UDON プレミアム・エディション/ユースケ・サンタマリア

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UDON スタンダード・エディション/ユースケ・サンタマリア

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映画、UDON、を観て感動された方、クソミソにけなしますので、不愉快になる恐れがあります。好きな作品をけなされると我慢ならない人、意見の相違に我慢ならない人、そう言う方は危険です。こういう意見もあるのだという一つの個人的な意見ですので、それを踏まえて読んで頂ければ幸いです。それでは始めます。
ハッキリ言って何もいいところのないクソ作品でした。こんな酷い作品が以外と人気が出たり、感動しちゃっている人がいる状況に暗澹たる気持ちになって来ます。
正直全く観る気もなく反対したのですが受け入れてもらえず、渋々ながら観ました。その期待の低さを裏切る、フラガールのような素晴らしさは全くかけらもありませんでした。まあ期待通りと言えば期待通りとは言えるのかもしれませんが。
本来クソ作品について直にけなす事は極力避けるようにしていましたが、料理関係の映画という事ですので、いい加減にしろと言いたいところもありまして、ちょっと書いてみたいと思います。
そもそもこの映画、全く面白くも何ともありませんでしたし、苦痛でした。褒めようもないので、言いたい事だけ書きますが、テーマの一つになっている、ブームによってもたらされる、諸問題がヌルい形で一応問題意識として描かれています。主人公達の寂しさ的、簡単な情緒で深くも何ともありませんが、その原因の諸悪の根源はメディアです。世の中にそれほど需要も無くたいした事のない対象を過剰に煽り、そのブームを利用して一儲けし、またそれに乗っかる浅ましい連中が煽り煽られ、草狩り場となった対象は、火付け役、それに乗っかるものたちによって炎上させられて、後は瓦礫と化す。毎度おなじみの構図が一応描かれるわけですが、ブームに便乗して右往左往する連中も問題ではありますし、それによって一儲け出来ればそれはそれでいいじゃねえかとも思います。しかしそう言った問題の諸悪の根源であるメディアがバックについて、こういった問題をしれっと伝えて、いちょう免罪符を手にしようとしているのかどうかわかりませんが、こういったくだらない映画にバカみたいに予算をかけて、問題意識を持ってます的な顔を手に入れようとしているのならば、その前にやるべき事があるだろうと思ってしまいます。
もちろん資本主義経済ですから、金儲けの為にやる事を悪いと言いたいわけではありませんし、ブームによって潰れてしまうような店は、可愛そうではありますが、こればっかりはどうにもなりません。しかしそう言った問題点を一応反省しています的に軽く中身も無く描き、マッチポンプ的に煽る振る舞いは全く改心する気もないくせに、こんなクソ映画撮る神経はどうかしていると思います。
まあどうかしている連中なのかもしれませんが、どうせそう言ったテーマを盛り込むのならもう少しちゃんと描けないものかと思います。
結局、自分達がマッチポンプ的に煽ったからって軽い罪悪感とブームが終わってしまう事への一抹の寂しさぐらいで片付けるのなら、本当はそんな事たいして考えていない人間の度し難さを描いたほうがスッキリするしリアリティもあります。こんなに浅い描き方しか出来ないクソ映画に感動するような人間を沢山生み出すという事は、人の痛みに鈍感な感性をどんどん助長していきます。こんな浅い反省くらいで思いやりもへったくれもありません。実際に生業としていた仕事が無くなってしまうという事は、こんな簡単な話ではないはずです。自分達のお祭りが終わってしまう事しか興味のない人に、こういった問題点をそれなりに考えてますという姿勢は無理がありますし、リアリティもありません。そういう人は口では問題だというかもしれませんが、おそらく自責の念や、問題意識などポーズであるほうが断然現実的です。言ってみれば、自分に関係のない事は知ったこっちゃない、そういう風に描くべきであり、そう言う人々の身勝手さが、直接的に手を下すわけではないにも関わらず、合成の誤謬を生み、厄介な状況に陥る。世の中とはそういったものです。人々の身勝手さが生み出す理不尽をこんなに軽く描かれてもらっちゃ、本当に被害を受けている人達の現実を全く無視しています。
そもそも料理関係の様々な事柄について、少しメディアは煽り過ぎだと思います。テレビなどに出て来て偉そうにしている料理関係者の殆どがたいした事無いように見えます。もちろん謙虚な素晴らしい方も沢山いらっしゃいますが、料理について(特にラーメン屋など)偉そうな事を言う輩は殆どがカスです。そうやって無駄に敷居をあげてしまっている事が、この国の食べ物をどんどんまずくしている原因の一端だと知らねばなりません。料理人なんてものはそもそも別にいなくたって世の中は全然困らない人種です。母親が料理を作り、それをおいしく頂く。本来それで十分であるものを、わざわざ高い金を払い、わざわざ店にまで出向き、家庭では中々味わえない旨い物を食べる。その為に存在しているのであり、それこそが料理人の本分です。せっかくわざわざきてくれた方々をガッカリさせない為に腕を磨き、勉強をする。そう言う事がちゃんとわかっている料理人というのは、テレビに出て来たってちゃんと謙虚な姿勢を忘れないものです。それを何を勘違いしているのかゴミみたいな料理人が食材のうんちくを足れ、自らのこだわりを披露し、バカか、いい加減にしろといつも思います。こだわりなんてものは自分でどうこう自慢する事ではなく、お客が満足すればそれでいいものであるはずだと思いますし、お客に聞かれれば答えればいいだけの話で、そんな事を偉そうに言うのはクズもクズ、下の下です。客も客でそんなくだらないものに媚びる必要なんて全くありません。旨いかまずいかは客が決める事で、料理人は客を満足させるのが仕事なはずです。自らの技量や味を評価するのは自分ではありません。お客様が決めるべき事なのだと思います。
自分は以前、蕎麦職人で、懐石も一通り勉強中の後輩を使っていた経験があります。自分も職人としてそいつにいろいろ教えたりしましたが、蕎麦打ちの事についてはいろいろ為になる事を教えてもらいました。もちろんその後輩は自分自身の事をたいした職人だなんてこれっぽっちも思ってなかったですし、蕎麦なんてそもそも料理じゃない、少しやれば誰にでも出来る、現にそれを趣味としている輩が世の中に沢山いる、そう言う事をわきまえていました。だからそいつが駄目な職人だったかと言えば、中々腕の良い、和食の事についても貪欲に吸収しようと努力を怠らない奴でした。その後輩があるとき、雑誌やテレビなどに出てくる有名な蕎麦職人の所で蕎麦を食べた話を聞かせてくれた事があります。それを食べる前は、その人の事を凄い人だ、自分もそういう店をやりたいと言っていましたが、食べた後の感想は、残念ながらがっかりでした、大騒ぎするほど、人前で偉そうに語るほど、たいしたは事無かったです、あれなら負ける気はしません、自分のほうがまだマシかもしれない、売れるという事と、腕がいいと言う事は、必ずしも一致しないものですね、そう語っていました。料理というのはその店のサービスや雰囲気までひっくるめて味の良し悪しが変わるものです。だから旨いと言われているからといって、必ずしもそうかと言うと、実は料理の仕事などをして多少味に敏感になっていますと、それほどでもねえじゃねえか、という事が結構あります。テレビなどで大騒ぎしているものの殆どがたいした事のないものばかりです。売れるという事と、腕がいいという事のギャップを生み出すものは、サービスや店の作り、立地条件など様々ありますが、メディアが煽るのが一番ギャップを加速するものだと思います。
蕎麦職人である後輩が言ってました。三日、三月、一生と、何の事かと言えば、蕎麦を打つ事がまあなんとかできるようになるのに要する時間が三日、打った蕎麦を均等にきれいに切っていけるようになるのが三月、そして釜でゆでる時のタイミングというのは一生格闘し続けなければならない、一番難しいところだと。釜というのは一般家庭ではどうする事も出来ないぐらいの火力を必要としますから、そのゆであげ時間が金を取れるか否かの境目だ、蕎麦を打ち切り分けるまでは、ちょっと勉強すれば素人にもすぐ出来る、後は材料の良し悪しの差でしかない、しかしゆで加減これだけは店にいかないと、無理だという事を言ってました。材料とゆで加減、そしてかえしにこだわる事が、家庭で食べる蕎麦との違いを出す事だと、蕎麦なんて打とうと思えば誰にでも出来る。昔はじいちゃん、ばあちゃんなど当たり前にやっていましたし、今でも田舎のばあちゃんなど、自家製の手打ち蕎麦を食卓にあげる家など別に珍しくも何ともありません。それがまずいかと言えば別に全然そんな事は無く、そういうものとの違いを出そうと思っても実は劇的に変えられる部分というのは僅かしかありません。もちろんその僅かな部分がプロとそうでないかの差を生み出しますが、肝心なのはそう言う事がちゃんとわかっているかどうかという事です。そう言う事をわかっている人間は謙虚さを忘れません。
ちなみに蕎麦屋に行って、うどんを頼む人がいますが、蕎麦屋にとってはいいカモです。蕎麦屋というのは蕎麦だけではあまり儲かりません。有名店で、べらぼうに高い金額で蕎麦を売れるならいいのですが、良心的な価格の店は、うどんを売る事によって儲けている部分もあるのです。
料理屋が旨い物を出すのは当たり前です。どんな料理であってもプロである以上、客を満足させるのが当たり前だからです。たかが、うどんごときを必要以上に煽ったりするのはバカげています。過剰に対象を煽るのは結果的に自滅に追い込みかねませんし、そうでないとしても、本当に旨い物を食べる贅沢を生み出す構造をどんどんぶち壊してもいます。流行っているという記号を消費するのは、コミュニケーションのネタにはなるのかもしれませんが、何の為に食べるのか、どういうものを食べたいのか、というそもそもの目的を忘れず、冷静になる事が重要だと思うのです。
メディアが煽る事によってギャップをブーストさせ、過剰な行き過ぎのブームを煽る事により、一儲けする。株式市場で言えば、風説の流布に当たる行為と何ら違いはありませんが、一方は違法、一方は合法、メディアは風説の流布などが発覚すると、偽善者面して叩きますが、全く大差ない振る舞いを平気な顔して繰り返しています。お前らが偉そうにするなよという感じです。ブームを煽るどころか、捏造、インチキ、報道の自由という錦の御旗の名の下に、したり顔で繰り返している所行は、ある意味、もっと多大な社会的影響力もあり、深刻な問題を引き起こしてもいます。そして暴走させた情報により、あっという間に並列化され消費され尽くし、やがて誰も見向きしなくなる。そう言えば、そんな事、あったね、と過去のお祭りを懐かしがる程度に思い出すのみで、新しいブームに煽られ消費し、浪費に費やし、金儲けのリソースとして利用され続ける。いい加減こういったサイクルに簡単に組み込まれないような民度は育たないものかと、本当にがっかりする事が多々あります。バカメディアは商売ですから止めろと言っても、この構図は簡単に変わりようもありませんし、そのぬるま湯が心地いいのでしょう、自浄作用など永久に働く事はないと思います。ですからせめて我々一般の人間がもう少し冷静なリテラシーを持つ事が重要なんだろうと思います。そんな事あったね。と軽く流してしまう、そんな事、によって、仕事が無くなったり、家業がつぶれたり、地域の構造を叩き潰し、多くの弊害が軽く流している、そんな事、の中にあります。軽く申し訳ないなんて同情するくらいなら、まずそう言った過剰なお祭り騒ぎに簡単に煽られない民度が必要だと思うのです。少なくともこんな中身のないクソ映画を観て感動なんかしてるようじゃお先真っ暗です。何を愛でようと何を良きものと思おうと、それは人の自由ですから、他人がとやかく言う事ではないのは確かです。ですがいい映画というのは沢山あります。そういうものを知っていれば、こんなクソ映画で感動なんて出来ないと思うのです。こんなものに感動してしまう貧相な感性しかない日本人が増えているという事は、人の痛みのわからない、他者性のない感性がここまで広がってしまっているのかと、この国の将来に暗い気持ちになって来ます。もっと質のいい映画なんて、邦画にだって沢山あります。せっかく映画を観るのなら、もっと良質の中身のある映画を観たほうが、心も豊かになりますし、人の痛みもわかるようになるはずです。そうすれば人を思いやるという意味もわかるでしょうし、リテラシーも養えるでしょう。
物語は主人公が挫折するところから始まりますが、そこには痛みが全く描かれていない。ハッキリ言ってこんなのは自業自得であり、勝手にやってろで終わってしまう話です。ここで描かれている話は、痛みに向き合う事も無く、人の痛みを察するでも無く、仲間内で内輪うけの承認合戦がただ描かれているだけであり、他者性が全く描かれていません。後半、父親との話がクライマックスに向かって描かれているのですが、父親はすでに他界しており、すべて主人公の妄想、自己満足、内輪受けの独りよがりの構図に、勝手に酔いしれているオナニスト的な側面が描かれているだけです。それをバカらしく、わかった上でわざと描いているのならまだしも、どう見てもそういう風には見えません。そんな独りよがりのマスターベーションを仲間内だけで承認しあって、勝手に盛り上がり、情緒的なクソ演出によって必死で盛り上げようとします。そこには全く他者性がありません。子供達が給食食って笑っているシーンに勝手に主人公が妄想をぶつけて、甘え涙しますがそれも単なる自慰行為にしか見えず、全く他者性も無く主人公の独りよがりにしか描かれていません。そして最後も何の気付きも学びもないまま、単なる独りよがりに終始していた主人公が、ご都合主義的な展開で終わる。単なる娯楽作品で、うどんの良さを伝えたいだけなのかもしれませんが、それならこんなにバカみたいに金かけて、映画にする必然性が理解出来ません。ギャグ映画にしたいのなら中途半端すぎると思います。何が言いたかったのかよくわからない、妄想で自分がいいと思えば世の中万事上手くいくとでも言いたいのでしょうか。くだらなすぎました。
全く同じテーマ、全く同じ物語の構造で、幸福のスイッチ、という映画があります。これも最近観ました。感想は後日改めますが、同じテーマでありながら、出来は素晴らしい作品でした。主人公が挫折し、父親との間のやり取りによって気付き、そして学び、一回り大人になるという、本当に似た構造なのですが、この映画と比べれば月とスッポン、天と地の差があります。おそらく予算はUDONより遥かに少ないと思いますが、他者性がキッチリ描かれており、主人公が学んでいく過程も、しっかり痛みを知り成長していく、素晴らしい映画でした。クソ映画と比べるのは申し訳ないと思いますが、こういう良質な映画を観て、クソ映画はクソ映画だと知る、それが少しでも人の痛みに敏感な感性を養い、メディアリテラシーを養い、民度をあげていく事になるのだろうと感じました。
幸福のスイッチ/上野樹里

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