まだ旅の余韻が抜けません、ボケーっとしてしまいます。気付くと口が開いています。こんな事ではいけません、シャキッとせねば、と言いつつ温泉を思い出してしまいます。
さて先日、久々に両親と話した所、何でも自分が旅に行っている間に「武士の一分」を見て来たそうです。感想を聞いたら面白かったと言っていました。自分は藤沢周平さんの小説が好きですので、山田洋次監督の三部作、たそがれ清兵衛、隠し剣鬼の爪、の両作品とも見ましたが、二作目を見たかぎり、武士の一分、は見なくてもよいかなと思っておりました。映画館にまでいくかどうかはわかりませんが、両親がおすすめだと、見るべきだと、言っておりますので、レンタルが出たら間違いなく見ようかと思います。
自分は基本的には歴史物の、例えば池波正太郎さんとか、司馬遼太郎さんとか、小説は大好きです。完全なフィクションも好きですが、どちらかと言えば、歴史的事実に基づいたフィクションの方が好きです。ある一方の視点から歴史を描けば、対抗する、勢力や思想は敵になりますが、逆から描けばそれは全く逆で同じ事になります。立場によって、立ち位置によって、歴史への視点が間逆になる所が好きなのかもしれません。そういう所にリアリティを感じます。それと完全なフィクションもそうですが、当時の価値観、風習、そういうものを知るのにも非常に楽しく学ぶ事ができます。学生時代の下らないバカ左翼教師が教える歴史の授業より、何十倍も楽しく学べるのではないでしょうか。
しかしそういうものを映像化するとなると問題です。見るに耐えない腐れ時代劇が溢れています。水戸黄門位開き直っていれば、興味も全くありませんし、観なくて済みますが、功名が辻のように、映像化すると面白くも何ともないクソ脚本と、無理のあるキャスティングで、小説の面白さや素晴らしさを、滅茶苦茶にしてくれる映像が溢れているのが厄介です。椿三十郎までリメイクしようとしているアホまで出て来ています。三十郎が織田裕二で、室戸半兵衛がトヨエツって、冗談で言っているのならいいのですが、全く困ったもんです。黒沢作品をリメイクするなどと言う大それた自殺行為をする方の事は別として、時代物を映像化、しかも映画となると、黒澤明さんというとてつもない巨匠の残した偉大な作品のおかげで、時代物というだけで、それと比べられてしまうという、非常に気の毒な宿命をあらかじめ背負う事になるのもかわいそうといえばかわいそうですが。
というわけで最近の時代物には全く期待も興味も持っていません。しかしそういう不毛な作品群の中で、ごくたまに輝きを持った傑作が現れる事もあります。自分は特に時代物にアンテナを立てているわけではありませんので、知らない作品も多いと思います。そういう中で、少し前の話になりますが、たそがれ清兵衛、を観た当時、山田洋次監督というのは素晴らしい才能を持った、数少ない日本の映画監督の中の一人である事は間違いないと感じました。時代物ではなくても、最近の邦画の腐れ具合は殆ど絶望的です。観賞に堪えないもの、観る事自体、苦痛、苦役、希望の全く見えない、暗黒の作品群に溢れています。素晴らしい作品もありますが、そういうものは得てして興行的に恵まれないのが現状です。メインストリームにあがってくる、興行的に成功を収めるものほど腐りきっています。作っている方々や、鑑賞している方々が絶望を感じなければ、そこに希望は見えてきません。興行的にも成功をおさめ、映画のクオリティも素晴らしいという、非常に稀な輝きを放った作品の一つとして、山田洋次監督の、たそがれ清兵衛、はあったと言えるのではないでしょうか。
たそがれ清兵衛/真田広之

¥3,164
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衰退産業である時代劇、一部のファン以外は見向きもしない市場を、素晴らしい脚本と非常に丁寧な演出で、観るものを惹き付けた山田洋次監督の手腕は素晴らしいと感じました。何より絶対再現不可能とされた藤沢周平さんの作品をここまで昇華し、読者たちもこれなら文句のいいようもないのではないか、というくらい完璧に自分は感じました。山田洋次さんと言うと、男はつらいよ、というイメージでしたが、こんなに凄い監督さんなんだ、だてにたくさんシリーズをとり続けていたわけではないんだな、男はつらいよ、という作品に商業的にも国民感情的にも、この国の映画産業や、マジョリティは甘えて来たけれど、とんでもない才能を食い潰して来たんじゃないか、とちょっとゾッとしました。男はつらいよと言う作品自体、真剣に全部観た事はありませんが、子供の頃から何かとテレビでもやっていましたので、どういうものかはわかっていますし、それが楽しい作品だというのもわかります。毎度おなじみの展開の中にも、例えば、寅さんとタコ社長の喧嘩のシーンや、とらやに寅さんが帰ってくるときの、毎度毎度のエピソード、わざと前を通り過ぎて、気付かないふりをしてみたり、お店のすぐ近くから電話をかけたり、ベタベタですが万人に愛される理由も十分承知しています。しかしあれだけ長い期間、全く同じようなシリーズを、山田監督に撮らせ続ける事が、果たしてこの国の映画産業にとって本当によかったのかと言うと、若干残念な気もします。そういう風に、たそがれ清兵衛を観た時に思いました。
隠し剣 鬼の爪/永瀬正敏

¥2,196
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そして当然のように、二作目である、隠し剣鬼の爪、も期待に胸を膨らませみましたが、これはちょっと期待はずれでした。演出脚本ともに素晴らしいのですが、たそがれ清兵衛、を観ていれば、別に観なくてもよかったかもしれないと思いました。つまらないとか駄作だなんて言うほど酷いものじゃありませんが、たそがれほどのインパクトはありませんでした。期待が大きすぎたのかもしれません。役者さん達の演技も素晴らしいのですが、たそがれの時と比べますと、やっぱり何か足りない。一作目の真田広之さんは別に好きな俳優さんではありませんでしたが、二作目の永瀬正敏さんと比べると、一枚上手なのかなと感じました。永瀬さんの方が、若いし男前です。自分はどちらかと言うと、真田さんはカッコいいとは思いませんが、永瀬さんはカッコいいと思います。しかし役者としては、真田さんが凄すぎた為か、永瀬さんの素晴らしい演技も何か足りない感じがしてしまいました。ヒロインもそうです。宮沢りえさんの事は、きれいな方だとは思いますが、別に好きでもありませんし、何とも思いませんが、やはり演技では、松たか子さんより一枚も二枚も上手なのかなと思いました。自分は松たか子さんの事をこの作品を観るまで、きれいな方だと感じた事もありませんでした、演技も上手な方だとは全く思っていませんでしたが、山田洋次監督の手にかかるとここまで美しくなるのかと、自分は今まで何を観ていたんだと、松たか子さんの美しさを初めて実感する事が出来ましたが、それでも一作目の宮沢りえさんと比べてしまうと、役不足な感じは否めませんでした。映画の役者さんは、やはりカッコいいとかきれいとかも、もちろん必要な要素だと思います。しかし演技力というのがまず第一なのだという事を感じました。テレビドラマならば気にならないかもしれませんが、映画となるとそうはいきません。コトー先生の吉岡さんも二作目に出ていますが、テレビでは気になりませんが、映画ですとちょっと厳しいのかなとも思いました。山田洋次監督とは長い付き合いなのでしょうが、今イチでした。映画でももう少しレベルの低い監督が作る作品ならば、十分演技力が光るのかもしれませんが、素晴らしい監督、素晴らしい演出と脚本と張り合うとなると、役者のあらが目立ちます。それに二作目はオチもちょっと突っ込みたくなるようなオチでしたので、強引すぎる展開も気になりました。自分はつい必殺シリーズを思い出してしまいました。梅安先生とか、平内さんとか、市松とか、まあわかる方も少ないと思いますのでこの話は置いといて、役者の演技力不足も結局監督の責任になると思いますので、二作目を観たかぎり、山田洋次監督の素晴らしさにちょっと期待しすぎたのかなと、ちょっとがっかりしてしまいました。そうは言っても、そのレベルが他のレベルの低い監督さんに比べれば、遥かに高い雲の上なのですけれども。凡人の観客が偉そうかもしれませんが、金を払って観ている以上、観客にはそういう事を言う権利があります。
そこで三作目である、武士の一分、が話題になっていますが、この作品で非常に気になる点は、二作目よりさらにクオリティーが下がっているのではないかという心配です。もちろん脚本、演出という事ではなく、役者さんの演技力という意味においてです。木村拓哉さんは非常に魅力的な方だというのは、万人の知る所でしょうし、自分は同年代ですので、木村さんを観ると、格好良さを維持している事も凄いと思いますし、一本筋の通った感じも他の同年代の方とは、異質の輝きを放っているとは思います。しかしあの男前な格好良さ、あの熱い演技が、ひょっとするとネックになるんじゃないか、と感じてしまったりするわけです。予告編などを観ても、それが気になりました。どうしても三部作という事で、前作、前々作と比べずにはいられません。一作目が完璧に近かったせいで、二作目のちょっとしたあらが気になったように、そういうフィルターがどうしてもかかってしまう事は避けられないと思うからです。それは木村拓哉さんの格好良さとは無関係の所で、演技力が前二作の主人公より素晴らしい可能性は低いのではないかという事です。それがちょっと躊躇してしまう理由かもしれません。映画館に行くかどうかは迷う所ですが、レンタルでは間違いなく観るでしょうから、映画に行けばよかったと思うか、行かなくてよかったと思うか、楽しみではあります。これで一応三部作は完結しますので、山田洋次監督には更なるチャレンジをしてもらいたいと思いますし、観客として是非観てみたいとも思います。現代物でも時代物でも、全く違うモチーフで作品を作れば、時代物であり藤沢作品であるがゆえに比べてしまうという事もありませんから、観客は勝手なもので庄内弁もさすがに三作もやれば飽きてしまうのではないでしょうか。同じフォーマットで作り続けるのが得意な監督さんなのかもしれませんが、チャレンジしている作品が是非みたいと思う人は多いはずですし、それがこの腐りきった邦画の溢れている昨今にくさびを打ち込む事にもなります。偉大な巨匠であるにもかかわらず守りに入らない姿勢、カッコいいではありませんか。なかなか実績のない監督さんではそうはいきません、ビジネスとして成功しない事には偉そうな事は言えません、しかし山田洋次監督のブランドは、それだけで商業的な成功も約束されています。そういう方だからこそ、ご自分の作りたいように作品も作れるのではないでしょうか。そういう淡い希望を抱いてしまう、素晴らしい才能の監督さんだと思います。
しかしこの手の作品が最近もてはやされる風潮と、インチキ保守的な、自分達の先祖も素晴らしかったんだと誇りを持ちたい輩が増えている現状に、どこか需給の一致を感じます。バカ左翼的な、自分達の先祖を悪人呼ばわりして悪し様にする振る舞いは許せませんが、必要以上に武士道や、過去のこの国を美化しようとする感覚にも賛同しかねます。バランスのとれた歴史への視座は大切です。武士道を日本人の拠り所とするのは気持ちがいいのかもしれませんが、そんなものはもうとっくにこの国は捨て去ってしまっています。憧れているだけで、そういう精神構造の負の部分しか受け継いでおりません。良い所にだけ光を当てるのは気持ちがいいかもしれませんが、あくまでフィクションなんだという事を自覚するのが大切だと思います。その話を書き出しますとまた長くなりそうですので、その辺の話はまた別の機会にという事で、両親に、武士の一分、の自慢話をされて、そんな事をおもいました。
さて先日、久々に両親と話した所、何でも自分が旅に行っている間に「武士の一分」を見て来たそうです。感想を聞いたら面白かったと言っていました。自分は藤沢周平さんの小説が好きですので、山田洋次監督の三部作、たそがれ清兵衛、隠し剣鬼の爪、の両作品とも見ましたが、二作目を見たかぎり、武士の一分、は見なくてもよいかなと思っておりました。映画館にまでいくかどうかはわかりませんが、両親がおすすめだと、見るべきだと、言っておりますので、レンタルが出たら間違いなく見ようかと思います。
自分は基本的には歴史物の、例えば池波正太郎さんとか、司馬遼太郎さんとか、小説は大好きです。完全なフィクションも好きですが、どちらかと言えば、歴史的事実に基づいたフィクションの方が好きです。ある一方の視点から歴史を描けば、対抗する、勢力や思想は敵になりますが、逆から描けばそれは全く逆で同じ事になります。立場によって、立ち位置によって、歴史への視点が間逆になる所が好きなのかもしれません。そういう所にリアリティを感じます。それと完全なフィクションもそうですが、当時の価値観、風習、そういうものを知るのにも非常に楽しく学ぶ事ができます。学生時代の下らないバカ左翼教師が教える歴史の授業より、何十倍も楽しく学べるのではないでしょうか。
しかしそういうものを映像化するとなると問題です。見るに耐えない腐れ時代劇が溢れています。水戸黄門位開き直っていれば、興味も全くありませんし、観なくて済みますが、功名が辻のように、映像化すると面白くも何ともないクソ脚本と、無理のあるキャスティングで、小説の面白さや素晴らしさを、滅茶苦茶にしてくれる映像が溢れているのが厄介です。椿三十郎までリメイクしようとしているアホまで出て来ています。三十郎が織田裕二で、室戸半兵衛がトヨエツって、冗談で言っているのならいいのですが、全く困ったもんです。黒沢作品をリメイクするなどと言う大それた自殺行為をする方の事は別として、時代物を映像化、しかも映画となると、黒澤明さんというとてつもない巨匠の残した偉大な作品のおかげで、時代物というだけで、それと比べられてしまうという、非常に気の毒な宿命をあらかじめ背負う事になるのもかわいそうといえばかわいそうですが。
というわけで最近の時代物には全く期待も興味も持っていません。しかしそういう不毛な作品群の中で、ごくたまに輝きを持った傑作が現れる事もあります。自分は特に時代物にアンテナを立てているわけではありませんので、知らない作品も多いと思います。そういう中で、少し前の話になりますが、たそがれ清兵衛、を観た当時、山田洋次監督というのは素晴らしい才能を持った、数少ない日本の映画監督の中の一人である事は間違いないと感じました。時代物ではなくても、最近の邦画の腐れ具合は殆ど絶望的です。観賞に堪えないもの、観る事自体、苦痛、苦役、希望の全く見えない、暗黒の作品群に溢れています。素晴らしい作品もありますが、そういうものは得てして興行的に恵まれないのが現状です。メインストリームにあがってくる、興行的に成功を収めるものほど腐りきっています。作っている方々や、鑑賞している方々が絶望を感じなければ、そこに希望は見えてきません。興行的にも成功をおさめ、映画のクオリティも素晴らしいという、非常に稀な輝きを放った作品の一つとして、山田洋次監督の、たそがれ清兵衛、はあったと言えるのではないでしょうか。
たそがれ清兵衛/真田広之

¥3,164
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衰退産業である時代劇、一部のファン以外は見向きもしない市場を、素晴らしい脚本と非常に丁寧な演出で、観るものを惹き付けた山田洋次監督の手腕は素晴らしいと感じました。何より絶対再現不可能とされた藤沢周平さんの作品をここまで昇華し、読者たちもこれなら文句のいいようもないのではないか、というくらい完璧に自分は感じました。山田洋次さんと言うと、男はつらいよ、というイメージでしたが、こんなに凄い監督さんなんだ、だてにたくさんシリーズをとり続けていたわけではないんだな、男はつらいよ、という作品に商業的にも国民感情的にも、この国の映画産業や、マジョリティは甘えて来たけれど、とんでもない才能を食い潰して来たんじゃないか、とちょっとゾッとしました。男はつらいよと言う作品自体、真剣に全部観た事はありませんが、子供の頃から何かとテレビでもやっていましたので、どういうものかはわかっていますし、それが楽しい作品だというのもわかります。毎度おなじみの展開の中にも、例えば、寅さんとタコ社長の喧嘩のシーンや、とらやに寅さんが帰ってくるときの、毎度毎度のエピソード、わざと前を通り過ぎて、気付かないふりをしてみたり、お店のすぐ近くから電話をかけたり、ベタベタですが万人に愛される理由も十分承知しています。しかしあれだけ長い期間、全く同じようなシリーズを、山田監督に撮らせ続ける事が、果たしてこの国の映画産業にとって本当によかったのかと言うと、若干残念な気もします。そういう風に、たそがれ清兵衛を観た時に思いました。
隠し剣 鬼の爪/永瀬正敏

¥2,196
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そして当然のように、二作目である、隠し剣鬼の爪、も期待に胸を膨らませみましたが、これはちょっと期待はずれでした。演出脚本ともに素晴らしいのですが、たそがれ清兵衛、を観ていれば、別に観なくてもよかったかもしれないと思いました。つまらないとか駄作だなんて言うほど酷いものじゃありませんが、たそがれほどのインパクトはありませんでした。期待が大きすぎたのかもしれません。役者さん達の演技も素晴らしいのですが、たそがれの時と比べますと、やっぱり何か足りない。一作目の真田広之さんは別に好きな俳優さんではありませんでしたが、二作目の永瀬正敏さんと比べると、一枚上手なのかなと感じました。永瀬さんの方が、若いし男前です。自分はどちらかと言うと、真田さんはカッコいいとは思いませんが、永瀬さんはカッコいいと思います。しかし役者としては、真田さんが凄すぎた為か、永瀬さんの素晴らしい演技も何か足りない感じがしてしまいました。ヒロインもそうです。宮沢りえさんの事は、きれいな方だとは思いますが、別に好きでもありませんし、何とも思いませんが、やはり演技では、松たか子さんより一枚も二枚も上手なのかなと思いました。自分は松たか子さんの事をこの作品を観るまで、きれいな方だと感じた事もありませんでした、演技も上手な方だとは全く思っていませんでしたが、山田洋次監督の手にかかるとここまで美しくなるのかと、自分は今まで何を観ていたんだと、松たか子さんの美しさを初めて実感する事が出来ましたが、それでも一作目の宮沢りえさんと比べてしまうと、役不足な感じは否めませんでした。映画の役者さんは、やはりカッコいいとかきれいとかも、もちろん必要な要素だと思います。しかし演技力というのがまず第一なのだという事を感じました。テレビドラマならば気にならないかもしれませんが、映画となるとそうはいきません。コトー先生の吉岡さんも二作目に出ていますが、テレビでは気になりませんが、映画ですとちょっと厳しいのかなとも思いました。山田洋次監督とは長い付き合いなのでしょうが、今イチでした。映画でももう少しレベルの低い監督が作る作品ならば、十分演技力が光るのかもしれませんが、素晴らしい監督、素晴らしい演出と脚本と張り合うとなると、役者のあらが目立ちます。それに二作目はオチもちょっと突っ込みたくなるようなオチでしたので、強引すぎる展開も気になりました。自分はつい必殺シリーズを思い出してしまいました。梅安先生とか、平内さんとか、市松とか、まあわかる方も少ないと思いますのでこの話は置いといて、役者の演技力不足も結局監督の責任になると思いますので、二作目を観たかぎり、山田洋次監督の素晴らしさにちょっと期待しすぎたのかなと、ちょっとがっかりしてしまいました。そうは言っても、そのレベルが他のレベルの低い監督さんに比べれば、遥かに高い雲の上なのですけれども。凡人の観客が偉そうかもしれませんが、金を払って観ている以上、観客にはそういう事を言う権利があります。
そこで三作目である、武士の一分、が話題になっていますが、この作品で非常に気になる点は、二作目よりさらにクオリティーが下がっているのではないかという心配です。もちろん脚本、演出という事ではなく、役者さんの演技力という意味においてです。木村拓哉さんは非常に魅力的な方だというのは、万人の知る所でしょうし、自分は同年代ですので、木村さんを観ると、格好良さを維持している事も凄いと思いますし、一本筋の通った感じも他の同年代の方とは、異質の輝きを放っているとは思います。しかしあの男前な格好良さ、あの熱い演技が、ひょっとするとネックになるんじゃないか、と感じてしまったりするわけです。予告編などを観ても、それが気になりました。どうしても三部作という事で、前作、前々作と比べずにはいられません。一作目が完璧に近かったせいで、二作目のちょっとしたあらが気になったように、そういうフィルターがどうしてもかかってしまう事は避けられないと思うからです。それは木村拓哉さんの格好良さとは無関係の所で、演技力が前二作の主人公より素晴らしい可能性は低いのではないかという事です。それがちょっと躊躇してしまう理由かもしれません。映画館に行くかどうかは迷う所ですが、レンタルでは間違いなく観るでしょうから、映画に行けばよかったと思うか、行かなくてよかったと思うか、楽しみではあります。これで一応三部作は完結しますので、山田洋次監督には更なるチャレンジをしてもらいたいと思いますし、観客として是非観てみたいとも思います。現代物でも時代物でも、全く違うモチーフで作品を作れば、時代物であり藤沢作品であるがゆえに比べてしまうという事もありませんから、観客は勝手なもので庄内弁もさすがに三作もやれば飽きてしまうのではないでしょうか。同じフォーマットで作り続けるのが得意な監督さんなのかもしれませんが、チャレンジしている作品が是非みたいと思う人は多いはずですし、それがこの腐りきった邦画の溢れている昨今にくさびを打ち込む事にもなります。偉大な巨匠であるにもかかわらず守りに入らない姿勢、カッコいいではありませんか。なかなか実績のない監督さんではそうはいきません、ビジネスとして成功しない事には偉そうな事は言えません、しかし山田洋次監督のブランドは、それだけで商業的な成功も約束されています。そういう方だからこそ、ご自分の作りたいように作品も作れるのではないでしょうか。そういう淡い希望を抱いてしまう、素晴らしい才能の監督さんだと思います。
しかしこの手の作品が最近もてはやされる風潮と、インチキ保守的な、自分達の先祖も素晴らしかったんだと誇りを持ちたい輩が増えている現状に、どこか需給の一致を感じます。バカ左翼的な、自分達の先祖を悪人呼ばわりして悪し様にする振る舞いは許せませんが、必要以上に武士道や、過去のこの国を美化しようとする感覚にも賛同しかねます。バランスのとれた歴史への視座は大切です。武士道を日本人の拠り所とするのは気持ちがいいのかもしれませんが、そんなものはもうとっくにこの国は捨て去ってしまっています。憧れているだけで、そういう精神構造の負の部分しか受け継いでおりません。良い所にだけ光を当てるのは気持ちがいいかもしれませんが、あくまでフィクションなんだという事を自覚するのが大切だと思います。その話を書き出しますとまた長くなりそうですので、その辺の話はまた別の機会にという事で、両親に、武士の一分、の自慢話をされて、そんな事をおもいました。