ある子供/ジェレミー・レニエ

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音楽なし、エンターテイメント性なし、何じゃこりゃーって感じです。本日は、ある子供、について書こうと思います。まるでドキュメントを見ているような乾いたタッチで、否、ドキュメントなんかよりもっと乾いたタッチで、リアルに、そして冷たくも、暖かくもなく、温度がない機械的な目線で、どんな感情移入もシャットアウトするかのように、物語を切り取っていきます。主人公の無責任さ、バカっぷりに、腹を立てる暇もなく物語は進んでいき、タイトルが何を意味しているのか、物語が進むにつれ、ああそういう事なのね、とわかってきます。主人公の情けなさ、駄目っぷりが、淡々と描かれ、同情する暇も、蔑む暇もなく、物語は終わりを迎え、無音のスタッフロールは流れていく。
見ていて思ったのですが、この乾いた描き方、観客に何か感情的なものを、全く伝えようとしていない。感動させようとか、怒りを感じさせようとか、涙を誘おうとか、哀れみを誘おうとか、そういう意図が全く感じられない、距離感のある乾いた描き方でした。感じるのは観客で、好きなように感じて下さい、そういう風に自分は感じました。音楽がなかったのも、感情移入をシャットアウトするために効果的だったと思います。そういう情緒を揺さぶるような演出を、出来うるかぎり排除してしまうと、当然主人公に対して抱くべき、一般的な感情のあり方が、自分の中でズレている事に気が付きます。普段見ている映画、ドキュメント、テレビなどは、見ている人間の情緒を揺さぶるフックとして、様々な演出や音楽などを効果的に使います。この国のテレビ、映画、ドキュメント、様々な映像はそういった面が強すぎて、自分は辟易しているのですが、そういった演出が全く取り払われてしまうと、自分も少なからず、普段の情緒を誘う演出にいかに影響を受けているかがわかります。笑うべき所ではないような展開の部分で笑ってしまったりしてしまうのです。
映画やドラマなどで、ある演出によって見ているものが同じ感情を共有する。そのこと自体よくある事ですし、それが他人との会話のフックとなって、共通に盛り上がれるネタになったりするのだと思います。逆の意味でもです。ええあんなんじゃ感動出来ねえよ、そういう感じで。しかし自分のような、お涙ちょうだいクソ喰らえ主義者が不用意に発言すると、変わっているとか言われてしまったり、本当に感動して泣いた人などから反感を買う事になるので、自分も実際の人間関係では、あまり人が感動したものを、どんなにクソだと思っても、ボロクソに言う事は控えるようにしています。自分と感性が近い人ならばいいのですが、冗談の通じない、本気で怒ってくる人がいたりするので注意が必要です。
以前、タイタニックって映画がありました。当時自分の周りでも、人気があって、よく「絶対に見た方がいいですよ」とか「絶対感動して泣けますよ」とか言われました。そういう風に言われると、なんか意地になってしまい、絶対見てたまるか、と貸してくれると言われても見ませんでした。なぜ見なかったかと言えば、まあ内容はテレビでだいたいわかってしまっているわけだし、周りの人達の感想を聞いていれば、見るまでもないだろうというのもありましたし、ジェームス・キャメロンの映画は、ターミネーターやエイリアン2を見ていたので、想像つきましたし、当時は特にハリウッド的な映画が大っ嫌いな時期というのもあって、興味も全くなく、時間の無駄だと思い、機会があったら見るよ、とか、後で暇なとき借りてみて見るよ、なんて適当に誤摩化していました。数年たち、誰もがその存在を忘れかけていた頃、たまたまテレビで、ディカプリオが出ている、船を舞台にした映画がやっていましたので、これがあのタイタニックというやつか、と思いながら暇だったので見ていると、まあ見なくて正解だったというのが、一番の感想ですが、ヒロインの女優さんにイライラしてしまい、主人公が死んだのは、全部こいつのせいじゃないか、と腹を立て、最後に主人公が冷たい海のなかで死んでいく所なんか、酷い女だ、寝てやがる、ちょっとは変わってやれよ、なんて思いました。そしてその感想を以前自分に勧めてくれた人達に言ってみると、そういう見方をしちゃ行けないよ、野暮だぜ、そんな感じで言われてしまいました。自分と同じ感想を持っている人が全くいなかったかと言えば、多少いたのですが、それでも圧倒的少数でした。自分はズレているんだと気付いてはいましたが、その時改めてその事を再確認しました。
映画やドラマなど、感動物語で感動的な演出をして、見た人間がそういう方向に感情が動くように、マインドコントロールするのは、まあエンターテイメントですし、自分のような変わり者は見ない選択も出来ますし、他に好きな映画がいくらでもありますので構いませんが、現実というのは、感動的な演出もありませんし、情緒的な音楽が効果的に流れたりはしません。ですから見方は人それぞれになってしかるべきです。しかし報道などで情緒的な演出を加えますと、簡単に引っかかって、世論が回れ右になりがちです。例えば非常識かもしれませんが、最近飲酒運転での死亡事故が問題になっています。法的な不整備の為、飲酒をさましてから出頭する方が多く、その事が死亡に繋がっているとか。死んでしまった方は冗談じゃないでしょうし、ご遺族の方は悲しみにくれ、腹立たしく思ってらっしゃるでしょう。自分の周りの人間がそうなったら、自分も怒り狂うと思います。飲食店が悪い、という風潮も出て来ていますが、冷静に考えましょう。悪者は誰か。
自分は飲食店に勤めていた事もあり、このニュースで大騒ぎしている時、非常識かもしれませんが、真っ先に頭に浮かんだのは、テレビがこれだけ叩いたら、売り上げ悲惨だろうな、そう思いました。例えば山奥の村で寄り合いや集まりがあれば、酒が出るのは当たり前で、タクシーももちろんないし、車で行かなきゃとても行ける距離じゃないしという、そういう所に住んでいらっしゃる方だってたくさんいます。都会に住んでいて、もちろん車など持つ必要もなく、交通機関が発達している所に住んでいる方々は、飲酒運転けしからんとなるのはわかりますが、それはご自分に影響がなくて初めて言える事です。飲食店で働き家族を養っている方々だってたくさんいるのです。それだって酒飲んだやつが、事故起こしたら、飲ませる方にも原因があるのは当たり前だろ、そういう意見が聞こえそうですが、悪いのは誰でしょう、商売でお酒を飲ます、飲食店が悪いのでしょうか、飲酒を止めなかった同僚が悪いのでしょうか、車を売っているメーカーや販売店が悪いのでしょうか、飲酒しても乗れるような仕組みの車の設計がいけないのでしょうか、お酒を飲むこと自体が違法じゃないのがいけないのでしょうか、お酒を造っているメーカーが悪いのでしょうか、お酒など飲んでうだうだしているやつが悪いのでしょうか、お酒なしでは生きられない社会の不条理がいけないのでしょうか、ちなみに自分はお酒に全く興味がありませんので、禁酒法が出来てもいっこうに構いません。悪いのは誰でしょう、簡単です、法律を破った加害者です。そしてそれを取り締まる事が出来ない法の不整備です。本来それだけが問題で後はたいした問題じゃありません。お酒を飲んで車に乗ってはいけないなんて事は、車の免許を持っていなくても、小学生にだってわかる話です。
しかしメディアや、それに煽られた世論は、加害者だけでは満足せず、更なる生け贄を求めます。法律の不整備は国家権力の責任ですので、叩く事は容易ですが、なかなか変わりにくいと思います。自動車関連はテレビのスポンサーという事もあるので、いつも知らん顔しています。SUV車、スポーツ・ユーティリティー・ビーグルのような車を平気な顔して売っていますが、あんなもんに引かれたら死ぬのは当たり前です。公道を走るのに必要のないものがたくさんついています。スピード違反で掴まった経験のある方も世の中にたくさんいると思いますが、なぜ車のスピード自体を法廷速度以上出ないような設計にしないのでしょう。リミッターをつけるとか方法はあるはずです。法廷速度以上でる車を売って、後は乗り手の判断に任すのと、お酒を売って、後はお客の判断に任せる事と、何がどう違うのでしょうか。法廷速度とまでいかなくとも、100キロ以上スピードが出る必要性が自分にはよくわかりません。お酒を作っている所も会社がでかくスポンサーですので、これまた及び腰です、そうなると一番弱い、飲食店や同席した同僚、個人という事になります、それらはスポンサーではありませんのでメディアが叩きやすいのは間違いありません。メディアは、とりあえず被害者感情や、それを見て憤りを感じている国民のスッキリ感や満足感を得て、視聴率や部数をあげる為に煽り、生け贄として何かを祭り上げ、徹底的に叩き、国民のガス抜きをするという事をよくやります。国家権力もそうやって国民のガス抜きが出来れば、政権の不人気には繋がらないので知らん顔しています。
よく考えましょう、被害者が可愛そう、加害者が憎い、という感情はわからなくはありませんが、第三者には関係のない話です。法律が裁く事で我々には関係ありません。被害者とそのご家族の無念は想像するしか出来ませんが、辛く悲しいでしょうし、そのケアはもちろん必要です。そして加害者を憎む感情も簡単にはおさまらないでしょう。当たり前ですが、加害者は罪を犯したのだから、それを償うのは当然だと思います。しかし加害者にも家族はいます。そして飲酒を勧めてしまった、同席した方にももちろん家族はいます。当然、飲食店に従事する経営者、従業員、その家族、そういう方々だっているのです。税金で養っている公務員を叩くのなら構わないと思いますし、国民にはその権利があります。株主が、その保有している株式会社に文句を言うのは当たり前です。しかし、我々と被害者、加害者、同僚、飲食店、それぞれのご家族とは何の繋がりもありません。我々がとやかく言う権利はないのです。自分が同じような事をしないように、また被害に遭わないように、気をつけるしかありません。世の中、公務員なんか知らん顔してますし、会社は株主の為にあるんじゃないんだ、なんてなりがちです、困ったものですが。もちろん近所の飲食店にガラの悪い連中が集まっていて、とてもうるさく、平気な顔して飲酒運転をガンガンやっている、そういう所に住んでいらっしゃる方は、冗談じゃねえぜ、と思うかもしれませんが、そういうモラルのない方々はまた別の問題です。一部にそういう人がいるから、全部取り締まれでは、法治国家とは言えません。法律を犯したり、他人に迷惑をかけた人は取り締まるべきですが、そうでないのに同罪では、あまりにも理不尽なのではないでしょうか。
どんなに法律を厳罰化しようが、軽かろうが、飲酒運転なんてやらない人は絶対にやりません。お酒が飲めない人は破りようがありませんし、自家用車を必要としない人も無理に決まっています。また自家用車を持っていても、やらない人は絶対にやりません。何かあったら元も子もないと想像出来れば恐ろしくて出来ないはずです。しかしやる人は、どんなに厳罰化してもやります。何かあると想像出来ないからです。自分は大丈夫だと、そういう人は法律でどんなに縛っても、必ずいなくなりません。しかしそういう人の想像力のなさを我々は笑う事が出来るのでしょうか、断罪する事ができるのでしょうか、感情を煽るマーケティングに引っかかって、ある日突然自分の家族が、加害者になってしまった事、飲酒を同僚に勧めてしまった事、飲食店で生計を立てている事、そういう事を想像出来ないのとあまり変わらないのではないでしょうか、想像力の欠如は恐ろしい結果を引き起こします。
厳罰化すればいいってもんじゃありません、自分は掴まりっこねえぜ、と思っている人には通用しませんし、厳しく取り締まれば上手くいくかと言えば、必ずしもそうならないのが世の中です。売春は犯罪だ、不浄だ、女性差別だ、そうやって取り締まったあげく、どうなっているでしょう。風俗は本当にイリーガルじゃないって思っているバカが世の中にどれだけいるのでしょうか、援助交際なんて問題もありましたし、デリヘルのようなものも蔓延しています。世の中需要があるかぎり、必ず供給を必要とします。男がスケベなのは止めようがありません。それは本能だからです。そういうものを犯罪として取り締まれば、余計アンダーグランド化してしまいかえって取り締まりにくくなってしまいます。そういうスケベな男も必ず存在するのが世の中なんだと、ちゃんと性的な職業をされている方々の働く場所と、権利を与えた方が、取り締まりやすいはずですし、働いている方々の社会的な安定にもなるはずです。アメリカが昔禁酒法をやってどういう世の中になったのか学ぶべきです。ギャンブルが犯罪だと言いますが、競馬、競輪、競艇、オートレースと、民間のイリーガルなギャンブルの何が違うのでしょうか、パチンコ屋さんが本当に景品と交換しているだけだなんて、中学生でもそんな嘘わかります、明確なルールを決めて、そういうものを必要としている方々もいるのですから、きれい事はやめてちゃんとした方がいいのではないかと思います。世の中はそういう風になっています。子供にきれい事を言っても、説得力ありません。自分はギャンブルは全く興味ありませんし、風俗も利用する機会もありませんでしたが、そういうものの需要があるという事はわかります。
北朝鮮関連がとても騒がしくなっています。ミサイル発射問題、核実験問題で世論はヒートアップしました。断固強硬措置を取れ、経済制裁だ、勇ましく街行くおばちゃんまで街頭インタビューでそんな事を言います。本当にそんな人ばかりなのか疑問ですが、メディアも何が問題で騒いでいるのかと思えば、平壌宣言違反だ、って騒いでます。本気で言っているのかはわかりませんが、頭が悪すぎます。そもそも北朝鮮のような国が、本気でそんな約束を守ると思っているのだとしたら、バカかアホとしか言いようがありません。我が国は武力行使というオプションを単独で取る事は不可能です。もちろん能力的にも無理ですし、拉致された方々が北朝鮮にいる以上、不可能です。北朝鮮も日本と単独で交渉したって意味がないと思っているでしょう。アメリカと片がつけば日本なんてどうにでもなるからです。アメリカのお許しがなければ日本単独で北朝鮮と交渉し、拉致被害者と経済援助のバーター取引など勝手に出来ません。アメリカの逆鱗に触れてしまうからです。そういう国が偉そうな事を言ったって、世界中の笑い者です。なぜこの国はアメリカのご機嫌伺いしか選択肢がないのでしょうか。アメリカも手詰まりです。今のブッシュ政権の不人気、アメリカの不人気では、武力行使の選択は取りにくいと思います。日本と韓国がミサイルの射程距離に入っている以上、アメリカの武力行使イコール、日本と韓国がミサイル被害に遭う事は避けられません。いざとなったらそれでもおかまいなしに、アメリカは武力行使をするでしょう。日本人や韓国人が多少死のうが、それで得られるベネフィットが多ければ、あの国はやる国です。北朝鮮に石油でも出れば間違いなくとっくにやっているでしょう。日本は北朝鮮の制裁に先頭切ってがんばっています。メディアのキャンペーン活動によって、世論もそれを支持しました。しかし制裁に踏み切るという事がどういう事か、本当にわかって言っているのでしょうか、ミサイルの一発二発喰らっても構わねえぜ、そう思っているのでしょうか、武力行使を含めた制裁と言いますが、日本にその能力はありません、結局アメリカ頼みなのではないでしょうか、武力を含めた制裁だ、と騒ぐのは構いませんが、戦争しても構わないと思っているのでしょうか。まさか先頭切ってそんな事言っていたくせに、いざとなったらアメリカさんお願いしますでいいのでしょうか。安保はそういうもんだ、と聞こえてきそうですが、自分は勇ましい事言うよりも出来る事をやるべきだと思います。拉致被害者の問題でアメリカが冷たいなどとヒステリックに騒いでいるアホが、テレビにも出てきますが、日本にリソースがないのは、アメリカの対日政策のせいだとでも言いたいのでしょうか、俺がぐれたのは、愛情のない両親のせいだ、この腐った社会のせいだと言っているガキと同じようにしか聞こえないのですが、テレビでの情緒的な演出によって自分たちが流されている感情がどういうものか、冷静に考える事が大切だと思います。
ある子供を見ているとそういう情緒的なものをコントロールしようとする、世の中の力学的なものを感じます。登場人物たちがどんな目にあおうと、感情を揺さぶる演出がなければ、結局他人事なんです。だから冷めた目で鑑賞し、悲惨なシーンでもバカかこいつと笑えてしまったりするのではないでしょうか、主人公は手にするものを片っ端から金に換えていきます。自分の子供まで売っぱらってしまいます。しかし自己実現の為に子供に金かけている親と、自己の生活の為に金に換えている主人公と、そんなに違いはないのではないかと、そんな風に感情的な演出をはぶくと見えてきます。主人公は常に荷物をしょっています。それを背負って行く事はせずに簡単に金に換えていきます。しかしその事によって彼女にマジギレされ、捨ててはいけないものがある事を学習したのか、最後にどうせ金に換えるのだろうという観客の期待を良い意味で裏切り、罰を受け情けなさ最高潮で幕は下ります。この国も簡単に金に換えてはいけないものを金に換えているのではないでしょうか、情けなくてもしょうがありません、早いとこ守るべきものがあるって事に気付いてもらいたいもんです。
もう一点付け足します。女の人は、男より、強いんだなと思いました。いざとなったら母親の強さは男なんて目じゃないんだなと、男として、情けなさも感じました。