ライブドアの堀江元社長の判決について、いろいろな意見が飛び交っています。日興株の上場維持のタイミングもあって、不公正に見えてしまうのは仕方ないにしても、日興が許されるのだから、ライブドアの社長だけ罰するのはどうかとか、逆にライブドアの元社長の判決は当然で、日興を断固処罰するべきだとか、意見は割れていますが、不公平に見えているというのは、殆どの日本人が共有しているようですので、その事は少しわきにおいて書きたいと思います。
自分はライブドアの元社長が本当はどうだったのかという事は別にどうでもいいのですが、どうしてもデュープロセス・オブ・ロウがきちんと機能しているのかが気になってしまいます。適正手続きに基づいた法の執行がなされているのか?
テレビに出て来る話というのは殆ど検察の話ばかりです。それに元社長を裏切って証言している方々の話ばかりが聞こえて来ます。元社長が悔しそうにしていたとか、口を尖らせていたとか、どうでもいいような事や、ネガティブな話は伝えられますが、誰が見ても不公平であるように見える裁判のカウンターパートの意見というのが、実刑が重いか軽いか、日興への対処や、過去の案件に比べて、どうなんだという切り口ばかりです。結局、元社長と証言している元社員の言い分のどちらが正しいのか、という事が争点のような感じになっていて、お互いどちらも一般人が聞いていても、ちょっと首をかしげたくなるような話でしか無いように聞こえる割には、裁判は真実を明らかにする場ではないのはわかっていますが、その事にツッコミを入れている意見の比重が少ないのではないかと感じます。
亀井静香議員が逆に庇うような事を言ったりして、器の大きさをアピールしたいのかどうかわかりませんが、自民党は公認したわけでも推薦したわけでもないから関係ないと素っ気ないのとは対照的でした。メディアでも悪かったからって人生が終わるわけではないのだから、罪を償って再チャレンジしろ的な、ちょっと温情的な器の大きさを、天敵の息の根を止める事が出来たと思った余裕からか、どうせ再チャレンジしても叩くくせに、有罪を前提にした世論形成に必死です。まあ判決は有罪ですし、個人的に思うには株式市場を舞台にやった事ですので、通常の疑わしきは罰せずという前提に立ってのさばらせておくと、あの時点で市場の公平さを担保する必要上、ルールばかりを守り過ぎるわけにはいかない、実際に一般投資家が被害を受ける可能性もあり、しょうがない部分はあったと思います。あの事件が発覚した時点ではルール違反は明確ではないが、その事がわかるまで放置しておくと、ルール違反が明確になった時に取り返しがつかない事態を招いている可能性があり、したがって被害拡大を最小限にする為に、上場廃止に追い込んで、事実上会社としての回復不可能なペナルティまで課す事が適切かどうかは微妙ですが、裁判の判決を待たずに被害を最小化する措置が必要な理由は納得がいきます。MSCBや時間外取引、100分割のような事を(あげくに、LBOまでやりそうな勢いでしたから)、まあ法に触れないとしても、一般株主にとっての公平さという観点からすると、ちょっと不公正な気もしましたし、ちょっとやり過ぎなのではと感じたりもしていましたので、信用される要素も少なかったのは確かですし、ある程度厳しいのは仕方がないと思います。しかしそれでも有罪とする根拠が不明瞭なのは気になります。
常識的に考えて、市場の抜け穴を利用し、株主価値を高めるとはいいながら、一歩間違えば非常にリスキーな事に次々と挑んでいましたので、こういう事になりそうな感じはありました。ルールは守っているかもしれないけれど、一応そういう輩は出てこないはずだという信頼の前提のもとに運営されていた価値観を、法に違反しているわけじゃない、文句があるならルールに言え的に、信頼のベースをぶっ壊してしまった事に、もちろんそれに甘んじていた人々の責任でもありますが、道徳的に見てどうなのよ、というこの国の独特の感性は理解出来ます。しかしルールを守っているかどうかわかっていない、有罪が立証されていない段階で、何らかの制裁やペナルティは仕方がないにしても、強制捜査をして、上場廃止にして、引っ括ってぶち込むのはちょっとやり過ぎだと、そこまでやらなくてもいくらでも対処法はあると思っていましたし、あそこまで徹底的に排除するのはやはり何か意図的なものを感じていましたが、今、判決によって一応有罪という事にはなりましたので、ルールを守っていたんだし、まだ事実上有罪じゃないんだから、そこまで痛めつけなくてもいいんじゃないか、という感覚の根拠になる部分は一応崩れ、ある程度、厳罰に処すのは仕方がないかもしれないという気はします。しかし元社長を有罪とする根拠や、それを前提にした捜査がはたして信用に足るものなのかという部分にはやはりちょっと首をかしげたくなってしまいます。
元社長が非人道的な人間かどうかはわかりませんので、一般的な感覚で考えると、ライブドアという会社を大きくする為に苦楽をともにした方々というのもいるはずで、中には元社長を弁護する人がいても良さそうなものですが、本当にいないのか、あえて取り上げないだけなのかわかりませんが、本当にいないのだとして、あれだけの従業員を従えて会社を本当に独裁的な強権で運営していくという事が可能なものかと、ちょっと不思議な気もします。元社長と一緒に働いていた方々が、元社長が社長でなくなり、容疑者となり、被告人となった途端に、手の平を返し非難の対象、責任の所在をすべて押し付けて、本当に彼を擁護する人が誰もいないのだとしたら、ちょっと悲惨な話ですね。
責任の所在はもちろん責任者にありますので彼にあるのは間違いないと思いますが、これほど希薄な人間関係でありながら、人の上に立ち、強権で嫌々従業員を従わせて、プレッシャーをかけ、悪事に突っ走っていけるものなのか、当然この国は建前ですが、法治国家で民主国家であり、自由経済ですので、そんなイヤな経営者のもとで、従業員が一致団結して会社を大きくしていこうというモチベーションというのが本当に働き、実際に(実体のない会社とか言われたりよくしていましたし、時価総額的な事を言えば実態よりかなり大きく見せていたのは確かだと思いますが、一応会社として回っていたわけで、飛ぶ鳥を落とす勢いに、実際どうかは別にして見えていたからこそあの時価総額だったわけでしょうし)会社を回せるものなのかと不思議に思います。まあだから掴まってしまったのかもしれませんが、イヤな奴の下で、モチベーションを持って仕事をするのは大変だと思いますし、犯罪になるのではないかとか、無体な要求をされれば辞めればいい事で、まるで下の人間に自由意志がまったくないような物言いは変に聞こえてしまいます。
ムカつく奴の下で仕事が出来るのは、例えばその上司の人間性や物言いはムカつくが、言っている事は確かに正論で、実際に仕事も出来る。自分も金を貰っているのだから、上の言っている事には従うのが仕事だ。と思うのはまあよくあると思います。ムカつくけれど、生活もあるし別の仕事を探すのも大変だし、まあ我慢するかとなるのもよくあるでしょう。しかし、状況が変わったとはいえ、本当に誰も擁護する人がいないようなお山の大将がトップだった会社で、しかも犯罪すれすれで危ないのではないかという事に手を染めながら、嫌々仕事が出来るものなのか、そこがどうしても引っかかります。
近鉄バッファローズの買収に手を挙げてしまい、引くに引けない状況だったという事を言っている元幹部の方もいますが、違法な事に手を染めたのではそれこそ本末転倒ですし、テレビで元社長が言ってましたが違法性があるかどうかはわからなかったので、リーガル・チェックを受けて、GOサインが出たからやった的な事を言っていました。もちろん嘘かもしれませんが、違法かもしれないと全員が気付いていたが、社長の強権に逆らえなかった的な物言いはどうしても不自然に感じます。だって仕事を辞めたって掴まるよりはマシだと普通考えると思うのですが。そんな常識のない社長のもとにはいられないと普通は思うでしょう。
もちろん会社の中では常識だと思っている事も、外の世界に照らせば、ちょっと待てよ、という状況に陥る事は沢山あると思います。だから犯罪などが起こったりもするのでしょう。行動の選択を誤って、誰もそれに異議を唱える事が出来ずに、一丸となって悪事に突っ走っていく事などもよくあるのではないかと思います。リスキーなかけに出ても、リターンが大きいと考えれば勝負する人もいるでしょうし、今の自分達のおいしい立場を捨てる事が出来ずに、場の空気に支配され、全員がこれはまずいと思いながらも、しかしここまで来たら引き返すわけにはいかないと、バレやしねえぜ的に、法を犯す事もあるでしょう。でもこういう場合であれば、元社長が独断で強権を駆使して悪事を働く事を、社員達に強要したと言ってしまうのは無理があります。やはり元社員一人一人が能動的に関わっていたのではないかと感じます。微妙だけれど問題ないと言われて全員がそれなら大丈夫だと思ってやっているのだとしたら、そもそも元社長の強権てきな悪巧みを立証するのは無理があると思いますし、責任が元社長にあるのは間違いありませんが、あの人が諸悪の根源だという証言をもとにした捜査が、適切だったとは普通思えないのではないかと。
証言が嘘だったからって犯罪がなかった事にはならないって、なんか話が別の話になってしまいそうですが、そんな事は裁判で通るようじゃ法治国家とは言えません。証拠がいい加減でも、既存のアーキテクチャーやプラットホームを維持する為には、ああいう輩は見せしめ的にも厳罰に処せ、ああいう奴を支持する大衆というのはどうせバカだから、ああいう人間を支持する事によって、めぐりめぐって自分達が傷つくという事に自覚的ではない、というのがあるのだとすると、きれい事では我々の前提は維持出来ないのはわかりますが、それでもちょっと強引すぎやしないかと感じてしまいます。本当にそんなエリート的な使命感に燃えているのかどうかはわからないのであくまでも想像するしかありませんが。左翼じゃありませんが国家権力の横暴のようにも感じてしまいます。
前大戦でこの国が負け、一部の人々が責任を取り、彼らを犯罪者とする事によって、天皇、そしてメディアや一般の国民には罪はないというフィクションによってこの国は再近代化を遂げますが、今でも一部本当に、一部の軍国主義者達の強権によって、前大戦の悲劇が起こったと思っている人もいるのでしょうが、一般的な感覚ではそういった話に無理があるという事は多くの国民の知る所でもあり、メディアは戦争翼賛の旗ふり役をつとめ、一般人はイケイケどんどんだった部分もあったから、あんな戦争に突っ走っていったという理解が常識的な線だと思います。国民がみんな嫌々でモチベーションが低い状態で戦争なんて出来ません。他人のモチベーションに干渉するのは難しいからです。多くの国民がその事に(内心思う事がある人はいたでしょうが)一応賛同していたから、あれだけ大規模な戦争が出来たと言えます。それと一緒で、ライブドアという会社の勢いが(あるように見える人がたくさんいた、だから株価も上がったりした)次第に暴走し、犯罪に手を染めていったなら、元社長も悪いが、その船に乗って異を唱えなかった幹部連中も悪いと思います。にもかかわらずそういった連中の意見は好意的に取り上げ、もと社長の意見は頭ごなしに嘘だというのは、どっちも嘘をついている可能性があり、どちらも悪い事をしている可能性があるのですから、そういう報じ方をするべきなのではないかと感じますし、そんないい加減な証言は根拠としてどうなのよ、それで適正手続きに基づく法の執行はなされているの、というのが率直な感想です。
当然今の元社長を擁護などすると、あらゆる所からバッシングを受けたり、人間性を疑われたりする可能性がありますので、言えない状況があるのは事実ですし、元社長の事を目の敵にしている人もたくさんいますから、そういった意見が出にくいのは確かでしょう。空気的にも、元社長は相変わらず懲りていない的なものがありますし、元幹部達は自分達が犯した過ちを一応は悔いて反省している的なものが、メディアなどによって報じられていますので、事実かどうかは別にして、そういう状況で元関係者が、元社長擁護の意見を堂々とは言えない空気になってはいます。しかし判決では元社長が独断で強権を発動し、いやがる社員に強要して、悪事に突っ走っていったわけではない事を認めるようにも聞こえます。という事は証言は証拠としては不十分であるという認識に至っているという事であり、元社員の証言に信用がおけるという物言いも、どこか白々しく聞こえます。元社長の意見も、社員達の意見もどちらも信用には至らないと普通は思うのが自然に感じますし、有罪は逃れられないにしても、実刑はないのではないか、と予想していた人が結構いたにも関わらず、結局何もわからなかったが、元社長の社会的な責任は重いので罰に処す(軽いか重いかはわきにおいて)という感じであるにも関わらず、根拠が不明瞭なのに有罪判決となった事に、不自然さを感じるのは常識的な線だと思うのですが、元社長の罰が重いか軽いかばかりの意見なのが気になってしまいます。重いか軽いかは別として、そもそもデュープロセスは機能しているのか?根拠となる証言の信憑性がいい加減に見えるのに、それをもとにした捜査を信用しろと言われても、ちょっと無理があるのではと、もう少しクリアーにしてもらいたいもんだと思ってしまいます。
証言によって元社長が強権的に、社員を従えて、悪事を働いたという事は立証できないし、彼が計画を練ったと立証も出来ないが、仮にまったく知らない事だったとしても、実質的な主導権はなかったのだとしても、ライブドアの当時の社長は彼であり、したがって責任の所在は、知っていようがいまいが、主導権があろうがなかろうが、社長に責任があるのは当たり前であり、市場のルールを逆手に取るだけでなく、事実上ルール違反も見られたのだから(そう見えないという意見もありますが)、結果的に投資家を欺いた事は動かせない事実であり、また、市場が自由である割には比較的緩い制度的な欠陥があるとはいえ、それを悪用し且つルールを逸脱する事は許されるべき事ではなく、本来であればもっと厳罰に処すべき所であるが(アメリカなどでは、市場のルール違反はこんなもんじゃ済みません)、制度的な欠陥も事実であり、罪刑法定主義の観点からもこのくらいの判決が妥当だ、とでも説明されれば納得はいきます(しかしそうなると、日興や過去の案件と比べてどうなのよ、とやっぱり思ってしまいますが)。
元社長の主導を強調して、彼の非常識や悪巧みを強調したいのはわからないでもありません。日興や過去の案件と比べられると何も言えなくなってしまいますから。またメディアは彼の事を憎んでいますので、こんなに悪い奴だったんだ、としたいのでしょうし、それと戦ったのだと偉そうにしたいのでしょうが(まあ誰もそんなこと言われても、普通のバランス感覚を持っていれば、あっそうと、シラケるだけだと思いますが)、少なくとも、強力な参入障壁に守られた既得権であり、談合利権集団であるメディアに風穴を開けようとした、元社長の行為自体は彼が犯罪者であろうがなかろうが、評価に値すると自分は思います。あれだけリスキーな事をしないと、レギュレーションによってガチガチに守られたメディアの一角を崩すのは難しいという事が一般的に露呈されただけでもよかったと思いますし、メディアは自分達に都合のいい嘘ばかりをいい加減に流していてとんでもない、という世論が惹起されたのでよかったと思います。メディアが繰り返した元社長批判は、そのままメディア自身にも言える事でもあり、お前らが言うなよという事ばかりでした。今や捏造なども以前に比べて更にやりづらくなっていますし、どんどん自爆して早いとこ風通しが良くなってもらいたいと思います。元社長の悪人象を無理矢理大きく作る為に、元社員の証言などを根拠にすればするほどやぶ蛇です。気付かないでどんどんやってもらいたいと思います。ライブドアが野球の既得権を突破しようとした時は、メディアでも応援的なものもあったのに、自分達の利権が脅かされそうになった時の狼狽えようは、多くの人達にメディアの汚さ、そこで飯を喰っている連中の浅ましさを露呈する事になりましたので面白かったと思う人もたくさんいるのではないでしょうか。元社長主導の悪事を、元社員のいい加減な証言をもとに、強調すればするほどデュープロセスの問題が、元社長の責任者としての罪を問題にすればするほど、他の案件との公正さの問題が、それぞれ議論されればいい学びの材料にもなります。それによって民度やメディア・リテラシーが少しでも成熟すれば、いいフックだったのではないでしょうか。
他の案件との不公平感については、そもそも特捜は警察ではありませんので、すべての案件に突っ込んでいくという事は出来ません。もともと不公平と言えば言えない事もない部分をあわせ持ってると思います。わざわざ特捜が動いたのだからおそらく何かでっかい疑獄があるのではないかと当初は思っていた期待が、どうやらなさそうなのはちょっと肩透かしで、スッキリしない部分の理由でもあると思います。沖縄で殺されちゃった人の事はどうなっちゃうのとも思ったり、大山鳴動して鼠一匹感をどうしても感じてしまいます。その鼠一匹もちょっと強引な部分が見えてしまいますし、釈然としない事件だったなあというのが感想です。まあ司法取引などないとは思いたいのですが、この国ではしばしばデュープロセスが無視されているのではないかと感じる法の執行が度々あるように感じます。もしそれが単なる錯覚なのだとしても、もう少しクリアーにしてもらわないと、信用しろと言われても難しいと感じます。検察の優秀さや、使命感を前提にした制度では、どうしても無理があり危険と隣り合わせです。下々の民にいちいち説明したり明確にする必要などない、優秀なお上に任せておけば上手く舵取りをしてやる、と思っているのかもしれませんが、もし厳格に適正手続きを守り、法を執行しているのなら、クリアーにしたって別に何の問題もないはずです。それを隠しておきたいのだとすると、理由は一つしかありません。仮に適正手続きを無視した法の執行が行われているのだとしたら、それは非常に危険な事です。
この後、村上ファンドの問題なども控えてますので、元ライブドア幹部の証言だけが唯一インサイダーの根拠になっているようにも見えます。その元幹部の証言は正しいという事を前提として貫かないとまずいというのがあるのかもしれません。
この国は民主国家です。お上のやる事に間違いはないと呑気に依存するのは危険です。お上も間違う事はあり、しかもその権力は巨大です。適正手続きが少しでも不明瞭であれば、どんなに心証が真っ黒であろうとも有罪にしてはいけないという、百人の罪人を逃そうとも、一人の無辜の民を罰するなかれ、という近代裁判の鉄則を見失ったまま、この国が目覚める事がないなら、いつの日か取り返しのつかない事態も起こりかねないという事に、我々はもう少し敏感であるべきなのではないかと感じます。役人のパターナリズム的、エリート主義的な発想で、国の舵取りをしようなど余計なお世話であり、ルールは守ってくれよ、という依存しない民度と、一定数ノイジーな輩が出て来たからっておたおたせず、冷静に判断出来る思考が必要なのではないかと感じました。
元社長のような存在はある意味歴史的な必然も感じます。自らの権益を守る為に閉鎖的なレギュレーションの上で胡座をかいている連中、私益の為にそれを活用し、牛耳っている人間達に自浄作用など永久に働きそうに見えません。結局そういう人々にとって都合のいい世の中にしかならず、都合のいい制度を変えるわけなどありえない、というどうにもならないニヒリズムが、この国のあらゆる所に蔓延し、それが腐敗を更にブーストさせている部分もあると思います。こんなに面白くもない世の中、制度を逆に利用して、既得権に風穴を開けてやるという風に、行動を起こす人が出て来るのは必然的な感じもしますし、危険信号にも感じます。それを支持した大衆の思いも、悪い事しているかもしれないけれど、そんな事、この国のあらゆる所にある、そういう人々をある種支配している閉鎖感が生み出したものとも言えるのではないでしょうか。小泉前総理と似た部分もあると思います。この程度ならまだ社会的にたいした影響はありませんが、この閉鎖感が今後も更に蔓延していくのだとすると、もっと危険な人物を、大衆は支持してしまう可能性もありますし、敵を設定し政治的なリソースとして悪用される可能性もあります。歴史がその事を証明しており、現にそういった兆候もちらほら顕在化しています。手遅れになるまで変わる事がないのか、歴史はただ繰り返すだけなのか、早いとこその事に気付かないと、先行きは真っ暗です。ホリエモンの判決についてつらつらと書いてみました。
自分はライブドアの元社長が本当はどうだったのかという事は別にどうでもいいのですが、どうしてもデュープロセス・オブ・ロウがきちんと機能しているのかが気になってしまいます。適正手続きに基づいた法の執行がなされているのか?
テレビに出て来る話というのは殆ど検察の話ばかりです。それに元社長を裏切って証言している方々の話ばかりが聞こえて来ます。元社長が悔しそうにしていたとか、口を尖らせていたとか、どうでもいいような事や、ネガティブな話は伝えられますが、誰が見ても不公平であるように見える裁判のカウンターパートの意見というのが、実刑が重いか軽いか、日興への対処や、過去の案件に比べて、どうなんだという切り口ばかりです。結局、元社長と証言している元社員の言い分のどちらが正しいのか、という事が争点のような感じになっていて、お互いどちらも一般人が聞いていても、ちょっと首をかしげたくなるような話でしか無いように聞こえる割には、裁判は真実を明らかにする場ではないのはわかっていますが、その事にツッコミを入れている意見の比重が少ないのではないかと感じます。
亀井静香議員が逆に庇うような事を言ったりして、器の大きさをアピールしたいのかどうかわかりませんが、自民党は公認したわけでも推薦したわけでもないから関係ないと素っ気ないのとは対照的でした。メディアでも悪かったからって人生が終わるわけではないのだから、罪を償って再チャレンジしろ的な、ちょっと温情的な器の大きさを、天敵の息の根を止める事が出来たと思った余裕からか、どうせ再チャレンジしても叩くくせに、有罪を前提にした世論形成に必死です。まあ判決は有罪ですし、個人的に思うには株式市場を舞台にやった事ですので、通常の疑わしきは罰せずという前提に立ってのさばらせておくと、あの時点で市場の公平さを担保する必要上、ルールばかりを守り過ぎるわけにはいかない、実際に一般投資家が被害を受ける可能性もあり、しょうがない部分はあったと思います。あの事件が発覚した時点ではルール違反は明確ではないが、その事がわかるまで放置しておくと、ルール違反が明確になった時に取り返しがつかない事態を招いている可能性があり、したがって被害拡大を最小限にする為に、上場廃止に追い込んで、事実上会社としての回復不可能なペナルティまで課す事が適切かどうかは微妙ですが、裁判の判決を待たずに被害を最小化する措置が必要な理由は納得がいきます。MSCBや時間外取引、100分割のような事を(あげくに、LBOまでやりそうな勢いでしたから)、まあ法に触れないとしても、一般株主にとっての公平さという観点からすると、ちょっと不公正な気もしましたし、ちょっとやり過ぎなのではと感じたりもしていましたので、信用される要素も少なかったのは確かですし、ある程度厳しいのは仕方がないと思います。しかしそれでも有罪とする根拠が不明瞭なのは気になります。
常識的に考えて、市場の抜け穴を利用し、株主価値を高めるとはいいながら、一歩間違えば非常にリスキーな事に次々と挑んでいましたので、こういう事になりそうな感じはありました。ルールは守っているかもしれないけれど、一応そういう輩は出てこないはずだという信頼の前提のもとに運営されていた価値観を、法に違反しているわけじゃない、文句があるならルールに言え的に、信頼のベースをぶっ壊してしまった事に、もちろんそれに甘んじていた人々の責任でもありますが、道徳的に見てどうなのよ、というこの国の独特の感性は理解出来ます。しかしルールを守っているかどうかわかっていない、有罪が立証されていない段階で、何らかの制裁やペナルティは仕方がないにしても、強制捜査をして、上場廃止にして、引っ括ってぶち込むのはちょっとやり過ぎだと、そこまでやらなくてもいくらでも対処法はあると思っていましたし、あそこまで徹底的に排除するのはやはり何か意図的なものを感じていましたが、今、判決によって一応有罪という事にはなりましたので、ルールを守っていたんだし、まだ事実上有罪じゃないんだから、そこまで痛めつけなくてもいいんじゃないか、という感覚の根拠になる部分は一応崩れ、ある程度、厳罰に処すのは仕方がないかもしれないという気はします。しかし元社長を有罪とする根拠や、それを前提にした捜査がはたして信用に足るものなのかという部分にはやはりちょっと首をかしげたくなってしまいます。
元社長が非人道的な人間かどうかはわかりませんので、一般的な感覚で考えると、ライブドアという会社を大きくする為に苦楽をともにした方々というのもいるはずで、中には元社長を弁護する人がいても良さそうなものですが、本当にいないのか、あえて取り上げないだけなのかわかりませんが、本当にいないのだとして、あれだけの従業員を従えて会社を本当に独裁的な強権で運営していくという事が可能なものかと、ちょっと不思議な気もします。元社長と一緒に働いていた方々が、元社長が社長でなくなり、容疑者となり、被告人となった途端に、手の平を返し非難の対象、責任の所在をすべて押し付けて、本当に彼を擁護する人が誰もいないのだとしたら、ちょっと悲惨な話ですね。
責任の所在はもちろん責任者にありますので彼にあるのは間違いないと思いますが、これほど希薄な人間関係でありながら、人の上に立ち、強権で嫌々従業員を従わせて、プレッシャーをかけ、悪事に突っ走っていけるものなのか、当然この国は建前ですが、法治国家で民主国家であり、自由経済ですので、そんなイヤな経営者のもとで、従業員が一致団結して会社を大きくしていこうというモチベーションというのが本当に働き、実際に(実体のない会社とか言われたりよくしていましたし、時価総額的な事を言えば実態よりかなり大きく見せていたのは確かだと思いますが、一応会社として回っていたわけで、飛ぶ鳥を落とす勢いに、実際どうかは別にして見えていたからこそあの時価総額だったわけでしょうし)会社を回せるものなのかと不思議に思います。まあだから掴まってしまったのかもしれませんが、イヤな奴の下で、モチベーションを持って仕事をするのは大変だと思いますし、犯罪になるのではないかとか、無体な要求をされれば辞めればいい事で、まるで下の人間に自由意志がまったくないような物言いは変に聞こえてしまいます。
ムカつく奴の下で仕事が出来るのは、例えばその上司の人間性や物言いはムカつくが、言っている事は確かに正論で、実際に仕事も出来る。自分も金を貰っているのだから、上の言っている事には従うのが仕事だ。と思うのはまあよくあると思います。ムカつくけれど、生活もあるし別の仕事を探すのも大変だし、まあ我慢するかとなるのもよくあるでしょう。しかし、状況が変わったとはいえ、本当に誰も擁護する人がいないようなお山の大将がトップだった会社で、しかも犯罪すれすれで危ないのではないかという事に手を染めながら、嫌々仕事が出来るものなのか、そこがどうしても引っかかります。
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もちろん会社の中では常識だと思っている事も、外の世界に照らせば、ちょっと待てよ、という状況に陥る事は沢山あると思います。だから犯罪などが起こったりもするのでしょう。行動の選択を誤って、誰もそれに異議を唱える事が出来ずに、一丸となって悪事に突っ走っていく事などもよくあるのではないかと思います。リスキーなかけに出ても、リターンが大きいと考えれば勝負する人もいるでしょうし、今の自分達のおいしい立場を捨てる事が出来ずに、場の空気に支配され、全員がこれはまずいと思いながらも、しかしここまで来たら引き返すわけにはいかないと、バレやしねえぜ的に、法を犯す事もあるでしょう。でもこういう場合であれば、元社長が独断で強権を駆使して悪事を働く事を、社員達に強要したと言ってしまうのは無理があります。やはり元社員一人一人が能動的に関わっていたのではないかと感じます。微妙だけれど問題ないと言われて全員がそれなら大丈夫だと思ってやっているのだとしたら、そもそも元社長の強権てきな悪巧みを立証するのは無理があると思いますし、責任が元社長にあるのは間違いありませんが、あの人が諸悪の根源だという証言をもとにした捜査が、適切だったとは普通思えないのではないかと。
証言が嘘だったからって犯罪がなかった事にはならないって、なんか話が別の話になってしまいそうですが、そんな事は裁判で通るようじゃ法治国家とは言えません。証拠がいい加減でも、既存のアーキテクチャーやプラットホームを維持する為には、ああいう輩は見せしめ的にも厳罰に処せ、ああいう奴を支持する大衆というのはどうせバカだから、ああいう人間を支持する事によって、めぐりめぐって自分達が傷つくという事に自覚的ではない、というのがあるのだとすると、きれい事では我々の前提は維持出来ないのはわかりますが、それでもちょっと強引すぎやしないかと感じてしまいます。本当にそんなエリート的な使命感に燃えているのかどうかはわからないのであくまでも想像するしかありませんが。左翼じゃありませんが国家権力の横暴のようにも感じてしまいます。
前大戦でこの国が負け、一部の人々が責任を取り、彼らを犯罪者とする事によって、天皇、そしてメディアや一般の国民には罪はないというフィクションによってこの国は再近代化を遂げますが、今でも一部本当に、一部の軍国主義者達の強権によって、前大戦の悲劇が起こったと思っている人もいるのでしょうが、一般的な感覚ではそういった話に無理があるという事は多くの国民の知る所でもあり、メディアは戦争翼賛の旗ふり役をつとめ、一般人はイケイケどんどんだった部分もあったから、あんな戦争に突っ走っていったという理解が常識的な線だと思います。国民がみんな嫌々でモチベーションが低い状態で戦争なんて出来ません。他人のモチベーションに干渉するのは難しいからです。多くの国民がその事に(内心思う事がある人はいたでしょうが)一応賛同していたから、あれだけ大規模な戦争が出来たと言えます。それと一緒で、ライブドアという会社の勢いが(あるように見える人がたくさんいた、だから株価も上がったりした)次第に暴走し、犯罪に手を染めていったなら、元社長も悪いが、その船に乗って異を唱えなかった幹部連中も悪いと思います。にもかかわらずそういった連中の意見は好意的に取り上げ、もと社長の意見は頭ごなしに嘘だというのは、どっちも嘘をついている可能性があり、どちらも悪い事をしている可能性があるのですから、そういう報じ方をするべきなのではないかと感じますし、そんないい加減な証言は根拠としてどうなのよ、それで適正手続きに基づく法の執行はなされているの、というのが率直な感想です。
当然今の元社長を擁護などすると、あらゆる所からバッシングを受けたり、人間性を疑われたりする可能性がありますので、言えない状況があるのは事実ですし、元社長の事を目の敵にしている人もたくさんいますから、そういった意見が出にくいのは確かでしょう。空気的にも、元社長は相変わらず懲りていない的なものがありますし、元幹部達は自分達が犯した過ちを一応は悔いて反省している的なものが、メディアなどによって報じられていますので、事実かどうかは別にして、そういう状況で元関係者が、元社長擁護の意見を堂々とは言えない空気になってはいます。しかし判決では元社長が独断で強権を発動し、いやがる社員に強要して、悪事に突っ走っていったわけではない事を認めるようにも聞こえます。という事は証言は証拠としては不十分であるという認識に至っているという事であり、元社員の証言に信用がおけるという物言いも、どこか白々しく聞こえます。元社長の意見も、社員達の意見もどちらも信用には至らないと普通は思うのが自然に感じますし、有罪は逃れられないにしても、実刑はないのではないか、と予想していた人が結構いたにも関わらず、結局何もわからなかったが、元社長の社会的な責任は重いので罰に処す(軽いか重いかはわきにおいて)という感じであるにも関わらず、根拠が不明瞭なのに有罪判決となった事に、不自然さを感じるのは常識的な線だと思うのですが、元社長の罰が重いか軽いかばかりの意見なのが気になってしまいます。重いか軽いかは別として、そもそもデュープロセスは機能しているのか?根拠となる証言の信憑性がいい加減に見えるのに、それをもとにした捜査を信用しろと言われても、ちょっと無理があるのではと、もう少しクリアーにしてもらいたいもんだと思ってしまいます。
証言によって元社長が強権的に、社員を従えて、悪事を働いたという事は立証できないし、彼が計画を練ったと立証も出来ないが、仮にまったく知らない事だったとしても、実質的な主導権はなかったのだとしても、ライブドアの当時の社長は彼であり、したがって責任の所在は、知っていようがいまいが、主導権があろうがなかろうが、社長に責任があるのは当たり前であり、市場のルールを逆手に取るだけでなく、事実上ルール違反も見られたのだから(そう見えないという意見もありますが)、結果的に投資家を欺いた事は動かせない事実であり、また、市場が自由である割には比較的緩い制度的な欠陥があるとはいえ、それを悪用し且つルールを逸脱する事は許されるべき事ではなく、本来であればもっと厳罰に処すべき所であるが(アメリカなどでは、市場のルール違反はこんなもんじゃ済みません)、制度的な欠陥も事実であり、罪刑法定主義の観点からもこのくらいの判決が妥当だ、とでも説明されれば納得はいきます(しかしそうなると、日興や過去の案件と比べてどうなのよ、とやっぱり思ってしまいますが)。
元社長の主導を強調して、彼の非常識や悪巧みを強調したいのはわからないでもありません。日興や過去の案件と比べられると何も言えなくなってしまいますから。またメディアは彼の事を憎んでいますので、こんなに悪い奴だったんだ、としたいのでしょうし、それと戦ったのだと偉そうにしたいのでしょうが(まあ誰もそんなこと言われても、普通のバランス感覚を持っていれば、あっそうと、シラケるだけだと思いますが)、少なくとも、強力な参入障壁に守られた既得権であり、談合利権集団であるメディアに風穴を開けようとした、元社長の行為自体は彼が犯罪者であろうがなかろうが、評価に値すると自分は思います。あれだけリスキーな事をしないと、レギュレーションによってガチガチに守られたメディアの一角を崩すのは難しいという事が一般的に露呈されただけでもよかったと思いますし、メディアは自分達に都合のいい嘘ばかりをいい加減に流していてとんでもない、という世論が惹起されたのでよかったと思います。メディアが繰り返した元社長批判は、そのままメディア自身にも言える事でもあり、お前らが言うなよという事ばかりでした。今や捏造なども以前に比べて更にやりづらくなっていますし、どんどん自爆して早いとこ風通しが良くなってもらいたいと思います。元社長の悪人象を無理矢理大きく作る為に、元社員の証言などを根拠にすればするほどやぶ蛇です。気付かないでどんどんやってもらいたいと思います。ライブドアが野球の既得権を突破しようとした時は、メディアでも応援的なものもあったのに、自分達の利権が脅かされそうになった時の狼狽えようは、多くの人達にメディアの汚さ、そこで飯を喰っている連中の浅ましさを露呈する事になりましたので面白かったと思う人もたくさんいるのではないでしょうか。元社長主導の悪事を、元社員のいい加減な証言をもとに、強調すればするほどデュープロセスの問題が、元社長の責任者としての罪を問題にすればするほど、他の案件との公正さの問題が、それぞれ議論されればいい学びの材料にもなります。それによって民度やメディア・リテラシーが少しでも成熟すれば、いいフックだったのではないでしょうか。
他の案件との不公平感については、そもそも特捜は警察ではありませんので、すべての案件に突っ込んでいくという事は出来ません。もともと不公平と言えば言えない事もない部分をあわせ持ってると思います。わざわざ特捜が動いたのだからおそらく何かでっかい疑獄があるのではないかと当初は思っていた期待が、どうやらなさそうなのはちょっと肩透かしで、スッキリしない部分の理由でもあると思います。沖縄で殺されちゃった人の事はどうなっちゃうのとも思ったり、大山鳴動して鼠一匹感をどうしても感じてしまいます。その鼠一匹もちょっと強引な部分が見えてしまいますし、釈然としない事件だったなあというのが感想です。まあ司法取引などないとは思いたいのですが、この国ではしばしばデュープロセスが無視されているのではないかと感じる法の執行が度々あるように感じます。もしそれが単なる錯覚なのだとしても、もう少しクリアーにしてもらわないと、信用しろと言われても難しいと感じます。検察の優秀さや、使命感を前提にした制度では、どうしても無理があり危険と隣り合わせです。下々の民にいちいち説明したり明確にする必要などない、優秀なお上に任せておけば上手く舵取りをしてやる、と思っているのかもしれませんが、もし厳格に適正手続きを守り、法を執行しているのなら、クリアーにしたって別に何の問題もないはずです。それを隠しておきたいのだとすると、理由は一つしかありません。仮に適正手続きを無視した法の執行が行われているのだとしたら、それは非常に危険な事です。
この後、村上ファンドの問題なども控えてますので、元ライブドア幹部の証言だけが唯一インサイダーの根拠になっているようにも見えます。その元幹部の証言は正しいという事を前提として貫かないとまずいというのがあるのかもしれません。
この国は民主国家です。お上のやる事に間違いはないと呑気に依存するのは危険です。お上も間違う事はあり、しかもその権力は巨大です。適正手続きが少しでも不明瞭であれば、どんなに心証が真っ黒であろうとも有罪にしてはいけないという、百人の罪人を逃そうとも、一人の無辜の民を罰するなかれ、という近代裁判の鉄則を見失ったまま、この国が目覚める事がないなら、いつの日か取り返しのつかない事態も起こりかねないという事に、我々はもう少し敏感であるべきなのではないかと感じます。役人のパターナリズム的、エリート主義的な発想で、国の舵取りをしようなど余計なお世話であり、ルールは守ってくれよ、という依存しない民度と、一定数ノイジーな輩が出て来たからっておたおたせず、冷静に判断出来る思考が必要なのではないかと感じました。
元社長のような存在はある意味歴史的な必然も感じます。自らの権益を守る為に閉鎖的なレギュレーションの上で胡座をかいている連中、私益の為にそれを活用し、牛耳っている人間達に自浄作用など永久に働きそうに見えません。結局そういう人々にとって都合のいい世の中にしかならず、都合のいい制度を変えるわけなどありえない、というどうにもならないニヒリズムが、この国のあらゆる所に蔓延し、それが腐敗を更にブーストさせている部分もあると思います。こんなに面白くもない世の中、制度を逆に利用して、既得権に風穴を開けてやるという風に、行動を起こす人が出て来るのは必然的な感じもしますし、危険信号にも感じます。それを支持した大衆の思いも、悪い事しているかもしれないけれど、そんな事、この国のあらゆる所にある、そういう人々をある種支配している閉鎖感が生み出したものとも言えるのではないでしょうか。小泉前総理と似た部分もあると思います。この程度ならまだ社会的にたいした影響はありませんが、この閉鎖感が今後も更に蔓延していくのだとすると、もっと危険な人物を、大衆は支持してしまう可能性もありますし、敵を設定し政治的なリソースとして悪用される可能性もあります。歴史がその事を証明しており、現にそういった兆候もちらほら顕在化しています。手遅れになるまで変わる事がないのか、歴史はただ繰り返すだけなのか、早いとこその事に気付かないと、先行きは真っ暗です。ホリエモンの判決についてつらつらと書いてみました。