食べる--七通の手紙

¥543
株式会社 ビーケーワン
随分前に、当時の職場の上司から、面白いから読んでみな、と薦められて読んだ本です。作者の方の事は、昔テレビやラジオに出ていた人、というくらいで興味も全くありませんでしたが、借りて読んでみるとなかなか面白く、食を通して様々な事が、作者の目線から語られます。それがまたユーモアに溢れ、独特の世界の切り取り方で、嫌みのない、知的さと、優しさ、バカバカしさ、ちょっとくさい台詞もありますが、なかなか楽しめる本でした。
宮沢賢治とウニ、巨人の星とトンカツ、大虐殺者と塩、兼高かおると機内食、元東京都知事とハゼ、進化論とバナナ、ギンズバーグと黒鯛、テーマだけを見るとどうやって書くのか想像もつかないネタですが、時に真面目に、時に面白おかしく、見事に食を絡めて、作者の方の慈愛に満ちた世界の捉え方を、宮沢賢治、川崎のぼる、ポルポト、兼高かおる、青島幸男、ダーウィン、ギンズバーグとギンズバーグ似のおっさんを重ねて、それぞれの方々に宛てた手紙という形で描かれています。煮詰まった状態や悩んでいる状態の方などには、ホッとさせられるような文章です。
自分は食に携わる仕事を(転職はたくさんしましたが)長い事していましたが、その事が逆に食に対する感覚を鈍感にしていたのかもしれません。どこか仕事と割り切って見ている部分があったと思います。旨い物を食べても、仕事の勉強として味わい、スキルの上昇に従って感動も減り、自分で作った方が旨いな、などと思ったり、仕事以外で金にならない事はしない、道具がそろってないと面倒くさい、自分の腹を満たすためなど、それこそ何でもいいと、割り切って冷めていました。自分が働いているのは、自分の為だ、金を稼いで楽しむ為だ、別に、店の為でも、客の為でも、料理を愛してるからでもない、仕事だ、旨い物を作って客を満足させる仕事、そんな感じでしょうか。テレビに出てくるような一流の料理人の方は必ず旨い物に対する個人的な欲求が強いように思います。そのモチベーションずっと持っていられるか、そうでないかの差は大きいのではないか、という事です。技術的な事をどんなに学んだとしても、その差は決定的なのかもしれません。
旨い物を食え、よくそうやって言われました。和食だけじゃなく、フレンチも、イタリアンも、中華も、アジアンも、インド料理も、どんなマイナーな料理であっても、必ず肥やしになります。それが勉強なんだと。
まずい店で食べるのも、勉強です。まずい物は罪です。人間はまずい物を食ったとき、とんでもなく悲しい気分になります、金を貰ってそんな事するのは、へたな犯罪より厄介である意味詐欺です。でもその事で罰を受ける事はありません。だからせめて自分にとって最高だと思える味を出せるように勉強する。そういう風に教わりました。
この仕事をしていると、なかなか理不尽な事も多く、辞めていく人がいっぱいいました。休みは少ないし、拘束時間は長いし、親方は恐ろしいし、先輩は厳しいし、という事なのだろうと思いますが、専門学校で色々知識をつけて来た人や、テレビなどに影響を受けて、高い理想を持っている人ほど長続きしないのが、だいたいのパターンでした。自分はもともと成り行きで選んだ仕事でしたし、何となく選んでしまった仕事だったので、それがかえって良かったのかもしれません。他の仕事と客観的に比べる事は、自分はあまりにも身近にいたので冷静な視座は持つ事は難しいと思います。まあ当たり前ですが。それでも一般的な仕事に対する社会の風潮には違和感がありました。うだうだ言ってねえで、やる事やれ、嫌なら辞めちまえ、文句があるなら自分で起業しろ、そんな感じでしょうか。パワハラなんて言われたりしていますが、暴力など当たり前でしたし、頭に出刃包丁や、柳包丁で峰打ちを喰らうなんて、若い頃は日常茶飯事でした。その都度たんこぶが出来たり、血が出たり、若い頃は人間扱いされません。何かしくじった時などは生きた心地がせず、このまま地球が滅んでしまえばいいのにと何度思った事か。もっと厳しい仕事も世の中にはあると思いますし、大変な仕事も多いと思いますが、仕事が辛いとか、悩んだりしているのを聞くと、何甘えてんだよ、ごちゃごちゃ言ってねえで、寝ねえで働け、そんな風に思っていました。ですから一般的な目線とはズレていると思いますが、食を通して私的駄文で綴ってみようと思います。
ファーストフードや、コンビニ弁当、そういう物は本当に始末が悪いと思います。決して旨くないが、まずくない、人間を甘やかし、人間から、最高に贅沢な快楽を奪っています。本当に旨い物を食べる贅沢です。そういうものが幅を利かせている状況は悲惨です。たいした努力をせずに、たいして稼がずに、飯が食べられます。まずくて食べられないわけじゃない所が危険です。旨い物を食べる為の努力をしなくなります、たいした仕事もせず、死なない程度に、食い物を食べる。それは、適当に運動させて、がんがん餌を食べさせる家畜と変わりません。空腹の奴隷です。そういう意味では、まずい食い物も必要です。まずくて食べられなければ、飢えてしまい生きて行けません。だから旨い物を食べる為に一生懸命努力するようになります。問題はたいして努力しなくても、死ぬ危険がない事で、生きて行けることなんだと思います。生きる意味や、生き甲斐など探していて、グズグズ迷うのも、死ぬ危険がないからでしょう。生きる事に切実にならなければ、そのありがたみもわからないのではないでしょうか。自分はそういう豊かで便利な社会と呼ばれる状態が悪いと言っているわけではありません。自分もその上に乗っかっているわけですから偉そうな事は言えませんし、しかしそういう弊害もあるのではないかと個人的に思っているだけです。
テレビでは、崇高な精神者を持ち上げ、下劣な俗物をおとしめる、そんなに世の中単純ではありません。誰でも高貴な部分、下劣な部分、両方を併せ持つはずです。そんなに人間は有能ではなく、聖人君子になれるわけではありません。男だったら、どんなに崇高な哲学者や、テレビで偉そうな事を言っている、学者、知識人、かっこいい芸能人、抱かれたい男ナンバーワンだとしても、これだけは絶対に言えます。絶対にシコってる、間違いなくオナッてる、センズリかっ飛ばしてる、それは間違いなく断定できます。一人で、想像や、エロ本、エロビデオ、その他、何か対象に対して発射した経験があるはず、それは男なら絶対に否定できないはずです。年配の人だって、かつては励んでいたに違いありません。女の人の事は自分は男なので、本当の所はどうかはわかりませんが、男は間違いなく絶対にそうだと思います。どんなにかわいい彼女がいたって、シコらないまでもいい女をみて、いい女と思わない筈はありません。グラビアアイドルでもなんでもかわいい子を見れば、シコらなくても、かわいいと思う自然なことです。それを思うなというのは、旨い物を食べて旨いと思うなという事と、同義だと思います。別に言うのは簡単です。見たくない、旨くない、でも心の中の本音の部分は、そう簡単にコントロールできる物ではありません。行動は理性的であっても、内面はそう理性的ではないはずです。そういう事に対して、スッキリと本音を言うと、世の中犯罪だらけになるのかと言えば、人間は欲望が満足していれば、他人の権利を侵害してまで、それ以上の無駄な消費をしたいとは思いません。誰も苦しんでるのが見えないから、見ないようにするから、無駄な消費を費やせるのです。浪費は平和ぼけの象徴です。貧しい国から踏んだくって、自分たちの浪費に費やす、その現実があっても浪費はやめられません。自分の知らない所、見えない所で、自分の知らない人が困っていても、知ったこっちゃないからです。犯罪や、戦争や、争いや、夫婦喧嘩や、レイプや、盗みや、虐殺、その他、直接実力を行使する行動、理不尽な行いは、欲求不満から来ます。自分の願望を満たされない渇望、そういうものがあらゆる理不尽な行いを生みます。ある種の欲求をもつ事が、不浄な事で、その欲望のない人間が素晴らしい、そういう不自然な世の中が理不尽な事態を生むのだと思います。女の人はどうかわかりませんが、すくなくても、男はシコってる事が健康な事だと思うべきです。それを見ないようにする行為が犯罪を生みだすのでしょう。どんなに立派な人間も情けない部分を併せ持っている、そういうものです。それを踏まえて善い悪いを考えた方がスッキリするのではないでしょうか。グラビアを見ればかわいいなと思う、がしかし彼女がそばにいれば、そんなの興味ねえよ、という振りをする。
食べる行為も同じです。人間は他の動物を、植物を含めた生き物を、バラバラにして火あぶりにして切り刻んで、死体をそう感じない形に変えて食べています。鮮度がいい、いきがいいとかいったって死体です。生きたまま殺す、食べる場合もありますが、それは命は大切だ、という常識とは対極にあります。誰も自分達の生存のために、他の生き物をがんがん虐殺して、死体を喰ってるのが常識だ、とは思っていません。そうしないと人間が生きられないからです。それは善悪ではなく事実です。ある意味料理も体裁を整える為の、言い訳なのかもしれません。死体を気持ちよく喰うための、人間の罪を隠す為の。料理をしてると、そういう矛盾を感じてしまう時があります。
よく若い頃は説教されました。説教されてた時は気がつかないものです。今はよくわかります。後輩に同じ事を言ってしまったりして、ハッとなったりしていたのですから。気付く事が出来れば、いい大人になれます。人間は必ず後にならないと後悔できません。絶対に先にできない、いくら人に言われても気が付かない、自ら気が付く事が出来れば、後悔しないですみます。あの時の自分のようにならないように、若者に忠告しても、自ら気が付かない事には、いくら言っても無駄です。無駄だとわかっているが自分に出来る事は忠告する事だけです。体験した人間だけが、その事に気付き後悔する。悲しい事ですがそういうものです。そういう繰り返しの営みが、人の歴史なのかもしれません。人に言われているうちが花だとよく言います。年を重ね、偉くなるほど(自分は偉くありませんが)成長して聞く耳を持つ事が出来るようになるほど、意見を言われる、というチャンスが相対的に減っていきます。お金を払ってカウンセリングに相談したり、コンサルタントに指導を受けたりしなければならなくなります。自分にとって読書というのは、他人の意見を聞く為の貴重な機会の一つです。この本は食を通して、社会を見つめる、一つの楽しい、優しい視線を、気付かせてくれた本でした。仕事として乾いていた食に対する目線を、そんなに冷めた事言うなよ、食べるって楽しいぜ、そんな感じで言われた気がしました。

¥543
株式会社 ビーケーワン
随分前に、当時の職場の上司から、面白いから読んでみな、と薦められて読んだ本です。作者の方の事は、昔テレビやラジオに出ていた人、というくらいで興味も全くありませんでしたが、借りて読んでみるとなかなか面白く、食を通して様々な事が、作者の目線から語られます。それがまたユーモアに溢れ、独特の世界の切り取り方で、嫌みのない、知的さと、優しさ、バカバカしさ、ちょっとくさい台詞もありますが、なかなか楽しめる本でした。
宮沢賢治とウニ、巨人の星とトンカツ、大虐殺者と塩、兼高かおると機内食、元東京都知事とハゼ、進化論とバナナ、ギンズバーグと黒鯛、テーマだけを見るとどうやって書くのか想像もつかないネタですが、時に真面目に、時に面白おかしく、見事に食を絡めて、作者の方の慈愛に満ちた世界の捉え方を、宮沢賢治、川崎のぼる、ポルポト、兼高かおる、青島幸男、ダーウィン、ギンズバーグとギンズバーグ似のおっさんを重ねて、それぞれの方々に宛てた手紙という形で描かれています。煮詰まった状態や悩んでいる状態の方などには、ホッとさせられるような文章です。
自分は食に携わる仕事を(転職はたくさんしましたが)長い事していましたが、その事が逆に食に対する感覚を鈍感にしていたのかもしれません。どこか仕事と割り切って見ている部分があったと思います。旨い物を食べても、仕事の勉強として味わい、スキルの上昇に従って感動も減り、自分で作った方が旨いな、などと思ったり、仕事以外で金にならない事はしない、道具がそろってないと面倒くさい、自分の腹を満たすためなど、それこそ何でもいいと、割り切って冷めていました。自分が働いているのは、自分の為だ、金を稼いで楽しむ為だ、別に、店の為でも、客の為でも、料理を愛してるからでもない、仕事だ、旨い物を作って客を満足させる仕事、そんな感じでしょうか。テレビに出てくるような一流の料理人の方は必ず旨い物に対する個人的な欲求が強いように思います。そのモチベーションずっと持っていられるか、そうでないかの差は大きいのではないか、という事です。技術的な事をどんなに学んだとしても、その差は決定的なのかもしれません。
旨い物を食え、よくそうやって言われました。和食だけじゃなく、フレンチも、イタリアンも、中華も、アジアンも、インド料理も、どんなマイナーな料理であっても、必ず肥やしになります。それが勉強なんだと。
まずい店で食べるのも、勉強です。まずい物は罪です。人間はまずい物を食ったとき、とんでもなく悲しい気分になります、金を貰ってそんな事するのは、へたな犯罪より厄介である意味詐欺です。でもその事で罰を受ける事はありません。だからせめて自分にとって最高だと思える味を出せるように勉強する。そういう風に教わりました。
この仕事をしていると、なかなか理不尽な事も多く、辞めていく人がいっぱいいました。休みは少ないし、拘束時間は長いし、親方は恐ろしいし、先輩は厳しいし、という事なのだろうと思いますが、専門学校で色々知識をつけて来た人や、テレビなどに影響を受けて、高い理想を持っている人ほど長続きしないのが、だいたいのパターンでした。自分はもともと成り行きで選んだ仕事でしたし、何となく選んでしまった仕事だったので、それがかえって良かったのかもしれません。他の仕事と客観的に比べる事は、自分はあまりにも身近にいたので冷静な視座は持つ事は難しいと思います。まあ当たり前ですが。それでも一般的な仕事に対する社会の風潮には違和感がありました。うだうだ言ってねえで、やる事やれ、嫌なら辞めちまえ、文句があるなら自分で起業しろ、そんな感じでしょうか。パワハラなんて言われたりしていますが、暴力など当たり前でしたし、頭に出刃包丁や、柳包丁で峰打ちを喰らうなんて、若い頃は日常茶飯事でした。その都度たんこぶが出来たり、血が出たり、若い頃は人間扱いされません。何かしくじった時などは生きた心地がせず、このまま地球が滅んでしまえばいいのにと何度思った事か。もっと厳しい仕事も世の中にはあると思いますし、大変な仕事も多いと思いますが、仕事が辛いとか、悩んだりしているのを聞くと、何甘えてんだよ、ごちゃごちゃ言ってねえで、寝ねえで働け、そんな風に思っていました。ですから一般的な目線とはズレていると思いますが、食を通して私的駄文で綴ってみようと思います。
ファーストフードや、コンビニ弁当、そういう物は本当に始末が悪いと思います。決して旨くないが、まずくない、人間を甘やかし、人間から、最高に贅沢な快楽を奪っています。本当に旨い物を食べる贅沢です。そういうものが幅を利かせている状況は悲惨です。たいした努力をせずに、たいして稼がずに、飯が食べられます。まずくて食べられないわけじゃない所が危険です。旨い物を食べる為の努力をしなくなります、たいした仕事もせず、死なない程度に、食い物を食べる。それは、適当に運動させて、がんがん餌を食べさせる家畜と変わりません。空腹の奴隷です。そういう意味では、まずい食い物も必要です。まずくて食べられなければ、飢えてしまい生きて行けません。だから旨い物を食べる為に一生懸命努力するようになります。問題はたいして努力しなくても、死ぬ危険がない事で、生きて行けることなんだと思います。生きる意味や、生き甲斐など探していて、グズグズ迷うのも、死ぬ危険がないからでしょう。生きる事に切実にならなければ、そのありがたみもわからないのではないでしょうか。自分はそういう豊かで便利な社会と呼ばれる状態が悪いと言っているわけではありません。自分もその上に乗っかっているわけですから偉そうな事は言えませんし、しかしそういう弊害もあるのではないかと個人的に思っているだけです。
テレビでは、崇高な精神者を持ち上げ、下劣な俗物をおとしめる、そんなに世の中単純ではありません。誰でも高貴な部分、下劣な部分、両方を併せ持つはずです。そんなに人間は有能ではなく、聖人君子になれるわけではありません。男だったら、どんなに崇高な哲学者や、テレビで偉そうな事を言っている、学者、知識人、かっこいい芸能人、抱かれたい男ナンバーワンだとしても、これだけは絶対に言えます。絶対にシコってる、間違いなくオナッてる、センズリかっ飛ばしてる、それは間違いなく断定できます。一人で、想像や、エロ本、エロビデオ、その他、何か対象に対して発射した経験があるはず、それは男なら絶対に否定できないはずです。年配の人だって、かつては励んでいたに違いありません。女の人の事は自分は男なので、本当の所はどうかはわかりませんが、男は間違いなく絶対にそうだと思います。どんなにかわいい彼女がいたって、シコらないまでもいい女をみて、いい女と思わない筈はありません。グラビアアイドルでもなんでもかわいい子を見れば、シコらなくても、かわいいと思う自然なことです。それを思うなというのは、旨い物を食べて旨いと思うなという事と、同義だと思います。別に言うのは簡単です。見たくない、旨くない、でも心の中の本音の部分は、そう簡単にコントロールできる物ではありません。行動は理性的であっても、内面はそう理性的ではないはずです。そういう事に対して、スッキリと本音を言うと、世の中犯罪だらけになるのかと言えば、人間は欲望が満足していれば、他人の権利を侵害してまで、それ以上の無駄な消費をしたいとは思いません。誰も苦しんでるのが見えないから、見ないようにするから、無駄な消費を費やせるのです。浪費は平和ぼけの象徴です。貧しい国から踏んだくって、自分たちの浪費に費やす、その現実があっても浪費はやめられません。自分の知らない所、見えない所で、自分の知らない人が困っていても、知ったこっちゃないからです。犯罪や、戦争や、争いや、夫婦喧嘩や、レイプや、盗みや、虐殺、その他、直接実力を行使する行動、理不尽な行いは、欲求不満から来ます。自分の願望を満たされない渇望、そういうものがあらゆる理不尽な行いを生みます。ある種の欲求をもつ事が、不浄な事で、その欲望のない人間が素晴らしい、そういう不自然な世の中が理不尽な事態を生むのだと思います。女の人はどうかわかりませんが、すくなくても、男はシコってる事が健康な事だと思うべきです。それを見ないようにする行為が犯罪を生みだすのでしょう。どんなに立派な人間も情けない部分を併せ持っている、そういうものです。それを踏まえて善い悪いを考えた方がスッキリするのではないでしょうか。グラビアを見ればかわいいなと思う、がしかし彼女がそばにいれば、そんなの興味ねえよ、という振りをする。
食べる行為も同じです。人間は他の動物を、植物を含めた生き物を、バラバラにして火あぶりにして切り刻んで、死体をそう感じない形に変えて食べています。鮮度がいい、いきがいいとかいったって死体です。生きたまま殺す、食べる場合もありますが、それは命は大切だ、という常識とは対極にあります。誰も自分達の生存のために、他の生き物をがんがん虐殺して、死体を喰ってるのが常識だ、とは思っていません。そうしないと人間が生きられないからです。それは善悪ではなく事実です。ある意味料理も体裁を整える為の、言い訳なのかもしれません。死体を気持ちよく喰うための、人間の罪を隠す為の。料理をしてると、そういう矛盾を感じてしまう時があります。
よく若い頃は説教されました。説教されてた時は気がつかないものです。今はよくわかります。後輩に同じ事を言ってしまったりして、ハッとなったりしていたのですから。気付く事が出来れば、いい大人になれます。人間は必ず後にならないと後悔できません。絶対に先にできない、いくら人に言われても気が付かない、自ら気が付く事が出来れば、後悔しないですみます。あの時の自分のようにならないように、若者に忠告しても、自ら気が付かない事には、いくら言っても無駄です。無駄だとわかっているが自分に出来る事は忠告する事だけです。体験した人間だけが、その事に気付き後悔する。悲しい事ですがそういうものです。そういう繰り返しの営みが、人の歴史なのかもしれません。人に言われているうちが花だとよく言います。年を重ね、偉くなるほど(自分は偉くありませんが)成長して聞く耳を持つ事が出来るようになるほど、意見を言われる、というチャンスが相対的に減っていきます。お金を払ってカウンセリングに相談したり、コンサルタントに指導を受けたりしなければならなくなります。自分にとって読書というのは、他人の意見を聞く為の貴重な機会の一つです。この本は食を通して、社会を見つめる、一つの楽しい、優しい視線を、気付かせてくれた本でした。仕事として乾いていた食に対する目線を、そんなに冷めた事言うなよ、食べるって楽しいぜ、そんな感じで言われた気がしました。