グレート・ギャツビー/村上春樹

¥861
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スコット・フィッツジェラルドのグレート・ギャツビー、言わずと知れた名作ですが、最近、村上春樹さんの新訳が発売していた事を知り購入しました。以前旧訳で読んでいた事もあったので、読みたいと言うより、村上春樹さんのものだし、グレート・ギャツビーは以前読んだ時も素敵な本だったと記憶してましたし、何より以前購入したこの本が結構ボロボロになってしまっていたので、とりあえず買っておくかと言う、どちらかと言えば持っていたいという欲求にかられて手に入れた感じでした。読みたい本は他にも後から後から出てきますし、対する時間的な制約というものもありますから、すぐに読まなくてはというプライオリティを感じていたわけではありません。しかしいつものように書籍のまとめ買いをして、どれから読むかなと物色している時に、村上春樹訳のグレート・ギャツビーをとりあえず冒頭の有名な書き出しの所だけでも少し読んでみるかと思い、数ページめくっていると、瞬く間に物語に引き込まれ、一気に最後まで読んでしまいました。以前読んだ時から素敵な作品だとは思っていましたが、村上春樹さんの訳を読んで、この作品がいかに優れた作品だったのかあらためて知る思いでした。村上春樹さんが人生で最も大切な一冊だと公言していた理由が、やっとわかったような気がしました。以前旧訳で読んだ時は、素晴らしい作品である事はわかったけれど、ここまで素晴らしい作品だとは、今思えばわかっていなかったと思います。新訳を読んで、グレート・ギャツビーの自分の中でのランクは飛躍的に飛び上がりました。心から村上春樹さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
グレート・ギャツビー/野崎 孝

¥460
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新訳を読んで、以前はわからなかった空気感がある事に気付きました。会話の面白さや、言葉の美しさとリズム、本当に声を出して笑ってしまう所もありましたし、泣きそうになった所もありました。以前読んだ時よりもダイレクトに心に響いて来たと申しましょうか、やりきれなさや、それでも続いていく人生というものが、より深く、優しく、悲しく、美しく、伝わり、読んで本当によかったという気分になりました。
キャッチャー・イン・ザ・ライ/J.D.サリンジャー

¥1,680
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サリンジャーのキャッチャー・イン・ザ・ライの村上訳を読んだ時の衝撃も凄かったですが、こちらを読んだ時の衝撃の方が上回っています。主人公が自分の実年齢に近いという事もありますし、ただ単にグレート・ギャツビーの方が物語として、好きなだけかもしれませんが。サリンジャーも好きですが、ライ麦畑より、ナイン・ストーリーズやグラース・サーガの方が個人的には大好きです。
ライ麦畑でつかまえて/J.D.サリンジャー

¥550
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ナイン・ストーリーズ/野崎 孝

¥460
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フラニーとゾーイー/野崎 孝

¥500
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大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章/J.D. サリンジャー

¥580
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多くの日本人の場合、外国の文学にふれる時、訳された本を読む事になると思います。原典を読む語学力が足りなかったり、その意欲はあっても時間的な余裕がなかったりで、もちろん自分もそうです。殆ど前者の理由で。自分が過去に出会った、素晴らしいと思っている外国文学も、例えば新訳が出たりすると、これほど見方が変わってしまうのだから、本当はどこまで理解出来ているのか、考えたり想像するとゾクゾクします。自分が素晴らしいと思っている以上のものが、そこにはあるのかもしれないのですから。外国語をもっと真剣に学んでおくべきだったと、原典を原文のまま翻訳というインターフェースを介さずに理解出来る語学力を、身につけている方の事を熟羨ましく感じます。学校の勉強で学んだり、洋楽の歌詞や、洋画を対訳を読みながら学んでいたのでは、原典をスラスラ読む語学力はなかなか身に付かないのではないでしょうか、日本語で考える事なくダイレクトに心に伝わるようになれれば、外国文学ももっと違った読み方が出来るのだろうと思います。羨ましがってないで勉強しろと言われそうですが、全くその通りですね。
例えば外国語を日本語に訳すと、何となく意味が違っているとまではいかなくても、微妙なニュアンスが違うようなギャップを感じる事があります。逆もまたしかりです。日本語のニュアンスを上手く外国語に変換出来ない。強引に変換すると何となく、そう言えばそうかもしれないけれど、なんか違うような感じがする、そう言う事が結構あります。おそらく文化的なバックボーンが違うからなのでしょうが、人は自分の事すらなかなか思い通りに行きません、まして他人の事などそれこそ思い通りになどできません、理解する事だってなかなか難しいと思います。ですから住んでいる国が違って、文化が違って、言葉が違えば、そう簡単にわかりあえるわけありません。せめて言葉だけでも世界中の人が同じ言語でコミュニケーション出来れば、世の中もっと平和になるのではないかと思ってしまいます。
争いは小さな個人的なレベルから、国家間の軋轢による争いまで、戦争も思想の対立も、宗教間の争いも、政治的な対立も、セクショナリズムによる権益争奪戦も、島宇宙の中の鍔迫り合いも、個人のもめ事も、夫婦喧嘩も、子供の喧嘩に至るまで、つまるところコミュニケーションが上手く機能しないから、話し合いでお互いが納得いかないから、相手の言い分に納得がいかないから、話を聞かないから、対立したり争ったりしてしまいます。同じ日本人でも立ち位置によって、立場によって、年代の違いによって、性別によって、異なる言語空間に生き、常識も、現実認識も違います。かろうじて法律によって規定されている部分以外は、道徳も全く変わってしまいます。法律だって解釈の違いがあったりするわけです。現実は所詮それぞれの解釈の中に存在します。日本人であればかろうじて日本語で何を言っているのか、解釈は違ったとしても言葉はわかる。本来それだけが日本人だという共通前提なのではないでしょうか。後は個人個人の環境や能力、経験し学習した事によって、人それぞれ違ってしまっていて、上手くやる為にはコミュニケーションを上手く使いこなし、相手の話を聞き、自分の意志を伝え、わかりあえない事があればお互いの妥協点を見つけ出し折り合いをつける。どうしても理解出来ない他人の事は、自分の利害や尊厳を傷つけてこなければ放っておく。例え我慢出来ない相手がいたとしても、へたに相手にするとろくな目にあいません。その人が法律を犯しているのだとしたら、それは然るべき罰は下るべきですが、その人ともめてもどうにもなりません。警察力や司法プロセスに任せる以外残念ながら選択肢はないのです。有罪になり罰せられるのでなければ、腹が立つかもしれませんが個人的に報復すると、自分が罰せられる可能性が生じてしまいます。他人と争ったりしない為にはそう言う事を頭に叩き込んでおく必要があるかと思います。同じ日本人でさえそれしか共通に通じる前提条件がないのですから、外国の人となればもっと難しくなってしまうのは、それこそ当たり前と言えるのではないでしょうか。だからこそコミュニケーション能力は切実なのだと思います。世界の平和なんて立派な理念に基づかなくとも、外国の素晴らしい文化を知るためだけでも、本当は言語能力は大切なんだなと、外国文学の訳の違いに触れて感じました。こんなに面白い物を、言葉がよく理解出来ないからという理由で味わえないのはもったいないという事です。もちろん日本にも素晴らしいものはたくさんありますから、生きて行くのに困らない程度、楽しむ事は出来るでしょう。しかし他の言語がわかれば楽しみも増えると、そう思ったわけであります。勉強は大切ですね。
それにしてもこのグレート・ギャツビーの面白さ尋常じゃありません、面白すぎます。おそらくアホみたいに繰り返し、線を引いたり、好きなページに印を付けたりして読む事になるだろうと思いますので、愛蔵版を買わなくてはと思っています。
愛蔵版 グレート・ギャツビー/村上春樹

¥2,730
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よく村上春樹さんの小説に出てくる、少しニヒリズムな、そして臆病でありながら、優しく真面目な主人公、厄介な事態に巻き込まれやれやれと思いながら、そこに向き合ってしまう、そう言う人物像の原点がおそらくこのグレートギャツビーに出てくる、キャラウェイという主人公に多少影響を受けているんだろうなと言う事が何となく感じられます。まだこの物語を読んだ事のない方、是非読んでみて下さい。これから村上春樹訳を初めて体験出来る人は羨ましいです。この面白さをこれから味わえるのですから。以前の訳でこの物語の素晴らしさを十分わかっている方、内容知っているし、まあいいやなんて思わないで是非読む事をオススメします。違ったグレート・ギャツビーがそこにあるはずです。村上春樹訳、グレート・ギャツビーを読みそんな事を考えました。

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グレート・ギャツビー/野崎 孝

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新訳を読んで、以前はわからなかった空気感がある事に気付きました。会話の面白さや、言葉の美しさとリズム、本当に声を出して笑ってしまう所もありましたし、泣きそうになった所もありました。以前読んだ時よりもダイレクトに心に響いて来たと申しましょうか、やりきれなさや、それでも続いていく人生というものが、より深く、優しく、悲しく、美しく、伝わり、読んで本当によかったという気分になりました。
キャッチャー・イン・ザ・ライ/J.D.サリンジャー

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サリンジャーのキャッチャー・イン・ザ・ライの村上訳を読んだ時の衝撃も凄かったですが、こちらを読んだ時の衝撃の方が上回っています。主人公が自分の実年齢に近いという事もありますし、ただ単にグレート・ギャツビーの方が物語として、好きなだけかもしれませんが。サリンジャーも好きですが、ライ麦畑より、ナイン・ストーリーズやグラース・サーガの方が個人的には大好きです。
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例えば外国語を日本語に訳すと、何となく意味が違っているとまではいかなくても、微妙なニュアンスが違うようなギャップを感じる事があります。逆もまたしかりです。日本語のニュアンスを上手く外国語に変換出来ない。強引に変換すると何となく、そう言えばそうかもしれないけれど、なんか違うような感じがする、そう言う事が結構あります。おそらく文化的なバックボーンが違うからなのでしょうが、人は自分の事すらなかなか思い通りに行きません、まして他人の事などそれこそ思い通りになどできません、理解する事だってなかなか難しいと思います。ですから住んでいる国が違って、文化が違って、言葉が違えば、そう簡単にわかりあえるわけありません。せめて言葉だけでも世界中の人が同じ言語でコミュニケーション出来れば、世の中もっと平和になるのではないかと思ってしまいます。
争いは小さな個人的なレベルから、国家間の軋轢による争いまで、戦争も思想の対立も、宗教間の争いも、政治的な対立も、セクショナリズムによる権益争奪戦も、島宇宙の中の鍔迫り合いも、個人のもめ事も、夫婦喧嘩も、子供の喧嘩に至るまで、つまるところコミュニケーションが上手く機能しないから、話し合いでお互いが納得いかないから、相手の言い分に納得がいかないから、話を聞かないから、対立したり争ったりしてしまいます。同じ日本人でも立ち位置によって、立場によって、年代の違いによって、性別によって、異なる言語空間に生き、常識も、現実認識も違います。かろうじて法律によって規定されている部分以外は、道徳も全く変わってしまいます。法律だって解釈の違いがあったりするわけです。現実は所詮それぞれの解釈の中に存在します。日本人であればかろうじて日本語で何を言っているのか、解釈は違ったとしても言葉はわかる。本来それだけが日本人だという共通前提なのではないでしょうか。後は個人個人の環境や能力、経験し学習した事によって、人それぞれ違ってしまっていて、上手くやる為にはコミュニケーションを上手く使いこなし、相手の話を聞き、自分の意志を伝え、わかりあえない事があればお互いの妥協点を見つけ出し折り合いをつける。どうしても理解出来ない他人の事は、自分の利害や尊厳を傷つけてこなければ放っておく。例え我慢出来ない相手がいたとしても、へたに相手にするとろくな目にあいません。その人が法律を犯しているのだとしたら、それは然るべき罰は下るべきですが、その人ともめてもどうにもなりません。警察力や司法プロセスに任せる以外残念ながら選択肢はないのです。有罪になり罰せられるのでなければ、腹が立つかもしれませんが個人的に報復すると、自分が罰せられる可能性が生じてしまいます。他人と争ったりしない為にはそう言う事を頭に叩き込んでおく必要があるかと思います。同じ日本人でさえそれしか共通に通じる前提条件がないのですから、外国の人となればもっと難しくなってしまうのは、それこそ当たり前と言えるのではないでしょうか。だからこそコミュニケーション能力は切実なのだと思います。世界の平和なんて立派な理念に基づかなくとも、外国の素晴らしい文化を知るためだけでも、本当は言語能力は大切なんだなと、外国文学の訳の違いに触れて感じました。こんなに面白い物を、言葉がよく理解出来ないからという理由で味わえないのはもったいないという事です。もちろん日本にも素晴らしいものはたくさんありますから、生きて行くのに困らない程度、楽しむ事は出来るでしょう。しかし他の言語がわかれば楽しみも増えると、そう思ったわけであります。勉強は大切ですね。
それにしてもこのグレート・ギャツビーの面白さ尋常じゃありません、面白すぎます。おそらくアホみたいに繰り返し、線を引いたり、好きなページに印を付けたりして読む事になるだろうと思いますので、愛蔵版を買わなくてはと思っています。
愛蔵版 グレート・ギャツビー/村上春樹

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よく村上春樹さんの小説に出てくる、少しニヒリズムな、そして臆病でありながら、優しく真面目な主人公、厄介な事態に巻き込まれやれやれと思いながら、そこに向き合ってしまう、そう言う人物像の原点がおそらくこのグレートギャツビーに出てくる、キャラウェイという主人公に多少影響を受けているんだろうなと言う事が何となく感じられます。まだこの物語を読んだ事のない方、是非読んでみて下さい。これから村上春樹訳を初めて体験出来る人は羨ましいです。この面白さをこれから味わえるのですから。以前の訳でこの物語の素晴らしさを十分わかっている方、内容知っているし、まあいいやなんて思わないで是非読む事をオススメします。違ったグレート・ギャツビーがそこにあるはずです。村上春樹訳、グレート・ギャツビーを読みそんな事を考えました。