どうしても無視出来ないテーマを発見しました。今日はそれについて書きたいと思います。お題は「ファミコンの思い出」自分がガキの頃の思い出と言えば、基地を作ったとか、少年野球とか、アウトドアのものが殆どですが、数少ないインドアの思い出と言えば、ファミコンかガンプラしかありません。
遊びと言えば外で遊ぶ事が楽しい事であり、室内で遊ぶという事はたいして面白くない、天気が悪いから仕方が無い、友達がみんな用事があって孤独だ、そういう理由でもなければあえて選択する事はありませんでしたし、せいぜいマンガ読むくらいしか、やる事も無い、そういう従来の遊びのフォーマットをがらりと変革させたのが、ファミコンやガンプラだったと思います。ガンプラのようなものは子供の頃であれば誰もが通過する、収集する事を通じて、様々なコミュニケーションが生まれる、今の子供達や、自分らより古い世代の子供達も何かしら収集する事が様々なネタになる、大人でもいつの時代でも、どこの国でも多かれ少なかれある事だと思いますが、ファミコンというのは登場前と、それ以後では劇的な遊びの変化をもたらした、ある種、革命とも言えるくらいの変化でした。今から考えると笑ってしまいますが当時としてはリアルな画像、これでゲーセンにたむろする、恐いお兄さん達にビビリながらゲームをせずにすむ、自宅で好きな時に、いくらでも出来る(もちろん親という制約はありましたが)、そういう夢が実現されたといっても、言い過ぎではないくらいの革命でした。
ファミコンと言えば、子供の頃のその濃密な体験が思い出されますが、自分が思い出す事はどちらかと言えば、面白かったソフト云々よりも、ファミコンを通じたコミュニケーションが忘れられません。良い思いでもありますが、どちらかと言えば、クソゲーを掴まされてグッタリした思い出のほうが強烈に覚えています。
確かお年玉を貰って、ウハウハ状態の正月すぎの冬休み、正月休みが終わったお店に、友人数人でファミコンのカセットを買いにいきました。それぞれ行く前に、今買いたいカセットを論じあい、あれがいいこれが面白いはずだと、リストアップしていきます。そしてそれぞれ貸し借りする事を約束し、誰が何を買うか決めます。かぶる事が無いようにしなければなりません。カセットを手に入れるという事は一大事でしたから、個人が何が欲しいかというのも重要ですが、友人数人が同意しあった面白いと予想されるものの中から、人数分に絞り込み、かぶらないように選ぶという感じでした。
自分は要領もよく少しずるい奴だったので、ゲーセンでやった事のある、アーケードからの移植ものを迷う事無く、いの一番に選んで最悪の事態に備えていました。そこでグズグズ優柔不断に迷ってしまいますと、微妙な選択に陥る危険があるからです。まあ何となくそれでも、話し合いでそれぞれが何を買うか決めていきます。それぞれが何を買うか決まり、ウキウキしながら買いにいき、上手い事手に入れ、意気揚々と友達の家に帰ってきます。そこで一つずつカセットの箱を開け、試しにやっていきます。そのとき友人の一人のゲームが見事なクソゲーだったわけです。その時の友人の絶望に満ちた表情、今でも忘れられません。半泣きしていました。それ以外の友人や自分は何となくバツが悪く、「そんなに落ち込むなよ」とか、「俺のも貸すからさ」とか、「俺のもけっこうつまんねえよな」とか、慰めるのですが、余計クソゲーを掴んでしまった彼の表情は曇っていきます。自分達は申し訳ないような気がしてきますが、決して交換しようなどと言う事も無く、学校が始まってからも、しばらく気まずい状態になってしまいました。
当時のクソゲーは今のクソゲーとは次元が違います。つまんないなんてもんじゃない、ゲームにすらなっていなかったりします。あの頃の凄まじいクソゲーに比べれば、今の少なくとも画像はきれいなクソゲーの方がまだゲームになっているような気がします。しかしだからこそあの頃の中途半端ではないクソゲーが懐かしかったりします。よくこんなゲーム作ったなと思うような凄まじいつまんなさ。金のないガキだったからというのもあるのでしょうが、強烈な体験でした。
大人になった今、五百円とか千円で売っているソフトを見ると、どれくらいつまらないクソゲーなんだろうという、変な好奇心が強くなってしまったのもこういった体験に基づいているのだろうと感じます。
あとドラクエの一作目が一世を風靡したとき、自分は苦手な何が面白いのかサッパリ理解出来ないゲームでした。友人が終わらないと簡単に貸し借り出来ないゲームでしたので、ちょっと置いてけぼりを食った感じでしたが、ドラクエの登場もファミコンの遊び方の新たな次元を切り開いた革命だったかもしれません。
ドラクエを所持している友人の家にみんなで集まり、その次世代のハイテクゲーム、初めて体験するロールプレイングゲームというやつにみんな釘付けでした。自分はちょっと冷めていましたが、そこに集まり興味があるフリをしないと、乗り遅れてしまうので、友人の家に通っていました。物語も佳境に入り、たまたまギャラリーが自分しかいなかったある日、友人に少し俺にもやらせてよ、と頼んだ所「今最後のダンジョンだから、どうせ消せそうも無いしいいよ」と言われ、やらせてもらいました。何が面白いのかサッパリわからないまんまでしたが、物語は重要な局面であるらしい事はわかりました。友達に教えてもらいながら、適当に進めていきますと、大ボスらしき奴が出て来ました。友人は、すげえ、こいつがボスだよきっと、と興奮していました。自分はよくわからないので変わってくれよ、と頼みましたが、せっかくここまで来たんだからやってみなよ、それにどうせ消せるわけないだろうし的な事を言われ、そのまま続けました。しぶとく戦っていると、ボスは本当の姿になり、訳が分からず適当にやっていると、ボスを倒してしまいました。物語が終わり、エンディングをむかえ、当時としては新鮮だった、感動的な音楽に乗せ、まるで映画のようなスタッフロールが流れて行く中、何とも微妙な空気がその場を支配していました。友人と彼の弟、そして自分。友人はやっていいよと許可を与えていますから、責めるに責められませんし、自分はそうは言っても、友人が今までコツコツと積み上げて来たのに、肝心要のおいしい所を自分がかっさらってしまったような、罪悪感もあり、会話少なく微妙な居心地の悪い空気でした。友人の弟はそんな事気が付かないのか、すげえ、消しちゃった、かっけえ、映画みてえ、とはしゃいでいました。友人も自分も、少ない会話ながら、凄いね、とか、これで終わりかな、とか、深く突っ込んだ話をお互いにしないように、表面的な当たり障りの無い会話で場を持たせる事をしていました。そこで彼の母親が夕食だという事を告げてくれたので、その微妙な空気から逃れる事が出来ました。翌日彼は自分でもう一度エンディングをむかえた事を自分に告げて来て、一回消したのみたからスムーズに消せたよとむしろ感謝の言葉をかけてくれたので、何とか救われた気持ちになりました。その後、先に消しちゃってゴメンと謝りましたが、彼も一晩眠って気が晴れていたようで救われました。悶々と考えるのだったら、あの場でとっとと詫びていればよかったと感じたのを覚えています。
ゲームというのはそれまで基本的に時間をかけ、熟練した技術や、情報を競い合うものでしたが、ドラクエの登場によって、時間をかけ、情報を手に入れる事によって、誰もがクリア出来るものに段々変わっていきました。自分は熟練技術系のゲームが好きだったし得意でもあったので、何か寂しく感じていたのかもしれません。
ファミコンと言うと忘れられないネタがつきないのですが。少し後の話です。ファミコンの雑誌に裏技が乗っているのがありました。ファミコンマガジンだか、ファミコン通信だか忘れましたが、毎号いろいろなゲームのウルテク、上上下下左右左右BAのようなコマンド技や、無敵のような大ネタから、些細な小ネタまでが乗っていました。その中にウソテクが一つだけ混じっていて、それが次の号で発表されるシステムでした。それに基づいたコミュニケーションもネタの宝庫です。
友人とどれがインチキか論じるわけです。これはいくらやっても出来ないから、これがウソテクじゃねえか、というような感じです。そういう会話をしていますと、たまに、俺出来たよ的な事を言ってしまう奴がいました。嘘だろとみんなで突っ込むと、出来たと言い張る彼、次の号が出ると、彼の嘘がバレ、しばらくみんなに、お前出来たって言っただろ、と突っ込まれたりしていました。つい得意になって自慢してしまったが為に、後から手痛いしっぺ返しが来る、おかげで嘘はつかない方がいいという事を学びました。
ウソテクで覚えているやつは、忍者じゃじゃ丸君とか言うゲームだったと記憶していますが、二人用のコントローラーに意味の解らないマイクがついていましたよね。そのマイクで、じゃじゃ丸、じゃじゃ丸と言うと、無敵だか、アイテム無限だか、なんだか忘れてしまいましたが、ウハウハ状態になると言うテクニックでした。今考えるとバカバカしくて当たり前だろと思うウソテクですが、友人の家で友人がやっていたのを思い出します。自分が1プレイのコントローラーで動かしながら、友人がマイクに向かって、じゃじゃ丸と叫ぶ、どうしても何も起きないので、自分と交換して、じゃじゃ丸と吹き込む、嘘なんで何も起こらなくて当然なのですが、そんなバカバカしい事をやった記憶があります。次の号に嘘だったという事がのり、友人と二人で、だよな、そんなわけねえよな、と話したのを覚えています。
ファミコンネタはつきませんね、後から後から出てきます。初期ファミコンのボタンは四角ボタンで連射には不向きだったとか、ファミリーベーシックをまんまと買って大失敗こいた奴とか、ディスクシステムにまつわるあれこれとか、いろいろなソフト、高橋名人がバネ入れていたのがバレて掴まった、とか、きりがないですね。きりがないのでそろそろ止めますが最後に一つ。
受験の直前に、友人にファミスタを借りた事を覚えています。友人に手元にあるとやっちゃうから貸してもいいけど借りる?と尋ねられ、まあちょっとくらいなら大丈夫だろと思い、それにファミスタという従来の野球ゲームの常識を打ち破る、異次元のゲームをやってみたいという好奇心に勝てず、借りてしまいました。受験まで後僅かなので、そんなものにかまけている暇は無いのですが、まんまとはまってしまい、勉強など一切手につかず、止まらなくなってしまったのを覚えています。友人も自分も合格したからよかったですが、あのとき自分の理性の弱さを知り、自意識でコントロールしきれない事もあるのだから、物理的に遠ざけないと、自分には無理だと知りました。たかがファミコンですがいろいろと学ぶ事も多かったです。
ファミコンにまつわる思い出をつらつらと書いてみました。
遊びと言えば外で遊ぶ事が楽しい事であり、室内で遊ぶという事はたいして面白くない、天気が悪いから仕方が無い、友達がみんな用事があって孤独だ、そういう理由でもなければあえて選択する事はありませんでしたし、せいぜいマンガ読むくらいしか、やる事も無い、そういう従来の遊びのフォーマットをがらりと変革させたのが、ファミコンやガンプラだったと思います。ガンプラのようなものは子供の頃であれば誰もが通過する、収集する事を通じて、様々なコミュニケーションが生まれる、今の子供達や、自分らより古い世代の子供達も何かしら収集する事が様々なネタになる、大人でもいつの時代でも、どこの国でも多かれ少なかれある事だと思いますが、ファミコンというのは登場前と、それ以後では劇的な遊びの変化をもたらした、ある種、革命とも言えるくらいの変化でした。今から考えると笑ってしまいますが当時としてはリアルな画像、これでゲーセンにたむろする、恐いお兄さん達にビビリながらゲームをせずにすむ、自宅で好きな時に、いくらでも出来る(もちろん親という制約はありましたが)、そういう夢が実現されたといっても、言い過ぎではないくらいの革命でした。
ファミコンと言えば、子供の頃のその濃密な体験が思い出されますが、自分が思い出す事はどちらかと言えば、面白かったソフト云々よりも、ファミコンを通じたコミュニケーションが忘れられません。良い思いでもありますが、どちらかと言えば、クソゲーを掴まされてグッタリした思い出のほうが強烈に覚えています。
確かお年玉を貰って、ウハウハ状態の正月すぎの冬休み、正月休みが終わったお店に、友人数人でファミコンのカセットを買いにいきました。それぞれ行く前に、今買いたいカセットを論じあい、あれがいいこれが面白いはずだと、リストアップしていきます。そしてそれぞれ貸し借りする事を約束し、誰が何を買うか決めます。かぶる事が無いようにしなければなりません。カセットを手に入れるという事は一大事でしたから、個人が何が欲しいかというのも重要ですが、友人数人が同意しあった面白いと予想されるものの中から、人数分に絞り込み、かぶらないように選ぶという感じでした。
自分は要領もよく少しずるい奴だったので、ゲーセンでやった事のある、アーケードからの移植ものを迷う事無く、いの一番に選んで最悪の事態に備えていました。そこでグズグズ優柔不断に迷ってしまいますと、微妙な選択に陥る危険があるからです。まあ何となくそれでも、話し合いでそれぞれが何を買うか決めていきます。それぞれが何を買うか決まり、ウキウキしながら買いにいき、上手い事手に入れ、意気揚々と友達の家に帰ってきます。そこで一つずつカセットの箱を開け、試しにやっていきます。そのとき友人の一人のゲームが見事なクソゲーだったわけです。その時の友人の絶望に満ちた表情、今でも忘れられません。半泣きしていました。それ以外の友人や自分は何となくバツが悪く、「そんなに落ち込むなよ」とか、「俺のも貸すからさ」とか、「俺のもけっこうつまんねえよな」とか、慰めるのですが、余計クソゲーを掴んでしまった彼の表情は曇っていきます。自分達は申し訳ないような気がしてきますが、決して交換しようなどと言う事も無く、学校が始まってからも、しばらく気まずい状態になってしまいました。
当時のクソゲーは今のクソゲーとは次元が違います。つまんないなんてもんじゃない、ゲームにすらなっていなかったりします。あの頃の凄まじいクソゲーに比べれば、今の少なくとも画像はきれいなクソゲーの方がまだゲームになっているような気がします。しかしだからこそあの頃の中途半端ではないクソゲーが懐かしかったりします。よくこんなゲーム作ったなと思うような凄まじいつまんなさ。金のないガキだったからというのもあるのでしょうが、強烈な体験でした。
大人になった今、五百円とか千円で売っているソフトを見ると、どれくらいつまらないクソゲーなんだろうという、変な好奇心が強くなってしまったのもこういった体験に基づいているのだろうと感じます。
あとドラクエの一作目が一世を風靡したとき、自分は苦手な何が面白いのかサッパリ理解出来ないゲームでした。友人が終わらないと簡単に貸し借り出来ないゲームでしたので、ちょっと置いてけぼりを食った感じでしたが、ドラクエの登場もファミコンの遊び方の新たな次元を切り開いた革命だったかもしれません。
ドラクエを所持している友人の家にみんなで集まり、その次世代のハイテクゲーム、初めて体験するロールプレイングゲームというやつにみんな釘付けでした。自分はちょっと冷めていましたが、そこに集まり興味があるフリをしないと、乗り遅れてしまうので、友人の家に通っていました。物語も佳境に入り、たまたまギャラリーが自分しかいなかったある日、友人に少し俺にもやらせてよ、と頼んだ所「今最後のダンジョンだから、どうせ消せそうも無いしいいよ」と言われ、やらせてもらいました。何が面白いのかサッパリわからないまんまでしたが、物語は重要な局面であるらしい事はわかりました。友達に教えてもらいながら、適当に進めていきますと、大ボスらしき奴が出て来ました。友人は、すげえ、こいつがボスだよきっと、と興奮していました。自分はよくわからないので変わってくれよ、と頼みましたが、せっかくここまで来たんだからやってみなよ、それにどうせ消せるわけないだろうし的な事を言われ、そのまま続けました。しぶとく戦っていると、ボスは本当の姿になり、訳が分からず適当にやっていると、ボスを倒してしまいました。物語が終わり、エンディングをむかえ、当時としては新鮮だった、感動的な音楽に乗せ、まるで映画のようなスタッフロールが流れて行く中、何とも微妙な空気がその場を支配していました。友人と彼の弟、そして自分。友人はやっていいよと許可を与えていますから、責めるに責められませんし、自分はそうは言っても、友人が今までコツコツと積み上げて来たのに、肝心要のおいしい所を自分がかっさらってしまったような、罪悪感もあり、会話少なく微妙な居心地の悪い空気でした。友人の弟はそんな事気が付かないのか、すげえ、消しちゃった、かっけえ、映画みてえ、とはしゃいでいました。友人も自分も、少ない会話ながら、凄いね、とか、これで終わりかな、とか、深く突っ込んだ話をお互いにしないように、表面的な当たり障りの無い会話で場を持たせる事をしていました。そこで彼の母親が夕食だという事を告げてくれたので、その微妙な空気から逃れる事が出来ました。翌日彼は自分でもう一度エンディングをむかえた事を自分に告げて来て、一回消したのみたからスムーズに消せたよとむしろ感謝の言葉をかけてくれたので、何とか救われた気持ちになりました。その後、先に消しちゃってゴメンと謝りましたが、彼も一晩眠って気が晴れていたようで救われました。悶々と考えるのだったら、あの場でとっとと詫びていればよかったと感じたのを覚えています。
ゲームというのはそれまで基本的に時間をかけ、熟練した技術や、情報を競い合うものでしたが、ドラクエの登場によって、時間をかけ、情報を手に入れる事によって、誰もがクリア出来るものに段々変わっていきました。自分は熟練技術系のゲームが好きだったし得意でもあったので、何か寂しく感じていたのかもしれません。
ファミコンと言うと忘れられないネタがつきないのですが。少し後の話です。ファミコンの雑誌に裏技が乗っているのがありました。ファミコンマガジンだか、ファミコン通信だか忘れましたが、毎号いろいろなゲームのウルテク、上上下下左右左右BAのようなコマンド技や、無敵のような大ネタから、些細な小ネタまでが乗っていました。その中にウソテクが一つだけ混じっていて、それが次の号で発表されるシステムでした。それに基づいたコミュニケーションもネタの宝庫です。
友人とどれがインチキか論じるわけです。これはいくらやっても出来ないから、これがウソテクじゃねえか、というような感じです。そういう会話をしていますと、たまに、俺出来たよ的な事を言ってしまう奴がいました。嘘だろとみんなで突っ込むと、出来たと言い張る彼、次の号が出ると、彼の嘘がバレ、しばらくみんなに、お前出来たって言っただろ、と突っ込まれたりしていました。つい得意になって自慢してしまったが為に、後から手痛いしっぺ返しが来る、おかげで嘘はつかない方がいいという事を学びました。
ウソテクで覚えているやつは、忍者じゃじゃ丸君とか言うゲームだったと記憶していますが、二人用のコントローラーに意味の解らないマイクがついていましたよね。そのマイクで、じゃじゃ丸、じゃじゃ丸と言うと、無敵だか、アイテム無限だか、なんだか忘れてしまいましたが、ウハウハ状態になると言うテクニックでした。今考えるとバカバカしくて当たり前だろと思うウソテクですが、友人の家で友人がやっていたのを思い出します。自分が1プレイのコントローラーで動かしながら、友人がマイクに向かって、じゃじゃ丸と叫ぶ、どうしても何も起きないので、自分と交換して、じゃじゃ丸と吹き込む、嘘なんで何も起こらなくて当然なのですが、そんなバカバカしい事をやった記憶があります。次の号に嘘だったという事がのり、友人と二人で、だよな、そんなわけねえよな、と話したのを覚えています。
ファミコンネタはつきませんね、後から後から出てきます。初期ファミコンのボタンは四角ボタンで連射には不向きだったとか、ファミリーベーシックをまんまと買って大失敗こいた奴とか、ディスクシステムにまつわるあれこれとか、いろいろなソフト、高橋名人がバネ入れていたのがバレて掴まった、とか、きりがないですね。きりがないのでそろそろ止めますが最後に一つ。
受験の直前に、友人にファミスタを借りた事を覚えています。友人に手元にあるとやっちゃうから貸してもいいけど借りる?と尋ねられ、まあちょっとくらいなら大丈夫だろと思い、それにファミスタという従来の野球ゲームの常識を打ち破る、異次元のゲームをやってみたいという好奇心に勝てず、借りてしまいました。受験まで後僅かなので、そんなものにかまけている暇は無いのですが、まんまとはまってしまい、勉強など一切手につかず、止まらなくなってしまったのを覚えています。友人も自分も合格したからよかったですが、あのとき自分の理性の弱さを知り、自意識でコントロールしきれない事もあるのだから、物理的に遠ざけないと、自分には無理だと知りました。たかがファミコンですがいろいろと学ぶ事も多かったです。
ファミコンにまつわる思い出をつらつらと書いてみました。