に戸惑いながらも、仕事の方では先輩の女性を追い抜き、自分の地位を確立していきます。
同じ頃、ミランダの完璧とも思えた仕事、強い女という表の顔だけではなく、少し人間らしい一面を主人公は知り、私生活の孤独を仕事に没頭する事によって振り切ろうとします。彼氏との問題が微妙な状態を引きずったままである後ろめたさもありつつ、言い寄る、イケメン男と一夜を共にし、そこでミランダはもうお払い箱になるかもしれないという事を聞き、主人公は焦り、ミランダにその事を伝えようとするも、ミランダは更にその上を行き、そんな事とっくにお見通しで、自分の片腕でもあるハゲ親父を踏み台にして自分の危機を回避します。密かにハゲ親父を慕っていた主人公は、ミランダが危機を回避した事を素直に喜べません。主人公はミランダに言われます。自分に似ていると。主人公はそんな事は無い、自分は信頼を裏切ったりしないと言い返しますが、同じ事をやっていると指摘されます。同僚を踏み台にしてのしあがっていると。それに主人公自身、元彼との事をうやむやにしたままイケメン男と一夜をともにしてしまったり、彼氏との関係を仕事の犠牲にしてしまったり、友人の心が離れてしまったり、もうすでに仕事によっていろいろ失いつつある。その事に目覚め彼女は自分のやりたい仕事をするべきだという事に気付く。
日本人的な価値観から言うと、今の仕事を辞めても、結局同じ事だという風に思ってしまったり、何の仕事をしたって、きれい事だけでは片付かない事ばかりだという風に思いますが、でも本当は、真剣にやりたい仕事が他にあって、どうしてもそれがやりたいと思うのであれば、きれい事だろうが上手くいかなかろうが、やっぱりチャレンジせずに諦めるべきではないという事も間違ってはいない。正確に言うなら結果が出て後からああだこうだ言う事は出来るが、人間の選択なんて結局その時一番ベストだと思う事を選択しても、それがどういう結果になるかはやってみなければわからない。主人公は彼氏に、その仕事が本当にやりたい事なのか?という事を言われました。ハゲ親父はミランダに裏切られても、仕方が無い、信じるしか無い、嫌なら辞めるしか無い、いつか報われる日も来る、そういう姿勢を目の当たりにします。自分にはそんな選択は出来ない、なぜなら本当にやりたい仕事ではないから、という事に気付き、本当にやりたい仕事につきます。もちろん、あまり興味の無い仕事が嫌になって辞めたからって、やりたい仕事であっても、おそらく本当にやりたい事をやらせてもらえるまでには相当な時間を必要とするでしょうし、同じような選択、仕事の為に何かを犠牲にしなければならない選択を迫られる事はあるでしょう。しかし自分が本当にやりたいと思ってもいないような仕事で、ミランダやハゲ親父のような選択をして貪欲に生き抜いていく事は出来ない。そういう真剣な人達には太刀打ち出来ない。そういう事に気付いたのではないかと思います。もしかしたら主人公はそんな事気付かずにただ嫌になって辞めただけかもしれませんが、最後がスッキリ片付かないままで終わっているのでそういった深読みもしようと思えば出来る、バカ映画かと思ったら意外と真面目なテーマを扱っていました。
関係が微妙だった彼氏との問題も、どっちとも取れる描き方でした。ただお互い仕事でまずはしっかり地に足をつけるのであれば、恋愛よりも今は仕事に頑張るべきだという事にお互い考えがまとまっているようにもとれます。彼氏も、主人公が本当にやりたい事をやるという選択を、素直にやっと目が覚めたかという感じで喜んでいます。元サヤに納まるかどうかはぼやかしていますが、お互いポジティブにはなっている。やりたい仕事についても困難だらけかもしれないが、主人公は一応、理不尽女王ミランダに少しは認められもしたという事が多少自身にもなったのか、どうなるかはわからないが、前向きに話は終わります。もちろんアメリカ社会は日本のように同じ会社で長く勤める事が必ずしも良い事ではなく、キャリアアップの為に転職しサクセスしていける社会であるというベースが前提となっているという事もありますが。
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何より凄かったのはメリル・ストリープです。ああいうタイプの人を演じる時、結構ワザとらしくなってしまったりするもんですが、本当にあんな人がいるのかどうかは、自分は全く知識もないので知りませんが、いそうなリアリティはありました(ちなみに言葉の理不尽より、暴力の理不尽が加わると、自分が若い頃に師事した親方を思い出させてくれます)。途中ほぼスッピンだと思うのですが、その姿で登場したときは凄まじいプロ根性を感じました。普通映画でもテレビでも、風呂上がりという状況なのに、キッチリ化粧をしていたりするのが多いと思いますが、別にそこまでリアルに演じなくとも、誰も文句は言わないと思うのですが、プロはさすがだと思いました。
今日本映画が活況だと騒いでいます。最近のハリウッド映画は以前のようなバカ映画が減って来ている傾向です。こんな一昔前なら間違いなくクソ映画にしかなりそうも無い映画ですら、あらは沢山ありますが、以外としっかりしたテーマに向き合って描かれています。それに対して、活況だと騒いでいる邦画では、殆どクソ作品に溢れかえって手の付けられない状況に陥ってしまっているように感じます。昔のハリウッド的なご都合主義的スッキリ映画が減り、意外と真面目なテーマの映画に日本人がついていけず、国内のクソ映画、バカ映画に向かっているのではないかという嫌な流れも感じます。
プラダを着た悪魔、を観てつらつらと書いてみました。