ホテル・ルワンダ プレミアム・エディション/ドン・チードル

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見終わって、まずはじめに感じたのは平和で良かった、そう思いました。ラストこそ救いがありましたが、ぐったりと疲れきってしまったのを覚えています。
戦争は怖いというのはわかりますが、無力な市民の側からの目線でこういう風に描かれると、自分は何もわかっちゃいない、という事に気付かされます。クラッシュに主演していらした黒人さん、ドン・チードルの演技が光ってました、クラッシュでは今イチでしたが、己の無力さに苦しむ様は、真に迫っていました。特に自分の愛する家族に自殺するように言うくだりは、見ていて苦しかったです。そんな事、平和な日常に安穏と暮らしていると想像もできませんが、あの状況ならば説得力を持ってしまう。
主人公は行きがかり上、ツチ族の人々を助ける事になるのだが、そこにも変な正義感やヒューマニズムでは描かれていなく、結果的に成り行き上、仕方がなく、迷ったり厄介に感じたり、しかし何とかなければという葛藤もきちんと描かれていて、強引なところが少なかったのも、好感が持てました。
自分がこの立場だったらどうなんだろうと考えると、とても真似出来そうもないんじゃないかと思ってしまいます。
自分がもしツチ族だったら、何も出来ずに殺されてしまうかもしれません。逃げ惑うのでしょうが、あの状況では助かる見込みは薄いでしょうし、物語と同じく、あのホテルへ逃げ込もうとするでしょう。
もしフツ族だったらどうか、ああいうラジオ放送のようなものに煽られて、先頭切ってツチ族を虐殺しようとは思わないかもしれませんが、周りの人々がああいうトランス状態のようになっていて、異を唱えれば裏切り者扱いされて自分がねらわれると思ったら、仲間のふりはしてしまうかもしれません、つまり一緒になって、フツ族万歳、ツチ族を許すな、と声をあげ、一緒に追いかけ回してしまうかもしれない、と思ってしまいます。直接あんな鉈みたいなもので切り刻むなんて事は恐ろしくてできそうもありませんが、周りを止めたりは恐らく出来ないのではないでしょうか、あくまでも想像するしかありませんが、あんな事はしない、と言いたいのはやまやまですが、あの集団のど真ん中にいて、周りがあの恐ろしい刃物を持っていて、お前仲間を裏切るつもりか、なんて言われたら、切り刻まれてもいいから逆らうなんて選択は、自分には出来そうもありません。
あんな状態に将来この国がなったりしない事を祈ります。
そして自分がフツ族で、自分の大切な人がツチ族だったら、はたして自分はあの主人公のように、折れそうになる心に負けずにいられるか、どうなるだろうか、考えると恐ろしいです。
国連の無力さ、西側の無関心、まあそういうもんだよな、とはわかってはいましたが、それが紛争当事国にとって、どれくらい切実か、わかっているようでわかっちゃいないんだな、とも思いました。結局、自分の生活だってあるし、可愛そうだ、悲惨だ、というのはわかるけれど、俺にはどうする事も出来ねえしな、と日々垂れ流される、僅かなニュースソースを脇目に、平和な日常を安穏と暮らす、一般的日本人の自分としては、それがどういう事なのかせめて認識する、無関心が引き起こしているものが何なのか、知りたくなくても知るべきだと感じました。それが無力である事を知る事と、諦める事は別なんじゃねえかと、そう思ったわけであります。
けっ偉そうに、知ったからって、いったい何が出来るっつうんだよ、この平和な国で貧しい国から富を踏んだくって生きているくせに、きれい事を言うな、ホワイトバンドあれと一緒だろ、旨い物食って、環境の整った生活を満喫して、物欲にまみれて生きているくせしやがって、日常を謳歌している分際でわかったような事言うな、偽善的なんだよ、せめて知るって言ったって、何も出来ない事の結局はエクスキューズにすぎないだろ、知る事と諦める事の、結果的な差は何だ、オルタナティブな事が出来るのか、そしたら別にそんな事知らずに、楽しく生きていたいぜ、とそういう心の声と言いますか、もしくは他者から言われてしまったりすると、何も出来る事はない、何も言い返せない、しょんぼりとなってしまいます。
リベラルなヒューマニズムに包まれるのは気持ちがいいものですし、ニヒリズム的な非難もごもっとも、正論でしょう、そういう終わりのないせめぎ合いになってしまいがちです。これは非常に難しい問題だと思います。どうすれば良いんでしょうか。
それは、例えば、ケインズ的な経済政策が良いのか、新自由主義的な経済政策が良いのか、デマンドサイドか、サプライサイドか、どちらが正しいかなんて事はなく、しかし同時に両立させる事もなかなか難しく、その時の経済状況により、最善の策というのも変わってくるのでしょうが、なかなかそういう風にはなりません。いろいろな方々の様々な意見は、それぞれ学術的、経験的なエビデンスを持っており、どれも正しく、正論であり、同時に、確定した未来などわかるわけはないので、間違っているともいえます。国を混乱に貶めようとして意見を言っている方などいないでしょうし。
自分はそもそも他国を援助するというやり方では貧困を解決するのは無理だと思っております。援助する側もされる側も、政治的な利権に繋がりやすいですし、腐った政治家が悪だ、というのはちょっと脇におきましょう、しかしそういう物が必要な事もわかります。利権に繋がりやすいという構造的な問題もありますが、全く援助も物資もなく立ち直れるのだったら、とっくに裕福になっているはずです。しかし金や物資を送っても国の構造自体に問題があれば、単なる彌縫策になってしまいます。だから他国が介入してよかれと思って構造を作り直そうとしても、そこには利害関係が発生してしまい、権益の争奪戦が起こってしまいがちです。どういう風に作り直そうとしても、そこに関わってしまう以上、何らかの視座に立つ事になり、必ず恨みを持つ者が出てくる。量子力学の観測者が観測する事によって、結果が変わってしまう、というのに似ていますが、外から援助しても本当に救いたいと思う人々の所には届かず、内側から構造を変えようとしても、その国の全国民を満足させる立ち位置というのは難しく、メタ的な視座を持ち平等に改革するのも、他人の抜け駆け感、あいつらより俺達の方が損してるんじゃないか、という軋轢を完全に払拭するのも難しく、何かしらの視座、フィクションに乗らなければなかなか上手くいかず、したがってルサンチマンも生まれやすくなり、結局やぶ蛇になってしまう、と思うからです。
介入した国が、例えば、我々を恨んでくれて結構、その恨みをバネにして良い国を作ってくれ、と思うのなら別ですが、何の権益もないのに他人の国の問題に手を突っ込むという事も難しいでしょうし、そんなよその国に奉仕する暇があったら、自国の国民を満足させろ、という声も聞こえてきそうです、税金を使ってとなればなかなか難しいのではないでしょうか。
ルワンダに石油のような資源があれば、西側の反応も違ったものだったかもしれませんが、それが必ずしもいい結果を生み出すかと言われれば難しいのではないかと思います。平和の名の下に、正義の名の下に、大国が軍事介入するのは、一時、ある一方の人命を、救う事は可能でしょうが、その事がより多くのルサンチマンを生み出す事になり、更なる不安定要素として、余計厄介な事になってしまうからです。
結局、当事国の国民が自分達で何とかしようとならなければ、上手くいきません、そしてそれは悲劇が起こる事もあるでしょう、しかし自分達でそれを乗り越えようとしなければ、かえって泥沼化して行く事になるのではないでしょうか、そしてそれを乗り越えたとしても、必ずまた問題は起こります、ニーチェ的な悲劇の共有がなされ、良い国のあり方が、多くの国民のコンセンサスにならなければ、成熟した社会になる事は難しく、そのためには自力で問題を解決して行くしかありません。
個人の問題と同じです。他者から押し付けられても人は学びません、自分でそれを必要だと知り、経験的に学ばなければ、なかなか身に付きません。
ヒューマニズム的な援助が長期的に見ると、その国を依存体質にしてしまうという事もあるでしょう。
その悲劇を最小限にするために、他の国の社会システムを参考にして、その国にあったシステムを構築するのが一番いい解決方法なのではないでしょうか。
そういう意味での支援は必要かもしれません、我々の国はこういう方法で上手く回っています、という事を、相手に必要とされれば、教える必要はあるでしょう。ただ、例えば技術的な事を学習して取り入れても、必ずしも裕福な国になれるとは限りません、グローバライゼーションの市場経済の荒波に乗り出さなければならず、大国に食い物にされる可能性が出てきてしまいます。
レヴィ・ストロースではありませんが、大国的な価値観というのが、必ずしも先進的で正しく、幸福になる道だとは限りません、一国である程度、回るシステム、例えば我が国の江戸時代のような、経済的には裕福ではないかもしれませんが、それだって国民が幸福感を得られるのならありでしょう。
放っておけって実際死んでいる人もいるんだぞ、と言われてしまいそうですが、もちろん非人道的な虐殺はやめさせた方が良いに決まっていますが、仲裁に入るにしても簡単な事ではないんだという事を、頭に叩き込んでおく必要があります。よかれと思ってやっているのになんでわかってくれないんだ、とならないように。
しかし、ルワンダの問題は、もとを正せば、ドイツとベルギーのせいです。映画では全く描かれていませんが、ドイツが第一次大戦で負けた後、ベルギーが植民地統治を引き継ぎます。もともとたいして問題にしていなかった民族性を煽り、ツチ族に間接統治させたのがきっかけです。ツチ族が優秀で、フツ族が劣等民族だと、フィクションを植え付け、フツ族のルサンチマンがツチ族に向くようにしむけた事がそもそもの原因です。
つまり、介入してやぶ蛇になった結果というわけです。ですから、介入しておいて知らん顔かよ、という問題もありますので難しい所です。
紛争や内戦は世界の至る所で起こってきましたし、今も起こっていますし、これからも起こり続けるでしょう。
ヒューマニズム的なものに甘えず、ニヒリズム的に諦める事なく、そういう風潮に流されず、世界はそうなっているんだという事を知り、自分達がどういうプラットホームの上にいるのか、それを良く考える事が、せめて知る、第一歩なんじゃないかと思います。