フラガールスタンダード・エディション/松雪泰子

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フラガール メモリアルBOX/松雪泰子

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いやーまいった、ごめんなさい、おみそれしやした、と言った感じです。何がって、タイトルでわかるでしょう、フラガールの感想です。
ハッキリ言ってなめていました。どうせたいしたことねえだろと、面白いという評価は知っていましたが、まさかこれほど、こんなメジャーな日本映画がここまで見せてくれるとは思いませなんだ。しかもこんなベタベタな展開なのに。全く期待していなかっただけに、驚きとショックは大きかったです。
こんな老若男女が楽しめるようなわかりやすい話でありながら、キッチリ痛みや理不尽も描かれている。しかもそれが死にオチばかりのクソ映画のような、有り得ない非日常の痛みや理不尽ではなく、炭坑の物語でありながら、人は簡単には変わらないが、時代はどんどん移り変わるという、普遍的なテーマをベースに、日常的な理不尽や痛みを感じさせる、非常に深い話でした。まいったまいった。
この手の目標に向かって成長していくパターンの映画というのは、それこそありとあらゆる形で延々と作られ続けて来た、最もオーソドックスなフォーマットです。ですから先の展開も見え見えですし、作り方が退屈ですと、途中でもうどうでもいい気がしてしまったり、めんどくさくなってしまったりして、最後まで集中して見ていられなくなってしまうものが多いと思います。特に日本映画では。
しかしこのフラガール、一見単純な話になりそうなネタでありながら、常磐炭坑という日の落ちかけた産業を基盤とする街を背景にして、出てくる登場人物、一人一人、様々な立場で痛みや理不尽と向き合い、立場の違う他者と向き合います。その理不尽や不合理や痛みや他者というのは、確かに前時代的な女性に対する目線や、仕事と言うもののあり方に対する目線は、今の社会では考えられないものもあるかと思いますが、永続するとみんなが思っていた前提が壊れていく中で、それぞれが模索し、他者とぶつかり、傷ついていく様は、普遍的な問題だと思いますし、現代にも置き換えられる過去の話と割り切れない深いテーマが盛り込まれています。
決定的に現代が違うのは、そういう理不尽に向き合わないと、生活が出来ない、生きて行けない状況ではないという事になるのでしょう。痛みや理不尽と向き合わず、甘えて生きていてもそこそこ楽しく生きて行ける。本当は向き合うべき現実があっても、それを紛らわし、先送りしながらでも何とか生きては行ける。ちょっと向き合う事によって、傷ついた、傷つけられたとかグズグズ思い悩み、内向きになって、狭い島宇宙のなかで承認合戦していても別に生きて行けないわけじゃない。最終的には二進も三進もいかなくなり、より大きな絶望や理不尽が身に降り掛かり、こんなはずじゃなかった的になってしまったりよくありますが、本当にどうにもならなくなるまで放っておいても、それまでは楽チンに生きて行けてしまう。そういう依存や甘えが、様々なレベルでこの国を蝕んでいます。政治から、経済、そして個人のレベルまで。
この作品はそういった現代の病巣である甘えや依存に対する情けなさを鋭くついて来ます。甘えたくとも甘えるべき前提はどうやら壊れてしまっている、理不尽や痛みに向き合わない事には食っていけない、最近よくありがちなノスタルジー、あの頃はよかった的なご都合主義や、みんな暖かく支えあっていたんだ的な共同体的幻想は御為ごかしだという事を言われているような感じさえします。そういう甘えや依存を鋭くつき、向き合わないと解決出来ないぞというメッセージが込められ、それでありながらちゃんと人と人の信頼関係や、希望というものを気持ちよく描いてもいる。そこが非常に好感の持てる作りでした。
出て来る登場人物一人一人様々な葛藤を抱えています。その葛藤は甘えや依存をシャットアウトするものであり、向き合わない事にはどうにもならない現実です。しかしその事に向き合いたくない人々も出て来ます。だからと言ってそういう人達が葛藤も無く薄っぺらかというと、共通前提が壊れている事はわかっている、わかってはいるがどうしていいのかわからないという葛藤を抱えています。これは多かれ少なかれこの国の現代の人々が抱えている問題でもあります。その理不尽や痛み、絶望に向き合うといっても、人は弱い生き物です。しかも個人レベルでどうにかするしか結局方法なんてそう簡単にあるわけではない、そこに向き合う剣として、荒唐無稽とも思える、突拍子もないと誰もが思うような発想、山をハワイにするという、一見バカげた発想から、ダンスと言う絶望に向き合う、どうにもならなさを乗り越える事が出来るかもしれないリソースを生み出していきます。ある一人の女性がやってくる、これも決して善意に基づいたものではない。金のため借金の為、嫌々田舎町にやってくる。しかしそんな彼女の踊りが、少しずつ人々に感染していく。一握りの女の子達の希望の刃となり、どうにもならないと思えた状況を少しずつ突き破り、それが次々と感染していき、やがて街に希望の風を吹かす事になる。
普通こういった話ですと、ご都合主義に陥ってしまったり、そんなバカな的に冷めてしまったりするものですが、映画の枠の中での時間的制約によって感じる急展開はあるものの、あまり気になりませんでした。そこを気にしてしまったら、これを映画で描く事は出来なくなってしまいます。きちんと個人の葛藤も要所要所で描かれて、無理のない展開でした。突っ込みどころが全くないかと言えば、確かにちょっと泣き過ぎだよとかありますが、最近の日本映画の腐れぶりからすれば、全く次元の違う、比べるのもおこがましいぐらいの出来でした。しかもこの映画の凄い所は万人受けするエンターテイメントに仕上がっている所が何と言っても凄いと思います。ちゃんときれい事だけでは片の付かない問題を提示しながら、大人も子供も楽しめる内容にまとめている所が凄い。笑える所もそれなりにあるし、感動出来る所もそれなりにあるし、最後のダンスシーンではスッキリと盛り上がれる。ベタホメですが何が一番驚いたって、全く期待もしていなかった自分が、こんなエンターテイメントの日本映画だから所詮面白いとか言ったってたかが知れているぜ、という固定観念をぶっ壊してくれた事が何より驚きです。正直こんなつまらなそうな映画なのに、何でみんなそんなに褒めてんだ、と言う感覚が観る前はあった。そこから一気に引っ張り上げられたので、ビックリしているのもあり、ここまで驚かせてくれたのだからこの映画には全く脱帽です。期待の地平が遥かに低い所から出発しているので、あらを探せばいろいろありますが、この驚きを感じる事が出来ただけでもこの映画には感謝です。
どうにもならない理不尽や混沌というのは、今のこの国でも至る所に存在しています。しかしそういったものには向き合わずに生きているほうが楽でもありますし、メディアでも全くそれを無視したり、政治家や役人も知らん顔しています。本当に向き合わなければ手遅れになってしまうかもしれないような重たい問題は放っておきながら、どうでもいいくだらない次元で大騒ぎしたり、みんなで叩ける悪者を祭り上げてスッキリ感を得ていたりします。厄介なものと向き合うのは苦痛がつきものですから、見て見ぬ振りをするほうが楽だという事もあり、内輪で承認合戦をしているのが我が国の現状だと思います。その内輪からそれてしまったように見える人に対しては、断固決然となって叩く。内輪の外側にいる例えば外国などにも内輪の感覚でわかりあえると甘え、依存する。
映画や音楽というのはきちんと向き合う姿勢のないものはクソにしかなりようがありません。この国の音楽や映画がクソばかりなのもそれが原因としてあると思います。どんな作品でもそうだと思いますが向き合わず内輪受けだけねらっているようなものが、いい作品となる可能性は有り得ないと思います。しかしこの国は内輪受けだけをねらった映画でも音楽でも、人口が多いだけにそれで上手く回ってしまう、そこそこ売れてしまう。邦画が活況だとか騒いでいますが、内輪受けのクソ映画をいくら作っても、クリエイティブな発想など生まれませんし、単なる自慰行為を見せつけられているのと変わりません。またそういうクソ映画をみて納得している連中も一緒に自慰に耽っている。そこには単なる甘えと依存しかありません。それは非常に危険な状態だと思います。そこには他者性がないからです。単なる独りよがりの内輪受けをみんなで承認しあっている様は気持ち悪いですし、多様性のない状態はコンフリクトも起きませんから、新しい発想を生み出す原動力も益々生まれにくくなっていきます。でありながら活況を呈してしまっている。もはや絶望的なものさえ感じてしまいます。
向き合うべきものが何も無く(わからず)、どうしていいかわからないという葛藤ももちろんあります。例えば碇シンジ君パターンですね。どう向き合っていいのかわからない自分の自意識と葛藤する。そしてやがてそれを乗り越えるプロセスを描いていくパターンというのも最近の映画では多かったりもします。しかし自分の自意識の葛藤を乗り越えても世界は簡単に変わりません。向き合えるようになるというだけです。向き合うという事はその先には、もっと厄介な葛藤が待っているかもしれないわけです。エヴァの碇シンジ君はそういう風に描かれていたと思うのですが、自意識の葛藤を乗り越えても、その先にはもっと厄介な理不尽や痛み、他者性があるかもしれない、という部分をすっ飛ばして、自分が変われば世界も変わるという風に短絡的に描いているものが増えているような気もします。確かに自分が変われば世界の見方は変わるかもしれませんが、そこにはもっと厄介な向き合わねばならぬ現実の壁が沢山あるわけです。碇シンジ君は映画のラストで、世界と向き合う事を選びますが、気持ち悪いという一言をくらって唐突に幕は下ります。向き合っていくという事の困難さ、傷つくかもしれない厄介さがきちんと描かれていました。
先日フィギュアスケートをテレビで見たとき、安藤選手も浅田選手も、自分との闘いだ、自分が納得出来る結果を出せるかどうかが肝心だ、というような事を言っていました。イチロー選手などもよくそういった感じの事を言いますし、多くのアスリートが自分との闘いという事を口にします。しかしそういう方々がいう自分との闘いという言葉を一般の我々の生活に当てはめる事はできません。そういう方々はその前に向き合うべきものにきちんと向き合い、鍛錬し、結果を残し、勝負に勝って来たわけで、向き合うべきものに向き合いそれを乗り越えても、結局最後は自分との闘いになるという意味においていっているわけで、内輪で甘えあって依存しあって承認しあっている人が、自分と闘っても、勝手にやってろで終わりです。そんなものは自慰行為と何ら変わらないと思います。
この物語では至る所に痛みや理不尽がどうにもならない形で存在します。衰退を迎える炭坑、閉鎖的な郷土、失業、日々の生活、前時代的な仕事に対する偏見、同じく女性のあるべき姿に対する偏見。個人レベルでも、借金に追われ金の為に東京からやって来た闇を抱える先生、どうにもならない閉鎖感から抜け出そうとダンサーになろうとするが、厳格な母親に徹底的に否定されたり、失業した父親に浮かれるなと八つ当たりされ、ボコボコにぶっ飛ばされたり、家族のため引っ越さなければならず夢を諦めなければならない現実があったり、男達は先の見えない閉鎖感に酒を飲みくだをまき、時代のせいだと現実逃避する者、一方生活の為にハワイアンセンターに裏切り者だと蔑まれながらも就職する事を選ぶ者、老人達は自分達の生活が壊れていく事への恐れ、不安、本来炭坑が衰退している事に起因している前提の崩壊を、よそ者のせいにしたり、新規産業のせいにしたり、本当の原因はわかってはいるが、生活が激変するのではないか、生きて行けるのかという葛藤、そういうどうにもならない現実を、ダンスと言うリソースを手にした者達が向き合い苦悩する。向き合ったからと言って簡単に上手くいくわけではなく、厳しい現実は容赦なく降り掛かってくる。
あるとき落盤事故でダンサーのメンバーの一人、しずちゃん演じる女の子の父親が事故にあってしまう。しかしダンサー達は外回りの興行の直前。先生である松雪さんは、親の死に目にも会えないのがプロだという事を、甘えるなとメンバーに諭すも、メンバー達は冗談じゃない、そんな理不尽な話があるかと反発する。先生はいつもの私ならそう言うところだけど、今回は事情も事情だから、帰りましょうという事をメンバーに伝える。しかししずちゃん、父ちゃんもきっと帰ってくるな踊れっていうと思う、という事をみんなの前で初めて意思を表し、メンバー一致団結して、ダンスを披露し帰路につく、しかし彼女達がポジティブに向き合った結果、現実は更にその上を行き甘くなさを叩きつけ、一同に絶望を突き付ける。
ダンスというリソースを駆使して、現実に向き合っても、それが必ずいい結果を生むとは限らない、時にはもっと傷つく事もある。それでも前に進むしかない。そういう痛みが、この国の老いも若きも忘れてしまった、めんどくさい事からは逃げていたほうが楽だぜという風潮に突き刺さって来ます。理不尽や不合理によってギリギリまで引かれた弓の弦が、切れてしまいそうになりながら、最後に希望の矢を解き放つ。それは人々の心の琴線に突き刺さり、現実のどうにもならなさを一時突き破り、人々に笑顔をもたらす。
観ているほうも笑顔になってしまう、現実は厄介だけど、そこに向き合い苦悩する事によって、それを補ってあまりあるいい事も時としてある。それは頑張れば報われるという御為ごかしではなく、報われない事もあるし、報われる事もある、だけど報われないかもしれないから向き合わないでいたのでは、絶対に報われる事はない、そう言う事を非常に万人受けする形で生み出した事は素晴らしいと感じました。
この映画で素晴らしかった部分の一つとして、蒼井優さんの演技と、あの笑顔は素晴らしかったと思います。主役は一応松雪さんという事になているのかと思いますが、彼女の演技は完全にそれを凌駕していました。他の役者さん達の演技も素晴らしかったのですが、やはり彼女のイモねえちゃんから、一人前のダンサーになっていく姿が、痛みや理不尽だらけの厄介な現実を乗り越える希望の象徴として輝いていました。松雪さんは自分と同年代という事もあり頑張ってほしいなと思うのですが、ちょっと演技がくさかったです。
あと富司純子さんの演技は凄かった、どうにもならない厄介な現実が少しずつ動いていく象徴として、いい味を出していました。特に娘が一人で黙々と練習する姿を見てしまった時の彼女の演技には頭が下がります。
日本映画でもあまりメインストリームに上がってこない、一般受けはしないがいい映画というのは結構あります。しかしこれだけ老若男女が見やすい作りで、しっかりと痛みや理不尽も描かれて、我々日本人が忘れてしまっている自立という、本来大人であれば当たり前に持っていなければならない心構えをしっかりと描かれているところに非常に希望がわきます。こういう万人受けする映画というのはクソ作品に溢れかえっていますから、こういう作品が出て来る事は非常に頼もしく思います。
李相日監督というのは在日の方だそうで、こういった目線で日本社会を切り取れる手法にはまったく脱帽です。在日の方のほうが向き合わねばならぬ現実があるからこういった描き方が出来るのか、古い時代のものが、新しい時代のものによって変わっていく事によって、起こる様々な弊害というのは世界中どこに行ってもある普遍的なテーマであるのかもしれませんが、我々日本人が甘えと依存にぼけている状態に、目を覚ませと叱られたような気もしますし、優しく現実は厄介だけど嫌な事ばかりでもないよ、と言われているような気もします。素晴らしい才能の持ち主だと思います。今後が非常に楽しみです。