選挙の結果が出て、ガッカリしている方、良かったと胸を撫で下ろしている方、くだらない綱引きに辟易し、あまり興味を持てない方、政治アレルギーで全くどうでもいいと思っていらっしゃる方、様々だと思いますが、皆さん意中の候補は当選しましたか?それとも落選してしまいましたか?
特に今回注目された東京都知事選、石原さん支持、反石原、様々な方がいらっしゃると思いますが、結果は皆さん周知の通りです。
今回自分が気になったのは、石原さん云々はわきにおきまして、メディアの伝えている石原不人気や、安倍政権不人気と実際の民意の間に、ちょっとディバイドが生じているような気がしました。メディアが伝えているほど、実際、石原さんに対する民意は、なんだかんだいいつつも、まあ期待しているという感じで、世論調査などで安倍政権や石原さんなどの不人気を煽りますが、本当に信頼に足るデータなのかと、メディアの事だから得意の捏造なんじゃねえかと思ってしまいます。メディアが不人気を煽れば煽るほど、最近の傾向として、特に政治に関しては民意が逆に動いていく傾向が強いような気がしてしまいます。せっかく国民の民意が反石原に傾いたとしても、メディアが叩く事によって逆にブレてしまう。
メディアが当選した石原都知事の事を、受かったら謙虚さが無くなり、以前の傲慢な石原節になっている的な、早くもメディアが必死に煽ったかいもなかったからなのか、負け惜しみなのか、早速煽っている報道も目にしますが、そう言う事を言えば言うほど、捏造メディアが偉そうに言うなという民意に火をつけてしまい、逆説的な宣伝効果になってしまっている悪循環を感じます。石原さんに問題があると感じている人も、インチキメディアがこんな不公正な報道を、したり顔で伝えてやがる、それじゃ絶対メディアの言う通りにしてたまるか的な感じです。
石原都知事や安倍政権について今日はとやかく言う事が眼目ではありませんので、その事には触れませんが、メディアが散々一方的なバイアスをかけ続けて来た弊害が段々出て来ているような気がします。リテラシーが上がったというより、逆の意味で世論誘導されているような、そんな印象を感じます。またメディアもメディアでそういった事に危機感を感じてもいたから。前政権の時は、民意に迎合するようなポピュリズム的な報道をしていた部分もあったのでしょう。しかし報道の腐敗、ジャーナリズムの死は、即ち民主主義の死につながるという危機感を感じたのか、ネオコンの不人気、アメリカの中間選挙の結果などもあり、再び政権批判に力を入れはじめたものの、もはやメディアの御為ごかし的なインチキ報道に対する、国民の不満もあり、煽れば煽るほど逆に世論が反発していく現状になっているような気がします。また今回の選挙によって、もはやメディアによる情報操作では簡単に世論を惹起出来ないとなり、早くも迎合的な報道も見られる部分もあります。あっちにぶれ、こっちにぶれ、中立な報道と言う誤摩化しを盾に、いい加減な姿勢は、結局止める気がないのでしょう、政権批判しようが、翼賛報道しようが、筋の通ってないオポチュニスティックな報道では民意は益々離れていくばかりです。それがきちんとリテラシーの育った選択によるものなら結果がどうであれ、まあ歓迎出来るのですが、政治に関してはメディアの今までの嘘や捏造が多すぎた為か、ただ単に例え正しかろうがメディアが言っている通りにはしたくないという民意が結構なボリュームで形成されてしまっているような気がします。
スポンサーがある以上、例えそれがどんなに公平中立だと言ったとしても、メディアにはどうしたって限界がありますから、そもそも公平中立な報道など有り得ない。だからと言ってメディアに出てくる知識人なり、キャスターなりが、自分の立ち位置から見た視座を、あたかも正しい事かのような言い様には、いい加減辟易して反感を増幅させてしまい、全く逆の世論形成にかえって加担する結果になりかねない。そういう不人気は、捏造やインチキなどが発覚すると世論が一斉に吊るし上げろ的な、メディアバッシングに向かい、メディアを罰する為に国家権力が介入する事を、世論が支持する可能性もあり、現に支持している層も一定数のボリュームで存在もしている。かといって翼賛報道にこのまま加速して、国民の不満を外国の勢力に受け流すような事を、これ以上増大させていけば、民主主義は死に、先行きは真っ暗闇。まだそこまで切羽詰まってはいないにしても、このまま見て見ぬ振り、彌縫策を用いて短期的な延命の為の報道を続ければ、八方ふさがりになりつつあるような気がします。
もともとメディアは自業自得の部分があり、デジタル・ハイビジョン放送など、国民を騙すとんでもない所行に突っ込み、その特権の上に胡座をかいて来た当然の帰結と言えばそれまでですが、民主主義を担保する為には、報道の自由がなければこれまた大問題です。それを奪われるのではなく自ら進んでそれを手放し、国民もそれを支持すると言う最悪のシナリオだってないとは言えません。
余計な私見を挟まず、余計な啓蒙などをせずに、事実をなるべく正確に伝える、それ以外に国民世論を冷静に保つ方法は無くなりつつあるのではないでしょうか。どっちにしてもメディアがある視座から国民を啓蒙としようとすれば、反発を喰らって不人気のスパイラルにどんどん巻き込まれていくような気がします。余計やぶ蛇になり、かえって何も啓蒙しないほうが、国民も冷静になれるかもしれません。そうなりますと、もはやネットで上がってくるニュースの類いと殆ど差異はなくなり、またそうしないと一般的人気も得られず、視聴率獲得の為には、ただあった事をそのまま伝えるだけの報道になっていかざるを得ないでしょう。結局それですと、ネットで十分だと言う人が更に増え、パイはどんどん減っていきますし、どっち道、人口減は避けられそうもありませんから、その事によって更に広告収入の獲得は難しくなっていくのではないでしょうか。実際自分もテレビのニュースなどを見る時は、そこに出てくるキャスターや知識人の話などは全然期待していません。そんな事は別に聞きたくも何ともありませんが、ニュースを見たいから仕方なく見るという感じです。ネットで検索出来る環境に居れば、わざわざ不愉快な思いをするかもしれないいい加減な、一方的なインチキバイアスのかかった啓蒙など聞いても何の足しにもなりませんし、完全に間違っている事も多々あります。人の意見や反対意見というのは貴重ですから、そういうものを聞く事は重要ですしいい学びにもなりますが、完全な嘘やインチキは何の役にも立ちません。笑い話のネタにはなるかもしれませんけれど。そういう報道番組などを見ていて常に感じるのは、どうでもいい当たり障りのない政府批判や、下らない問題に突っ込みはしても、今こそメディアとしてこの問題に深く突っ込んでくれ、この国は一応民主主義なんだから頼むぜ、と思うようなネタには及び腰です。リベラル的な立ち位置、保守的な立ち位置で偉そうな事を言っていても、ここぞと言う時には何の役にも立っていない連中が多すぎるというのがテレビの報道を見ていると感じてしまいます
また意見や啓蒙を挟まない出演者では活字と違わなくなってしまいます。人口減と言っても、ネットにどんどん流れると言っても、まだ時間はありますから、ネットとの差異を出す為に、あえて不人気になっても一部の視聴者を獲得するほうに舵を切るかもしれず、そうなると、メディアごと、番組ごとの主張は細分化していき、自分に気持ちのいい番組ばかりを見るような層を生み出す事にもなりかねませんし、政治番組のバラエティ化によって、現にそういう存在も増えて来ています。自分が気持ちのいいと思える意見以外を垂れ流す番組やメディアからは距離をとり、自分の心地いい言説が飛び交う番組の中で満足する蛸壺化がその先にあります。蛸壺内での心地いい議論に満足し、コンフリクトも起こらず、別の蛸壺で育まれた思想には、どんどん排他的になり、断固決然的になり、不寛容になり、話し合いも議論には全くならず、自分の言いたい事をただぶつけてスッキリすると言う状態をどんどん加速していく事にもなるでしょうし、実際現時点ですでに、例えば社民党的な言説と、安倍さんや、石原さん的な言説はいくら話し合った所で、妥協点など絶対に生まれそうにも見えません。お互いにとっての正論をただぶつけあい、自分の実存を満たすスッキリ感を得る。またそれを支持する層も、相手を叩き潰し、大きな柱に依存し自己肯定感を得る。現時点でも顕在化している傾向が益々ブーストされていく可能性もあります。
現時点でもそうですが、そういう風にどんどんなっていきますと、益々多数決でものを決めるようになり、少数派はルサンチマンを益々増大させ、それが現時点で言われている単純な格差どころではなく、完全な亀裂を作り出し、勝ち馬に便乗する輩を増やし、益々国内の問題を有利に進める為に、外圧を利用したり、ありもしない弱者性を煽ったり、不安や脅威を煽ったり、動員を得る為に手段を選ばず、結果的に自分達や未来にかえって来る事になるでしょう。かつて左翼が捏造を繰り返していた理由もその辺にあります。その当時よりは裕福になってはいますが、劇的な右肩上がりの経済成長はありえず、新興国にどんどんぬかれていく可能性もあり、そういう国と加工貿易で張り合うのは無理があるにもかかわらず、それ以外の選択肢が失われた十年の打撃によって、全く生み出されておらず、借金、少子化、高齢化など、先の見えない閉鎖感は当時より増大しているのではないでしょうか。
しかしそうやってアクティブに自分達の信じる柱があり、理想があればまだやる気があるのでマシかもしれません。どうせそんな事やっても無駄なんだよ、別にどうなっても知ったこっちゃねえぜ、という完全な無関心を抱えている層も一部に出て来てもいる。何かしら自分の実存を満たせる、ギャンブルなり、ゲームなり、アニメなり、合コンなり、携帯でのコミュニケーションなり、とにかく何かがあり、そこに繋がる事が出来て、承認が得られれば無関心でいてもアノミーに陥らずに生きては行けますが、これもやっぱり蛸壺化現象に陥る可能性もまたあり、理解出来ない他者に対する不安、猜疑心、違う意見や考え方に対する不寛容さや、簡単に傷つく脆弱さも、内輪受けの承認合戦にはつきものです。
今回の選挙結果を見ていてそんな事を感じてしまいました。
男たちの大和 / YAMATO/反町隆史

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さて八方塞がりお先真っ暗感がありますが、必要な鍵はやっぱりメディアが握っているのではないかと感じます。まず国民の情緒的なものを煽るのは止める。先日、男達の大和がテレビでやっていました。悲惨極まりない理不尽な話ですが、いい加減ああいったものを作り国民の情緒的なものを煽るのは卒業するべきなのではないかと感じます。戦争は悲惨だ、あんなバカげた事は二度とごめんだ、そういう反省や、年端の行かない若者が沢山犠牲になり今の日本があるという、可愛そうさをベースにした、我々の責任感に情緒的に訴える。確かにそういった事を語り継いでいく事は重要でしょう。しかし戦争とは一国で出来るものではなく、また始まってしまえば行きたくないと言っても通用しません。どうすればそうならないのかと言えば、リテラシーを持ち、民主主義という政治形態を簡単には手放さない民度が必要です。それは可愛そうと思っても、申し訳ないと思ってもどうにもなりません。どうしてそういう政治形態に突っ込んでいったのか、どうして国民はそれを許してしまったのか、一部の軍上層部の暴走により突っ走ってしまい、責任は全部彼らにあり、国民には罪はないというフィクションを教え、軍部の非道さを情緒的に訴えても、どうすればそういう国にならないような国づくりが出来るのかと言う視点は全く啓蒙されません。政治的な無関心さや、改革や拉致問題、北朝鮮問題という旗印の下に、お上に依存する甘え、異論を排除する不寛容さをブーストさせれば、結果は同じ事の繰り返しになりかねません。
また情緒的な報道や、嘘、捏造、翼賛報道、そういったものが前大戦の大きな原因の一つであり、どうにもなりそうもない閉鎖感がスッキリ感を求めるその先にあるものは、厄介な状態を生み出す原動力にもなっていきます。それも前大戦の原因の一つです。情緒的なものを煽り、一時、政治的なリソースになったり、消費サイクルのリソースになったり、メディア延命のリソースになったりしたとしても、逆にその事が政治的なフリーハンドを無くしていきもします。中国も韓国もアメリカもそういった袋小路にはいってしまっています。右的な言論、左的な言論の対立をひたすら煽っても意味がありません。どうすれば問題を解決出来るのか、どうすればよりよき社会になるのか、それは相手を糾弾しても意味はありませんし、批判ばかりしていてもオルタナティブな発想は出て来ません。
そして日常の痛みに敏感になる事も重要です。それを啓蒙する為には、非日常の理不尽や、死にオチの話を情緒的に煽っても意味がありません。大和の若者達が無惨に死んでいく悲惨な光景を見ていても、悲惨だ可愛そうという事は伝わるかもしれませんし、戦争はよくないと思うかもしれませんが、例えそう思ったとしても、世の中はそういったベクトルとは関係ない力学によって突き動かされていきます。ただ自分達が生きている、その事によっていろいろな弊害は様々な次元で生まれます。そういう日常の痛みを知り、どうすればそうならずに済むのか、どうすればいいのか、という事を実行出来るわけないと諦めるのではなく、情緒的に訴えるのでもなく、正確に伝え、解決策を考える(解決策が必ずあるとは限りません、この世には答えのないどうにもならない問題も沢山あります)きっかけを伝える。ある立ち位置からの視座で不公正を是正しようとすると、ある立ち位置にいる存在にとってはそれによって不公正になったり弊害を被ったりします。この世はスッキリ片付かない事が沢山あります。単純に善悪で語れればこれほど幸せな話はありません。しかし世の中とはそういうものであるという事を知らずに、特定の思想の柱にすがりスッキリしても、それは何も生み出さない、余計人々のルサンチマンが溜まってしまいます。そのルサンチマンをスッキリさせるものが何も無くなってしまった時、歴史は悲惨な方向へ舵を切ってここまで人間は営んで来たのです。ルサンチマンがあっても、スッキリしなくとも、それが生きる事だという日常の痛みこそ、啓蒙するべきなのではないかと思います。今のこの国の民度では、見たくないもの、知りたくないもの、痛み、理不尽、そういった自分達の生活に直接関係するものはわからないままで生きていたいぜという人が沢山いるのかもしれません。だからそこに迎合して口当たりのいい御為ごかしや、特定の悪者を見つけて徹底的に叩くような事を繰り返していたのでは、いつまでたってもこの国の民度は成熟しようがありません。
国民がバカのままでいてくれたほうが、メディアも頭を使わずに済むから楽なのかもしれませんが、人口も減っていますし、今の民度のままでもどっち道先細りです。どの道メディアは質を向上させなければ生き残りは難しくなると思いますから、まともなものを作り、国民の民度をあげていく事によって、メディア自体も競争力を身につけ、海外でも闘える力を付けるしか先行きはないと思います。
民度が成熟する事によって、必ずしも悲劇を生み出さないとは限りません。成熟したって不合理はあるでしょう。しかし今のままでは歴史は繰り返されるだけになってしまいます。民度が上がっても、もしかしたら何も解決出来ないかもしれない、だから諦めるか、それでも尚と思うかなのだろうと思います。
デジタル技術が発達しても、書籍やペーパーメディアはそう簡単に無くなりません。いずれそういうときが来るかもしれませんが、しばらくは簡単に消え失せはしないでしょう。メディアもそうです。どんなに情報化社会になったとしても、そう簡単にメディアがすべて滅ぶ時代はそう簡単に来そうにはありません。パイが減れば今のような形ではなくなるかもしれませんが、完全に消滅はそう簡単にしないと思います。それにこの国はレギュレーションによって特定のメディアに特権を与えてもいます。近い将来そういった規正は取っ払われる可能性は大ですが、それでも無くなるわけではありませんし、少なくともそれまでは、現状の形のまま、収入は減ったとしても残るでしょう。座して滅びを待つか、生き残りの為に質を向上させるか、それがこの国の民度を成熟させる鍵の一つなのではないかと思います。
選挙結果を見てつらつらと書いてみました。